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10月13日(土)  
日本の古代 「菜の花の沖」から


     司馬遼太郎「菜の花の沖」を読んでいたら、ちょっとおもしろい箇所があったので・・・・・

 日本の場合、稲作社会であると言うことが、それを考える上で決定的に大きな要因と言っていい。

 紀元前三百年か。もしくはそれより古く、海のかなたから威寝るとその作り方がつたわって、稲作を中心とする小社会が各地にできた。
三、四世紀に鉄器がつたわり、まだ短冊形の鉄の薄板を輸入にたよる段階であったとはいえ、この金属が田作りのための灌漑や水はけの土木をすることに大いに役立った。むろん、耕作用の農具としても役だったが、当時、重い木鍬を使って地に打ち込み、土をひっくり返すというのが普通で、鉄鍬がいきわたるまでにはいたらない。

 やがて、五世紀前後、鉄が日本の中で作られるようになって、土木用、耕作用の鉄器が増え、土を掘ることが容易になった。これによって古墳が爆発的に築造されるようになる。当然、この築山の増加は鉄器の普及、稲作面積のひろがりとかさなっている。

 この時期まで、鉄器の占有者は、大古墳の被葬者である小地域の首長であった。いよいよ稲作面積がふえるにつれて、小地域の社会が大地域の社会としてひろがっていく。

 それがブロック的な大地域となり、その権力の核が、九州、近畿、日本海岸、あるいはアズマ(現在の岐阜県以東)というふうにわかれ、さらに統一されて大和政権が成立する。統一は早く見て四、五世紀かとおもわれる。

 六世紀後半には仏教を入れ、それをもって統一がための一原理とし、あわせて広域行政を行うための漢字文化を朝鮮経由で入れはじめ、七世紀に中国式の律令国家をつくり、「日本国」が成立する。

 以上が、日本の古代というものである。

         司馬遼太郎「菜の花の沖 三」 文春文庫 P.80



 江戸中期から、ここの知的価値観を追求する一種の奇人がむらがり出ることが、隣接する中国や朝鮮にくらべ、日本史の大きな特徴と言っていい。

 この現象は、社会の中での商品経済の充実と無縁ではないだろう。

 アジアの巨大な先進文明圏である中国にあっては紀元前から貨幣も商品経済も存在し、近くは宋や明においてその隆盛ははなはだしかったが、しかし同時に儒教という社会の停滞を最高の価値とする思想がつよい水圧をもって社会をおおい、価値観が一種類にきまってしまった。

 朝鮮は、統一新羅が中国を本場とする儒教を七世紀から受け容れ、十四世紀末に李氏朝鮮が徹底的に受容して、中国以上の儒教国家になり、それも宋学という強烈な観念論で国家と社会を成立させた。このため朝鮮には二十世紀初頭になるまで貨幣がなかった。貨幣がない以上、商品経済はなく、かろうじて農村に古代に古代的な物々交換があったにすぎない。

 日本は異なっていた。

 室町時代から旺盛な商品経済の世になり、江戸期になって充実し、ついに封建制の底に亀裂を生じさせ、制度そのものが維持困難なほどの段階に立ちいたる。

         司馬遼太郎「菜の花の沖 三」 文春文庫 P.82




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