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8月27日(月)  
9月からの仕事


25日に面接を受けて、9月からの仕事を決めた。
27日にももう一つ面接を受けたのだが、25日に受けた方に決めようと思う。
仕事と言っても正式採用の社員ではなく、時間講師、フリーターである。
日本にいる同輩の方々もほぼ「悠々自適」の生活に入っておられる。
わたしもそろそろ仕事は切り上げる頃と思ったが、
やはり全く仕事が無くなるというのも生活のメリハリ上問題だ。
なにか、ゆったりと、しかもやりがいのある仕事を、と思っていた。
「ゆとり」という点では大学の先生もいいんだけれど、
もう天津市内では65歳を超すと雇ってくれるところは無い。
幸い滞在ビザは自分で取っているので、雇用主に取っ手もらう必要はない。
で、「塾」の時間講師をすることにした。

条件は以下の通りである。

・週3回(月・水・金)の午後1時〜4時まで。
 その時間内で休憩時間は自由に決めてください、とのこと。
 隔日の午後勤務、夕方には終わる、理想的である。
・内容は「中級会話」。これも私側の希望で決まったことである。
 初級のように「教えること(教師側)」「暗記すること(学生側)」に
 大部分の勢力を費やすのではなく、
 内容を楽しみながら授業ができるのではないかと考えている。
・教科書は華東理工大学出版社「新編日語教程3」を使う
・学生は20数名。年齢構成は20歳〜30歳ぐらい。
 会話の授業としては最適とはいえないまでも、
 十分やっていける人数である。
・学生は1週間に30時間 日本語の学習をする。
 その内の9時間を「会話練習」として私が担当する。
 同じクラスを月・水・金と担当するわけだから
 学生とのコミュニケーションもばっちりとれると思われる。
・レベルは週30時間のペースで、7ヶ月勉強してきた程度
 中日交流標準日本語初級上下を修了しているとのこと
・自分の意志で金を払って日本語を勉強しようとしている人たち
 (中には企業から出張の形で勉強している人もいる)ので
 学習意欲は非常に高い。
・授業は9月10日(月)から始まる。
・大変楽しみである。




8月25日(土)  
天津の地下鉄

 
昼前にスポーツクラブに行った。
他のお客さんがいた。
本当に珍しいことだ。

申し訳程度の運動をして
ちょっと丁寧にシャワーを浴び、
予約してあった面接に出かけた。
面接のことはまた、後日 報告する。

面接の場所は地下鉄で5つ目の駅である。
昨年6月に再開した天津の地下鉄は
ホント驚くほどきれいである。

私が来た2001年にも地下鉄は走っていたが、
それはまるでニューヨークのそれを思わせるような
(ニューヨークの地下鉄に乗ったことはないのだが)
きたない電車であった。

ホントは2006年2月6日開通の予定で
1月末ぐらいから新聞では毎日「開通まであと何日」と
秒読みの記事が写真入りで出ていた。
ところが、3日ほど前になって突然その記事が消えた。
6日に駅に行ってもゲートは閉まったままである。
延期になった理由なども一切報道無し
このあたりがいかにも「中国的」なんだが
6月に再開されて もう1年以上経つのに
まだこのきれいさを保っている
これはちょっと「中国的」とは言えない
電車賃は距離によって2元から5元
乗り心地はまあまあであるが
乗客もなにか公共汽車とはまた違った表情で乗っているような気がする。
                 *ちょっと見えにくいがグリーン線が地下鉄の路線である

      



8月24日(金)  
外見はやっと落ち着きました

家の中はやっと なんとか片付きました。
と言っても、あの銭湯と同じで外見が片付いただけで
書類をひとつ探すだけで、またまた あっちこっちを
ひっくりかえさなければならず、
そこでまた、再片付けの作業が始まるという状況です。

   

20日の月曜日には
友達の夫妻に来ていただいて、
いっしょに夕食を食べていただくというところまではなりました。

   

このホームページの方も なかなか手が着きませんでしたが
1週間近くもかかって、
授業で使った「日本の歌」を拾い出したり、
CDやペーパーの形で散逸している「旅の写真」の整理が
やっと終わったような感じです。
そろそろそちらのほうにも取りかかることができるのではないかと思いますので
どうぞよろしくお願いいたします。

9月以降 何もしないというのも
生活に「張り」がなくなると考え、
就職活動を開始しました。




8月18日(土)  
銭湯の開業

今日 我が家から歩いて10分ぐらいのところに銭湯が開業した。
開業というよりは「新装再開」のようである。
今の家に引っ越した最初の日から私の「銭湯探し」は始まっていた。
守衛のおじさんに聞くと、自転車で30分ほど行ったところにあると言う。
そんなに遠くてはどうしようもない。もっと近くにはないのか、と聞くと
あることはあるが、ひどく汚くてすすめられないと言う。
見に行ってみるといっても方向を指さすだけで、はっきりとした場所を教えない。
その方向に向かって人に聞きながらブラブラ歩いて行くと、あった。
改装中である。
これはいい。きれいになるんだ! 
   
いつ開業だ? と聞くと15日だという。
それから3日おきぐらいに工事の進捗状況を見に行った。
15日にも行ってみたが、まだ工事中だった。
そして、今日 行ってみると「午後から営業する」と言う。
もちろん、さっそく行ってみた。
大きなバスタブが2つあるのだが、
その内のひとつにしか湯ははられていない。
冷たくはないが随分温る目の湯である。
   
  *これらの写真は8月の始めごろのものだが、
   開業したといってもこれとあまり変わらない状態であった。

浴室の中にもまだ工事の人が出入りして、道具を片付けたり、掃除や洗い物などをしている。
店の人らしいのが来たので湯がぬるいというと「うんうん」とうなずいたが、そのまま行ってしまった。
サウナは勿論動いていないし、シャワーもほとんど冷水であった。
まあまあ、今日が始めてのことだから、我慢しよう。
ゆっくりと湯につかれるだけでも、よしとしなければならんだろう。 でも、こんな状態でも、かっちり風呂代10元は取られました。



8月14日(火)   日本語コーナー

毎週 日曜日の夕方7時から9時まで、天津市和平区図書館で「日本語コーナー」というのが行われている。
もう、15年の歴史を持つ由緒ある会だそうだ。
私も大分前からこのコーナーのことは耳にしていたが、参加しだしたのは今年になってからである。
それも行ったり、行かなかったり、そんなに真面目に参加しているわけではない。
でも、五一の労働節休暇や7,8月には旅行や帰国で日本人の参加が少なくなってしまう時、
旅行も帰国もしない今年の私など、何となく責任を感じて参加しているという感じである。
だから、そんなに喜んで参加しているわけでもないし、これといって義務感を感じているわけでもない。
特に何と言うこともなければ、出かけようか、という程度の参加である。
参加者は多いときで60人ぐらい。日本人が7〜8人。
少ない時は中国人20人ぐらい、日本人1〜2人(ひょっとしたら0人の時もあるのかも・・・) 高校生に当たる年代から、大学生、社会人まで、また、まだまだ日本語の聞き取りが困難という人から、 かなり日本語での会話が出来る人まで、様々な参加者である。
参加しても これと言って何か話題を提供するわけでもない。
何となく、私の周りに集まって来る中国人の人たちの話しかけを待って、それに応答をする。
だから、歴史の話題や、経済、漫画、歌手、観光地、等々何の脈絡もなく話をして、9時になったら終わる。
「日本語コーナー」とはいうものの、なかなか日本語ばかりで話せるわけではない。
中国人同士ではついつい中国語で話し合ってしまうということも多い。
今度は私の方が話題に付いていけず、はやく終わればいいのに・・・・などと考えながら、ぼんやりとした時間を過ごしてしまう。


今は日本人教師はほとんど日本に帰ってしまっているので、
参加する日本人は私ともう一人、やっぱり今年の5月ごろから参加しだした人の2人だけとなってしまっている。
いや、私はときどき休むので彼一人で頑張っている時も多い。

その彼がこの間(12日)の日本語コーナーで、聞き取り練習の授業のようなことを始めた。
15年間、そういった「企画もの」を一切なしに、ただ集まって、話して、帰る、でやってきた会が
常連さんのいない間に、何か方向転換をしようとしているようで、若干不安を感じないわけでもない。

おまけに、次回は私に何か話をしてくれと頼まれた。
断るわけにもいかないので、まあ、なにか当たり障りのないところで
一席ご機嫌を伺うこととしよう。



8月11日(土)   今日の予定

午前4時 目が覚めてしまった。

今日の予定は
台所等の電気配線、それに係る器具購入
台所の戸棚に収納できる大きさのプラスチックケース購入
台所の戸棚に取っ手を取り付ける。器具購入
食器棚(出来ればパイプ棚で)購入
下駄箱の戸の修理
床ガード補修
仏壇の棚と壁面の補修
外部階段下に置いてある段ボールの処分
寝室のシャンデリアと枕灯の電球取り替え
大きめの壁掛け時計の購入
旅の土産の写真撮影
野菜等食材の購入
改装中の風呂やの偵察
スポーツクラブに行く
等である。


昨夜、天津日本語教師会の友人(会長)から電話があった。
9月から曲阜の大学に再就職することにしたとのことである。
目出度いことではあるけれど、
7月末で多くの先生が天津を去られたあとだけに
ブルータスよ 汝もか! って感じだな
彼は天津に自宅を購入し、中国人の奥さんと結婚もし、
その奥さんは天津で現役で働いているので、
彼が就職活動をしていることは知っていたが
天津以外の地に行ってしまうということは無かろうと思っていたのだが・・・・

私もそろそろ9月以後の仕事を探さなければならないが、
別に無理して仕事をしようとは思っていない。
出来れば時間講師か家庭教師のような自由のきく仕事があればな、と思っている。



8月 8日(水)   立秋 久下順司 誕生日

ここ数日は前の家の整理と掃除、あたらしい家の片付けでめちゃめちゃ忙しかった。
それに諸手続きや買い物もある。

手続きとしては、
前の家の電話の解約、新しい家の電話の設置とブロードバンドの設置。
新聞の購読手続き、NHKを見るためのアンテナの移設。
修曼に届く郵便物の転送手続き、新しい家での郵便受けの設置。
公安への居住届け(住民税のようなものが年間で900元もかかった)
例によってあっちへ行ったりこっちへ行ったり半日かがりである。

買い物は
飲水機、冷蔵庫、書架、書斎用の椅子、籐製のロッキングチェアーなどである。
それぞれにあっちこっち探して周り、これと決めたら今度は時間不定の配達をまたねばならない。

整理や片付けと言っても、箒とちり取りで済むわけではない。
このために電動ドリルを購入したくらいで、ほとんど大工仕事の近い内容も多い。
そのせいか、激しい肩こりから来る頭痛、厳しい腰痛が出てきた。
そのため、毎日マッサージに通うことになった。
忙中閑ありといったところだが、それに時間を取られる分、忙しさは増加する。

8日は夕方6時から修曼時代の(というほど昔のことではないが)先生方と会食をした。
この日は私の誕生日であるので、何か記念の行事をと思っていたが、
7日の夜に電話をもらって、この会食に参加することにした。
8人が集まったが、その内9月以降も修曼に残る先生は2人だけである。
修曼時代のいろんな話が出て大変たのしかつた。
  


8月 5日(日)   転居作業 現在進行中



8月1日 転居の予定だったが準備が整わず3日に延期。
荷物の運搬は「搬家屋」に依頼、2時間あまりで新しい家に搬送完了。費用150元である。
その労力の割りに経費の安いことは全く感動的である。
新しい家の壁塗りにしてもそうだ。若い衆3人が丸3日間働いて、材料代が200元、工賃400元、一人一日60元ほどで働いてくれている。本当に信じられない値段である。
日本では入国ビザを厳しくして、外国の人や品物の流入を制限しているが、もしこういう人たちが自由に日本に働きに来られるようになったとしたら、日本の若者のかなりは仕事を奪われてしまうであろう。
EUでもイギリスやフランスなどはきっとこういう嵐を乗り越えてきたんだろうなあ。日本も早くそのノウハウを吸収しなければいけない。それなくして「大東亜共栄圏」なんてあり得ないものな。
でも、イギリスやフランスでおこった産業革命による弱者の悲劇を同じ形では繰り返さずに産業革命を通過してきた日本だ。ま、なんとか乗り切ってくれることとは信じているが・・・・

おっと、引っ越しの話であった。
荷物はほぼ運んだが、まだ前の家に残してきている物のも多いし、こちらも段ボールが積み重ねたままである。
前の家よりもかなり広くなった筈なんだが、どこにこんな荷物があったのかと思うほど次から次へと出てきて収拾がつかない。
いったん納めた品物をまた取り出して並べ替えるというようなことを何度も繰り返しながらの作業である。
でも、何日何時にトラックが来るというタイムリミットがある「家を出る場合」と違って、荷物の片付けはゆっくり時間をかけてやればいいので気楽は気楽である。
おとといは荷物の片付けを一時放り出して、偵察がてら近所の按摩屋に行って来た。全身按摩90分+足裏按摩60分 合計2時間半みっちりやってもらって50元。これはいい。
昨日は、スポーツクラブに行った。

というようなわけで、家の片付けは遅々として進んではいない。
写真も携帯電話で写したものを貼り付けてみたが、内容的にも技術的にも惨めなものである。
こちらのほうも徐々に改善されていく、と信じている。
まあ、差し当たっては「転居のご挨拶」である。












8月 1日(水)  

  ごあいさつ

私がHPを開設したのは、多分1995年だったと思う。それまでも独学でパソコンはいじっていたが、 この年 Windows95が大々的に発売され、何かインターネットをやらなきゃあ時代に取り残されてしまいそうな、そんな感じを受けたのがきっかけである。
ちょうどある中学校の校長をしていたので、その学校の紹介を目的に始めた。
私の感じではみんなに、時代に遅れまいとしてインターネットに参入したのだったが、HP開設というのはずいぶん先端的であったみたいだ。 ホームページを作っている校長がいるで、ということで新聞に掲載されたりしたこともあったほどである。
校長を退職して、天津の商学院(現 天津商業大学)に来てからも何とはなく、断続的にではあるがHPは継続していた。
昨年7月 その商学院を退職し、修曼(天津)同文渉外職業学校に移った。
ここでも、一応HPをリニュアールしたんだが、修曼の仕事は本当に忙しかった。 心身ともに疲れ果ててHPの更新どころではなく、夏休み、冬休みだけ開店の季節旅館のような状態が続いていた。
その修曼校も、やっと任期1年の契約が終了し6月末をもってめでたく退職した。
今はフリーの身である。もっとも9月ごろからは自由な時間を利用して個人的に、あるいはどこか学校の時間講師でもしようかなと思っている。
そういうわけで、再びホームページの新装開店に着手したわけである。 いったん離れたお客さんがそうそう帰ってくるとは思えないが、まあ、本業の日本語教師同様、疲れない範囲でボチボチとやっていこうと思う。 でも、誰からも相手にされないというのは寂しいので、ときどきは覗いてくださり、時にはメールや掲示板への書き込みもしていただければ大変うれしく思います。
なには、ともあれ どうぞよろしくお願いいたします。
  2007.8.1.   久下順司
8 月

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