本の紹介
  039
  2012年
 5月18日

 『日本文明77の鍵 A』   梅棹忠夫 著  
                            文春新書

                         次回は5月25日(毎金曜日)の予定
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  77の内 11〜20まで

11 金属器
日本に金属器が大陸からつたえられたのは縄文時代の末で、それは鉄器だった。
青銅器は弥生時代の初期からで、歴史一般の順序としては逆になっている。
日本ではしばらく石器・銅器・鉄器の併存期がつづいたが、やがて石器はつかわれなくなった。
ひろく、大量に普及したのは青銅器であった。
このころ、中国大陸では鉄の普及によって青銅の余剰が生じ、それが周辺地域に大量に流出したのである。
周辺諸国ではまだ鉄を利用した大規模な工事や戦争の必要がなく、むしろ象徴的・呪術的な道具のほうが珍重されたのであろう。
初期の青銅製品は中国製だったが、紀元前後からは日本でも青銅製品の生産がはじまっており、工房や鋳型が各地で発見されている。
 日本製の青銅器は実用性というより祭祀的性格がつよい。和製の剣や鉾は大型でうすく、武器としての使用は不可能である。
銅鐸は、馬につける鈴を原形にしてつくられたといわれるが、一メートルをこえる大型のものがあり、
つるしてならす鈴としてより、ならべてかざるのが目的たったようだ。
青銅製品は集落からはなれた、山中や大石の陰などに単独でかたよって発見されることがおおい、
出雲地方では神庭荒神谷、加茂岩倉遺跡から大量の銅剣、銅鐸が一括して発見されている。
これらは、ムラごとに所有されていた祭具だったらしいが、征服などによる政権の交代をしめすもにかもしれない。 
銅剣と銅鐸の分布を大きく見ると、銅剣は九州を中心と寸る西日本西部に、銅鐸は近畿を中心とする西日本東部に分布するという地域差がみとめられる。
ところが近畿地方を中心とする王権が確立した古墳時代になると、青銅製の剣や鐸は突然すがたをけすからである。 (p50)

12寺 院
仏教は紀元前五世紀にインドのシャーキャムニ(釈迦牟尼)によって創唱された宗教である。
それは古代インドのバラモン教を背景にしてつくられた,後代のヒンズー教もバラモン教から展開したものであるが、
ほぼそれがインド世界のなかにとどまったのに対して、仏教はスリランカ、東南アジア、西域、チベット、モンゴル、
中国本土、朝鮮、日本へとひろく拡散し、キリスト教、イスラム教とならんで世界三大宗教のひとつと称されるにいたっている。

仏教には単一の経典がなく、教理も時代的変化がおおきいが、それだけに全体としては、複雑で膨大な思想体系を形成している。
基本的には生活実践上のおしえをとくものだといわれ、神と人との関係とか絶対者への服従をとくキリスト教、イスラム教などの一神教とは、いちじるしくことなる。
仏教は中国へは紀元一世紀、漢代につたわり、二世紀ごろから経典の翻訳がさかんになり、
それによって中国的な仏教がつくりだざれ、それが東アジアにひろがっていった。
  とくに朝鮮をとおって日木へつたわってきた第一波の大乗仏教は、国家の安定をねがう政冶的要請にこたえるものであった。 (p53)

そのころの日本人は、仏教を信仰の対象というよりは、むしろ新来の文化セットとかんがえていたふしがある。 (p54)

八世紀になると仏教は国家の政策として地方への伝播がおしすすめられる。
国分寺計画がそれで、当時の行政単位である「国」のすべてに国分寺および国分寺尼寺の伽藍建設が計画され、財政的援助があたえられた。
しかしそれは、当時流行した疫病と天候不良による凶作をおさめるなどの大乗仏教の鎮護国家の目的がつよく、
かならずしも庶民の信仰としての仏教をひろめるためのものではなかった。
国の経営する寺にすむ僧や尼僧の生活はきびしく管理されていた。一般人との接触を禁じていることからそれがわかる。
つまり日本での仏教受容は政治的、技術的な実益を期待するところがおおきかったのてある。
仏教が宗教として本格的に展開すろのは、日本化がふかめられた平安時代以降のことである。 (p55)

13 律令   14 奈良   15 京都   16 漢字と仮名   17 日本語

18 歌と小説
日本には、短歌と俳句という極端にみじかい詩の伝統かある。日本の言葉はすべて母音でおわる。
しかし母音は五つしかなく、詩の重要な要素である韻はきわめて単調なものとなる。
そこで、韻をあわせるより、むしろ音の数を要素としたパターンをつくることとなった。
短歌は五・七・五・七・七言の組みあわせによる音数律であり、俳句はさらにその末尾の一四音をはぶいたものである。
短歌は古代歌謡のなかにふくまれる形であり、俳句は連歌をへて一六世紀ごろ短歌からわかれ、ひとつのジャンルとして成立した。
日本語に上る最初の詩集は「万葉集』で、人件家持の手で八貼紀にまとめられた。
ここには当時流布していた約四五○○首の歌謡がかきとめられているが、そのほとんどが短歌である。
したがって『万葉集』における言葉づかいは極度に簡潔で、象徴や暗示にたよる表現がつかわれ、論理的であるより、感覚的である。
言葉には特定の意味に限定せずに、明確な表示をさけて表現にふくらみをもたせる、という日本語の特質がよくいかされたている。 (p69)

19 新道

20 神話
神話学は、日本の神話が南太平洋地域のものと共通点がおおいことを指摘する。
混沌とした空間から世界がはじまる天地創造神話は、ポリネシアの神話とほぼおなじである。
海彦、山彦の話、殺された女神の体から栽培植物が生じるオオゲツヒメの話も、南太平洋からインドネシア、ニューギニアにまでみられる。
一方日食起源神話は北方系の系譜である。イザナギ、イザナミの黄泉神話はギリシャまで系譜をたどれるという。
オセアニアとの類似は、黒潮にのって島づたいにつながった漁労やイモ須の栽培文化とのかかわりをしめす。そのルーツは縄文時代までさかのぼるだろう。
東南アジアとの類似は、稲作や雑穀の農耕文化と関係し、弥生時代からのものであろう。
そして北方ユーラシアからギリシアにおよぶ騎馬民族文化の要素は古墳文化につよくおらわれる。
神話を通じて、日本列島に住んだ人びとのながい伝統とグローバルなネットワークが浮かびあがってくるようだ。 (p77)