9月20日 (火)     


  台風16号が通過し 雨が上がるとカタツムリの時間が始まる





gacco「iPS細胞 Week1」聴講
これは2年ほど前に受講したのと同じ内容である。
今度は「アンコールワット」の例にならって
頭から課題提出はせずに聴講だけにする。
うん、確かに楽しく聴けるし、解りやすい。
ただ、記憶に残るというようなことは全く期待できないだろう。

gacco「レジャー産業 Week4」も聴講しようと思ったが
ダウンロードだけでものすごく時間がかかって聴講は明日以降に。

銀行にお金を卸しに行った。昨日よりはマシだったけれど8人待ちくらい
その間に宮本輝短編「暑い道」、五木寛之短編「夜の角笛」読了。

プールに行ったらフロントがニコニコして迎えてくれた。
サウナの修理が完成。わざわざ私にメールもしてくれていた。
更衣室に入ると年配の男性が「サウナ直ったぞ」と声をかけてくる。
中国人でサウナを使うのは数人しかいない。当然みんな私の知り合いだ。
中国語でまくしたてるので聞き取りは不能だけれども、ちらちらと聞き取れる単語から
サウナの修理に一ヶ月もかかるとは! ここの受付では話しにならんから1階のフロントに文句を言ったら直ぐになおした。
というようなことを言っている。
中国人も私と同じことを考えているんだ。




今日の「公案」

   何かあったら、目の前のことに没頭して一心になってみる。
   あんなにあなたを煩わ.せていた苦しみが、
   ふと消えていることに気づくでしょう。

                                                  「男の禅語」 P35






   9月19日 (月)      敬老の日


  雨と緑にひっそりと身をひそめるかえる君  きのう身をひそめていたのはバッタ君でした





22日の朝、19日のブログが消えているぞ、とのメール着
確かにUPした覚えがあるのにどうして消えているのだ?
特に誰かの逆鱗にふれるような内容は書いていないはずだが、
確かにUPしたという方がアルツハイマーなのかな?
まあ、気を取り直してもう一度19日をやりなおそう。

そうそう、19日は朝起きると家中停電だ。
テレビ、パソコン、冷蔵庫、飲用水、レンジ、全部停まっている。
もう残量が10ポイントになりましたよ、という警告停電だ。
配電番をいろいろさわって10ポイントを回復、多分1日分位はいけるのだろう
9時過ぎに銀行に行って電気を購入。
日本にいると電気を買うなんて経験はちょっと出来ないよね。

DVD「ギャラクシー街道」 脚本・監督が三谷幸喜で
出演が香取慎吾、綾瀬はるか、山本耕史、大竹しのぶ、西田敏行というから
かなり期待して見たのだが、設定にも笑いにも全然ついていけなかった。
途中からは早送りで飛ばし見だった。

DVD「一千兆円の身代金」 題からして非現実的、
どっちみちふわふわとしたものだろうという気持ちで見始めたが
確かにええ加減な設定ではあるが、一つ一つの場面やシーンは結構面白い

そうだよなぁ、ワシの一生なんて全体のあらすじをみれば
ええ加減でつじつまの合わぬものに違いないが
一場面、一シーンを楽しめればそれはそれでいいというというものかもしれん

今日は「敬老の日」だけれども、まだ若い私には
何の関係もなさそうな。

17日の仲秋茶会に参加された方から写真が送られてきた。
一部をご紹介。 確かに自分で思っているより年寄りだな。





今日の「公案」      

   福祉事業とは、
   何かのために何かをすることではない。
   施設利用者のために尽くすということでもない。
   大事なのは同じ目線でいること

                                      有馬頼底  「よろこびの禅」










   9月18日 (日)     九一八記念日  かつては反日デモなんかあったがこの頃は忘れてしまっているみたい 


  雨と緑にひっそりと身をひそめるかえる君





gacco「アンコール Week3」は16日に聴講、課題は提出したのだが
課題解答には聞き慣れない人名、地名、時代名などに注意が向いてしまい
アンコールの文化そのものはそっちのけになってしまっている。
例えばナーガ、チャンパ、ピラスター、プチュムバン、ジャヤヴァルマンなどを聞きながら
アンコールの文化に浸るのはとてもじゃないが無理である。
で、今日はこれらを全部誰かが、何処かで、と置き換えて気にせず再聴講した。
そしたら少しはその時代の人の雰囲気が感じられたような気がした。

午後1時、地下鉄海光寺駅近くのUCCだったかの喫茶店で個人指導開始。
今日やった試行錯誤は左のプリントである。
@は事前にメールで送ってくれていた様だが迷惑メールに入っていた読めず。次回にする
Aはまるっきりの雑談会、これでどんな記事が出来るのか楽しみである。
BCDはすらすらとやって時間が終了。Eはまるまる次週までの宿題に。
こんなんでよかったのかどうかわからんが、まあまあ自分以上を望まない範囲で最大に。
  DVD「KidergardenCOP2」 子どもがたくさん登場、それはそれでよかったんだけど・・・

養老孟司の話から、というのも忘れていた。最終で「自由について」
年がいくと次から次へと仕事がなくなってきて、これをしなければいけない、
あれをしなければということがなくなってきて、すべてを自分の意思と選択でやらねばならぬ
これからの私はそういう自由のなかで生きる練習をしなければならないのに
それに恐れをなして、老人大や個人指導、gacco、日本語教師会など外からの強制を頼りにしている。

今日の「公案」      

   福祉事業とは、
   何かのために何かをすることではない。
   施設利用者のために尽くすということでもない。
   大事なのは同じ目線でいること

                                      有馬頼底  「よろこびの禅」










   9月17日 (土)     仲秋節 


  秋の空とすすき





今日は裏千家同好会の「仲秋茶会」
場所は南開大学東方芸術楼の茶室である。
少し早めに家を出て約30分、天津大、南開大と
ぶらぶらと歩いて芸術大楼の前のベンチで本を読んで
時間を潰す。私たちの席は日本語教師会の先生方、
どなたも正座は出来ないと言うので、最も正座不可の
私が正客、小学校3年生の女の子が次客となって
お茶をいただく。3〜40分で茶会が終わって
またぶらぶらと3〜40分歩いて帰る。

明日から個人指導を始める中学生のお父さんと
時間や場所など簡単な打ち合わせ。
授業料はなしのボランティアでさせてほしいとお願いした。

帰宅後は明日使う小型パソコンの準備で四苦八苦。
そうしている間にまた、友人からパソコンが言うことを聞かないとの電話。
なぜそうなるのか解らないが、いろいろ試行錯誤している内になんとか言うことを聞くようになって無事解決。




今日の「公案」      

   経外別伝
       文字や理屈ではない ただただやっている内になんとか道は開ける      禅語











   9月16日 (金)     仲秋節 


  小さな小さな田圃の稲刈り 季節は確実に進んで行く





ブログの修復は完了したみたい。お二人の方からOKのメールをいただいた。

ブログの中の疑問の解答ですが、蓮舫さんは本名が「村田蓮舫さん」と言いまして、
「蓮舫」は姓名の名のほうです。芸名を「蓮舫」としていたので議員になっても
芸名のほうを登録名にしています」とのご返事もいただいた。
へぇ〜、国会ってところは本名でなくてもいいんか!そして姓・名の区別もいらんのか!
じゃあ登録名を「昭和天皇」とすれば「防衛大臣昭和天皇」なんてのもあり得るわけか?

日曜日の個人指導のための教材プリント作りにほぼ一日かかっていた。
まず、中1の国語ってどの程度なのかとんと忘れてしまっている。
資料もパソコンの中から引っ張り出すんだが、それがどこにあるのやら?
  プール行ったけど、サウナがなきゃあつまらない。仲秋節のせいか人多し。
  gacco「アンコールワット Week3」


今日の「公案」      

   看脚下
       仏道は人々の脚跟下にあり      道元











   9月15日 (木)     仲秋節 十五夜  民進党代表選


  神戸も仲秋  淡河で豊助饅頭を買って帰りハギを前に一碗のお茶





民進党代表選で蓮舫氏が新代表となった。
そこでしょうもない疑問を二つ。
なぜ「民進党」なんだ?
維新の党と合同したんだから「民新党」じゃあないのか?
蓮舫さんの姓と名はどうなっているんだ?
蓮が姓で舫が名なんか? じゃあどうして蓮さんと呼ばないの?
蓮舫が姓だったら、名はなんていうの?
まあ、確かにどうでもいいようなことだけど誰か教えてくれないかな?

15日、仲秋の名月である。今年は旧暦でも15日(8月だけどね)だ。
台湾や福建省ではスーパー台風の来襲で
名月どころではなかったけれど、天津では薄曇りの天気。
ひょっとして名月がというかすかな期待も・・・
雨でもやりますとの通知もあったけど、天津日本人会「月見の茶会」
会は6時からだけど昼過ぎに出かけて、まず西沽公園に。
商業大にいたころにはよく来た公園である。
広さでは水上公園の比ではないけれど
樹や池や広場や遊具やなどなど、
体感的にはこちらの方が広い感じがする。
木陰に坐って子どもたちのローラースケートや若い男性の運動
若くない女性の太極拳風の体操などを眺めながら本を読んだ。
1時間半ぐらいぼんやりとして、商業大の茶室に向かう。
これも結構遠くて1時間以上は歩いたかな。
間に合うかなというちょっと焦った気持ちが疲れを呼んだな。
でも20分ほど前に茶室に到着。
庭にはかわいらしく月見の席がセットされている。
手水で身を清めた後、茶室に入る。
室内で電気を消しているので暗い。
蝋燭の手燭をもってお茶室へ。
はじめに「八寸」のお膳を振る舞われる。
これにはお酒もつく。
私は正座が出来ないので室外の椅子席で一人だったので
お酒は独占、3人分は飲んだかな。
いい気持ちになったところで、外に出て名月を心に浮かべながら
抹茶をいただく。 
夜咄しの茶会、納涼茶会、月見の茶会など
日本にいてもなかなか経験できない茶会で有り難いことだった。

抹茶をいただいてもまで八寸の酒が残っており
今度は焦ることもなく、いい気分でぶらりぶらりと歩いて地下鉄の駅へ。
編み笠をかぶっていたので、道行く人から一緒に写真を撮ってくれと
頼まれたりしながらね・・・・




今日の「公案」      

   小屋は茅を編み、竹は亭を結ぶ
   藤床、瓦鼎、黒磁の瓶
   山中一夜 清明の雨
   収めて却って春に先んずる一片の青

                             陳舜臣「茶の本 P198」より











   9月14日 (水)     


  水際でそっと生きているという感じがある。よく見れば綺麗くて可愛い





1週間ぶりにプールに行った。というのは8日に行ったときまだサウナが
故障中で14日までには直すと行っていたからである。
しかしまだなおっていなかった。サウナの修理に半月以上もかかるという
のはおかしいだろう?と言うと毎日プールを使ってもらってもいい、
そして会員カードの期限を1ヶ月延ばすと言ってくれた。
でもサウナがないのは私の禅修行上やっぱり困るんだよなぁ
修行は座禅、立禅、臥禅の三本立てで行っている。
座禅は地下鉄で坐った時くらいで自宅ではほとんどやらない。
立禅も電車を待つ時とか限られている。
最も充実しているのが臥禅、サウナの中で寝ころびながら無想になる。
されと夜寝る時と朝起きる時のベッドの中だ。
だからサウナがないということは悟りに近づけないということなんだな。

またまた、ブログに入れないというメールあり。
2つほどの方法を考えて数名に返信する。

DVD「危険なプロット」 いかにもフランス映画らしい作品。感じはいいんだが例の持って回った展開の仕方。

夜はまたまた「川国演義」で野菜サラダなど買って帰って喰う。注文して受け取るまで30分ほど。
立禅して口の中で般若心経を唱えながら待つ。受け取った時はもう悟りの境地だ。

養老孟司の話から C 知ることのない変化
「行く河の流れは絶えずしてしかももとの水にあらず」確かにいろいろと変化していることは解るけれども
本当の変化というのは知らないところで進行している。
今の私の肉体、7年前とは全く変わっているという。今から7年経てば今の私はその痕跡もなくなっているのだ。



今日の「公案」      

   五色は人の目をして盲ならしめ
   五音は人の耳をして聾ならしめ
   五味は人の口をして爽(たが)わしむ

                             老子 12章











   9月13日 (火)     


  水際での命の交接





スーパー台風14号が台湾あたりに近づいている。
外出には十分注意をと北京の領事館から注意があったけれども
天津はどんよりとした天気ではあるものの台風の予兆はない。

昨日「川国演義」に行ったもので打包してもらった麻婆豆腐と
宮保鶏丁があったのでそれを肴に昼から酎ハイをちょいと一杯

gacco「レジャー産業のイノベーション Week3」
11日 朝日テレビ「しくじり先生 中田歴史塾」
今回は「ナチスドイツのヒットラー」と「インド」の2本立て。
IT産業の分野では今やインドの台頭が激しいが、
それとカースト制度のからみ。勿論カースト制度が廃止されて
久しいが、今も残る結婚や職業選択の制限。ところがIT産業は
カーストにその想定がなく不可触賤民でもつける職業なのだ。
ハイルヒットラーのあのポーズ今のドイツでは法律で禁止とか。
人前でやれば5年以下の懲役とか。
内容もまあまあなんだけど中田先生の授業のすすめ方がいい。
ヒントを出して生徒達の発言で授業を進めていく。
その発言の引き出し方、ほめ方、そっちの方が習うところ大だ。

テレビを見ているうちに焼酎も退いてきたので銭湯に行く。
出たり入ったり、寝たり起きたり、足療をしたり、3時間半ほども。
きっと明日にはサウナもなおっているだろうと思うので
また、銭湯とはちょっと遠ざかるかもなぁ。

養老孟司の話から、何だたっけなあ。 ああ(過去ブログに飛んでやっと思い出した)犬猫はなぜ言葉をしゃべらないか
彼らは人間の何千倍何万倍という鋭い感覚を持っている。人が失ったものを維持しているというべきかな。
要するに「概念」じゃあなくて「感性」で生きているのだ。
言葉のいる世界じゃあないんだよな。


今日の「公案」      

   人を知る者は智なり
   自らを知るものは明なり
   人に勝つ者は力あり
   自らに勝つ者は強し

                             老子 33章











   9月12日 (月)     


  彼岸花 曼珠沙華 も満開に近い





朝 暗いうちから起き出してブログの再UPに挑戦。
昨夜も頑張ったんだが何分にもスピードが遅くて
3日分程UPすれば止まってしまうという状態だった。
早朝はなんとかスピードも出て、夜が明ける頃には再UP完成。

今日は一日家にいて本や雑誌を読んだりテレビを見たりで過ごす。
外を歩こうというのは三日坊主どころか二日で終わったな。

日本から来た人から頂いた雑誌「やすらぎ 8月号、9月号読了。
その人が編集・出版している雑誌である。月刊誌で326号っていうから
もう20年以上続いているわけだ。すごいことだね。
同じ人が出している「日めくり愛の詩集」から第6日目の詩。
  世の中には  いつお会いしても  やさしい笑顔で
  話しかけてくださり  ニコニコ微笑みながら  そっと包んでくれて
  此方を立て聴き上手  静かな話しぶりで  人の良い所を誉め
  只そこにいるだけで  爽やかな雰囲気作り  目配り気配りをして
  おもてなし上手で  光の中で温めてくれる  ほれぼれする人がいる

テレビは「歴史秘話ヒストリア」「時空を超えて」「100分で名著」
「100de名著」は「苦海浄土 @」である。これもそこで紹介された一節を
  きよ子は手も足もよじれてきて、手足が縄のようによじれて、わが身
  を縛っておりましたが、見るのも辛うして。
  それがあなた、死にました年でしたが、桜の花の散ります頃に。
  私がちょっと留守をしとりましたら、縁側に転げ出て、縁から落ちて
  地面に這うとりましたですよ。たまがって駆け寄りましたら、かなわん
  指で、桜の花びらば拾おうとしよりましたです。曲がった指で地面に
  にじりつけて、肘から血い出して
  「おかしゃん、はなば」ちゅうて花びらば指すとですもんね。花もあなた
  かわそうに、地面ににじりつけられて。
ちょっと原本を読むのがこわいねぇ。

gacco「アンコールワット Week2」内容よりも写真が楽しい。

dマガジン「OFF名著一気に読み直し」「PC21パソコン情報整理術」
「Newsweek中国経済」「PRESIDENT脳内革命」いずれも斜め読み。
「TokyoWalkerテレビ番組表」今週見る番組をピックアップ。




今日の「公案」      

   いずくんぞ知らん、百万億蒼生の命
   てん崖に堕ちて辛苦を受くるを
   すなわち為に諫議に蒼生を問わん
   つまるところ還た蘇息するを得んや

                                  陳舜臣著「茶の本」 P157











   9月11日 (日)     アメリカ 同時多発テロ (2001)


  萩 と 蝶







まずファイル転送プログラム(FFFRTP)が壊れてブログがUPできない。
ああでもない、こうでもないと四苦八苦していると先日の友人から電話。
彼のパソコン、中国語と日本語の交代が出来なくなったという
わが家にパソコンを持ってきてもらって約1時間、ああでもい、こうでもないと
やっている内に割合簡単に修復できた。

私に国語の家庭教師をして欲しいという日本人学校中1の男の子がいる。
ヒマ 暇 ひま 閑 無為徒食の昨今 ありがたい話しではあるが
やっと教師という仕事を終えて、そこで身にしみついた「教える口調」を洗い流すことが
これからの課題と思っていた矢先である。それに77歳と中1 大丈夫なんかい?
今日の午後、その子(勿論父親も)との面談。本当に私でいいの?と面接を受ける気分。
嫌々 家庭教師につくというのでもなさそうだし、私もまんざらでもない気もある。
それに講義じゃあなくて話し合いで行けそうだし、まあともあれやってみようか
ということになった。
老人大日語科の授業手伝いというのがなくなったかと思ったら
今度は中学生との対話である。我が神様もいろいろ大変だなぁ

家に帰ると神戸の友人からブログ壊れているぞとのお叱りのメール。
ブログが壊れているんじゃあない、FFFTPが壊れているんだ。
と軽い気持ちでブログのUPに取りかかったら、なんとほんとにブログが壊れている。
今年の1月から9月までのブログが全部消えているのだ。
サーバーにUPしているから大丈夫と一年以上前のブログはパソコンには残していない。
幸い今年の1月以降の分だったから再UPすることでなんとか修復出来たが
こういうのもやはり「淀みに浮かぶうたかた」と同じなんだなぁ。

「こころの時代」養老孟司の話から 「自分とは?」
自分を知る、自分探し、自分に合った仕事などという「自分」
これは自分の意識が創り出した「眺められている自分」なんだということ





今日の「公案」      

   我々が有ると思うところの自己は、考えられた自己である。
   見られた自己、知られた自己であって、対象の側に位置する自己である。
   しかし、自己は元来、主体的な存在であるべきである。
   その主体そのものは、知られ、考えられた側にはないであろう。

                                                                   「禅のこころ」より