8月10日 (水)     


  京都 錦市場にて 中国語でも韓国語でも




天津ではあまり報道はされていないみたいだけれど
この暑さではきっと熱中症もかなり出ているに違いない。
室内にいる時も冷房をつけたり消したり、冷蔵庫の中はビールよりも水
このごろは生姜湯、生姜茶と柚子系が気に入っている。
その他、コーラ、レモン水、レモンティー、ミントティーなどとにぎやかである

DVD「あさが来た」 とうとう一日で4週分も見てしまった。
というのは、このところ毎週なじみの登場人物が死んでいく。
その死に方も身近に感じられて、ついつい続きを見てしまうという感じかな
主人公の「あさ」の生き方も小気味いいんだけれど
周りの人々の人々の生き方も面白い。

最終週で出てきた言葉
@ そうだすな
A なんでだす?
B 今日もよう頑張ってはりますな
C そら よろしゅうおましたな
D ようやりましたな
E いつも側にいてるさかいな
F この世でまだうちのやらんなんことがあるさかい生かしてくれているんや

いつもこういう言葉を口にしておれば、安らかに死んでいけるんやろな。




今日の「公案」           

   玲瓏八面
   清風を起こす

            「禅林句集」










   8月 9日 (火)     長崎 原爆記念日  旧暦 七夕


  オミナエシ  これを「女郎花」と書くのはそういう雰囲気があるのかな




今日はまたも蒸し暑さが戻ってきた。

朝(昼近いんだけれども)は昨日の残りのあさりの酒蒸しを使って
海老・あさりラーメンだ。ちょっとヘンな味だったけれどもまずまず。

プールに行ったら5時までシャワーが使えないという。
でも、今日は遅めで3時半に着いたのでプールとシャワーを
ちょっとゆっくりすれば1時間半は没問題だ。

今週の金曜日の授業、そろそろ本格的に準備を、と思っていたら
1週間延期となった。
最後への授業なんだからもう少ししっかりと準備をせよ、との
お告げなのかもしれない。

DVD「朝が来た」 20.21.22週と3週間分もみてしまった。
前半の登場人物が次から次へと死んでいく。
これも私に合わせているのか?



今日の「公案」           

   我々は、自分で省みることなく、
   ただ目の前の世界について
   考えたり、調べたりする。
   その時、無意識のうちにも、
   変わらない自己というものがいて、
   それをなすのだと思いこんでしまう。

                    「禅のこころ」








          

   8月 8日 (月)     誕生日


  77回目の誕生日 やっとたどりついたあの世への入口




60歳まではしっかり働いて、あと10年はご褒美の天津生活との計画は
大きく崩れ、もう7年も年貢の滞納が続いている。昔だったらとっくに
姥捨て山に筵を敷いているはずだ(あれ? 捨てられたのは女だけ?)
いずれにせよ、そろそろあの世への入口をくぐらなければ・・・・
寿なんて喜んでいる場合じゃあないよね。

今日はここしばらくとはうって変わって涼しくていい風の吹く一日であった。

なんやかんやといいながらもやはり夜は寿を意識しての心ばかりのご馳走。
先日いただいた日本酒、帆立の刺身、立派な牡蛎フライ、あさりの酒蒸し、
茹でた車海老、青菜のごま油炒め、と生きているっていいなぁ、と思わせる

宇治の友人が送ってくれている「Dマガジン」 更新のため3日から
映らなくなっていた。5日には回復ということだったが、ずっと映らず心配していたが
きょうやっと回復。さっそく「Newsweek」を読む。
「女性と国際情勢」 東京都知事も女性がなった。
ドイツもイギリスも台湾も韓国も、そして多分アメリカも女性がリーダーとなる。
武器を持って腕力にものをいわせている時代はどうしても男性優位だけれど
今はもうそんな時代じゃないってことだ。 じゃあ、どんな時代なんだろう?
言葉と知性の時代? だったらいいのにねぇ

何万何十万の人を殺すのに
刀や鉄砲なんかの腕力なんかはいらない時代?

DVD「あさが来た」にはまっている。
夢でも「なんでどすねん?」などと大阪弁が出てくる始末だ。
そして目下のテーマは100年後の女性を育てる女性の大学設立の夢。





今日の「公案」           

   我を忘れて目前にあるものに取り組むことは、
   とらわれではない。
   取り組んだ後、それにいつまでも心を奪われないことが
   無心なのだ。

                    「禅の名言89/100」








   仏の道というのは、分かるとか分からないとかいうようなものではない。
   分かったら表想だ。でも、分からなかったら何もならない。
   しかし、もし本当に「もう何も疑いがない」という心境になったら、
   どうってことはない。
   あたりまえのことを、あたりまえに行うだけだ。
   分かるとか分からないとかではない。

                    「座禅ひとすじ」P220









   8月 7日 (日)     立秋


  蓮の実ってこういうふうにして出来ているのか、解りやすい。




今日から秋というが(暦の上ではということ)ホント暑い。
夜寝ていても1時間毎に暑さで眼が覚める。びしょびしょの汗である。

電子版「禅の教えに学ぶ 捨てる習慣と軽やかな人生」枡野俊明著 購入
電子マネーの暗証番号が違っていたりしてうまくいかなかったのだが何とか購入成功

「昨日の世界」恩田陸著 少し読み出して あれ、これ前に読んだわと気づく。

DVD「あさが来た 第16,17週」

昨日やったアルツハイマー症診断テストをまたやってみた。
前日の夕食はポテトフライ、紅生姜を含めて全部思い出せた。
「あさが来た」の方は「大阪の大恩人」「新春、恋のめばえ」「大阪一のおとうさま
「東京物語」「お姉ちゃんの旅立ち」と3.5/5 のできばえ。(赤字の部分が間違え)
昨日看た「道を照らす人」「最後のご奉公」は全く思い出せなかった。

日本人会から借りた本は
「明日の記憶」萩原浩 「中国古典 一日一話」守屋洋   「壺霊 上下」内田康夫 
蒲公英草紙 常野物語」恩田陸   「史記の風景」宮城谷昌光 
「きのうの世界 上下」恩田陸   「悪魔はささやく」宮部みゆき   
「長い長い殺人」宮部みゆき  「スープ屋しずくの謎解き朝ごはん」友井羊
(赤字の部分思い出せず)



今日の「公案」           

   仏の道というのは、分かるとか分からないとかいうようなものではない。
   分かったら表想だ。でも、分からなかったら何もならない。
   しかし、もし本当に「もう何も疑いがない」という心境になったら、
   どうってことはない。
   あたりまえのことを、あたりまえに行うだけだ。
   分かるとか分からないとかではない。

                    「座禅ひとすじ」P220










   8月 6日 (土)     広島 原爆記念日  リオ オリンピック開会式


  仏様たちに見守られて




テレビで「広島原爆記念式典」と「リオ オリンピック開幕式典」を
途中、寝ころびながら長々と見た。
それぞれに大変な想いがあるんだろうなぁと想像はされるのだが
今の私には寝ころんで、時にウトウトしながらみるバラエティ番組程度のものだ。

そのあとちょっと「明日の記憶」を読み始めたが、こっちはいかん
ずんずん「明日の私」に引き込まれてしまって、プールに行くのも飛ばしてしまった。
これだけ集中して活字が読めるということはまだ、私のアルツハイマーは軽症とは想うけど
それだって「明日」が「明後日・明明後日」あるいは「来週・再来週」になった程度へのもの。
2ヶ所ほど再掲。

ゆっくり、少しずつ、人生を消していく。まあ、しかたない。
幸いにしていまの病気は,時々悩まされる軽い頭痛以外に、痛みはない。
この先には肉体的な苦痛が待っているのかはしれないが、たぶんその時の私はそれを感じなくなっているだろう。
周りの人間には迷惑をかけることになるが人生の引き際としては、悪くない。最惠ではないという意味で。
どうせいつかはこの世から消えていくのだ。なるぺくきれいに消えよう。

フェイド・アウトはカット・アウトのような強い印象は残さないが、そのかわりに静かな余韻を置いていく処理方法だ。
人はなぜ生きるのか、人はどう生きるべきか、人生の意味とはなにか。生とは? 死とは?
若い頃の一時期、哲学書を数冊かじっただけでいい気になっていた私は、そうした疑問に思いを巡らせ、
答えを得ようとやっきになっていたことがある。
自分に人生の意味を問うには遅すぎる時がやってきて、ようやく少しだけわかってきた。
なぜ生きるか、どう生きるべきか、人生の意味は? 生と死とは? 
人の命はそんな疑問や懊悩とはまったく無関係に生まれ、翻弄され、そして消える。
人の肉体はなぜ生きているのかなんて考えてはいない。心と心臓は別の場所にあり、
脳は精神の苦悩とは無慈悲なほど無縁に、ひたすら機能的に動いている。     (P218)

そしてこの物語の最末尾、数十年連れ添った女房と出会って

吊り橋を渡りはじめると、彼女も歩き出した。ひとりぼっちで誰かを特っていて心細かったのだろう。
私の後ろではなく横をついてくる。彼女に合わせて私が歩調をゆるめると、向こうは私に合わせて少しだけ急ぎ足になる。
なんだかずっと昔から一緒に歩いてきたように私たちの息はびったり合っていた。
吊り橋を渡り終える頃、もう一度声をかけようとして私は口をつぐんだ。彼女の横顔が泣いているように見えたからだ。
力づけてあげたくて、柄にもないせりふを吐いてしまった。
「心配しないで。だいじょうぶですよ。この道で間違いない、僕がずっと一結にいきますから」 夕陽は刻々と色を変える。
ついいましがたまでの黄金の光が茜色になり、あたりの風景は急速に色を失っていった。
ふもとに着くまでには日が暮れてしまうだろう。私ですら一人で歩くには寂しい道だ。隣を歩く彼女の存在が心強かった。
太陽の最後の光が照らす道に,私と隣の女性、ふたつの影が寄り添って仲びていた。
私はまず自分が名のり、波女の名前を尋ねた。答えは少しのあいだ返ってこなかった。
影の長さふたつぶん歩いてから、じっと前を見っめていた横顔がきっぱりとこちらを向いた。
「枝実子っていいます。技に実る子と書いて技実子」
素敵な名前だ。
「いい名前ですね」 ようやく波女は少しだけ笑ってくれた。そうすると類の上のほくろもすぼまった。

この本を参考に私の短期記憶力のテストをしてみた。
まず、昨夜の食事の内容
たこ焼き じゃこ大根おろし 鰻の蒲焼き、チキンカツ 塩麹漬け たこわさび
・・・・自分で作ったポテトフライと紅生姜が抜けているが、まずまずOKか。
アルツハイマー発症まであと数ヶ月はありそう。

ついで、今見ているDVD「あさが来た」の週毎の副題
「大阪の恩人」「恋のときめき」「夫の秘密」・・・・・う〜ん、どうしても3つしか思い出せない。正解は
「大阪の大恩人」「新春、恋のゆくえ」「大阪一のおとうさま」「東京物語」「お姉ちゃんの旅立ち」だった。 
発症まで、あと数週間か。

もひとつはかなり難問  この間 日本人会で借りた本の名前と著者名
「明日の記憶」○○○ 「中国古典 禅語百題」守屋洋 「藩邸始末」山本周五郎 「長い長い殺人」宮部みゆき
「○○○上下」内田康夫 以上しか思い出せなかった。 正解は
「明日の記憶」萩原浩 「中国古典 一日一話」守屋洋 「壺霊 上下」内田康夫 「蒲公英草紙 常野物語」恩田陸
「史記の風景」宮城谷昌光 「きのうの世界 上下」恩田陸 「悪魔はささやく」宮部みゆき 「長い長い殺人」宮部みゆき
「スープ屋しずくの謎解き朝ごはん」友井羊  で、「藩邸始末」は借りた本でははなく手持ちの本でした。
こっちは惨敗だな。 明日にでも発症?  いやもうかなり進んでいるかも。





今日の「公案」           

   我という我を知らざる我なれば
   我を我ともおもわぬは我

                    無想疎石










   8月 5日 (金)     


  そうそう、これが私のイメージ「極楽の蓮」の葉と花




きのうケンタッキーでチキンの付録に注文した海老フライが
残っていたので、今日は海老フライの「ちょっと どんぶり」
これだって、結構おいしいんだよね。

現役の日本語教師の方から電話があって
来週中のいつか、授業をしてほしいとの依頼があった。
この歳の私に授業が出来るのか、という不安はあるし、
もう「授業」とは縁が切れたとも思っていたので
正直なところ若干嬉しかった。まあ、これが最後の授業だろう。
「一期一会」の気持ちで、自分に出来ることを精一杯にやってみよう。

夜は若い女性二人が私の誕生日の祝いとしいことで日本料理店に招待してくれる
店も HapyBirthday の旗を飾った席を用意してくれるなど特別だ。

1日の松茸、4日日本酒、そして誕生パーティと授業のプレゼント、
ワシは前世でよっぽど良いことをしたか、それとも神様の依怙贔屓なのか
とにかく ありがたくお受けをする。

誕生パーティは「望津」という多分新しい店だ。
白タクで案内してくれた。このごろこの白タクというのが素晴らしい。
協会みたいなところに電話をすれば数分で指定の場所に来てくれる。
車はきれいだし、運転手の接客も非常に良い。
そして料金も普通のタクシーよりずっと安い。
多分違法なんだろうと思うけれど、すごくはやっている。
評判が良すぎて取り締まれないのだろうか。

DVD「あさが来た 第14週」

「明日の記憶」 半分ほどよんだが、怖いよ。
主人公の「若年性アルツハイマー症」ちょっと程度は軽いが今の私と同じ
きっと診察をうければ「老年性アルツハイマーの初期症状」て言われるだろうな。
あすにでも主人公が受けたテストを自分でもやってみようかな? いや、止めたほうがいいかな?


今日の「公案」           

   自分で勝手にちっぽけに思っていたとしても、
   あなたはかけがえのない、貴重な存在なのです。

                    「男の禅語」 P137










   8月 4日 (木)     


  小池の側の百合の花  よそ事ながらうまく咲いてくれるのかな。




雨にはならなかったものの、真昼から夕方のようなお天気だった。

北朝鮮の弾道ミサイル2発発射。1発は爆発して失敗、1発は日本の排他的水域に落下
安定しているわけではないのだ、日本近くに飛んできたヤツももし「失敗して」
日本の領海内に落下したら・・・・戦争???

南シナ海だって、国連の仲裁裁判所が中国の領有権主張は「違法」との判決。
それを受けて、中国は一歩たりともその主張を弱めるわけにはいかないし
国連のお墨付きをもらった東南アジアの国々の対応は若干は強化されるであろうし
こっちも目が離せない状況だ。
盧溝橋事件や満州は日本の生命線とか、国際連盟脱退とかなどなど
100年近くまえのことがまた繰り返されようとしている。

郵便局からまた、紙切れ一枚、
小包が届いているので天津大郵便局に取りに来い、差出人も大きさや重量も解らない。
トラックでも用意して取りに行かねばならんのか! とか思ったけれど
私は「国家」のような馬鹿ではないので、散歩がてら取りに行った。

そのまま鞍上西道に足を伸ばしてプリンターインクを購入。
白黒は注墨で済ませようと思ったんだけれど、完全に乾燥してしまっていて
注墨も出来ないというので諦めた。

素晴らしいこと一件、日本から来ている友人から日本酒を一本いただく。
神戸 灘の沢の鶴「米だけの酒」というきっと素晴らしい良酒なんだろう。
今日はもうケンタッキーの出前を注文してしまっているので
この酒はもったいない。8日の誕生祝いに日本料理とともにいただくことにしよう。

家の前の「外国食品超市」が開店したみたい。
見たことのない酒や飲料水、スナック類などが並んでいる。
ちょっとポテトスティクというのを買ってみた。原産国マレーシアという。
値段の割には美味しくはなかった。

「あさが来た 第12,13週」



今日の「公案」           

   わたくしたちは今、情報の不均衡にあえいでいる。
   大事なことを知らず、どうでもよいことばかり、知りすぎている。
   知識は豊富だが、自分の足で歩く力は、非常に弱くなっている。
   頭ばかり大きくて、足もとが危いのである。
   そんな我々現代人にとって、足もとを見よという警告は、まことに意味深いものがあるといえる。
   我々は遠くのことは知っているが、近くのことは忘れている。

                    「禅と日本文化 P64」 <










   8月 3日 (水)     安部内閣改造  特に新味なし


  暑い、暑い、を音で演出するアブラ蝉




今日も「あさが来た」を2週分見た。
プールに行く前に第10週、夕方に第11週、
そのまま続きも見たかったんだけれどもなんとか持ちこたえた。

プレバトは木曜日放映なので今日で先週の録画が消えてしまうので
一度見た番組ではあるけれど「俳句査定」のみノートを持ってもう一度見る。
夏井先生の添削はたった一字が違えばこんなに風景が変わるのかと
驚かされることしばしばである。
今日は東国原の「向日葵や眠るむくろに頭垂れ」を
「向日葵や畜魂二十九万頭」との大改変。 う〜ん、これもすばらしい。
それから誰だったかの
「空蝉に吹く風ひとつどこへゆく」を
「吹く風に空蝉ひとつどこへゆく」と語順を変えてみる。さらに
「空蝉のひとつは風に転がりぬ」と映像化を。と言った具合で
言葉の魅力を楽しませてくれる。

もうひとつ、昨日のティク・ナット・ハンの話しが面白かったので
YouTube で検索したらいっぱい出てきたので
そのいくつかを見る。ほとんどは「こころの時代」に収録されていたものだったが
それでもなかなか良かったよ。
特に「歩きの瞑想」というのがいいなぁ、と思った。
座禅は坐って、それも結跏趺坐なんて考えることはない。
私の場合だったら、寝るときに体をまっすぐ伸ばして、
頬っぺや顎や舌をだらんと緩める、そして頭の中の蘊気を首を通じて腹に下げる、
そうしている内に酒気満ちてきて涅槃をさまようことになる。
朝もまた、寝床でこれをやってから気持ちよく現世によみがえる。
これが多分私の禅定である。 ま、悟りとは縁は遠いかも知れないが・・・



今日の「公案」           

   不染汚の行とは
   目的のために手段を弄するのではなく
   手段即目的、つまり
   ためにするもののないおこないのことをいうのです

                    「禅語百話」より












   8月 2日 (火)     


  暑い、暑い、道ばたのカンナも力なかりけり




昨夜は松茸で酒が進んだおかげで、サラダや牡蛎のオリーブオイル焼きなど
酒のアテが大分残った。主食にはならないし・・・昼、これらの処理に
ビール一本を、と思ったのがつい2本になり、結局プールには行きそびれてしまった。

と、何かこのごろこんなようなことばっかり書いている。
「こんなことばつかり」と感じるのは
書いていることに自分でも意味がない、と思っているからだ。
ということは、何か意味のあることをしなければ・・・と
「しなければ」意識に取り憑かれているということだろうな。

酒飲みながらで申し訳ないがEテレ「こころの時代」で
禅僧ティク・ナット・ハンの説教を聞いた。
怒りや憎しみを抱いた時、それを消し去ろうとして禅をするのではなく
また、もちろんその怒りや憎しみを肯定するのでもなく、
ただ怒りや憎しみを抱いている「自分」をありのままに見つめること、
これが禅である、という。
「ためにする」のではなく、ただ生きている、生かされている、という
気持ちになれるにはまだまだ遠いわたしだな。
風が吹いたらこの風で電力をなんて考えないで、ただ涼しいな、と感じたらいい。

「あさが来た」今日は第8週、9週と2週分も見た。
「dマガジン」で「AERA」から「子のない人生を越えて」というのを精読した。
こういうのを無料で読めるなんてホントすごいことだよな。




今日の「公案」           

   参禅は心身脱落なり。
   焼香、礼拝、念仏、修懺、看経を用いず。
   只管に打座して初めて得ん。

                     「正法眼蔵 行持下」












   8月 1日 (月)     新暦 八朔


  さあ、8月だ。この清流のようにいこう





プールの帰りに大悦城のスーパー bit に寄って
青レモン(すだちがよかったんだが見つからなかった)、
サーモンの刺身(白身の刺身がよかったんだが無かった)、
貝の明太子風煮込み(野菜の煮物がよかったんだが無かった)
それと野菜サラダなどを買い込んで、
夜は四半世紀ぶりの焼き松茸と土瓶蒸しだ。
酒も久しぶりに燗をした。
日頃の質素な食卓も悪くはないのだが
時折人の差し入れやおごりでこういった贅沢(通)もうれしいものだ。

DVD「あさが来た 第7週 だんな様の秘密 37〜42」

「明日の記憶」 萩原 浩著 というのを読み始めた。
その第一ページを読んで驚いた。
この小説の主人公はワシではないのか?
その冒頭の文章はつぎのとおり。
  「誰だっけ。ほら、あの人」
  最近、こんなせりふが多くなった。
  「俳優だよ。あれに出てた。外国の俳優だ」
  代名詞ばかりで固有名詞が出てこない。会議室に並んだ顔が一斉に見つめてくるのだが、
  炭酸ガスのように頭の中から拡け出てしまった人名を、私はいっこうに思い出すことができなかった。
  その俳優の姿形は浮かんでくるし、何年か前にヒットした主演映画のニュースや宣伝は嫌というほど目にしていたはずなのだが。
  最初のひと文字は「キ」? いや違う、「プ」だったっけ?
  「昔の人ですか?」
  私に向けられた顔のひとつがそう言った。すっかり年寄り扱いされちまっている。
  「いやいや、まだ若い、童顔でさ。何年か前に映画がヒットしただろ。あの映画・・・」
  まいったな。映画の題名までど忘れしてしまった。
  検索キーを押すようにこめかみを指で叩き、困惑した顔を向けてくる面々に、すがりつく視線をなげかけた。
  「ほら、豪華客船が沈んでしまう話」
  私と同じ営業部の安藤が膝を叩いた。
  「なんだ、タイタニックですか。もしかしてレオナルドディカプリオのこと?」
 こともなげにすらすらと答える。うらやましいかぎりだ。
 最近、知ってぃるはずの言葉がとっさに出なくなることが揩ヲた。ことに横文字の国有名調がいけない。

どんな私が出てくるか、ちょっと楽しみである。




今日の「公案」           

   窮亦楽   窮もまた楽しみ
   通亦楽   通もまた楽しむ

                     「荘子」