1月20日 (水)    




  雪の中に咲く花か 花に降り注ぐ雪か
 




ホームページの消失と復活は
確かに老化防止のリハビリとしてはよかったんだけれど
ワシのボケはかなり着実に進行している。
昨日夕食に何を食ったかは思い出せなくなっているし
ペプシコーラともうひとつ???? コカコーラが出てこない、
何かをしようと思ってもちょっと後回しにすると、もう忘れてしまっている
後回しはダメだと思うとお茶を淹れに立ったのに、
そこにあった本をちょっと片付けている間にお茶を忘れてしまっている。
まあ、われながら見事なものだ。

ホームページ回復でパソコンが動いている間に
久しぶりに紙の本を読んだ。「大逆転 小説三菱・第一銀行合併事件」
小説というが全て実名の物語で面白かった。

四国遍路88カ所のメモ帳のようなものを作っている
1カ所4ページ、全部で200ページに大作である。
これを Evernote に保存するか Onedrive にするか Dropbox に保存するか、今迷っているところである。










   1月19日 (火)    




  ことしになって初めての神戸の雪
 




ブロバイザーからは何も返事はないし、
何人かの人からはどうなっているんだ、とのお叱り?のメール。
まず契約期限は大丈夫か・・・これは2月26日まで大丈夫だ。
次にFFFTPで調べてみた。2015年8月以降のファイルが壊れている。
とりあえず、2016年1月分をUPしてみた。ちゃんと /public_html に入る。
でもダメだ。あ、そうかと思って index.html を調べたらこれも壊れている。
修正してUP、ローカル側で index を立ち上げるとちゃんとHPが出る。
ここまでは私にも想定できた対応だったが、それでもブラウザ上には
ホームページは出てこない。
そこで長考一番、YahooJapan から kuge.town-web.net/201601/201601x.htm といれてやると
お〜 ブラウザ上にわがホームページが再現した。

神さんもいろんな手を使って老化防止の手伝いをしてくれる。
想いもしなかったことが起こってくるのが「夢想庵」だわな。








   1月18日 (月)    




  おばあちゃん、が ん ば れ !  こっちに見える顔は傘に写っているのかな
 




ホームページが消えてしまった!!
調べてみると2014年8月以降の分がアップロードされていない。
ブロバイザーに問い合わせのメールを出したが、
とりあえず自分で1月分をアップロードしてみる
さて、とりあえずの分、見られるようになるだろうか。

きのう、飲み会の席で私の携帯に「車来了」というアプリれを入れてもらった。
これはホントすごいよ。
アプリを立ち上げると、まず現在地を示す地図が出る。
周辺のバス停が表示されているので、それを押すと、
そのバス停を通るすべ経てのバスが表示されあと何分で到着とまで出ている。
バスの番号を押すと今そのバスが、さらにその次のバスがどこを走っているかも
表示される。市内の全部のバスにGPSを搭載しているんだろうか?
10分間隔の筈のバスが2台ひっついて走っていたり
運転手の勝手で路線を離れて走ったりというようなことが、よくあったんだけど
そういったものもバレバレになってしまうということか?

いつも宅配を頼んでいるところが、酒(松竹梅辛口)が欠品だと言ってきた。
わが家の大家は日本料理店の経営者であるので、電話をしてみたら取りにおいでということで
とりあえず4本買ってきた。酒のストックがあるのと無いのとでは気持ちの落ち着きが大分違う。









   1月17日 (日)    阪神淡路大震災21年目




  今朝の天津の雪景色である
 




俺も間もなく死んだら天国とか極楽とかに行くことになるんだろうけれど
天国や極楽には「宗教」ってあるんだろうか。
死も病もなく、悩みも苦しみないところでは宗教って流行らんだろう?
悩みを聞いてやったり、助けてやったりする相手がなくなってしまったら
神様も随分手持ちぶさたというか失業状態なんじゃあないの?
それとも天国にもやはりテロやいじめや、貧富の格差なんかもあって
「悩める者よ、我に来たれ」なんて仕事があるんだろうか
バベルの塔なんて作ろうとする心配もないから
言葉の分断もなくて「日本語教師」の失業だな。
仏さんの方もピカピカ光を出しているけれど、闇が無きゃあ光れんだろう

今日は天津もうっすらとした雪景色であった。
風がないので助かるけれど気温は-7℃、寒いというより冷たい。

天津日本語教師会の仲間7人で飲み会をした。
一人は日本への帰国が決まっているので送別会も兼ねている。
「新鮮家」という日本料理店で、入り口はみすぼらしいけど
なかなか盛りつけも美しくて、美味しい料理が出る。









   1月16日 (土)    




  ???  京都の街角で
 




台湾の総統選挙と議会選挙が行われ、即日開票された。
結果、中国に対して独立性を主張する民進党がどちらの選挙でも圧勝した。
中国は「一つの中国」ということ言っており、それを堅持したいのだけれど
さてどうなることであろうか。
日本ですら中国との関係を危うくはしたくないんだから
台湾民進党がこのことで中国とケンカするてことは無いだろうとは思うが
なにせ「国」ってヤツの精神年齢は10歳程度なので、どう展開するか解らない。

ところで、一連の報道を視聴していて感じた幼稚な疑問。
@ あくまでも「中華民国」ではなくて「台湾」なんだよな。
  国民党や民進党も自分たちのことを「台湾」って言っているんだろうか?
A 中国の防空識別圏などでも台湾海峡のあたりは触れられていないみたいな
  感じがするんだが、この辺はどうなっているんだろうか?

久しぶりにDVD「深夜食堂」を観た。
このところacerパソコン、Huaway携帯の対応と良寛や遍路の誘惑で
紙の本にもDVDにも遠ざかっている。
  今日は豪勢に大吟醸タカイサミ 720o リットルを飲んだ。魚はサンマの塩焼き








   1月15日 (金)    小正月 




  神戸方面は寒いようだな。次の写真が届かない
 




国というのは暴力団とよく似てるな。構成員(国民)から金(上納金・税金)を取るし、
敵を殺した者は英雄になる。武器を隠し持ち、破壊や人殺しの練習をさせる。
イスラムの過激派だって国(イスラム国)と名乗れば破壊も人殺しも公然とできる。
だから有志連合しかも「国」だから公然と空爆をやってその戦果を誇ることができる。
日本もイスラム国をISと呼んで、国じゃあないよ、だかにダメだよ、と言っているんだ。

ところで「天国」は「国」なんかなぁ。天国の門なんて言うから塀で囲まれているのかなぁ
その点、日本は「極楽」であり、「天の原」だ原っぱだ、日本に生まれてよかったなぁ。

憧々、冬眠しているんかと思ったら突然動き回って、ほぼ垂直に立ち上がったよ。
しばらくしたらまた パタッと倒れて動かなくなった。冬眠中でも寝ぼけたりはするんだろうか。








   1月14日 (木)    




  六甲の夕陽 最後にもう一度輝くというのがいいな
 




久しぶりに gacco の授業再開である。
テーマは「ひとと動物の心理学」
内容的に特に新しい知識が得られるというわけではないが
先生の語りかけ方がとてもいい。内容と併せて聞いていて楽しい。
そうだよなぁ。ペットというのは確かに飼い主を評価したり、批判したりしない。
若くても年老いていても、裕福でも貧乏でも、努力家でも怠惰でも
区別することなく全面受容してくれる。
まるで神様仏様みたいだな。
玩具と違って養護し育ててやらねばならぬ。
言葉はしゃべらないけれど、話しかけは理解し会話は成立している。
しかも第一反抗期も第二反抗期もなく、ずっと飼い主の愛護を求めてくる。

わが家にも亀の憧々とリスkun とがいる。
憧々は反抗期というのではないが、冬眠中でなかなか会話はできないけれど。

指を怪我してたくさんの血が出た。
これじゃあしょうがないのでプールは休む。言い訳ではない。









   1月13日 (水)    




  六甲の夕陽 一日の終わりに赤く華やかに燃えるところがいい
 




昨日のブログに対して
「あなたの今の立ち位置はどこなのでしょうか」との指摘をいただいた。
そう言やぁ「道元を読め」の著者 山田さんも しきりに「立ち位置」って言ってたなぁ。
「ここだよ」って答えかけて、ふと思った。「ここ」ってどこ?
無想庵? 天津? 中国? はたまた「この世?」
昔、習ったよな。「点」とは位置のみありて面積のないのを点というって。
あれかな、常住坐臥、無処不住、行雲流水ってヤツだなぁ
ついでながら「今」ってのもやっかいだよな。
「今日」も明日になれば「昨日」って呼ばれるわけだしな。
「今」を「今年」といちづければ5ヶ月先だって「今」だ。
「今世紀」とでもしておけば面倒がないかも。「今生」としておけばもっと面倒がない
点と同じように定義すれば、「過去」と「未来」の間にあって時間のないのを「今」という
要は「無」なんだ。不増不減、不生不滅、無明無く、無明が尽きることもないってヤツだ

「道元を読め」 読了。一ヶ月ぐらいはかかるかなと思ったけど、早かったな。
もうすぐ「春節」だ。年の瀬が迫っているという感じが出てきたよ。










   1月12日 (火)    




  神戸の大仏 有名ではないが、東大寺、鎌倉に次ぐ日本三大仏の一つなんです
 




「絶望しそうになったら道元を読め」 第三章をよんだ。その中の一節
   いくら悟ったところで、悩むときは悩むし、死ぬときは死にます。
   でも、悟ったものは、悩みをあるがまま絶対肯定しながら悩み、
   死をあるがままに絶対肯定しながら死ぬんじゃないでしょうか。
それからもうひとつ
   「われ」をなくそうととい発想は、悟りとはほど遠い   とも。
なんか、解るような気になって4章 5章 6章 7章 8章 9章まで読んだ。
そして、私なりに考えたこと
失敗した私、=過去の悩みを抜け出せない私・・・見られている私=客体としての私
それを反省したり、責めたりしている今の私・・・・・見ている私=主体としての私
がいる。同じ私でありながら主と客が相対しているわけだ。
修行によって今の私をありのままに見ることが出来るようになれば
つまり、見る私(主)と見られる私(客)が一つになれば(主客未分)私の生き方は、
例えば良寛のように解放されたものとなるのでは・・・これが「行」である。
さらに言えば、こうなりたい、こうなるであろうという未来の私がいる。
その未来の私と今の私が「未分」となるとき、「悟り」と言えるのかも知れない。
さらに言えば私の未来にある「死」と私の現在である「生」とが「未分」となること、これが「修」である。
つまり「修と行」のただ中に解放や悟りがあるということなのだ。

インターネット上で「四国遍路」を開始した。これは距離は関係ないから一日一寺が目標だが
私のことだからきっとそう規則正しくはいかない。
それと「遍路記」というか「遍路ブログ」のようなものが思いっきりたくさんある。これも読んでいこう。









   1月11日 (月)    成人の日




  神戸の成人の日街頭風景 商店街のシャッターもそうだけど、ちょっと寂しいな
 




山田史生著「絶望しそうになったら道元を読め」という長ったらしい題の本(電子図書)を
読み始めた。第二章まで読んだところだが、おっそろしく難しい。
  序 章 なぜ道元の現成公案を読むのか
  第 1章 「われ」は生滅している
  第 2章 「われ」は根拠づけられている
  第 3章 「われ」を肯定して生きる
  第 4章 「われ」を世界に押しつけない
  第 5章 身心を脱落させる
  第 6章 世界自体が「われ」である
  第 7章 世界は「いま・ここ」の自己限定である
  第 8章 「悟り」とはなにか
  第 9章 「いま・ここ」から創造する
  第10章 世界は「一」である
  第11章 世界は「われ」の働きをふくむ
  終 章  道元は現実世界をどう描いたのか
  後始末 現に生きているということ 
という内容である。まあ、暫くは大変だなぁ。
小説じゃあないんだから、解っても解らなくてもとにかく読む。お経みたいなものかな。

生きていかなくっちゃあならんから、今日は「鯛めし」というのを炊いて食った。