2015年 1月10日 (土)   




  幽霊の正体も、こう団体ではねぇ・・・・・・
     




天津外国語大学の茶室で裏千家同好会の
新年茶会が行われる。
昨年までは裏千家天津事務所が
主催していたのを今年からは同好会主催と
なったものである。
天津日本語教師会からは8名が招待されて
参加(男5人、内中国人2人、女3人)。
中国人の男性二人は随分足が
厳しそうであったが何とか最後まで頑張る。
私は最初からいす席で・・・

第2席は青木先生のグループである。
私は教師会のメンバーとは別れて
青木先生の席にも参加。
正門まで迎えに行って
ちゃんと腕を組んで茶室まで誘導する。
目が見えなくても十分茶会の雰囲気は
味わっていると思えた。
帰りは若いソプラノ歌手の人を正門まで
誘導。この人は日本語が出来るので
いろいろ話しながら歩く。
旅行が好きなこと、水泳が出来ることなど
意外な一面を知る。
それと話がとぎれるとすぐに歌を口ずさむ
さすがはプロの歌手だ。

その人をタクシーに乗せて見送ってから
オリンピック大厦まで歩く、が、途中で
道がわからなくなってしまった。
たくさんの人に聞いたけれど
オリンピックって聞いただけで「知らない」
と言われる。どうしようかと思っていると
バイクを停めて話している二人組の若者がいたので、聞いてみると
よし後ろに乗れ、と言ってくれて二人乗りでオリンピック大厦まで送ってくれた。
天津にはこんなにフランクで親切な若者もいる。ちょっと感動したなぁ。








 2015年 1月 9日 (金)   




  お疲れ気味の山茶花のそろい踏み(元々は「さんちゃか」と呼ばれていたが訛って「さざんか」となったという)
     




朝から「天津日本人会」の年会費を納めに行ってきた。200元。
一年に多分200冊以上の本を借りるだろうし、いろいろなイベントにも参加できる。安い!
そのあと、吉利屋でDVD15タイトル購入。230元。日本で買えば数万円はするだろう。安い!
スーパーで野菜など買い込んでいったん帰宅、荷物を置いて再びプールに出発。
夕方から夜にかけて借りてきた本から「景気ってなんだろう」岩田規久男著
たいへん解りやすいというか初歩的内容だったんだけど、まあ斜め読みで読了。
夜は「黒松白鹿 喜十郎」というちょっと高めの酒(もらいもの)をのんだ。
やっぱり一升75元の酒とは違って旨いなあ。







 2015年 1月 8日 (木)   




  庭に咲くビオラ、バンジーとも言うらしい。いかにも西欧的なはなだなぁ。 でも「三色すみれ」とも言うとか 
     




「どこでもVPN」からIDとPWが送られてきた。
それをいれると確かに何の支障もなく YouTubeの gaccoに入られる
だけれどもなぁ、「マンガ・アニメ・ゲーム論」の画面は全くつまらない。
国会図書館だったり、なんとか図書館のスナップが映っているだけ。
まあ、Week2 に期待しようか。
「どこでもVPN」は3日間の試用なんだけれど
とにかく1ヶ月は申し込んでみようと思う。
最新の歌などを録音したりすれば、結構モトはとれるんだろう。


「にぎやかな天地 下」宮本輝著 読了。 3ヶ所ほど引用。

自分のこのような考えには、突拍子もない飛躍があるかもしれない。肝心な部分を飛ばしてしまっているようにも思える。
しかし、守られてきたのだから、これからも守られる。何に守られるのか・・・。いかなる理由によって守られるのか・・・。
もし悪い運命というものがあるのなら、父がすべてそれを持って行ってくれたのだ。というよりも、父はそのために死んだのだ。


松葉は多くは語らないが、妻と長男夫婦と孫を一瞬にして失ない、自らも重症のうつ病でのたうっていたときに、
何か途轍もなく大きなものを得ていたような気がすると言ったことがある。
そのうちのひとつが、あの狂ったような好景気への疑念であり、あえてそこから退くことの勇気だったという。
ある重要な急所のようなものがわかったのだ。
それがわかったら、バブル景気の裏にあるものも、退く勇気も、そこからの枝葉にすぎなかった。
「ぼくは厭世的になって事業から身を退いたのではない。坪千円の土地が三十万円になって、
そのうえそれを買う金を銀行のほうから貸してやろうと申し出てくる・・・。
そんな世の中の背後には、何か巨大な邪な策略が隠されているに違いないという気がして仕方がなかったんだ。
でも現実に世の中では札束が大量に乱れ飛んでいて、自分たちもその乱れのなかに巻き込まれざるを得なかった。
しかし、それはおかしい。まっとうではない。まっとうではないことがつづくはずがない……。
そう気づかせてくれたのは、家族の死であり、自分の病だった。・・・


ぼくは料理の修業には一所懸命やったし、ご主人を尊敬しとったし、
兄弟子にきつい仕打ちをされても、腹は立ったけど恨みに思たことはないし、
命じられた仕事は労を惜しまずにやってた。そやけど、どこか冥利が悪かったなァ、といまになってわかるんや」
「どんなところがですか?」
と聖司は訊いた。
「ぎょうさんあって、ひとことでは言えんなァ」
と丸山は苦笑した,
「つまり、どれもこれも、ふりをしてたんや。料理の修業に懸命なふり。ご主人を尊敬するふり。
兄弟子に柔順なふり。いやな仕事も骨身を借しまずにするふり。
そのふりを、ぼくは他人にではなく、自分自身に向けてやっとったんや。


飲料水がなくなって注文の電話をかけようとしたら、
電話代が0になっているので使えません、という。
銀行に行って金を卸して電話代を払いに行く。
近くなので「大西」で昼飯を、と思ったが3時をすぎていたのでダメだった。
そのままプールに行くついでに水遊館のサイゼリアで極安のドリアを食う。
水遊館はえらい楽しげな飾り付けだった。















 2015年 1月 7日 (水)   




  「吊るし柿は ひよどりの好物」というがひよどりでなくてもホントおいしそうですね。 
     




きょうから gacco で「マンガ・アニメ・ゲーム論」というのが始まる。
日本時間3時(中国時間2時)からである。プールにも行かずに待っていた。
が、接続してみるとどうしても講義のビデオが出てこない。
いろいろ、いろいろやってみてやっと YouTube でないと
映らないのだということがわかった。
インターネットで授業をしようという様な人が中国ではYouTubeがみられない
ということを知らないというわけはなかろうにね。
gacco も反中・嫌中路線をいっているんだろうか?

どうしようか、といろいろ考えた末、中国でもYouTubeが繋がるという
「どこでもVPN」というのに登録してみようかと思った。月980円!
980円にしばらく悩んでいたので申し込みをしたのはもう夜だった。
申し込んでもダメなんだよな。向こうから返事が来なくっちゃあ
gacco に入れるかどうかは明日以降のお楽しみということになった。







 2015年 1月 6日 (火)   




  六甲山、歩いて上るにはこういう道を通っていく  1月5日
     



久しぶりに外に出たという気がする。
写真左端は近くの小公園である。中央に資材置き場のようなものが見えるが
これは立派な個人の住宅である。すべてを取り払って改築をしていたが新年になって完成したみたい。
最初にここに人が住み始めたのは1年ぐらい前かなあ。
路上での商売は追放するのに、公園にこんな住居?を構えて住めるのだからちょっと変わっているね。

これまた、久しぶりにプールに行ったついでに、隣のパン屋でパンとレモンティーで1時間ほど読書。
内田康夫の「萩原朔太郎の亡霊」を読み始めたが、おもしろくないので投げ出して
「歌枕殺人事件」に。こっちは結構おもしろくて一日で読了した。


gacco「人とロボット Week2」 2つある課題の問題1を提出
Week1 は全く馬鹿げた採点基準で0点だったヤツである。
今回も0点を目指して書いたのだが、
どういうわけか14点満点中8点がついていた。
なんかスカされたような気がする。
0点を目指したレポートってどんなものか
ご紹介しておこうかな。

Week2の課題1は「なぜアンドロイドがデパートで服を販売することが受け入れやすいのか、
その理由について述べよ」ということであるが、

服売り場でアンドロイドが受け入れられやすいというのは出題者の勝手な断定ではないか。
その根拠は講座担当者自身による数回のかなりいい加減な調査である。
そういう断定を無条件に肯定して解答しなければ不可というような出題は小中学生対象であればともかくも高等教育ではなじまない。

また問題文の表現についても「受け入れられやすい」というのは誰に受け入れられやすいのか。デパートの顧客か、販売者か不明である。
たとえばアンドロイドは長時間働かせても疲れない、笑顔を絶やさないなどというのは販売者(設置者)にとってはメリットであるが、
一度きりの接触で終わる顧客にとって特段のメリットとは言えない。

またアンドロイドは嘘をつかない、信用しやすいなんてことは全くないのであって、
操作者あるいはプログラムが応答しているのであるからむしろ不誠実そのものである。
その目はカメラ、耳はレコーダーであることを考えれば決して安心して付き合えるものではない筈だ。

また質問にボタンで応答することで恥ずかしさが解消されるというが、
これなどはヒト型ロボットよりも自販機型ロボットの方が優れていると言っているに等しい。

現在あるいは物珍しさで人が集まるかも知れないが、決して本当の意味で受け入れられているのではない。

というものである。
いかがなものであろうかね。
















 2015年 1月 5日 (月)   




  ひっそり、ほっこりと日なたぼっこを楽しむ栗とどんぐりの親子
     



体調はだいぶ良くなってきた。
75年使っても修理がきくというのはやはりMADEinJAPANのすごいところだな。
でも鼻水はとまったが今度は鼻がカラカラ。水害の後は干害だ。
きっと昨日一日で鼻の水分を使い果たしてしまったんだろう。
午後、プールに行って行けないことはないという感じだったが
大事をとって夜は近くの「川国演義」にしゃぶしゃぶを食いに行った。

家では「にぎやかな大地」の続きを読む。
主人公が大学生の頃に阪神大震災というから時代背景もよくわかる。
場所的にも京都の錦市場の「魚滝」って魚屋さんがでてきたり、ほんと楽しい
また、一節、気に入った文章を。
  「死ぬ前の、いったい何年間が満たされたら、人間は幸福やろって考えたんや。
  人生の何たるかを知り、必要なだけの金があり、生きることが楽しくて仕方がなくて、
  自分と縁のある人たちもいろいろと悩みはかかえとるが、まあなんとか息災にやっとる。
  ああ、人間に生まれてきてよかった。頑張って生きてきてよかった・・・。
  そういう時間を、人は人生の最後に何年間くらい持てたらええのかなァと考えると、
  五年間で充分かなと、いま不肖丸山澄男は思ったわけや」
  「たったの五年間ですか・・・。せめて十年間くらいは欲しいなァ」
  その桐原の言葉に、 「いや、ぼくは五年間でええ。人間、あんまり欲ばったらあかん。
  死ぬ前の五年間が幸福やったら、人生は勝ちや」と言った。

  「金も要る分はある。周りにしんどい思いをさせるほどには体に不自由なところもない。子供や孫にも、さして悩みはない。
  ・・・そんな老人は少ないですよ。そういう歳の取り方ができる人は減多にいてへんと思いますねェ」
  そう言って、桐原はワゴン車の助手席のシートを倒して背筋を伸ばした。
  「うん。そのとおりやけど、歳を取って、体の自由がきかんようになるのは、これはもう自然のなりゆきやからなァ。
  物忘れがひどくなったり、息子と孫を間違えたり、なにやかやととんちんかんなことを言うたり……。
  歳を取ってそうなるのは致し方がないがな。それが、歳を取るということや」

ほんと、そうだねぇ。








 2015年 1月 4日 (日)   




  お正月は田んぼもお休みです
     



今日はホントさんざんな一日であった。
咳と鼻水、ゴミ箱はちり紙の山だ。
それでもまあ、とにかく起きてブログの更新
いま見るとそれにしてはいろいろたいさん書いてるな。
ブログのおかげと言うか、
青木学級のおかげというか、ま、こういうのが
あるからなんとか生きていると言えるのかも
それとやっぱり酒と肴ですね。
NHKアーカイブ吉永小百合「祈るように語り続けたい」 
こういうのが本当の草の根の活動だと思うね。
「私は体験したわけではないから・・・」と何度も言っていたが
原爆なんてのは体験したことがない人が語り継いでいかなければならないもの
福島だって体験していない人が動いてこそ福島だけに終わらせない
みんなの問題になっていけるのだ。

gacco「イノベーション Week4」 レポート2題提出。
gacco「人とロボット Week1」レポート提出。
こっちは相互評価全員が0点。
コメントには 「採点項目には該当ありませんでしたが、お気持ちはわかります。」とあった。
私も自己採点では
【項目1】ロボットがやすくなる、ということにふれていなければダメというような馬鹿げた採点基準に
したがう気持ちはありません。そんな採点基準を遵守しているような人には決して画期的なロボットを
開発することなど出来ないでしょう」
と開き直っていたんだから当然だと納得できる。

でもディスカッションの中で「ルーブリックっていうのですか。
まあ、採点の基準は明確に示されているので、それにそって採点がされれば良いのですが、
そういった採点ができていないですよね。 また、アイデアの部分ですね。
アイデアとは何かという共通認識が無いということもありますし、アイデア→独自性、
回答者らしい特徴のある知見・・・ということになりますと、
その意味合いを素人の他者が判断できる分けがないだろうと思いますね。
採点する者には講義で得た知識だけではなく、
論理性の有無に係る判断ができないといけないと思いますが、それがないですね。
エビデンスに基づいた採点とは到底言えません。
たいへん不愉快です。 スタッフの皆さんはそういったことを十分承知した上で、
何らかの効果なりを求めてこのような手法を取ったのでしょうけど、
本当に楽しめない、不愉快な思いが残るということは事実です。

本当にそのとおりと思う。小学校や中学校の試験じゃああるまいし、先生の言う通りを書けば合格
先生の考えに反対、あるいは自分の意見を書けば不合格というような採点基準は馬鹿げている。
けど、Week2 以降もレポートは0点を誇りとして出し続けていこうと思う。












 2015年 1月 3日 (土)   





  3日目の初詣 神戸生田神社
      神戸旅行記はこちらから



青木学級  4日の日曜日が大学の振り替え授業日となるので今日に変更。写真は情報誌「JIN」の 2015.1月号から
本日のテーマは「ロボット」である。

機械技術はどんどん発達して、衣服は洗濯機に放り込むだけで洗濯し、脱水までしてくれる。
部屋中を走り回って掃除をしてくれる機械も登場した。大変便利である。
こうして生み出した時間で主婦たちはパートにでる。何のことはない、便利とは労働時間の増加ということか?
老齢化にともなって「介護」の場はかなり悲惨である。介護する方の重労働・心労、介護される方の申し訳なさとか不満。
そういった介護を補助・代行してくれるロボットも開発されてきた。これはありがたい。でも何日有り難いんだろう?
どんなにイライラしている時でも、いつも同じ笑顔で業務をこなしていくロボットに本当に感謝の気持ちを持ち続けられるか
看護する方も肉親を機械に任せているという意識に平気でいられるだろうか。人間性、人間らしさをどう繋いでいくのか

将来的にはロボットに「感情」や「意志」を持たせ、ロボットとの「人間関係」を作り出すことも不可能とはいえない。
快・不快なんて感情も大脳の視床下部とか海馬とか何とかにある神経細胞を刺激することでおこっているという。
人間のみ記憶とか学習とか想像とかいろんな「人間的」と言われる機能は150億ぐらいの脳細胞(シナプス)の作用でできている。
ということは150億ビットぐらいの小型コンピュータが出来れば、それに乳児、幼児、小児程度の学習をインプットしてやれば
やがて自らインプットをするようになり、第一反抗期、第二反抗期を経て、青年ロボットができあがる。・・・という想像も出来る。

神様は天と地と、陸と海と、夜と昼と、そこに住む動物たちを創り、最後にヒトを創ってエデンの園に住まわせた。
何をしてもいいけれども、二つの木の実だけは食べてはならないと命じた。命の木の実と知恵の木の実である。
それに反して知恵の実を食べてしまったヒトはエデンの園を追われ、額に汗して働き、産みの苦しみを味わうことになった。

ヒトは今、掃除も洗濯も、移動も、記憶や計算も機械に代行させることができるようになっている。
神様ですら禁じた「知恵」をもロボットに与えようとしている。
その結果、ヒトにはどんな「罰」が待っているんだろう? ・・・・・ 「永遠に死ねない罰」なんてのがあるかもね・・・・・。

体調不良は続いている。鼻水の洪水、咳の騒音
熱はないけれど少し寒気はする。
酒は控えめにして(夜にワインを1本だけ)にして
人参茶など作って飲んだりしているが、良くはならない。









 2015年 1月 2日 (金)   





  裏六甲の初雪だ。北陸・東北あたりではかなりの大雪というが、この辺ではかわいらしいもの
      神戸旅行記はこちらから



風邪をひいたのかなぁ。どうも調子が悪い。のどがガラガラ、鼻水がタラタラだ。
午前中は何〜んもする気がなくて本を読んで過ごす。
これがまたすごくおもしろい。宮本輝著「にぎやかな天地 上」
  死というものは、生のひとつの形なのだ。この宇宙に死はひとつもない。
  きのう死んだ祖母も、道ばたのふたつに割れた石ころも、海岸で朽ちている流木も、
  砂漢の砂つぶも、落ち葉も、畑の土も、おととし日盛りの公園で拾ってなぜかいまも窓辺に置いたままの
  干からびた蝉の死骸も、その在り様を言棄にすれば「死」というしかないだけなのだ。
  それらはことごとく「生」がその現われ方を変えたにすぎない。

場面は神戸・三宮・夙川・苦楽園等でなじみの風景がなつかしい。
いきなり「死」から始まって何がおもしろいんだ、って言われるかも知れないが、
ちょうどここに書いてあるのと同じようなことを考えていた矢先だったので
何か私のために書いてくれたような、そんな感じ。

それでも頑張って午後はプールにいった。
行くまでが億劫なんだけれども、言ってしまえばまた少しは元気になって
夕方から、1月に本帰国する祐二のに送別会を兼ねて
男ばっかり6人でお好み焼き屋で大いに盛り上がった。
















 2015年 1月 1日 (木)   元旦



  こういった静か〜な初詣もいいよね。
      神戸旅行記はこちらから




昨夜から今朝にかけて「紅白」「ゆく年くる年」をお供に
例によって酒を飲みながら過ごしました。
もっともテレビでは新年おめでとうと呼びかけていましたが
天津ではちゃんと昨年の内に眠りについた私でした。

朝は6時半頃に起き、初日の出を撮影してから
改めて新年の祝いの酒、今年は日中韓の平和を祈って、
日本酒、マッコリ、白酒のはしごです。
新年早々、変な写真が出て申し訳ありませんが
これもまた新年の縁起物「天津の達磨」です。
これに祈れば商売繁盛、家内安全、合格祈願、何でも請け合います。
でも七回ぐらいは転ぶ覚悟は必要ですぞ。
または手も足も出ないという場合もあります。

9時頃に酔って寝て、3時頃起きてプールにと思ったけど
やはり新年は「初風呂」だなぁと思って銭湯に行って寝ました。