日本語のコーナー

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                       たぶん 毎月曜日に更新していくつもりです。  
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    『空中ブランコ乗りのキキ  上』  別役実   
                                                 録音が少し長い(10分程度)のでダウンロードに時間がかかるかもしれません。


そのサーカスでいちばん人気があったのは、なんといっても、空中ブランコ乗りのキキでした。
サーカスの、大テントの見上げるように高い所を、こちらのブランコからあちらのブランコへ、
三回宙返りをしながらキキが飛ぶと、テントにぎっしりいっばいの観客は、いっも割れるような拍手をするのです。
「まるで、鳥みたいじやないか。」
「いえ、どちらかというと、ひょうですね。」
「いや、お魚さ。あゆはちょうどあんなふうに跳ねるよ。」
人々はみんな、キ'キの三回宙返りを見るために、そのサーカスにやって来ました。
どの町へ行っても、キキの評判を知っていて、だからそのサーカスは、いつでも大入り満員でした。
「なあ、キキ……。」
団長さんは、いっも言っておりました。
「おまえさんは、世界一のブランコ乗りさ。
だってどこのサーカスのブランコ乗りも、二回宙返りしかできないんだからね。」
「でも、団長さん。いつか、だれかがやりますよ。みんな、一生懸命、練習をしていますもの。
そうしたら、わたしの人気は落ちてしまうでしょう。」
「心配しなくてもいい。だれにも三回宙返りなんてできやしないさ。
それに、もし、だれかがやり始めたら、おまえさんは四回宙返りをして見せればいいじゃないか。」
「四回宙返リを? できませんよ。練習してみましたが、三回半がやっとなんです。
ほんとうに、鳥でもない限り四回宙返りなんて無理なんでず。」
キキは、人々の評判の中で、いっも幸福でしたが、だれかほかの人が三回宙返りを始めたらと、
考えると、その時だけ少し心配になるのでした。
「その時は、団長さんの言うとおり、四回宙返りをしなければいけないのだろうか……。」

キキは、サーカスの休みの日、だれもいないテントの中で何度か練習をしてみました。
でも、いつももう少しというところで、ブランコに届かずに落ちてしまうのです。
練習の時には、落ちた時の用心に、下に網が張ってありますが、本番の時には、それがありません。
キキのお父さんも、空中ブランコのスターだったのですが、
三回宙返りに失敗して落ち、それがもとでなくなったのでした。
「およしよ。」
練習を見に来たピェロのロロが、キキに言いました。
「四回宙返りなんて無理さ。人間にできることじやないよ。」
「でも、だれかが、三回宙返りを始めたら、わたしの人気は落ちてしまうよ。」
「いいじゃないか。人気なんて落ちたって死にやしない。
ブランコから落ちたら死ぬんだよ。
いっそ、ピェロにおなり。ピェロなら、どこからも落ちやしない。」
「人気が落ちるということは、きっと寂しいことだと思うよ。
お客さんに拍手してもらえないくらいなら、わたしは死んだほうがいい……。」

キキのいるサーカスが、ある港町のカーニバルにやって来た夜のことでした。
キキは、サーカスを終えて一人波止場を散歩しておりました。
波止場の片隅に、やせたおばあさんが一人座って、シャボン玉を吹いております。
「こんばんは。」
「ああ、こんばんは。ブランコ乗りのキキだね。」
「そうです。今夜の三回宙返りは、見てくれましたか。」
「いいや、見なかったよ。」
「そうですか。おしいことをしましたね。
今夜は、特にうまくいったんです。
飛びながら自分でもまるで鳥みたいだって思えたくらいなんですからね。」
「みんなもそう言っていたよ……。」
おばあさんは、相変わらずシャボン玉を吹きながら、
遠くカーニバルのテントの建ち並ぶ辺りでついたり消えたりしている赤や青の電気を見ておりましたが、
急にキキのほうにふり向いて言いました。
「おまえさんは知っているかね?」
「何をです?」
「今夜、この先の町にかかっている金星サーカスのピピが、三回宙返りをやったよ。」
「ほんとうですか。」
「とうとう成功したのさ。みごとな三回宙返りだったそうだよ。」
「そうですか……。」.
「その評判を書いた新聞が、今、定期船でこの町へ向かって走っている。
明日の朝にはこの町に着いて、みんなに配られる。
おまえさんの三回宙返りの人気も、今夜限りさ……。」
「そうですね……。」
「そうだよ。明日の晩の、拍手は、今夜の拍手ほど大きくはないだろうね。」
「でもね、おばあさん。金星サーカスのピピがやったとしても、
まだ世界には三回宙返りをやれる人は、二人しかいないんですよ。」
「今までは、おまえさん一人しかできなかったのさ。
それが、ピピにもできるようになったんだからね。
お客さんは、それじゃ練習さえすれば、だれにでもできるんじゃないかな、って考え始めるよ。」
キキは黙ってぼんやりと海のほうを見ました。
しかしまもなくふり返ってほんのちょっとほほえんでみせると、そのままゆっくり歩き始めました。
「おやすみなさい。おばあさん。」
「お待ち。」
キキは立ち止まりました。
「おまえさんは、明日の晩四回宙返りをやるつもりだね。」
「ええそうです。」
「死ぬよ。」
「いいんです。死んでも。」
. 「おまえさんは、お客さんから大きな拍手をもらいたいという、ただそれだけのために死ぬのかね。」
「そうです。」
「いいよ。それほどまで考えてるんだったら、おまえさんに四回宙返りをやらせてあげよう。おいで……。」
おばあさんは、かたわらの小さなテントの中に入り、やがて、澄んだ青い水の入った小瓶を持って現れました。
「これを、やる前にお飲み。でも、いいかね。一度しかできないよ。
一度やって世界中のどんなブランコ乗りも受けたことのない盛大な拍手をもらって……それで終わりさ。
それでもいいなら、おやり。」