北京・天津ではこういう風景はちょっと見られないな。

8月20日  (火)  0819  0000  0814  0000  0715

       Yahoo は「ヤフー」だし Wi-Fiは「ワイ−ファイ」だ。どうして「ヤホー」「ウィ−フィ」じゃあないのだろう?

中国で生活していると、ちょっとしたことで怒ったり苛ついたりしても仕方がないということが解ってくる。
人柄として怒りっぽい人よりも穏やかで長閑な人の方がいいだろう。
中国はそういう人柄を育ててくれる土地柄だ。
少々のことには目をつぶって、ニコニコ笑って過ごすのがいい。

ご心配かけたが、年金は無事に入金され、神戸への送金も完了した。
めでたし、めでたしである。
入金が5日も遅れたことは目をつぶってニコニコ笑っていこう。
左の写真、アザラシのペニスは強精剤になるのかな。
「本当の男はアザラシのペニスなんか必要としない。」
「それを買うということはアザラシを殺すことだ。」
地下鉄の駅にもう何年も前から出ている広告である。
ちなみに言っておく、「私は真正の男人」である!

昼、買い物があって伊勢丹に行ったついでに、讃岐うどん15元を喰った。
新しく「トマトかけうどん」というのも出ているらしい。今度それを喰ってみよう。
「中秋節(9月19日)」までにはまだ1ヶ月もあるのだが、
もうずいぶん前から中秋節の売り出しが始まっている。


「奇妙な昼下がり」阿刀田高 著。
30余編のショートショート。面白い。
薄井ゆうじの解説に
  どんな環境下でもすぐにその世界に入りこめて、
  しかも精神が治癒されていくことを感じることができるのが阿刀田ワールドなのではないだろうか。
  満員電車のなかで、あるいは会社の一昼休みに、
  あるいは疲れ切ってべッドについて眠りに入るほんの何分かのあいだに読み浸る。
  そういう読み方でも優しく迎え入れてくれるのが阿刀田ワールドである、と僕は思っている。
とあったが、まことにその通りだと思う。
またまた長くなるけれども、今日はその中から二編を紹介。

@ チーズの贈り物
おばあさんはショウ・ウインドウをのぞいて、
「いいわ。これにしましょう」
と思った。
毎年、夏が近づくと、東京の孫たちに贈り物をする。いつも田舎でとれる作物ばかりではつまらない。
県道のバス・ストップの近くにスーパーマーケットが開店して、買物がとても便利になった。
それを伝えるためにも、なにかしらいつもとちがった品物を選びたかった。
今年の正月に会ったとき、
「みんなチーズが好きなの」
と、嫁が言っていたっけ。
「あら、そうなの」
「馬鹿みたいに食べるのよ。体にはいいものだけど、ああたくさん食べられると、家計にも響いちゃう」
と、眉をしかめていた。
タロウにハナコにジロウ……。みんな元気よく育っている。
「チーズくらい好きなだけ食べさせてやればいいのに」と、おばあさんは思ったけれど、若い食欲はすさまじい。
たしかに家計も楽ではあるまい。
おばあさんはスーパーマーケットの店内に入って、
「これをください」
と、一番大きなチーズの箱詰めを指さした。
「はい、はい」
「東京へ送るの」
「わかりました」
スーパーマーケットでは品物を送るのもやさしい。みんな店員がやってくれる。
五日たって、孫たちからお礼の葉書が届いた。三人の寄せ書き。年上から順に、字が少しずっ大人びている。
だが、おばあさんは最後の一行を読んで、
「なんで」
と、つぶやいた。首を傾げてしまった。
”私たちも、.おばあさんにチーズを送ります。待っててください”
と記してある。
チーズなんて・・・・おばあさんも食べないわけではないけれどとくに好物ではない。
それに、こっちがチーズを贈って、その返礼がチーズだなんて、よくわからない。
「しつけをちゃんとやっているのかしらねえ」
と心配になる。
「お金を無駄使いしなけりゃ、いいのだけれど」
と、その点も気がかりだ。
孫たちからの返礼は、さらに二日おくれて届いた。
封筒をあけると、一枚の写真・・・・
タロウとハナコとジロウが、少しきまじめな顔で写っている。みんな大きくなって、すばらしい表情だ。
写真の裏には、
″はい、チーズ
と記してある。

もう一編。これは途中までだが・・・・
A 快適な家
四十歳になってタナべ氏ははじめて自分の家を持った。
3LDK。マンションの一郭。小さいながら書斎もある。
新築なので内部の造作について多少の注文をつけることができた。
「家中に本棚を作ってくれ」
それがタナべ氏の希望だった。
書斎に本棚を置くのはあたり前だが、タナべ氏はキッチンにもトイレットにも、べッドサイドにも、みかん箱ほどの本棚を作らせた。
バスルームには小さなサウナ室がついていたが、その中にも本棚を作りつけた。
つまり、タナべ氏は読書家だったから。
本当に寸暇を惜しんで本を読む。読まずにはいられない。
「勉強家なんだなあ」
と、よく人に言われるけれど、かならずしも上等な本ばかりを読んでいるわけではない。
いかがわしい本もないではない。読むこと、それ自体が習慣になっていた。
願い通りの内装になった。
「これでよし」
書斎で読む。トイレットで読む。べッドで読む。
キッチンは……そう、もちろんここはタナべ夫人の縄張りだが、タナべ氏もときたま手料理を作ることがある。
コーヒーをわかすのはタナべ氏の仕事だった。キッチンの読書も捨てがたい。
サウナ室は熱気で本が痛むけれど、文庫本や雑誌なら惜しくもない。汗を流しながらぺージをくるのも新しい楽しみの一つだった。
「どこに行っても図書室があるんだ」
「そこまでしなくても、いいだろ」
「いや、これはたしかに便利だよ」
書斎では、じっくりと読む。べッドではいつ閉じてもいいような本を読む。
トイレットにふさわしい本もあるし、サウナ室にむく本もある。
おのずと分類ができあがり、タナべ氏もそれぞれの空間で、質のちがった読書を楽しむようになった。
当人が享受するほど家族にとっても便利であったかどうか、それはわからない。タナべ夫人は、
「おトイレの本なんて、汚いじゃない」
と、眉をしかめていた。
だが、一人息子のタロウ君は、
「僕の本も少し置いておいてよ」
と、父の癖に少し染まった。
読書はわるい趣味ではない。タロウ君が本好きになったのは、たしかに住生活からの影響だったろう。
なにしろ手を伸ばせば、そこに本があるのだから,
いつのまにかタナベ夫人も、べッドで、トイレットで、ときにはサウナ室で短い読書をするようになった。

DVD「めしばな刑事タチバナ」
Gレトルトカレー  H中華チェーン店
レトルトカレーは
知った品物が多く
なじみがあって面白かった。

ちなみに天津の我が家では「LEE 辛さ20倍(これは日本で買ってきたもの)」と
「メガカレー大辛(これは中国で売っている。)」を喰っている。
そして、時々「CoCo壱番屋(天津で何店かある)」にも食いに行く。






赤目四十八滝の一つ 千手の滝


8月19日  (月)  0819  0000  0814  0000  0715
  

今日は銀行に行ったが、公立学校共済の年金がまだ振り込まれていない。
私学共済、厚生年金は15日に振り込まれているのに、最大手の公立共済が19日になっても入っていない。
これはいかんのではないか! 受け取り側だったらこういうの「不渡り」だとか言って騒ぐんだろう?
弱いものいじめだよなぁ。

「使命と魂のリミット」東野圭吾著
「老子と暮らす」 加島祥造 著
これ二册とも読み始めたら、ああ、これ読んだことあると気がついた。
こういう時、ミステリー系は不利だな。
結末が判っていると、もう読み進める気がなくなってしまう。
その点、「老子と暮らす」の方は、
いつ読んでもそんなに熱中できるわけではないが
それなりに何かひっかかりがあるものだ。
今日はその内の一節「道徳経」の十三章をいろいろな訳で・・・

原文
寵辱若驚。貴大患若身。何謂寵辱若驚。寵爲上、辱爲下。得之若驚、失之若驚。是謂寵辱若驚。何謂貴大患若身。
吾所以有大患者、爲吾有身。及吾無身、吾有何患。故貴以身爲天下、若可寄天下。愛以身爲天下、若可託天下。

読み下し
寵辱(ちょうじょく)、驚(おどろ)くがごとし。大患(たいかん)を貴(たっと)ぶこと身のごとし。
何をか寵辱驚くがごとしと謂(い)う。
寵を上となし、辱を下(げ)となす。これを得ては驚くがごとく、これを失いては驚くがごとし。
これを寵辱驚くがごとしと謂(い)う。
何をか大患を貴ぶこと身のごとしと謂(い)う。
われ大患あるゆえんは、わが身あるがためなり。
わが身なきに及びては、われ何の患(うれい)かあらん。
故に身をもって天下を為(おさ)むるより貴ぶものは、すなわち天下を寄(よ)すべし。
身をもって天下を為(おさ)むるより愛(め)ずるものは、すなわち天下を託(たく)すべし。

日本語訳
名誉と不名誉は我々を興奮させる。 つまり、我々は苦しみを自己にもつからである。
名誉と不名誉が興奮させるとはどうゆうことか。
名誉は我々を上の方へ引き上げ、不名誉は下の方へ下げる。
このように、名誉あるときには興奮し、不名誉のときにもまた興奮する。
それが、名誉と不名誉が興奮させる、といわれる所以である。
大きな苦しみを自己にもつとはどういうことか。
大きな苦しみをもつ理由はただ自己を有することによる。
自己を有しなければ、どこに苦しみがあろうか。
自己と世界とを同一にすれば、そのとき、自己の中に世界はある。
自己を愛するように世界を愛するならば、そのとき、自己の中に世界はある。

英語訳
Both praise and blame cause concern, For they bring people hope and fear.
The object of hope and fear is the self - For, without self, to whom may fortune and disaster occur?
Therefore,
Who distinguishes himself from the world may be given the world,
But who regards himself as the world may accept the world.

本書の著者(加島祥造)訳
たかのしれた社会
ぼくらは人にほめられたりけなされたりして、
それを気にして、びくびく生きている。
自分が人にどう見られるか、
いつも気になっている。しかしね、
そういう自分というのは、
本当の自分じゃなくて、
社会とかかわっている自分なんだ。
一方、タオにつながる本当の自分があるんだ。
そういう自分にもどれば、
人にあざけられたって、
笑われたって
ふふんという顔ができるようになるんだ。
社会から蹴落とされるのは
恐いかも知れないが、
社会のほうだって、
いずれ変わってゆくんだ。
大きな道をちょっとでも感じていれば、
くよくよしなくなるんだ。
たかのしれた自分だけど、同時に、
たかのしれた社会なんだ。
もっともっと大きな「ライフ」というもの
それにっながる「自分」こそ、
大切なんだ。
そこにつながる
「自分」を愛するようになれば、
世間からちょっとばかり
パンチをくらったって平気さ。
愛するものが、ほかにいっばい見っかるのさ
世間では値打ちなんかなくっても、
別の値打ちのあるものが、
いくらでも見えてくるんだ
金なんかで買わないで済むものがね。

社会の中の一駒である自分は
いつも、あちこち突きとばされて
前のめりに走っているけど、
そんな自分のなかには、
もっとちがう自分があるんだと知って欲しいんだ。

次は「眺め読み」と「斜め読み」だけれども
「明治・大正期の詩集の装丁」工藤早弓著
これは「眺め読み」だ。
神戸にいるころ、近代文学館の復刻本を何十冊も持っていたがなぁ。
もう一冊は「斜め読み」の「磯野家の謎」編著は「東京サザエさん学会」だ!
磯野家の収入は? 登場人物の年齢は? 独身時代のサザエさんは?
カツオとワカメの初恋は? 磯野家に電話がついたのは何時?
とか、読んでいるとなかなかおもしろい。

DVD「めしばな刑事タチバナ」4,5,6,7編 看
4はカップ焼きそば 5は名古屋飯 6ポテトチップス 7牛丼だ。
例によって商品宣伝オンパレードで、物語性はなにもなし。
ポテトチップスなんか100以上の商品写真が出たんじゃあないかな。







 桜島が噴火 猛暑・大雨・地震・噴火 なんでもありだな


8月18日  (日)  0815  0000  0814  0000  0715
  

気持ちのいい朝だ。
雲間に見える空は抜けるような秋の空
風も爽やかで、鳩の群れが気持ちよさそうに群舞している。
午後になってからは雲がとれ、厳しい日照になったが
それでも乾いているので日陰にはいるとすっと涼しくなる
例年の天津の気候が帰ってきている。
今日は「青木学級(視覚障害者日本語培訓学校)」の授業日。
テーマは「日本で働く」である。
視覚障害者ではないが、この9月から日本で働くことになっている
若者4人も参加している。
「日本語培訓」となっているが日本語を学ぶというよりも
日本語で社会の問題を学ぶ学級である。
私自身もこの授業に参加していて
いろいろなことを考えたり学んだりさせてもらっている。
「働く」ということの意味。「外国で働く」「日本で働く」
とは、いうようなことを考えさせられた。

「過去を運ぶ足」阿刀田高 著 読了。
15編の推理短編集である。
それぞれストーリーの展開、推理、結末の意外性など
十分に面白かったんだけど、
ほのぼのとした爽やかさというのはなかったな。

昼は伊勢丹「Bunt」でおばんさん定食を喰い
夜は辛い中華料理と屋台で串カツを喰った。







 


8月17日  (土)  0815  0000  0814  0000  0715
             「日本語」コーナーに「終戦の詔勅(玉音放送)」を再録しました。

週に1回くらいかな。近くの銭湯に行く。
日本にいた時も、当然自宅に風呂はあったが、よく銭湯に行った。やはり大きな風呂は気持ちがいい。
日本の銭湯はサウナやジェット風呂、水風呂などあって多機能であったが
天津では高温風呂と低温風呂の二種類のみである。でも人的サービスは多種だ。
私はもっぱら入浴6元、垢擦り7元、足裏マッサージ10元の計23元を利用。
このごろは番台に行けば何も言わなくてもそれだけの切符を出してくれる。
入浴中も適当な時にマッサージ師(三助という方が当たっているが)がオーイと呼んでくれる。
風呂の湯もきれいとは言えないし、その他の設備も豪華ではない。
けれども目をつぶっておれば、そんなことは気にならない。王侯貴族の気分だ。
そうだなぁ。人生、目をつぶって生きるということも大切だ。

DVD「めしばな刑事タチバナ」というのを見始めた。
「孤独のグルメ」のB,C級版というところか。
店の宣伝とメニュー、インターネット情報などが満載で、ストーリーなんかほとんどない。
今回は「立ち喰いそば」「袋ラーメン」「缶詰」の3編をみた。









 京都五山の送り火  
8月16日  (金)  0815  0000  0814  0000  0715
             「日本語」コーナーに「終戦の詔勅(玉音放送)」を再録しました。

日本では午前は40度近い記録的な猛暑、
午後はいままで経験したことがないような大雨といった異常気象が続いている。
中国ではSARSの時は人々が外に出歩かなかったので、家族間の会話、絆が深まり
離婚訴訟が半減したと数日前何かの本で読んだ。
今回の異常気象、日本にはどんな社会現象を残すのだろうか。

天津では日本ほどではないが、それでも暑い。
朝、午前、昼、午後、夕方、夜中、とどの時間帯も30度超である。
しかも今年は湿度が高く、蒸し暑いのである。例年のように日陰に入ればすっとするということがない。
外に出ると pm2.5 なんて忘れてしまうほどの熱気で、年寄りには危険を感じる。

というわけで(言い訳だが)家にこもって、冷房をつけたり消したりしながら、
テレビ・ビデオ・読書で過ごしている。これまた目と腰に悪く、体力低下にもなっているんだろうな。

NHKスペシャルを見ていてちょっと驚いたことがある。
8月15日が終戦記念日と知らない人が三分の一いるという。
さらに驚いたのが、現在、日本を嫌っている中国人、中国を嫌っている日本人が各90超という。
これはちょっと信じられないな。

DVD「つやのよる」というのを看た。
阿部寛、小泉今日子、大竹しのぶらの出演で
「・・・心の奥深くで気付くのは、本物の愛のありか」というから
それなりの期待を持って見始めたのだが
なんかよく解らん。
ええかげんなというか、刹那的な数十秒ぐらいの
セックス場面が何度も出てきて、そのつながりも解らん。
半分ほど見たところで、止めてしまった。


「毛沢東を超えたかった女」 松野仁貞著 読了。
劉暁慶という文革のころから今にいたる大女優の物語。 
本書の「おわりに」の部分(p241)では  
 中国国民にとって、劉暁慶は「本音」を代弁してくれる存在だった。
 「随心所欲」(全て自分の思い通り、心の欲するままにする)という
 劉暁慶の生き方は、
 徹底して「個」と「本音」を貫き通すことでもある。
 抑圧された中で、懸命に生きてきた中国国民は、
 劉暁慶という人物に、
 自分自身の「本音」や見果てぬ夢を昇華させてきたのである。
それが、劉暁慶が現代中国で絶大な人気を誇った最大の理由である、と思う。

逮捕された後も、新型肺炎(重症急性呼吸器症候群-SARS)などの重大な突発事以外では、
中国国民の関心は、劉暁慶から離れなかった。
劉暁慶が生まれた時から、すでに巨大な神でもあった毛沢東、毛沢東後の新中国を率いたとうケ小平は、
劉暁慶自身も否応なく意識せざるを得なかった。
だが、十億を超える中国国民の支持を集めているという自負と強烈な個性のもとでは、
毛沢東、ケ小平の他は、物の数ではなかったようである。
毛沢東とケ小平を自分と同列に論じるほどの気概が、中国国民の共感を生んだ。

という人物で、2002年脱税で逮捕されたところで小説は終わっているが(出版は2003年)
インターネットで見ると、今年の8月3日、中国のトーク番組で

2013年8月3日、中国の国民的女優で“美魔女”女優として知られる劉暁慶(リウ・シャオチン)が、
「駐米大使にもなれる」と発言し話題になっている。大紀元が伝えた。
1951年生まれで今年62歳の劉暁慶は、中国では誰もが知る大女優。
84年の映画「西太后」をきっかけに、中国を代表する実力派として海外でも名前を知られるようになった。
02年には巨額脱税と1年半の服役で、世界の華人社会を驚かせたが、近年は年齢不詳の“美魔女”女優として、その若さが注目の的に。
豊富な人生経験を活かした歯に衣着せぬ発言で、信者のような熱狂的ファンも多い。
このほど、中国でトーク番組「年代秀」に出演。過去には「私は中国最高の女優」と言い放ち話題になったが、
番組では人に親近感を持たせる能力があるとアピール。
「外務大臣でも外交官でも、それに駐米大使も適任よ」と発言した。
誰にも反論できないような迫力のあるところが、彼女の大女優たるゆえんだ。
番組では巨額脱税による服役について、かつての最高指導者の江沢民(こう・たくみん)氏の「陰謀だ」とも語っている。
まだ若い頃、こちらも元最高指導者のトウ小平氏に江氏と引き合わされた際、ささいなトラブルから相手を怒らせるようなことがあった。
それを根に持ち、自分の個人事務所にまでスパイを送り込み、最終的に投獄されたのだと大胆に語っている。







 第68回 終戦記念日


8月15日  (木)  0815  0000  0814  0000  0715
             「日本語」コーナーに「終戦の詔勅(玉音放送)」を再録しました。

私の住んでいるマンション(?)は28階建てのビルなので、
1階のエレベーターホールに入るには鍵が必要である。
これが大変面倒、かつ無意味である。住民が入るときに一緒に入れば誰でも入れるのだし、
朝の新聞配達は誰か住人の出入りを待つのが面倒だから、遠慮なくインターホーンを鳴らしてくる。
トイレに入っているときなどは大変だよ。
他の住人たちもきっと同じ思いなのだろう。
ドアとその電気系統が壊されて、しばらくは使えなくなっていた。
私にとっては大変好都合だったのだが、
今回えらく頑丈なドアと新しい解錠カードができたので取りに来いとのお達しだ。

DVD「日本奪還」 看了。
題からして昨日の藤原正彦と同類のものかな、と思ったが全く違った。
総指揮 大川隆法ということで、要するに「幸福の科学」宣伝映画だ。
それも内容はきわめて幼稚、程度の悪いマンガの実写版だ。
気になったのは日本を占領、国民を弾圧するアジアの大国というのが
明らかに中国を指していると言うことだ。
オウラン帝国は漢字で「王蘭(それも簡体字)」だし、バックに
「文化大○○」とか「人民解放軍兵士募集」などの字が見える。


「取るに足らぬ中国噺」白石和良著。読了。
著者は元北京大使館一等書記官だった人。その人の見た中国人観。

 そこで、中国人自身は、どのように中国人と外国人を比較し、定義しているのかを見てみたい。
 これらは、中国人が発行している、もしくは中国人向けに発行されている新聞、雑誌の一記事から抜粋したものである。

 @一人の日本人は一人の中国人にかなわない。
  しかし三人の中国人は三人の日本人にかなわない。なぜなら、三人の中国人が集まると内紛が生じるからである。
 A欧米人はブリッジが好きである。それで彼らは協力が得意である。
  日本人は囲碁が好きである。それで彼らには大局観がある。
  では中国人はどうか? 中国人が好きなのは麻雀である。 それでお山の大将が多い。
 Bどの国の人間も中国人にかなわないものがある。それは風向の見方の上手さである。


 中国人の行動様式の特徴を幾つか箇条書き的に紹介すると、次のようになる。

 (1)「好奇」心の強い性格であること。
   この場合の「好奇」とは、単に「奇」(変わったもの)を好むという意味だけではなく、
   事件になれ、事件になれという「こと有れかし」の意味も加わっている。
 (2)「デマ」好きの性格であること。
   口コミ、耳コミによる情報伝達方法が発達したのは、権力側の情報管理に対する:般一民の対抗手段だといえる。
 (3)政治連動に対し、「保険」を掛けることが上手であること、また「付和雷同」の行動が多いこと。
   これは、中国人を貶める話ではなく、
   強大な権力に長く、かつ過酷に支配されてきた民族の生活の知恵であり、中国人の違しさを示す話といえる。
 (4)法秩序を守らない、または法秩序に馴染み難い性格であること。
   「法治」より「人治」を良しとする風潮が社会一般にあることは、法秩序に対する不信感の裏返しであろう。


 経済行為に見る中国人気質
 最近は中園にビジネス・チャンスを求めることも珍しいことではなくなった。
 当然、生産活動、経済活動を行なっていく上で、慣習、法律、生活などの違いから軋操やトラプルも生まれてくる。
 そこで、経済的行為における中国人の特徴を、やはり箇条書きで見ておきたい。

 (1)契約事項を遵守しないこと。
   何故、そんなことになっているのかといえば、債務不履行に対するぺナルティーがないからである。
   銀行の取引停止もないし、裁判所による強制執行もほとんどない。
   それというのも、社会全体に契約履行の責務感が乏しいためである。
 (2)買占め・買い漁.りがしばしば生ずること。
   これは、「デマ」好きの性格に由来するところが大きい。
   誰かが流した些細な情報に尾ひれが付いて、それが急速に膨張し、
   いつの間にか全員がそれを信じ込んで、一丸となって行動するというパターンである。
 (3)目先の利益を追求すること。
   これも、法秩序無視の習價に由来するところが大きい。
   目先の利益の追求なら、経済行為として当たり前ではないか、と思われるかもしれないが、
   中国の場合、バックマージンを要求することを指すのである。
 (4)品質を重視しないこと。
   これも法秩序無視に由来するところが大きいが、本質的にはこれまで中国が「不足の経済」であったことが原因である。
   流通が国家統制されていたため、「質」よりも「量」の確保が重視された結果である。












 芙蓉の花  阿波踊りの最中だが、あの激しい踊りを40度近い猛暑の中でやるのは大変だろうな。


8月14日  (水)  0814  0000  0814  0000  0715
  「日本語」コーナー 野坂昭如著「凧になったおかあさん B」 「中国語」コーナー 「三国志 I」

年金生活者が外国に住んでいる場合、毎年誕生月の月末までに、
まだ生きています、という証明(領事による在留証明書)を提出しなければならない。
今年は8月31日に領事が天津にやって来て出張サービスがあるので、
その時に証明を出してもらおうと思っている。
北京まで行けばいつでも証明してもらえるんだが、丸一日と200元程度の出費がかかる。
でも、天津だからそれでいいけれども、チベットや雲南などにすんでいる人はどうしているんだろうな。

ついでにグチると円安のせいか、あるいは財政政策のせいか、年金はどんどん目減りしていっている。
それに対して天津での物価の高騰はものすごいものだよ。
干からびるのが先か、寿命が尽きるのが先か、妙なところで熾烈な競争が進行している。

DVD「思秋期」看了。
「思秋期」というとなんとなく
わびしく、寂しい、静かなという感じだが
この映画は「思春期」の老年版というような
寂しさとともに激しい怒りがあり、
持って行きようのない苛立ちがある。
そういう苛立ちが私の中の何かに
共鳴しているものを感じる。

「この国のけじめ」藤原政彦著 読了。
藤原政彦って「国家の品格(まだ読んでいないが)」の著者で、
新田次郎・藤原ていの息子なんだってな。どうでもいいことだけど。
悲憤慷慨型でちょっと独善的な国家論、
ちょっとうぬぼれ・自慢っぽい教育論とともに
身辺を笑い飛ばす面白さもあって楽しく読める。
すこし長くなるけれども
面白かったところを3編ほどご紹介する。


アメリカ型民主主義の根幹にある自由とか個人の尊厳は敗戦国民にとって大いなる慰めであり、藁をもつかむ思いでとびっいた。
個人の自由とは一見もっともそうだが、欠陥は定義があいまいなため危険思想となりうることである。
だから自由を規制するために分厚い六法全書がある。そして六法全書でも足りないから道徳がある。
「他人の迷惑にならない限りは自由」などと言う者もいるが、援助交際は誰の迷惑にもなっていない。

戦後の自由は、武士道精神など我が国に古くからあった「かたち」や道徳を徹底的に破壞した。
誠実、忍耐、正義、勇気、惻隠、公の精神、礼節、孝心、名誉と恥、卑怯を憎む心、などである。我が国の至宝と言えるものであった。
(略)
日本はァメリ力型民主主義の優等生となったため、彼の国と同様、世論が国家の最高権力となった。
立法行政司法の三権は、世論をうかがいつつ進むポピュリズムに陥った。ところが世論を正しく導くべき真のエリートたちがいない。
真のエリートとは豊富な歴史や文学などの教養を背景に大衆とは比較にならぬ総合判断力を有し、
いざとなれば国家国民のために生命を投げ出す覚悟のある人間である。  (p88)


早起きの私は寝坊の女房を待ち切れず、よく残り御飯を茶碗に盛り電子レンジで温めるが、
茶碗一つか二つかでかかる時間に大きな差のある理由がわからない。
電磁波が飯粒の分子をかきまわすのなら、茶碗がいくつあっても時間は同じと思えるからである。
沸騰した湯に茶の葉を入れると急激に泡立つ理由もわからない。理系の息子たちに聞いても要領をえない。
熱いラーメンを食べるとなぜ鼻水が出るのか、あくびをするとなぜ涙が出るのか、鼻毛を抜くとなぜ同じ側の眼だけから涙が出るのか、
日向ぼっこをしているとなぜ気分が悪くなるのか。 軒並みわからない。
チョコレートとガムを一緒にかむとガムがなくなってしまう理由も、
先日の大津波で海岸近くにいた象や猿などが死ななかった理由もわからない。
もっともチョコとガムの件では、女房に「そんなバカなことをしているの」と呆れられ、
象と猿の件では「象は重過ぎて流されず、猿は木に登ったため助かった」と言って家族一同にさげすまれた。
科学ばかりでない。住民の多くが望まない市町村合併や国民のほとんどが望まない郵政改革がなぜ進められるのか、
国語がガタ落ちなのになぜ小学校で英語を教えるのか、一向にわからない。
そもそも私の気高さと底知れぬ魅力になぜいかなる女性も気づかないのか、という物心ついたこらからの最大の謎すらまだ解けてない。
女房は「人格と容姿のせいだ」と断言するが断然断固認められない。きっと私はこのまま疑問の山に埋もれ死んでいくのだろう。 (p139)


実は私は乃木大将と似ていると'いえなくもない。
彼は若いころ、放場の限りをっくした。私も若いころ、放蕩の限りをっくし、たかった。
彼は二十代のころ、歩兵第十四連隊長心得として西南戦争に参加したが、
天皇から下賜された、死んでも失ってはならない連隊演旗を薩摩軍に奪われる、という大へマをした。以後、彼は、死に場所を求めて生きた。
私も中学生のころ、運動会の棒倒しで、果敢に敵の棒へ真っ先に飛びついた。証拠写真は卒業アルバムにある。
そこまではよかったが、死んでも手放してはならない棒を、数秒後に手放すという大へマをしたのである。
誰かが卑怯にも、私のトレパンをパンツごと下にひっばり、へそ下までずり下ろしたからだ。
以後、私は、狼狽に負けぬ胆力を求めて生きている。
第三軍司令官の乃木大将は、旅順攻撃では、機関銃で待ち構えるロシア軍要塞に兵を執拗に突撃させ、
四日間の第一波攻撃だけで一万六千名の死傷者を出した。
堅牢無比の要塞は、砲弾にも人海戦術にもびくともしなかった。
陸軍内では、乃木将軍の無策とも言える猪突猛進を見て、更迭すべし、の声が続出した。
私も学生部長として大学を動かしていたとき、次々に改革案を繰り出し、保守的教授たちに突進した。
あまりに独創的かつ過激だったのか、ほとんどは、学部選出委員が教授会に持ち帰っては否決されて帰ってきた。
そのうちに、私の猪突猛進に果れた人々から、「更迭すべし」が出そうになったので、その直前に辞任した。
乃木大将は一見無能に見えるがそうではない。
すぐ後の奉天大会戦では、旅順や二〇三高地での乃木軍の決死攻撃を伝え聞いていたロシア軍は、
日本兵が「ノギ、ノギ」と叫びながら突進しただけで、怖じけづいて退却したからである。
私も無能とばかりはいえない。多くの反対を押し切り強引に導入した新入生向けの少人数ゼミは、
十数年たったいま、人気科目の一つとなっているからだ。
旅順陥落時、水師営の会見での「武士の情け」は名高い。
乃木将軍は敗軍の将ステッセルにサーベル帯刀を許したのである。
これは、将軍の高潔さに打たれた日本軍従軍記者ウォシュバンが、「乃木大将と日本人」で伝えたから、世界中から絶賛された。
それだけではない,責任を問われたステッセルは無期懲役となったが、
乃木将軍は夫人にポケットマネーを送り続けたといわれる。
私も「武士の情け」だけはひけをとらない。
女房の横暴かつ理不尽な要求に何度も誓約書を書いている。
なかには、テニスでダブルスを組んだとき、女房がどんなに信じられないようなミスを犯したときでも決してなじらない、という誓約もある。
同窓会に出席した女房の帰りが午前様となっても一切文句は言わない、というのもある。
誓約書には実印までっつかされている私が人妻にポケットマネーを送ることは断じて許しそうもない女房に、
ポケットマネーどころか私のすべての稼ぎを自由に使わせている。
「武士の情け」は、明治時代には美談として絶讚されたが、現代では相手を搨キさせ、自らの権威を失墜させるばかりのようである。(p195)






 旧暦の七夕  中国製バレンタインデーと呼んでいる。


8月13日  (火)  0813  0000  0807  0000  0715
        「日本語」コーナー 終戦記念特集 野坂昭如著「凧になったおかあさん A」3日連続のAです。


インクカートリッジの不適合とかでプリンターが使えないので
仕方なくもう一度カートリッジを買いに行く。
本当のHP製は365元、中国製だと150元である。
150元出してまた不適合だったらしょうがないし、
思い切って本物に、と思ったが店の主人が
大丈夫!もしダメだったら金返すというので中国製にした。
家に帰って汗も拭かずに取り付けてみたにちゃんと動いた!
中国製 好! だな。
天津の街もずいぶんきれいになってきているんだが、
まだまだ 道路=商店=駐車場=ゴミ捨て場=子供用トイレ といった汎用性がある。中国好!

DVD「声をかくす人」看了。リンカーン大統領暗殺犯の裁判と処刑の物語だが
付録の「ドキュメンタリー メアリー・サラット・アンド・ザ・プロット・トゥ・キル・リンカーン」
の方が面白かった。
実際の写真を学者、ジャーナリスト、作家たちの解説で綴ったものである。

関係ないことだが、題名の「声をかくす人」ってなんなんだろうかね。
昨日の「茜さす部屋」の意味もあまりよくわからなかった。

テレビの録画で「池上彰の戦争を考える シリーズC」
 (11日 日曜日 テレビ東京)を見た。
ジャーナリスト・メディアは
戦争にどうかかわってきたか、というテーマで
2時間テレビの前に座っていた。
戦争も平和も、道徳も正義も
ジャーナリスト・メディアによって
誘導されているという感じがある。こわいなぁ。


「頭にやさしい雑学読本D」読了。
といっても、半分ぐらいは題を読んだだけという程度だが。
・キャプテンクックは珍しい動物を見つけて「あれは何だ?」と聞いた。
 土人は「わしゃ知らんな(カンガール)」と答えた。
・コロンブスはインディアンが手にしているものを指して「何だ?」と聞いた
 インディアンは「トゥバコ(パイプ)」と答えた。
・昔は豆腐を納豆といい、納豆を豆腐と呼んでいた。
というようなことが書いてある。 へぇ〜と言えばそれでおしまい。








 日中平和友好条約締結35周年


8月12日  (月)  0812  0000  0807  0000  0715
        「日本語」コーナー 終戦記念特集 野坂昭如著「凧になったおかあさん @」3日連続です。


プリンターが使用中にインク切れの表示が出て動かなくなった。
仕方なく「注墨」に出かけた。
どちらもまだインクは残っているよ、ということだったが
ま、いいから注ぎ足してくれと頼み、ついでに新品も購入。
計200元で安かったかなと思ったのだが
家にかえってセットしてみるとカートリッジが不適合となって動かない。
でも、注墨しただけで今まで使っていたカートリッジだのにね。
年のせいか暑さのせいか、あっちやこっちやいろいろ不都合が出る。

「理由学で人生を棒に振る日本人」栄 陽子著 読了。

日本は長く、おかしな平等主義をよしとしてきました。
今でも小学校の卒業式で贈る言葉や贈られる言葉を生徒全員がひとりずつ言うとか、
学芸会では主役を作らないとか、
わけの分からない「平等」が大きな顔をして歩いています。
ところが本音は、幼稚園以前から我が子を少しでも前に立たせたいという
不平等意識が親の中で燃え盛っているものです。
そもそも学校の先生自身、世の中がどれほどの競争にさらされているのか知っているはずなのに、
形ばかりの「平等」にこだわるのは、本当におかしな話です。

日本が今までのようなおかしな平等主義にとらわれているうちは、真の意味での競争社会は訪れません。
このままでは、真のリーダーは育たないでしょう。どんな国家も社会も、リーダーがいなければまとまっていけないというのに、
強いリーダーシップを持っことを目指す教育をすることは、日本では嫌われています。まったく人間の本性に反しているではありませんか。

DVD「茜さす部屋」 看了
ほのぼのとしたというより、
ぼんやりとしたといったほうがいいような
そんな作品だ。
5,6,7の「ご懐妊大作戦」あたりは
結構笑えたけれど・・・・

いつの作品だろうとインターネットを見たら

 弊社は全日本でもっとも品質のよい、海賊版DVD,海賊ブルーレイの激安販売専門店のyokuyaです。
 商品種類も充実し、創業以来8年、大勢な顧客に大好評されています。
 国際速達便EMSで発送しますので、世界どこでも2−3日で届きます。
 との広告が出てきた。

で、この「茜さす部屋」は定価3990円のものが、398円と十分の一の価格だった。
へぇ〜、日本ではこんな広告だしても摘発されないのか






A href="shiki201308/0811.jpg">  さるすべりの花 花の美しさではなくて樹の皮のつやで名付けられている。が、漢字では「百日紅」という。



8月11日  (日)  0805  0000  0807  0000  0715

 
「青木学級(視覚障害者日本語学校)」の授業日である。
今日のテーマは「同性愛・同性婚」。 普通の学校の授業ではあり得ないテーマだろう。
こういうテーマを選ぶことに青木陽子先生のすごさ、自由さがあるな。
いつも最後にコメントを求められるのだが、今回のテーマについてはお手上げ。
私自身はもちろん、私の周りでもこういう経験(学習)は皆無。
議論している20代の学生と同じレベルで思考が回転している。
70年の(4年サバ読んでいる)経験が全く役に立っていない。

この授業の参観には天津日本人学校の教頭先生も来ておられる。
その先生も最後にコメントを述べられる。
そのコメントにはいつも敬服させられている。
私の話はいつも「みなさん」が対象なのに、
その先生はいつも「○○さん」「△△さん」と個人名で話しかけられる。
これこそ、「先生」だわなぁ

「本当の自分に出会う旅」鎌田實著 読了。 (前に一度読んだかもしれん)
死を前にした人々が明るく生きていく話。読んでいて楽しいよ。
  視覚障がい者が、「野球観戦をしたい」と言うと、よく驚かれるそうだ。
  目が見えないのだから、ラジオを聴いていても同じじゃないかと言うのだ。
  でも、実際は違う。わーっという歓声、その場の雰囲気に包まれて観戦する野球は、ラジオとは全然違うものだ。
  たとえば、ハワイでポリネシァンショーを観に行ったとする。
  目には見えなくとも、太鼓の音や、地を踏み鳴らす音、かけ声、それに歓声。
  とても臨場感があって、 いいショーだったという感想を聞くことができる。
  ショーのあと太鼓にさわらせてもらえたりすると、実感が広がる。
  彼らは、そうやって、見る代わりに聞くこと、さわることで目の前のことを感じるのだ。


「ジョーク対決 中国人 VS 日本人」早坂隆著 読了  その中のひとつ。
  天安門広場を散歩していた一人の女性が、いきなり強盗に襲われそうになった。
  すると女性の危機を察した一人の青年が、自らの危険も顧みずに突進し、その強盗を殴りつけて女性を救出した。
  女性はこの青年の勇気ある行動によって事なきを得た。
  偶然、その場には中国の新聞社の記者が居合わせていた。
  まさにその瞬間を写真に撮ることに成功した記者は、青年に言った。
  「あなたのすばらしい勇気を尊敬します。ぜひ、明日の新聞に今の写真を掲載したい。
  そして見出しは『北京の英雄、強盗から女性を救う』でいきましょう」
  それを聞いた青年は、照れながら言った。
  「いえ、僕は北京出身ではないので…」
  「では、こうしましょう。『中国の英雄、強盗から女性を救う』これでいいですね?」
  「いえ、僕は中国人でもないので:…」
  そう答える青年に、記者は首をかしげながら聞いた。
  「ではあなたは何人なのですか?」
  「私は日本からの留学生です」
  翌日の新聞。一面には大きく例の写真が掲載されており、見出しにはこう書かれていた。
  「日本人が天安門広場で中国人民に暴力ふるう!」


青木学級の帰り、
伊勢丹まで乗り越して昼飯。
讃岐うどんを喰うつもりが
天丼の写真も出ていたので
つい天丼に変更。見た目豪勢
だったんだけど白飯に天ぷらが
乗っているだけで汁なしだ。
これはやっぱり失敗だった
スーパーではいろいろな魚がたくさん出ていたが、ちょっと調理の覚悟がなければ手が出ない。




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