今日で7月もおしまいだな。


7月31日  (水)  0729  0000  0731  0000  0715
             「中国語」のコーナー更新しました。「三国志 諸葛亮草船借箭」 

昼は昨夜の茹でエビを加えてちょっと豪華なインスタント焼きそば。
長らくサボっていた散髪に行った。一番短くしてくれとは毎回言っているんだが、いつも中途半端な長さだ。
今日はそり上げたと言うほどではないがかなり短くなって光を反射して世の中を照らす位になった。
続いて盲人按摩。2時間80元。按摩師の当たり外れによって80元が高いか安いかが決まる。今日は高い。
伊勢丹のJINSから電話あり。眼鏡が出来たというので取りに行く。


夜は友人を誘って我が家ですき焼きパーティーをやった。






 明治天皇忌(1912) 明治天皇もえらい暑い時に死んだんだな。


7月30日  (火)  0729  0000  0724  0000  0715
             「日本語」のコーナー更新しました。「ありがとうを言わない重さ 上」 本文中に面白い笛の演奏があります。

DVDを3つも見た。
「高地戦」韓国映画だ。もう戦争はうんざりだ! と人類が思うようになるのはいつのことなのか。
「西遊」 中国映画だ。中国語、日本語字幕はでるのだが、めちゃくちゃでない方がマシ。
「桐島、部活やめるってよ」若干の波風はあるけれど、普通の高校の金曜日の放課後の生活。

        

「年のとり方、考えていますか」邱永漢著 読了。
  人生の最後の二十年は経済が発展して豊かになったことと、
  医学が発達してそう簡単に死ななくなったおかげで拾ったようなものであるけれども、
  年をとって拾った生命は厄介なものを拾ったようなものである。
  捨てるに捨てきれず、重荷をひきずって歩くようなものだから、
  かなり計同的にやりくりしないと、みじめな最後を遂げかねない。
  やりくりには健康を維持するためのやりくりと、食いのばすためのお金のやりくりがある。
  この二つをうまく調整するための、仕事のやりくりも重要である。
年いくまでに大金持ちになって、
老後は上手に金を使うことを楽しもう、という本。あほらしい。

銭湯に行って、思いっきりゆっくりと昼寝をした。






 みなさん、寄生虫には十分ご用心を。  私と雷魚寄生虫との攻防は目下我が軍の優勢下にあります。


7月29日  (月)  0729  0000  0724  0000  0715
             「日本語」のコーナー更新しました。「ありがとうを言わない重さ 上」 本文中に面白い笛の演奏があります。

パソコンの各方面に不調が出る(パソコンに雷魚を食わせた覚えはないんだが)
今まで使えていたソフトが新たにシリアルナンバーを要求する、正しいシリアルを入れても起動しない。
特定のメールが iPhone iPad では受信できるのにPCでは表示されない。
メールを立ち上げるとセキュリティーコードとやらを入れないとあと二日でアカウントを停止と脅されている

昨日の「青木学級」のカラオケ大会で、5月4日のレセプション記録CDをいただいた。
「過去のブログ」から「5月上旬」「5月4日」と進んで(退いて)いただければ
その時の写真と左端の合唱録音をお聞きいただけるが、
もう一度、数場面を再紹介するとともに、右端の人の 笛の演奏 もお楽しみください。



DVD「ライフ・オブ・パイ トラと漂流した227日」
出だしのインドの場面が無性に懐かしかった。
ヒンディー、キリスト、イスラム
の3つの宗教を同時に信じ
自分を襲うトラの命を助け
魚を殺生して強烈に泣く
そんなあり得ない設定を素直に受け止めて感動させてくれる、そういう映画だったな。

私の場合、ヒンディー、イスラムはないけれど仏教とキリスト教を同時に信じているかもしれないな。
魚を殺しても泣きはしないけれども、腹は痛くなる。
限られたボートの中じゃあないから、トラだけじゃあなくて無数の敵と共存している。





 短い地表での生活、何と不思議な 生態、汝が名は セミ


7月28日  (日)  0722  0000  0724  0000  0715
 

朝から二日酔いと風邪引きの合併症のような気分だ。
症状は気分だけであって、身体的には「だるい」という以外特になにということもない。
昨日のブログを見た友人からメールが来た。
  「柳川に住む友人、雷魚を食べ寄生虫が体内に回り、背中に瘤が出来る。肉片を切り取り、完治大変だったとか。
   雷魚は寄生虫で有名な魚だ。しゃぶしゃぶ程度では卵が死なないとか・・・・」
おいおい、今頃言ってももう遅いぞ。食う前に言ってくれ!
しかも、ワシがくったのはしゃぶしゃぶじゃあない。「刺身!」だ!。
そろそろ卵もふ化するころかな、余命はいかほどぐらいあるのか?

とはいえ、今日は「青木学級」のカラオケ大会。
もう出席の返事もしているし、「五冷散」一服飲んで出かける。
9時から12時まで、あまり上手とは言えない歌を聞いて、
午後、中華の宴会に招待された。
ここで、白酒で体内消毒。家に帰ってからすぐにベッドに飛び込んだ。


夕方、6時ごろに目覚めたら、ちょっと元気になっているようだったので
芥川賞受賞2作を読んだ。まったくつまらない。石原慎太郎の選評に同感である。
 残念ながら今回の選考も凡打の羅列の域を出ない。
 数多くの選考委員が圧倒的過半で推挙する作品がなかったというのが何よりの明かしだろう。
 かろうじての過半で当選とはなった田中慎弥氏の『共喰い』も、戦後間もなく場末の盛り場で流行った「お化け屋敷」の
 ショーのように次から次安手でえげつない出し物が続く作品で、読み物としては一番読みやすかったが、
 田中氏の資質は長編にまとめた方が重みがますと思われる。
 どんなっもりでか、再度の投票でも過半に至らなかった『道化師の蝶』なる作品は、
 最後は半ば強引に当選作とされた観が否めないが、
 こうした言葉の綾とりみたいなできの悪いゲームに付き合わされる読者は気の毒というよりない。
 こんな一人よがりの作品がどれほどの読者に小説なる読みものとしてまかり通るかははなはだ疑がわしい。

その後、熱めの風呂に入って汗をいっぱいかき、ゆるめの消毒液(ビール)で体内を洗って寝る。
雷魚の卵がいつ孵化してくるか解らんが、戦えるだけの体力はつけておかねば・・・・

雷魚よ、おまえの頭を金槌で殴ったのはワシではないぞ。その点だけは間違えないようにな。
迷って地上に出てくることなかれ、冥福を祈る。!





 北野 天神祭り


7月27日  (土)  0722  0000  0724  0000  0715
 

今日も一日中家にいてテレビを見たり、本を読んだりの生活。
どうも元気が失われているという感じがする。
「自分は死なないと思っているヒトへ」養老孟司著 読了

日常に死が失われたということは、ある意味ではとてもいい社会だと思います。
しかし裏返すと、これは、その社会をつくっている人間の理解力が、減少することも意味している。
つまり子どもの死がいかなるものか、ということを
理解する人が減ってしまった社会が現代社会、ということになります。
すると皮肉なことに、世の中が進歩すればするほど人間は愚かになっていく、ということになります。
われわれは、それをなんとなくいま、感じているのではないでしょうか。

夕方、友人から電話があって
そっち(我が家)の方に行くので
一緒に飲もうとの誘い。
もうひとり友人に電話をしてみたが
もう、飲み始めたんで、と断られる。
二人で万徳庄突き当たりの生活魚餐庁というところで
「雷魚」の刺身と鍋(雷魚のしゃぶしゃぶ)を食う。
そのあと、我が家でもう一度飲み直して分かれる。

「信長のシェフ」






 北野 天神祭り


7月26日  (金)  0722  0000  0724  0000  0715
 

今日もほぼ一日家にいて
何回かコーヒーを飲みながら
テレビの録画を見たり
「燃ゆる時」高杉良著を読みながら
時々うたた寝をしたりしながら過ごす。
「燃ゆる時」は三分の一ほど読んで
あれ、これ読んだことあるぞと気がつき
半分ほど読んだところでやっぱり止める。

夜は近くの韓国料理店で焼き肉とマッコリー。
量が多かったので包んでもらって、家で飲み直す。

「文藝春秋」に『この人の月刊日記』という連載がある
2012年3月特別号は
囲碁技師棋士 吉原由香里の12月〜1月の日記だ。
本当にフツーの日記。私が書くブログと同じ。
もっとも登場人物が有名人である点はちがうが・・・
でもともかく、面白かったので、
2012年9月特別号 フリーアナウンサー 住吉美紀、
2013年7月号(デジタル版) 作家 百田尚樹を引っ張り出してきて読んだ。

まず 吉原由香里将士のある日
一月一日(日)
夜、つかまり立ちにすっかり自信がっいた息子が、手を離して立とうとしている姿を発見! すごい!
慎重に手を離している様子から転ぶと痛いことがちゃんとわかっているんだな。知恵がついてきたな!
一月二日(月)
初夢は全く記憶なし……。それだけよく眠れたということか。
いや、息子の寝相がすごくて何度か頭が私の上に直撃した。
一度は唇の上に落ちてきて、すごく痛かった。
夫のお腹の上でも寝ていたらしい……。赤ちゃんはみんなこういうものなのか……。

次はフリーアナウンサー 住吉美紀
七月十二日(木)
十日ほど前に家の中でお尻を打って、尾てい骨が痛い。
座ろうとしたスツールが倒れて、スツールの脚の部分に股がる形で転んでしまったのだ。
初めは股のほうがジンジンして負傷が心配であったが(笑)、時間が経っとむしろ尾てい骨の痛みが残った。
まだ治らないからヒビが入ったのかも、と思いつつ、なんだか股関節まで痛くなってきたので、整体院に行くことに。
「知りたがり!」で「ヨガ天」という、天気予報の間にヨガボーズを実演するというコーナーを担当しているため、
身体を鈍らせるわけにはいかないのだ。

百田尚樹
四月三十日(火)
久々に何もない休日。
九日の本屋大賞受賞以来、取材や講演、テレビ・ラジオ出演で一日もまともに休んでいなかった。
この日は家でごろごろ。夕方、レンタルDVD屋にエロDVDを借りに行く。
店員に「もしかして作家の百田さん?」と言われたが、「違います」と答える。
しかし、パソコン入力しているとき、店員は笑いをこらえていた。DVDのタイトルはここには書かない。

といったようなぐあいである。フツーでおもしろい。





 


7月25日  (木)  0722  0000  0724  0000  0715
 

眼鏡が壊れた。
蔓の部分が折れてレンズが外れてしまった。
眼鏡の替わりは沢山ある。
しかも遠近両用、日本で買ったかなり高級品だ。
しかし、本を読むだけでは遠近はいらない。
100円ショップで買うような老眼鏡のほうが
むしろ使いやすい。でも乱視には対応が必要だ。
やすい眼鏡を買いに行こうと思っていたところに
友人から新しい洋風居酒屋のようなところを見つけたので行かないか、との夕食のお誘い。
早速、少し早めに出かけて伊勢丹地下の JINS という眼鏡店で安いのを購入。
視力を測ってもらったら、やっぱり今使っているのも、臨時に使っている安物も
どちらも度数が合っていないとのことだった。
なるほどなぁ、眼鏡も適当なときに壊れてくれないと快適には使えないわけだ。


このごろ、私物の紛失が多い。この間は200元もした新しい扇子がなくなったし、
先日は気に入っていたペンケースとボールペン三本も行く方不明だ。
ちょっと前になるが入れ歯を支えている私の歯を知らぬ間に飲み込んでしまった。
そのあと、なんと入れ歯に埋め込まれているニセの歯が抜けた。
そして、今日は眼鏡の破損だ。
あと、二週間で七十四歳だが、体の方はその先を見通して着々と準備を進めているという感じだ。






 八重のひまわり  八重のさくらというのが今はやりだけど向日葵にも八重があるのか


7月24日  (水)  0722  0000  0724  0000  0715
 

あんまり家にこもってばかりいてもなんなので、「水遊館」に出かけた。
といっても地鉄に乗って行ったんだけど・・・ 
歩こうか、という気にならないのは気温のせいか、体力のせいか、はたまた気力のせいか・・・・
気力も体力もだけど、それでもこの暑さは大変なモンだぜ。
これをまたエネルギーを使って冷やそうというのではなくて、
そのまま取っておいて冬に小出しして使うってなこと考えないのかねぇ。
その冷房の中を1階、2階、3階と歩き回って、それでも一日の積算は7600歩ほど。


2階だったかな、大きな食堂広場みたいなのがあった
「魚文化主題餐庁」とあったが、別に魚は関係ない
「鍋貼」とあったので今日はギョーザにしようと思って
前に立ったら一人分がえらいでかい。
半分にはならんのかと聞くとダメだというので
となりのワンタン麺にした(筈だった)が、
来たのを見ると麺は入っていない。
食事の注文はいつも失敗気味だなぁ

そのあと、地下鉄で伊勢丹まで走って、パンと野菜(レタスと枝豆)を買う。
伊勢丹で野菜を帰ったのは多分初めてじゃあないかな。町の市場の数倍はする。

「文藝春秋 2012 三月特別号」で『日本の自殺』というのを読んだ。
37年前、「文春 1975年2月号」に掲載された論文だそうだが、
な〜るほど、と頷くところが多い。
ちょっと長いけど抜き書きをする。

文明の挫折と解体は、宿命的なものでもなければ、災害や外からの攻撃などによるものでもない。
没落は、基本的には社会内部の自壊作用によって惹起される。
ローマに関して言えば、この社会内部からの自壤は
世界国家の心臓部の繁栄→豊かさの代償としての放縦と堕落→共同体の崩壊と大衆社会化状況の出現→
「パンとサーカス」という「シビル・ミニマム」→増大する福祉コストとインフレとローマ市民の活力の喪失→
エゴと悪平等主義の氾濫→社会解体というプロセスで進行したのであった。
この自壞のプロセスは驚くほど現在の日本の社会過程と類似している。

疑いもなく、豊かさも便利さも、そして情報化、都市化、大衆化、平和化、福祉、自由、民主主義、平和、近代化も、
  現代文明が高く掲げてきたプラスの諸価値を含んでいた。
これらのプラスの諸価値の実現のために、二十世紀文明はまっしぐらに進んできたといってもよいであろう。
だが、およそ人間社会の出来事に、なんらのマイナスを伴わない絶対的プラスというものは存在しえない。

豊かさの代償として、われわれは少くとも次の三つの点を理解しておかねばなるまい。
その第一は、すでによく知られているような、資源の描渇と環境破壞という代償である。
豊かになればなるほど、一方で資源消費量が増大して資源不足や資源価格の高騰を招き、
他方で生産、消費の過程での廃棄物が増大して環境の質の悪化をもたらす。

豊かさの代償の第二として、われわれは使い捨て的な、大量生産、大量消費の生活様式が
  人間精神に与えるマイナスの諸影響に触れておかなければならない。

豊かさの代償の第三として、われわれは便利さの代償にも触れておく必要があろう。
便利さの代償はある意味で、豊かさの代償の一部とみなしてもよいからである。
確かに、二十世紀文明は社会生活の全領域における便利さを求めつつ、前進に次ぐ前進を続けてきた。
だがまさにこの便利さの代償として、日本の青少年の体力や知力の低下が進行していた。

押しボタンを押すだけで、かれは居ながらにして世界中をあちらこちらと覗き込むことができる。
ボタンを押すだけでパンが焼け、飯が焚け、、洗濯物が仕上り、部屋が涼しくなる。
街角では矢張り、ボタンを押すだけで、自動販売機から煙草や罐ジュースや週刊誌が飛び出してくるし、
切符を買うだけで飛ぶ機械や走る機械が自動的にどこへでもかれを違れて行ってくれるのである。
押しボタンの世界のなかで生活をしていくのに、現代人にどれほどの患考力、判断力が必要とされるであろうか。

こうして技術世界は、大人たちにとってもおもちゃの世界になってしまった。
おもちゃを手にした現代人が子供のように振舞ったからといってそれになんの不思議があろう。
「生産者米価は大幅に上げろ、消費者米価はもっと下げろ」、「賃金は大幅に上げろ、物価は大幅に下げろ」、
「税金は減らせ、しかし、社会福祉は大幅に揩竄ケ」、こういう種類の要求を駄々っ子のように叫びながら、
この要求を実現するような便利なおもちゃを作れと言う。
そういうインプットとアウトプットとを結びっけるような調子のよいブラック・ボックスは到底作製不能だと言っても、
「そんなことを考えるのはわれわれの仕事ではない、われわれの仕事はとにかくボタンを押してこのおもちゃで遊び続けることなのだ」
と足をばたばたさせ、挙げ句の果てに癇癪を起こして手当り次第にまわりのおもちゃを放り投げ、ぶちこわし始めるという始末なのである。


諸文明の没落の歴史からの
第一の教訓は、国民が狭い利已的な欲求の追求に没頭して、
みずからのェーゴを自制することを忘れるとき経済社会は自壊していく以外にないということである。

第二の教訓は、国際的にせよ、国内的にせよ、国民がみずからのことはみずからの力で解決するという
自立の精神と気概を失うとき、その国家社会は減亡するほかはないということである。
福祉の代償の恐ろしさはまさにこの点にある。

第三の歴史の教訓は、エリートが精神の貴族主義を失って大衆迎合主義に走るとき、その国は減ぶということである。
その発言と行為ゆえに孤立することがあったとしても、エリートは勇気と自信をもって主張すべきことを主張せねばならない。

没落の歴史からの第四の教訓は、年上の世代は、いたずらに年下の世代にこびへつらってはならないということである。
若い世代は、古い世代とのきびしいたたかいと切磋琢磨のなかにはじめてたくましく成長していくものである。
古い世代がやたらに物わかりよくなり過ぎ、若者にその厚い胸を貸して鍛えてやることを忘れるとき、
若者はひよわな精神的「もやしっ子」になるほかはない。

没落の歴史からの第五の教訓は、人間の幸福や不幸というものが、決して賃金の額や、年金の多い少ないや、
物量の豊宮さなどによって計れるものではないという極く当り前のことである。
人間は物欲を満たす動物と考える限り、欲望は際限なく広がり、とどまる所を知らないであろう。
この欲望の肥大化のサイクルから解放されて自由にならない限り、
人間はっねに不平不満の塊りとなり、欲求不満にさいなまれ続け、心の安らぎを得ることがないであろう。

(本稿は小誌一九七五年二月号に掲載された「日本の自殺」を抄録したものです)






 大暑


7月23日  (火)  0722  0000  0717  0000  0715
 

「大暑」という割には比較的過ごしやすい日だった。
といっても外に出たのは、ちょっと日本円が必要になって午前9時ごろ銀行に行ったのと
夜、これも9時ごろ、食い物がなくなって近くの店にピザを食いに行っただけだったのだが。
その他は一日中、読書とDVDとテレビでゴロゴロだ。隠居・晴看雨読の生活だ。

「竹中半兵衛と黒田官兵衛」島津義忠著 読了
背景も人物もエピソードもみんな知っているんだけれど、
それでも、手放せずに一気に読んでしまったな。 島津義忠の本もまたいくつか探してみよう。

DVDは「虹の女神」 ドタバタになりそうでそうでもなく、メロドラマ、ラブストーリーというでもなく
かといって中途半端な気分でもなく、なかなかおもしろい作品だった。

 

テレビはNHK「つるべの家族に乾杯」日テレ「世界一受けたい授業」東京テレビ「和風総本家」などである。
昼から缶ビール片手に、畳に寝ころんで、時にはウツラウツラしながら・・・
こういうのは「豊かな生活」とは言えないな。
ま、大暑の一日だ、熱中症よけということで許してやろう。






 土用の丑の日

7月22日  (月)  0722  0000  0717  0000  0715
 

夕方に野菜(キャベツ、トマト、大根、キューリ、枝豆)を買うために
ちょっと外出をした以外、ずっと家にいて、書架に積み重ねている
今までの授業の記録などをめくり返していた。
DVD「愛と誠」梶原一騎原作のマンガで何度も映画やテレビ化されている。
が、全く荒唐無稽、見るに堪えない。20分で見るのをやめた。


つづいて、スタジオ・ジブリ「コクリコ坂から」を看た。
やっぱり、というか、これはよかったな。
東京オリンピックを来年に、という設定だから1963年(昭和38年)、
私が公立中学校の教師になった年の話だ。
ガリ版切りの場面も懐かしかったなぁ
高校・大学の頃は通っていた教会で
これと同じ格好で月刊誌を作っていた
教師になってからも暫くは同様だった

その他の場面も、私の青春時代とそのまま重なっている。
カマドに薪をくべて鍔付きの釜で炊いたご飯、木のお櫃、
手回しで絞った電気洗濯機、黒いダイヤル式電話機、
我が家では中学になる頃までは壁掛け式の電話機だった。
マグネシュウムのフラッシュを焚いた写真機。
この頃にはもうマグネシュウムのフラッシュは使っていなかったと思うけど。 主人公の家の冷蔵庫はホーロー製みたいだったけど、
お好み焼きやをしていた我が家では氷を買ってきて入れる木製の冷蔵庫だった。
登場する歌もそのころはやりの「歌声喫茶」で歌った懐かしのメロディー
♪ひとのぼっちの夜。♪遅くなってごめんね。♪レッドリバーバレー、♪おお牧場はみどり、だ。







 兵庫県小野市 ひまわりの丘公園    参議院戦況 自公大勝

7月21日  (日)  0715  0000  0717  0000  0715
 

久しぶりに視覚障害者青木学級の授業があった。ほぼ2ヶ月半ぶりである。
今日のテーマは「公費による飲食規定、政府の本気度を問う」である。
視覚障害者日本語培訓学校というが、学生は目の見える人が圧倒的に多い。
でもこのような社会的・政治的な問題について同じ年代の若者たちが集まって
日本語で意見を言い合う(聞き合う)ということは生涯のある人にとっては
狭くなりがちな社会を広げるという点でひときわ大きな意味があろうと思う。
来週はカラオケ大会、再来週は一日バスツアーで授業はお休み。
私はその両方に参加させていただく。楽しみである。


帰りはそのままバスで濱江道まで行き、今日は伊勢丹ではなく、
CoCo一番屋というカレーショップに。
思いっきり汗の出る一番辛いヤツをと思って注文したんだが
オムレツカレーは辛さの変更は出来ないということで、
何の変哲もないお子様カレーみたいなのに。
どうも、食い物のメニューを見ると突然雑念がいっぱい湧いてきて注文の失敗をすることが多い。


参議院選挙の結果は与党の自公大勝、民主惨敗という結果だった。
民主惨敗というのは解るわなぁ。維新もその二の舞を踏みかけているが
権力を持っていないだけにそのたたかれ方は少なくてすんだということだろう。






先週以前のブログは下の「過去のブログ」からご覧ください。