山中伸弥京都大教授ノーベル賞(医学生理学賞)を受賞



  12月10日  (月)

仙人が人偏に山というのはわかりやすい。
どうして「仏」は人偏で「神」は示偏なんだろう?
「聖人」が耳と口の王様、なんて解りやすいねぇ。


風邪は本格的、体温正常なれども、咳激し。
こういう時はやっぱり七味唐辛子を利かしたうどんだろう。
それに玉子でも入っておれば万全だ!
と思ってわざわざうどんを買ってきて作って喰った。
が、夜になっても咳は治まらなかったな。
うどんの効果より外出の無理の方が大きかったのかもしれない。
神さんは何かを忠告しているんだけど、
もっと解りやすくやってくれよな。

「運命の人 三」山崎豊子著 読了。
沖縄返還交渉の密約、新聞記者と政府の法廷闘争、
最高裁まで争ったが記者敗訴。でもあと一巻があるからどう展開するのか。

神戸市東灘選挙管理委員会から
EMS便で衆議院選挙の投票用紙が届いた。
申請したのは11月24日だ。
4日に告示、5日に出したとしても5〜6日かかっている
今から返送して16日に間に合うのか?
これはやっぱり大枚払ってEMSで送らねばならんだろうな。
インターネットで兵庫一区の候補者を調べたが、これがよく解らん。
明朝、風邪をおして涙ぐましく日本国民の義務を果たしてこよう。

生物のどんな臓器にも成長させることができるという iPS 細胞というのを最初に作り出したという
京都大学の山中教授のノーベル賞授賞式が今日行われた。
どんな病気の治療にも役立つというすごいことらしいが、
だんだん人間が神さんから離れていくというか、人間らしくなくなっていくような気もするね。
病気になったら死ぬ、というのが自然の摂理でだから地球は持ちこたえているんじゃあないか。
病気になったら、貧乏人は死ぬ、金持ちは生きながらえる、これは自然の摂理か。






     平行線の話を書き終わってから気がついた。トップの写真には失礼しました。



  12月 9日  (日)

平行線の定義・・・・・・@永遠に交わらない2本の線  A永遠の彼方で交わる2本の線
どうちがうのだろうか?
電車の線路のように曲がりくねっているけど永遠(?)に交わらない2本の線も平行線というんだろうか。
これは平面の場合だけれど、立体の場合は交わらない線は無数にある。
2本の線が永遠に等距離であるような線は何線というんだろう?


完全に風邪をひいた。
2〜3日前からはげしい鼻水が出たり、のどがガラガラしたりしていたが 
夜中に何度も咳き込んで目が覚めるぐらいに進行してきた。
一方、鼻水の方は収まったようだ。体はだるいが熱はそれほどでもない。
ただ、馬鹿じゃあないってことを示すためのごくごく一般的な風邪のようである。
大事をとって老人大学「太極拳」は欠席した。
2時間ほど昼寝をし、スパーに野菜など買いに行って
ちょっと早い目に夕食、酒を飲んで寝た。 おしまい。






   昭和16年12月8日未明、わが帝国陸海軍は・・・・・これだけは止めようぜ。



  12月 8日  (土)

馬から落ちて落馬して、女の婦人に笑われて・・・・とか言う落語(?)があった。
このごろは無くなったけど、かつての学校では緑の黒板に黄色い白墨で書く、てなことも普通に口にした。
授業を受けるというのは今でも普通に言うけど、これかて考えてみればヘンな言い方じゃあないか?


毎日毎日言っても仕方がないけれども、今日も寒い。
午前7時半の外気温マイナス8℃。
これに風が加わると体感温度はマイナス十数℃だ。
そのなか友人とバス停まで歩き、バス停でバスを待って
天津外国語大学まで行った。到着8時
講習は9時からなんだけど8時半まで戸を開けてくれない。
寒い屋外で足踏みをしながら待っていた。
係の人はガラス戸の内で外の足踏みを見ている。なんとかならんのかい?

国際交流基金の日本語教育巡回講座。
午前は「書くこと」を教える
「作文」じゃあなくて「書くこと」だ。
そう、書くことを苦行にしちゃあいかん
でも、松浦先生、講演が非常にうまくて
大勢の人に話す時はこういうふうに、と
「話すこと」を勉強したね。
午後は「JF日本語教育スタンダード」の説明があって

後半は「聴解の教え方」
今度は「聞くこと」じゃあなくて「聴解」だ。
とても聴き取れない、と思っていた文章もちょっとしたキーワードをつかまえるだけで
わりとすらすらと聴き取れると言うことの実体験。

今回の講習、受講料無料、だけでも素晴らしいのに
昼の弁当も、夜の豪華な宴会もすべて無料。
8時から30分間外で待たされたことなんか許すぞ
この講習で外語大の素晴らしい先生にあった。
まだ若い(多分)女性なのに気働きがすごい。
名詞を戴いたら日語学院副院長だった。さすが。

講習も大事だが、その町の日本語教師たちを結びつけるというこの宴会も
国際交流基金の仕事として立派にその役割を果たしていると思う。
決して、飲み食い、接待ではないんだよ。








  12月 7日  (金)

地球は自転しながら太陽の周りを回っている。
万有引力とやらで太陽に引っ張られて一定の距離に繋がれているというのは解る。
回っているから外に飛び出そうとするちからが働き、それと万有引力が釣り合うわけだ。
でも、何がうれしくて自分一人でぐるぐる回らねばならんのだ?


今日も一日大変な日だった。
午後はちょっと外に、と思っていたんだけど、まず、インターネットTVが映らない。
その内にインターネットやメールも繋がらなくなった。
夕方まであれやこれややってやっと繋がったと思ったら
今度は iTunes が「ファイルiTunesLibrary.itl が新しいバージョンで作成されているので読み込めない」
と出て、全く動かない。あれやこれや、やっと解決したと思ったら、
今度は日本で地震だ。外になんか出ておれるか! ちゅう感じだ。
おまけに今月21日から3日間地球が真っ暗になるという預言もある。
16日の総選挙では自民が勝ちそうだというし、石原は自民と提携も、とか。
日中関係はもっと悪くなるんちゃうか。まして憲法九条までなくしたらえらいこっちゃで。
地球の闇は3日ぐらいじゃあ収まらんかも知れんぞ。

「運命の人 二」読了。
新聞記者が逮捕され、起訴されて家庭が崩壊していく。
政治の動きもまだるっこいし、
家庭崩壊も引き込まれていけない。
ジャッキーチェンのDVD「ラスト・ソルジャー」看了。
これまた、ドタバタ漫画の続きのような。
中国人は、現実にはあり得ないような
「拳法」の闘いがホント好きなんだなあ。










  12月 6日  (木)

空を向いて風の音に耳を澄ます
腕を組んで寄せては返す波の音を聴く
合掌をして坊さんの読経を聞く
私にとって篆刻や中国茶の授業は、風の音を聴きながら坐っているようなもの。
寂滅為楽、無智亦無得以無所得 の世界だよね


今日も寒い。朝方はマイナス3℃。
そのせいではなかろうが、午前4時に目が覚めてしまった。
CD付きの月刊誌「一番日本語」の過去一年分ぐらいをざっと整理する。
その他、プリント類もあれこれ引っ張り出してみた。
1月から再開する日本語、中国語のコーナーを考えようと思ったんだけれど
どうもやっぱりうまくいかない、というか気がのらない。
午後買い物に出る予定で、飲料水と酒の宅配を午前中限定で頼む。
酒はつつがなく来たのだが、水が12時を過ぎても来ない。
電話をすると「ああ、今水がないんだ」との返事。
そう言やぁ、この頃 雨降っていないもんなぁ。
待っていたらいつのことになるやら判らんので、買い物に出た。
昼飯も予定のレストランがあったんだけど時間短縮のため回転寿司で済ます。
コーヒー粉とかペットボトルの水とか買って大急ぎで2時過ぎに帰る。
水は結局4時ごろになって配達された。めでたし めでたし。

山崎豊子著「運命の人」四巻 読み始める。
第一巻読了。ここまではそれほど面白くはない。
沖縄返還にともなう「密約」をめぐる政府と新聞記者の闘争物語らしい。
帯には「取材・執筆に十年をかけた壮大なドラマ」とあり、
初っぱなには「この作品は、事実を取材し、小説的に構築したフィクションである。」
との但し書きがあって佐橋総理大臣の他、池内勇人、小平正良、二木丈雄、
福出武夫、鈴森善市、田淵角造、などが登場する。
他に愛池外務大臣てのも出てくるが、これは誰だったっけ?











  12月 5日  (水)

友人と酔っぱらって歩いていても歩道の段差にひっかかってこけるというようなことはほとんどない。
決してあそこに段差があるな、というような意識は全くないのにね。
物理的に目に映っていても、意識しないこと(見てないのと同じこと)もあるだろう。
でも意識していないデーターで体の動きをコントロールしているってこともあるのだろうか。


老人大「気功」。
今日は次期講座の報名(登録)日だから、
みんないろいろ動き回って落ち着きがない。
私も途中で呼び出されて、
ここでは登録できないから
「教務処」に行けと言われた。
理由は判っている。みんなは260元だけれども
外国人は倍の520元となるからだ。
ま、それは覚悟の上だけれど、念のため「そんなことどこに書いてある?」って聞いたら、
「外国人は2〜3人しかいないので書いていない」だって。
ま、そりゃあそうだろうな、と納得したんだからワシも中国人的センスが身についてきている。
太極拳と気功の精神が身についてきているということか?

もうひとつの「篆刻」の方は、今受けている「健身系(太極拳・気功)」とは別の「書法系」になるので
新入学生扱いで、12月24日から受け付ける、という。
これだけのために、2階に行け、いや4階だ、いや2階の事務所だとたらい回し、やっぱり中国だ! 











  12月 4日  (火)

何十年にも渡って中国のゴビの砂漠に植林している日本人の話を聞いた。
熱帯雨林など人の乱伐によって砂漠化した地域に植林をして自然を取り戻す、立派なことだ。
でもゴビとかサハラとかは、砂漠であることが自然なんじゃあないの?
本来砂漠であるところに人工で植林して森にするというのは自然破壊とも言えないか?。


冷蔵庫の掃除をした。
冷蔵庫の奥にご覧の通りびっしりと氷が張っている。
その厚さ約7〜8p。
初め、頑丈なスプーンではぎ取ろうとしたんだけれど
とても手に負えない
ドライバー状の工具を使い、
力づくでやっとはぎ取った。
すごい了の氷だったよ。


「あの戦争から遠く離れて」 城戸久枝著 読了。
この間から、高杉良、白川道などの作品から
「事実は小説よりも奇なり」の感じを強くしていたが
今度は、戦争孤児であった著者の父の歴史をたどる
全部実名の実話物語である。読んでいるうちに、
あれ何か読んだことがあるなという感じがしていたが、
前に多分DVDで見たドラマの原作だった。
「ドラマ 絆」で調べてみると
2009年4月から6回にわたってNHKで放映された 土曜ドラマ「遙かなる絆」である。

初めに、調べたついでに番組のホームページからドラマの荒筋を紹介しよう。
ずいぶん長いけれども、その後ろに「やっぱりか!」という著者自身の感想も。

第一回「はじまりの河」(4月18日放送)
城戸久枝(鈴木杏)は留学先の中国で、父の中国の親戚にあたるシュンカ姉さんから国慶節に牡丹江に来るように誘われる。
そして血のつながりのない親戚や父の親友から大歓迎を受ける。父・幹(加藤健一)は中国残留孤児だった。
残留孤児などという言葉もまだない日中国交回復前に自力で肉親を探し帰国を果たしていた。
久枝はかつて父が暮らした牡丹江で初めてその生い立ちを聞かされる。
1945年8月、満州軍人・城戸弥三郎の長男幹は中国人使用人に託された引き揚げ列車の中で、
ソ連軍の襲撃を受けたどり着いたのが頭道河子村だった。
占い師の寧に連れられ河を渡ってきた幹を引き取ったのは付淑琴(岳秀清)という女性だった。
淑琴は夫や周囲の戸惑いをよそに、言葉も分からない幹を育てると決心し、玉福と名づけた。
そして貧しい農村の暮らしの中、懸命に育てる。玉福も懸命に勉強し、養父・孫舜昌も得意の習を玉福に教える。
しかしある日突然、養父は亡くなってしまう。貧しさは増すばかりだが、淑琴は働きながら玉福を大切に育てる。
成績の優秀な玉福は中学受験にも合格し、中学に進学させるため淑琴は村の書記に土下座して紹介状を書いてもらい、国から奨学金を得られるようになる。
遠方にある中学へ通うため寮生活を始める頃、玉福は母への恩返しを心に誓う。
小学校の卒業式で淑琴の手作りの服を着た誇らしげな玉福=幹の写真が、シュンカの家に飾ってある。
淑琴はその家で久枝が訪ねる前年に亡くなった。淑琴の使っていたベッドで、久枝は父と中国のおばあちゃん(淑琴)を思った。


第二回「日本孤児」(4月25日放送)
久枝(鈴木杏)は日本語を学ぶ大学院生・劉成(フービン)と知り合い、
互いの母国語を教えあう相互学習をするようになる。
父の幹(加藤健一)からは手紙が届き「車到山前必有路」という中国のことわざが書き添えられていた。
ある日大学の講義で話が突然かつての中国への日本の侵略に及び、日本人である久枝が矢面に立たされる。
返す言葉も術もない自分に落ち込む。そんな時、父が中国で孫玉福として暮らしていた頃つけていた日記を読み始める。
高校生になった玉福(グレゴリー・ウォン)は成績が優秀で大学進学を目指すが、
履歴書に日本民族と書いたことで、全ての大学を不合格となり挫折を味わう。
養母・淑琴(岳秀清)が一人で住む頭道河子村に帰り、失意の日々を送るが、高校の沙先生から手紙が届き、
臨時教員として働きながら来年の受験を目指せと励まされる。そこには「車到山前必有路」の言葉が書かれていた。
玉福は希望を取り戻し、牡丹江で教師として働きながら受験を目指すが、この頃から日本にいるだろう両親のことを意識し始める。
二度目の受験も失敗。日本人であることから逃れられない玉福は日本赤十字社あてに手紙を書き始める。
そしてその頃から国籍を定めるようにと公安局から言い渡されるようになる。
悩んだ結果日本籍を選んだ玉福は職も追われ、肉体労働しか働く道は残されていなかった。
木材工場で肉体労働に従事しながら、親友となる二人の中国人、呉(ウー)と鄒(ゾウ)と出会うことになる。
肉体を酷使しながら金を貯め、ついに玉福は淑琴を牡丹江に呼び寄せる事に成功する。再び親子は一緒に暮らせるようになる。
「進めば必ず道は開く(車到山前必有路)」この言葉を心に刻みながら、久枝は中国のおばあちゃん淑琴の墓前に立った。


第三回「祖国へ」(5月2日放送)
久枝(鈴木杏)は劉(フービン)の紹介で帰国を控えた残留孤児やその家族の日本語教室を手伝う。
そこに訪ねて来た日本人女性から30年前の父・玉福(グレゴリー・ウォン)との出会いを聞かされる。
その頃の玉福は肉親探しを求める手紙を日本赤十字社に出し続け、ようやく身元判明の手がかりを求める返信を受け取った。
手がかりを求め、玉福は占い師の寧に会いに行く。寧こそ頭道河子村に玉福を連れてきた人物だった。
しかし寧は何も覚えていないと言う。落胆する玉福だが、やがて年末に淑琴(岳秀清)と暮らす牡丹江の家にふらりと寧が訪ねて来て、
玉福だけを連れ出し、当時のことを話し出す。
玉福の父は満州国軍の少佐で、その父の名前の四文字の中に「城」と「蔵」の字があったという。
玉福はその手がかりを書いた手紙をまた出し続けるが、便りはいっこうに届かず、憔悴していく玉福は遂に吐血する。
養母のことと祖国への思いは別だと肉親探しに執念を見せる息子の姿に、淑琴は複雑な思いを抱えながらこらえる。
一方日本では、実父である城戸弥三郎(浜畑賢吉)の元へ日本赤十字社から手紙が届き、
死亡を伝えられてきた長男生存の情報に母の由紀子(伊藤榮子)は泣き崩れる。
「蔵」の字は幹(玉福)の祖父の名前、島蔵の文字だった。軍人である弥三郎が日本にいる島蔵の名前を幹の衣服に縫い付けていたのだ。
ようやく身元が判明し、日本の父と手紙のやり取りを始めた玉福に、淑琴は涙を隠す。
帰国の手続きが進められるが、中国から出された結果は出国を許可しないというものだった。玉福の未来はまたしても閉ざされた。
久枝は父・幹(加藤健一)の苦難と思いかみしめる。


第四回「牡丹江の別れ」(5月9日放送)
久枝(鈴木杏)は春節を牡丹江で過ごす。シュンカやシュンカの母たち、
血のつながりのない親戚たちに家族として迎えられ、そのぬくもりに涙があふれた。
シュンカと母はとても仲のよい親子なのに、シュンカは10歳の時から親と離れ、ひとりになった淑琴(岳秀清)と暮らしていたという。
久枝は父・幹=玉福が日本へ帰ってしまったことと関係があるのではと考える。
30年前の牡丹江で玉福(グレゴリー・ウォン)は失意の日々を送る。
文化大革命のさ中、日本人である玉福は監視におびえ次第に追い詰められる。
荒れていく息子に淑琴は生きて日本へ帰れと励ます。
ようやく出国が許可され帰国の日が近づくと、残された日々をかみしめるように母と子は涙をこらえて互いをいたわる。
出発の日、列車がホームへ近づくと淑琴はその場に倒れ込んでしまう。
それを目にした玉福が抱きしめると、母はたまらず「行かないでおくれ」と涙を流す。
離れようとしない玉福を、親友の呉と鄒が引きずるようにして列車に押し込む。玉福はいつまでも母を思って泣き叫んだ。


第五回「果てしない旅」(5月16日放送)
日本で両親と再会した玉福(グレゴリー・ウォン)は、父弥三郎(浜畑賢吉)の故郷・愛媛県八幡浜市で
城戸幹としての生活を始めるが、思うように日本語が上達せず孤独に耐える。
弥三郎に命ぜられみかん畑の作業に励むが、牡丹江で別れた養母淑琴(岳秀清)の事ばかりが思い出される。
淑琴は玉福と別れた駅で気を失ったまま家へ運ばれ3日4日と眠り続け、ようやく起き上がった時には驚くほど髪が白くなっていた。
心配して訪ねて来た玉福の親友・呉と鄒に玉福の幻想を見るほどに息子を恋しがって泣いた。
自分をやっかい者だと悩む幹は自立するため東京の大学へ行きたいと願い出るが、弥三郎に許されず、失意の中叔父の勤める松山市内の会社で働くため家を出る。
会社で宛名書きをしながら、定時制高校へ通い必死で勉強した。そこで陵子(佐藤めぐみ)と出会い結婚する。
大学進学という夢のために歯を食いしばってきたが、自分の家族を作る事が幹の夢になったのだ。
長女誕生の翌年には久枝が生まれた。幹は久枝の父になったのだ。
その2年後、待望の長男が生まれ八幡浜に知らせるが、母由紀子(伊藤榮子)から弥三郎の危篤を告げられる。
病室で弥三郎の手を握り、幹は自分が親になりその気持ちがわかったと涙ながらに父に詫びる。
久枝(鈴木杏)は1年の留学期間を終える。東京に留学する事が決まった劉(フービン)から一緒に東京へ行こうと誘われるが、決心がつかない。
やがて久枝は父に電話し、もう1年中国に残り留学生活を続けたいと告げる。
ようやく自分の気持ちが伝えられるようになって、まだ知りたいことがあるのだと話す。
劉を見送った久枝はラブレターだと笑いながら劉に手紙を手渡した。中には「車到山前必有路」とあの言葉が書かれていた。


最終回「ふたたびの河」(5月23日放送予定)
久枝(鈴木杏)は留学を終え帰国の前に訪ねた牡丹江で父の親友・呉の死を知る。
そして14年前初めて来た牡丹江での父・幹(加藤健一)と淑琴(岳秀清)の再会を思い出す。
その淑琴の死を幹は失意で受け止めた。2年ぶりに幹と母・陵子(森下愛子)の待つ愛媛の家へ帰ると、久枝は幹に呉の死を伝えた。
まもなく東京の劉(フービン)が訪ねて来た。久枝は中国で過ごし父の気持ちが少し分かったと話す。
そして5年後、久枝は幹とふたりで牡丹江に立っていた。凍った河の前で、久枝は思わず父にある言葉を投げかける。


次は本からの抜粋である。
中国孤児の物語というドラマの本旨からはちょっと離れるため
ドラマでは第二回で

  「ある日大学の講義で話が突然かつての中国への日本の侵略に及び、
  日本人である久枝が矢面に立たされる。返す言葉も術もない自分に落ち込む。」

としか触れられていないのだが、私には興味がある現在の中国の反日感情の問題である。
主人公の父ではなくて、1997〜8年ごろ中国に留学していた著者自身の経験である。

まずは大学院教授からの経験

授業中、教授は時々私にだけわかるように日本語で話すことがあった。
教授は日本の過去の侵略と現在の経済的発展は別だと言い、対して、文化大革命により中国がどれだけ経済的に遅れたかを淡々と語った。
日本と中国のどちらに偏るわけでなく、批判すべきところは批判し、評価するべきところは評価するという
彼の考え方は実にニュートラルで、中国人にもこういう考え方の人間がいるというのは驚きだった。
彼が日本語で私だけに言った言葉を、私は忘れないようにノートに書き留めた。
「朝鮮は条約によって日本を認めたから(朝鮮併合は)侵略ではない。
中国も一八九七年から一九〇七年の間は日本が侵略したわけではない」
「満州国時代の日本(天皇崇拝など)は、文化大革命時代の中国(毛沢東崇拝)と同じである」
「日本が中国へ侵略して中国東北部へ経済発展をもたらしたのは事実だ。
文化大革命時代に毛沢東は中国に何をもたらしただろうか?」etc・・・・。
 しかし、あるとき、思いがけず教授の本音を聞くことになった。
 授業中の雑談のなかで、私の父は中国残留孤児だと話すと、
教授は、日本の開拓移民も中国に残された子供たちも日本の侵略戦争の被害者だと言った。
彼は、私の祖父母も当然開拓移民だと思っていたようだった。しかし、私の祖父母は開拓移民ではない。
 「私の祖父は、軍人だったそうです」
 私が教授にそう告げた途端、それまで淡々と話していた教授の目の色が変わった。
 「あなたのおじいさんが家族を連れていたということは、軍官以上の階級だったということですよ。
あなたは日本の軍人がどれだけひどいことをしたか知っていますか?」
 教授の左手中指は第一関節から先がなかった。もちろん教授の年齢からして「あの戦争」に関係しての怪我ではないはずだが、
興奮した教授はその第一関節から先のない中指を私の目の前に突き出して声を荒らげた。

でも、前半のようなことが話せる教授がいる、あるいは話せる状況があるということは
とりもなおさず、中国の民主化が進んできているということだな。
そっちの方に私は心が動いたよ。

次に学生たちについて

中国人学生たちの日本に対する反感や嫌悪感などの、典型的な「反日」感情を目の当たりにしたのは、
友人の日本人学生と二人で歴史学部三年生の討論会を聴講していたときのことだった。
 学生たちは、日本の天皇制が戦後も残されたことについて、
「戦前と戦後の天皇制は違う」「日本の降伏は天皇制を残すという条件つきだった」などと、自分たちの調べてきたことを発表していった。
さらに議論は自衛隊の存在や、日本の政治機構と経済発展の関係にまで及んだ。彼らは日本人の私でもたじろぐような専門的な議論を繰り広げていた。
そしてすべての発表が終わり、戦後日本の経済発展についての話題になったとき、一人の女子学生がこう言った。
 「私は日本の侵略とアメリカの侵略は違うと思います。感情的に考えても、中国に侵略した日本がいまのように経済発展をしていることが、
私には我慢できません。私は、アメリカは許せるが、日本は許せない」
 彼女の発言をきっかけに、それまでは冷静に行なわれていた議論がヒートアップした。
 「日本が中国に対して行なったことの罪を許すことはできない」
 「どんなに経済発展しても、過去を消せるわけではない」
 「日本では学校で日本の侵略について教えていない」
 「南京大虐殺て殺された人の数を歪曲している」
 「日本の侵略」という題目を与えられた途端、誰もが水を得た魚のように生き生きと日本に刻する感情を吐露しはじめたのである。
教室は異様な盛り上がりを見せていた。彼らは日本人の私たちが聴講していることを知らなかったようだった。
最後には教授までもが、「日本の自衛隊は絶対に核兵器を持っている」と叫んだ。学生たちは教授の発言に手を叩いて賛同した。
 私はといえば、彼らが感情を爆発させる様子を醒めた目で眺めていた。
それまで素晴らしい議論を展開していた学生たちが、日本の中国侵略の話題になった途端、
スイッチが入ったようにみな同じ方向に向かって似たような発言を繰り返す姿はどこか滑稽にさえ見えた。
彼らの発言は、私がそれまで何度も街で聞いた言葉とほぼ同じだったからだ。またはじまった……それが私の率直な感想だった。
 いまとなってはよく知られていることだが、私に日本への怒りをぶつけた大学院の教授よりもさらに若い学生たちに、
これほどまでに強い反日感情があったのにはもちろん理由がある。その背景に存在しているのは、いわゆる愛国主義教育である。

まあ、十数年前の学生がこんなであるのは仕方がない。
著者もいうように「愛国教育」で育ったんだから。
「皇国教育」育った日本人も「天皇陛下万歳」と言い、特攻に志願したんだから・・・・
でも外から注入された思想はそれが無くなれば消える。
淡泊な日本人は数十年で皇国思想から脱却したが、
五千年の歴史を持つ中国人はもう少し時間がかかるかも知れないが、
どっちにしろ、「やがて・・・・」の問題だ。








  12月 3日  (月)

またまた「光」だけれども今度は文字の問題だ。
音読では「コウ」、訓読では「ヒカル・ヒカリ」だけれども
もうひとつ「ミツ」とも読む。森光子、光秀、竹光のミツである。
竹光はちょっとよく解らないけれど、ミツ」は人の名前にしか使わない「ミツ」のような気がする。
光を「ミツ」と読む日本語(動詞や普通名詞)はありますかね


朝はフランスパンにポテトサラダを
塗りつけて焼いて喰った。
それほど旨いとは思えないが、
まあまあの味。

午前銀行に行って金を卸す。
きょうもやっぱり寒い日だけれども
露天の果物屋は色彩豊富だ。

午後、友人からの誘いがあって
飲み会に出かける。
6時待ち合わせだったけれども
3時半ごろに家を出て
輸入食材を打っているスーパーを下見
のつもりだったが、スーパーは閉店していた。
仕方がないので駅前の地下商店街をひやかして
待ち合わせの図書大厦に行く。
ここで1時間あまり日本語の本を見たり、
DVDを見たりして時間をつぶすも
友人は現れないし、電話連絡もない。
勝手にレストランに行ってしまったのかも知れない
と思って待ち合わせをあきらめてレストランに向かう。
この金色のビルの6階神戸園である。
もう一人の友人は30分もここで待ってくれている。
ちょっおくれて友人も来る。
久しぶりにヒラメの活き作りだ。酒粕を使ったナベも旨い。しあわせ。









  12月 2日  (日)

メンデルの法則というのを中学校の時に
習った覚えがある。
赤と白のエンドウ豆を掛け合わせると
3対1の割合で赤と白の花が咲くというものだった。
今でもこの法則は生きているんかなぁ


老人大学「太極拳42」
後期第12回。
今日もバスを待っていると
頭が痛くなるほどに
寒い一日であった。
今日は私たちの演武を
先生が携帯で録画して
PPTで見せてくれた。
初め24式を全員でやったのを録画したんだけれど、これでは集団が密すぎて一人一人の動きが解らない。
で、次は42式を4つの班に分けて録画、1班5〜6人ずつだ。
私は最後の班になったので、3つの班を見ていたが、まあ密かに、わしの方がましかな、という感想だった。
が、私の番になると、出来ない、手順は間違うし、タイミングは合わないし、片足でも立てない
さんざんだ。時間切れで前の二班だれの映写で終わったが、
次週 私の分も上映されるかと思うと、入る穴を探しとかにゃあ。

七階の展示室で、今度は「天津市老年書画研究会」の作品展が行われていた。なかなかの力作だ。


「挑戦つきることなし 小説ヤマト運輸」高杉良著 読了
クロネコヤマトの宅急便の成立・成長の過程を描いた小説
小説と言うよりはほとんどドキュメンタリーという感じの物語だ。
主人公の社長が本名 小倉昌男が小説では倉田正雄となっている程度の変更である。
物語の中に動詞の小説「王国崩壊」の「丸越百貨店=三越百貨店」との形相も出てくる。
でもまあ、「王国崩壊」や「暗愚なる覇者」などと違って
一種のサクセスストーリーなので、なんというか気楽に読めるけど
それなのに物足りなさも感じる。










  12月 1日  (土)

アインシュタインさんのおかげで「光」が気にかかっている。
光って何なんだ? 物? 波?。
光って一言に言うけれど、赤から紫まで七つに分けることもできる。(もっとあるんだろう)
じゃ、一番小さい「光の単位」って何なんだ?
太陽の光と太陽の熱とは別ものか?
光と光がぶつかっても喧嘩はせんのんか?  よう解らんな。


さすが12月だ。今日は寒い。
天津博物館の前の池も
凍り始めている。
外を散歩する元気もなく
切符売り場にこもったが
室内でも2℃、外は零下だろう
夕方、我が家の近所でも
初雪が降った。

そういう中を早起きして天津博物館の講座を聞きに行った。
「天津の民間美術」
講師があまり講演になれていないのかな、なかなか面白い人で、
聴衆ではなくて隣の助手に向かって説明することが多いんだよね。
スクリーンじゃなくて、パソコンの画面を指さして説明したりしている。
助手があわててレーザーでスクリーンを指したりしている。
でも、絵はあまりでなくて、話ばっかり。暖房も効いていたのでついうとうとと・・・・


終わってから、博物館のレストランで「皇帝カレー」ってのを喰った。
脚が誰もいなかったせいか、たぶん暖房が切られていたのだろう、寒かった。
ミュージアムショップでちょっと買いものをして
近くのロッテ百貨店に行く。
この前の時はまだあまり店が入っていなかったが
もう、地下にはスーパーも出来ているし、
吉野屋とかいろんな飲食店、家電店やユニクロ等も営業を開始している。
下の左端はトイレの前の待合い所である。ずいぶん立派なものだ。
ユニクロでGパンを買った。
裾も無料で直してくれて
接客もなかなか感じがいい。
いったん家に帰ってから
近くの「上島コーヒー」に
レギュラーコーヒーを
頼んだつもりが、こんな
ど派手なのが来てびっくり。

ここで1時間ほど本を読んで、天津日本語教師会の幹事会。
若い人たちはここから食事に繰り出したようだが
私は徒歩5分で自宅なので、そのまま分かれて帰る。




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