青柿や 虫葉も見えで 四つ五つ  村上鬼城
9月20日  (木)  0917  0918 0919  0920  0914

江戸時代の技術者はどうしてガラスを大量生産しなかったのだろう?
江戸城でも大名屋敷でもガラス窓というのはあまりないみたい。
正倉院の御物にもあるんだから知識はあったはず、それに日本刀や鉄砲まで作る技術もあったのに・・・・。


老人大学に行った。久しぶりの外出のような気がする。
新校舎付帯の庭園の工事がまだ続いている。
今日行ったのは「茶芸と養生」という全8回の短期班の申込のためである。
今日からの受付だったのだが、もうたくさんの人が来ていた。早く行ってよかったのかも知れない。
「太極拳」と「気功」は外国人だから、という理由で中国人の倍額払わされた。
今回も受付所でしばらく待たされ、本部事務所まで問い合わせに行ったが、中国人並みでOKだった。


昼は大悦城の餃子専門店で豚肉三鮮餃子を食う。
店もきれいだし、味もまあまあだったが、お茶も水も出なかった。


このところ尖閣のおかげで毎日 朝7時のニュースを欠かさず見ている。
と言っても、録画なので必ずしも7時に見ているというわけではない。
今のテレビは1週間分をほぼ完全に自動録画しておいてくれるので、大変便利である。

中国のテレビで、福岡の中国領事館に投石があった、中華料理店で乱暴があった、
神戸の東亜学園に放火があった、とのニュースが流れている。
日本のNHKテレビではまったく報道されていない。
学校への放火となればニュースにならないわけはなかろうに・・・・
日本の報道に隠蔽があるのか、中国のでっち上げ報道なのか・・・・



「茶器と懐石」 桑田忠親 著 読了
講演の筆録のような感じで、思ったより読みやすく、茶事、会席、名物道具など
あまりよく解らない分野が概観的にすんなりとはいってくる。
茶器でも懐石でもないが、利休の有名な言葉を

利休の茶の湯の精神を最も端的にあらわしている言葉が、『南方録』という本に書かれております。
それには、
  小座敷の茶の湯は、第一、仏法を以て修行得道する事なり。家居の結構、食事の珍味を楽しみとするは、俗世の事なり。
  家は洩らぬほど、食事は飢えぬ程にて足る事なり。これ仏の教え、茶の湯の本意なり。
  水を運び、薪を取り、湯を沸かし、茶を点て、仏に供へ、人にも施し、我ものみ、花を立て、香をたき、
  皆々、仏祖の行なひのあとを学ぶなり。
と、あります。






露草のかそけき花に寄りてゆく 心の行方ひとり喜ぶ  窪田空穂
9月19日  (水)  0917  0918 0919  0913  0914

木は(多分草花も)昼は炭酸同化で酸素を出し、夜は(多分昼も)呼吸で炭酸ガスを出す。
花も夜はしぼみ、朝になると咲くものが多い。花卉草木にも昼夜の別はあるんだ。
人間と同じようなものではないにしろ、木や草花も夜に夢を見たりしているんだろうか。


私「反日デモ」は政府のお達しでいきなり終息してしまいましたが、私は今日も一日、ずっと家にいました。
まるで、ねむりねこ。でも、何もしなかったわけではありません。
ビザの関係でこの年末年始に日本に行かなければならないのだが
いままで利用していた「燕京号」が廃業してしまつたので飛行機で行かなければならない。
天津にも国際空港はあるんだが、天津←→関空というのはないんだよな。
北京←→関空のチケットをインターネットで買おうとして一日奮闘していた。
値段も3万円程度から、10万円以上と大きな違いがある。
やっと予約すべき便にこぎ着けたかと思ったら支払いがクレジットカードのみという。
わしゃあ、クレジットカードは持っとらんのだよ。これでまたやりなおし。


あ、そうだ、伊集院静著「ねむりねこ」だった。50余りの随筆短編集である。すごくおもしろい。
日本人会に返すのがもったいない、今度日本に行ったとき、買ってこようかと思ったくらいだ。
ちょっと長いが、その一編をまるまる紹介する。

   恰好はつけて当然

 夕暮れ、木枯しの中を犬と散歩に出た。
 風音が痛く感じられるほどの冷たさであるのに犬は平気で走る。
私も走ればいいのだが、急に走ると、まず動悸がし、ひどいと不整脈が出る。
犬の散歩で、私がうずくまっては、恰好がつかない。
”格好がつかない”と私はよく口にするらしい。
こちらは覚えがないのだが、そばにいる身内が言うのだから、その言葉をよく使うのだろう。
 今さら恰好など、と言う年配者がいるが、私は歳を取ってからこそ恰好を気にすることが正当だと考える。
子供が恰好にまで頭が回る方がおかしい。
世間が何たるかがわからない者が世間体や恰好を考えることが変な話である。
若者が恰好をつけるのは単に色気づいただけで、
外見の恰好を気にしているのに過ぎない。私が言う恰好とは、外見も少しはあるが、ほとんどが姿勢のことである。
大なり小なり、ひとつの仕事をしてきた人間に恰好があって当然で、そうでなくてはならない気がする。
 たとえば、私は人前で大声を出さない。公共の場や乗り物の中では友人と隣り同士でも声を抑えて話す。
それか礼儀であると思うし、大人の男は、他人に己の話の内容を聞かせるものではないと思っている。
 酒場で大声を出す者がいるが、”私は酒に酔っています”と主張しているようなものだ。
酔っています、という状態は主張するものではなく、
すみません、と謝る状況である。
 食べ物に関しても、美味い、まずいは口にしない。時折、美味いと口にするが、せいぜい一度だ。
よく鮨屋のカウンターで、美味い、美味いと何度も口にする客がいるが、あれは職人に失礼である。
私は碌なものを食べていませんと言っているようなものだ。
第一、口にする度に、美味いでは、職人をからかっているのと同じではないか。
 大人の男は他人を驚かすようなことをしてはいけないと思っている。だから、派手な服装もしない。
色味もそうだが、デザインも落着いたものを着用するようにしている。
希にびっくりするようなデザインや色味の服装をした人と席を同じくすることがある、
相手がいきなり、とんでもないことをはじめるのてはと思ってしまう
(たとえば急にテーブルの上で踊り出すとか、全裸になってパンツを頭に被るとか)。
だから早々に、その席を立つ。
 私は携帯電話を持たない。大人の男の遊び場で、あんなものを耳に当てて恰好か悪いと思わないのだろうか。
指先を細かく動かして何かを済ませたり、耳を欹てたりすることは、
どこか空巣狙いに似ていないか電話で済む用事は用事ではなかろう。
ましてや恋愛が電話でどうにかなるなら、それは贋ものだ。
 この頃、バッグを持って歩く男を見かける。いったい何か人っているのだろうか。口紅か、小鏡か。
 銀座の酒場で、相撲取りがバッグを片手に携帯電話をかけていた。
 これでは相撲は凋落するはずだ。
 外国人から見ると、日木人は喜怒哀楽を表情に出さないらしい無表情な民族だと言う。どこを見ているんだ、と思う。
そんなことを口にする外国人はせいぜいー、二世紀の歴史、文化しか持たない国(たとえばアメリカとか)の人が多い。
人間の表情の繊細さが読み取れない者が、いらぬことを言うな、と思う。





露とおき 露と消えぬる 我が身かな ○○のことは 夢のまた夢
9月18日  (火)  0917  0918 0912  0913  0914

「反日デモ」は満州事変勃発の日を迎え、ますます盛ん。1万人を超すデモがあったという。
でも中国の新聞にはその様子はほとんどでないし、
テレビでもデモのあったことの報道はあるが、映像は一切流れない。
昨日、天津でもデモがあったのかどうか、知りようがないのだ。
ちょっとした交通事故でも記事になるのに、何千人ものデモが報道されない。
参加している人たちはどんな気持ちなんだろうね。

今日は一日全く外出せずにずっと家にいた。
別に日本人を見つけたら殴ってやろうと天津の庶民が考えているなんて思ってはいない。
なにしろ天津伊勢丹だって平常営業できるほどの天津情勢である。

 溜まっていた一週間分ほどの新聞を読んだ。
 10日が「教師節」だったので、それにまつわる記事もかなり出ていて興味深かった。
 その内の一つ、ある中高の先生
 毎日7時には出勤し、退勤は午後9時。毎日少なくとも5時間は教壇に立つ。
 その先生曰く「私の身分は、先生、父母、医者、看護士、保母、警察」
 日本も中国も同じなんだなぁ、いや、この頃の日本の先生が失いかけているものが
 中国では生きているというべきか。

右は、旅行の広告である。
10日の新聞では「日韓」の覧に韓国3つ、日本4つ、日韓1つが出ていたが
17日の新聞では「日韓」の覧はあるが日本旅行は消えてしまっている。





猫じゃらし 吾が手に持てば 人じゃらし  山口誓子
9月17日  (月)  0917  0911 0912  0913  0914

「デモ」というのは自分たち大勢の意見や主張を知ってもらうために
公館に向かって、或いは街頭でしみんに向かって開示行動をすることだと思う。
自分の主張を知らしめるために関係のない人々を巻き込んで殺害したりというのは「テロ」である。
尖閣は中国領だとの主張をするために関係のない商店を襲ったり、車を破壊したりするのは「テロ」に近い。
ただ、「テロ」との違いはテロをやる人は自分の命をかけているが、
「デモまがい」は人の影に隠れて略奪や暴行を行っていることである。


デモは相変わらず北京や上海、広州などでは続いている。
天津は静かだけれども、なるべく外出を控えるように、
との大使館からの緊急通知も毎日届いている。
なるべく外出はしないように、とは思うけど
こちらも生活がある。郵便局に行って「在留証明」を
日本の共済に送らなければ年金が停止される。
昼飯も買わねばならぬ。
やむなく外出したが天津の街はのどかなものだ。

これも「反日」でものおかげで、
日本向けの旅行者が激減しているそうな。
そのせいかどうか、
ドアに日本向け旅行の
パンフレットが挟まれていた。
大体一週間程度、
1万元前後というのが
相場のようだな。

私の神戸行きと比べれば、かなり安い感じだ。
同じ一週間程度、私は温泉旅館にも泊まらないし、蟹も食わないけど、これ以上かかっている。





おりとりて はらりとおもき すすきかな  飯田蛇笏


9月16日  (日)  0910  0911 0912  0913  0914

「金魚の糞」という言葉を待つまでもなく、魚には肛門はあるんだろう。
産卵した鮭の卵に牡鮭が精子をかける映像を見たことがある。
卵は、精子はどんな器官から出てくるんだろう?
それよりも魚はおしっこもするするんだろうか?


老人大学「太極拳」第2回目。
@の写真はデジタル雑誌「人民中国」から拝借、私たちの練習風景ではない。当たり前のことだけどね。
練習もちょっとは格好がついてきている
新しい教室は二面に大きな鏡がついている
これが随分邪魔だ。
いままでいい気持ちで演じていたのに、
いちいち自分の姿を見せつけられる。
想像とは随分違う。
イメージでは@の写真のように
やっていたはずなのに・・・・

エレベーター前に短期講座募集の張り紙が出ていた。
「中国茶芸」などもあるようなので、申し込んでみようかと思っている。


中国各地の「反日デモ」ますます盛んである。
明日、明後日ぐらいまではがんばるんだろうね。
そのへんでお上から、もうええ加減にせーという合図が出て「運動」はお終いになる。
というのが、いつものパターンなんだけど、今回はちょっと不穏な傾向もある。
中国政府も「尖閣」獲得に気合いが入りかけているかも知れない。
一方、日本政府も中国の公艦が尖閣領域に入ってきても見過ごすことは出来たかも知れないが
中国漁船が大挙「領海」に入ってくれば、拿捕という挙にでなければならなくなるかも知れぬ。
それを阻止する中国公艦(準軍艦)との衝突になると、海上保安庁では間に合わなくなるかも知れない。
そんな馬鹿なことになるなよな。
尖閣は日本領だが、その領海内で中国漁船の自由活動を容認する。
尖閣は中国領だが、中国国民に実害を与えない限り、海上保安庁の活動を容認する。
ぐらいで落ち着けばどうだ?


夕方、近くの友人から、蟹が手に入ったから飲みに来ないか、との電話をいただいて
飲みに行き、いろいろ歓談。彼は白酒、私は日本酒だ。






9月15日  (土)  0910  0911 0912  0913  0914

干支とか星座による占いはどうにも信じる気にはなれないが、
ほうっと思わせるその話柄の取り上げ方、文章術はなかなかのものである。
占いとは一緒に出来ないが鍼灸におけるツボは科学的な説明はあまりないし、説明されても理解しにくい。
でも「経験則」としては文句を挟めないくらいの信用度を獲得しているのではなかろうか?
ここまでは前振り。
で、生命線や環状線などの「手相」は経験則として信用できる線までいっているのだろうか。


日本ではまだ30度を超す残暑、加えて
台風16号の接近で浸水や土砂災害も心配されている。
天津ではまさに、秋たけなわ、朝からいい天気である。
中国全体でみればこの天気も「デモ日和り」のようで
各地で反日運動会が盛大に催されている。
いつものことだが、今度も天津は比較的静か。
伊勢丹やセブンイレブンなど日経スーパー等も
中秋節向け「月餅商戦」の真っ最中である。

年金受領のため、生きていることを公的に証明しなければならぬ。
「在留証明」というのをとりに行ってきた。
日航ホテル、領事出張サービスとあって、大丈夫かい?とちょっと心配したが
なんということもなく、すらすらと手続き終了。
「お役所仕事」なのに、それでも日本の仕事は親切・丁寧・迅速だと感心する。
この十年間でずいぶん変わったとは言え、中国ではなかなかこうはいかない。
そのあと、図書大厦に行って本と雑誌を各2冊買い、
伊勢丹でコーヒー豆などを買って帰った。

「歴史の活力」 宮城谷昌光著 読了。歴史教訓物語といった内容である。
その教訓を一つ二つ
「私は歴史に関心をもっている。まだ二十代の若い頃から、昔の人がどんな技術を持って、どんな生き方をしたかということを、
私なりに見限めたいと思っていた。(中略)歴史とは、いつわりも真実も、気まぐれや偶然も、
すべて時代の流れの中でいろいろなかたちをとりながら伝達されてきた、とても価値の高い情報なのだと思う」 (本田宗一郎 P243)

一、およそ回易の事は、有無を通じて人と己を利するなり。人を損じて己を益するにあらず。
  利をともにするは小なりといえどもかえって大なり。
  利をともにせざるは大なりといえどもかえって小なり。おもうところの利は義の嘉会なり。
  ゆえにいわく、貪賈これを五とし、廉賈はこれを三とすと、思うべし。
一、異域の我国における、風俗言語異なるといえども、その天賦の理、いまだかつて同じからざるなし。
  その同じさを忘れ、その異なるを怪しみ、すこしも欺詐慢罵することなかれ。
  彼かつこれを知らずといえども、 我あにこれを知らざらんや。信は豚魚におよび、機は海鴎をみる。
  惟うに天は偽欺を容れず。我が国俗を辱しむるべからず。

少し長いが読みやすくして引用してみた。
 回易、つまり貿易の仕事は、物をやりとりするばかりでなく、文化など無形のものを通じて利益があるものである。
人に損害をあたえて自分だけの利益をはかってばならない。
国どうして利益を共有することは、たとえそれが小さなものでも、結果としては大きなものになる。
逆に利益の独占はゆくゆく何の発展もみられない。利益と道義とは一体のものである。
貪欲な商人か五をとるなら、清廉な商人は三をとる。そこのところをよく考えるべきである。
 
外国はわが国とくらべて風俗や言語はちがっているとはいえ、天からさずかった人の本性はおなじである。
それを忘れて、外国人が風変わりであるといって、だましたりあざけったりしてはならない。
むこうの人がどうあれ、こちらはそれを肝に銘じるべぎてある。まごころはイルカにも通じ、たくらみはカモメにもわかる。
天は人のいつわりを許さぬであろう。道義を踏みあやまってわが国をはずかしめてはならない。  (角倉素庵「舟中規約」p186)

『論語』にはずいぶん人物評論があり、人材発掘の原則がしめされている。
  与に言うべくしてこれと言わざるときは、人を失う。与に言うべからずしてこれと言うときは、言を失う。
(語るにたる人物であるのに、語り合おうとしなければ、その人を失ってしまう。語るにたらない人物と話しても、ことばのむだてある)  (p172)

「天が、重大な任務を人にあたえようとするときは、かならず、まず、その人の精神を苦しめ、その筋骨を疲れさせ、その肉体を飢え苦しませ、
  その行動を失敗ばかりさせ、意図を食いちがうようにさせる。これは天が、その人の能力のないヒころを、できるようにさせろ試練である」 (孟子 P18)





9月14日  (金)  0910  0911 0912  0913  0914

完全に忘れて記憶の端にも残っていないような幼い時の一齣がが、ふと夢に現れたりする。
完全に記憶が無くなっていたわけではない。記憶にはあるのだが、思い出せなかっただだ。
そういう「思い出せない記憶」っていったいどれくらい私の頭の中に詰まっているんだろう?
忘却とは忘れ去ることなり。忘れ得ずして忘却を誓う心の悲しさよ


DVD「瑠璃の島」看了。
実際にあったノンフィクションを元にして作ったという10話のドラマで
人口46人、子ども一人というちっちゃなちっちゃな島(鳩海島=実名・鳩間島)が
小学校の存続のために東京の施設から里子を貰ってきてくる。
その子をめぐる島の生活である。このドラマ以前に見たことがある「はず」だ。
場面ごとに確かに既視感があるのだが、その一歩先が全く想像できないため、
ついつい見続けてしまった。見たら思い出す、けどその先は無いという、何かヘンな感じだ。
見たことすら思い出さない様になるのは、あどどれくらいの時間なんだろう。

「中国の激流 13億のゆくえ」與梠一郎著 読了。
実例列挙で次のことが書かれている。

 序章 岐路に立つ改革

 第1章 地殻変動
   1 震源地』−農村でいま起きていること
   2 土地は誰のものか−地ヒげと小動産バブル

 第2章 官が民を食いつぶす
   1 権力−腐敗の構造
   2 私営企業−宮支配の構図
   3 中国政治と企業統治・・・・国有企業はどこへ

 第3章 成長のひずみ
   1 政治化された経済
   2 二極化する社会

 第4章 未来への胎動
   1 民主への摸索
   2 民権運動−目覚める民衆

 終章 激流のなかへ

「中国激流」の流れの中では「尖閣」なんて・・・・ということなんだろうな。
北京では4日間デモが続いているという。
裏千家同好会の茶道の練習会は急遽中止になった。
明日は尖閣国有化後最初の土曜日とあって中国全土で反日デモが計画されているとか・・・
われわれ草の根は粛粛と太刀魚の煮付けやたこ焼き、ラッキョでマッコリーを飲んでいる。
明日の領事出張サービスがなくなりませんように・・・・・





9月13日  (木)  0910  0911 0912  0913  0907

「尖閣」が尖鋭化している。
相手国の大使館に「尖閣は我らのものだ!」とデモをかけるのは解る。
また、自らの領土と信じるから、そこに強行上陸というのも解らないではない。
けど、日本企業がスポンサーに名を連ねているマラソン大会が出来なくなったり、
天津で行われる筈だった裏千家のシンポジウム、日本人会の「落語会」が中止、
ついには食堂で飯を食っていた日本人が殴られたり、蹴られたり・・・・
これで領土問題が解決するのか! やっている人はそうおもっているのか!
内部的な「ガス抜き」の意味合いがあるのかも知れないが
小中学生の運動会をぶっつぶして、スカッとしたでいいのか!


天津でやっているロシアサーカス(中国語では「馬戯」という)を見に行った。
旅行社を通じての大割引で380元の席が65元である。
380元の値打ちがあるかどうかは別として、65元の出し物としては十分に満足できるものだった。
天津にいらっしゃるなら、10月20日までやっているので一度ご自身でいってみられることをお勧めする。
写真が悪くて申し訳ないが、一応のご紹介までに。



サーカスは7時半開演なので、その前に近くのラーメン屋で
ラーメンを一杯食ってから出かけた。
サーカスは決して満員とはいえないが、結構人も入っていた。9時に終了。
大急ぎで焼き肉屋に行って、ビールと焼き肉を食ってから
近くの韓国系スーパーでマッコリーを買って帰って、ちょっと飲み直す。









9月12日  (水)  0910  0911 0912  0906  0907

またまたスポーツの種目の話だが、
走る、投げる、跳ぶ、滑る、投げる、射つ、闘う、泳ぐ、潜る
みんな人が生きるために不可欠だった技能ばかりだ。
それなのに、どうして(木に)「登る」が種目から消えてしまっているんだろう?

いい天気である。
日陰を歩くとか風がひんやりとして気持ちがいいし、
日なたをあるくと日差しがほんわかと暖かくて気持ちがいい。
見上げれば昼も夕方もさわやかな空が広がっている。
いつもは夏からいきなり冬になってしまうような感じの天津だが
今年は「秋たけなわ」という言葉が
ぴったりとするような日が続いている。
こんなにいい季節を堪能しながら、ひょっとしたらこれが天候異変のプラス側の表れかなどと考えてしまう。

老人大学「気功十二段錦」
前半の授業でこれを
一通り通してやった。
これは太極拳と違って
動きがゆるゆるとしているので
先生のを見ながらであれば
全員が難なくやり通せる。
後半は座布団のような物は片付けて、立った姿勢での新しい「気功」の練習が始まった。
大歓迎。これで足の痛さからは解放される。
と思ったら19日、26日は都合により休講、10月3日は国慶節で休み、
次の授業は10月10日から、と一ヶ月ほど先になってしまった。
「尖閣」のせいではないと信じている。

「気功」の帰り、
そのままバスを乗り継いで
サーカスのチケットを買うため
天津青年旅行社を探しに行った。
なかなか見つからず随分歩き回た。
青年旅行社を探していたのに
「青旅」となっていたので
見つからなかったのだ。
でも、丙席180元のチケットが45元と四分の一になるのだからすごいものだ。
さらに現場で20元をプラスすると380元の席に入れるという。

「冬のはなびら」伊集院静著 読了。
表題作の他、「雨あがり」「夏草」「遅い春」「陽だまりの木」「春泥」の6短編集。
いずれも人生を振り返った内容で、読んでいて大変におもしろい。
社長が三ヶ月後に控えた岡崎の定年退職に対して異議を唱え、他の社員たちも賛同したことがあった。
その時、岡崎は前に進み出て、
「社長のお言葉は大変に有難い。私も、この歳になってもまだ充分に会社のお役に立てると思うことが正直あります。
しかしそれはできません。この半年の間に私は二度仕事上のミスをしました。
些細なミスでありましたから是正はすぐにできました。三年前ならミスをした時に気付きました。
五年前なら、そのミスは犯しませんでした。若い人のミスにはそこから得るものがあります。
しかし壮年を過ぎた者のミスにはそれがありません。
我社の製品を考えてみて下さい。古い部品は新しいものにすべきですし、それが組織の中の人であるならなおさらです。
人生にも季節があります。それは部品の耐久年度と違って血が通っているものの季節です。
私は皆さんに良い仕事をするだけではー人前てはないと申してきました。その人が人格者にならねば、仕事の価値は半減します。
会社は今飛躍的な発展をしています。業績も素晴らしい。それは金を儲けようと誰一人考えなかったのが、飛躍の根本にあると思います。
仕事は自分以外の誰かのためになされるべきです。それが仕事の心棒です。
皆さんの心棒はさらに大く、大きくなります。その心棒を支えるのが、私たち管理部門の仕事です。
支えるに充分な力は、今の私にはあと数年はあっても、その先にはありません。
已を知ることが、人格の慣いです。人格の管理は経験が必要です。
一日も早く、若い人がそれを経験されるべきです。私は違う春を見ようと決心いたしました」
 岡崎が話し終えて、しばらくは沈黙が続いた。そうしてすぐに熱い拍手が起こり、いつまでも止まなかった。
社長が岡崎に最敬礼をしていた。 (「陽だまりの木」)

次なんかは私を取材して書いたのかと思われる一文である。
近頃は、つい今しがたしようと思っていたことを忘れたり、昨日、決めていた家の仕事が思い出せない。
仕舞っておいた物の場所がわからない。身の周りのものが、時間とともに走って逃げ出していろような気がしてくる。
そのかわりに、とっくに忘れていたと思っていたことが、驚くほど鮮明に思い出される。 (「冬のはなびら」)
そうなんだよ。こんなに「おもしろい」と読みながら、
さっき読んだ「春泥」という短編のストーリーが思い出せないといのが今の私だ。
三重苦の女性の偉人、何という名前だった? キューリー? エリザベス? サリバン、あっこれは先生だ・・・・
考え続けておれば、そのうちにフイと思い出すんだけどね。









9月11日  (火)  0910  0911 0829  0906  0907

中国の大学生運動会の競技日程を見ていて解らない種目がある。
排球、籠球などはかつて日本が使っていたのと同じであるし、足球が蹴球のことだとも解る
では「田径」「定向越野」「橋牌」「○(毬の球が建)球」などとあるがどんな競技かわかりますか。
  (「田径」は徒競争のことみたいだ)

久しぶりに目覚ましで起きて、写真のような2階建てのバスに乗り天津師範大学に行った。
師範大学は選手用宿舎、選手用食堂、選手用浴場とまさに「全国大学生運動会」一色である。

見に行ったのは「太極拳(「武術」の部である)」の試合である。
体育館にたどり着くのにちょっと難儀しが、なんとか試合の開始には間に合った。
でも入り口で「票(入場券)は?」と言われたときにはびっくりしたな。
ここまで来て・・・と思ったけど、
学生たちに混じって堂々と入り口を通過すると別に誰何されることもなく入場できた。

う〜ん、なるほど、老人大学で習っているのとは大分ちがうわ。
飛んで回転して片足で着地してポーズを決めるなどというのが、得点の要のような気がした。
太極拳の他に「刀術」というのもひとつ見て帰った。
会場が寒くて堪らなかったので外に出ると、サッカーの試合をしいてたのでそれもしばらくながめた。

試合の他でおもしろかったのは
出場選手の名前だった。
風蕭蕭として「易水寒」とか
今時風に「戦東京」なんて
名前もあった。
できたことに「何笑」なんて人もいた。本名だよ。

朝飯を食わずに飛び出したので、
途中腹がへって困った。
いえに帰ってからと思ったけれど
堪らず天津大学の門前のマクドで
休憩がてら遅い昼食
30分程 本を読んだ。
右端は夜の飯だ。
まあまあのご馳走。





先週以前のブログは下の「過去のブログ」からご覧ください。