6月20日  (水)    0618    0619    0620    0614    0611

電気は「物」だそうだ。だから盗むと罪になる。水は勿論「物」だから買うのに金がかかる。
光は「物」じゃあなかろう。空気はあきらかに「物」だよね。でも盗んでも罪にはならない。
じゃ、「熱」はどうだろう? 「音」はどうなんだろう? 「匂い」はどうなんだろう?
水を掛けても罪にはならないかも知れないが、熱湯をぶっかければ犯罪だろう。
音は空気の波としたら、音を聞かせても罪とはならなくても、大騒音は「熱湯」と同じかも・・・。
エレベーターの中の「屁」(香水でも同じだが)は「熱湯と同じように罪に問われるかな

今日は涼しいというよりはちょっと寒さも感じられるくらいだった。
でも、バスは冷房を効かしている。運転手は暑かったんだろうな。
バスは乗客のものではなくて、運転手のものなんだから、これは仕方がない。

老人大「気功 十二段錦」前期最終日である。
このごろは「十二段錦」はあまりやらない。立ってやる簡単な「八段」が中心だ。
今日は「十二段」最後まで足の痛みなしに通せた。さすが最終日だと嬉しかった。


「雄気堂々 上」城山三郎著 読了。
明治の財閥、渋沢栄一の若き頃(幕末のころ)の物語。
渋沢栄一という人名前だけは知っているが・・・
という程度の人だが、
背景の「安政の大獄」とか「新撰組」「彰義隊」などの物語が
この間見たDVD「桜田門外の変」と重複して
江戸からちょっと離れた「武蔵」の国ではこんなふうに
伝わっていたのか、と面白かった。

小型のパソコンを引っ張り出してきて、
インターネット接続を試みている。
うん、なんとか行けそうだ。
これだと15p×22p程度なので携帯に便利
韓国まで持って行けるだろう。
ただ、今使っているパソコンのデーターの必要部分を
移し替えてやらねばならないのが、かなり面倒。
容量が小さいので精選して移転しなければならない。





6月19日  (火)    0618    0619    0613    0614    0611

ウサギは寂しかったら死ぬという、犬は三日飼われたら恩を忘れないという。本当だろうか。
動物にもそういつた「心」の働きがあるのだろうか。
しすし、猫には「恥」の心はあるように思う。
机からの飛び降りに失敗してつんのめったりした時、
明らかに顔を赤らめ、知らぬ振りを装うのを何度か見た。
他の動物の中に「美」に「感動」したり、性愛ではない「恋愛」をしたり、
自然に向かって「歌を歌ったり」、子どもに「物語を語ったり」・・・などする者もいるんだろうか。

我が家では電気と水道は前払いである。
メーターがゼロになると自動的に、否応なく停電・断水する。
10月までの生活費はかなり危なくなっている計算が立っている以上
金のある内に電気・水道の手当をしておかねばならぬ。
  (ガスは集金なので払わなくてもいきなり止められることはない)
電気1000キロワット、水100立方メートルを買ってきた。これでなんとか10月までは停電・断水は無いだろう。
大飯原発再稼働よりはもっと手際よく、計画的である。

       
DVD屋で18タイトル購入、このうちの幾つかは韓国旅行の暇つぶしに iPod に入れていく。
免税店、土産物店での暇つぶしだ。これで衝動買いが防げる。

喫茶店で1時間ほど本を読んでから、夜は「鳥内会」という焼鳥屋に行く。
ここは完全に大阪梅田の焼鳥屋という雰囲気だったんだけど
今日の客は全部中国人で、怒鳴り合うような話し方で雰囲気丸つぶれ。
これじゃあダメだわな。






6月18日  (月)    0618    0612    0613    0614    0611

和讃に「衆生本来仏なり、水と氷の如くして、水を離れて氷なく・・・」。
と言うのがあったが、水と氷、これは違うもの? 同じもの?
すくなくとも形態というか、状態でき違うよね。水をどんどん冷やしていけば氷になる。
じゃ、水と氷の間を渡る時、もう水ではないがまだ氷でもないという時があるはず、
それは水ではない、氷とも言えない、じゃあ何というんだろう?

きょうは一日家にいたんだが、午後ちょっと銀行へ年金の確認に行った。
今回はちゃんと入っていたが、それを中国元に換金して
更新を控えている家賃1年分を差し引いて残額を計算すると、
10月までの生活費はかなり危なくなっている。
日本の政治や地球の環境などの危うさと比べると、まだまだ何とかしのげそうな危なさだけどね。

ちょうど幼稚園の退園時間だったらしく、
幼稚園の前は両親・祖父母、自家用車・オート三輪・タクシー・自転車で黒山の人だかり。
歩いている分には園児の可愛さに許す気持ちにもなれるのだが、
バスなんかもこの十数メーターを抜けるのに10分以上はかかるのだ。
バスやタクシーで急いでいるときにはホント苛つくんですよ。
       





6月17日  (日)    0611    0612    0613    0614    0615
                              風邪で元気がないので「コーナー」は14日、15日はお休み。18日から再開できるかな。ま、そんな必要もないけど・・・・・

明治以前の人々は皆「髷」を結っている。
武士と農工商ではちょっと違うし、女性の場合も未婚・既婚ではかなり違う。
平安時代、すでに貴族は髷を結っていたようだ。
「髷」っていつから始まったんだろう? 大国主命はやっていなかったようにおもうな。
それと、普通「ちょんまげ」っていっているけど、あの「ちょん」はどういう意味なんだろう?


きょうもまた、思いっきり暑い。
予報では最高気温37度と言っていたが、私の温度計では35度だった。
暑い中、頑張って老人大「太極拳」にいく。
今日から新しい校舎で、と言っていたが写真の通り、校舎はまだ出来上がっていなかった。
そう言ゃあ地下鉄も6月中旬と言っていたがまだ動いていないな。


帰りにそのままバスを乗り越して「大悦城」に行く。
アウディーの宣伝をやっていた。
中国では「百得利(バイドリー)」と言うんだな。

「胡椒碾き」を買った。150元もした。
ま、きれいなものでそれなりに納得。
風呂に行って、ビールのあと
残っていた「久保田」でグラタンを食って寝る。





6月16日  (土)    0611    0612    0613    0614    0615
                              風邪で元気がないので「コーナー」は14日、15日はお休み。18日から再開できるかな。ま、そんな必要もないけど・・・・・

@ 夫と妻の夫婦間で生まれた子。
    ごく普通の嫡出子(夫婦以外間であっても別にかまわないが。)
A 夫の精子と妻の卵子を試験管の中で受精させ、第三者の女性の体を借りて出産した子。
    試験管ベビー・代理母として実現している。極端な場合、処女の母親もあり得る
B @と同様であるが、遺伝子を操作して夫及び妻のマイナス要因を除去した子
    植物等では実用済み。確かに自分の子であるが、親子の類似は乏しい。
C 体の一部の組織から再生させた子。
    クローン。動物では実現している。親(?)と酷似していると言うが・・・
ABCはどのあたりまで許容できるんだろうかねぇ。

日本は全国的に雨のようだが、天津はまずまずの天気、相変わらず暑い。
風邪は完治した気分だ。
曲阜で働いている友人から電話。
月曜日の早朝にはまた曲阜に帰るんだけど、先ほど帰津したので、との挨拶と我が風邪の見舞い。
日本語教師会では3人の先生がやはり6月末で仕事を辞めて天津を去っていかれるが
この友人の場合は6月末で仕事を辞めて天津に帰ってくるという。
今日の日本語教師会はこのたび天津を去っていかれる先生の話を中心に日本語教育のいろいろを考えた。
その内のお一人は教師会の代表だったので、
その後任を決める必要があり結局は私がもう一度代表を勤めることになった。
前にも2年間ほど代表をしていたが、それは曲阜の先生の後を継いだものであった。
食事会はいつもの場所を変え、違った雰囲気で。
その食事会には
今回日本へ帰られる代表の前に代表をされていた先生が日本から来られて参加、華を添えられた。






6月15日  (金)    0611    0612    0613    0614    0615
                              風邪で元気がないので「コーナー」は14日、15日はお休み。18日から再開できるかな。ま、そんな必要もないけど・・・・・

「寝る」と「眠る」はどう違うのかな。
「寝る」というのは横になる、臥す。「眠る」はグーグー睡眠。
どだい、読み方も違うな。「ねる」では「眠る」は出てこないよ。
でも「寝言」は横になってしゃべる言葉じゃないよな。睡眠中にしゃべるんだけど「眠言」とは言わない。
俳句の季語では「寝る」「眠る」の区別はないみたい。

闘病生活三日目。
横になって寝ていても、そうそう眠れるものではない。
「今日限りの命ともがな」はおおげさにしても
「寝なましものを小夜ふけて」とか「長々し夜をひとりかも寝ん」など考えている内に
「風邪を病み洟かむのみのおのれのみ砕けて物を思ふころかな」に落ち着いた。
でも、おかげさまで(?)随分良くなってきた。明日の日本語教師会は大丈夫だろう。

暇にまかせて「蛍川」宮本輝著 読了
78年の芥川賞受賞作で、映画にもなっている。
それに「流転の海」シリーズ等の背景としても面白かった。
「泥の川」も収録。
こちらは太宰治賞でこれも映画になっている。

DVD「桜田門外の変」看了
随分前に買って積んどいたものだが、2010年公開の映画だったんだな。





6月14日  (木)    0611    0612    0613    0614    0608


バンザイ!(万歳!)っていつごろから言い出したんだろうな。
戦国時代には戦いに勝ったら「えい、えい、おー!」だったみたいにおもう。
萬歳という言葉自体は「萬歳楽」とか「三河万歳」とか。
やっぱり明治陸軍かな。じゃあ、誰なんだろう? 大村益次郎あたりかも知れないな。

今朝は8時過ぎまで寝た。わりあい気分良く寝たのでもう治ったかなとおもったがいけない。
相変わらず鼻水たらたら、くしゃみ風発。
なんとかブログの更新だけやってまたすぐに寝た。
夕方になって、ブログが更新されていないがどうかしたか、との携帯メール。
携帯は枕元にあるので病人にも直通だ。
えっ、と思ってまた机に座った。たしかに更新はしたのだが、肝心のプログラムをUPし忘れていたのだ。

数日前から読みかけていた「日本人の原型を探る 司馬遼太郎歴史歓談T」を読み終えた。
とはいっても後半はほとんど頭に入っていない状態での飛ばし読みだし、
途中本を持ったまま何度も寝込んでしまう状態であったのですが・・・・

   目次

日本人の原型を採る     湊川秀樹
稲作文明を探る       岡本太郎
公家と武家         富士正晴
古代史の人間を語る     直木孝次郎
日本海圈文明を考える    有本教一・林屋辰三郎
経国の大業         福永光司
なぜいま「日本の古代」か  森浩一・大林太良
多様な中世像。日本像 現代日本人の源流を探る  網野善彦
天下分け目の八間模様    原田伴彦

そのうち岡本太郎との対談の一部をご紹介。

司馬 利休もそそだろうと思うが、利休が出る素地だった堺の町人が茶をやったのは、一つはやはり南蛮文物への憧れですね。
  あの狭い茶室で、きょうは文交趾シナからこんな香盆が届きましたよと見せる。茶室の薄暗がりのなかで、紙障子を通してくる光で、
  交趾シナの香炉は原色の黄と緑ですから、非常に鮮明なものです。それは非常に美しいと同時に、海の彼方で、自分は見ないけれども、
  目分の家の船で、手代が乗って行っている、その南海の果ての文物への憧れですよ。その憧れは、場合によったら遥かにローマに通ずるものかもしれない、
  と思いながら、潮騒の音を聞くような思いで鑑賞している。お茶の初めのそういう精神は、非常に前衛的なものだったでしょうな。
  利休にも前衛的なものがあって、彼が切腹して死ねたのも、やはり前衛精神ですね。しかし、彼がこれは美だといったのは、同時に、
  多分に弥生的なものです。朝鮮の職人の飯茶碗を持ってきて、これは非常におもしろいんだ、と,いくら考えても飯茶碗です。
  それは、無名の工人がつくって、無私の姿がここにあって、無私の姿は大地と同じだということもいえます。
  だけど、これに美を見出しだのは、弥生式の非常にペロッとした、天地と同じにいる、風が吹いてきたなという感じの、
  大地と同化するみたいな美意識と通ずる。天地を動かすというのは、岡本さんの好きな縄文式。たとえば火炎土器を見ても、
  これはイマジネーションの世界ですけれど、やはり雨よ降れ、あるいは、風は止めというか、なにか天地の神霊を動かす感じがある。
  それに対し、弥生式は天地の神霊と同化しようとするところがあって、非常に違う。
岡本 やはり縄文時代は狩猟採集文化であって、弥生はなんといっても本質的に農耕社会である。
  それは歴史的に、つまり縄文土器に米粒がついていたとかいうか、なにも農耕以前だって、米とかいろんな雑穀は自然にあっただろう。
  たとえ農耕があったとしても、いわゆる農耕社会とは基本的に違いますよ。やはり自分の力で自然の神秘に挑むという孤独な生き甲斐を土台としたのが狩猟社会、
  その文化であって、農耕になると、お願いします、雨を降らしてください、雨があまり降りすぎると、天気にしてくださいと頭を下げて祈る。
  つまり逆に宇宙との分裂がはじまるんだ、狩猟時代では、まだ人間は宇宙と一体の面があった。宇宙に挑み、運命に挑むから……。
  ところが農耕社会になると、挑めないんだね。だから、変にシユンとしちゃうところがある。これは大変直観的な話なんてすが、
  朝鮮もたしかに農耕的なものを土台にしていたかもしれないけれど、しかし朝鮮には遊牧民族の伝続がありますね。
  十年近く前に初めて韓国に行ってものすごく感じたのは、なにか流動性ね、すべてつくられたものが、色も形も流れるという感じ、
  ほんとうに北風が通ってゆくような感じがして、日本みたいにパタッと座蒲団に座った感じとか、
  あるいは中国みたいにドガンと座って勤かないという感じじゃなくて、スッと通り振けていく,それを強烈に感じた。
  それでぼくは朝鮮にほんとうに惚れ込んじゃったわけだ。


司馬 ベトナムに行くと、どんな人でも輪廻転生を信じている。人間生まれ変わると皆信じておりますよ。
  サイゴン入学の秀才の女子学生でも信じていて、この世に怖いものは仏さまたけだという。
  仏さまは、いわゆる大乗仏教の仏さまというよりもちょっとデーモンみたいになっている仏さまだな。
  輪廻転生の監視者として、お前は悪いことをした、だから来世は犬だというやつ。
  犬になりたくないから、お寺に行ったら一所懸命お賽銭をあげたり、乞食さんにお金をあげたりする。
  みんな信じている。やはり中世の気分が生き生きと生きている. 岡本 インドはもっと哲学的ですね。つまり輪廻の思想ですね。たとえばインドに行くと、白い巾をかぶってそのまま道でごろっと寝ている。
  それはどんな悲しい惨めな状況かと思うと、じつは輪廻の思想があって、現世のことは何事も与えられた運命だ、
  それに殉じれば、次の来世はもっと高い次元に生きて、最後には、ブラフマンと合体すると考えているわけでしょう、
  だから動じないんですね。これは非常に哲学的で、ぼくはインドにこそ哲学があると思うんだけれども……


司馬 アジアでは、とくに肉食のモンゴル人は、わりあい長生きしたがるんですよ。遊牧のほうは、動物が死ぬのはいちばん怖いでしょう。
  モンゴル人民共和国という社会主義を一所懸命やっているところでも、狼による害がいちばん大きい。死ぬということは損することだ。
  一方、草食のほうの、同じモンゴロイドでもベトナム人は、自分は長生きしたがるかもしれないけども、大体において死ぬのはわりあい平気だな。
  草が刈られていくように、冬になれば枯れていくように、なんだか知らないけど平気です。
  稲作の世界ては、死ぬことは、ひょっとしたら、輪廻転生かもしれん、来年も米はできるんだからというふうな程度で思っているのかもしれない。
  ベトナムヘ行って、変な感想だけど、内乱を長びかせている底にこんなものもあるんじゃないかと思つたな,
岡本 エスキモーは、一定の年になると、船を出して、みんな海に飛び込んで死んじゃう。うまく死ねない奴もいるわけね。
  そうすると、一番かわいがられていた娘がおじいちゃまとかいって、どうしても浮いてしまう顔を海の中ヘグッと突っ込んでしまう。
  とても優しくね。つまり姥捨てなんだ。
  まあ南太平洋でも、ちょっと離れた森の中へ仮小屋みたいなものをつくって、おじいさん、おばあさんを置いて行っちゃう,
  若者は陽気にその小屋造りを手伝って死ぬことに協力する。ぼくはそういうのは非常に正しいことだと思うね。





6月13日  (水)    0611    0612    0606    0607    0608


目が2つあるのは目的の物の距離を推計するためだ。。
耳が2つあるのは音のみ方向を推察するためだ。
じゃあ、鼻の穴が2つあるのは何のためなの? 臭いの方角を知るためとは思いにくいけどなぁ。

風邪をひいたらしい。
鼻が詰まって苦しく、朝の3時半ごろに目が覚めた。
もう少し、寝なきゃあと思って頑張ったけど、寝られないので4時に起き出した。
メールを見たり、ブログを書いたり、本を読んだりしていたが、やっぱりしんどい。
ウィスキーをオンザロックで飲んで7時にまた就寝。

今度は10時に起きた。今日は「気功」の日だ。
多分、今日が前期の最後の日
だと思うので
風邪をおして出かけた。
「十二段錦」は一回だけで
あとは「八段錦」
を何回もした。
「気功」の授業は来週も
あるとのことだった

風邪はずっと治らない。気功中もハンカチが離せない。だんだんひどくなっているみたい。
若いころからずっと、私にとっての風邪の特効薬は「授業」だった。
少々、熱が出ようが鼻水が出ようが、授業をすればコロッと治るというのがいままでだった。
授業が無くなってからはどうも、風邪だけではなく無気力も長引くな。

家にたどり着いてすぐにまた2時間ほど
どたっと倒れ込んで2時間ほど寝た。
夕方に起きて、早めに
日本酒と湯豆腐、太刀魚の煮付け、中国焼き餃子と
ホントに軽いDVDで、早々とお休みになる。
透明で塩っ辛い鼻水が大量に出る。
時々、くしゃみが出る。熱いのと寒いのとの繰り返しだ。
♪明日はいずこの峰か・・・・





6月12日  (火)    0611    0612    0606    0607    0608


目から鼻、眉唾、片腹痛い、などはまあまあ何とか解る。
でも、「へそが茶を沸かす」っていうのはどういうところから来たんだろう?
意味は「笑止千万」ということだが、こっちもやっかいだ。
なんで「笑止」なんだ? 笑いが止まらないんじゃあないのか?

久しぶりに盲人按摩に行った。
いつも予約して頼んでいる35番のマッサージ師は
もうやめていないとのこと。
しょうがないので男だったら誰でもいいと頼んだ。
下手というか、熱心でないというか、ダメだった。
また、気に入った人が見つかるまで
ぶっつけ本番でやっていかねば仕方がないか。
夜はまた、こういうところで串焼きを。





6月11日  (月)    0611    0605    0606    0607    0608


昔、クレオンやクレパスに肌色という色があった。
何かよくわからないが人種差別につながるとかで、このごろは肌色というのは無いらしい。
チビクロサンボはダメだけど、黒色はOKだ。
空色や水色、茶色は健在だ。茶色っていうけどどの茶をさしているんだろうね。
茶は文句言わないからいいけど。

ちょっと買い物に出た以外、ずっと家にいた。

「枕詞の暗号」 藤村由加著 読了
古事記、万葉のころの日本は日本語の他に
中国語や朝鮮語がごく普通に飛び交っていた
多言語社会であったという前提に立って
難解とされている当時の言葉を再解釈してみようというものである。
あとがきに

『人麻呂の暗号』『額田王の暗号』『古事記の暗号』に続き、『枕詞千年の謎』が名前も改まり「枕詞の暗号』として文庫化されることになった。
今回再読してみて、枕詞は実に多彩な色合いを放っていることに改めて驚いた。
朝鮮語音、字形分解、字源、漢語を和語にしたもの、陰陽五行、易の思想など、すべて漢字という器があったからこそ成し得たことだった。
さながら歌人たちの珠玉の工芸品の様なものだったのである。
五音という限られた字数であったことも、逆に様々なバリエーションを生み出していったのだろう。

とある。
発想的におもしろいし、そういうことも十分あるだろうと思うんだけれど、
何か思いつきが先走っているようで、入り込めないな。
例えば 枕詞「あらたまの」の項は次のようである。

 "荒玉”は”璞”と表記される例がある。まだ磨かれていない原石のことであるが、この原石と時がどのようにつながるというのだろうか。
 原石は、磨くことによって美しい玉へと変身する。
つややかな光沢も、美しい筋目模様も磨かれてはじめて現われてくる。つまり、荒玉の中には美しい玉が隠されているわけだ。
荒玉は、美しい玉になる前の姿ということもできよう。どうやらこの変移が、時と結びつきそうな予感がする。
原石から玉になるという変移は、見えなかったもの(光沢・模様)が表に見えてくるということである。
「玉」が「見える」ようになる と考えをすすめたとき、脳裏をひとつの漢字がかすめた。
 "現”である。玉プラス見で形づくられた漢字だが、これは、今まで見えなかった模様・すじめが、見えるようになることから、
「現れる」意を示しかものである。"現”の漢字の意味もまた、原石から玉の変化によって"現れる”意を示していったのである。
"荒玉”は”現“の意味とぴったり一致し、その意味を”荒玉〃とほどいていたのだ。
これもまた”現〃の字形分解によって造られたことは明らかである。  現は、「現代」「現在」というようにあらわれてきた今という時を表わす。
今という現実を形として表わそうとした時、玉の原石に”見えてくる”現れる”という現象を映し出したのである。






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