2月10日  (金)    0206    0207    0208    0209    0210


「春眠暁を覚えず」という。
今朝 起きたのは8時、暁はとっくに過ぎ去っていた。
昨日は4時ごろだ。暁までにはまだまだだった。

今日も 宮部みゆきの短編集「かまいたち」である。
その中の一遍「迷い鳩」の冒頭である。

 日本橋通町は、江戸中のありとあらゆる品物の問屋街である、時節を限らず一年中、行き交う人がひきも切らない。
 そのにぎやかな人通りのなか、お客の切れ目に「姉妹屋」の店まわりを掃除し、打ち水をしながら、お初は軽く鼻歌を歌っていた。
 手桶の水はまだ冷たいが、ほうきを使うためにかがんだ背中やうなじにあたる日ざしは心地よい。温かな手で撫でられているようだ。
 お初のかたわらを、重そうな荷をしょった行商人やら、白粉のいい香りをさせた姐さんたちが通りすぎる馬もいけば駕籠も通る。
 その間をぬって、使い走りか、前垂れにたすき掛けの商家の小僧さんが駈け抜ける。
 通りを彩る立看板や屋根看板も、春の光の下、色合いもいっそう美しい。
 お江戸はなんてきれいな町だこと。この町で生まれたあたしは幸せもんだこと、今さらのようにそんなことを思っているお初だった。

こういう部分がホント好きなんだ。

それから今日はこの間買ってきた「42式太極拳」のDVDをゆっくりとみた。
今度の演者は女性である。前のは男性の演者に年寄りの先生が出てきて
いろいろ理屈をいっぱいしゃべりまくっていたが今度のはそういうこともなくて見やすい。
もう、2月も10日だ。そろそろまじめに太極拳の復習もせにゃあな。

 「Gang☆Gang」というところに
 夕食を喰いに行った。
 日本料理店ではないし、
 客も日本人ばかりではないのだが
 雰囲気が大変日本的。
 私は辛うじてカウンターに席をとれたが
 あとから来た人たちは並んで待っている
 というほどによく繁盛している。

ここでまた、偶然に知り合いの中国人と遇い、一緒に我が家に帰ってきて飲み直した。





雲南から北京へ
     M

  2001年3月


 
  引き続き「玉龍雪山」約5600m の頂上付近。
  
  息苦しいというようなことはなかったが
  特製の防寒貸衣装を借りねばならぬほど寒かった。






2月 9日  (木)    0206    0207    0208    0209    0203


買い物に出た。
伊勢丹→コーヒー豆、昼食
吉利屋→DVD 9タイトル。110元。
    たとえばその中の1タイトルの日本の定価は6090円(約500元)である。
    また、昨年12月末に放映された「坂の上の雲 完結編」もすでに出回っている。
図書大厦→隷書、篆書の練習帳、日本語教科書(音声付き)、道徳経その他のCD、DVD
鼓楼→墨、朱墨、筆、などである。


買ってきたCDを iPod にいれる。一部DVDで iPod に入らないものもある。

夜 酒を飲みながら「金八先生」看了。
30年以上にわたって放映されていたんだなぁ。
その想い出集みたいなもので、しょうもない。
今回用の、問題児設定も底が浅くてつまらない。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

学校出の印刷はもっぱらガリ版刷り(孔版印刷ともいう)だった。
ヤスリの上に油紙を置いて鉄筆で書く。
蝋がとれてそこだけインクを通すので印刷が出来るというわけである。
ヤスリも鉄筆もそれぞれの用途に合わせて何種類もある。
印刷は紙漉の枠みたいなものに蝋原紙を貼り付けてローラーで一枚ずつ刷っていく。
後に太いローラーに原紙を貼り付けてぐるぐる回して連続印刷ができるものができた。







2月 8日  (水)    0206    0207    0208    0202    0203


昨日と比べてかなり暖かくなった。昨日はマイナス7度を超していたものね。
今日は零下にはなっていない。「三寒四温」とはよくいったものだ。
「事始め」農事を始める日ということだそうだ。だからかな、今日も花火は盛んだ。
旧暦1月17日だのに今日が満月。それともうひとつ「針供養」

午前は米とか酒とかの宅配を頼んだので家を空けることはできない。
宅配を受け取って、昼飯を喰うときテレビをつけると日本のテレビが全く映らない。
テレビの配給会社に電話していろいろやっているうちに3時になってしまい
外に出る気がなくなってしまった。(何か言い訳がましい)

清少納言とか、加賀千代、一休さん、樋口一葉さんなどなど、
やっぱり家の中で開脚ストレッチとかスクワットとかやっていたんだろうか?

「本所深川ふしぎ草紙」宮部みゆき著 読了。
これはべつに「草原の椅子」のように
人生論はぶたないけれど、とにかくおもしろい。
宮本輝が『理』的とすれば、宮部は『情』なんだわ。
それも西洋人が持っている『情』とはちょっと違う『情』なのだ。
「3年B組金八先生 最後の贈る言葉」というのを看ながら酒を飲んで寝る。
途中で寝てしまったんだけど何か今までのシリーズに乗っかっているだけ
という感じだな。まあ、終わりまで看てみないと判らないけど。





雲南から北京へ
     L

  2001年3月


 
  かの有名な「玉龍雪山」
  約5600m である。
  
 もちろんロープウェイで
 登ったのだ。






2月 7日  (火)    0206    0207    0201    0202    0203


朝、4時前に起きた。
ブログをUPしてから、「草原の椅子」 宮本輝著 読み出して
夕方まで上下840ページ、一気に読んだ。
それは巻末の池上冬樹の「解説」にあるとおり、私も
物語が劇的に進むわけではない。過激な愛憎の物語が展開するわけでもない。
どちらかといえば穏やかな日常の風景が積みかさねられていくだけなのだが、少しも飽きないのである。
むしろ物語に入り込んでしまう。
そのなかで起きる波瀾、争い、苦悩などが、それぞれの心の襞をあらわにして見せてくれるからである。
しかも至る所で語られる人間論や人生論にも、ついつい読みふけってしまう。
と、読みふけってしまったのである。

遠間憲太郎、富樫重蔵という50歳の二人の友情がいい。
こんな友達がそばにいたら、人生間違わないだろうな。

『人情のかけらもないものは、どんなに理屈が通っていても正義ではない』って、
俺は欧米人が江戸末期の日本に運んで来た思想は、すべて『理』であって、『情』というものは、なにひとつなかったんだって気がするんだ。
制度、法規、武芸、戦略、哲学……。日本人はそれを『知』だって勘違いしたんだ。でも、どうも『知』じゃなかった。ただの『理』だったんだ。
黒船来航のあとは第二次大戦。その間の何十年間に、日本は古来からの『知』を西洋の『理』で撹乱されて、ついには『情』を忘れた。
それは日本人らしくない文化をありがたがりすぎたことでもたらされた錯覚だったんだと思うな。その錯覚が、日本人から大事なものを奪った。
そして、あの馬鹿げた戦争だ。そして、ぼろぼろに負けて、誇りも何もかもを失って、こんな小さな島なのに、金の亡者になって……。
俺たち日本人が待ってる『情』ってものと、西洋人の待ってる『情』ってやつは、似てるようで少し違う。
その少し違うってことが、とんでもなく大きなことでね。
 

「俺は、宇宙のすごさや不思議さにのめり込むごとに、俺という人間を好きになっていくんや。なんでかなァ・・・・」
と富樫は言った。
「俺という一個の人間の肉体と精神の恐るべき巧緻さ。それはこの宇宙を凝縮したようなもんや。そう思うとなァ、俺は自分をすごい存在やと感じる。
何億兆年もの寿命を持つ星も、たかだか七十年か八十年の寿命をまっとうできるかどうかわがらん俺も、そんなにたいした変わりはないって気がしてくるんや。
ご臨終ですって言われて、ああ、俺は今死んだんやと思う間もなく、俺は何千光年の彼方の、命を産み出す管のなかに溶け込んで、若い星になってい・・・・。
そのことを信じることができたら、生きるもよし、死ぬもまたよしって気持ちになれて、
いま富樫重蔵と名づけられて、人間として生きてる自分が好きで好きでしゃあないようになるんや。
大事に生きよう。何を恐れ、何を悲しみ、何を不満に思うことがあろうかっちゅう気持になるんやなァ」

そして、作者の「あとがき」
「世の荒波」という言い方がある。社会に出た若者たちが、まず最初に痛烈に味わうのが、この「世の荒波」である。
その荒波のなかには、思いどおりにいかないもどかしさや、気心の合わない人々との摩擦や、世にはびこる矛盾や不正や、
それらによる己の心の挫折が、屈折してうごめいている。
 だが、若者たちの範たりうるおとなたちは、ことごとくが、この「世の荒波」のなかで生き、さまざまな知恵や忍耐力をつかみ取って、
人間力を育んできた。おとなたちは、みな若者から出発したのだ。

フンザには行ったことはないが、ウルムチ、カシュガル、カラクリ湖といった背景も懐かしかった。

夜 若いお嬢さん4人(と言っても20代後半〜30代前半だが)来宅。騒いで行く。
私には話は全く解らないのだけれど、エッチな話になったときはその顔つきでわかる。
「すけべぇ!」って合いの手をいれると、これまた彼女たちには解って大笑い。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

カシュガルというのはほんとエキゾチックそのものという町だった。
探検家の藤木高嶺先生に連れて行って貰ったんだけど、うれしくて貸し自転車で走り回った。
職人町など中世に迷い込んだという感じだったな。
ぶどうを思いっきり買って、4元が分からず、
40元払って相手にびっくりされたこともある。
ナイフを10本以上買って帰った。







2月 6日  (月)    0206    0131    0201    0202    0203


旧暦1月15日、「元宵節(ユエンシャオジエ)」である。
中国ではかなり大切な祭日で行事も多い。当然 花火・爆竹も多い。
夜になると提灯に火を入れて飾る。時にはそこに謎々が書かれていたりする。
「湯円(元宵とも呼ばれる)」というゴルフボール大の団子を食べる習慣もある。
でも、私は何にもせず家にこもっていた。

「龍は眠る」 宮部みゆき著 読了
日本推理作家協会賞受賞作品だそうである。
でも何かストーリーの説明が多いみたいで
もひとつ入り込めなかったな。
DVD「我が輩は主婦である」看了?
後半はDVD再生不能のため途中まで。
前半の前半、主人公が漱石にとりつかれるまでの展開は
見ていて声を出して笑うほど、めちゃおもろかったが、漱石になってからは陳腐。

団地の管理費(公益費、ここでは物業費と言っている)1年分を払いに行く。
それとともに玄関から部屋に通じるインターホーンの修理をしてもらう。
駐輪場代も払いに行ったが係員不在。

夜は花火を見ながら酒を飲んで寝る。
花火もきっと今日が最後だろう。・・・・と期待している。





雲南から北京へ
     K

  2001年3月


 
  瀘沽湖で遊ぶフミ族の子どもたち。

  最後の2枚はこの子どもたちの家に
  連れて行ってもらうとき
  食事をごちそうした時の様子である。






2月 5日  (日)    0130    0131    0201    0202    0203


買い物がてら、昼飯を食いにでた。
いつもの「真剣」寿司うどん定食である。
日曜のせいか、えらい満員で焼き肉用の個室に通された。
それにもう一つのねらいであった「情報誌」も品切れ。
道の途中では花火屋さんがまだ店を張っている。 ということはまだまだ、爆竹の炸裂は続くということだ。
飯を食っていると友人から電話、
今晩一緒に飲もうということになる。
買い物ついでに、湯豆腐の材料等を買って帰る。
6時から、これからの人生をどう納めていくか、なんて堅い話で10時すぎまで飲む。
彼が帰ってしばらくして家に電話してみるとまだ帰っていないという。
彼の家は我が家から5分もあれば行ける距離である。
危べぇ、どこかで勝手に人生を納めてしまったか、とあわてて探しに出かける。
我が家のすぐ近くで奥さんに支えられて歩いている彼を発見。
いい気なものだ。寒い。帰って少々飲み直して寝る。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

初任の頃、宿直というのががあって夏は蚊帳をつって寝たものだ。
宿直室は職員の休憩の場であり、時には生徒指導の場でもある。
夜になってみんなが帰ってしまうと、
昨日誰か別の人が寝て思いっきり汗をかいた蒲団を押し入れから出して敷き、
四畳半の宿直室の四隅にある釣り手に蚊帳をつる。
風情があるなんて当時誰一人思いもしなかったであろう。







2月 4日  (土)    0130    0131    0201    0202    0203


立春。よくその前に「暦の上では」とつけられる。
ということは、まだ「春は名のみの風の寒さや」ということである。
今朝の気温はわずかではあるがまた零下に戻った。
でも、紅いが薄紅いになりようよう白くなりゆく空はやはり春のものである。

爆竹も時々は炸裂しているが、その頻度はかなり間遠になってきた。
「立春」は特に花火を上げなければならない節日ではないようだ。

こんなにうるさくても、
新聞では「今年の爆竹はやや少なめ」と出ていた。
一方では、心臓病の老人が窓の所に
「夜間の爆竹は止めてください」と張り紙をしたが
守られそうにもないので大枚を払って
爆竹禁止の広州へ行って年を過ごしたと言う記事も出ていた。
もともと爆竹は「年(ニェン)」という怪物を追っ払うためにならしたものだそうだが
今やお金を持っている心臓病の老人も追っ払っている。
私のような貧乏人はどんな怪物が来ても、怪物退治の大音響があっても追っ払われることはない!

もひとつ、昨日の新聞ではたくさんの人が死んでいた。
@ 1日夜  エジプトでサッカーファンが騒ぎ少なくとも74人が死亡
A 2日早朝 パプアニューギニアで船が沈没、100以上が死亡
B 1日報道 ヨーロッパに寒波襲来、80人以上が死亡
C 1日報道 日本北部及び中部で大雪、50余人死亡 というものである。


節分は巻き寿司と豆、ひな祭りは菱餅、端午は粽、春分・秋分はおはぎ・ぼた餅、
冬至はかぼちゃ、大晦日は年越しそば、年が明けるとおせち、と節日の食べ物があるのだが
立春の食い物って特に思い出さない。食い物につながらない祝日というのは淋しいね。

昨日、節分に豆まきなんて今でもやっているんだろうか、と書いたら
友達が「やってるぞ〜」と写真を送ってくれた。昨日のトップの写真だ。





雲南から北京へ
     J

  2001年3月

 


     前回に引き続き瀘沽湖の風景です。  とてもきれい。






2月 3日  (金)    0130    0131    0201    0202    0203


節分である。ということは明日から「春」だ。
そういうこともあってか、きのう、おとといに比べて今朝方はずいぶん暖かい。
最低気温もかろうじてマイナスにはなっていない。(プラス0.9度)

暖かいからというわけでもないが
先日来たまっていた買い物に出た。
納豆、味醂、料理酒、パルメザンチーズがねらいだったが
味醂と納豆しか売っていなかったので、
ついでにイカと甘エビの刺身、醤油、竹輪を買い、
別の店で料理酒とパルメザンチーズを調達した。
ついでに近くの日本料理店で
天丼定食。65元。かなりの値段だ。
しかし、白いご飯に天つゆなしの天ぷらが載っているだけという感じで旨くなかった。

DVD「幸せになろうよ」看了。
去年の4月から6月にフジTV放映のドラマ。
全11話なので見るのに3日ぐらいかかったかな。
結構明るくて、楽しかったんだが
考えてみると登場人物全員が
不倫かそれに近い男女関係という設定だ。ま、それもいい。

巻き寿司も食わず豆まきもせずに天津の節分は過ぎていった。
豆まきっていうのは、土足生活原則の欧米や中国では実現しにくい文化だな。
今でも畳の上に撒いた豆を歳の数だけ拾って食べているのだろうか。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

寝袋をもって洞窟などに野宿しながら奈良の大台山から熊野灘まで歩いたことがある。
一番疲れたのは大台山への登りで一日一人も人に出会わなかった。
一番怖かったのは壊れかかった釣り橋を渡った時、
リュックが重かったので紐を付けて記しに置き渡りきってから紐を引いて引き寄せた。
一番危なかったのは、川の中野大きな岩に座って昼飯を食べている時、
しばらくサイレンが鳴っていたと思ったら突然川の水がものすごい勢いで増えてきた。
ダム放水の合図のサイレンだったのだ。もうちょっとで流されてしまうところだった。







2月 2日  (木)    0130    0131    0201    0202    0127


今朝方の最低気温マイナス6.7度。
天気はいいが、風は強い。
ということで8時過ぎまで寝床の中にいた。
朱墨とか味醂とか買い物の予定はあるんだが
特に急ぐわけでもないので、結局は外出せず。
本を読んだり、ビデオを見たり
そうそう、台所と風呂場に「のれん」を掛けた。
これまたなんとなく、風情あり・・・ではないか?

夕方、風呂に入って(斎戒沐浴して)「般若心経」の写経をする。
今日は手本無し、自分の思うままに書いたので、気分もよく
一昨日のより(あくまでも一昨日より、だ)上出来と自分では思うが、
でも、こんなことをしていたらいつまで経っても字は上達しないわな。





雲南から北京へ
I

2001年3月


     神戸行きのためしばらくお休みしていましたが、再開します。

     前回に引き続き瀘沽湖の風景です。  とてもきれい。











2月 1日  (水)    0130    0131    0201    0126    0127


2月だ。
それがどうというわけではないし、
そのせいでもないが
今朝は3時過ぎに目が覚めた。
神戸でもらってきた帆船のカレンダーが
書斎(というほどのものではないが)の壁と
机の上を飾っている。
結構寛やかな心になるのに役立っている。

朝、畳の上で20分ほど「あぐら」の練習をした。
「あぐら座り」を練習しなければならないなんて驚くだろう。今は「正座」なんて3秒もできない。
でも、そうなんだ。あぐらでも足が痛いし、うっかりすると後ろにひっくり返りそうになる。
3月から「気功十二段錦」の講座が始まるが、ほとんどが「あぐらスタイル」なんだ。慣れておかなければ・・・


9時ごろ、ちょっと疲れてきたので焼酎を飲みながらDVD、10時から12時まで昼寝。
午後、スポーツクラブに行った。昨年12月28日以来である。
スタジオで「42式太極拳」をやったが、
初っぱなから、えっ!どうだったっけ? と詰まってしまう。
もうちょい まじめに復習せにゃああかんなぁ
「日本人の誇り」藤原正彦著 半読了。しょうもないので途中でやめた。
戦後の日本人は こんなにダメだ、あれも失った、これも失った、
と、そのなことの羅列。日本人の誇りなんてどこなもない。

それほど書くこともないかもしれないが「想い出ぽろぽろ」のコーナーも復活させることにした。
お年寄りの日本人には、それぞれなりの想い出のきっかけになるかもしれない。





・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

私が今までお金を出して習ったことのあるもの。
柔道、アーチェリー、乗馬、車、油絵、そろばん、篆刻、日本語教育、指圧、
太極拳、料理、朗読、英会話、ヒンディー語、カンボジア語、中国語、
あと思い出せない。
無料で習ったものはもっと多いし、
源氏物語講読、俳句観賞、神戸の町探訪、オペラ教室、などと言うのもあった。






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