![]() 雲南から北京へ M 2001年3月 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 引き続き「玉龍雪山」約5600m の頂上付近。 息苦しいというようなことはなかったが 特製の防寒貸衣装を借りねばならぬほど寒かった。 |
・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・ ![]() ヤスリの上に油紙を置いて鉄筆で書く。 蝋がとれてそこだけインクを通すので印刷が出来るというわけである。 ヤスリも鉄筆もそれぞれの用途に合わせて何種類もある。 印刷は紙漉の枠みたいなものに蝋原紙を貼り付けてローラーで一枚ずつ刷っていく。 後に太いローラーに原紙を貼り付けてぐるぐる回して連続印刷ができるものができた。 |
![]() 雲南から北京へ L 2001年3月 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() かの有名な「玉龍雪山」 約5600m である。 もちろんロープウェイで 登ったのだ。 |
・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・ ![]() 探検家の藤木高嶺先生に連れて行って貰ったんだけど、うれしくて貸し自転車で走り回った。 職人町など中世に迷い込んだという感じだったな。 ぶどうを思いっきり買って、4元が分からず、 40元払って相手にびっくりされたこともある。 ナイフを10本以上買って帰った。 |
![]() 雲南から北京へ K 2001年3月 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 瀘沽湖で遊ぶフミ族の子どもたち。 最後の2枚はこの子どもたちの家に 連れて行ってもらうとき 食事をごちそうした時の様子である。 |
・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・ ![]() 宿直室は職員の休憩の場であり、時には生徒指導の場でもある。 夜になってみんなが帰ってしまうと、 昨日誰か別の人が寝て思いっきり汗をかいた蒲団を押し入れから出して敷き、 四畳半の宿直室の四隅にある釣り手に蚊帳をつる。 風情があるなんて当時誰一人思いもしなかったであろう。 |
![]() 雲南から北京へ J 2001年3月 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 前回に引き続き瀘沽湖の風景です。 とてもきれい。 |
・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・ ![]() 一番疲れたのは大台山への登りで一日一人も人に出会わなかった。 一番怖かったのは壊れかかった釣り橋を渡った時、 リュックが重かったので紐を付けて記しに置き渡りきってから紐を引いて引き寄せた。 一番危なかったのは、川の中野大きな岩に座って昼飯を食べている時、 しばらくサイレンが鳴っていたと思ったら突然川の水がものすごい勢いで増えてきた。 ダム放水の合図のサイレンだったのだ。もうちょっとで流されてしまうところだった。 |
![]() I 2001年3月 |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 神戸行きのためしばらくお休みしていましたが、再開します。 前回に引き続き瀘沽湖の風景です。 とてもきれい。 |
・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・ ![]() 柔道、アーチェリー、乗馬、車、油絵、そろばん、篆刻、日本語教育、指圧、 太極拳、料理、朗読、英会話、ヒンディー語、カンボジア語、中国語、 あと思い出せない。 無料で習ったものはもっと多いし、 源氏物語講読、俳句観賞、神戸の町探訪、オペラ教室、などと言うのもあった。 |