1月31日  (火)    0130    0131    0125    0126    0127


1月もお終いだなぁ。べつにどうってこともないんだけどね。

今日は火曜日、「音声ファイル」の日なので
今月25日にもちょっと触れた「白隠和尚座禅和讃」を聞いてもらうことにした。
「ファイル」の方は音だけなので、ちょっと長くなって申し訳ないが、ここで文章を紹介させていただく。

  衆生本来仏なり 水と氷の如くにて
  水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし
  衆生近きを知らずして 遠く求むるはかなさよ
  たとえば水の中に居て 渇を叫ぶが如くなり
  長者の家の子となりて 貧里に迷うに異ならず
  六趣輪廻の因縁は 己が愚痴の闇路なり
  闇路に闇路を踏そえて いつか生死を離るべき

  夫れ摩訶衍の禅定は 称歎するに余りあり
  布施や持戒の諸波羅蜜 念仏懺悔修行等
  そのしな多き諸善行 皆この中に帰するなり
  一座の功をなす人も 積し無量の罪ほろぶ
  悪趣何処にありぬべき 浄土即ち遠からず
  かたじけなくもこの法を 一たび耳にふるる時
  讃歎随喜する人は 福を得る事限りなし

  況や自ら回向して 直に自性を証すれば
  自性即ち無性にて 既に戯論を離れたり
  因果一如の門ひらけ 無二無三の道直し
  無相の相を相として 行くも帰るも余所ならず
  無念の念を念として うたうも舞うも法の声
  三昧無礙の空ひろく四智円明の月さえん
  この時何をか求むべき 寂滅現前するゆえに
  当所即ち蓮華国 この身即ち仏なり

思い立って「般若心経」の写経をした。
筆でこんなに長い文を書くのは
生まれて初めての経験だ。
今は下手そのものだけど
今年の努力目標のひとつなので
右端の本なども活用しつつ
これからどんどんうまくなって
「色即是空」の境地に 近づいていくはずである。

「Pen いまこそ知りたいイスラム」読了
神社、仏教、禅、の一連の雑誌だが
道元、観音、護摩、巫女 など
ある程度その意味や位置づけが
自分の中にあるものと違って
メディナ、サラート、ナビー、ミナレットなど
教義や文化など新鮮で面白いのだが
自分の中に納めるところがない、という感じだ。

前に「中国手話」の本を頂いた方から電話があって
お孫さんが日本語の勉強をしたいといっているので、今から家に行くと言う。
いきなりそう言われても困るんで、とにかく時間を決めて
カルフールのまえで会うことにした。でも、勝手に前の家に行ったらしい。
携帯で何度もやりとりしてやっとカルフールの前であったが、
ここは寒いといってすぐに帰ってしまった。
ついでなので時計の修理(白い方のベルトのピン付け替え)をした。1元。
日本で修理しようとしたら1000円、約100倍だよ。
結局、部品(ピン)がなくて修理出来なかったのだが、
右の黒い時計が1000円なんだよ。いったいどうなっているんだ!って感じですよね。

夜は「鳥内会」という焼き鳥屋にいく。
焼き鳥はまずまずだったんだが
店に着くまでが寒かった。
久しぶりにマイナス数度
風もあったので体感温度はもっともっと低い。
店に入ってからも寒さが抜けず
コッコッコと震えながらせっせと焼き鳥を食ったが
結局最後まで暖まることはなく帰った。







1月30日  (月)    0130    0124    0125    0126    0127


もう終わりだろうと思ったら、今朝も早朝から爆竹のラッシュである。ええかげんにせぇよ、という感じだ。
一体、いつまで続けるんだろうねぇ

きのうご馳走になった日本語学校に電話をしてみた。
学生が春節帰郷しているので、今日の午後の授業はなくなりましたとのこと。
仕方がない。スポーツクラブに、と思ったが、
テレビの国会中継を見ているうちに何となく行く気がなくなってしまった。

雑誌「おとなのOFF 仏教入門」読了。
これは知っているようで、ああそうなんか、と気づくところもあってちょっと面白かった。
たとえば阿弥陀如来像には、座像と立像があるが、阿弥陀信仰が急速に広まった平安時代以降は
      立像が人気となっている。その理由は「立っているほうが早く迎えに来てくれそうだから」
などというのも面白い。

次のような文章も面白かった。

  都市生活は、刺激にあふれています。
 目や耳に入る情報をすべて受け止めては体がもたないので、
 皆バリアを張って情報を遮断する。
 だから電車の中ではイヤホンで耳を塞ぎ携帯電話に没頭する。
 でも、ずっとバリアを張るのはしんどいし、センサーが錆びてしまいます。
  だから仏像の前にたたずみたくなる。観音苔隆や阿修羅像を目の前にすると、  全くの無防備な自分でいられます。
 その後は「また明日からバリアを張って生きよう」という気になるのかも。
 一種のリセットですね。

  農耕社会では、「昨日と同じ今日を喜ぶ」価値観を大切にしてきました。
 ところが、現代の経済社会は拡大を前提としており、停滞は失敗と見なされる。
 今日より明日は成長していなければならない。
  「努力して成長せよ、諦めるな」という考え方には、
 キリスト教の近代ブロテスタント的な目的合理主義が色濃く出ています。
 肥大し過ぎた自我を小さく調える

  近代社会は、「自我を確立せよ」というメッセージを強烈に発しています。確たる自分を待って自己主張しなければならない社会です。
 その結果、自分で自分を待ち切れないほど自我が肥大している人もいます。
 自我がぱんぱんに膨らみ、少し傷ついただけで何倍にも仕返ししと気が済まない。いつも不全感があり、もっと違う生き方があるはずだと模索し続ける。
 思い通りの生き方を目指し、予想外の要素を排除しようとする。でも、人生は予想外のことばかりです。思い通りにならないのです。

  浄土仏教は弱者の仏道です。
 聖人にはなれない凡人。人を傷つけたり嘘をついたりしないと生きていけない、悟りなんてとても開けない……そんな愚か者のための教えです。
 浄土とは、誰もが「お帰り」と受け入れてもらえる場所です。西に沈む夕日を見て、いつかは自分も大きな生命へと帰っていくのだと、
 昔から日本人は感じていたのですね。西は帰る世界を表しているのです。
 人間は「お帰り」と言ってもらえる場所があるから、つらいことがあっても生き抜ける……これが宗教の原型だと思います。

べつに大したこと言っていない、と言えばそうなんだけど、
当たり前のことを初めてのように新鮮に読めるということも大切なことなんだよなぁ。

皆様にご注意! 私のメールが盗まれた!
皆様へ 私の名前(久下順司 kugejunjichina@hotmail.com)で
何かコマーシャルのようなメールが無差別に発信されているようです。
私のところにも同じものが来て、それが知り合いの名前だったので
開くと、今度は私の名前で同じものが私の友人に転送されているようです。
もし、あなたも開くと今度はあなたの名前で他の人に転送される恐れがあります。
開かないで削除してください。
私のアドレス張に載っているみなさんに上記のメールを送りました。
要削除のメールの件名は「amzzing」「wooow!」「click here」など
いろいろみたいです。
注 よく分からないが、「迷惑メール」処理をしてしまうと
以降 私からのメールは受信ボックスに入らないかも知れません。
出来れば削除だけにしておいてください。

あぁ〜あ、いろんなことがおこるなぁ。
神さまの私に対する「ボケ防止作戦」も手が込んできている。







1月29日  (日)    0123    0124    0125    0126    0127


春節最後の日曜日だからであろうか、
今日も早朝から猛烈な爆竹ラッシュである。
耳の悪い26階の老人ですら、寝ちゃあおれんわ、と思うぐらいだから
小さい子どものいる家なんか、どうしているんだろうか。
花火はまあ解らんでもないが、昼間の単なる爆発音の何がいいのだろう。
テロでビルの一つや二つ崩れ落ちても
うわぁ、今年の春節は派手だなぁとぐらい思っているかも知れないな。
26階で聞こえる 録音 を聞いてみてください。本当はもっとすごいよ。

昼、ある日本語教室を経営されている方に
昼ご飯を食べにおいでと誘われて
ご馳走になりに行った。
中華料理10種類ぐらい、その人が作ったのだそうだ。
すごい。
なかでも、珍品は牛のオチンチンを煮込んだもの
右の写真で箸でつまんでいるのがそれである。
精がつくそうだ。そう精をつけても仕方がないのだが。
ここの教室は明日から授業が始まるという。
生徒数が少ないのでと遠慮されているが、近いうちに一度見学に行かせてもらおう。
そして、もしよければ日本語授業のお手伝いもさせてもらいたいと思っている。もちろん無料でである。

雑誌「Pen 神社とは何か? お寺とは何か?」読了。
雑誌だから新たに知識が得られたとか
新しい考え方に触発されたということはないが、
写真を眺めているだけでも楽しい。
日本には神社が8万5234、お寺が7万75723あるのだそうだ。
面白いのが信徒数だ。
神道=1億842万7100人、仏教=8750万6504人
兵庫県なんか、人口が558万余なのに、神道の信者が1084万余いる。







1月28日  (土)    0123    0124    0125    0126    0127


『老子と暮らす』 加島祥造著 読了
主として「老子 道徳経」の自分訳を述べた物である。
例によって、その一節をご紹介。
まずは、「双魚図=太極図」の説明から。
この「双魚図」は、いたるところで見かけるようになりました。
もともとは、中国の宋の人が最初に創ったもので、
「太極図(陰陽図)」といい、道(タオ)の原理を表します。その意味は……
白い魚があるのは、黒い魚があるからだ。その逆も同じ。
この白い魚と黒い魚を分けている線は、黒い魚のものてはかく、かといって白い魚のものでもない。
どっちの魚のものでもないけれど、同時にどっちの魚のものでもある そうでしょう? 

「道徳経」第48章。原文は次の通りである。
  『為学日益 為道日損
   損之又損 以至於無為 無為而無不為
   取天下常以無事 及其有事 不足以取天下』
これを加島氏は次のように訳す。
    知識を学ぼうとするものは
    毎日何かを知り、覚えこもうとする。
    タオを求める人は、
    毎日何かを忘れ去ろうとする。
    何かを自分の頭から捨て、
    さらに捨ててゆくとき、
    はじめて「無為」が生じる。

    「無為」とは、何もしないことじゃなくて、
    知識を体の中に消化した人が、
    何に対しても応じられるベストな状態のことたんだ。
    世間のことも、まわりのことも、
    なるがままにさせておき、
    黙って見ていられる人になる。
    そのほうがうまくいく、という計算さえ持たずにね。

夕方から近所の友人宅によばれて行った。
もう一人共通の友人も一緒である。
その友人は教師ではなく、
自分で事務所をつくって中・日をまたに
営業を展開しているひとなのでそちらの方の話題も新鮮。
奥さんは日本語が出来ないので、
話に寄れずちょっと気の毒だったが一緒に行った友人は
中国語が出来るので、二人で話し込んでいた。
写真は奥さんが腕をふるってくれた料理の一部である。
右の写真は日本の蒲鉾の原型のような物で、大変おいしかったので土産にもらって帰って
まだまだ残っている「粕汁」とともにいただいた。









1月27日  (金)    0123    0124    0125    0126    0127


インターネットで「人民中国 1月号」を買った。
冒頭が「2011年を回顧 2012年を展望」という
2004年から昨年まで中国外文局総編集室主任だった陳実女史の記事である。
その中で
  二十一世紀最初の十年、中国復興の歩みは目に見えて加速した。
  中国発展の前途は楽観できるが、.至急解決しなければならない内部問題にも直面している。
  「四つの危険」−精神的懈怠の危険、能力不足の危険、大衆から遊離する危険、消極的・腐敗の危険である。
  また「四つの試練」−政権担当の試練、改革開放の試練、市場経済の試練、外部環境の試練である。
  これらの見解はある時期の欧米メディアの論評のように見えるが、
  実際は、胡錦濤総書記が中国共産党成立九十周年記念大会での演説と一字一句違わない。
  かつて歴史のある時期、われわれは過ちを犯し、はなはだしい場合には深刻な挫折を経験したが、
  この根本的な原因は当時の指導思想が中国の実情から遊離したことにあった。
と書かれていた。
「大衆から遊離する危険」「政権担当の試練」「指導思想が中国の実情から遊離した」
というような文言が外国向けの中国の雑誌に載るようになったんだなぁと妙なところで感心した。

「Pen 2月1日号 2012年の主役は誰だ! 新世代リーダー論」読了。
ああ、あの人がこう言ったのか、という程度の当たり前のことしか書いていない。
つまらない。

奇想天外、摩訶不思議 お隣の国、中国の昔話「游仙枕」 話梅子編訳 読了
帯の通り中国の昔話を約60編ほど集めたもので、結構面白い。一つを紹介しよう。

 子供の頃、祖母からこんな話を聞いた。
 五代十国のことである。鐘離君という県令がいた。娘と隣席の許県令の息子の間に縁談が持ち上がった。
 あらかた話かまとまったので、嫁入りにつき添わせる下女をー人買い入れた。
 ある日、鐘離君が役所の中堂に立っていると、買い入れたばかりの下女が箒で庭の落ち葉を掃いているのが目に入った。
 庭には穴が一つあったのだが、下女はここまでで来ると手を止めてはらはらと涙を落とした。
 不審に思った鐘離君がその理由を問うと、こう答えた。
 「幼い時、亡くなった父がここに毬の穴を掘って、よく遊んでくれました。
 あれから何年も経ちましたのに、まだ穴が残っていたとは思いもしませんでした。」
 鐘離君は驚いてさらに問うた。
「して、父君の名は?」
「二期前の県令でございます。父は亡くなり、家は破産し、私は市井に落ちぶれ、殿様に買われて下女となりました」
 鍾離君は急いで口入れ屋を呼んでで、下女の素性を確かめた。
 また古くから役所で召し使っている老吏にも問い、下女の言い分が事実であることを知った。
 この時、許県令の家とはまだ正式に結納を交わしていなかった。そこで、急いで書をしたため、結納の延期を申し入れた。
 「近頃、下女を買い入れたのですが、それが何と先の県令のご息女でございました。
 寄る辺ないその身の上に哀れみを感じ、また義としてそのままにしておくことはできません。
 そこで、娘の婚礼をひとまず取りやめて先の県令のご息女によき婿を選び、我が娘の嫁入り道具を持たせて嫁がせたいと思います。
 それから一年待ってあたらめて準備を整えて娘を嫁がせたいのですが、いかがなものでしょう」
 許県令から早速、返書が届いた。
 「あなたは仁義を独り占めする気でしょうか? くだんの県令のご息女は是非とも我が息子に嫁がせたまえ。
 ご息女にはあらためて別によき婿がねを求めていただくことにしたらどうでしょう。」
 鐘離君に否やのあろうはずがない。そこで、親代わりとなって先の県令の娘を許家に嫁がせることにした。
 祖母は話し終えるとため息をついて言った。
 「昔はね、こういうことは当たり前に行われていたんだよ,最近ではさっぱり聞かなくなりましたね」
                                 (宋『東軒筆録』)

話は五代十国のころ、出典は宋の時代の本というから、西暦1000年前後のことである。
そのころの中国でも
「昔はね、こういうことは当たり前に行われていたんだよ,最近ではさっぱり聞かなくなりましたね」
と言っているのがおもしろい。

今日も日本は寒波の中だそうだが
天津は相変わらず暖かい。
でもまだ一日中バクチクが鳴っている。
おそらく春節というよりも
新年の開店祝いなんだろう。
散髪に行った。
昨年末に開店した
馬鹿でかい散髪屋である。
家の近辺には散髪屋が7〜8軒はある。そのうち5〜6軒は行ってみたが、今日の店はB級だな。







1月26日  (木)    0123    0124    0125    0126    1230

日本では今冬最大の寒波だそうだが、天津は暖かい。
窓外深夜の最低気温でもプラス2度程度である。
室内では、シャツイチを通り越して、上半身裸になったりもした。

散髪に行こうと出かけたが、
散髪屋はまだ春節休み中、
明日の正午から開店とあった。
八百屋に行って、
ゴボウ、ダイコン、ニンジン、こんにゃくなどを
買ってきて、粕汁をつくった。
酒粕は神戸で買ってきたものである。
なかなかの美味。でも喰うのには数日はかかるな。

ブログ。
半月ぶりに昨日「中国語」の項を書いていてクイズを、と思ったが
今までどんなクイズを出していたのか思い出せない。
「日本語」の項も同様だ。そして「想い出ぽろぽろ」も同様。
まず、「中国語」と「日本語」のクイズを全部書き出した。これで優に半日はかかったかな。
「想い出ぽろぽろ」の方はこれからだ。
こっちは記載済みのを並べてみたら、
もうあとは思い出すことは無い、ということになっているかもしれない。

風呂に入って寝た。
昨日の風呂は「鬼怒川温泉」今日は「有馬の湯」だ。うん、快適、快適。









1月25日  (水)    0123    0124    0125    0105    1230

一日中 家にいた。 NHKテレビテキスト「兼好法師 徒然草」読了。

  一日のうちに、飲食・便利・睡眠・言語・行歩、止む事を得ずして、多くの時を失ふ。
  その余りの暇幾ばくならぬうちに、無益の事をなし、無益の事を言ひ、
  無益の事を思惟して時を移すのみならず、日を消し、月を亘りて、一生を送る、尤も愚かなり。

とあった。耳に痛いが、全くその通りだから仕方がない。
とは言っても、今の私に無益でないことなんて何もできはせんもんな。
「無相の相を相として行くも帰るもよそならず」というのがあったな。そうそう白隠和尚だ。
インターネットで調べたら出てきた。

  無相の相を相として 行くも帰るも余所ならず
  無念の念を念として うたうも舞うも法の声
  三昧無礙の空ひろく 四智円明の月さえん
  この時何をか求むべき 寂滅現前するゆえに
  当所即ち蓮華国 この身即ち仏なり
 
「尤も愚かなり」というのを受け入れれば「当所即ち蓮華国」なんだわなぁ。白隠さん、ええこと言うよね。

「禅のこころ 禅と茶の湯と日本人」読了。
まるで人物辞典みたいに、誰が何をしたというようなことばっかりで
ぜ〜んぜん 面白くない。
それこそ「止む事を得ずして、多くの時を失ふ。」だ。









1月24日  (火)    0123    0124    0104    0105    1230

中国人のお宅で昼と夜をご馳走になった。
私は見ていただけなんだが、お母さんと娘さんとで200個ほど饅頭を作った。
その間、お父さんは台所でご馳走作りだ。
ほとんどのお家は料理はお父さんが作るみたいだ。


私たち以外にも4組のご夫婦も来て、にぎやかに白酒(50度)で乾杯。
犬2匹は走り回っているだけでお酒は無しです。
初めてあった人たちなんだけど、ホントに親切、友好、心を開いている。
来年もまたみんなで集まろうと約束して別れた。
ホントにいいお正月だった。









1月23日  (月)    0123    1229    0104    0105    1230

「春節」。 旧暦のお正月である。
一日爆竹の響く中、私は一歩も家を出ず(ゴミ捨てにも出なかったな)
寝正月というか、ごろごろ正月だった。

週刊ダイヤモンド1月26日号「繁栄か失速か あなたは中国経済を信じますか」読了。
「繁栄か失速か」ではない。完全に失速予想しか出ていない。
経済大国と言われた日本を追い越していく「昇龍経済」へのやっかみ。
こういうところにも日本の「大国」は失われていっている。みっともないことだ。
中国経済を論じている記事中に「天津」という言葉が一度も出てこないということにこだわってしまうなど
内容如何によらず経済誌というのはワシには向いていないようだ。

インターネットでデジタル版の
「週刊中国語世界」と「週刊朝日」を購入した。
パソコンで読まなければならないという点では
ちょっと不便だけれども、以前のように航空便で
本誌とCDとを別々に送ってもらっていたのと比べると
時間、費用、手間 ともにずいぶん便利なものである。
まだ、全然読んでいないが、おいおい読んでいこう。

「日本語」「中国語」「本の紹介」「音の世界」「物の世界」のコーナーも再開した。
それよりも「私の神戸滞在記」を頑張らにゃぁならんのだが、まだ手をつけられないでいる。









1月22日  (日)    0102    1229    0104    0105    1230

「除夕」。 旧暦の大晦日である。
午前中は主に日記を書いていた。と言うとおかしいが
神戸で買ってきた日記帳、12月から書けるようになっている。
ほぼ2ヶ月分その日記帳を埋めていったわけである。
なんの意味もない作業だけれども、十分に自己満足はある。それでいいのだ。

午後、中国人の知人のご両親の家庭に招かれて、中国式の大晦日を過ごす。
いろいろご馳走になって、最後に盛大に花火を上げて帰宅。
自宅26階の窓からは花火の嵐である。それも一晩中絶え間なく続いている。
おそらく日清戦争で使った火薬よりもっと多いかも知れんぞ。
それらを見ていて思った。やっぱり自分で打ち上げた花火は景色が違うな。
自分の体を覆うように花火の傘が降りてくるのだ。
「我がものと思えば軽ろし傘の雪」ってのがあった。その気分だな。










1月21日  (土)    0102    1229    0104    0105    1230

大寒。天津の気象予報では最高気温マイナス3度、最低気温マイナス12度とある。
たき火の恋しい季節だ。昔は家屋は木造だのにあちこちで落ち葉焚きがあったものだが、
このごろはそんな風情もなくなった。天津ではドラム缶でサツマイモを焼いて売っている。
さて、これもいつまで続くことやら・・・・今日はちょっと思い出の 「たき火」 を聞いてみませんか。
明日が旧暦の大晦日(除夕)で天津日本人会もスポーツクラブもそのたもろもろもすべて休みとなる。
ということで大あわてで日本人会に本を借りに行き、12冊借りてきた。
スポーツクラブに運動に、と思ったがこっちの方は水着等持って出ただけで挫折。
辛〜いカレーでも食べようと思ったらここも春節休み。
水やビールを注文しても、なかなか時間通りには持ってこないし、
トイレの水漏れの修理も春節が明けてからとかいっている。
今週一週間はきっとこんな日が続くんだろう。

9日から16日の神戸滞在中は多くの方から信じられないほどの好遇を受けた。
その感想をまとめようと思っているがまだ手についていない。
今日はDVDと本の記録である。

主として燕京号の中で
暇つぶしに読んだ本である。
後ろの二冊は神戸で買ったものだ。

これらは iPod やパソコンで
主として睡眠導入剤的な
かんじで看たDVDである。
他に写真は無いが
「カミングハウス」と
「ウルルの森の物語」もある。

以下はその他買って帰った本である。
今回はもう教材関係の本はなく、暇つぶしの雑誌ばかりである。
もちろん、こんな雑誌で茶道や宗教が解ろうと思っているわけではないが、見て楽しい。
ずらっとみているだけでワクワクしてくる。










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