1月10日  (火)    0102    1229    0104    0105    1230


西宮戎詣でと買い物とでえらい疲れた。
書くのは大部分省略。
5時起床。入浴。腹が減ったので宿舎のレストランで「おにぎり定食」400円
中国銀行三宮支店に行く。
年金が入っているかどうか記帳してもらおうとおもったら、
本土で作った通帳は使えませんという。一体、何のための支店なんだ!
それから100円ショップ、スーパー、地下街などを偵察。荷物になるので今は買わない。
阪神電車で西宮へ。かなりの人である。
縁起の笹か熊手でも買おうと思っていたんだけれど、
ちっちゃなしょうもないのが1000円とかいうのでやめて
広島焼きと缶ビール(1200円) こっちの方が何となく御利益もありそうで・・・・
元町まで戻って亀井堂で予約していた煎餅を買う。私の顔の入っている煎餅である。
それから元町から三宮センター街を歩いて買い物。本当に疲れた。






1月 9日  (月)    0102    1229    0104    0105    1230


1月 6日  (金)

12時 自宅発。
港まで車で送ってあげると言う人がいて
送ってもらう。
午後1時50分、港着。
まだ鉄津痔肝開始していなかったので
送ってくれた人の車の中で待つ。
3時、手続き開始。
通関をしてから免税店で
ウィスキー(ジョニクロ)2本とブランデー(ナポレオンコーバジエ)1本を買う
これは神戸経由で天津まで持って帰ることになるだろう。天津行きの神戸港には免税店が無いのである。

船室は3名、いずれも少しだが日本語がしゃべれる人たちだ。
着替えてすぐインスタント焼きそばと塩キャベツで白ワインをのみながら本を読む。
今は午後8時前、船はまだ動いていないが、もうそろそろベッドに入ろうと思う。
ベッドの中でDVD「さようならロビンソンクルーソー」半分寝ながら看了。

1月 7日  (土)

終日 船中 5自起床
iPhone でメールと
携帯メールを出してみた。
どうやらつながるようだ。
6時 洗面して
誰もいないロビーで
「天の夜曲」宮本輝 読了

 7時 窓の外は明るくなっているが日の出は無いみたいだ。
 8時 朝食 無料 おいしくない。
12時 青島石島港入港 しかし、接岸はせず沖合に停泊したまま。
14時 インスタント焼きそばでワインを飲む 船のレストランは高くて不味いので利用しないつもり。
14時30分 昼寝 17時 昼寝より起床 船はまだ動いていない。
18時 入浴 若者3人スリッパのまま浴室に入っているためも脱衣場はビショビショ
    サウナにはスーツケースが乾かしている
    それでも1時間近く風呂とサウナを楽しんだ。
19時 売店で缶ビール(200円)と水(100円)を買って飲んでいると
    同室の中国人楊さんが話しかけてくる。
    楊さんは天津の大学を出て名古屋工業大学に留学し、
    そのまま名古屋で就職し、10年経ったという人である。
    ロボットの製造・研究をしているという。

    今までのロボット(IT機器)は人のインプットを受けて動いていたが、
    最近は機器の方が入力が間違っていますと人に指示を出すようになってきた、と言う。
    そうだなぁ、文法が間違っています、言葉遣いが間違っていますと
    機器に「教育」されることもままあるものな。
    これがやがて服の着方が、掃除の仕方が、時間の使い方がと
    ロボットに育てられた人間が多数を占めるようになったらえらいことになるだろうな。
    と言っても、ロボットには心がない、男女の別(性欲など)、親子の情(親孝行など)がない
    でも、人間はどうなんだろう? 男女の別、親子の情・・・そして「こころ」 
    だんだんと薄れていっていはしないか。
    ロボットがどんどん人間に近づき、人間がどんどんロボットに近づいていっている。 
    その他、日中の歴史や民主主義、経済など2時間あまり素面で語り合った。
22時 船内放送で今から時間を日本時間11時に切り替えるという放送を聞いて日中会談終了。
    その間に船は日本に向けて動き出していたようだ。
22時半 ワインを飲んで就寝。考えてみれば今日は夕食も食わずに話し込んでいたということだ。



1月 8日  (日)

終日 船中
起床の放送ぎりぎりぐらいに起きる。
朝食は昨夜食わなかったインスタント焼きそば

昨日の話し合いであと少しのこした
「心とろかす」宮部みゆき 読了

昼 多分 朝鮮海峡を通過。船の左右に島が見えている。
瓶ビールと焼酎お湯割を飲んで2時から6時まで昼寝、何もすることがないんでよく寝る

6時に起きてすぐに風呂、
風呂の中で日本語の達者な
中国人と話していて
ちょっと湯あたりしたような
缶ビールと水を買って
部屋で飲んでいたら
ちょっと寒気を感じてきたので
大事を取ってすぐ床に入る。ごご8時
床に入ってもそう簡単に寝れるわけはない。iPod で再び「さようならロビンソンクルーソー」を看る
3回目だよ。それでやっと全体のストーリーが理解できた。
12時ぐらい、また目が覚めてあいているベッドの毛布を取って暖かくし
ペどの中でDVD「ホームカムイング」を見終えてねる。



1月 9日  (月)

7時起床。
下着も全部着替える。
服も下船時用ジーパンを着る。
船中ではずっと作務衣でいた。

午前9時前 神戸港着
例年通り友人が
迎えに来てくれている。
神戸ではたくさんの振り袖のお嬢さんが迎えてくれる。まるでVIPである。
15日とばっかり思っていた成人式が今日だったようだ。
町も若干正月気分を残している。

到着そうそうであるが、ユニクロで下着を、近江屋で食料を、時計専門店で腕時計(頼まれていたもの)
また、和服屋で頼まれていた女性の和服も一着(和服は一着というのかな)買った。
荷物がいっぱいになったので一旦宿舎に帰り、風呂に入ってから再度出直す。

今日は朝飯は食べなかった。
昼は、これも恒例だが
森谷のコロッケ(80円)
寿司屋で「蟹づくし(360円)
夜はこれも恒例
垂水の「増田屋」で会食
いつもは友人と二人なのだが
今日は中・高校の友達5人で、中学時代や老後の身体状況なども肴に賑やかに食い、飲んだ。

10時過ぎ、宿舎に帰着。これを書いている。
今から野天風呂に入って、酒を飲んで寝る。






1月 5日  (木)    0102    1229    0104    0105    1230




今日は天津商業大学 
裏千家短期大学の
新年茶会に招かれて商業大へ。
私は天津に来て
5年間左端の建物の
2階に住んでいた。
ほんとに懐かしい。
茶室はその4階である。



新年茶会には「茶会席」というか
「点心」が出る。
御献立にはずいぶんといろいろ
書いてあるが
たとえば黒豆二粒、
田作り2.5pのが2匹
と言った具合で、
見た目の美しさが中心だ。
ただし、お酒が出る。これはおかわり自由だ。
そこで世話をしている人たちの多くは私の知り合いで酒好きであることを知っているので
次から次へと注ぎに来る。かなりいい気分になって4階の茶室へ。
ここで「亭主」として茶を点てていたのもかつての私の学生である。
茶席が終わって下に行くと、次のグループにも久しぶりの友人が客として来ている。
また、席についてもう一度 点心と酒をいただいた。

明日出発の荷物作りなどが残っているので、酔ってしまっては困るのでやや控えめである。
友達を家に誘いたかったが、そうすると忘れ物多発となりそうなので、あきらめて一人で帰った。

今からこのパソコンも梱包する。
明日の午後からは燕京号泊まりである。燕京号ではインターネットができないので
うまくいって神戸着の9日にまたお目にかかれるかも知れない。






1月 4日  (水)    0102    1229    0104    1229    1230



神戸行きの準備 その2。
今日は買い物ではなくて、風呂に行った。「東方之珠」
風呂、サウナ、あかすり、蒸気サウナ、マッサージ、足療、昼寝とやって天津の垢を落とした。
恒例により、入浴前に30元の寿司うどん定食を食ったのはもちろんのことである。

夕食も「目に言う」だけはちょっと豪華に
かに! 刺身、寿司、イカ納豆、野菜サラダ、
蛸わさび、漬け物と日本酒
紅白なます、赤・白ワイン(残り物整理)

見たビデオは「ランウェイ・ビート」
「新しい自分」「自分革命」などと言っている
が内容は空虚で白々しい。





雲南から北京へ H
2001年3月
雲南での留学を
終え北京に向かう



1月6日より20日まで
ビザ更新のため神戸に
いきますので、その間
「旅の思い出」は休載
させていただきます。


 
 麗江からバスを乗り継いで瀘沽湖に行った。
 途中、昼食とかで長時間の停車があるので、その近くの町もぶらぶらする。
 瀘沽湖はほんときれいな湖である。かなりの観光地のようで
 宿舎や観光用の馬、ボートなども整っている部屋もなかなかのものではあるが、
 最後の写真にあるように部屋にはトイレは無く、1階にあるトイレの照明は蝋燭。
 もちろん仕切りはない。このトイレに行くにはかなりの勇気がいる。





1月 3日  (火)    0102    1229    1228    1229    1230



まだ、正月三が日の内だけど、神戸行き(6日発)の準備開始
まず、銀行に行ったが、公立学校の年金はまだ入っていなかった。
年末年始の休みだから仕方がないということだろうが、
外国で一人暮らしの年金生活者の場合、ことによったら餓死だよ。

買い物。 割り箸、白ワイン、インスタント焼きそば、チーズ等々
燕京号の飯は高くて不味いので、自分で持参する。

日本へ着ていく服、持って行く服の洗濯。

買ってきた物や土産などの鞄詰め

DVDをiPodに記録。4タイトル入れる予定だったが、今日は2タイトルしか出来なかった。

夜、日本でカシオの腕時計を買ってきて欲しいと頼まれたので、希望の時計のカタログのプリントアウト

ま、そんなところかな。
31日から煮続けている ちょっと焦げくさくなった「おでん」を食ってしまう。
DVD「東京思春期 ナナとカオル」看了。ちょっとSMっぽい。
とにかくあんまり正月らしくない一日でございました。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

終戦直後のことである。
それまでの紙幣が通用しなくなり、かといって新しい紙幣の印刷も間に合わず、
旧紙幣に切手のようなものを貼って使っていたことがあった。
その切手は多分配給だったのかな。
いくら大量の紙幣を持っていてもその切手がなければ通用しない。
勿論その逆も同じで切手だけでも通用しないのである。

        1月6日より20日までビザの更新のため神戸に行きますので、その間「思い出の記」は休載させていただきます。
        次回は多分、1月22日再開の予定です。






1月 2日  (月)    0102    1229    1228    1229    1230



今日は「日の出」を見た。「初日の出」だ。
昨日を「初日」とするのも、きのう「日の出」が無かったとするのも人間側の勝手なんだけれども
とにかく私にとっては「初日の出」なので日付の前の絵に取り入れた。

注文したガラス屋が来る
ということもあって、一日中在宅。
酒を飲むというわけにもいかなくて
かなり窮屈な一日であった。
おかげでDVDを2つ、本を一冊読んだ。
DVD「それでも生きてゆく」
DVD「神の雫」
宮本輝「血脈の火」である。
「それでも生きてゆく」はずいぶん悲惨な設定のドラマであるが
そんなに暗くもなく、会話も楽しめてなかなかいいドラマだった。
「神の雫」ワインにまつわる話なんだが、まったくつまらない。
「血脈の火」宮本輝「流転の海」の第三部。
この部はあんまりわくわくと楽しめる感じではなかった。
だいたい次のようなやや教訓的な感慨が多かったからであろう。

どうして人間は、自分とは異なるやり方や考え方を排除しようとするのだろう。それは、優しさが欠落しているからだ。
 根本的なところで優しければ、異質なものは異質として、包み込んであげることができるはずだ。
 麻衣子は、そんな意味のことを話してから、
「ヨネさんは、仕事から帰ったら、お酒を飲むのが楽しみで、話し相手がないときは、ラジ才を聴きながら、ひとりごとを言うてる。
おばあちゃんは、黒砂糖入りのあめ玉をしゃぶるのが楽しみで、一日に一個のあめ玉を、口から出したり入れたりしてる。
いっぺんにしゃぶってしまうのが勿体ないから、口から出したあめ玉を皿に載せて、大事に取っといて、またしゃぶるねん。
それが、おばあちゃんのあめ玉の楽しみ方やねん。
私が、そのあめ玉を二十個買うてきて、そんな口から出したり入れたりなんて汚ないことせんと、好きなだけ食べたらええて言うても、
おばあちヤんは、相変わらず、一日に一個のあめ玉を楽しんでる。」
熊吾は、麻衣子が何か言いたいのか、わかるような気がした。
 おそらく、ヨネも、喜代の祖母も、不平や怒りや愚痴や嫉妬などの感情を、自分のなかで処理する方法を身につけているのか、
もしくは、そのような感情を抱きにくい性質を有しているのかのどちらかで、そんな穏やかさが、麻衣子に感応したのであろう。
 熊吾はそう思った。
ひょっとしたら、麻衣子の内部にも元来、柔和で鷹揚で包容力に冨んだものがひそんでいて、
それが、ヨネや、喜代の祖母との触れ合いによって顕在化したのかもしれなかった。
 鷹揚、包容力。それは、麻衣子の父・周栄文の特質でもあった。その特質は、熊吾が、中国人の友の何人かにも感じたものだったので、
 熊吾は、やはり麻衣子のなかに、中国という巨大な大地と歴史によってつちかわれた血が流れているのを感じた。
 熊吾は、酔った頭で、《風土と人間》という言葉を思った。
 体格や体質、性格や性質だけでなく、物の考え方や処し方も、先祖からの血のなかに連綿と刻み込まれて、
親から子へ、子から孫へと受け単がれていくのに違いない。
そうでなければ、国民性によって、思考方法や価値観が、これほどまでに異なるはずはない。
 しかも、風土から得た経験や精神性が、ひとりの人間の根底に影響するとすれば、
風土は、その人間ひとりにではなく、その子や孫たちの広大な心の部分に極めて重要な落款を捺しつづけるということになるではないか・・・・。
「麻衣子の血のなかには、とてつもない中国の歴史が流れちょるのじや。そのことを忘れちやあいかんぞ。そのことを大切にせにやあならん」
 川の一角から立ちのぼる温泉の湯気が、柳の技にまといついているさまを眺めながら、熊吾は麻衣子に言った。
「中国が、絢爛たる文化を築いたころ、学問も芸術も哲学も、世界を制覇するくらいのレベルに達したころ、日本はまだ縄文特代じゃった・・・・。
中国は、物事を、短兵急には考えん。五十年、百年をひとつの尺度として考える。そういう考え方は、あの巨大な風土を抜きにしては生まれんのじゃ」
「そやけど、人間は百歳も生きられへんやろ?」
と麻衣子は首をかしげて訊いた。
「そうじゃ。三十年先の自分という考え方で、いまをどう生きるかを、心を静かにして思考するんじゃ」       p320〜323





雲南から北京へ G
2001年3月
雲南での留学を
終え北京に向かう


 
 麗江の「東巴文化研究所」の研究員の人の家である。
 かなり立派な家であった。
 日本語の勉強の合間に近くの小さな公園のような所にも
 連れて行ってもらった。
 









1月 1日  (日)    1226    1229    1228    1229    1230



メールアドレスの判っている方にはお送りいたしましたが、その他の方々へ
新年のご挨拶を申し上げます。



初日の出と思って早めに起き、26階の窓から東の空を見つめていたのだけれど
赤いのがだんだんと白くなってきて夜が明けてしまった。日の出はなし。

上の写真を一斉送信。印刷の年賀状よりもっと手抜きだわな。

昨日の残りで(これは正月でもかわっていないな)
ささやかにお正月の祝い。
朝から酒を飲んだのが正月のしるし。
今日はビデオではなくテレビのドタバタ番組をみたり
寝ころんで本を読んだりしていた。
ちょっとうとうとした後、
昼に風呂に入って休憩。
夕方までぶらぶらと正月らしく時間をつぶし

夕方6時から友人5人と「柚子林」というところで新年会
1月1日だけ新春お客様感謝デーということでオーダーバイキング一人100元である。
おせち料理などが出るのかと楽しみにしていたが、それはなかった。
しかし、刺身盛り合わせとかすき焼き 、串カツ、エトセトラ 食い放題、飲み放題で100元は安かった。
おそらく平日だったらひとり1000元分ぐらい飲み食いした。
そして、こういうときにありがちな質の悪さ、量の少なさ、欠品ということは全然無くて気持ちよかった。
さらに、参会の一人から「越乃寒梅」をもらってしまった。
「こいつぁ〜、春から縁起がいいわい」って感じだな。





・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

初めて修学旅行の引率をしたのは小豆島だった。ベテランの先生と二人で下見に行った。
大体こう言うときに童貞を失うもんなんだよ、などと脅かされたのを覚えている。
3年後には大歩危小歩危の四国山脈を越えて高知に行った。
高知まで来る修学旅行は珍しくて大歓迎を受けた。
その3年後にまた行ったがもうそのころは多くの学校が行くようになっていた。
そのまた3年後にこれまた尼崎では初めて信州に連れて行った。
この時も市長が出迎え、観光課長がずっとついて回るというサービスだった。






   先週以前のブログは下の「過去のブログ」からご覧ください。