12月31日  (土)    1226    1229    1228    1229    1230


大晦日。
「♪ あした正月、今日セッキ、子どもは喜ぶ 親心配 団子は焦げつく 火は消える」
小さいときに歌ったことがある。
と同じように忙しい日だった。
夕方から来る友人夫婦の「馳走(中味じゃあなくて、ただ走り回っただけちいう意味)」の用意に終始した。
夕方6時 紅白歌合戦が始まる頃に来宅。
紅白はそっちのけで飲み、語りしている内にNHKも気分を悪くしたか写らなくなってしまった。
友人夫婦が帰ると、元気にNHKも再開。
酒を飲み直しながら「行く年来る年」をみて、
日本の新年を迎えて寝る。(中国の新年はまだ30分以上残っていたけれども、ま、いいだろう)





雲南から北京へ F
2001年3月
雲南での留学を
終え北京に向かう


 麗江はその街もきれいだが、郊外の風景もまたいい。
 「東巴文化研究所」そこであった研究員の一人が前回の家の人である。
 研究所周辺の湖、この水がどこかに通じているとか言っていたな。。
 日本にも何かそんな話があった。
 遠くに見える山は多分「玉龍雪山」だと思う。。
 






12月30日  (金)    1226    1229    1228    1229    1230


十二月の三十日(ミソカ)だ。昼少し前、ガラス屋を探して外に出たら
目には見えないが、顔で感じられる細かい粉雪が降っていた。
窓を出入り口にした小さな、これ以上これ以上小さくはなれないというような
それでもその扉(=窓)に「華芸装飾」と電飾文字のある店に入ってみた。
ダメモトで頼んだらちゃんと家にやってきて壁に鏡を取り付けてくれた。

「地の星」宮本輝 読了。 
「流転の海」第二部。
全部で五部作なんだそうだ。四部までしか借りていない。これはえらいことになった。
ストーリーには直接関係のない風景・状況がこんなにたくさん出てきて
それが生き生きとストーリーを支えている。
こういった挿話は作者の頭の中だけで考え出されたものではあるまい。
きっと、そういう事実(聞き取り)があって、それを取り入れているのであろう。
そう「事実は小説よりも奇なり」である。

その他、なにということもなく過ぎて明日は大晦日である。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

いろんな所を旅行した中でとりわけ強烈な印象のあるひとつがイリアンジャヤである。
つい数十年まで石器時代であったという地域である。
ここでいろんな土産を思いっきり買って帰った。その中に弓と矢もあった。
ただの木に蔦の弦を張るようになっているものである。
これが日本の税関でひっかかった。これは武器ではないかというのである。
そりゃあそうだけど・・・・これで人を殺せますね・・・
そりゃあ、その気になれば石ころでも人を殺せるでしょう・・・てな話をして何とか通関できた。






12月29日  (木)    1226    1229    1228    1229    1223


年末に向け、伊勢丹とCarrefour に買い出しに出た。
中国のスーパーの「歳末」も始まってはいるが
それは1月23日の「春節=旧正月」向けで
3日後のお正月向けの買い出し客なんていない。
伊勢丹などでも「おせち料理」の予約などは
やっているようだが、高くて私には縁はない。
ということで、私としても、
年末の買い出しとはいいながら
31日に来宅するという友人のための「おでん」の仕込み材料を買いに行ったというのが本音なんだから・・・・

「おでん」を作るのも久しぶりである。
何を入れるんだったか、出汁はどう取るんだったか。
煮込んだものは
ジャガイモ、大根、ちくわ、昆布、タケノコ、魚の団子、
豆腐、こんにゃく、揚げ、鶏肉、椎茸、玉子、など
ちょっとやり過ぎかな。

おでんを煮込みながら(また、「ながら」だ)
焼き鳥、焼き魚(カレー)で日本酒を飲み「ながら」
DVD「太平洋の奇跡」というのを見た。
2011年2月公開の映画で、実話に基づく真実の物語ということだが、かなりよかった。
サイパンに行ったことがあるということもあろうが、こういう「真実」の上に今の日本があると深く思った。

大場大尉らこのドラマの人々にとっては空振りに終わったんだが、
終戦の「玉音放送」というのを聞いてみた。

 朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲(ここ)ニ忠良ナル爾(なんじ)臣民ニ告ク
朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ  
抑々(そもそも)帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕(とも)ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々(けんけん)措カサル所
曩(さき)ニ米英二国ニ宣戦セル所以(ゆえん)モ亦(また)実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾(しょき)スルニ出テ
他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固(もと)ヨリ朕カ志ニアラス
然(しか)ルニ交戦已(すで)ニ四歳ヲ閲(けみ)シ朕カ陸海将兵ノ勇戦
朕カ百僚有司ノ励精 朕カ一億衆庶ノ奉公
各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス
加之(しかのみならず)敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜(むこ)ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル
而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延(ひい)テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ
斯(かく)ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子(せきし)ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ
是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ
 朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス
帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃(たお)レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内(ごだい)為ニ裂ク
且(かつ)戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念(しんねん)スル所ナリ
惟フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情(ちゅうじょう)モ朕善ク之ヲ知ル
然レトモ朕ハ時運ノ趨(おもむ)ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
 朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚(しんい)シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ
若(も)シ夫(そ)レ情ノ激スル所濫(みだり)ニ事端ヲ滋(しげ)クシ或ハ同胞排擠(はいせい)互ニ時局ヲ乱リ
為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム
宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ
総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤(あつ)クシ志操ヲ鞏(かた)クシ
誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ
爾臣民其レ克(よ)ク朕カ意ヲ体セヨ
                          御 名 御 璽

* 音声は 1229 音声ファイル から聞いてください。





雲南から北京へ E
2001年3月
雲南での留学を
終え北京に向かう


 麗江へ向かう途中だったと思う。
 はじめの2枚は「白水川」というところ。
 川の中をきれいな馬に乗って遊び、楽しかった。
 後は麗江で知り合った人の家。日本語を勉強しているということで、
 3日ほどその家に通って、教科書を朗読し、それを録音する。
 一回の録音が3時間ほど、声がかれてヘトヘトになった。






12月28日  (水)    1226    1227    1228    1222    1223


  ながら族。
前にも紹介したことがあるけれども、
二つのことを同時にやると何となく満足感、充実感を感じる。
道を歩きながら音楽や朗読を聞く
食事をしながらDVDを見る
電車で本を読む、などなどである。
その一つにトイレをしながら本を読むというのもある。
今朝などはついにトイレと本とココアと3つ同時進行となってしまった。
きっとここまでやると、それはやり過ぎというものなんだろうな。

昨日買ったDVD枚を見た。
@「篆書技法」見終わって気がついた。これ前に見たことあるな。書架を見ると同じものがあった。
A「健身気功十二錦」気功ってのは胡座でやるんだな。
  ワシの場合、まず長時間胡座でおれる練習をしなきゃあならん。
B「禅太極」気功と太極拳をミックスしたようなもの。できればこれは面白そうだけど・・・・・・


歩いてスポーツクラブに行った。
途中、「家居装飾」というところに行って鏡の取付を注文した。
4時には来ると言ったが結局来ずじまい。
電話をしたが、あちらの電源が切れている。

ビールの注文も同じ。5時半に来ると言ったが6時半になっても来ない。
こちらの方は電話をすれば「あっ、すぐ行く」と言って、来たのは7時過ぎ。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・


私が初めて自分の小遣いで買った本は「冒険王」という雑誌だったとおもう。
表紙だけがピカピカのきれいな印刷で中はザラザラの更紙だった。
手塚治虫り「シーホーク(キャクテンクックだったかな)」などが連載されていた。







12月27日  (火)    1226    1227    1221    1222    1223


今日一日、どうしようかと思っていたら、知人からメール。
お昼いっしょにどうか、と言うことなので、よろこんですぐに出かける。
1時間ほど早く着いたので、近くのケンタッキーに入って読書。
神戸園という日本料理店で知人とその連れ2人と落ち合って昼食。
元気づけにひるのメニューでは一番高い「幕の内弁当」を食った。
帰るときになって、その知人が全部払ってくれたのだ。
なんか、このごろこういうのが多くて恐縮しっぱなしである。


そこを出てから一人で向かいの図書大厦に行き、本一冊とDVD3枚を買う。
バスに乗って「鼓楼」まで行きちょっとした買い物。
家具屋デパートを2つのぞいて、食品街を冷やかして帰る。


図書大厦で買ったDVDである。
一枚目の「健身気功十二段錦」は多分通信販売で友人に受け取ってもらったのと同じものじゃあないかな。
通信販売のは956円、これは20元(約250円)である。
「禅太極拳」というのもおもしろそうなので買ってみた。
あとは「篆書技法」のDVD。篆刻の元となる事態の練習書である。


夜は若い知人が来宅。キムチ鍋を食って、人生相談のようなことをした。





雲南から北京へ D
2001年3月
雲南での留学を
終え北京に向かう


 断崖絶壁と言ってもいいようなところに建っているお寺。
 この旅はガイドがいるわけでもない。そして予定もない。ひょいと見かけたところをぶらぶらと見て回るだけである。
 真ん中はこのお寺でたいへんえらいお坊さんだそうだ。何かサインをしてくれている。
 ポラロイドを持っていたので写真を撮って進呈すると、われもわれもとねだられて何十枚も撮ってしまったな。






12月26日  (月)    1226    1220    1221    1222    1223


年末、年の瀬である。
昨日が「納め天神」「有馬記念」、今日は「門松立て」、
明日は「納め荒神」、明後日が「ご用納め」である。
天津には天神さんがいるわけでも、荒神さんがいるわけでもないので、納めようもない。
でも、まあ年末だから、管理事務所に出向いて、水道と暖房を直した。
水道は入居時からずっと出が悪かったのである。水流が悪くて温水器のスイッチが入らないぐらいだった。
業者が来て、うん、これは水道の蛇口が詰まっている。針金でゴリゴリとしたら、勢いよく水が出た。
そんなとこが詰まっているなんて、ほんとにつまらん原因だ。

暖房の方は2〜3週間前から冷たくなっていた。
でも、一カ所だけなのでそんなに寒いというわけでも内のでほっといたのである。
これも業者が来て、栓をコソコソっといじったらすぐにぬくくなった。
ま、どちらも無料だったが、なんか年の瀬の仕事をしたような・・・・

「流転の海」 宮本 輝。読了
「地の星」「血脈の火」「天の夜曲」と続く四部作の一冊目のようだ。
宮本輝が神戸の人なので神戸の風景と関西弁が楽しい。
たとえば、その一部、こんな描写が各所にある

熊吾は別のホームから三ノ宮行きの電車に乗った。電車は空いていた。
電車は駅に着くたびに長い間停まって動き出さなかった。彼が六甲這道に着いたのは夕刻だった。
B29の落とした焼夷弾で阪神間は焼け野原になったが、二年たって、少しずつ家が建ち始めた。
だが十三坪以上の家は建ててはならぬという国からの命令で、石屋川沿いの家はどれも広い敷地の中にぽつんとつつましく建っていた。
空襲の日、黒こげになった死体で埋まったという石屋川には、六甲山からの清涼な湧き水が藻を揺らしながら浅く流れていた。

そうそう、メールで年賀状を出そうと思って、アドレスの整理をした。
これは嫌になるほど、面倒な仕事であった。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

小学校の時、私の通学カバンは灰色のズタ袋だった。
お坊さんが首からぶら下げているあれを斜めがけにして使っていた。
友だちは手提げ、肩掛けリュックなどみんなファスナーの付いたものでズタ袋は私一人だけだったと思う。
割と得意でもあった。
中学では学校の決まりで全員濃紺の風呂敷に包んで脇に抱えて通った。
1年の頃は道具も多く、持ちにくくて途中でほどけて困ったりもした。






12月25日  (日)    1219    1220    1221    1222    1223


クリスマスの日曜日。
と行っても別に何もないんだが
数日前に郵送でカードをもらった。
昼からはスポーツクラブに行って、一汗流す。
42式太極拳もまずまず出来かけている。
そして、夕方には知人が来宅
クリスマスケーキを持ってきてくれた。
ちょっとクリスマスの感じかな。





雲南から北京へ C
2001年3月
雲南での留学を
終え北京に向かう


 ぶっつけで飛び込んだ宿舎だったけど。
 「いくらだ?」って聞くと「25元」という
 あんまり安いのでびっくりして「えっ!」というと
 「高いか? じゃあ20元でいい。」
 といわれてまたびっくり。
 結構きれいで、清潔な宿舎だった。





12月24日  (土)    1219    1220    1221    1222    1223


クリスマスイブ。
商店街などではすこしはそれらしい雰囲気もあるが、裏町ではいつもの露店が品物を並べている。
野菜類が多いんだけれども、果物、饅頭、衣服、靴下、パンツ、食器、本、ビデオ、等々
何十種類もの品々が並んでいる。
生きた鶏をさばいてくれる店もある。
右二つは鶏を放り込んで電動でぐるぐる回して羽をむしり取る機械である。
じゃがいもの皮をむいたり、甘栗を焼いたりなどはなじみだが
羽付きの鶏を一匹放り込んでぐるぐるというのはなんとも悲惨。


午後は「天津日本語教師会」
今日は「国際交流基金 北京文化センター」から講師を招いての講演会。
 ・話せない理由を考える
 ・「話すこと」への動機付け
 ・課題遂行と評価のポイント
 ・話す活動を体験する
という内容での講演で、後半、参会者が実際に学生となって話す体験はおもしろかった。
講演会後、クリスマスイブの予定のない者たちが講師の先生を囲んでにぎやかに食事会。
右端は帰ってからまた飲み直した湯豆腐と刺身である。





・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・


中学2年生で宿泊訓練というのをやった。
3年生で修学旅行に行く以外、泊まりがけの学年行事は市内で初めてだった。
休憩時間にゲームをしたり、夕食後にファイヤーをしたりはしたが、
ほぼ一日中グループ討論に明け暮れるという本当の「宿泊訓練」だった。






12月23日  (金)    1219    1220    1221    1222    1223


天皇誕生日。
デジタル版「週間朝日」などを読むと天皇家も大変らしいな。
天皇は肺炎、息子夫婦は離婚の危機、孫は登校拒否、
ま、たしかに人間らしい。

米が無くなった。
昨日は伊勢丹に、今日は禧之源に行ったが、どちらの店にも米は無い。
伊勢丹ではサラダと揚げ物、禧之源ではまたまた冷凍食品を買い込み、
帰宅後、再度歩いて30分、日系のスーパーに行ってやっと米を見つけた。

そうそう、郵便局にも行った。
郵便受けに、書留を預かっているから局まで取りに来いという紙片があり
わざわざバスに乗って行ってみると伊勢丹のダイレクトメールだった。
バカにすな!

「エリンが挑戦 日本語できます」のビデオ、ダウンロード
これを「天津日本語教師会」のホームページから見れるようにした。





雲南から北京へ B



 2001年3月  雲南での留学を終え北京に向かう  剣川の窯元の付近の村の様子





12月22日  (木)    1219    1220    1221    1222    1216


冬至。
今は七時でもまた暗いんだけれど、これからは次第に夜明けが早くなっていく。
夕方もそうだ。まだ五時だというのにもう薄暗いのは、何となくあわただしい。
気のせいか、街のクリスマスも今年はなんとなく勢いがないような感じがする。

昼前に天津日本人会に出かけた。
本を返し、文庫本ばっかりだけど9冊も借りてきた。
宮本輝 4冊、宮部みゆき 4冊、三浦しをん 1冊である。

いつもの「寿司うどん定食」
でも、これがいつもとは違っていたね。
25元だったのが30元に値上がりしていた。
値上がりするか、値段据え置きで中味が減るか
いずれにせよ、住みにくくなりつつある。

そのあと、「東方の珠 洗浴中心」へ
いつもの通り、入浴、あかすり、マッサージ、昼寝で4時間。

DVD「借りぐらしのアリエッティ」
スタジオ・ジブリ
大竹しのぶ、竹下景子、三浦友和、樹木希林と
声優陣が豪華だ。
伊勢丹で買ってきたサラダと揚げ物と
ビール3本で見る。
なんかこんな写真を見るといかにも侘びしげに 見えるがいつもこういうわけではない。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

教会でキャンプをやると点火の行事というのがとりわけ重要である。
大概はローマ時代の女神のような格好をしてたいまつをかかげて入場してくる。
ある時、私はそれをやめてファイヤーのやぐらからずっと溝を掘り、そこに花火をばらした火薬を詰め、
点火の声とともに遠くから火が走ってきてファイヤーのやぐらが燃え上がるというのをやった。
地面が湿っていたら、とか持っていく途中で火薬が爆発したらとか一切換えが得なかったな。
おそろしい。






12月21日  (水)    1219    1220    1221    1215    1216


「大胡同」に行った。大雑貨市ともいうべきところである。
ずいぶんの人手で、正月用ではない春節用の飾りも売り出していた。
ここに行ったねらいは来年の中国カレンダーを買うことだったが、あまりいいのは見つからなかった。

続いて「鼓楼」。大胡同と違ってこちらは閑散としていた。
ここでは、宣紙(般若心経の写経をしようと思う)、印材の石(篆刻も続けるつもりだ)

それから「古文化街」。まずまずの人でかな。
正月に日本に一時帰国する時のちょっとした小土産を何点か買う。


それから日系(多分)のスーパー
小魚、ココア、洗剤(ママレモン)がねらいだったが。
そのいずれもなし。
ツナ缶、焼き肉のたれ、コーンスープ
粉末カプチーノ、コーヒーフィルター
朝食用フランスパンなどを買う。
よく歩いて(15000歩)腹は減っていたけれど
家まで我慢して帰る。

「名もなき毒」宮部みゆき 読了。
ストーリーよりも(ストーリーがおもしろくないわけではないが)
それから数日のあいだ、部員は皆、なるべく編集部を空けないように、特に編集長を一人にしないように気をつけて仕事をした。
申し合わせたわけではないが、自然にそうなった。
週末が来た。土曜日、私は妻と共に桃子の「お受験」のための準備教室(洒落てプレッフ・スクールと自称している)の授業見学会へ行き、
さらに保護者の心得についてのレクチャーを受けた。日曜日には、家族でバスやシステムキッチンのショウルームを見て回った。
ついでに少しドライブし、外食をして帰った、原田いずみのトラブルは、いっとき、心の外へ出てしまった。
我々は時計とカレンダーの虜だ。それが苦痛の元凶になる時もあるが、禊ぎになることもある。
これという理由も根拠もなくても、時が経ち日が進んだだけで、気がかりの素が薄れることがある。
週を跨いで、月曜、火曜と、何事もなかった。誰も進んで原田いずみの名を口にしない。
むしろ、もう考えない方がいいか。何だかんだ対処などせず、このままもう一週間、十日、半月と過ぎれば、自然に事は終わるだろう (p51)
というような、まるで私のブログのようにあってもなくてもよい描写の部分が好きである。

ここ数日、インターネットのデジタル雑誌購入にこっている。
この前買った「週間中国語世界」の他に
「週刊朝日」「danchu」「NHK 今日の料理」
「食の教科書 ウィスキーの基礎知識」などをかった。
支払いはインターネットバンキングで済ませる、
紙版だと受け取りが不便だが
デジタル版の書物は私のメールアドレスへ送られてくる。
その他に左のような無料で読める雑誌もある。





雲南から北京へ A
2001年3月
雲南での留学を
終え北京に向かう


 剣川に着く前、バスの窓から「豚市」が見えたので
 ホテルに荷物を置くとすぐに出かけてみた。
 どれが売っている人で、
 どれが買っている人なのかわからない。
 下段は、その近くの「焼き物工場」である。
 なかなか立派な窯であるが、粘土を捏ねているのは牛だ。







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