12月20日  (火)    1219    1220    1214    1215    1216


銀行に行ったが、やっぱり公立学校共済年金し私立学校共済年金が振り込まれていない。
しかたがない、東京まで電話をした。電話代130元
係の人が言うには、『在留証明書』が提出されていないから送金を停止したという。
今年は「年金機構」というところから『在留証明書』を出せといってきた。
公立共済からのそういう手紙は届いていない。
ああ、今年からは「年金機構」で一本化したのかな、と思って年金機構にだけ送付した。
それで私としては何にも落ち度はないつもりで待っていた。
そしたらいきなりの振り込み停止である。
こんなことされたら、特に外国にいる者としたら、生活が立ちゆかなくなるじゃあないか。
と文句を言ったら「年金機構」に送付したコピーでいいから早急に送って欲しい、
それが届けば審査の上、送金するという。
審査の上送金できないとなっても、黙っておられたら困るぞ、必ず早急に連絡を、
と念を押して郵便局に走った。

その帰り、近くに新しく開店したセブンイレブンを見に行く。
他の店と全く同じ、もっともA店にある物はB店にもある、
という安心感、それがいいんだけどね。
何も買わずに出て、ケンタッキーで朝・昼兼用の食事。
昼に行くとハンバーグとポテトフライ、コーラーのセットで
15元とはちょっとおとくだ。
だからだろうか、昼時はかなり込んでいる。
1時間ほどかけて本を読んで帰った。
でも、その込んでいる中、何も注文せずに席を占め勉強している若者も何人かいる。
これもまた、すごいもんじゃあないですかねぇ。
店の人もテーブルを拭きにいったりとかしない。これもまた、すごい。

金正日の突然の死の報道は
北朝鮮市民にはすごいショックだったようだ。
泣き崩れる市民の姿が写真で報道されている。
玉音放送を聞いて土下座して泣いた
日本人とおなじかな。
でも、写真を見ると前で卒倒している人と
それを遠巻きにして眺めている人との
アンバランスはどうなんだろう?
後ろで立ってみている人は、前で座り込んで泣いている若者が退くのを順番待ちしているのか?
よう判らん絵だ。

北朝鮮では一切の娯楽は禁止だそうだが、日本では紅白歌合戦の歌が決まった。
『上を向いて歩こう」「北国の春」「津軽海峡冬景色」「愛燦々」ぐらいが知っている歌だ。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

クリスマスキャロルというのがある。
12月に入ると教会で聖歌隊を中心に練習をして、
イブの日に会員(信者)の家を回って玄関前で手に手にローソクを持ち、クリスマスソングを歌う。
家の人が出てきてメリークリスマスと言ってお菓子などをくれる。
今もこういうことやっているんだろうか。
もつとも当時「久下君はもっと小さな声で、なるべく聞こえないように」なんて言われていたが・・・・






12月19日  (月)    1219    1213    1214    1215    1216


朝、電話で飲料水を注文。これで午前中は禁足だけれども
銀行に行って年金を送金しなければならないし、食い物も無かったので出かける。
水はいつも午前中といいながら12時近くにならないと来ないから多分大丈夫だろう。
ところが、今日はもう19日だというのに共済年金と私学年金が入っていない。
前回、10月の時は厚生年金が入っていなかったのだが、今回はちゃんと15日に振り込まれている。
明日、もう一度行って、入っていなければまた東京まで電話しなければならん。これがまた高いんだよなあ。
もう、かんにんしてほしいわ。

朝飯は回転寿司を買って帰る。
家に着くと同時に水が来た。
11時ちょっと前だよ。えらい早かったんだ。危ないところだった。
寿司を食いながら正午のニュース(中国では11時だ)をみていると
橋本新大阪市長就任のニューが始まったばかりのところで
北朝鮮の金正日が死んだというニュースが飛び込んできた。
しばらく見ていたが、
まあ、どうちゅうこともないか、とスポーツクラブに出かける。

帰ってきて、軽くビールを飲みながら本を読んでいると
デンマークとやらに出張してきたという友人が
土産だといってウィスキーを持ってきてくれた。
「THE GLENLIVET 12年」
シングルモルト・スコッチウィスキー・スコットランド製とある。
初めて見る酒なのでうれしい。
さっそくオンザロックにしてちょっとだけ飲んでみた。
くせが無くてなかなかいい。





雲南から北京へ @
2001年3月
雲南での留学を
終え北京に向かう


 昆明から「寝台バス」に乗った。
 夜行バスには何度か乗ったことはあるが
 寝台バスというのは初めてである。
 少し狭くて、やや汚いけどなかなか快適である。
 目が覚めたら「剣川」という町だった。
 行き当たりばったりでホテルに入る。





12月18日  (日)    1212    1213    1214    1215    1216


篆刻。最終回
先週撮った集合写真をもらった。
当初から比べると生徒の数は半分ぐらいに減っている。
この写真ではどう見ても先生はワシだわな。
実際は私の向かって左にいる髪の長い女性が先生である。
24式は一応全部マスターしたといえるかも知れない
42式はなんとか一人で出来るのは前半ぐらいだな。
でも、まあ、来年も同じ授業を受講することにしたので
来年の今頃は42式も全部を一人で出来るようになっているんじゃあないかな。
とにかく、慌ててはいかん。ゆっくりやることだ。

「優駿 上下」宮本輝著 読了
この人の小説にはいつも何かこだわりがある。
この前は(私の読んだ順でのこの前である)葉巻だった。
そのも一つ前はワインだったと思う。そして今度は競馬である。

母の肉は子の肉、この骨は母の骨なり・・・・いのちの哀しさ尊さに突き当たりながらも、
虚無と喧噪の中で人間の業から逃れられない男たち、女たち。
だが、そういう彼らも、いつしかオラシオンの美しさ危うさに魅せられて一体化し、
自らの愛と祈り、ついには運命そのものを賭けていった。やがて迎えるダービー決戦・・・。
圧倒的な感動を呼ぶサラブレッド・ロマン。  吉川英治文学賞受賞。

DVD「パーフェクト・リポート」看了
フジテレビ 日曜夜の連続ドラマ。
まあ、可もなく不可もなし、といったところ。

床頭灯日語読物「人生感悟」 読了というか聴了。
その中にこういう一節があった。
 音声 でも聴いてみてください。


一日一生、次日はた蘇る新しい一日である。その日一日をきちんと生きればおかしなことにはならない。
                                   大阿闍梨・酒井雄哉
比叡山・天台密教の千日回峰行を2回達成した大阿闍梨・酒井雄哉氏の言葉である。
千日回峰行とは、延べ千日にもわかり山中の峰々や谷を巡拝し修行するもので、病気になっても一日たりとも休むことを許されず、
失敗したら自決せよという不文律がある荒行である。
中でも堂入りと呼ばれる修行では、9日間の断食、断水、不眠、不臥を要求される。まさに人間の限界をはるかに超越した世界である。

この「千日回峰行」を「せんにちかい みねゆき」と読んでいる。
これはちょっとひどいのではないか。
「みねゆき」なんて近松の「みちゆき」みたいな感じじゃあないか。
「行=ぎょう」ということがまったくわかっとらんのだなあ。
読み手の問題じゃあなくて、本文のふりがなも「せんにちかい みねゆき」と振ってある。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

多分大学に入ってからのことであろう。
かなりエッチ系の映画にも行くようになった。
そのころ「総天然色」というカラー映画も登場したころだったが、ほとんどは白黒映画だった。
エッチ系の映画ではきわどいところだけがカラーになる。
映画を見ながら居眠りをしていても突然パッと場内が明るくなるので
いいところを見逃すと言うことがなく便利だった。






12月17日  (土)    1212    1213    1214    1215    1216


今日は天津日本人会のクリスマス会
天津日航ホテルの6階と7階で
昼食バイキング(会費150元)と
プレゼント抽選会(100元)。
なんと、個人会員はそれが無料である。
さすがに発表早々申し込み殺到、
満員となった。
早く申し込んでいてよかった!

第一部は昼食バイキング
時間は11時半から1時半までの2時間であるが、
人が多いのでなるべく一人1時間程度にしてほしいとメールで要請があった。
11時半に会場に入り、12時半まで、よくたべたなぁ。コーヒーも2杯飲んだ。
抽選会は2時からなので、1時間半マクドにでも行って、と思っていたが
腹一杯だし、コーヒーも飲んだし、ということでホテルのロビーに座って本を読んで過ごした。


抽選会は子供の部と大人の部に分かれている。
商品はもちろん在津日系企業からの寄付。
子供の部ではみんなが興奮している
任天堂の・・・とあったが私には全然わからない。
大人の部では商品券、航空券、宿泊券などとともに
エステ券、カット券、お米、野菜などというのもあった。
100人ぐらいの人が当選するのだが
私は1時間半立って子供が遊ぶのをみて楽しんでいた。

夜、インターネットの本屋でデジタル版の雑誌を買うのにトライ、
いろいろ苦労したがなんとか購入に成功。
ひとつは「気功・十二反錦」のDVD、これは神戸の友人に受け取ってもらう。
もう一つは、デジタル版なので郵送の必要がなく、私のパソコンへ直接送られてきた。
支払いはインターネットバンキングで振り込む。
今回、買ったのは「週間中国語世界」12月17日発売号である。
これでまたDVDとは違った楽しみが増える。





雲南 九郷 C

日本ではあまり有名な
所ではないが素晴らしい風景だった。


  メインの鍾乳洞であるが、
  ま、こんなものか、という程度
  と言ってもさすが中国だ。
  秋吉台などと比べると
  すごく大きいものなんだがね。
  でも、やっぱり渓谷のほうがよかったな。





12月16日  (金)    1212    1213    1214    1215    1216


朝早く起きて「篆刻」にいった。外は寒い。
ひょっとしてこの授業、きょうで終わりかな、と思っていたら、写真屋が来て集合写真を撮った。
ということは、その写真を配布する(売る)ために、あと一回授業があるんかな。
1時間目は学生の質問に答える。日本朋友はどうだ? と聞かれたが、そんなもん聞けるぐらいだったら苦労せんわい。
2時間目は大きな机を囲んで座談会。向日葵や瓜の種、蜜柑など若干の菓子もでる。
先生や班長が長〜いお話の後、指名された学生も謝辞のようなことを発表する。
いゃぁ〜なにも、とか、前に言った人と同じ・・・などと尻込みしながら、
いったん話し出すと、あのぅ〜とか言ってとどまることなく、15分ぐらいはしゃべり続ける。
みんなは黙々と向日葵を食っている。
解散してから、先生に来週も授業ありますか、ってきいたら今日でお終いだ。
また、電話するから電話番号を教えろ、と言われて書いてわたしたが、電話で話が通じるわけない。


夜は日本語教師の同輩と、(もう俺は日本語教師じゃあないから同輩とはいえないか)
韓国焼き肉を食いに行った。
それぞれ教え子も一緒で楽しく食いかつ飲んだ。
勘定になると「今日は私の招待です。」と彼が払ってくれた。
まったく恐縮の至り。次回は我が家でと言うことを約して、ごちそうになった。




12月15日  (木)    1212    1213    1214    1215    1209


昨日は双子座流星雨が見えるという話で
夜の9時ごろ窓から空を眺めていたが見えなかった。
今朝の新聞でも特に記事は出ていなかったので
肉眼でぼんやり見ているだけでは見えなかったんだろう。
あるいはその話自体がデマだったのかも知れない。
ああ、砕け散るさだめの星たちよ。せめてあざやかに・・・
左は今朝の朝飯。野菜たっぷりである。
明日、篆刻なので大急ぎで一丁彫ってみた。
「無名天地之始 有名万物之母」 老子 道徳教の第一章
いきなり、石にサインペンで字を書き、ギャッギャッギャッと彫った。修正なし、補筆なし
やり始めてから約1時間。 素朴雄渾である。(はずがない)

午後、人に教えてもらった「魚市場」を見に行った。
日報ビルをまっすぐ行ったところにある。
生きた魚がたくさん泳いでいる、というので、寒い中がんばって出向いた。
えらいたくさん歩いたが結局見つけられず。
やっと見つけたかな、と思ったら観賞魚市場だった。
たしかにスイスイ泳いでいたけれど、それは熱帯魚だ。
魚はさかなでも・・・・ワテほんまに よ言わんワ

帰りにバスに乗ったら何か知らんところをぐるぐる回って
伊勢丹の前を通ったので下車。
Twining 紅茶の詰め合わせをかった。
EnglishBreakfast EarlGrey Darjeeling 
LadyGrey PrinceOfWales TwiningsOfLondin の6種詰め合わせ。 
ティーバッグを入れる携帯用のかんかんがおまけについた。





雲南 九郷 B

日本ではあまり有名な
所ではないが素晴らしい風景だった。


  九郷のメインは鍾乳洞であるが
  そこに至る川も素晴らしかった。
  両側に迫る絶壁。
  底まで見える住んだ水
  ツアーなんで人は多かったが・・・・





12月14日  (水)    1212    1213    1214    1208    1209


目が覚めると起きる。
ただしそれが5時以前だとトイレをしてもう一度寝る。
朝のストレッチをしてから服を着る。
テレビをつけてNHKを見ながらココアを飲む。
というのが朝の定番である。
残り少なくなったココアを買いに行ったら品切れだったので
「檸檬茶」と「柚子茶」というのを買ってきた。
これからはこの3つを回していくことにしよう。

銀行と郵便局、そしてスポーツクラブに行った。
銀行は金がなくなったので卸しに行ったのだが、残金200数十元(3000円程)になってしまった。
計画通りの家計というか、やっぱり年末にはトントンになったなあ、
でも、19日ごろには年金が振り込まれるだろうから、まぁなんとかなろう。

郵便局は私学年金から3度も催促のあった住所変更届の提出にいく。
9月15日に催促をもらって20日に書き留めで送ったのにそれが届いていないらしいのだ。
書き留めってのは必ず届くというわけではないんだな。

スポーツクラブ、今日はスタジオを誰かが使っていたので太極拳の練習はせず。


今日は「赤穂浪士討ち入りの日」「義士祭」である。
「源義経」とともに日本歌舞伎の大演目であるが、
その討ち入りがあったその時
  (と言ってもテレビのワイドショーなんてあったわけではないので数日遅れになるが)
当時はどのように受け止められていたのであろうか。
当時の節の日記が残っている。
噂大好きであんなことがあった、こんなことがあったとこと細かく書き残した日記である。
それにはこうある。

元禄十五年十二月十四日の赤穂浪士たちの吉良邸討ち入りについても、わずかに、
「夜、江戸にて浅野内匠家来四十七人亡主の怨を報ずると称し吉良上野介首を切り、芝専(泉)岳寺へ立退く」(元禄15・12・15)
とあるだけである。
それに文左衛門は、この後の浪士たちの切腹については一行の記入もしていない。
浪士の討ち入りに無関心なのは、文左衛門だけではない。
師であり友人でもある天野源蔵もその著『塩尻』のなかで、討ち入りには一言も蝕れていない。
これは、いったいどういうことなのか。
後世伝えられるように「元禄の快挙」と江戸八百八町が熱狂……したとは、到底、考えられないのである。
好奇心旺盛で、地獄耳の文左衛門のことだ、江戸藩邸からの情報があれば、いままでのようにそんな噂のかけらも書きこぼすことはない。
赤穂浪士の討ち入りの華やかさは、のちに歌舞伎作者や講釈師たちの手によって飾りたてられ
(それまでにも、上演わずか三日で中止した「曙曽我夜討」(元禄十六年)や「兼好法師物見車」〔宝永三年〕といったものもあるが、
忠臣蔵の決定版と称される竹田出雲の名作「仮名手本忠臣蔵」は、浪士切腹から四十五年後の作)、
歳月とともに醗酵し、潤色され、それが事実だと観客たちに信じられるようになってから、爆発的な忠臣蔵ブームが湧きおこったのであろう。
が、これはあくまでも「忠臣蔵ブーム」であって、赤穂浪士ブームではない。
すくなくとも討ち入り直後、名古屋城下で士庶が「元禄の快挙」に拍手をおくったという事実はない。

「元禄御畳奉行の日記」(P182)から。・・・・この日記は今週の「本の紹介」で取り上げる予定。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

私の母は小学校を出たのであろうか。
ほとんど字を書かない人であった。
学校からの連絡帳みたいなものでも「お兄ちゃんに書いてもらい」と言うのが常だった。
私が初めて家を離れて淡路島に就職した時、母から冬の衣類が送られてきて、
それに上手ではない字で「これは冬の服です。かぜをひかないように(以下忘れた)」という手紙が添えられていた。
長く大切にしまっていたが今は何処に行ったかわからない。






12月13日  (火)    1212    1213    1207    1208    1209


ちょっと油断すると新聞がこんなふうになる。
当たり前のことだけど全部中国語なので
ついつい新聞受けから出すだけで積んどくことになる。
一途週間に一度ぐらい、まとめてページをめくって眺める。
ちょっと引っかかりのある見出しのところだけ10秒ぐらい眺める。
じっくりと見るのは旅行者の広告ぐらいである。
ときどき、一日旅行58元なんてのが出るのを探している。
この頃はスキー場一日65元というのが出ている。でも寒いしなぁ。

図書大厦に行った。
探し回った末、やっと「健身気功十二段錦」というのを見つけた。
太極拳のDVDはたくさんあるが「気功」のは少ない。
あんまりメジャーじやあないのかな。
私も申し込みはしたもののどんなことをやるのか全く知らない。
喜んで家に帰って再生してみると、
なんと、十二段錦をやるときのバックの音楽CDだった。
動きを見たこともないのに、そのBGだけではどうにもならん。
ケースの写真で見ると、座ってやるものなのか? ヨガみたいなものだったら俺は出来んぞ。
「気功」だけに、なかなか「気」を使わせるねぇ。

今日は「南京大虐殺」の始まった日、中国の新聞には特段の記事はなかった。
これはいわゆる「歴史認識」の問題ともなっているので
日本の教科書ではどう教えているのか調べてみた。
まずは左、かの扶桑社の「新しい歴史教科書」である。

    日中戦争  盧溝橋における日中衝突

関東軍など現地の日本軍は,満州国を維持し,ブロック経済圏を建設するために,
隣接する華北地域に蒋介石政権の支配のおよばない親日政権をつくるなどして,
中国側との緊張が高まっていた。また,日本は北京周辺に4000人の駐屯軍を配置していた。
これは義和団事件のあと、他の列強諸国と同様に中国と結んだ条約に基づくものであった。
1937(昭和12)年7月7日夜,北京郊外の盧溝橋で,演習していた日本軍に向けて何者かが発砲する事件がおこった。
翌朝には,中国の国民党軍との間で戦闘状態になった(慮溝橋事件)。現地解決がはかられたが,
やがて日本側も大規模な派兵を命じ,国民党政府もただちに動員令を発した。以後8年間にかたって日中戦争が継続した。
 同年8月、外国の権益が集中する上海で,二人の日本人将兵が射殺される事件がおこり,
これをきっかけに日中間の全面戦争が始まった。
日本車は国民党政府の首都南京を落とせば蒋介石は降伏すると考え,
12月,南京を占領した(このとき,日本軍によって民衆にも多数の死傷者が出た。南京事件。→p295)。
しかし、蒋介石は重慶に首都を移し、抗戦を続けた。
そして p295 の文章は次の通りである。
この東京裁判では,日本軍が1937(昭和12)年,日中戦争で南京を占領したとき,多数の中国人民衆を殺害したと認定した(南京事件)。
なお,この事件の実態については資料の上で疑問点も出され,さまざまな見解があり,今日でも論争が続いている。

次は清水書院「高等学校 日本史 B」の記述である。

日本軍は,占領地域で徴税、労働力の徴発,必要物資の現地調達などを行ったので、
中国民衆のはげしい反発をまねいた。
また、南京占領時には戦闘に無関係な中国人をも多数殺害し(南京事件)。
共産党が支配する地区では放火・殺りく・略奪活動を行った。
こうした蛮行は,報道統制により.日本国民には知らされなかった。

東京書籍 「新選日本史 B」では、

日本軍は1937年末には首都南京を占領したが、蒋介石は政府を重慶に移し、イギリス・アメリカの援助と
抗日民族統一戦線にささえられて、徹底抗日を国民によびかけた。
また南京占領のさい、日本軍が女性や子どもをふくむ多くの中国人を殺害したため(南京大虐殺)、諸外国から非難をあび,
中国の抗日意識をさらに高めることになった。

どうだろうか。これではやっぱり中国は怒るわなぁ、と私は思う。

・・・・私は別に何もせんかったが、今日はすす払い、事始め。





雲南 九郷 A



  最初に連れて行かれたのが「万福寺」というお寺。
  寺の名前もこの写真で判っただけで、なにも覚えていない。





12月12日  (月)    1212    1206    1207    1208    1209


漢字の日。
今年の漢字には「絆」という字が選ばれたそうな。
2位、3位にはやっぱり「災」「震」と続いたようだが
それらでなくて本当によかったな、と思う。
「絆」の方が暖かみがあるもんね。

今日は一日中、ずっと家にいて、
パソコンとの「絆」を深めていた。
もっとも、「絆」は人と人との結びつきだろうから、パソコンとの「絆」というのはないのかもね。
でも、ペットとはなんとなく「絆」で結ばれていそうな気もする。
しょせん、パソコンは犬にも劣るか!
でもどうして「絆」は「糸」に「半」なんだろう?
「イトハン」か?  イトハンとの結びつきはないなぁ。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

インドに行ったときのことである。
頭髪も髭も長〜く、行者風というか、仙人風というか雰囲気のある老人が石段に座っていた。
おそるおそる写真を撮ってもいいかとたずねると首を横に振る。
そりゃそうだわな、と思って写真を撮るのをやめてその場を離れた。
あとで聞いたところではインドでは首を横に振るのはOKの合図なんだそうだ。
あの老人も驚いたことだろうね。






12月11日  (日)    1205    1206    1207    1208    1209


東日本大震災から9ヶ月目
いまも津波、原発の後遺症は歴然である。
阪神大震災は1995年1月17日 発生
津波も原発もなかったけれど日本をひっくりかえす大惨事だった。
が、地下鉄サリン事件が3月20日発生
震災の報道は一挙に減少してしまったな。
天津の川も氷結が始まり、煉瓦や石ころが川面に乗っかっている。
日本では気温5度、7度で非常な冷え込みとか言っている。甘いものだ。

ケンタッキーで朝・昼兼用を食って太極拳に。
もう、終わりに近くなって相互の会話も賑やかになってきた。
今日やっと42式の最後まで練習が進んだ。そこを終えた時、期せずして参加者から拍手。
ま、練習が最後の段階に来たと言うだけで、その前あたりはまだまだすんなりといくわけではないのだが
先生も個人的に私に話しかけてきた。初めてのことである。
今日は全員で集合写真を撮す。


今日は和平区図書館で行っている日本語コーナーの忘年会である。
このところ通常の例会には参加していないのだが誘われて出席した。
太極拳が終わって1時間半ほど時間があったので歩いていくことにした。
ちょっと道を間違えたりしたこともあって、1時間半まるまる歩いた。
忘年会の開会ぎりぎりになって最後は少々焦って早足でやっと遅刻せずに到着。
以前この向かいの顧問をしていたこともあって、最前列、市文化局長の隣に座らせてくれる。

ベリーダンスやマジックなど、なんだ?と思うかも知れないが
みんなコーナー参加者で、黄色い服の子は男の子、黒服のダンサーは博士課程で学ぶ日本人留学生である。

忘年会出席の日本人と話していると
きのうの月食、きれかったですね、という。
やっぱり天津でも月食はあったんだ!
天津の月は赤かったと言っていた。
外に出てみればよかった、とは思わなかったけどね。
「雲隠れにし、夜半のつきかな」ってことだ。
忘年会の帰り、日系レストランで酒の肴を買って帰る。





雲南 九郷 @

日本ではあまり有名な
所ではないが素晴らしい風景だった。


  昆明の街を歩いていて、旅行者の前で声をかけられた。
  九郷って聞いたこともないし、
  ガイドブックにも出ていないようだ。
  でも、旅行者の壁に貼ってあったポスターの風景が
  素晴らしかったのでそのツアーに参加してみた。







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