12月10日  (土)    1205    1206    1207    1208    1209


世界人権デー
そして、日本では満月(旧暦11月16日)、かつ 11時ごろから12時ごろまで皆既月食が見られます。

このブログ10日ごとにファイルを換え、一月ごとにフォルダを新しくする。
でないと作るにも開くにも時間がかかって仕方がないんだ。
というわけで八日、九日ごろになってくると HTML で書いたのを
プレビューするだけでかなり時間がかかってイライラする。
明日からはまた、ファイルがサラになるのですいすいと作業が出来る。

スポーツクラブに行った。
この前行ったのが7日だから中二日で行っている。
もっとも今日は往復ともタクシー使用だったけれども、
それでもおお、いいぞ! という感じだ。
ジムもかなり時間をかけてゆっくりとやり、
スタジオを開けてもらって太極拳。
24式は、えっと?はナシで流れるように終わりまで行く。
42式はそうはいかないけれども、これもまあまあ。
いつもの通り、プール30分、水中歩行と水中ストレッチ

ブログの上にある「日本語」「中国語」付録のクイズをいろんな本から抜き書きをした。
これもずいぶん時間がかかった。
その時、その時の思いつきでやっていると同じ問題を何回も出したりしてしまっている。

月食の写真を、と思って11時過ぎまで酒飲むのを控えていたんだが
結局月食は見えなかった。
多分、私が窓から見上げた時間、お月さんは完全に食われてしまっていたんだろう。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

このごろ復活の例もあるらしいが、
私の大学生のころには「歌声喫茶」というのが大はやりであった。
歌は主にロシア民謡。
小さな冊子を買ってリクエストすると
リーダーみたいな人が弾くアコーディオンに合わせて客全員で大合唱をする。
ヘタでも平気だ。
京都の店で歌っていて終電を逃し、大阪まで歩いたことがある。






12月 9日  (金)    1205    1206    1207    1208    1209


今日もいい天気。
幸せはおいらの願い、朝焼けの大地をのぞみ、今の今をより美しく・・・・
とかいう歌があったな。でも、マイナス7度、外は寒い。
8時前には家を出なければいけないので
ヒートテックス+ジャージ+作務衣+コート という厚着で家を出た。
バスに乗る中国人の防寒は半端じゃあない。
各人15pぐらいの厚さに服を着込んでいる。
冬のバスがぎゅうぎゅう詰めになるのは無理もない話だ。

「篆刻」。
みんな来年度の登録用紙とお金を持ってうろうろしている。
班長も、名簿をもってあちこち動き回っているが
私のところは目をそらして通り過ぎる。
先生には「登録は済んだか?」と聞かれたが
首を横に振った。
横にいた人が「外国人は班内では登録できないし、
受講料も高いのだ」と先生に説明していた。
ここでも、今日は記念写真ブーム。私も一緒に入れって言われて何枚も写真を撮った。
 
DVD「アスコーマーチ」
この間見かけて止めてしまったんだが
インターネットで調べると
2011年10月28日発売 19950円とある。
うへぇ〜と思った。
私は日本円にすれば多分200円ぐらいで買ったと思う。

「卒業」 重松 清著 読了。
四編からなるんだがいずれもちょっと暗い感じであったが一気に読了。
例によってストーリーとあまり関係のない一節を。

「お父さん、定年退職なさってから何年になります?」
「七年、かな」
「こないだね、おもしろいことがあったんですよ」
 先週の朝の回診のときだった。父は明け方に投与された睡眠導入剤が効いて、うつらうつらしていた。
「峰岸さん、峰岸さん、おはようございます、おかげんはいかがですか?」と主治医が声をかけても、
目をつぶったまま、喉から息とも声ともつかない濁った声を出すだけだった。
そんな父が、看護婦が主治医を「先生」と呼んだら、「おう」と応えた。「どうした?」とまで言った。
「そのときは思わず笑っちゃったんですけど、あとがら、じわじわって感動してくるんですよ。
なんていうか、やっぱり『先生』っていうのは、一生『先生』なんだなあ、ってね・・・・」


私の中高時代の同期会が毎月1回行われている。
今月は忘年会を兼ねてということで
私にもせめてメールで参加せよとの誘いがあった。
メッセージを書いて、誰かに読んでもらうというのもなんなので
iPod で mp3 に録音しメールに添付して送った。
聞き手なしに、ひとりでしゃべるというのは難しかった。





昆明の民族園 D

 昆明の民族園には
 合計10回以上は
 行っているだろう。

 左の2枚は「風雨橋」のミニチュア
 中央は「ハニ族」の住居
 右端「大理」の庭園である。




 下段4枚は園内風景である。


 次回からはまた別の
 雲南観光スポット「九郷」の写真である。





12月 8日  (木)    1205    1206    1207    1208    1202


鬼畜米英、打ちてしやまん、欲しがりません勝つまでは、贅沢は敵だ、ジャンジャンじゃがいもさつまいも
昭和16年12月8日未明、太平洋戦争勃発の日である。

今日の天津は晴れ。天気晴朗なれども風寒し。氷点下の日が続いてい。
明日なんかはマイナス7度の予想だ。でもなんとなく、冬 寒いのはいい。。
地球も季節柄をわきまえているんだとほっとする。
中国の冬は白菜の大量仕入れである。
各家庭の軒下などに何十個となく積み上げ、うっすらと凍らせて冬中かけて使う。
もっとも今の天津の町中ではほとんどの家がビルになってしまったので
軒下ってのがなくなってしまった。前に住んでいた増産道の家では
階段踊り場などに積んでいたが、いわゆるマンションではそうもできないようだ。

明日は「篆刻」の授業。
来期は受講しないと決めたのでなんとなく後ろめたいような気がする。
で、この間の「蘇軾 後赤壁賦」を全部彫ろうと朝から石を磨き、用意をしたが
左のを彫っただけで、今期が続かず断念。
といってもこれだって石を3つ使ったし磨き直したのを含めると5つ目の作である。
「人影在地 仰見名月」
いちばん易しそうだったので、これにしたのだが、うまくできない。

昨日と今日とでずいぶんたくさんの酒を仕入れた。
日本酒6本、ウィスキー1本、焼酎3本
白酒4本、内2本は1本1000元近くもしようかという到来物
2本は自分で買った1本60元のもの
ワインが3本 これは1本16元である。

夕方、回転寿司に行ったらうどん始めましたとあったので
さっそく注文してみた(12元)が、不味かった。
夜はこの前見損なった「アスコーマーチ」を見ながら日本酒
刺身(イカ、甘エビ、赤貝)、エビフライを煮直したもの、ツナサラダ、冷や奴、トマト、である。
「アスコーマーチ」はおもしろくない。3話ほど見ただけでもう止める。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・


以前、道のあちこちに「防火用水」というコンクリート製の水槽があった。
さすがに江戸時代のようにその上に桶が積んであるということはなかったが、
竹の簀の子のふたとかしてあった。
水に数滴の油を浮かべてボーフラの沸くのを防いでいた。






12月 7日  (水)    1205    1206    1207    1201    1202


ここ数日、天津はうっとしい天気が続いている。
降るでもなく、晴でもなく、かと言って曇りでもない。
空に雲があるというのでもない。
雲が地上にまで舞い降りて
雲のただ中で動いているという感じだ。
傘をさすことは全然ないのだが
路面は雨の後のように濡れている。
26階からの眺めもぼんやりと霞んでいる。

久しぶりにスポーツクラブに出かけた。この前行ったのが11月の16日だから3週間ぶりだ。
今日はジムでのストレッチもかなりしっかりとやり、スタジオでの太極拳も時間をかけてやった。
24式はほぼ完璧にできる。42式は、えっと? を繰り返しながらではあるがまずまずの出来。

「ぼんくら 上下」 宮部みゆき 読了。
いままでの宮部作品と
ちょっと雰囲気が違って感じられた。
その場面場面の雰囲気よりも
ストーリーを追っかけて、という感じで読んだ。
ま、それだけストーリーがおもしろいということかも知れないが
私としては話よりも、場面描写が好きだったんだけどねぇ
例によって本筋とあまり関係のない一節を。

井筒平四郎には細君はいるが、子供はいない。所帯を持って二十年を過ぎたが、とうとう恵まれなかった。
四十路を半ば過ぎの今となっては、もうとうに諦めの気分にも達している。
自分の跡継ぎを得ることができないという寂しさはあっても、しかし彼は、元来子供好きの男ではなかった。
広い世の中には、いい大人の男でも子供が木に登っていたり、枯れ枝を振り回してやっとうのごっこをして遊んでいたりするのを見かけると、
頬を緩めていそいそと寄っていき、一緒になって遊んでやったりするような者がいるが、平四郎はまったくその口ではなかった。
そのくせ、妙に子供に好かれる。これは平四郎の細君に言わせると、彼自身が子供だからだという。
彼ばかりではない、広い世の中には、子供好きではないくせに子供に親しまれる大人の男というのがよくいるが、
こういう手合いは皆決まって、自身が子供なのだ。つまり、子供らは仲間を見つけて寄ってくるのだというのである。
俺のどういうところが子供なのだと、平四郎は口を尖らして細君に問いただした。彼女はころころと笑って、あれこれ並べ立てた。
ご飯のおかずのなかから自分の好きなものばかりを選って食べること。いただきものをすると、その場でさっそく開けること。
柿の実がなっているのを見つけると、周りの人びとがいくら「あれは渋柿だからよしなさい」と止めても、自分でもいでかじってみなければ気が済まないこと。
犬猫を見るとかまうこと。甘いものが好きで、餅菓子など、いくつか並んでいるもののなかからいちばん大きそうなものを選って手を伸ばすこと。
「なんだ、食い物がらみのことばかりじやねえか。そりやあ俺が食い意地が張ってるってことだ」
だから子供なんですよと、細君は面白そうに笑う。
「そうそう、それにあなたは、どこへ行くにも小平次さんを連れていかないと行かれないでしょう。それも子供です」
「馬鹿なことを言うな。小平次は俺の中間だ。だから連れて歩かなきやしょうがねえんだ」
「朝湯にもわざわざ連れて行かれるでしょう」と、細君も引き下がらない。「わたしもそうやって花見にくらい連れて行っていただきたいものです」
「なら、おまえも小平次くらい気が回るようになってくれ」
朝飯を食いながらそんな話をして、早々に組屋敷を逃げ出してきた今日の井筒平四郎である。
花見か。
春の空は薄青く、風は湿り気を帯びてほの暖かい。桜の咲き誇る季節が、今年もまた到来したのである。
しかし彼は、桜が嫌いだ。
桜の花というのは、枝をもいでよく見てみると判るが、みんな下を向いて咲いているのである。なんと景気の悪い花だろうと、平四郎は思う。
それに気だてもよくないじやないか。.百年このかた、いや百年どころかもっともっと遠い昔から、
この花は名だたる文人墨客たちに延々と褒めそやされてきたのである。
それなのに、未だに下を向いて咲きやがる。
謙遜も度か過ぎれば嫌味だということを知らないのだ。





昆明の民族園 C

 昆明の民族園には
 合計10回以上は
 行っているだろう。

  上段の演奏は納西族。

  中段の舞台での踊りは白族

  下段の緑の服はハニ族。最後の2枚はわからない。





  





12月 6日  (火)    1205    1206    1130    1201    1202


宅配便の会社が今週一週間は全商品1割引というので
日本酒6本とウィスキー1本を注文した。
それと、冷凍食品も底をついてきたので、
日本食材店に買い出しに行く。
それと老人大の登録費も予定外出費だったので
まずは銀行に行って若干の金を卸した後、食材店へ
料理酒、蛸わさび、ちくわ、半天、甘エビ、イカ、赤貝の刺身
稲荷揚げ。料理酒以外はすべて冷凍食品。計337元

冷凍食品を買うので
帰りには飯は喰えないので
途中、昼飯にお好み焼きでもと思って
さる日本料理店に寄ったが、準備中
隣のイタリア料理店に入って
昼のサービス定食を注文
スパゲッティーミートソースと英式ミルクティーで 29元
他にもグラタンとかリゾットとかもある。
この店は以前にも同じ理由で一度来たことがある。
安いし、明るくでなかなかよい店である。1時間ほど本を読んでから買い物に行く。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

私の通っていた中学校ではトイレ掃除、中間体操、毎日の朝礼・終礼、強歩大会と特色ある教育活動が多かった。
トイレ掃除=冬でも短パン(時にはパンツ一枚)、裸足で便器の中を雑巾で磨く。
中間体操=真冬でも毎日上半身裸になって全校生がグランドを輪になって走る。
朝礼・終礼=毎日始業と終業の時、全校生がグランドに整列して校長の話を聞く。
強歩大会=毎年大寒の日に祇園→有馬→宝塚→夙川→六甲の60qを走る。
などである。






12月 5日  (月)    1205    1129    1130    1201    1202


朝、早く起きて iPod の音楽や映画の再登録をする。
途中でしんどくなってきたし、小腹も空いてきたので
焼酎のお湯割りでDVD「総理の密使」をみる。
朝から酒飲んでという感じだけど、
気分としては昨夜の続きだ。
本編106分を見て、明け方になって就寝。

DVDの内容は
昭和44(1969)年、日米首脳会談にて決定した沖縄返還。
時の総理、佐藤榮作は「核兵器を作らず、持たず、持ち込ませず」という非核三原則をかかげ、
「核抜き」での沖縄返還に成功し、のちにノーベル平和賞を受賞するなど世界的な評価を受ける。
ところが、実は日米政府の間で、「有事に際しては、沖縄への核兵器の再持ち込みを認める」という秘密合意文書を交わしていたのだ!
非核三原則の「持ち込ませず」に反するこの「密約」は通常の外交ルートではなく、
総理の命を受けたひとりの「密使」、若泉敬という人物によって結ばれたものだった。
若泉は、新進気鋭の国際政治学者だったが、「戦争によって失った領土を、武力によらず取り戻す」という史上類のない難しい仕事に情熱を注ぎ、
人脈を駆使して、交渉を妥結へと持ち込む。そして、秘密交渉を担った若泉と、彼の結んだ"密約"の存在は、人知れず歴史の中に消えていくはずだった。
しかし、返還から22年後、若泉は沖縄返還交渉の裏舞台と「密約」について書いた著書
「他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス」を出版し、返還の「闇の歴史」を明らかにする。
墓場まで持っていくはずだった秘密を、彼はなぜ暴露したのか?
この番組では、沖縄返還の秘密交渉の裏に隠された「若泉敬」という人物の高揚と苦悩、
彼が背負っていた時代をドラマとドキュメンタリーで丁寧に描いていく。

昼過ぎに起きて、ちょっと休憩の後、電話代を払いに行く。
電話も電気・水道と同じく前払い制だ。電話代がなくなって2〜3日前から使えなくなっている。
外は、霧と霧雨の間ぐらい、降っているという感じはないのだが、路面は一日中湿っていた。
電話代の支払いも以前のように窓口で並ばなくても、自販機のような機械を自分で操作して納入する。
便利になったものだ。

続いて、老人大学へ。
教務処というところに行くと、今度はえらい愛想よく迎えてくれた。
てきぱきと対処してくれ、写真も撮って在籍表のようなものをこれもパソコン上に作成。
でも、やっぱり中国人の倍額の440元は変わらない。
下のような筆談を交わしながら「42式太極拳」だけを登録して帰ろうとすると
太極拳の班長の人が追っかけてきて、「気功」の登録票を持ってきて
予約は確保しておくので、今度お金があるときに登録においでと言ってくれた。
ま、金はあったので、せっかくだから「気功」も受講することにした。
もともと、3科目660元のつもりが2科目880元となってしまった。


なんか納得出来ないような気は残っているんだけれども
今までの経験では、こういうのは
「あの時は腹が立ったけど結局それがよかったんだ」ということになることが多い。
私の神様はそういう点ちょっと素直でないところがある神さんなんだ。
ま、きっと、太極拳と気功をやったおかげで・・・・という日がくるに違いない。・・・・・と信じている。





昆明の民族園 B

 昆明の民族園には
 合計10回以上は
 行っているだろう。


  
  園内には各地の有名な建物のミニチュア(と行ってもかなり大きいものだが)
  がつくられている。
  ここで紹介しているのはおおむね大理の建物群である。






12月 4日  (日)    1128    1129    1130    1201    1202


「日本語能力試験」受験された方、それを指導された先生方、どうもご苦労様でした。


パソコンリカバリの後遺症は大きい。使っている内にいろんなところに出てくる。
今日は、iPod iPhone である。
iTunes も消えてしまったので、再インストールして iPod と同期したら
iPod に入っていた音楽や映画が全部消えてしまった。
音楽の方はDドライブに残っていたものを入れることができたが
映画の方が入れ方が判らなくて長時間かかる。
ええかげんな気持ちでリカバリはしてはいかんなぁ。
いい経験になった。何事でもリセットしてやり直したらいいなんて考えたらダメだぞ、ということだ。


午後、太極拳に行ったら教室を間違えたかと思うぐらい知らない人がいっぱいいる。
ここで、来年度の受講登録をするため、いろんな班の人が集まってきているのだ。
で、私はと言うと
外国人はここでは登録できない。明日、主楼の教務処に行け、という。
なんだい、またかよ。と言う気持ちになった。
明日は教務処からまた、あっちこっち引っ張り回されるんだろうなぁ、と思ってしまう。
でもまあ、オトトイおいで、と言われるよりましか、とあきらめた。
そういうことで、心の乱れかな、先週は上手くできた24式もあちこち間違えてめちゃくちゃだった。


夜、スエーデンに留学している中国人の友人が訪ねてきたので
日本料理を喰いに行った。 天津にいる時には裏千家で茶道を勉強したり、
日本語も、なんとかと言う程度ながら話せる、
そして、才気走ったところのない飄々としたいいヤツである。
スエーデンでは生物学の遺伝子の研究をしているんだそうな。
博士課程に進んで多分5〜6年はあっちにいるだろうとのことだった。
今日喰ったもの、さば味噌煮、あさりバター、おでん、ねぎ玉、焼銀杏、
じゃこおろし、薩摩揚げ、エビマヨ・・・他は忘れた。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

前回、女の子が私の家に遊びに来た話を書いている内に、
その時、母が言った言葉を思い出した。
「女の子とのつき合いは慎重に、軽はずみなことをしちゃあいけないよ。」と言うのだった。
軽はずみなことってのが何なのか全然判っていなかったが、
この言葉はよく覚えている、と言うのではなくて、
完全に忘れていたが突然鮮明に思い出した。






12月 3日  (土)    1128    1129    1130    1201    1202


天津日本語教師会の幹事会が5時からなのでちょっと早めに出て、
図書大厦による。この頃買うのは必ず音声CDの付いた本である。
今日は雑誌「一番日本語11月号」と
「日本語の文章と朗読で学ぶ 日本 下」
「床頭灯日語読物」の三冊を買う。
iPod に入れて散歩などの時に聴くのがひとつの楽しみである。
幹事会の方は今月24日の講演会(北京日本文化センターの講師による)の
段取りを決めて終わり。あとお好み焼きとビール一杯を飲んで帰った。

7時半ごろに帰って、あらかじめ用意してあったアテで飲み直し。
アテはカレーの煮付け、茹でモヤシ、いずれも昨夜の残り
鶏肝、蛸わさび、明太子、いずれも冷凍をもどしたもの
我が板前の手料理はスライス玉葱鰹節かけのみ。
DVDは「アスコーマーチ 明日香工業高校」というのを
見かかったところで来客あり。
一緒に飲む。

明日の日曜日は「日本語能力試験」の日だ。
日本語を勉強している人々の健闘を祈る。






昆明の民族園 A

 昆明の民族園には
 合計10回以上は
 行っているだろう。



  園内の広場では毎日何回か少数民族の踊りなどが披露される。上段はハニ族の踊りである。






12月 2日  (金)    1128    1129    1130    1201    1202


篆刻、
授業が始まる前に先生が
私の前にやってきて
作品を見せろという。
しぶしぶこの前の「山高月小」と「水落石出」を出したら、
「山高月小」のほうは仲々いいと誉めてくれた。
それと、自分で調べた 蘇軾の句も
よく調べたと誉めてくれた。

ところで、来年度の「篆刻基礎」の登録を班長に申し出たら
2階の事務室に行けという、そこに行くと4階の教室で、と言う
4階に行って班長に言うと、班長同伴で2階へ、今度はそこの人が同伴で他の部屋へ
また、その部屋の人が同伴で別の部屋へ、こんなことを5〜6回も繰り返したかな。

やっと話を聞いてもらえるところに行ったら、外国人は2倍、440元だという。
どこにそんなこと書いてある? と言うとそんなことは書いていないけど、と言う。
今期は中国人と同じ220元だったじゃあないか、と言うと、
それは私たちがその規則を知らなかったんだ、という。
なんか、納得できんな。

来週に正式登録をするから440元持ってくるようにと言われたが、
中国人の倍もとられるんだったら、辞めようと思っている。
どだい、中国人の半分も理解できていないのに倍額はあほらしい。
篆刻だったら、ま、自習でもなんとかできるしな。

問題は太極拳だな。これは自習ではどうにもならん。
これも440元だと言われたら「気功」と「篆刻」はやめて「42式太極拳」だけにしよう。

それにしても大中国もケチなことを言うなぁ。
相手も経済大国ニッポンのくせに、ケチなこと言うなと思っているかもしれないが
ヘタしたら年の瀬が越せないかもしれないぐらいに俺は貧乏なんだぞ〜〜。

夜になって小雪 降る。今夜は湯豆腐だ。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

高校の頃、プロテスタントの教会に通っていた。
イエスさんもさることながら同年配の女の子がいることが最大の魅力だった。
何分、私は中高と男子ばっかりの学校だったもんでねぇ。
適当になんとなく特別の相手みたいなのも出来て、家に遊びに来て、
部屋で簡易ベッドに座って話し込んだこともあるし、
粘土をこねて花瓶を作りプレゼントしたこともあるんだけれども、
女の子とのつき合い方って判らないまま終わってしまった。






12月 1日  (木)    1128    1129    1130    1201    1125


今日から12月、師走である。私はもうセンセーを辞めたので何も走る必要はない。
事実、何らせわしないことはないのである。
でも、常に何かしなければ、という強迫観念があって鬱陶しい。
プールに行くのも行かねばならんという気持ちに押されて行くのだから
楽しくなれないわけだ。
今日は、まだ暗い内に起き出して、ごそごそしていた。
「元禄御畳奉行の日記」読了。これはなかなかおもしろい本だった。
本は読まねばならんという強迫感がないので楽しいのだ。
昼から久しぶりにプールに行こうと思って準備して出かけたんだが
タクシーに乗る前に、あ、そうそう銀行だ、と思ってお金を卸しに行った。
老人大の登録料と燕京号の費用を差し引くと、丁度12月中旬には残金がゼロとなる勘定だ。
そのころに若干の年金が入るのでなんとか食いつないではいけそうだ。
こういうのが「元禄御畳奉行の日記」の中味である。

あ、そうだ、プールの話だった。
銀行で待っている間に、篆刻用に4Bの鉛筆が欲しかったんだと思い出して
伊勢丹方面に行くバスに乗った。
もうこのあたりでプールに行く気はなくなっている。
伊勢丹で2Bのシャーペンの芯を買い、地下の新しいモールで
プール用のボディソープとシャンプーを買って帰ってきた。

篆刻「水落石出」を彫る。お見せするようなものではない。







昆明の民族園 @

 昆明の民族園には
 合計10回以上は
 行っているだろう。


  アイニー族の家である。
  民族園に行くたびにこの家によって
  持って行った弁当を一緒に食べたり、
  ここで働いている人の食事を一緒に食べたりして
  すっかり仲良しになった。








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