11月30日  (水)    1128    1129    1130    1124    1125


今日で11月もおしまいか。
5時半とか6時ごろには目が覚めるんだけどまだ外は真っ暗。
なんか起きようという気にならないんだなぁ。
一日の計は朝にあり、
こういう目覚めだから結局今日も一日家に籠もりっぱなし。

「元禄御畳奉行の日記」というのを読み始めた。
概要はいずれ「本の紹介」でと思うが
ちょっとおもしろいのでその頃の
武士の結婚式での食卓。

文左衛門の日記には、花嫁けいを迎えての記述は一行もない。
新郎文左衛門の筆は、花嫁などそっちのけにして、ひたすら結婚式の馳走の品々をえんえんと書きつづっていく。

  「献立
引渡しさんぼう盃。雑煮、こんぶ、たつくり、餅、ふだん草、花かつほ、大こん、盃、吸物ひれ、
あつめ汁、塩たい、大こん、ごほう、膾、なよし、いか、たつくり、ささがき大こん、たで、ほうふ、
めうがの紅、香之物、ニ汁、こち、氷こんにやく、煮物、くづし、山のいも、ごほう、竹の子、ふき、
あつ物、大根、葉、焼物、かまぼこ、干きす、取肴、するめ」  
こんなところはいかにも筆まめな、記録マニア文左衛門の面目躍如たるものがあるのだが、
おかけで元禄の人びとの食卓を垣間見ることができる。
 「息兵衛殿御出供侍(の献立)  
引渡し雑煮前の如し、吸物前の如し、冷酒、取肴、のし、数の子、するめ、かん酒、吸物、鯛、熱物、
しきふ、かまぼこ、取肴、小梅、からすみ」

なかなか微に入り、細にいりで、私など完全に負けとるな。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

インドの道ばたでチャイという甘〜い紅茶を売っている。
たいがいおじいさんが戸板のようなものの上にコップを並べて薬罐でついでくれる。
一杯何ルピーであったかは忘れた。
私はコーヒーにも紅茶にも砂糖は入れないのだが、
あの暑い暑いインドで飲んだ甘いチャイはおいしかった。








11月29日  (火)    1128    1129    1123    1124    1125


一日家に籠もりっぱなし。新聞取りにも、ゴミ捨てにも出なかった。
パソコンをリカバリして、便利に使っていたいろんなソフトがなくなっていることに気がつく。
そのたびに何とか復元できないものかと1時間、2時間・・・・
本を読んで、ビデオを見て、篆刻を彫って・・・・それでも、なんかあんまり充実していないな・・・・

まず、本だ。小説「一茶」 藤沢周平 読了。
  一茶の句の中には、自分の旧句の焼きなおしがあり、
  他人の句の剽窃があり、また同じ着想のうんざりするほどの繰り返しがある、
  句柄は時に平明のあまり無造作に流れる。彼の句も凡人のしわざと言わなくてはならない。
  だがその句が二万句を超えるとなると、やはりたたごとではすまないだろう。
  最晩年にいたっても、年に二百も三百も、ひたすら句をつくりつづけた
  一茶の情熱はどこから米るのだろうか,
  このひともまた、やはり尋常ならざる風狂の部分を抱えて生きた人間だったと思わざるを得ない。
なんとなく、わびしいさの残る読後。
放浪の身を我が身になぞらえているのか、そんなことはないはずだが・・・・
65歳、死の前夜まで三度目の妻と子作りに励んだあたりのわびしさか・・・
確か、一休も晩年女に溺れた、毛沢東もそうだ。そして・・・・
  ともかくもあなたまかせの年の暮れ
  露の世は露の世ながらさりながら

ちょっと気分を変えようと
ビデオは「コネコノキモチ」
飼って数日、
いなくなった子猫を
探す話である。
コネコの気持ちというよりは
あるものを
懸命に探し求める
ヒトの気持ちがテーマかな。
途中、夢(?)の中で
コネコ主演のドラマがあり
こういうふうにコネコとも
話ができるんだなあ、と思ったりもした。


また、気分を変えようと思って篆刻に挑戦。
先生から出ていた題は
「山高月小 水落石出」である。
調べてみると、蘇軾「後赤壁賦」に出ている言葉だ。
その他に「霜露既降 木葉尽脱」とか「人影在地 仰見名月」
「山鳴谷應 風起水湧」などという句もある。
さしあたって「山高月小 水落石出」の字をデザインしてみた。
それだけでも なっかなか。格好良く言えば長思黙考。
ま、なんとか折り合いをつけて彫り出したが
これまた失敗に次ぐ失敗、こういうのを格好良く言えば何というんだったかな?
石が悪い、というのもある。私はそう思っている。
固い砂が混じっていて刀が当たるとバリッと飛んでしまうんだよな。
石を4つほど捨てたかな。
そうでないやつは(私の失敗は)また、砥石をかけて平面にして彫り直す。
できばえはともかくも、やっている間はわびしさや不足感はない。
一刀入魂 じゃあなくて 一刀無魂 の心境だな。





雲南大学への
語学短期留学 F

2001.2.26.〜4.3.

 日本語教師として
 中国に行くことが
 決まって一ヶ月の
 雲南大留学をした


  北京の頤和園に「昆明湖」という人工の池がある。
  雲南の昆明湖の美しさを模して作ったものである。
  それほどにこの昆明湖の風情はすばらしい。

  でも、明、清時代の皇帝が雲南まで旅行して昆明湖を観たとは思えないがな。
  今の文明の利器をもってしてもなかなか行きにくいよ。






11月28日  (月)    1128    1122    1123    1124    1125


秋深まった。今まさに神無月
神戸からの写真のたよりも、もっぱら紅葉である。
神戸の紅葉は華やかで美しい。
うは葉散り透く神無備の森の小路を・・・
大和にしあらましかば、きっといずこも同じ秋の夕暮れなんだろう。
どっこい、天津の落ち葉散り敷く様は緑多しいいながらも寒々としている。
蘇軾の「赤壁の賦」に
「霜露すでに降り、木葉盡く脱す 人影地に在り 仰いで明月を見る」
というのがある。明日は雪だそうな。月は三日月。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

中学校の頃、学校の許可なしに映画館に行くことは禁止であった。
もちろん中学生の私がそんな決まりに従っているはずはなく、
よく隠れて見に行ったものである。
その中でも思い出に残っているのは
「野菊のごとき君なりき」と「白蛇伝」。
それぞれ半月ぐらいの上映期間だったと思うが、
ほぼ毎日通っていたような気がする。








11月27日  (日)    1121    1122    1123    1124    1125


今日は日曜日だというのにえらい忙しい一日だった。
朝起きてメールをチェックすると、かつての(商業大での)教え子から
今日8時半から4時半まで天津に行くので先生と会いたいという。
午後は太極拳なので会うとすれば午前しかない。
今から連絡つくんか、と思っていると電話がかかってきた。
もう天津に来ているという。
昨日のブログのUPもまだしていない。
大あわてでUPしていると、もう家の近くまで来たという。
また、大あわてで飛び出した。

まだ、時間が早いのでまずはケンタッキーに座って会社のことなどいろいろと聞く
続いて、ヤマダ電機5階の「魚漫」で昼食をして分かれる。
久しぶりの再会でほんと楽しかった。



太極拳。24式も42式もかなり人のを見なくてもできるようになってきている・・・・と思う。
今日はどういうわけか休憩時間に撮影大会みたいになった。
そして、親切にも早々にその写真をメールで送ってくれた。
全部に共通して写っている女性が先生。
他は我が「同級生たち」である。


太極拳から帰って、特に晩飯もないので、
先日教師会で知り合った学生がアルバイトをしているという日本料理店に行った。
料理と飲み放題を注文して、気分よく燗酒を飲んでいると
だいぶ飲んでから、あなたの飲んでいる酒は飲み放題には入っていない酒だという。
何を今更言っているんだ、と苦情。続けて飲む気持ちもなくなって帰ってきてまた、飲み直した。
やっぱり「歯にしみ通る秋の夜の酒はひとりで飲むべかりけれ」だな。
   と言いながら、雲南まで行っても人と群れて飲む習性はなおらない。
   今日の「旅の思い出」は雲南の花見である。





雲南大学への
語学短期留学 E

2001.2.26.〜4.3.

 日本語教師として
 中国に行くことが
 決まって一ヶ月の
 雲南大留学をした


昆明での花見
町の人も多くくりだして
花を楽しんでいる。
これは桜ではなく
多分 海棠だと思う。

留学の仲間たちと 酒とつまみを用意して
出かけたが
花の下で酒を飲んでいるのは
私たちだけだったみたい
中国人も花の下で
思いっきりいろいろ食べるけど
酒は飲まないみたいだ。





11月26日  (土)    1121    1122    1123    1124    1125


飲料水がなくなっていたので注文。昼過ぎまで持って来なかったのでずっと待貨在宅。
その間、何をしていたんだろうかね。
あ、そうだカーソルが勝手に飛ぶのを直そうとして四苦八苦していたんだった。
いま、これを打っている時にも知らぬ間にカーソルがあちこ ・・・
と、打ったところで・・・・・この「ち」が10行ほど上の src="../mo と no/ の間に飛んで行っている。
なんとかならないものか!

今日はDVDをひとつと本を一冊読んだ。それだけの一日である。

まずDVD。テレビドラマ「グッドライフ」。
韓国で200万部売れたという本を
舞台を日本に変えてのドラマ化
なんとなくわざとらしく、短絡的で
違和感のある展開もみられるが
ひょっとしたら韓国の生活様式、習慣、考え方が
反映されている部分なのかもしれない。
左のカバーには英語と中国語と日本語で
コピーが書かれているが
なんとなく、三者三様という感じでおもしろい。

父親と子供の距離は永遠の探り合い。
その伝わらない“もどかしさ”“切なさ”こそが
父と子の物語そのものだと言えるだろう。
父性とは、自然に備わるものではなく、
子供のために奮闘することで獲得するしかないものだとしたら、
父親という生き物は、何と不器用で、哀しく、愛おしい存在ではないだろうか?

本は、これも日本で100万部を売り上げたという現役医師による小説
 それは亡くなった安曇さんからの手紙であった。
 ”拝啓、私の大切な栗原一止大先生様”

 安曇さんらしい、小さな柔らかい文字が並んでいる。
 "先生がこの手紙を読んでいらっしゃるということは、私はもう夫に会いに旅立ってしまったあとのことなのでしょう。
 私にあの帽子をかぶせてくださるという約束を忘れずにいてくださったということですね、重ね重ね感謝に耐えません。
 私は先生に会えたことを本当に感謝しています。ずっと運命の神様を恨んで生きてきましたが、
 最後の最後に恨みを全部返上して何百倍もの感謝をしています。勝手なものですね。
 大学病院に行った時、えらい先生に言われたことを思い出します。
 「大学は安曇さんのような人を診る場所ではないのです」と。ではどこで診てもらえばよいですか、
 と問うても大学の先生は困ったような顔をしているだけでした。
 でも、私はその時、すぐ先生の顔を思い出したのです。
 きっとどこかで、先生はこんな治りもしない病気のおばあさんにだって手を差し出してくださると、
 私にはわかっていたんですね。
 病むということは、とても孤独なことです。
 先生、どうかご苦労の絶えぬ身とは思いますが、
 私にくださった温かい時間をこれからも多くの孤独な人たちにつくってあげてください。
 いつもなにか考え込んでいらっしやる様子をお見受けしましたが、私には相談に乗って差し上げるだけの器量も時間もありませんでした。
 でもひとつ確かなことは、先生は私にすばらしい治療をしてくださったということです。
 病いの人にとって、もっとも辛いことは孤独であることです。先生はその孤独を私から取り除いてくださいました。
 たとえ病気は治らなくても、生きていることが楽しいと思えることがたくさんあるのだと、教えてくださいました。
 万が一、先生が何事かにつまずき自信をなくしてしまうようなことがあった時は、私は声な大にして言います。
 私は先生のおかげでこんなにも楽しい時間をすごせました、と。
 もしかしたら 夫が亡くなってからの三十年でもっとも楽しい時間ではなかったか、と。
 なんだか急に眠くなってきました もっともっとお伝えしたい気持ちはありますが、これくらいにしておきます。
 どうかどうかご自愛のほどを。
 天国より、めいっばいの感謝をこめて、安曇”

学校の先生が知識や技能を教えるだけでなく、
気持ち、やこる気、心が伝えられているかどうか(23日の笈川講演)が問われるように
医者も病気の治療だけではなっくり、人間関係や心が癒せているかが問われているということだろう。
そんなこと、わかりきっている、と言いながら、あんまり解っていないんだなあ。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・


家の前の路上にショーギ(床机)という細長い台を置いて、
夕方になると近所の子供たち(大人も)が集まって話をしたり、
お茶をのんだり将棋をしたりしたものである。
その時の夕刊の連載小説が「源義経」であったこともよく覚えている。








11月25日  (金)    1121    1122    1123    1124    1125


旧暦では今日から11月だ。(それがどうした?) 今日は月は出ないよ。心して歩こうね。

篆刻。説明がかなり専門的というか、難しくなってきたんだけれど
どういうわけか、眠たくもなく、他のことに思いを飛ばすということもなく
ずっと集中して聞けた。とは言っても内容が解ったというわけでは全然ないのだが。

校舎の中にたくさんの写真を展示して投票箱もおいてあった。
多分写真クラスの成果発表会を兼ねてコンテストを行っているのであろう。
「健身班」も今日の午後2時から成果発表会をやる。

いったん家に帰ってから出直すのもおっくうなので、
近くの日本料理店で「秋刀魚焼き定食(48元)」を食べ1時間ほど時間をつぶし
さらにケンタッキーに行って読書1時間。(コーヒーとポテトフライで14元)

前に見たのはほとんどプロかと思うぐらいに上手な演技だったが、
今日のは確かに「成果発表会」だ。つまり大人の「学芸会」だ。
失敗して舌を出したり、テレ笑いをしたり、まじめにはやっているんだが上手いとはいえない。
それに出し物がほとんど「太極拳」と「ヨガ」。この音楽が眠気を誘うんだよな。
私は数少ない外国人観客だから審査員席の隣に座らせてくれたんだけど、こっくりやりそうで困った。


下段の左端、一人で演じているのは先生なんだが、さすがにこれは迫力があった。
太極拳というのは武術系だから、やっぱり達人が行うと殺気があるなぁ。


今日は次年度のカリキュラムをもらった。申し込みは12月2日からということだ。
篆刻の先生から「来年も来るか?」と言われて
思わず「はい!」と答えてしまったのでこれは行かねばならん。
太極拳もそうだけど、聞いて理解するというのではなくて、
見て、まねして、ついていっているだけなので人の3倍ぐらいは時間をかけなくっちゃあな。
「百聞は一見にしかず」って、あれウソだぜ。

「中国茶芸」があればよかったんだけど、残念ながらこれは開講されていなかった。
うまくいけば次期は「気功」のクラスにも入ってみようかと思っている。





雲南大学への
語学短期留学 D

2001.2.26.〜4.3.

 日本語教師として
 中国に行くことが
 決まって一ヶ月の
 雲南大留学をした


  はじめの3枚はバスで1時間ほど走ったところにある
  温泉プールである。
  上段右の2枚は町中にある「浴池」
  2段目、3段目昆明の町中にある公園






11月24日  (木)    1121    1122    1123    1124    1118


散髪に行った。
今の家に引っ越してから散髪は4回目だが
毎回違う店に行っている。
いずれも5oの丸刈りで
どの店も決まったように30元である。
頭は2回洗ってくれるが髭は剃ってくれない。
雲南だったら髭も剃って、
マッサージもして15元だった。
北京には「南方理髪」という店があってここでは別料金でマッサージがあった。
我が家の近くの4軒の中では今日の店が一番豪華でサービスもよかった。


3回連載「中国とのつき合い方がマンガで3時間でわかる本」から
その3回目 「自然の力、恐るるに及ばず」

◆自然支配志向
 中国の教科書には名所旧跡の素隋らしさや国土の自然を讃える教材は多いが、
 目然の奥深さを諧える文章はあまり見ない。  
 科学的に自然現象を解説したり、自然を利用する
 人間側の素晴らしさを讃えたりするのが一般的である。  
 たとえば、「大理石街」という教材では、
 わざわざゴーリキの言葉「自然は元来醜いものだ。
 人間だけが自然を美しくできる」をひいて、
 ただの石を美しい大理石に磨く人間の技術と知恵に、
 惜しみない賛美をおくっている。
 人間こそが科学技術や知恵を使って自然を支配することができる、
 という考え方が見える。

◆毛沢東時代に猛威をふるった「人定勝天」
 中国は悠久の昔から、過酷な自然と闘いながら、
 そして数え切れないほどの人命の犠牲を払いながら、
 万里の長城をはじめとする巨大な建造物を造り続け、都市開発を続けてきた。
 その歴史と経験が産んだことわさが「人定勝天」である。
 意味は「人間の力は必ず大自然に打ち勝つことができる」というものだ。
 この「人定勝天」という考え方は、毛沢東時代に猛威をふるい、
 乱暴な開発が行われ、大規模な自然破壊を引き起こした。
 現在の改革開放政策下では、環境問題がクローズアップされ、
 その重要性が認識されるようになりつつあるが、
 それでも、雨不足の北京の空にヨウ化銀剤を搭載したロケットを多数発射して
 人工雨を降らせるなと、自然支配志向は相変わらずである。


昨日、野菜の値段について触れたら、中国の学生から
「私たち学生にとっては、電気代、水道代がとても高いと感じています」とのメールをもらった。
どうなんだろう?
電気代、2000kw 980元(1万2000円ほど)、水道代、100? 440元(5000円ほど)
多分 日本の1/5〜6ぐらいかな。でも電気、水道は必需だし、安売りをしているところもないので
学生にとっては確かに「高い」と言えるかもしれないな。






11月23日  (水)    1121    1122    1123    1117    1118


今日は天津商業大学に笈川先生の講演を聴きに行った。
日中国交正常化40周年を記念して、
2年間かけて中国全土500の大学で講演をするという壮大な計画の一環が
今日の天津商業大になったというわけである。
本当に気合いの入った講演で、500の中のひとつというのでは全くない。
今日だけがすべてとして全力を尽くして500回の講演をやっていく、それに感動した。
先週に続く今日の授業となりがちだった私の授業を深く反省させられたし、
昨日に続く今日を昨日と同じように、そして明日も同じようにと漠然と思って生きている今の私を反省した。
「一期一会」「明日ありと思うこころのあだざくら」である。
授業(講演)というのは知識や技能をうまく整理して要領よく伝えるというだけではなくて
(もちろんそれも大切だが)学生の気持ち、意欲、こころにどれだけ働きかけているかが大切と痛切に思った。
無断で 講演を録音 した。そのごくごく一部をきいてみてください。

それと、かつての同僚の先生や、
教えたことはないけれども
現役の大学生と一緒に
教室に座って講義を聴き、
終わってから学生たちとも
話し合って本当に楽しかった。
そして、さっそく
そのときのスナップも
送ってくれたので一部を紹介。


話は変わって
昨日日本人会で貰ってきた「天津 Style 」という
雑誌に載っていた費用である。
すごいな。日系デパートでは
トマト 12.5倍 ジャガイモ 23倍 レタス 27倍である。
いろいろ言ってもやはり中国は社会主義国
食べ物、交通費、住宅費は安い。
「衣食住」というが「衣」の方はどうなんだろう?


昨日、今日、明日との3回連載「中国とのつき合い方がマンガで3時間でわかる本」から
その2 「隣にいるいる、こんな中国人!」

◆その1‥変化や不安定さを好む(厭わない)
 日本詰も話せない中国人の若い女性が、たった一人で知人もない日本にやってきて留学するなどといった、
 無謀にも見える冒険を平然とやってのける。  しかも、しばらく日本に滞在しても機会が見つからなければ、
 同じところにはとどまらず、借金してでも米国など次のところに移る、
 といった行動をとる人も珍しくない。  
 こう極端でなくても、日本人の好むような「いきつけの店」、「常連さん」という感覚は
 中国人一般には決して強くないようだ。
 何度も同じ店に通うよりは、さらにおいしい味、新しい味を探して、
 新しい店を探すことのほうに積極的という性格である。
 一安定(古いもの)よりも不安定さ(新しいもの)を好む]、常に[不安定な(未知の)場に機会を探し歩く」
 冒険好きな性格といえるのではないだろうか。もちろん保守的な中国人も多いが、
 日本人には数少ーない「一匹狼」的な人物が比較的多いようである。

◆その2‥謝意をあからさまにしない
 中国人に「ありがとう(謝々)」と謝意を表明すると、たいてい真顔で「お気遺いは不要です」(不要客気)
 あるいは「当然のことです」(応該作的)と、むしろ謝意を受け付けないような反応を示す人が多い。
 おそらくこのような反応は「感謝する/されることが恥すかしい」気持ち、
 あるいは「人は人のために尽くすのが当然で、礼を求めているのではない」という
 道徳観からくる態度ではないかと思われる。
 これは中国人があまり謝意を表明しない、すぐに謝罪しないということではない。
 いわば、彼らは言葉の重み、責任の重さをよく自覚して言葉を使い分けているということなのであろう。
 ただ、これがさらにエスカレートして、何かをしてもらっても謝意すら表明しないという人物すらいる。
 そうなってくると、「自己中心」、「威張っている」と周囲から誤解されてしまっても仕方がないだろう。






11月22日  (火)    1121    1122    1116    1117   1118


昨日はパンツが尻にへばりついてしまうぐらい座りっぱなしの一日であった。
尻がパソコン、パンツがわしだ。
でも、まだいろんなところで復旧できていない。
で、健康のため今日一日は外出日と決めた。
その一日をやや詳しくご紹介。
・まずは朝飯も食わずに近くのスーパーに電気を買いに行った。
 電気は前払いで買うのである。写真右下のUSBのようなものを持って行って
 そこに購入量を記録して、家のメーターに挿し込んで使う。2000Kw980元。
・続いて20分ほど歩いて水道水を買いに行く。
 これも前払いだ。写真左のカードに購入量を記録してもらう。100立米 440元。
・ここでちょっと腹が減ったのでセブンイレブンで寿司の細巻き2本(7.6元)を買って、歩きながら喰う。
 このあたり完全に中国人になりきっている。
・食い終わったところでタクシーを拾い国際大厦の日本人会へ
 借りていた本を返し、新たに10冊の本を借りる。
・それから日本人会主催のXmasパーティーのチケットを貰う。
 日航ホテルの昼のバイキングと大抽選会が無料である。
・地下のスーパーを冷やかす。別に変わった物もなかったので何も買わずに出る。
・昼は辛〜いカレーを喰うつもりなので
 中国系のスーパーに入って
 水とウェットティッシュを買う(5元)
・カレー屋に行く。  8元だったかな、追加して
 一番辛いカレーを注文したのだが
 あまり辛くなくてがっかり。
・ここで、この間も一緒になった
 ある情報誌の編集者と一緒になる。
 この人とは今月になってもう4回もあっている。
 コーヒーを飲んでここをでる。(計45元)
・徒歩で「東方之珠洗浴中心」へ。 1時間ちょっと風呂とサウナに入ってからあかすり
 そのあと休憩室で昼寝。合計3時間半ほどいたかな。(55元)
・伊勢丹まで歩き明日の朝食のパンと晩の酒の当てを買う。刺身、めんたいこ、フライものなどで(203.2元)
 伊勢丹の地下の商店街が営業を開始していた(写真左端)。かなり立派な華やかなものである。

・地下鉄で家に帰ってきた。途中ビール1ダース注文(48元)
 すぐに配達しますって言ったんだけど、まだ来ない。今日は来ないんだろう。ずっと来ないのかな?

・そして、これを打ち込んでいるんだが、嫌になるくらい使いにくくなっている。
 カーソルが勝手にあちこちに飛ぶ。出てくる漢字の順序が違う。辞書が消えている。等々

・昨日、ずっとリカバリ作業をしていたので、
 その間パソコンは使えなかったが
 一つの作業で残り時間50分とか出るので、本を2冊読了した。
・一冊は「日本史を読む」 丸谷才一と山崎正和の対談。
 久しぶりに小説以外の本を読んだ。
 これは今週の金曜日の「本の紹介」の方に回そう。
・もう一冊は「中国とのつき合い方がマンガで3時間でわかる本」
 マンガではそんなにパッと解るということはないが、
 説明は割合しっかりしている。


その一節を今日から三日連続でご紹介する。 その一 「日本人はどう見られているか考えよう」である。

◆虚偽(xu‐Wei)
 「日本人は虚偽」という言葉は、おおよそ日本に暮らす在日中国人のほとんとの人たちが異議なく認めるセリフだろう。
 在日10年以上の大手企業勤務者、日本人と結婚して日本に永住する中国人、
 あるいは来日したてのチャイナパブの中国人ホステスにいたるまで、例外なく口を揃えて、「日本人は虚偽」と評する。
 中国語の「虚偽」の意味は、「嘘いつわり」という意味ではない。「本心ではない、うわべだけ」という意味である。
 たとえば、日本人が感謝や謝罪をしても、心から感謝、謝罪しているわけてはなく、
 自己都合で自分のためにしている、うわべだけの表現(ごまかし)にすぎないと彼らは評する。

◆不可解で、冷たい人たち?!  今まで大変親切だった日本人の友人が、
 ある日突然、音信不通となり、いくら連絡しても返事が返ってこなくなってしまう。
 事実上の絶交状態になってしまったが、いくら考えても原因がわからない、
 と悩む在日中国人から何回か相談を受けたことがある。
 「日本人は3C」という言葉も聞く。
 日本人の口先はチョコレートChocolateのように甘いが、
 頭はコンクリートConcreteのように固く、心は氷のようにクールcoolだというのである。
 日本人友人の好意を当然のことのように思い込み、日本人は皆お金持ちと誤解して、
 要求をエスカレートさせてしまうような中国人の周辺で、こういった問題がよく発生するのかもしれない。
 たしかに、そのような場合に、日本人は面と向かって本人に苦情を述べることはよすないだろう。
 しかし、そのような姿勢は、彼らから見て「本心のわからない冷たい、不可解な人」以外の何者でもない。
 喧嘩してでも、本当の理由を話して欲しいと彼らは望んでいるのである。



11月21日  (月)    1114    1115    1116    1117   1118


パソコンの動きが非常に遅いので思い切ってリカバリをした。
朝の9時ぐらいから始めて約10時間全く疲れ果てた。
まずCドライブとDドライブを外付けのハードディスクにコピー
これだけでもえらい時間がかかった。
つづいて、リカバリ自体は割に簡単、
これだったら午後はプールに行けるかなと思ったら
その後がめちゃめちゃ大変。
まずVistaであがってきたのをWindows7にグレードアップするのに四苦八苦
その他のソフトもすんなり入るのもあったが、プロダクトキーとかパスワードが
分からなくなっているのもあって、再三再四立ち往生。
FFFTPの設定も完全に忘れてしまっており、あやうくホームページの転送もできなくなるところだった。
まだ完全ではないがなんとか、旧態に回復したのが午後8時ごろ。
もう今日はこれで限界だ。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・


初めて買った車は赤色のパプリカ。
水平2気筒で非常に簡単な構造の車だった。
点火時期の調整はもちろん、
プラグの交換からエンジンをバラして
ピストンリングの交換まで自分でやったものだ。








   先週以前のブログは下の「過去のブログ」からご覧ください。