10月20日  (木 )    1017    1018    1019    1020   1014



朝粥のバイキングを食いに行った。
店の外から見ると
テーブルは空いているようだったのに
中に入るとずいぶんたくさんの人だ。
ここで食べるよりも持ち帰りの人が多いのだ。
ということは安いことは安いんだろう。
この間のように長いこと待って粥が出てきて
粥を食べ終わったころに焼売がでて
というよりはましかも知れないが
レジの列が長く席に着いたころには冷めてしまっているのはいただけないな。

帰ってからは篆刻をやりかけたり、本を読んだりしてずっと家にいた。

「月光の東」 宮本 輝 読了。
設定もちょっと不自然だし、
登場人物がなんとなく平板であまり面白くなかった。
荒筋とはあまり関係ないが2ヶ所ほど抜き書きを。

修太はふいに立ち停まり、
「学校に行きたくなくなった自分が大好き」
と大声で言った。
私は、思わず、えっと訊き返した。
「安倍先生が、本当に心を込めてそう思えって」
修太はそう言って、同じ言葉を繰り返した。
「指が女みたいな、そんな自分が大好き」
「いままでクラスで数学が二番だったのに、あっというまに三十番になってしまった、そんな自分が大好き」
修太はそう言った。そして、もっと好きになる自分かあるが、それは秘密だと私に言って歩きだした。
「沢田由紀に鼻もひっかけられない自分が大好き」
「それって、秘密じゃないの?」
私はおかしくなって、笑ってしまった。
そういえば、一度、沢田由紀という同級生が家に遊びに来たことを思い出してしまった。自分は美人でごぎいって顔をしてたっけ。


生きるということは、自分を肯定するところから始まるのかもしれない。
ひょっとしたら、医学では解決できない病気の多くは、知らぬまに自分を否定しつづけてきた心によって発生するのかもしれないという気がする。
安倍先生は、そのことを教えてくれたのではないだろうか、
でも、どんなに失敗しても、どんなに欠点や短所があっても、そんな自分を大好きだと思うためには、なにかしらの訓練が必要だ。
だから、安倍先生は、修太に、本気で心を込めてそう思えと仰言ったのであろう。
本気でそう思う努力をしているうちに、本当に自分のすべてを大好きになり、何かあっても安心していられるようになりそうな気がする。
日本人がどこか卑屈なのは、自分たちを大好きだと思う思考が欠落しているからかもしれない。
謙譲の美徳なんてことを生き方の倫理にする文化のせいかもしれない。

夜は、焼売、刺身(赤貝・いか・甘エビ2本)、
いかキムチ、たこわさび、焼き魚(鮭)、かにかま、
辛子明太子、白菜のおしたし、トマトで
DVDを見ながら日本酒を飲む。
白菜とトマト以外は全部冷凍食品である。
悲しいね。
DVDはミッドナイトドラマ「豆腐姉妹」というのを見た。
題や絵からみて食べ物ドラマかと思ったがそうでもないらしい。
ドラマとアニメが混じり合った新手法ではあるが、話自体がまったく面白くない。
途中で居眠りをしてしまった。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

私は小学校のころは先生から褒められることが多かったように思うのだが、
中学校以後はほとんど褒められた記憶がない。
いつも叱られていたような気がする。
叱りやすかったんだろう。
私が悪いのではなくてもとりあえず私が叱られたというような感じだった。
けど、そのことに不満を持ったり、反抗しようと思ったことは一度もなかったと思う。






10月19日  (水 )    1017    1018    1019    1013   1014


快調な目覚めである。
午前中、篆刻をしようと取りかかったがうまくいかない。
多分 宿題は「故人西辞黄鶴楼 烟花三月下揚州 
       孤帆遠景碧空盡 惟見長江天際流」だとおもう。
こんな長いのはとてもできないので
「孤帆遠景碧空盡」の一句だけにする。
でも、よく見ると先生の板書は「孤帆遠景」となっているが
私の記憶は「遠影」である。
2冊の本を調べたが、やっぱり「遠影」である。
でもまあ、「遠景」でいくことにする。

午後は久しぶりにプールに行った。このごろプールはいつも「久しぶり」である。
自転車はちょっと寒いかなと思ったが、走っていると少し汗ばんだぐらいだった。

DVD「福丸旅館」看了。長いことかかった。
夜、人に誘われて焼き肉ほ喰いに行く。
これが「丸福」という店だ。「福丸」を見終えて「丸福」で飯、
とはよくできているではないか。





(55)   2000年 8月17日

「洋上慰霊祭」

   第二次大戦で
   太平洋に散った人たちの
   慰霊の行事も行われた。


上左のポスターは旅行中ほぼ毎日プリントして私の部屋の前に掲示したものである。GPSとプリンターと早起きが威力を発揮している。
下の小さな写真はその時々のスナップである。説明や感想は左欄につけれたらと思っている。長旅だが、どうかゆっくりとお楽しみください。










10月18日  (火 )    1017    1018    1012    1013   1014


どうしうわけか、朝3時半ごろに目が覚めてしまった。
このごろ一週間に一度ぐらいの割でこういうことがある。
まあ、仕方がないのでパソコンをさわったり、本を読んだりしていたが
6時半ごろから、DVDを見ながら焼酎のお湯割りをのむ。
8時半ごろからまた、寝床に潜り込み
11時ごろまで寝た。

そのあと、食事もそこそこに外出。
まず、図書大厦に行って本を2冊買う。日本語のCDがついたものである。
それからぶらぶらと五大道(旧ヨーロッパ租界)を歩く
このところよく五大道に行っているのは
そこに「スパイ博物館」があると聞いたからである。
それが何度行っても見つけられない。
インターネットで調べても出てこないのだ。
ところが、先日老人大学で「潜伏諜報博物館」と書いた
カバンを持っている人を見つけた。
それで検索するとやっと場所が解った
ところがこの博物館はレストランになっていて、食事をしないと中には入れてくれない。
そして、私が行った2時過ぎの時間帯は営業していないという。
残念ながらあきらめてその近辺の写真を撮って帰る。今回は学校やら改装中のサッカー場など。



途中腹が減ったので「A&A」というレストランで
オムライス定食を食う。
ラーメンとかハンバーグとかを
食おうと思って入ったのだが
メニューの写真を見て
なんか懐かしくなって
オムライスにした。


銀行によって家賃分を卸す。米ドルを中国元で卸すためかなりの手数料を取られている。



ある方から漫画の本をいただいた。その方のごく親しい方が書かれたマンガである。
愛犬が年老いて自分で立てなくなる。その犬を介護する実話物語である。
題は「飼い主、犬の手足になる! 要介護犬プキとの2300日」



   おわりに・・・・流星群の夜に・・・・・

プキが旅立った日は3年前のふたご座流星群の夜でした。

ブキとともに歩んできた日々のなかで、一番やったことは「おしっこ」。
印象に残っているのは、おしっこくさいなか見た「夜中の星空」のキラキラ。
美しいキラキラについてくるのは、いつもおしっこやうんこのにおいでした。

さいごの日も3度お尻を汚し、さいごにしてあげたことも、お尻を拭き、
ドライヤーをかけ、ブラシをかけ、フワフワじいちゃんにしてやることでした。
やってきたことすべてを描くつもりでしたが、そんなさいごのさいごの姿だけは、
どうしてもマンガに描くことができませんでした。

プキがいなくなった夜、うたたねをしているときにプキが夢に出てきました。
私の体の上にドーンと横たわり、尻穴を顔に向けて!!

まるで「きれいにしてくれてありがとな」と言われているようでした。
夢がさめてからも、あまりにもプキらしい小ナマイキな出方だったので、
しばらく涙が止まりませんでした。

フワフワじいちゃんは、キラキラ星の流れる日に、
本当のお星さまになって旅立って行きました。

私ももうすぐこの犬のようになる。
どうしても犬の気持ちになって読んでしまう私である。







・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

勤めていたころ、職員旅行で民宿に泊まった。
民宿といっても20人くらいは泊まれる宿である。
風呂も男用、女用と2つあり木札がかかっている。
私は宿についてすぐ木札を確かめて風呂に入った。
そのあと誰かが(宿の人かも知れぬ)その札を入れ替えたのだ。
湯船にゆったりとつかっていると戸がガラリと開いて女の先生が・・・・キャーッ。
私もびっくりしたよ。






10月17日  (月 )    1017    1016    1012    1013   1014


近くの「粥屋」に朝粥を食いに行った。朝粥と言っても9時半ごろである。
ここの粥屋 朝はバイキングもやっているらしい。行ったら丁度バイキングが終わったところだった。
近いうちにまた来てみよう。今日はとりあえず「なんとか粥」とシュウマイを食った。24元

銀行に寄ってみたが15日が土曜だったせいか年金はまだ入っていない。
入っていてもごっそりと家賃で持って行かれるので我が家計が潤うわけではないが・・・・

午後 街に出て、百貨店の6階にある「天華景戯院」という演芸場で「地方劇」というのを見た。
席料は10元、12元、15元である。15元の席をはりこんだが、テーブル付きなので
隣の人がミカンを食う、お茶を飲む、向日葵の種を食い、で落ち着いてみておれない。
10元、12元の方が普通の映画館の席みたいでよかったかもしれない。
外題は 「打狗勧夫」 というやや京劇風の演劇である。 聞いても少しも解らない。
ま、どんなものか上の「打狗勧夫」をクリックすると音声が聞こえます。


高島俊夫著「お言葉ですがF 漢字語源の筋違い」読了
例によって若干の抜粋を

中国の歇後語に「孔子さまの引越」(孔夫子搬家)というのがある。「負けてばかり」の意である。
孔子は学者だから引越荷物は本ばかり(全是書)。
書(本)と輪(負け)は同音だから、負けばかり(全是輸)になる。
「きのうのマージャンどうだった?」「孔子さまの引越さ」というふうに使う。
歇後語というのは、前半と後半がひとかたまりの一種のなぞことばで、通常前半のみを言い、
後半(後)を言わない(歇)から「歇後語」だ。
日本にも似たものはある。たとえばマージャンで、
「ええい便所の火事だ」と言いながらあぶないパイをほうれば、
「ヤケクソだ」ということである。
そのほか、「猿の小使」(気にかかる)と
「行徳のまないた(バカですれてる)とか、あることはある。 p44

もうひとつ

もともと「漁」の音は「ぎょ」である。「りょう」という音はない。
にもかかわらず下に「師」がつくと「漁師」になる。
同じ人を呼ぶのでも「漁民」ならばこれは「漁民」だのに。
「漁」にリョウの音はないのに、事実として「漁師」のばあいは「漁」とよむ。
学者は困っちゃって、こういうのを「慣用音」と呼んでいる。
毎度申す「困った時の慣用音」だ。
「漁師」から出発して「漁」とよむことばがいろいろできてきた。たとえば「大漁」は大漁だ。
大漁とは大いに漁獲があったことなのだが、
漁獲は漁獲で、上に「大」がつくと大漁になる。
「漁船」は漁船である。ところが「密漁船」となるとこれは密漁船はペケで、密漁船なのだそうですね。
「密漁−船」と分析されるからだろう。
どっちでもいいのもあるらしい。「禁漁」は禁漁と禁漁とどちらも辞書にのってます。
でもキンギョと言うと金魚みたいだから、多分口で言う時は禁漁なのでしどっね。
それから「漁場」も二つ出ている。漁場と漁場である。
「場」と結びつくところ、漁の方が和語っぽい感覚なのである。 p79





(54)   2000年 8月15日

「どうぞ遊びに来てください」

 私たちの部屋にはとにかくたくさんの
 人が集まってきた。
 下の4人が元々の住民である。



  上左のポスターは旅行中ほぼ毎日プリントして私の部屋の前に掲示したものである。GPSとプリンターと早起きが威力を発揮している。
  下の小さな写真はその時々のスナップである。説明や感想は左欄につけれたらと思っている。長旅だが、どうかゆっくりとお楽しみください。





下はその部屋の一隅、当掲示板の編集室兼印刷室である。えらいたくさんの土産物も並んでいる。






10月16日  (日 )    1010    1016    1012    1013   1014


今日は太極拳練習の日である。
ついさっきやったこと、習ったことが
思い出せない、やれない。重いでぇ、やるせないでぇ
アルツハイマーかね、痴呆かね。
いや、大脳皮質がアルコール漬けになっているのかもしれない。
その証拠に以前に学んだこと、時間をかけて浸透させたことは
比較的再現しやすい。(「比較的」とつけなくてはいけないのが寂しいが)
「寂滅為楽」などと気楽なことを言っていてはいけない。
帰ったらすぐに復習をしようと思う。が、それが大脳皮質に定着しない。
老人大学の帰り、ちょっと買い物があってバスを途中下車。
いきなりテロに逢ったような大きな音と光り、そして雲だ。
結婚式でもあったのかな。
おかげで復習の決心は「雲消霧散」だ。

いま、老人大学の一つの校舎を改築中である。


夕方からある人の紹介で「日本語教室」を経営しているという人と会って
教室でしばらく話をしたあと、シャブシャブを食べる。
まずビールで乾杯と2〜3杯飲んだあと、白酒にしましょうと
ビールを飲んでいたコップに溢れんばかりに白酒をつがれたのにはちょっとびっくりした。
でも、話に気合いが入ってその白酒もすぐに空となり、何回かついでもらうことに・・・・
大脳皮質は泣いとるなぁ




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

私の小さい頃、同年配の子どもはみんな洟をたらしていた。
袖口で洟を拭くものだから袖がピカピカ光っているという子もたくさんいた。
洟垂れ小僧という言葉はまだ生きているようだけれども、
洟をたらしている子は最近ではほとんど見かけないな。
あれは栄養のせいなんかな。






10月15日  (土 )    1010    1011    1012    1013   1014


第三土曜日は「天津日本語教師会」である。今回は第100回例会だ。
私は第23回例会から100回まで一度の欠席もなく出席している。
とは言っても100回記念らしいことは何もなく、
普段よりちょっと少なめの出席で行われる。
会場の前はにぎやかな露店が並んでいる。

内容は自己紹介のあと
「私の授業紹介」として無錫で多くの日本人の先生や留学生の協力を得て
ホント多彩な日本語授業を成功させた事例発表。
発表自体も楽しくて素晴らしいものだった。
そのあと、「新しい敬語5分類」についての説明発表
「一口コーナー」で『私は遊びに行きます』ということを
まったく中国語を使わずに日本語の解らない学生に
どう伝えればいいのかという質問があって話し合う。
そのあと、前会長も参加の食事会、という内容である。
写真はこの時の様子ではなくて
せめてもの100回記念として私が作製・配布した
記録集の表紙である。




(53)   2000年 8月13日・8月14日


総集編「港」
   &
再演「大地賛頌」



 いよいよ、最後の航海ということで
 掲示も総集編に入ってきた。
 その第一回は「港」編である。


  上左のポスターは旅行中ほぼ毎日プリントして私の部屋の前に掲示したものである。GPSとプリンターと早起きが威力を発揮している。
  下の小さな写真はその時々のスナップである。説明や感想は左欄につけれたらと思っている。長旅だが、どうかゆっくりとお楽しみください。




  船で知り合った人たち







10月14日  (金 )    1010    1011    1012    1013   1014


朝早く起きて「篆刻」に行く。
久しぶりだし、宿題(?) を全然やっていないし、
道具類も持っていない(そのまま北京に直行するため)ので
やや、緊張。
終わり近くなって先生が私に何か言おうとして近づいてきたが
他の人が先生に話しかけたため、助かった。
危なかった。
終わりのチャイムともに脱兎の如く飛び出してタクシーにのる。
別に時間をそんなに急いでいたわけではない。早く離れて安心を得たかったのだ。

天津駅で北京行きの発布を買おうとしたら長蛇の列。
自販機もあるんだが、中国の身分証用で、パスポートでは買えない。
ダフ屋防止のため実名制(購入時に身分証提示)になって外国人には不便になった。

北京には早く着いたので王府井でちょっと本屋に寄り、回転寿司Aを食って(毎回で能がないな)
北京日本文化センターに行く。
  講演は「日本語会話能力の測り方、伸ばし方  OPI(Oral Proficiency Interview) とその利用」
  講師 南山大学教授 蒲田 修
話は面白く、楽しく、内容も興味深く大変よかった。

天津日本語教師会のメンバーが私を含めて6人きていた。
終わってから軽く食事をして帰ろうということになって
近くの四川料理レストランへ。辛かったなあA。
@は朝飯で食った昨夜の残りのお好み焼きである。
@ A B




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

子どものころ遊んだ遊びである。どれくらい共有しているだろうか。
ドーウマ(胴馬)、探偵ごっこ、ビー玉、ベッタン、かつけ玉、パチンコ(木の股にゴムを張って石などを飛ばす)、
はないちもんめ、縄跳び、コマ回し、車輪回し、おはじき、おじゃみ、剣玉、陣取り、尻取り、ゴム跳び、糸車戦車、
チャンバラ、鬼ごっこ、缶蹴り、あやとり、後の正面だ〜れ、坊さんが屁をこいた、ハンカチ落とし、席取り、
この指とまれ、ままごと、お医者さんごっこ、将棋崩し、歩回り、ゴムピストル、紙飛行機、鞠つき、羽根つき、
かくれんぼ、福笑い、坊主めくり、かるた、などなど






10月13日  (木 )    1010    1011    1012    1013   1007


朝の内、かなり本格的な雨。
久しぶりで何となくいい感じだ。
傘をさしてぶらりと外を歩く。
そうだ! ケンタッキーの朝飯に行こう。
10元で質素なハンバーグとコーヒー
あまり安いとはいえない。
雨のせいか人も少ないし、1時間ほど本を読んだ。
帰る頃にはもう雨もあがって日がさしていた。雨の後の日差しは気持ちがいい。

昼は情報誌で見たカレーのバイキングというのに
行ってみた。学生で満員である。
要するに、自分でやれ、ということで
バイキングというほどいろいろ選べるわけではない。
20元で食べ放題というのと同じようなものかな。
たくさん食べる学生にはいいだろう。
もう5元程出せばもっとまじめなカレーを落ち着いて食えるんだからあんまり年寄り向きではないな。
もっとも、年寄りは私一人だけで、ちょっと場違いな感じもしたけれども・・・・

焼酎、白酒、ウィスキーなどを並べておく棚がほしくて、家具屋やスーパーなどをまわったが
適当なものなく、つかれて帰ってくる。

明日は久しぶりの篆刻と(何にもしていない)、北京まで日本語教育の講座を受けに行く。
だから今日は早めに風呂に入って、早めに飲んで、早めに寝よう。




(52)   2000年 7月9日・8月12日


子どもたち特集
   &
孤児院訪問



  なんとか船の故障も修理して
  数日余分に滞在した
  バンクーバーを出発
  あとは東京晴海まで
  海ばっかりである。

  我が部屋の前の掲示も
  思い出バージョンとなっている。


  船中ではいろいろな
  イベントがおこなわれているが
  以後、掲示の方は
  大体が「総集編」となっていく。
  
  今回は、この旅で会った
  子供たちの姿の特集である。


  上左のポスターは旅行中ほぼ毎日プリントして私の部屋の前に掲示したものである。GPSとプリンターと早起きが威力を発揮している。
  下の小さな写真はその時々のスナップである。説明や感想は左欄につけれたらと思っている。長旅だが、どうかゆっくりとお楽しみください。



     






10月12日  (火 )    1010    1011    1012    1009   1007


この間の土曜日に行った「Spot cafe」に行った。
コーヒー一杯(7元)で、ゆっくりと本を読める雰囲気がよい。
天津大の留学生なのだろうか、
かなり多国籍の若者たちである。
かれらもきっと自分の部屋よりもこちらの方が
落ち着いて勉強ができるのであろう。
今日は「日本語サロン」の日ではないので
「日本人の方ですか」と人が寄ってこないのもよい。

ここで、「日本人と中国人、どっちが『馬鹿』か」 孔健 を読了。
ちょっとふざけた題だけれども、中国人論としては
(著者が中国人だから、これは日本人論というべきかも知れないが)
一方に偏らず、すなおに読める本である。
ちょっと長くなるけれども、一部を抜き書きする。

・ 日本人は真実は一つしかないと信じ込み、白か黒かの決着をつけたがる。
  中国人は真実は二つ以上あるとおおらかに考え、一つの結論を押しつけない。
  たとえば、日本人は「ワイロはすべて悪い」と決めつける。
  しかし、中国人は「ワイロには悪いワイロと、よいワイロの二つがある」と考える。

・ 中国人は「十個のうち、九個も一等品ができた」と満足する。
  日本人は「十個のうち、一個も不良品ができてしまった」とくやしがる。
  日本人はすべてに完璧を求める。中国人は百パーセントの成功は求めない。
  老師の言葉に「水満必溢」がある。百パーセントの成功を求めようとすると、必ず失敗するということである。

・ 日本人は言葉はやさしくても、心の中では別のことを考えている。表面は和でも、内心は黒なんだから。
  日本人は中国人の言うことに耳を貸さない、こう思いこんでいる中国人はたくさんいる。

・ 社会主義と資本主義はうまくやっていける。政治独裁と経済開放は矛盾しない。
  こう中国人は考える。多くの人が共産党独裁を非難する。
  しかし、私から言わせれば、共産党という核がしっかりしていたから、改革開放が成功し、中国が分裂せずにすんでいるのである。

・ 「あなたのあいさつに対して、抗議がいくつもきた」
  「どんな?」
  「共存共栄という言葉を使ったでしょ」
  しまった! 中国では「共存共栄」という言葉は絶対に使ってはならない。
  これは、日本の軍国主義が大東亜共栄圏を合理化するために使った言葉なのである。

・ 日本人は桜が大好きだ。あの華やかさがなんとも言えないのだろう。ぱっと咲いて、ぱっと散る見事さが、日本人は大好きなのだろう。
  これに対して、中国人は梅の花が大好きである。梅は寒い季節に花をつける。
  長く、厳しかった冬が終わり、やがて春の訪れを告げる可憐さが、中国人にぴったりなのである。
  明るく、淡白な日本人に比べ、中国人は暗く、粘液質である。耐えて耐えて、じっと我慢する。そうすれば、やがて我が世の春がやってくると思っている。
  もっとも、大陸の中国人には、梅が好きだとおおっぴらにいえない事情かある。
  国民党時代に、台湾に逃げ込んだ蒋介石が、侮の花を「国花」にしてしまったためである。
  台湾では「国歌」に梅の花が登場するし、飛行機にも梅のマークをつけている。だから、蒋介石を追い出してからは、
  中国本土では、梅を国花とは公然とは言えなくなった。

・ 日本人は、『三国志』の劉備、曹操、諸葛孔明が中国でも有名だと思っている。
  たしかに、中国人なら彼らの名前は知っている。しかし、尊敬の度合いから言えば、彼らは李白、杜甫、白楽天の足元にも及ばない。

・ 何に感心するかといえば、中国人の泥棒との違いである。
  日本人の泥棒は現金しか盗まない。お金のそばに、高価な腕時計も置いてあったのだが触れてもいない。カードにも触っていない。
  中国人の泥棒なら、どうだろう。チャンスとばかりに、その辺にあるものを全部持っていってしまう。
  金目のものは、手当たり次第である。一回で最大限の収穫をめざし、後先のことなど考えない。
  日本人の泥棒は頭がよい。現金なら足がつかないが、他のものは危ない。危ないものには手を出さない。
  この点、中国人はいいかげんである。中国人は「馬々虎々」である。「まあ、なんとかなるさ」と考え、後先のことをまるで考えない。

・ 最近、私が気になっているのは、日本人の中国いじめである。
  マスコミに中国人が登場するのは、たいてい中国人が悪事を働いているという記事である。
  スネークヘッド(蛇頭)による密入国、中国マフィア(黒社会)による殺人、
  香港での日本人旅行客相于のぼったくり等々中国人のイメージダウンが著しい。
  沖縄では、バーの入口に「ジャパニーズ・オンリー」という張り紙が出され、
  東京のバチンコ屋にも、「中国人禁止」などと張り出すところもある。
  「中国人お断り」は、なにも、こういった柔らかい職業に限らない。一番固いはずのお役所が、外国人の公務員への就職を禁止しているのである。

・ 日本は、安全で自由な国と威張る日本人が多い。ところが、中国人だから部屋を貸さないというような、日常的差別は枚挙にいとまがないのである。

・ 韓国では、いまだに日本の歌謡曲を日本語で歌うことを禁止しているが、そんなことをしても、何のプラスにもならない。
  「怨みの文化」からは、新しいものが生まれてこない。
  そうではなく、昔の日本人と中国人の、日常的レベルでの交流を知り、
  それが両国の発展の礎を築いていったことを教訓にすることが大切なのではなかろうか。

帰りは天津大学の
構内を通って帰ってきた。
右端の碑文、
何を言っているのか
私にはよくわからない。
ここに立って学校のことを
先輩たちのことを
そして自分のことを思え、
というようなことなんだろうけれども、「八零暖通」っていったい何だろう?




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

新任の頃、クラブ活動で優勝するとかなり大きな優勝カップがもらえたものだ(もちろん回り持ちなんだが)。
その日、生徒たちにも甘いものなど喰わせて祝勝会をやったあと、先生たちは宿直室に集まって優勝の宴会をやる。
優勝カップのリボンなどみんな外し、きれいに洗ってビールを入れる。
瓶3本ぐらいは入ったんじゃあないかな。
それを一気に飲み干して拍手喝采を受けたことがある。
帰りまで頑張ったがバスに乗ったとたん意識がなくなった。






10月11日  (月 )    1010    1011    1005    1009   1007


天津日本語教師会が次回で100回目となる。
思いついて100回の例会記録をまとめてみた。と、言ってもホームページに記録を残しだしたのは
私が初めて教師会に参加した第23回(2001.9月)からだから、10年2ヶ月、78回分、
私は一度も欠席をしていない。こんな飽きっぽいわたしにしたらすごいものだよね。

ついでにホームページの方も、初めのうちは「メール通信」の形をとっていたんだけれども
公開ホームページの形にして約10年。教壇での仕事を辞めた昨年9月からはほとんど毎日更新している。
誰も褒めてくれないから自分で褒めるんだが、これも私にしてはすごいことだ。

午後、日本人会に行って借りていた本を返却し、新たに6冊を借りてきた。
宮本輝と宮部みゆきの小説と日本語関係と中国関係の本
税抜きで約一万円だ。ほんと有難いことだ。

左の写真は天津日本人会の入っている国際大厦のロビー(何の関係もないけど)
あ、そうだ、ここの地階のスーパーには「ミツカンあじポン」が売っていた。
売れ残っていたと言った方がいいのかもしれないけれど。

話は変わるが、このごろ物忘れがひどくなった。
昨日など「過敏症」のことをカタカナで何と言うんだったか、思い出せず、一日ひそかに格闘した。
あ、そうだ、「アレルギー」だつたと思い出した時のうれしかったこと!。
この間読んだ本の題名、ビデオの題名なんか思い出せないものの方が多い。
逆に題は思い出してもどんな荒筋だったか、言えないものはもっと多い。
まあ、「日々新たなり」という気分だな。




(51)   2000年 8月10・11日


バンクーバの小ドア物たち
   &
小松事務所開設準備中



  船のエンジン故障のため
  予定外のバンクーバー滞在で。
  いろいろゆっくりと
  町の散策・見物ができた。


  水族館に行ったり
  レンタサイクルを借りて
  町を走り回ったり


  バンクーバーは
  小さな動物の多い町だった。
  それも飼われているのではなくて
  野生の動物が人と共生している
  という感じだ。


  上左のポスターは旅行中ほぼ毎日プリントして私の部屋の前に掲示したものである。GPSとプリンターと早起きが威力を発揮している。
  下の小さな写真はその時々のスナップである。説明や感想は左欄につけれたらと思っている。長旅だが、どうかゆっくりとお楽しみください。












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