10月10日  (月 体育の日)

                  1010    1008    1005    1009   1007


中国では金曜日までが国慶節1週間の休み
土日は振替出勤日である。
かなり多くの学校が調子よく振替出勤を無視して
9連休としているみたいだ。
でも今日からは出勤日。
日本は今日までの3日間がシルバーウィークである。
今日は「体育の日」
頑張って1時間「歩いて」スポーツクラブに行った。
寒いかとおもったが結構暖かくて
途中で上着を脱いだぐらいだ。
もっともスポーツクラブではジム・スタジオには行かず
プールを歩いただけ。

その後、長虹公園を散策。


家に到着して少し休憩してから、「体育の日」協賛個人イベントの実施。
1階から26階まで歩いて登った。4階でも歩いてはイヤなのにその約7倍だ!
しんどかった。足が震えた。汗が流れた。息が切れた。心臓がどきどきした。
ほうほうの体で部屋にたどり着いてシャワー。
これで私の体育の日はおしまい。

昨日のつづきで「十三夜」田中澄江訳 読了。
原文で読みたかったが、今手元にはない。
と、書いたところで「青空文庫」を思い出した。
行ってみるとちゃんと原文のがいるじゃあないか。
よし!明日でも読んでみよう。

昼は「体育の日」にちなんで「博多ラーメン」
今夜は「湯豆腐」の予定で
特製「ポン酢」を作った。
なにとなにを入れたかはあまり定かではないが
なんとなくポン酢らしい味の液体ができた。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

子どものころの暖房は「こたつ」と「火鉢」だった。
そうそう「湯たんぽ」というのもあったな。「ホッカイロ」なんてものはなかったけれども、
桐灰に火をつけて金属製の「懐炉」にいれて布で包み懐に入れるというのもあったようだ
(私は見たことはあるけれども使ったことはない)。
江戸時代の将軍様など炬燵に入っているのを余り見ない。
広い部屋で火鉢だけでは寒かっただろうな。
石を焼いた「懐石」というのはあったみたいだけど。






10月 9日  (日 十三夜 後の名月)

                  1003    1008    1005    1009   1007


旧暦9月13日 十三夜 後の名月であるが
天津は朝から曇り、お日様もお月様もお出ましはない。
たしか、仲秋もそうだった。まあ、片見月にならずによかったというべきか。
左は月見に義理立てして飾った花だけど・・・・
そうだ樋口一葉に「十三夜」って小説があったな。
出して読みかけたけど、長いのでやめにした。よければ挿絵だけ見てください。

体調もまた今日の天候同様特に熱があるわけではないのに
なんとなく熱っぽくてだるい。

一日 家にいて昼間から
ウィスキーの水割りを飲みながら「天狗風」宮部みゆき 読了。
いきなり「神隠し」から始まって、霊視、霊聴能力があり
猫とも話ができる主人公お初の物語である。
でも、こういう世界に結構すんなりと入り込んで楽しめるのは
熱のせいかな

江沢民は生きていたようだね。失礼した。
「孔子世界平和賞」はとりやめになったそうだ。ハハハ・・・




(50)   2000年 8月8・9日


バンクーバ カラビノ渓谷
   &
雪をいただいたベーカ山

  カナダに到着して事故発生。
  カナダまでの動きもかなりおかしかった。
  修理のためカナダ滞在延長
  そこでは直りきれなかったようで
  太平洋上で飛行機で部品を
  受け取ったりもしていた。   
おかげでバンクーバー近郊を
  ゆっくりと楽しむことができたけれども
  日程の決まっている人は
  やむを得ずカナダから飛行機で帰国
  北朝鮮訪問が不可能となってしまった。

  8月8日、
  船内では私の誕生パーティーが
  面映ゆいぐらいに盛大に行われました。


  上左のポスターは旅行中ほぼ毎日プリントして私の部屋の前に掲示したものである。GPSとプリンターと早起きが威力を発揮している。
  下の小さな写真はその時々のスナップである。説明や感想は左欄につけれたらと思っている。長旅だが、どうかゆっくりとお楽しみください。














10月 8日  (土)    1003    1008    1005    1006   1007


やっぱり天津の花は鮮やかなものが多い。
これはバス停に咲いている花

昨日のパソコンの不調もなんとか回復したので
ほんとに久しぶりに
「日本語サロン」というのに出かけてみた。
スポットコーヒーという喫茶店で
歩いていけるところである。
まだ休みの延長ということなのか、いつもこんなものなのか、人は5〜6人ぐらいかな。
かなり広い店でそれぞれにパソコンを開いたりして集会の雰囲気ではない。
私も隅のえらい大きなソファーに陣取り(写真右端)コーヒーを飲みながら本を読む。
途中、天津中国国際旅行社に勤めているという人が来て、少し日本語で話した。
気がつくとちいさなグループができて「日本語サロン」が成立していたようだ。
私はそれには入っていかず1時間半ほどいて退出した。
サロンのある日ではなくて、他の曜日にきてゆっくりしていくにはいい店だ。
マクドやケンタッキーよりも安いし、落ち着く。これから時々行こう。


そのあと、日系のスーパー3軒はしご。「ポン酢」を買いたかったんだけど、どこにもない。
伊勢丹もなかったし、宅配でも欠品。いったんなくなると全市でなくなるから不思議だよね。
ま、自分の味でつくればそれほど面倒なものでもないのだが・・・・

ついでだから牛肉のかたまりを買って帰ってワイン煮込みを作ってみた。まあまあの出来である。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

昔の家には「雨戸」というのがあった(今もあるんだろうけれど)。
夜になるとガラガラと閉め、朝になるとまたガラガラと戸袋にしまう。
夜になると雨戸を閉める、当たり前のように思っていたが、
今考えると防犯が主目的だったんだろうか(もちろん台風警備もあろうが)。
中国では5回目の家に住んでいるけれども「雨戸」のある家はなかったな。
そのかわり1階の窓には鉄格子が、ドアは2重である。
あれ?日本の家、玄関はガラス戸だけだったけど・・・・






10月 7日  (金)    1003    1004    1005    1006   1007


朝方は別段変わりはなかったのに、午後 自分のホームページに入ろうとすると
どういうわけか中国の検索エンジン「百度 Baidu 」のページがでてくる。
どうやっても自分のページに入れない。これとつきあって今日は一日在室(言い訳ではない)。
どうも、私のホームページのアドレスを百度が不法占拠したみたいな感じだ。
他のホームページはちゃんと見れるし、メールも正常である。
さらにFFFTPでページ内容の更新もできる。
iPhone で見るとちゃんと更新した内容が見れるのだからアドレスが占拠されたとかの問題ではなくて
パソコン側の不具合が起こっているのかも知れないな。
私のボケ防止のための神の配剤なのかも知れないが、次から次へと悩みは起こってくるものだ。


ノーベル賞の発表が相次いでいる。
今年も村上春樹は受賞できなかった。
私個人の感じとしては村上春樹がノーベル賞に値するのか疑問に思っているが・・・・
中国は一週間ほど前、新聞などでかなり盛り上がっていたのだが、
科学賞、医学賞、文学賞すべてダメで
がっかりというか憤懣やるかたないというか、反ノーベル気分だな。
やけっぱちかどうかしらないが「孔子世界平和賞」というのを再創設したそうな。
去年は「孔子平和賞」だったんだが、
みんなに笑われてこれは廃止して今度は「孔子世界平和賞」だ。笑っちゃあいけない。




(49)   2000年 8月5・6日


カナダ ビクトリア湾
   &
ライオンゲートブリッジ

  カナダ到着である。



  上左のポスターは旅行中ほぼ毎日プリントして私の部屋の前に掲示したものである。GPSとプリンターと早起きが威力を発揮している。
  下の小さな写真はその時々のスナップである。説明や感想は左欄につけれたらと思っている。長旅だが、どうかゆっくりとお楽しみください。










10月 6日  (木曜日)    1003    1004    1005    1006   0930


秋の夜長と言うが、夜が長いと言うより朝が遅いのが実感である。。
6時になってもまだ窓外は暗く、なんとなく起きにくい。

「下流の宴」 林真理子著 読了。
お受験紹介って感じでそんなに面白いとは思わなかったのだが、
最後の謝辞を読んでへぇ〜と思った。

         謝辞

   この小説を書くにあたり、多くの方々にお世話になりました。
   精神科医であり、進学に関するご著書も多い和田秀樹さんには、
  受験のノウハウはじめたくさんのアドバイスをいただきました。
   沖縄の島々のことを教えてくださった作曲家の三枝成彰さん、ありがとうございました。
  それからあたかも珠緒が実在の人物がごとく、親身になって通信教育の通信欄に書いてくださった
  緑鐵受験指導ゼミナールの奥田先生、また、この通信教育を必死に受けてくださり、
  日夜勉学に励んでくれた毎日新聞の学芸部記者・内藤麻里子さん、本当にありがとうございました。
                                        著者

下流の主人公珠緒が医者になるべく通信教育を受けるという筋書きがあるのだが
その通信教育も実際に受けてみている人がおり、通信欄も実際の先生が書いているのか・・・・
小説作るってペンと紙だけではいかんのんだなぁ。とびっくりしたわけ。

それともう一つ、読み終わってからインターネットを見たら
これは今年の7月までNHKの連続ドラマとして放映されていたんだそうだ。
もっとびっくりしたのは、私ついこの間 このDVD買っていたのを完全に忘れていた。

夕方近くから買い物がてら、
再び「五大道」を歩く。
国慶節休暇ということもあって
若い人たちが貸し自転車で
走り回っていた。
また、洋館のレストランのようなところでは
どういうわけか市民に向かって(道路に向かって)
結婚式の披露宴のようなことをやっていた。

今日の五大道はちょっと横町特集のような感じで・・・・・





・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

中1のころの体育の時間の多くは山崩しであったような気がする。
ツルハシ、スコップで山を崩し、モッコで捨てに行く。
まるで「愚公移山」である。
先生は本当にこれで運動場を広げるつもりだったんだろうか。
もしそうだとすればそれはそれですごいものだね。
もちろん私たちが高校を卒業するまでその山はほとんど姿を変えずに残っていたが、現在はすっかり無くなっている。
体育の授業は重機に乗っ取られたんだ。






10月 5日  (水 旧暦9月9日 重陽の節句)

                           1003    1004    1005    1002   0930


中国でも別段これといった行事が組まれるわけではないが、今日は重陽の節句(菊の節句)である。
古来より何となく庶民の祭りというよりは文人の趣味といった感じがする節句だ。
「置きまどわせる白菊の花」という雰囲気からはほど遠い。
菊の花を日本酒に浮かべて飲めば長寿、ということだがやっぱり飲み過ぎはよくないんだろうね。
昨日の酒が残っているというわけではないが、やはり倦怠感がある。
真っ昼間の12時ごろ風呂を沸かして入り、ちょっと元気になってウィスキーの水割りを飲んで寝直す。
5時半ごろに起きたがやっぱりなんとなくだるい。
これは酒のせいではなくてだるい生活をしているからだるいのであろう。




(48)   2000年 8月3・4日


アカプルコの砦
   &
夏 祭 り


 船はカナダに向けて
 北上中

 8月3日
 緯度は日本と同程度というのに
 ずいぶん寒い!

 船内ではいろんな行事が
 次々と行われています。
 
 これらの行事を計画し、実施するのも
 船客として乗り込んでいる
 若者たち。

 若い子たち、ホントに
 エネルギッシュで明るい

 神戸の震災でも
 率先して動いてくれた
 あのエネルギーを感じたものだ。

  上左のポスターは旅行中ほぼ毎日プリントして私の部屋の前に掲示したものである。GPSとプリンターと早起きが威力を発揮している。
  下の小さな写真はその時々のスナップである。説明や感想は左欄につけれたらと思っている。長旅だが、どうかゆっくりとお楽しみください。










10月 4日  (火)    1003    1004    0928    1002   0930


中国人のご家庭におじゃました。。
国慶節ということもあってか、すごいご馳走である。
左の写真はほんのその一部である。
家の人を含めて7人、とても食べきれるものではない。
中国のおもてなしというのは食べ切れてはいけないのだそうだ。
白酒一本1000元以上もするという超上等を2本空にした。

昼から始めて3時間ほど、そして休憩にマージャンを一局。
中国のマージャンは日本と基本はいっしょだけれど、すこし違いがある。
一番大きな違いは、日本で言う「懸牌」の扱いだ。懸牌が1筒だったら1筒と2筒は何の代用にもなる。
トランプで言うジョーカーの役割だ。
したがってできていない組み合わせが懸牌をつかうことですぐに完成する。
懸牌を使って完成していた組み合わせに本来の牌が入ると懸牌はまた別の所に使われる。
そういう牌が7枚も出回っているわけだから、とにかく上がりが早くなる。
これにはなかなか頭が付いていけず、私は最下位だった。

そのあとまた10時過ぎまで食事とワイン、よく飲み、よく食べた一日でした。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

初恋は中一のころだと思う。
小学校でもほのかに好きな子はいたんだけれどもそれを初恋と呼べるかどうかは疑問がある。
中学校になって妹の友だちが好きになり妹から写真をもらいポケットに入れてヒマがあれば出してみていた。
小学校の頃は写真なんてものが無かっただけのことかも知れん。
中3のころある女学校の子を見初めて毎日その子の家の前を自転車で行ったり来たりしていた。
二人とも言葉を交わしたことは一度もない。






10月 3日  (月)    1003    1001    0928    1002   0930


初めての店に散髪に行った。
毎朝午前10時に店員全員が店の前で
ダンスというかパフォーマンスをする店である。
それからスポーツクラブに行くつもりだったけど
急遽思い立って風呂屋に。
入浴、サウナ、あかすり、蒸気サウナ、マッサージ、足療
と一通りやって身も心も軽くなった気がする。

米がなくなっていたので伊勢丹によって米を買う。
いつもは宅配で「秋田小町」3s 30元を買っているのだが
伊勢丹では「コシヒカリ」2.5s 50元である。
宅配が国慶節期間中(1〜7日)休業なのでやむを得ない。
国慶節協賛でちょっとうまい飯でも食うことにしよう。




(46)   2000年 7月30・31日


アカプルコ湾とオリビア
   &
アカプルコビーチ


 船はやっとメキシコに入った。
 どういうわけか私には解らないが
 多くの人はプロレスの試合を
 見に行ったようだ。


 私は海岸でほんやり
 これはホントによかったな。

 キューバとはまた違った
 南の海がはじけていた。

 その他は写真も残っていないし
 記憶も定かではない。

 それで、スケッチの展示や
 勉強会のポスターなどを
 にぎやかしに使っている。






  上左のポスターは旅行中ほぼ毎日プリントして私の部屋の前に掲示したものである。GPSとプリンターと早起きが威力を発揮している。
  下の小さな写真はその時々のスナップである。説明や感想は左欄につけれたらと思っている。長旅だが、どうかゆっくりとお楽しみください。
















10月 2日  (日)    0926    1001    0928    1002   0930


水上公園に行った。ずいぶんの人出である。
途中の道も露天商がすき間なく並んで歩きにくいほどである。
この写真などはまだいい方で、
輪投げ、射的なども歩道全部を使って店を張っている。
歩行者は道ばたにぎっしり駐車している車の間を抜けて
車道を歩かねばならぬくらいである。
制服の警官も射的を楽しんでみているんだから仕方がない。

水上公園もたくさんの家族連れ、恋人連れ、祖父母連れで賑わっていたが
場所が広いので、ぼんやりと瞑想にとか、ゆっくり読書とかいうわけにはいかないが
ボートや遊具に乗ろうなどと思わない限り、まあまあゆったりとはた気分は味わえる。
今日も結婚写真は賑わっていたな。




日が当たっているところに出ると、うっすらと汗をかくぐらい、
しばらく日陰にいると寒く感じるくらい、そんな秋日和である。
ちょっと日もかげってきたので水上公園を出て
近くの商業街まで足を伸ばし、韓国の酒「マッゴリ」を
やかん一杯買って路上で飲む。
やや甘めのどぶろく(濁り酒)という感じかな。
やかん一杯飲むとふわふわとした気分になってタクシーに乗って帰った。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

自転車はいまだに上手く乗れない。
片足でひょいひょいと走って動き始めることは今もできないし、
車とのすれ違いやちょっと狭い所に来ると緊張してヨロヨロするし、
両手を話し手乗ることもこわい。
でも小さいときは大人の自転車に「三角乗り」なんてやっていたし、
中学の頃は自転車に乗りながら居眠りをして停まっているトラックに追突したこともある。






10月 1日  (土 国慶節 日本では「衣替え」 赤い羽根運動も始まる)

                    0926    1001    0928    0929   0930


どういうわけか午前2時半に起きてしまった。
もちろん国慶節がうれしかったわけではない。
・・・・が、一応国慶節の朝日をお届けしよう。
6時頃までパソコンごそごそやって
焼酎のお湯割りをつくって4〜5杯ものんだかな
また、ねむたくなって11時前まで寝る。いかにも休日の朝らしいと言えるかも。

午後より来客、私と同年配の方々4人で飲む。
一人はコーラー、一人は白酒、一人はワイン、そして私は日本酒とそれぞれ別の酒である。
この方々か来たひとつの理由は26階から国慶節の花火を見ることだった。
それがどうしたことだろう、8時になっても、8時半になっても花火は上がらない。
わずかに個人の小さな花火が2度ほどなっただけ。
毎年、国慶節にはかなり派手に公的な花火が上がるのに・・・・・
そこで憶測・・・・江沢民が死んだのかも知れないな、と言ったら
中国人のお客は「何のことだ?」とまったく知らない様子。
それにはかえってこちらの方が驚いた。
日本では江沢民死去と言う報道(誤報?)がかなり大きく伝えられたと思うが、
推測ではその後 危篤か植物状態ということじゃあないのか。

「焚火の終わり 上・下」宮本輝 読了
同著者の「約束の冬」が面白かったのでまた宮本輝を選んで読んだ。
全体のストーリーとはほとんど関係ないけれど、セリフを3つほど紹介。

   「私は、フーランクフルトに行く前に、もう一度、岬の家に行きたいだけ。あの家で風や波の音を聞いてたら、
  人間のしがらみなんかどうでもよくなってくる・・・・。法律や道徳で、許したり許されたりってことなんて、
  小さなことに思えてくる。心の落ち着く家があって、わかりあえる人がいて、体を休める蒲団があって、
  生活に必要なだけのお金と物があって・・・・、それ以外に何を求めるのかなァって、このごろよく考えるの」
  「起きて半畳、寝てー畳って言葉があるよ。それ以上大きな寝ぐらは必要ないんや」

   白分のなかに生じたさまざまな理性の角は、目分を正当化するための観念の遊びだった。
  それは、自分のしていることに自信がなかったからだ。
  心を誤魔化そうとして理性という名の脆弁を弄したにすぎない。そんなことをしているうちに、
  やがて自分自身が心に誤魔化されてしまう、それは、とても恐しいことなのだ。

  考えてみれば、我々の世代は、物心ついたときから規則にしばられ、学校にあがっても校則というやつでがんじがらめにされ、
  大学に入って、受験勉強から解き放たれても、あっというまに社会に出て行き、そこでも、自分の生活などないに等しい毎日で、
  結婚したら女房や家庭に拘束され、三十歳を過ぎたころには疲れきってしまっている・・・・。





(45)   2000年 7月28日


モロの要塞


 キューバから
 パナマまで南下
 コスタリカ、ニカラグア
 ホンジュラス、グアテマラ沖と
 海上生活が続ききます。
 ということで
 写真はまたキューバに戻っています。
上左のポスターは旅行中ほぼ毎日プリントして私の部屋の前に掲示したものである。GPSとプリンターと早起きが威力を発揮している。
下の小さな写真はその時々のスナップである。説明や感想は左欄につけれたらと思っている。長旅だが、どうかゆっくりとお楽しみください。










  





   先週以前のブログは下の「過去のブログ」からご覧ください。