9月11日  (日 二百二十日)    0906    0906    0907

二百二十日。
天津は一日はずれで昨日はかなりまとまった雨だったが今日はまずまずの天気。
大相撲、秋場所はじまる。まあまあ、波乱のない幕開けだ。
東日本大震災から半年。そして、アメリカ同時多発テロ10周年
野田内閣ではすでに一名の大臣が引責辞職。
なでしこジャパンはオリンピック出場決定。
そして老人大学の太極拳、後期2回目。
今日の先生は若い学生風の女性だった。

前後 何の関係もないが、
老人大学の前にある標識だが
これは(大型車)右折・左折禁止という意味だよね。
でも、ここT字路なんだけどねぇ
ここまで来た大型車はUターンしろ
ということなんだろうか。

ところで明日は「七里海釣蟹一日旅行」に行く。
七里海が何処にあるのかも全く知らないのだが
きのうの新聞に左のような記事が出ていた。
ニセの「七里海河蟹」が出回っているそうで
ということは「七里海河蟹」というのは
ずいぶんブランドなんだな。
58元の旅行でで昼食に一人一匹付くそうだが多分ニセものなんだろうな。
ま、何はともあれ、防寒用に薄手のジャンバーをベットの下から取り出し、
白ワイン、柿の種、おかきとともにリュックに詰めて準備完了。
一日のんびりと過ごさせてくれれば、蟹は偽物でも、いなくても別にかまわないのだ。




(37)   2000年 7月 8日

 七夕まつり

 イタリアをでてからは
 しばらくは地中海から
 ジブラルタル海峡を経て
 太平洋にでる。

 その間、寄港地が少なく
 運動会、討論会、サッカー大会
 などの船内イベントが
 いろいろと行われた。

 七夕祭りもその一つである。

 ちょっと見にくいかも知れないが
 今までの航海の跡を
 一覧にしてみた。
  上左のポスターは旅行中ほぼ毎日プリントして私の部屋の前に掲示したものである。GPSとプリンターと早起きが威力を発揮している。
  下の小さな写真はその時々のスナップである。説明や感想は左欄につけれたらと思っている。長旅だが、どうかゆっくりとお楽しみください。











 9月10日  (土)    0906    0906    0907

中国では今日は「教師節」である。学校も先生も休みではない。
新聞などでは数日前からかなり宣伝しているけれども、特に何ということはない。
一度だけ花束をもらったことがある。メールは毎年(今年も)何通かいただく。
それだけである。

裏千家茶道同好会が
例年通り「仲秋茶会」を開催
私の招待は午前11時半開始の席だった。
「仲秋茶会」っていえば「月」だろうが! 
なんでこんな真っ昼間なんだ!
という気持ちが通じてしまったのか、珍しく雨。
裏千家そのものが行う新年茶会とちがって
いわば学習者たちの発表会みたいなものなので
それなりの初々しさもあってなかなかいい。

そのあと、どういうわけか同好会の昼食会に
私もご招待いただき、えらい立派なレストランで会食
ビールもたくさんいただいてすっかりいい気持ちになって帰った。

家に帰ってからはDVDなど見て休憩
買い物に行くのも面倒だったので
ありあわせのかなり質素な夕食でビールを三本
それでも、ビールの肴のDVDは太極拳42、
立派なものだ。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

中1のころのことと思う。
上の兄貴が結婚して、その奥さんの弟が多分大学生で空手をやっていた。
さっそく私も庭に巻き藁を立てて空手を教えてもらった。
空手の道着ではなくて、柔道着でやったのでえらいもたもたしたものだった。
でも毎日巻き藁を付いて初めのうちは手が血だらけになっていた。
型も教えてもらったがすべて忘れてしまった。
平安2段とかいうのがあったような気がする。






 9月 9日  (金 重陽の節句)    0906    0906    0907

正月、雛祭り、端午、七夕に続く重陽の節句(菊の節句)、
そして明日が仲秋節である。
日本では菊人形、お月見という程度であまり流行ってはいないのだけれど
中国では特に仲秋は土日と合わせて3日間の連休とするほどの
重要な祭日となっている。
明日は月がでるといいんだが・・・・・・

篆刻 畳一畳ぐらいの大きな紙に書いた「陋室銘」に学生みんなが
雅印を押した。これくらいになるともう字というよりは画だな。
左は多分今日の課題か、
あるいは宿題なのであろう。
右の方はとにかくとして
「墨韻」とか「墨趣」とか
こんなの篆書になおして
印にしてもしょうもなかろうに

午後からインターネットはつながるのに Hotmail の送受信が出来ない、
ファイルの転送が出来ないという状態が続いた。
Hotmailのサイトを見ると多くの人が同じ質問を書き込んでいたので
私のパソコンの故障というわけではなさそうで、なんとなく安心した。

夕方になって回復したのだが、どういうわけかMSNのトップページからHotmailをクリックすると
「Badu 百度」のページに飛んでしまう。これはまだ解決していない。


今日の「地球一周の旅」は休載します。ごめんなさい。







 9月 8日  (木 白露)    0906    0906    0907

朝から今月5日のブログで触れた 映像芸術展 『阪神沿線ーー村上春樹的心象風景』を看に行った。
ところが美術館はガランとしている。表の看板を見ても確かにやっているはずなんだが・・・・
受付に来た人をつかまえて聞いてみると、ちょっと待ってくださいと待たされて
結局 今日は初日なので午後3時開始です、とのこと。
今は午前10時、なんぼ大陸になじんできたとはいえ、ここで5時間も待つわけにはいかん。
明日からは18日まで午前9時からずっと開いているということなので、またの機会にということにした。


まあ、ここまできたついでだから近くの「大悲禅院」と「望海楼教堂」の二箇所を見学した。
「望海楼」はいつも見てはいるが中に入るのは初めて。
「大悲禅院」は修理改築ごは初めてである。きらきらしていたもうひとつだなぁ。(参観料5元)




教会の方はかなり古めかしく壊れかけの感じでそれなりの風情もあった。
一部は病院として使われているようだし、一部には人も住んでいるようだった。
敷地内のみすぼらしいプレハブで礼拝行われているようだ。

左は門の傍らの掲示。拡大して見てほしい。
  第一条 国民の宗教信仰の自由を保障し、宗教と社会の調和のために
      憲法と諸法令に基づきこの条例を定める。
  第二条 国民は心境の自由を有する。
とある。中国に於いても改革解放以後、宗教はアヘンではなくなているのである。

夜は、これも雑誌の広告から
食べ放題・飲み放題
  昼 128元 → 88元 → 65歳以上は 44元
  夜 188元 → 98元 → 65歳以上は 49元
というのに行ってみた。
雑誌を見せると、雑誌をお持ちの方にはサービスですと
28元の冷酒を一杯つけてくれた。

ひとりでビール5本を飲み、腹一杯食って、ちょっと歌でも歌い出しそうになって
こりゃいかん、と勘定してもらって帰った。確かに49元だった。安い!

58元の蟹釣り旅行といい、49元の食べ飲み放題といい、
やっぱり貧乏人に優しい社会主義中国だ。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

中1の国語の授業で毎日一句ずつ故事成語を教えてもらった。
最後に清書して表紙を付けて一冊の冊子にした時にはホント達成感があったなぁ。
「燕雀いずくんぞ鴻鵠の志を知らんや」とか
「鶏をさくになんぞ牛刀を用いんや」などなど、
懐かしい。






 9月 7日  (水 国際青年デー)    0906    0906    0907

新聞広告を見て隣のビルの旅行社に申し込みに行った。「七里海生態園趣味釣蟹団」一日遊。58元
豪華空調旅遊車、優秀ガイド、責任保険付、昼食(小魚煮、粥、各人に河蟹一匹)付
蟹釣りの道具、餌は無料貸与(釣った蟹は持って帰ってもいいがその場合は有料)
そして葡萄と七里米500g のお土産が付く。これで58元は安い!!
場所がどこなのかは全然知らないんだけれども
インターネットからダウンロードした写真ではなかなかよさそうな・・・・


今日の午前中、老人大学の日語科の学生(と言っても勿論「老人」であるが)から電話があって
担当の先生と連絡が取れない、学生はみんな来るのに先生がいなくては困るので
私に先生として来て欲しい、と言う。
急遽、教材を付くってコピー屋に走ろうとしたところ、また電話があって
連絡が取れました。ご迷惑をおかけしました。ということで一件落着。
教材作りにちょっとあせった一幕でした。

「本の紹介」のコーナーも試作品が出来ましたので、一応UPしてみます。
日付横の絵をクリックしても「001 美しい日本の私」しか出ませんが
「本の紹介の目次」に入ってもらうと「002 日本の息吹」までがUPされています。





(36)   2000年 7月 7日
 ローマ

 チビタベキアの町は
 一日で見て回った感じだったので
 船にいても仕方がないし
 やはりローマの町に出かけた。

 この前、言ったとき工事中だった
 コロッセウムなどが
 どのようになっているのか
 なども見たかったからでもある。

  上左のポスターは旅行中ほぼ毎日プリントして私の部屋の前に掲示したものである。GPSとプリンターと早起きが威力を発揮している。
  下の小さな写真はその時々のスナップである。説明や感想は左欄につけれたらと思っている。長旅だが、どうかゆっくりとお楽しみください。






 9月 6日  (火)                    

飲料水を注文したので午前中はその配達を待つために禁足
午後、自転車でスポーツクラブへ
太極拳42 一昨日しっかり練習したので今日は出来るかな、と思って
スタジオの鍵を開けてもらって始めたがやっぱり一人ではダメ。
乗馬をやっていた時と同じだ。自分では乗れるつもりになっていたが、
調教の先生がいなくなると突然馬が言うことを聞かなくなってしまう。あれと同じだ。
プールで30分ストレッチをして帰る。
帰ってから、薄い水割りのウィスキーをつくって
「柿の種」をつまみにちびちびやりながら「約束の冬」宮本輝著 を読む。
その「あとがき」にこうあるように、気持ちのいい小説だ。

『約束の冬』を書き始める少し前くらいから、
私は日本という国の民度がひどく低下していると感じる幾つかの具体的な事例に遭遇することがあった。
民度の低下とは、言い換えれば「おとなの幼稚化」ということになるかもしれない。
受けた教育とか社会的立場とか、その人が関わっている仕事の種類や質といったものとは次元を異にする領域において、
日本のおとなたちは確実に幼稚化している。いったい何がどう幼稚化したのか。
現代の若者たちはいかなる人間を規範として成長していけばいいのか・・・・。
私は小説家なので、小説のなかでそれを考えて、小説として具現化していかなければならない・・・・。
そこで私は『約束の冬』に、このような人が自分の近くにいてくれればいいなと思える人物だけをばらまいて、
あとは彼たち彼女たちが勝手に何等かのドラマを織り成していくであろうという目論見で筆を進めた。

この中に出てくる京都の料亭「くわ田」の女将 本田鮎子という人が
私が神戸に行くと必ず寄せて貰う人とそっくりで、これもまた好ましい。

「ただただ、感謝の思いだけが、この何日間かずっと俺っていう人問のなかにあるよ」
と桂二郎は言った。
鮎子はしばらく沈黙していたが、持っていたグラスをカウンターの上に置くと、
「上原桂二郎というお方は、ほんまに人に思まれてる・・・・。それって、ものすごうありがたい、
得がたい運やなァって、私は前々から思うてきたけど、運ていうもんは、ただ天が与えたもんではないんやねェ」
と言った。
「不運な人も、幸運な人も、それを『運』ていうひとことで片づけたりするけど、
その運は、なにか人智でははかりしれんもんが分配したんやない・・・・。て思うねん。
やっぱり、その人が作りだしたんやって思うねん。
上原桂二郎が人に恵まれるという星のもとにあるのは、上原桂二郎という人間の為せる業やねん・・・・」
さらに本田鮎子は笑みを向け、
「桂ちゃんは、正直で誠実で、けなげなお方やから」
と言った。

こんな話し方をする人である。


「中国語」と「日本語」のコーナー、ちょっと試運転してみる。
どちらも新しく書いたものではない。引っ越しで書斎を始末している時に出てきた資料を
整理しただけのものである。
日付横の「日本語」「中国語」の絵をクリックしてみてください。
「ほんの紹介」の方はまだできていない。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

子どもの頃「蓄音機」というのがあった。
レコード盤(SP EP LP とあった)をテーブルに載せ、ぐるぐるネジを回して鳴らす。
ネジが緩むと音がゆっくりになってくる。
スピードが正しいかどうかを測る目盛りのようなものもついていた。
普通は金属の針を使うのだが、大切なレコードの時は盤を傷めないように竹を削って針にしたりした。
後には宝石(?)の針も出たが、軽すぎてアームに十円玉を置いたりした。






 9月 5日  (月)


朝起きると寝床の中でメールを確認する。これが iPhone の便利なところだ。
広告系のメールも多いのだが、知人・友人からメールが届いているとうれしい。
今日は5通もそんなのがあって、起床前にすでに幸せな気持ちになった。
教え子が小学校の中国語の先生になって、日本語の会話も教えるんだ、とか
元同僚の先生が公開講座を開くので、参観させて欲しいと申し込んでいたら快諾の返事
天津美術学院である展覧会を知らせてくれるメール。等々である。
その展覧会の企画人となっている「毛丹青」という名前を見て、
あっ この人の本を読んだことがあると思いだした。
「感悟日本」 非常にきれいな日本語の文章と気持ちのいい写真の本で
巻末に中国語の文章もついている。そっちはまだ読んでいないがきっと素晴らしい文章なのであろう。
その一節を紹介。
プラットホームには屋根がなく、天を突く大樹が駅の外から張り出していて、
秋風が吹くと木の葉は、長い間宙を舞って、滑り落ち、不規則に地面に舞い落ちる。
彼がまだ掃いていない場所は、落ち葉が山になっていて、
彼が一掃きすると、落ち葉は意外にも均一に散らばった。
ぼうぼうと乱れているさまには秩序があり、
プラットホームを絵で飾りつけるようだった。

 私はいぶかしく思った。
一体彼は何でちりとりも待たずに落ち葉を掃き、
そして落ち葉を掃きならした状態でやめているのか。
彼はものも言わず、黙って落ち葉を掃き続けている。
ブラットホームにはわれわれ二人きりだ。
彼は動いている。手足はリズミカルに移動している。
私は静かにレしている。元の所に立ち、穏やかな日差しを浴びている。
それから落ち葉。これも彼と共に移動し高く舞い上がっているのもある。

 とうとう列車がやって来た。
・・・・・・・・・・・

今日も一日「中国語の勉強」のコーナー、「日本語の教材と指導案」のコーナーの設計にかかっていた。
よし、これでいけるかな、と思うとまた新たな問題が・・・・・
ワシの使っているHTMLの参考書なんて1996年発行のものなんだから
きっともっともっといろいろ出来るように進化しているんだろうけどねぇ
それを使う方の人間がどんどん退化していっているんだからしょうがない。
でも、コーナー開設までかなり近づいた気がする。
そんなにたいしたものじゃあないんだが・・・・・・




(36)   2000年 7月 6日

チビタベキア

 ローマ最寄りの港町である。
 ローマにはこの間行ったところなので
 一日目はチビタベキアの街を散策
 郵便局で手紙を出したり
 漁師の皆さんと語り合ったり

 街をあるいていると
 刀を差した侍の銅像に出くわし
 びっくりした。
 江戸時代の初め伊達藩から派遣された
 遣欧使節支倉常長である。
  上左のポスターは旅行中ほぼ毎日プリントして私の部屋の前に掲示したものである。GPSとプリンターと早起きが威力を発揮している。
  下の小さな写真はその時々のスナップである。説明や感想は左欄につけれたらと思っている。長旅だが、どうかゆっくりとお楽しみください。













9月 4日  (日)

今日は老人大学「太極拳42式」後期開講の日である。
午前中DVDを見ながら最後の集中特訓
なんしなく感じは思いだしたような気はするけれども
前期に習ったところまでひとりで演じられるわけではない。
そのうち時間になった。ま、しょうがねぇと
辛さ20倍のコロッケカレーで気合いを入れて出発
でも、他の受講生もうろ覚えは同じだった
家でやるのと違って授業は休み休みではなく、1時間ぶっ続けを2回だから疲れたけれども
篆刻と違って劣等感、落後感はすくない。

夜は、マージャンで2000元勝ったからと
食事をご馳走してくれる人がいて
「和助」という
ちょっと大きめの焼鳥屋で<ご馳走になる。
写真で見た感じでは冠木門風の構えで
なかなか侘びた風情と見えるが
実際にはビルの谷間、駐車場脇で
とても「侘び」という感じではない。






・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

中学校に入るまで、自分の名前の漢字を間違って覚えていた。
久下順司の「司」を「可」に一本入れた字、
「河」のサンズイを取った字を書いていたのである。
あまり違わないが横棒が長く、一画多いわけだ。
中学校で先生に違っていると言われてもなかなか納得できなくて
親に聞いてやっと間違いに気づいた。
親もびっくりしただろうね。







9月 3日  (土)

この間(8月31日)の項に
   今日は中国語の勉強の痕跡や授業の指導案・資料などの整理をした。
   ほぼ一日がかりだったんだけど、結構なつかしくてなかなか捨てきれないものも多い。
   ちょっと思ったんだけど、このブログの中に日本語学習と中国語の勉強のコーナーを作ってみようかな。
と書いたら、ぜひ「中国語の勉強のコーナー」をつくって欲しいとのメールをいただいた。
で、午前中ずっとそのデザインにとりかかっていたんだけれど、なっかなかうまくいかない。
デザインはともかくも中身も問題。私の手元にあるのは中国語を勉強した時のノートなので
人に解ってもらえる内容かどうかも疑問。
もっと大きな問題は日本語文の中に中国語(簡体字)を入れると文字化けをしてしまうことだ。
いちいちフォントを変えれば問題ないんだが、それには膨大な手間がかかる
なかなかうまくはいかないよ。
ボケ防止というか、ボケリハビリには若干役に立っているかも・・・・

午後は太極拳42式の集中復習。
「復習」といっても体が覚えているものは限りなくゼロに近い。
DVDを繰り返し再生にして新規学習だ。
これもすぐに老人性疲労で間断なく休憩が入る。

結局 途中で投げ出してしまって
4時ごろから
「天津日本語教師会 幹事会」に出かける。

幹事会でしっかり食事(冷やし中華ごまだれ 68元)を食べたんだけれど
家に帰ってからまたしっかり夜食。これは途中休憩もなく12時ごろまで独酌だ。




(35 番外D)   2001年 7月 4日

  船からの手紙  その5

 スエズ運河を通過
 船は地中海に入ります。

 エジプトは以前来たことがあったので
 ポートサイドの町を歩きました

 出港以後ずっと西向きに
 走ってきたオリビア号は
 初めて船首を東に向け
 イスラエルに向かいます

 そして、また
 ギリシャ、イタリアへ

 イタリアでこの手紙とともに
 日本の友人に167枚の
 葉書を出しました。

 次回から
 また船内掲示に基づいて
 イタリア チビタベキアから
 旅の後半に移ります。
 
つづき

25日、スエズ運河通過。
大きな船が列をなしてしずしずと進んでいきます。ただそれだけです。
左岸はナイル川側で緑があるけれども、
右岸のシナイ半島側はほとんど砂漠の連続です。
はじめの内こそはデッキに出て眺めていましたが、すぐに飽きてしまいました。

25日、夜、ポートサイド入港。

26日、ほとんどの人はカイロに出向きましたが、
私はポートサイドの街をぐるぐる歩き回っていました。
昼には船で豪華なにぎり寿司が出ました。
船に残っている人数が少ないので食事のサービスが良くなったというわけです。
街ではいちごとぶどうを各1ドルづつ買いました。
 
26日の夜にポートサイドを出港して、27日の朝にはイスラエル着。
忙しいことです。
エルサレム旧市街を観光。キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の聖地で、
ゴルゴタの丘とかナザレとか聖書でなじみの地名が多く大変興味深い旅でした。
ここもイスラエルとパレスチナが対立抗争している地域で、
船を降りるにも、遺跡に入るにも随分きびしいチェックでした。

30日、ギリシャ入港。
ここもこの間、来たところなので自由行動。
港町をウロウロして、博物館に入ったり、すごく景色の良いレストランでタコとロブスターを食べました。
約70ドルと高かったけれどもおいしくて満足でした。
 
7月2日、クロアチアのドブロブニク入港。
地中海の真珠・宝石とか世界三大美港とか言われている街で、
城壁に囲まれた街は本当に美しい。
それでもここもやはり民族紛争の傷跡が各所に残っています。

4日、もうそろそろ昼になります。今日は午前中をこの手紙書きに使いました。
午後1時にローマの北の港町チビタベキアに入港予定です。
ローマまで電車で約1時間の距離ですが、
今日はこの港町をウロウロして過ごすつもりです。
もし、いいホテル(バスタブ付きのホテル)があったら船に帰らずに、そこに泊まろうかとも考えています。
晴海を出てから毎日シャワーは浴びるけど、一度ゆっくりと湯船につかりたいという欲求が高まってきています。

街に出たら、葉書を167枚投函します。この手紙は多分明日の投函になるかと思います。
2000年を迎えてローマの街は大変身をとげているそうなので、
どこの観光と言うことではなくとにかく一度ローマの街にはでてみようかなとも思っています。

まあ、これで船旅がどんなものか、ちょっとはイメージがつかめるのではないかと思います。
どんな土産がほしいのかFAXでも入れてくれないとまだ何も買っていませんよ。
今からだとスペイン(カナリア諸島)、キューバ、メキシコ、カナダ、ロシアでの買い物になります。
神戸までそのまま持って帰れますので、部屋に入りさえすれば大きなものでもかまいません。

                                     7月4日  順司

  以上で終わりです。ちょっと長い手紙でした。







9月 2日  (金 宝くじの日)

老人大学「篆刻基礎」後期開講。
私にとっての新学期である。
宿題「陋室銘」先生がざっと
全員のを見て回ったあと
私の横に腰を下ろして宿題の点検
やっていてよかった!
先生は親指を立てて
グー!と言ってくれたけれど
黒板に書いている人のや、印にまで彫ってきている人もいる。とても太刀打ちできるものではない。
『ゆかしく覚えむことは、学び聞くとも、その趣を知りなば、おぼつかなからすしてやむべし。』

左 バス停に咲いていた「月季花」
  薔薇の一種で天津市の市花である。
  天津市内至る所に咲いている。

右 26階からシャボン玉を飛ばしてみた。
  写真には写りにくいが
  かなり遠くまで飛ぶものもあり
  結構きれいでおもしろい。
地表近くまで行けばもっとおもしろいのだがなかなかそこまでは飛ばない。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

小学校4年生ごろだと思う。
「日光写真」というのがはやったことがある。
木枠の写真立てのようなものに印画紙と絵を描いたフィルムのようなものを重ねて
日に当てて焼き付けるのである。
おもに雑誌の附録でもらったものだが、
「定着」はどのようにしたのかは全く思い出せない。







9月 1日  (木 防災の日 関東大震災 二百十日)

さすが9月だ。窓を開けていると寒さを感じるくらい。
自転車でスポーツクラブに出かけたが、陽を浴びながら走るのが気持ちがいい。
そして、二百十日、日本では台風接近、野分の季節の始まりだ。

中国では新学年の始まり。
特に小学校や幼稚園の校門前は
新入園児・新入児童の祖父母・父母・自転車・自家用車の山である。
この間まで小さい子の歓声で賑わっていたプールも大人ばっかりでひっそり。

今読んでいる本(「約束の冬」)で徒然草150段というのが出てきた。

 「能をつかんとする人、『よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得てさし出でたらんこそ、いと心にくからめ』
 と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。いまだ堅固かたほなるより、上手の中にまじりて、毀り笑はるるにも恥ぢず、
 つれなく過ぎて嗜む人、天性その骨なけれども、道になづまず、みだりにせずして年を送れば、堪能の嗜まざるよりは、終に上手の位にいたり、
 徳たけ、人に許されて、双びき名を得る事なり。
 天下のものの上手といへども始めは不堪の聞えもあり、無下の瑕瑾もありき。されども、その人、道の掟正しく、これを重くして放埓せざれば、
 世の博士にて、万人の師となる事、諸道かはるべからず」

     芸能を身につけようとする人は、「よくできないような時期には、なまじっか人に知られまい、内々で、よく習得してから、人前に出て行くようなのこそ、
     まことに奥ゆかしいことだろう」と、いつも言うようであるが、このように言う人は、一芸も習得することができない。まだまったくの未熟なうちから、
     上手の中にまじって、けなされても笑われても恥ずかしいと思わずに、平然と押しとおして稽古に励む人は、生まれついてその天分がなくても、
     稽古の道にとどこおらず、勝手気ままにしないで、年月を過ごせば、芸は達者であっても芸道に励まない人よりは、最後には上手といわれる芸位に達して、
     人望も十分にそなわり、人に認められて、比類のない名声を得ることである。
     世に第一流といわれる一芸の達人といっても、初めは下手だという噂もあり、ひどい欠点もあったものである、けれども、その人が、芸道の規律を正しく守り、
     これを直視して、気ままにふるまうことがなければ、一世の模範となり、万人の師匠となることは、どの道でも、かわりのあるはすがない

というものである。
一応、角川文庫「改訂 徒然草」で150段を読んでみた。
さらについでにというか自然に151段も読んでみた。そこには

  或る人のいはく、年五十になるまで上手にいたらざらむ芸をば捨てつべきなり。はげみ習ふべき行末もなし。老人のことをば、人もえ笑はず。
  衆に交りたるも、あいなく見ぐるし。大かた万のしわざはやめて、暇あるこそ、めやすくあらまほしけれ。世俗の事に携はりて生涯を暮すは、
  下愚の人なり。
  ゆかしく覚えむことは、学び聞くとも、その趣を知りなば、おぼつかなからすしてやむべし。もとより望むことなくしてやまむは、第一の事なり。

     ある人がいうことには、五十になるまで上手にならないような芸は棄ててしまうがいい。その年では励んで習うことのできる将来もない。
     下手でも老人のすることに対しては誰も笑えない。大勢に交わっているのも、愛嬌がなくみっともない。およそ年をとったら、
     何ごとでも仕事はやめて、悠々としているのが見よくもあり、また、そうもありたいことだ。世間の俗事に関係して、生涯を暮らす人は、
     まずおよそ馬鹿野郎だ。
     習いたしと思われるようなことでも、学び聞いて、その大体の様子がわかったなら、不審が晴れたという程度でやめておくほうがいい。
     もっとも、初めから習おうなどいう気持ちが起こらないですむなら、それがいちばんいいのさ。

とあった。
こりゃ、150段と大違いだ。厳しいねぇ。
その年では励んで習うことのできる将来もないことにも気がつかず
70超して、やれ篆刻だ、太極拳だ、中国語だ、中国手話だ、なとど言っているヤツはホント愚の骨頂だ。
そうだなあ、これから俺は中国名を「愚骨頂」とするか!

左は愚骨頂の朝飯(フランスパンにガーリックバター)、右は昼食の茶そば(今日は焼き海苔付きだ)





(35 番外C)   2001年 7月 4日

  船からの手紙  その4

 オリビア号は赤道を通過
 しばらくは南半球の旅である。

 セイシェルは
 ホントに夢のような島だった。

 そしてアフリカ!

 ケニアでは
 野生動物を
 堪能したあと

 紅海に入り
 停戦3日後という
 エリトリアへ

 ケニアからエリトリアまでは
 一週間ほど寄港地が無く
 船内生活がつづく
つづき

9日、赤道を通過。盛大に赤道祭りが行われました。
数日前より「赤道通過トトカルチョ」(通過時刻を分単位で予想する)が
売り出され、私も1000円ほど買いましたが大きくはずれ。
ピタリあてた人が2人いてそれぞれ5〜6万円の賞金をもらっていました。

赤道通過と同時に汽笛が鳴らされ、
多くの人が服のままプールに飛び込んだり、歌ったり踊ったり大騒ぎ。
イルカも数十頭が船の周りをジャンプしていました。

11日、セイシェル入港。
ものすごくきれいな砂浜と海で、シュノーケルをして
海中の熱帯魚と一緒に泳ぎました。

12日、スポーツデッキで船上サッカー大会。
ここでもトトカルチョがおこなわれたようですが、買いませんでした。

14・15日、ケニア。
アフリカに上陸となると今までとは違った気分の高まりがあります。
サバンナですが緑の多い国土でした。
ツボア国立公園で野生の象の大群、キリンの家族、
カバやライオンなども見て、夜はテントで寝ました。
マサイ族の民芸品をたくさん買い込んでしまいました。

17日、ずっと前に予定されていて、
船の揺れのために延期になっていた
ファッションショーが本日挙行。
和服、サリー、アオザイなど
なかなか熱の入った立派なものでした。

18日、ピースナイト。乗客で作っているチームがすごく迫力のあるダンスを披露。
感動しました。

21・22日、エリトリア入港。
ここ数ヶ月間アフリカの大国エチオピアと交戦中の国で
寄港は無理かなと思っていましたが、
なんと寄港予定日の3日前に停戦調停が成立、寄港できることになりました。
荒れ地、荒れ地の国土で本当になんにもないところです。
ピースボートでは実に1600箱の援助物資を陸揚げしました。
バスよりも遅い蒸気機関車に乗りました。
この蒸気機関車は国土再建のシンボルなんだそうです。


23日、船内でロシアンティーパーティ。
ロシアの民族衣装のウェィトレスによってすごくたくさんのケーキが振る舞われました。

007ゲームの開始。
秘密に配布される指令書にもとづいて指名された人を、
指定の場所で、指示された方法でやっつける。
やっつけたらその人の持っている指令書もらってまた、次のターゲットに向かう。
そして最後まで残った人が優勝と言うゲームです。
私への指令はOzeki と言う人をネプチューンバーでサングラスでタッチしてやっつけよ、というものです。
また、Ozeki さんが見つかっていません。そして私も今のところやられてはいません。
多分、私が普段行かない場所が指定されているせいではないかと思います。

  また、次回に続きます。





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