8月31日  (水)

               これをUP使用とした9月1日午前7時〜ずっとインターネットがつながらない
               インターネットテレビも映らないし、iPhone での Safari もダメだ。
               また、知らん間に直っているのだろう。
               
               夕方7時半になってやっとつながりました。
               電話で指示された解決方法は、いったんすべての電源を切ってやり直してください。
               そうすればつながった。バカバカし・・・・

8月最後の日だ。 それを記念してとょっと豪華に夕食。
刺身(赤貝、いか、甘エビ 冷凍)、蟹缶サラダ、グラタン、
湯豆腐、はんぺん、トマトだ。
酒はよく冷やした松竹梅辛口(天津で買える一番安い日本酒)
ロケーションは26階縁側である。
72歳、引っ越し完了。
まあまあ、いうことはないわな。
「神、我と共にあり」というひと月だった(宝くじは当たらなかったけど)


今日は中国語の勉強の痕跡や授業の指導案・資料などの整理をした。
ほぼ一日がかりだったんだけど、結構なつかしくてなかなか捨てきれないものも多い。
ちょっと思ったんだけど、このブログの中に日本語学習と中国語の勉強のコーナーを作ってみようかな。

「酔いがさめたらうちに帰ろう」
という 長い題のDVDを見た。
アルコール依存で
自分を律しきれない男だが
最後の居場所を持っている
という話しである。

私はアルコール依存では
ないけれど、
  (と思っているけれど)
何かに酔いながら生きている
ような気もする。
いずれこの「酔い」から醒めた時
どこへ帰っていくんだろう。
「人生酔夢の如し」とか言って
土に還るのかねぇ。





・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

小学校に入る前だった。
母の裁縫箱から小銭を盗んで見つかり、ひどく叱られたことがある。
「お前のような者はもう捨てに行く」と言って手を引っ張られて夜の道を長いこと歩いた。
母は私が反省すると思ってやったんだろうけれど
私は母と二人で手をつないで歩いている内に、
なにか気持ちよくなって歌など歌って家まで帰ったものだった。






8月30日  (火)


雑貨大市場ともいうべき「大胡同」にいく。(写真左)
瞬間接着剤、両面テープ、吸着式フックなど購入
そこから「遠東スーパー」に行って
台所用洗剤、缶詰、酒のつまみなどを買って帰る。

夕方からは今日の日付の前にある写真のような人と食事会(写真左)。
彼の奥さんも一緒で彼は奥さんの監督をうけつつ白酒、私はビール
最後はちょっとだけ彼のお家にも寄せて貰って帰宅。
もう一度ウィスキーの水割りを飲んで寝た。




(35 番外B)   2001年 7月 4日

  船からの手紙  その3

 アジアの寄港地の巻
 という感じである。
 多くは行ったことのある町だが
 一つには「船で港へ」の訪問
 シンガポールなんかでも
 マーライオンとこういうアングルで
 お目にかかるのは新鮮!
 
 も一つは上陸前数日の講座である。
 現地の言葉や状況など
 現地の人や専門の人から
 聞いて上陸するので意識が違う。

 スリランカのようなスリルもあるし、
 北朝鮮旅行の発表にはホント興奮したよ。
    (実際は不発だったが)
つづき

5月26日、ホンコン。
ここでは夜景を見て、シーフードを食べました。

5月28日、ベトナム。
オンボロトラックの荷台に揺られて山岳民族の村を訪問。
その地の人たちと歌ったり、踊ったり、
酒を飲んだりの交流の後、
まるで収容所のような宿舎で寝ました。
ピースボートの交流コースというのは
他の一般のツアーでは絶対に味わうことの出来ない貴重なものではありますが、非常にハードで疲れます。
若い人向きです。年寄りには勧められません。

29日、ダナンの街に戻ってきて自由行動。街の食堂で新鮮なエビと蟹を食べました。
エビ(車エビ)の塩焼きは美味しかったけど蟹はもひとつでした。
この日は船に帰ってから隣の部屋の人のバースデーパーティを私たちの部屋でやりました。

6月1日、シンガポール。
ここではオプショナルツアーを取らずに自由行動でリトルインディアやチャイナタウンなどを歩き回りました。
夕方すごいスコールに見舞われました。

6日、スリランカ。ここも自由行動の予定でしたが、
船の中でオプショナルツアー「スリランカの伝統文化に触れる」を申し込んで参加。
帰船前に街のレストランで体長30Cm 暗いのロブスターを食べました。

コロンボを出てその翌日かしらんにテロの爆弾が爆発という事件がありました。
街の中には小銃や機関銃を持った兵隊がウロウロしていたけれど、そんなにうるさく言われることもなかったが、
もし、このテロが入港前だったら、随分面倒なことだったろうなあ、と思います。

7日、北朝鮮クルーズの説明会。
すぐに金を払うからと申し出ているのですが、まだ請求書が出来ていないのでもうちょっと待って下さいとのことで、
まだ料金を払っていません。
この日、乗船以来サインで飲んでいたバーの支払いがありました。
私の場合は104ドル、2週間で1万円程度なので随分節制していることになります。

  また、次回に続きます。






8月29日  (月  旧暦8月1日)


今日は必ずスポーツクラブに行くと決めていた。
暑すぎでもないし、天気もよい、自転車も時間もある、
でも結局行かなかった。人はこうして次第に老いていくのだろうな。
それに、スポーツクラブを年カードから100回カードに変えたのも失敗だったかも。
年カードだと行かなくても金を払っている勘定だ。
だから私のようなケチは行かなきゃあという強迫観念に襲われて、ついつい運動する。
回数カードにしてからはそういう脅迫観念からは解放されたものの、運動そのものが少なくなっている。

一日、家にいて「陋室銘」の篆書をした。
本文81字。重複した字を除けば61字である。
篆刻辞典からこれだけの字を探し出すのが大変。
例えば「銘」という字、14画のところをいくら探しても無い。
索引が簡体字なので「金」偏が8画じやあなくて5画なんだ。
一方「乱」などは難しい昔の字で引かないと出てこない。
また「陋」とか「苔」なんて字はいくら探しても出てこない。
多分「乱」と同じように難しい字があるんだろうけど、わからない。
四苦八苦してやっと字を探し、墨で書いた。ヘタクソ。
でも、一応これで宿題はしたこととしよう。
まるで新学期をむかえる小学生と同じだ。
ついでに、篆刻刀を磨いで、印材の印面を平滑に磨いた。



DVD「マザーウォーター」というのを見た。
全体に何というか閑かな、のんびりとした映画だが
とりわけ独り暮らしの、かなり元気なおばあさんが
ひとりご飯をつくってひとりで食べるシーン、感じがあったね。





・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

山陰海岸を天橋立から鳥取砂丘まで歩いたことがある。
海岸沿いの細道を海から離れないように歩いていく。夜は勿論砂浜でテント泊だ。
海岸が崖になって道が無くなると鉄道の線路沿いに歩いた。
ある時トンネルの中で貨物列車と出くわして死にそうになった。
なにしろリュックが大きいので壁に思いっきりひっついても1mぐらい出てしまう。
ほんとうに鼻すれすれのところを警笛を大きく鳴らしながら列車が通過していった。
十分調べたつもりだつたんだけど、貨物列車は時刻表には出ていないという当たり前のことに気がつかなかったのだ。






8月28日  (日)


午後、あと一月足らずで日本に行く学生たちの日本語特訓のお手伝い。
今回で4回目である。
今日は日本語の勉強というよりは独り日本語と日本文化の中で生活する
心構えのようなお話をして、バズセッション。
そのあと前回に与えておいた「日本昔話」を各人が朗読。
これを録音して聞かせる予定がスピーカーにつなぐコードの不調で実現せず。
学生から希望のあった「日本の神話」を聞かせる。

学生からのメールを紹介する。
久下先生へ:
先生のEメールをいただいて、本当にありがとうございます。
最近、天津の天気はだんだん涼しくなっているので、どうか、お体をお大事にしてください。
日本へ行くのは後一月。今、すごく緊張しています。自分の日本語は通じるかどうかは知らないで、とても不安です。
でも、立派な社会人の一人になるため、そして、会社の恥をかからないように、今、一生懸命勉強しています。
今度の日曜日、先生の授業を楽しみにしています。皆さんの前で上手に発表するように、練習しています。
これからもいろいろどうぞよろしくお願いします。
                        ○○○

次は今日の授業のあと、さっそくにくれた学生のメールである。
久下先生へ
今日の授業はほんどうにありがとう ございました。
日本の神話がとてもおもしろいです。
先生はいつも元気ですね、これからも元気にしてください。
いつもお世話になって、大?助かりました。
日本へ行くまえに,ちょっと面倒ですけど、いろいろ凖備しなければなりません。
これから、先生と いつ会うのか 分からないですけど、?があれば きっと会いにできます。
あたしはずっとその日までに楽しみにしています!
                          ○○学級の○○○ より

教室の近くの「海河」の河岸、  左端は濱江道の「小吃街」





(35 番外A)   2001年 7月 4日

 船からの手紙  その2



 今日は船での生活の様子です。


   注 別にそういう章分けで書いたわけではありません。
     ただ、だらだらと書いたのを分割したら、
     なんとなくそういう項目になったというだけです。



 船の旅での生活というのがどんなものか

 だいたい判っていただけるかな

 と思っていますが、いかがでしよう?
つづき

バーは午前2時とか4時とかまで開いています。
デッキでは「まんだら屋」という屋台も出ていて、
たこ焼やおでん、キャベツの浅漬けなどを売っています。
このごろは鉄火丼とかねぎトロ丼とかも始めました。

自分の部屋で酒を飲む場合は
水や氷はバーに行けば無料でくれます。
カップラーメンなどを
食べたい場合(売店に売ってます)の熱湯もくれます。
部屋にはコップと水差しが備え付けられています。

ドライヤーは使っても良いみたいですが、部屋の電源は220ボルトで日本のものはそのままでは使えません。
湯沸かし等は火災のおそれがあるので禁止です。また、部屋でたばこを吸うことも禁止です。

売店では、文房具、化粧品、ガイドブック、各寄港地の土産物、
お茶、ジュースやドリンク剤などたいがいのものは売っています。
写真の現像もしてくれます。コピーも一枚10円でしてくれます。
コンピュータは使えますがインターネットやEメールは出来ません。

夕食時に、その日誕生日を迎えた人がいるとウェィターが行列を作ってバースデーケーキを運んできてくれます。
シャワーはいつでも熱湯が出ます。水はあまり良くないです。時々赤っぽかったりします。
タオルとバスタオルは毎日交換してくれます。ベットメイキングと部屋の掃除も毎日やってくれます。
部屋は冷房が利いていて少し寒い時が多いです。長袖は絶対必要です。
洗濯は枚数ではなくて買い物袋ほどの大きさの袋一杯で5ドルです。
ちゃんと畳んで帰ってきますがアイロンはあたっていません。
アイロンはアイロン室があって各自でかけます。
そのほか、美容室、マッサージ、サウナが有料です。
貴重品(現金)はカウンターで預かってくれます。
出し入れ自由です。
電話はカードでかけられますが衛星回線を使うので
高いのと会話のタイミングがずれるのでかけにくいです。
陸上に上がった時にかける方が安くて快適です。
FAXも高いですが、街の郵便局からだと面倒なので
船のを利用しています。
手紙も葉書1枚1ドル、封書1通2ドルで出してくれますが、各国の陸上で出せばその三分の一くらいの値段で出せます。
少量の場合は面倒くささを考えれば1ドルもそんなに高いとはいえないかも知れません。

  また、次回に続きます。






8月27日  (土)


国際交流基金 北京日本文化センター「日本語教育講座」というのに行ってきた。
今回のテーマは「外国人力士から学ぶ、ことば漬けの秘訣」 
                       早稲田大学日本語教育研究科 宮崎里司先生 である。
内容は(レジュメでは)
外国人力士の日本語習得の特徴
  1 日本語教師に代表されるような特定の習得管理者が存在しない
  2 入門時から相撲界事情をはじめとする豊富な社会文化情報を処理している
    また、必ずしも文法能力からの習得順に従っているわけではない
  3 さまざまな日本人ネットワークが形成されている
  4 目標言語に浸りきる理想的な習得環境が提供されている
  5 日本語習得に対する強い動機付けがあり、それにより言語習得が促されている
  6 さまざまな学習リソースを、創意工夫しながら、自らの習得環境に取り組んでいる

等というものである。
でも、このことはすべて日本への派遣「技術研修生」や「外国人就業者」と共通するものではないか。
確かに、インタビューに応える力士の日本語は自然な日本語に聞こえる。
半年や一年で・・・と驚くことも確かだが、それはごくごく限られた狭い範囲の会話でしかない。
地震についてとか、他の日本文化について、あるいは自国の文化紹介についても
同じように流ちょうに会話できるのか?

ほんとうに「力士」の外国語習得力が素晴らしいと言えるのだろうか。
彼らの習得プロセスの解明が、日本語教育への応用につながる道は狭いと思う。

天津ー北京高速鉄道  北京南駅  日本文化センターが入っているビル
 

日本文化センターの内部




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

ほんのちょっとの間だったがヨットに打ち込んだことがある。
深江、芦屋、須磨などの貸しボート屋でディンキーを借りて練習したものである。
セールをいっぱいに張って後から風を受けて走るのは速い割には風と同行しているのでスピード感は乏しい。
風に向かってターンを繰り返しながら遡って往くのと、
最後にアンカーを引き揚げて砂浜にジャリジャリと乗り上げる時の感じが最高だった。






8月26日  (金)

                一時的なものと思うんだけれどもFILEの転送ができなくなっている。どうしたんだろう?

9月に入学する新高校生が明日から5泊6日の「軍事訓練」に入るというので
今日はその前夜祭とちょっと早いけど誕生日祝いを兼ねて
我が家で夕食会をした。
そう言えば街には迷彩服の学生がうろうろしている。
小学校高学年で一回、中学では二回あったという。
そして高校に入ったときと大学に入った時にやる。
軍事訓練と言っても見ているとただ隊列をとって歩いて、停まって、だけみたいな感じだが
時に分列行進みたいなこともやっている。
聞くと農村に行って農業実習のようなこともやるらしい。「下放」の現代版かな?

いずれにせよ、入学直前に5泊6日の「合宿」があるということは
友達作りには役にたつことだろう。
でも「枕投げ」なんてことはしないそうだ。さすが軍事訓練だ。
一人っ子で過保護・引きこもりみたいな子も多いようだが、その子たちはどうなんだろう?

DVDを2つ見た。
   


   「地球一周の旅」は今回から5回にわたってイタリアで投函した自宅宛の封書を掲載させていただきます。
   文章も写真も原文のままです。毎回の掲示は船で一緒に旅をしている人対象ですが、この手紙は
   船の様子が全然分からない人への紹介ですので、かえって船旅の様子がよくわかるかもしれません。
     


(35 番外@)   2001年 7月 4日

  船からの手紙

 オリビア号は『豪華』客船だから
 もちろん船から電話もFAXもできる。
 ただ、電話は会話と会話の間に
 時間差が出て、ずいぶん話しにくい。
 FAXももひとつ安定性が悪い。

 ということで、今回イタリアに着いた時に
 今までの様子をまとめて
 神戸の自宅に手紙を書いた。
 手紙だと写真なども同封でき、好都合だ。

 全くの私信であるし、
 内容もいままでこの項で報告済みだが
 ある意味、こちらの方が通しの状況が
 判りやすいかも知れないと思って
 私信を公開させてもらうことにした。
 ちょっと長い手紙で
 今日を含めて5回の連載となる。
前略

昨日の夕食後からこの手紙を書き始めましたところ、えらく長い手紙になってしまいました。
いま、7月4日の朝食後、ワープロ打ちをしています。
今日の午後、イタリアの港に入港しますので、できればその時に投函しようと頑張っています。

地球一周の旅もほぼ半分を過ぎました。
寄港地の数で言えば17国中17か国目です。
今までの旅の状況を簡単に報告します。
5月22日に東京晴海を出港、
乗客は684人、一番多いのは20代の女性ということです。

23日には早速フォーマルディナーと船長招待の
ウェルカムパーティがありました。
2週間に1回ぐらいの割でフォーマルディナーと聞いていましたが、
その後、全くなくやっと昨日、7月3日に第2回目のフォーマルディナーが催された次第です。
船側も客層を見てあまりやる気にならないのかも知れません。

船内では毎日、いくつもの講座が開かれています。参加は自由。
内容的には紛争中の両方の国(地域・民族)の市民が乗ってきて討論をしたり、
なかなか面白いのですが、なにせすぐに居眠りが出てしまうので、
このごろはあまり出席していません。
講座の内容は、毎日発行される船内新聞(何部か同封)で知ることが出来ます。
語学講座の方も初めの内は出ていたのですが、
だんだん内容がむつかしくなってきて辞めました。

昼はデッキに出てデッキチェアーで海を見ながら昼寝、これも暑かったり寒かったりで毎日というわけではありません。
食事はなかなか豪華です。
ちなみに毎朝の朝食のメニューは、ご飯、粥、パン、クラッカー、味付け海苔、納豆、生卵、ゆで卵、
スクランブルエッグ、みそ汁、梅干し、漬け物(きゅーちゃん2種)たくあん、塩昆布、ふりかけ、
焼き魚(ししゃも、塩鮭、鯵の開きなど)サラダ、フルーツ、
ジュース、ケーキ、コーヒ、紅茶、緑茶、ざっとこんなところです。

ビュッフェ形式ですが、たいがいはウェイター・ウェイトレスが取り分けてくれます。
昼食は洋食系のビュッフェ。このごろは天気が良ければデッキランチもあります。

夕食だけは座席指定のコース料理で、15分以上遅れると食堂に入れてくれません。
内容は前菜、スープ、魚または肉のメインディシュ、デザートとコーヒ(紅茶)です。
量的に言えば夕食が一番少量かも知れません。そのせいではないでしょうが、11時から希望者は夜食が供されます。
スパゲッティーであったり、おにぎり、焼きめしなどです。

夕食では時々和食メニューの日もあって、刺身やてんぷらなどが出たりします。
一応ズボンと襟付きのシャツを着てということになっているのですが、短パン、Tシャツで来る人もかなりいます。
ビールまたはワインは有料(2ドル)です。
その他、朝の6時半からモーニングティー、午後3時にケーキとお茶が出ます。








8月25日  (木)



ときどき涼しい風が吹き抜けていく。
窓から眺め、見下ろしても平和な天津である。
目の下にこんなに立派な樹木の列があることに
初めて気がついた。

街では今、仲秋向けの「月餅」の大売り出し中である。今年は天津だけで10億元の売り上げとか。
平均すれば一軒の家で300元(3〜4000円)程の月餅を買うということである。
とにかくなにごとにつけ「数」の大きいのが中国である。

昨日に引き続き、引っ越し荷物から出てきた雑誌
「歴史人」というのを読んだ。忍者特集である。
目次は  ・歴史に名を残した忍者傑物列伝
      ・忍者の歴史と系譜
      ・戦国武将を支えた忍者軍団の全貌!
      ・3大秘伝書にみる「萬川集海」「正忍記」「忍秘伝」の奥義公開
      ・忍者が活躍した戦国合戦の裏側に迫る
というものである。
東京の宿の独り寝のための暇つぶしに買ったものなので、暇つぶし以外の役にはたたない。


以前にも書いたような気がするが、わたしは「ながら族」である。
ご飯を食べながらテレビを見る。 歩きながら iPod を聴く。 うんこをしながら本を読む。 コーヒーを淹れながら茶碗を洗う。 なんか人生を二倍生きているような気がして充実感がある。
もっとも、本を読みながら寝る、というのは
二つの行為は連続してはいるものの、平行はしていないのでこれは「ながら」とは言えないかもしれない。
また、小便をしながら水洗のボタンを押しているというのは単にセッカチなだけであろう。
究極には、夢を見ながら、本を読みながら、物思いにふけりながら・・・・・死ぬ、という「ながら」が最高だなぁ。





・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

中学校に入ったとき、母が買って来た下着がトランクスからパンツに変わった。
それを見て「こんな女みたいなパンツ、絶対イヤだ」と言って
中学生にもなって涙を流して泣いたのを覚えている。
でも結局数十年間パンツ型の下着だった。
今はトランクスだがそれになったのはいつからだったかよく覚えていない。







8月24日  (水)

新しい自転車でスポーツクラブに行った。
車輪が小さい分、スピードはゆっくりだ。
ママチャリのおばちゃんがどんどん抜いていく。
帰りもちゃんと自転車で帰ってくることが出来た。
減価償却20元
それと買い物用に前かごもつけた。13元。
ひょっとしたら折りたたみは
できなくなったかも知れん。
今日もプールは子供たちでいっぱいだ。

プールに行く途中
地方検察局の前でデモみたいなのをやっていた。
このごろ中国でも時々こういうのを見かける。
天津などでは多分大したことにはならないだろうが
内陸部ではこういうのの取り締まりに不満が爆発して
軍が出動するような騒動が何件も(何十件も)
発生しているようだ。
これは何の要求、または抗議なのかよくわからんが
多分路上での商売をじゃま(?)されたことに
対するものじゃあないのかな。

日本で買ってきた「別冊宝島 中国の『男と女』事情」を読んだ。
引っ越しで書類の下に隠れていたのがでてきたものである。
内容はやや扇情的。目次はおおむね以下の如し。
  カラーグラビア 近年急激にレベルUP!! チャイニーズ美女図鑑
            実録・中国買春で「捕まったらこうなった」!!
  PART 1 中国の「恋愛と結婚」
            中国10代「90後」たちの性愛白書
  PART 2 中国の「SEXと性ビジネス」
            売り物の女たち「小姐」たちの知られざる世界
  PART 3 中国の「男と女」
            新聞・雑誌の三面記事で見る中国「男と女」の事件簿

と言うようなものだ。あんまりお勧めできるものではない。




(35)   2001年 7月 4日

ドブロブニク

 ドブロブニクは
 「魔女の宅急便」の舞台の
 モデルとなった赤い屋根町である。

 バーナードショウが
 「ドブロブニクを見ずして
 天国を語ることなかれ」と
 言ったとも言われている。

 ほんとに美しい町であるが
 ここで私がなにをしたのか
 覚えていないのが残念である。
  上左のポスターは旅行中ほぼ毎日プリントして私の部屋の前に掲示したものである。GPSとプリンターと早起きが威力を発揮している。
  下の小さな写真はその時々のスナップである。説明や感想は左欄につけれたらと思っている。長旅だが、どうかゆっくりとお楽しみください。









8月23日  (火 処暑 地蔵盆)

まだ夜中に寝苦しいなと目が覚めることもあるが、それでもずいぶん涼しくはなってきた。
神戸などでは地域盆踊である。お地蔵さんのあるところではその前で小さな集まり、
近くの小学校のグランドで櫓を組んでかなり盛大な盆踊りが行われる。
日が暮れてから、浴衣と団扇で出かけると、ああ今年の夏も終わりだなぁという気持ちになる。

26階から飛び降りる気持ちで自転車を買った。
239元(約3000円)。安い方から2番目だ。
いつまで我が手元にあるのかは判らないが
スポーツクラブに行くにも
ちょっとした買い物に行くにも
やはり自転車は必要だ。
スポーツクラブはタクシーで行くと
往復20元、15回自転車で行けば
モトは採れるという勘定だ。
団地の地下の駐輪場も申し込んだ。

DVD「おにいちゃんのハナビ」を見た。
新潟県小千谷市片貝町を舞台に、実際にあった話に基づいて描かれた作品である。
妹の病気の治療のために東京からこの町に引っ越してきた一家。
ひきこもりになり心を閉ざしてしまった兄は、病弱な妹から勇気をもらい再生していくが、
そんな最中、妹は白血病を再発させてしまう。
家族が暮らすこの町では毎年、世界一の花火が打ち上げられる片貝まつりが開かれており、
兄は妹のために大きな花火を打ち上げることを決意する。

この実話は2005年に放送された新潟県中越地震後の被災地を取り上げた
ドキュメンタリー番組で紹介されたことが、映画化になるきっかけとなった。

実話に基づいて作られているという説明を知って感動が増加。たくさんの花火シーンも今の時期いいしね。

新潟県小千谷市片貝町の、誰それが何々のために上げる花火です、とという花火大会もいいなぁ。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

私が天津に来た時はまだ前の地下鉄が走っていた。
車体は薄汚れシートは刃物で切られていたり、ずいぶんみすぼらしい物であったが、私はかなり愛用していた。
一月程したら突然何の前触れもなく乗降口が鎖の鍵で縛られて乗れなくなっていた。全く突然だった。
今の地下鉄は2006年2月6日、観光運転開始ということで10日も前から毎日新聞に、
あと何日とカウントダウン式の記事が大きく掲載されていた。
せっかくだから6日乗りに行ったら、改札は開いていない。新聞にも何の記事も出ていない。
実際に営業を始めたのは4ヶ月ほど後だったが、この時は何の公開セレモニーも無かったようだ。
少なくとも新聞には出ていない。






8月22日  (月)

このごろ、年いったなぁ、て感じることが多い。
体力の衰えはもちろんのことだけど、
体力から気力へと衰えの範囲が拡大してきている。
なかなかやる気になれなくて、
ますます筋力が衰えてくるという循環である。
それにこらえ性(忍耐力)も無くなってきているので、
すぐにあれやこれやに気が散ってしまう。
そして気が散る前に何をやっていたか忘れている。
短期記憶力の減退はかなり深刻だ。
新たなことの記憶がうまくいかないことにもまして、
当たり前のことの想起力の衰えにはわびしさがつのる。
ごく親しい○○さんの名前が出てこなかったり、
昨日買った品物の名前が思い出せなかったりは常のことになっている。
痴呆とか徘徊とかはすぐそこに来ているような感じだ。




(34)   2001年 7月 3日

ドブロブニク

 バルカン半島の南端に位置する
 クロアチア共和国の港町である。

 アドレア海の真珠と
 呼ばれているそうで
 旧市街全体が
 世界遺産に登録されている。
  上左のポスターは旅行中ほぼ毎日プリントして私の部屋の前に掲示したものである。GPSとプリンターと早起きが威力を発揮している。
  下の小さな写真はその時々のスナップである。説明や感想は左欄につけれたらと思っている。長旅だが、どうかゆっくりとお楽しみください。














8月21日  (日)

ホント久しぶりにスポーツクラブに行った。
昼休みは好いているだろうと思って11時ごろ行ったんだが、それでもかなりの人だった。
夏休み+日曜だから仕方がないだろう。
小さい子たちだけではなく、下半身麻痺の青年も浮き輪に入って楽しんでいた。
こういうのは初めてだ。(父親がついていたが、親がめちゃくちゃ緊張しているみたいだった。)


しばらく行かない内にプールサイドのデッキチェアーがなくなっていた。
寝そべってしばらく本を読んで、と思って本と眼鏡を持っていったのに・・・・
仕方がないので、帰りに園内の池のほとりで本を読んだ。

帰ってからちょっとビールを飲んで昼寝のあと、篆刻の文字調べと、「日本の神話」のテキスト作り。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

つづいて、パソコンの話しだが、
パソコンのプログラムで一番苦労したのは「授業時間割プログラム」であった。
40数人の先生の授業を組んで、どの曜日のどの時間をを月曜日の1時間目に持ってきても、
同じ日に同じクラスが有ったり、一週間で授業がないというクラスが出たりしないようにするというプログラムである。
一人の先生が3教科を持っていたり、多学年にわたっていたりするのでホント大変。
さらに週に1回同じ教科の先生すべてが空き時間となる教科打ち合わせの時間まで組み込んだ。










   先週以前のブログは下の「過去のブログ」からご覧ください。