8月10日  (水)

きのうの新聞に
「百年前の小学校教科書」という記事が出ていた。
ちょっと面白かったので紹介をする。

1914年(民国3年)、そのころは清朝が終わった直後でまだ教育は旧式の私塾教育が中心であったが、
大都市では新式の学校教育が始まっていた。今まで教育に縁の無かった女子にも
教育の機会が与えられるようになった。
当時の小学校は初等小学(1〜2又は3年)、高等小学(4or5年〜6年)に分かれていた。
初等小学は男女共学、高等小学は男女別学で、教科書は6冊(1冊40課、計240課)で、
内容は格方面にわたっているが、とりわけ伝統文化は重要な位置をしめていた。
その内容は「礼記」「左伝」「国策」「論語」「孟子」及び歴代名家の詩文が
全体の20%程度である。
また、西洋の歴史や文化も収録されており、「ロビンソン」「イギリス人の特性」「海倫」「○○」
「スエズとパナマ両運河」「○○○の美談」「盲女」「パリ観画記」などである。
その内「盲女」は上下2課で失明した・・・・・・の感動的な物語である。
この他、倫理、美術、生活に関するものも少なくない。
例えば「習労」「蚤(早)起」「慎微」「惜陰」「友愛」「自立」「誠実」「忍耐」「崇倹」「古物の保護」などである。
個人道徳の他、公衆道徳の向上も重視されている。
記者が特に注目したのは女性向けの内容で、家政的な内容も少なくない。
例えば「裁縫」「料理」「洗濯」「生け花」「化粧」「良妻」「子育て」「姑舅」「家計簿」「女性の職業」・・・・などである。
文学教材では「蟻」「獅子」「鷹」「稲」「麦」「熱と色の関係」「火山」「紡績」「紡織機の発明」「制麻」「種痘」
「廃物利用」「自然力の利用」・・・・・ 最後の二つなどは現在問題となっているもので、
コンピュータもインターネットも知らない100年前の教育家が現在の問題を先取りしていたことがわかる。
「唐詩」は昔から文学の必須課題であるが、妙なことに教科書の中には李白、杜甫の作品は一編も取り上げられておらず、
白居易の何首が取り上げられているが、それも「離離原上草」とか「売炭翁」などではなくて
人にあまり知られていない「購鳩詩」「放魚詩」などである。
「購鳩詩」や「放魚詩」は生活の中で「仁恕」「愛人」をうたっており、これは中国伝統文化の精髄である。

以下略。
続いて2001年の授業で学生に書かせた「中国の(私の)小学校」という紹介文を紹介する。
おおむね原文のままである。1990年頃のどちらかと言えば田舎の中国の小学校の紹介である。

@ 中国で私の小学生の時、毎年 9月に 新しい学年始まりました。1月の下旬には 寒休があります。たぶん寒休は 35天くらいあります。
  7月の下旬には暑休があります。暑休は 寒休より 長いです。たぶん42天くらいあります。
  7歳から(上学)授業をします。私の小学生の時、6学年ありました。でも、今小学生が5学年あります。
  6月1日、9月10日、5月1日と10月1日が休みをします。
  小学生には 美術、音楽、自然、体育、手工、思想、品徳、数学、語文、英語、計算機の時間があります。
  毎週には 土曜日と日曜日のほかに 火曜日の午後休みがありました。

A 中国の小学で、毎年、9月に 新しい学生は進学です。
  小学では 勉強するのは 6年があります。毎日の午前の間、7時から、授業が始まります。
  11時40分まで、全部4時限の授業、そのうち、体操をします。
  午後で 2時から5時まで3時限の毎日学校がひけた、
  学校の入り口で おおぜいの家長がいましたが、自分の子供は一人家に帰えって安心できないらしいです。
  中国の小学校には、国語・算数・思想・自然・細工・体育などの時間、4年生から、英語も勉強しています。
  毎週に 土曜日と日曜日は休みです

次回には、同じく学生の書いた中学、高校、大学の紹介文を紹介しよう。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

私は筆記具が大好きである。
いまでもシャーペン、ボールペン、サインペン、万年筆等 100本以上はあるだろう。
ちょっと変わったのがあればすぐに買ってしまう。
一番高かったのは沈没したクィーンエリザベスT世号の窓枠の真鍮で作った万年筆と
アメリカの独立宣言を書いたときの机にあった鉛の花瓶とその机のカケラの木で作った万年筆。
共に当時で一本10万円ぐらいしたんだけれど、残念ながら教室に置き忘れて無くなってしまった。






8月 9日  (火)

今日は午後からある先生の授業の補講に行った。
参観を含めて3回目の対面である。
一生教師をやってきたもんで
教師を完全引退とたというものの
時々こういうチャンスがあるととても楽しい。
この9月末に日本に就職する学生たちの授業である。
8月末に行くのかと思っていたので
日本での言葉や生活上の注意を約60個
箇条書きにして説明をした。

一例をあげると

・主語の「わたし」を多用するな。
・「あなた」という呼びかけは必ずしも敬意をあらわさない。
・中国語の「うん」と日本語の「うん」は違うよ。決して目上には使うな。特に女性はね。
・「好きですか」「欲しいですか」と聞くな。
・相手の持ち物の値段や、収入を聞くな。
・「〜てあげます」は上から恩恵を与えている感じ。
・「〜てください」は丁寧だけど「命令」だよ。
・魚の骨などを机の上に捨てるな。
・箸で相手に食べ物を渡すな。
・お茶は満々とつがない。

などなどである。
役にたってくれるといいんだが。

帰り、濱江道まで歩いてピンブラ。
歩いていて暑くなると百貨店に入って涼む。
左はその内の一つ、多分化粧品の宣伝なんだろう。
なんとなく思わず写真を撮ってしまった。

あと、無印良品、伊勢丹によって
DVD用レンズクリーナーと刺身等を買って
家でちょっと豪勢に(私にとっては、だ。)


もうちょっとゆったりとした気持ちになってもよさそうなものなのに
記録用DVDの処理や「地球一周の旅」の見通しなどなど
あぁ、太極拳や篆刻も、そゃ、スポーツクラブもしばらく行っていないし・・・・
と、あれもこれもせにゃならんという気持ちになって
いらいらとした気持ちがおさまらない。
まだまだ、修行が足りんなぁ、とつくづく思っている。




(28)   2010年 6月25日

アスマラの子どもち

 6月24日、

 どの国に行ってもそうだけれども
 子どもたちはほんとに明るい。
 ほんの数日前まで
 戦火のもとにあった
 子どもたちとはとても思えない
 明るさである。
 今の日本の子どもたちの目は
 こんなにキラキラしているだろうか
  上左のポスターは旅行中ほぼ毎日プリントして私の部屋の前に掲示したものである。GPSとプリンターと早起きが威力を発揮している。
  下の小さな写真はその時々のスナップである。説明や感想は左欄につけれたらと思っている。長旅だが、どうかゆっくりとお楽しみください。








下3段はロシアンパーティーの写真と
エジプトで下船する人たちへの
フェアウェルパーティーの写真である。

もっとたくさんの写真があったはずなんだが今は見つからない。
 






8月 8日  (月 教育家 久下順司生誕72周年記念日)

さすが立秋である。涼しい風が26階の部屋を吹き抜けていく。
今日は一日中一度も冷房をつけなかった。

朝、飲料水を注文。きっちりと新居の住所を言い書き取ってもらったはずなのに昼になっても届かない。
催促の電話をすると、もう着いているはずだという、いや着いていない、じゃ確かめてみる、
向こうから電話がかかってきて(こんなことは本当に珍しいことだ)配達したが家にいなかったと言う。
聞くと前の家に配達しているんだ。きっとあのニホン人のとこ、と指示したんだろう。
配達人の携帯番号を知らせて直接交渉せよと言う。
3回ほど電話して結局水が来たのは午後8時半。
水道じゃあないんでペットボトルで間に合うし別に水はいいんだけれども、
その間一歩も一歩も外出できないのがホントに困る。

料金切れ断水、給湯器故障、飲料水遅配と水の災難つづきだ。
ま、津波、台風、洪水と比べると何ということもないが。

おかげで一日在宅して、明日午後の応援授業の教材を準備した。
但し、コピーは明日当日まわしになってしまったが。

机を整理していたら壊れた時計がたくさん出てきた。
ためしにネジをまいてみたらそれぞれ動くではないか!
ロンジンは動かなかったが、壊れるかと思うくらい
思いっきり机にぶつけてやったら動き出した。根性の無いヤツだ。
100年前の懐中時計、球形懐中時計は動かない。
これはたたきつけるわけにもいかないし、捨てるのももつたいないので
そのままお蔵入り。
文字盤の黒いのは「IWC」だが、4時間ほどでストップ。
たたきつけられたロンジンは20時間後もサボらずにちゃんと動いている。
余程こわかったのかな。

それから、昔 記録用にコピーしていたCDを再生して、見たり、読んだり、聞いたり、いと懐かしき。
ちょっと整理をして、しばらくは「思い出ポロポロ」のコーナーに転載してみようかと思っている。
うまくいくかどうかはわからない。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

私は8月8日生まれである。ホントは6日だという話しも聞いたことがある。
上の兄貴の誕生日が8日だったのでまとめて8日に登録したらしい。昔はそんなこともできたんだ。
小学校の頃は「お誕生日会」というのがあったらしいが、私は夏休み中なので全くそんな経験はない。
中・高は男子校なのでそんな風習はない。大学で「お誕生日会」なんてあるわけはない。
就職してからはずっと教師なのでこれも夏休み中で同僚の先生とも生徒とも会うことはない。
というわけで誕生日の思い出ってほとんどないんだなあ。
きのうも飲み会をやってくれたけれども「誕生日おめでとう」などと言ったヤツは一人もいなかったな。






8月 7日  (日)

9時半、翻訳学院の人が車で来宅
寄贈の日語教科書等を積み替えて持っていってくれる。

今日はすずしい一日であった。
台風の影響だろうか昼過ぎにはかなり激しい雨、でも1時間程でやんで4時頃にはからりと晴れていた。

捨て残ったDVDを整理というか縦覧、
写真だとかに貴重な映像とかも残っている。
きっと多くの必要な資料もお目通しもされないまま捨てられてしまったんだろうな。ま、仕方がない。

この間から調子が悪かった給湯器が完全に動かなくなった。
家主に連絡して修理。温度センサーがダメになっているということで、
400元かかったが多分いずれ家主が返してくれるのだろう。

給湯器も直ったところで、記念の入浴。

明日が私の誕生日だと言うことで、友人3人が焼き肉の「丸福」に招待してくれる。





(27)   2010年 6月24日

アスマラの街

 6月24日、

 寄港が危ぶまれていただけに、
 エリトリアのオプショナルツアーは
 船内での募集となった。
 私は「首都アスマラ訪問」をとった。

 標高2400mの高原都市
 アスマラまではバスで約3時間である。
 車窓の景色は本当に悲しくなるくらい
 荒涼としている。
 前線から帰還するのであろう兵士を
 満載したトラックが何台もすれ違っていく。

 街は首都というより避暑地の雰囲気である。
 マッサワと比べて20度以上も気温が低く
 朝夕は寒いくらいである。
  上左のポスターは旅行中ほぼ毎日プリントして私の部屋の前に掲示したものである。GPSとプリンターと早起きが威力を発揮している。
  下の小さな写真はその時々のスナップである。説明や感想は左欄につけれたらと思っている。長旅だが、どうかゆっくりとお楽しみください。














   下段右端は昼食のアトラクションです。 ロシアンティーパーティーの模様はまた次回に  






8月 6日  (土)  旧暦七夕 広島に原爆投下  夏の高校野球開幕

左は今日の「毎日新報」にでていた写真である。
「ねぇ、わたしたちカッコいい?」との題である。
記事には「人がいささか奇妙な行動をするのはよくあることだが、
動物もその例外ではない。」とあった。

朝、起きると断水である。
土曜とはいえこんな時間に断水とは、それも予告なしだ。
知らないでやってしまったトイレには昨夜の
トンカツやポテトフライ、エビの甘煮などの「その後」が浮かんでいる。
文句を言いに行こうと思って、やっと気がついた。
この家は水道水もプリペイだったんだ。大家の払っていた水道料金が切れたんだ。
さて、どうすればいいんだろう? あちこち電話をして水の販売所をきいて出かけた。
顔も洗っていないんだけれど仕方がない。
トイレに「その後」を浮かべたままというわけにはいかないものな。

水を買った帰り、近くにセブンイレブンがあったので、日式冷麺と巻き寿司を買って朝食とした。

それから散髪をして、翻訳学院に行って、日語教科書や参考書などをもらってくれないかと頼む。
えらい喜んでくれて、明日の朝、家まで取りに来てくれると言う。
家に帰って、本を一冊ずつきれいに雑巾で拭きました。
大きなカバン2つに詰めて準備OK。
中には先月買った新しいのもあるのだけれども、ま、置いておいても読まないだろうし、嫁に出すことにした。

そのあと、台所の改修、カーテンレールの補修、電気スタンドの修理などよく働いて
疲れて早めの風呂にゆっくり入り、以後はDVDを見たり、パソコンで麻雀をやったりして過ごし
8時過ぎから酒を飲んで寝る。

書いている内容は違うけど、書き方は小学生の夏休みの宿題日記と同程度だなぁ。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

商業大にいる間に自転車は何回盗まれたことかわからない。
ひどいときには自転車屋で買って乗って帰り、翌朝にはもう無くなっていた。
電動自転車もスーパーの駐車場から消えた。
旧宅で買った自転車はどっちみち無くなるんだからと一番ボロなのにしたら、
2年の長寿を誇ったが、今の家に引っ越したとたん無くなった。
他にもっと盗りやすく、立派なのがいくらでもあるのに、なぜワシのなのだ。
ホント不思議だ。






8月 5日  (金)

DVDを大きな旅行カバン3つに詰めて、
午後、久しぶりに商業大学の裏千家青雲館をたずねる。
青雲館は夏休み中で先生や留学生も少なく、かつ大々的に工事中であった。
学長のいない学長室で抹茶をご馳走になり、手ぶらになったのでバスで帰宅。

今度は日語教科書である。約150冊ぐらいかな。
リストアップして、明日ある学院に貰ってもらうよう交渉に行く。

帰ってきてから、久しぶりにビデオを見た。
実は昨夕酒を飲みながら少し見かかったのだが、途中で寝てしまった。
ま、それほどゆったりとした映画だったんだがね。
それが気に入って今日また見た。
ジャケットによる映画の宣伝は

  “痛みと喪失、再生と希望"を描き続け、数々の名作を世に送り出している作家・重松清。
  同名小説を映画化したのは「機関車先生Jなどで人間の心の機微を描いてきた名手・廣木隆一。
  原作重松氏をも感動させた質の高い見事な作品に仕上がった。
  第30回ヨコハマ映画祭では最優秀新人賞(石橋杏奈)と撮影賞(芦渾明子)を受賞。
  また、《日本映画ベストテンjでは、作品が第9位にランクインし、各方面から絶賛された。

というものである。もうちょっと詳しくはこちらを

夕方からは知り合いのいとこで9月から新華高校に進学する女の子来宅、一緒に食事をする。





(15)   2010年 6月21日

新生 エリトリア

6月21日、

エリトリアのマッサワ港に入港。

イタリアの植民地から独立もつかの間、
エチオピアに併合され、
30余年にわたる独立戦争の結果
ようやく1993年に独立、
しかしまたエチオピアとの間に
3年の国境紛争。
予定はしていたもりの
寄港が危ぶまれていた国である。

それが何と寄港3日前の18日に
停戦調印が成立。
寄港が実現した。
しかし、今なお20万人以上戦禍を避け
難民になっているという。

  この欄の上の2枚は旅行中ほぼ毎日プリントして私の部屋の前に掲示したものである。GPSとプリンターと早起きが威力を発揮している。
  下の小さな写真はその時々のスナップである。説明や感想は左欄につけれたらと思っている。長旅だが、どうかゆっくりとお楽しみください。












 ピースボートとの縁が深く、今回も実に1600箱の
 援助物資をここで陸上げをし、
 トラックに積み、難民キャンプに運び、下ろす。
 1600箱分の文具や衣料、ふとんなどを
 集める、仕訳をし箱に詰め、船に積み込む
 日本での作業の大変さが推察される。

 寄港が決まった時に泣いて喜んだという
 UPA援助チームの人たちの
 気持ちがよく分かった。






8月 4日  (木)

大量のDVDの嫁入り先が決まった。
いろんな人に貰ってもらうためにタイトル一覧表ので作ったのだが
考えてみればぜ〜んぶまとめて裏千家短期大学に引き取ってもらえば楽だ。
裏千家には日本人も多いので、日本のドラマはストーリーを楽しんでもらえる他
字幕で中国語の勉強も出来る。中国のドラマでは中国語の言い回しの勉強にもなる。
というわけで電話をしてOKがでたので明日 運び込む。

次は中国発行の日本語の教科書だ。これはほとんどすべて朗読mp3がついている。
出来ればこれもまとめてどこかに貰ってもらいたいと思っているので
明日ぐらいから書名一覧表の作成にとりかかることにする。
棚と棚の間に積んでいるのが日本語教科書群、
机の下の棚は何かよく判らない書類群である。
これも多分使わないだろうと思うものは思い切って捨てていくことにする。
あの世にまで持って行けるものではないしね。




   いままで何を書いたのかメモしていた紙が見つからなくて、書きづらかったのだが、
   ちょっと落ち着いてきたので「附録」の部も回復させていこうと思う。ご迷惑をおかけしますがご容赦を


・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

キリスト教の教会に通っていた頃のことである。
前にも書いたがそのころは教会で「泊まり込み」というようなこともしょっちゅうだった。
ある日の夜、教会の搭に昇って(そのころは自由に昇れた)
トレンチコートに重しをつけて、ギャーとの叫びと共にそれを搭から投げた。
誰かが見ていれば、教会から投身自殺をしたと騒ぐかも、というわけである。
幸いというか、だれも見ていなかったので騒ぎにはならなくてすんだ。






8月 3日  (水)

机の上に敷くビニールシートやら、椅子にサリーを縛り付ける紐やら、などを買いに
大胡同に出かけた。ついでだから一駅先の「天津西駅」まで乗り過ごし
新装成った地下鉄の西駅と列車の西駅を見てきた。
とにかくでかい。まるで空港のような駅だ。
何万も入れるような構内広場に数十人ぐらいしか人がいない。
それを寒いくらいに冷房しているのだから、これまたすごい。
私一人のために5〜6千人分ぐらいの冷房使用だ。


家に帰ってからちょっと昼寝をして、DVDの整理。
今度の家では置く場所が無くなってしまったので、
どなたかに貰っていただくための一覧表作りである。
  (今年の4月1日にエイプリルフールで同じことをやった。今度はホントである。)
日本の映画やドラマが300+50くらい(50程はまだ私が見ていないもの)
中国やアメリカ、韓国の映画・ドラマが50ほど。
50と言っても1タイトルで30枚というのもあるから、量としてはかなりのものだ。

ただタイトルを書いていくだけではない。
書き出している内に麻雀ソフトが出てきたらちょっとやってみたり
歌のCD,DVDを鳴らしてみたり、絵画の鑑賞にはまったり、と時間はどんどんかかる。




8月 2日  (火 )

中国銀行にクレジットカードの申し込みに行った。・・・ 外国人には発行していないとのこと。
東京三菱銀行天津分行に行った。・・・ 法人対象の銀行で個人は取引していないとのこと。
特にクレジットカード必要というわけではないが、
楽天とかYahoo とかのオークションに出品してみようかと思ってしらべたら、
なんとなくクレジットカードが必要みたいな感じだったので・・・ というだけのことであるが。

椅子をひとつ買った。
居間までの家の居間では畳とソファーが同居していたのだが
今度の家は畳を引くとソファーを置く場所がない。
いつも畳に座って、の生活ではやはり苦しいので
まあ、廊下に当たる部分に椅子を置いて
なんとかごまかそうというわけだ。

昨日から日付の前に絵や写真を添付することにした。
なるべく季節的にものをと考えているが
別にそうはならないかも知れない。

午後から日本人会に行って住所変更。ついでに、本を7冊かりてきた。
続いて、伊勢丹で住所変更
ここでは住所変更をしたら、シュークリームを5個無料でくれた。
また、住所を変えようかな。

夕方からワイン持参で友人が来宅。夕陽を見ながら一緒に飲む。
と言っても、この人はコーラで、私がワインだったのだが・・・





8月 1日  (月 )

今日は前の家の電話とインターネットの解約に行った。
これがまたなかなか大変。当然のことのようにたらい回し4軒。
悪かったのはインターネットのルーターを捨ててしまっていたことだ。
480元弁償させられてしまった。
引っ越し費用で一番大きかったのはこういう無駄な出費だった。
壁に貼り付ける棚、あれもうまくいっていないし
冷凍コップ、これも飲み味が良くないので捨ててしまった。等々。
やっと解約がおわったら昼になっていたので、
イタリー街まで足を運んでスパゲッティーを喰った。
スパゲッティーを食い終わってからスープが出てくるというチグハグだったが、料理自体は旨かった。

帰り地下鉄の駅近くで、あれっ、面白そうと衝動買いをしてしまったのが写真左端のエアーホッケー。
小型ながらなかなかの優れものである。 
とは言いながらしばらくすると引っ越しのむだ出費に分類されることになるのかも・・・

家に帰ってから、捨てるのが惜しかったいろんなアクセサリー類の配置。
船は置く場所がないので空を飛んでいる。
えびすさんの笹は使っていないドアホーンに貼り付けた。博物館で買った魚はガスレンジに。
  










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