7月20日  (水)

日本の小中学校では今日から夏休みなんかな。
それとももう変わっているのだろうか。
我が家では引っ越しの第一日目である。
残念ながら朝から雨。
でも、清掃の業者を頼んでいるので
勝手に延期というわけにはいかない。
パソコン一式とコーヒーメーカー等をかついで出かける。
といっても徒歩600歩のところである。
パソコンの方はコードを忘れてきて接続できず。
600歩ぐらいすぐ取りに行けばよさそうなものだが
清掃工事の人が来ているのでそうもならん。
結局コーヒーを飲みながら本を読んで午後2時までを過ごす。
午後コードを取ってきて接続を試みたが、うまくインターネットにはつながらない。
無線がダメならと直結してみたがやっぱりダメだ。
電話経由ではないので設定を変えなければならないのかもしれない。
いろいろやってみたがうまくいかないのであきらめて
「自宅の風呂」に入って、26階の窓際でビールを飲み
ちょっと就寝。9時ごろに前の(今のか?)に戻ってきて
インターネットに接続、これを書いている。という一日だ。




(13)   2010年 6月16〜18日

ケ ニ ア

キャンピングサファリ


 ツァボではテント泊である。

 夜になるとテントサイトに
 猛獣が来ることもあるというので、
 現地の人が寝ずの番をしてくれる。

 確かに小動物が走り回っているのは
 よく見かける。

 番をする人たちの焚き火があって
 夜中も真っ暗というわけではないし、
 若い人たちはほとんど徹夜で火を囲んで
 話し込んでおり、結構にぎやかである。

 離れたところにトイレもあるんだが、
 ちょっと歩けば真っ暗なのを幸いに
 私はほとんど屋外の樹の下で用を済ませた。

 一応、シャワーもある・・・・・
 目隠しの壁一枚を立てただけの
 屋外のシャワーである。
 多分浴びた人は一人もいないと思う。

 同じサファリでも
 バス付きの素晴らしい施設と
 ロケーションの中で
 優雅な一泊を過ごした人たちもいる。

  この欄の上の2枚は旅行中ほぼ毎日プリントして私の部屋の前に掲示したものである。GPSとプリンターと早起きが威力を発揮している。
  下の小さな写真はその時々のスナップである。説明や感想は左欄につけれたらと思っている。長旅だが、どうかゆっくりとお楽しみください。

 食事は、テントサイトで
 焚き火を囲んで作ってくれる。
 名前は忘れたが
 この地方独特の食材・料理もある。
 キャンプの雰囲気で(キャンプそのものだが)
 何を食ってもうまい。

 アフリカの大地は
 やはり他の帰港地とは一種違った感慨がある。

 地平線まで続く赤茶けた草原に立つと
 思いっきり息を吸って
 「ああアフリカだ!」と心の中に
 叫びたくなるものがある。
      ,
 キャンプ場に昇る朝日、沈む夕陽も
 毎日水平線に沈む夕陽を
 見ていた目にも格別に美しい。

 屋根を持ち上げて走るサバンナの風も心地よい。
 時々ガゼルが競争するかのように横を走る。

 翌朝のことであるが、
 運転手がきりんの死骸をみつけた。
 食いちぎられた足が散らばっている。
 ライオンに襲われたものらしい。

まだ血の色が鮮やかで、
おそらく数時間前のものであろう。

自然というものはこういうものなんだ。











   7月19日  (火)

家の正式契約の日。銀行に行ってありったけの金を卸した。
半年分の家賃の他に、電気代、テレビ、管理衛生費
電話、インターネット、ガス、水道等、とにかくスゴイ出費だ。
食い代が残るのか心配になるくらい。
それに家も今の家と比べるとずいぶん小さい。
書斎に冷蔵庫を淹れたり。洗濯機し炊飯器を同居させたり
それでも、いろんなものを捨てなければ入りきれない模様。

銀行に行ったらこんなポスターが出ていた。
中国にも振り込めサギがあるらしい。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

  つづき
歌の練習といってもドレミなので、教科書にふりがなをつけていくと先生が全部消してしまう。
発声と音程と更に読譜である。
毎日7歳年上の兄貴について特訓がつづいた。
兄貴はベットに横になって、私はその横で直立不動でやる。
曲はソラソミ ドレドラ ソミドミレである。
もうひとつミミラシドシラファファミレミとこの2曲だけは今でも楽譜で歌える。





   7月18日  (月)

今日は引っ越し容疑を買いに出た。
大胡同というところになんか大雑貨市みたいなのがあるんだが
適当にバスに乗って、適当に降りたらかなり離れたところに降りてしまった。
写真の教会は望海楼教会という。いまは宗教活動はしていないんじゃあないかな。
目を転じると天津の母なる川「海河」が見え、その遠景には「古文化街」が望める。
ここから、海河遊覧の船が出ている。
写真を拡大して見ていただくと川の中にぽつぽつとブイのように浮かんでいるのは。
遊泳している大人たちの頭である。
遊泳禁止のはずなんだけど、ちゃんと水着を着、水泳帽もかぶっている。
3つ目は古文化街の入り口である。(何には入らなかった)


ここから大胡同まではタクシーを使うほどには遠くはない
とは言ってももだいぶある。
この炎天下だし、オート三輪のもぐりのタクシーを利用した。
タクシーだと9元、これだと5元である。
買い物はビニールの紐とガムテープ、ゴミ捨て用の袋である。
このガムテープがめちゃ高かった。1つ8元
日本製なのかも知れん。

夕方、きのう日本から帰ってきた友人が来宅、一緒に飲む
新しい家には風呂がある、とわかってすぐにこの友人にメール。
入浴剤を買ってきてもらったのである。
メールしたのは16日、17日には天津に帰っているんだからぎりぎりの依頼だった。
天津の水道水は決して透明とはいえない。ひどい時には有馬の「金泉」ぐらいの時もある。
温泉の素で色と香りをつけてやることはとても効果があるのだ。
そして、時にはバブで気泡を楽しむこともできる。




(12)   2010年 6月16〜18日

野生の王国

ツァボの動物たちと風景

「キャンピング・サファリ体験 
体力に自信ありの方限定」
というオプショナルツアーに乗って
ツァボ国立公園を訪れた。
公園と言ってもおそらく四国ぐらいもあろう
広大な面積の中に住む野生の動物を求めて
サンルーフ付きのジープで走り回って、
運が良ければライオン(=シンバ)や
チーター(=ドウマ)などに
巡り会えるというものである。
やはり図体が大きい分有利なのであろう、
象(=テンボ)の繁殖が多くて
少し生態系を乱しかけているとの説明があった通り、
象の群れは至るところで見かけた。
あと多かったのはきりん(=ツウィーガ)、
しまうま(=プンダミリア)、
ガゼル(=スワァーラ)などで、
ライオンにはなかなか巡り会わず
2日日には運転手に「シンバ、シンバ」と
強要してライオンを探し回った。
運転手もがんばって
ライオンの家族を見つけてくれたが、
たてがみのないお母さんライオンと猫を
少し大きくしたような仔ライオンが
遠望できただけで印象はもひとつだった。
キャンプ場の近くでチーターも見かけたが、
これも太ってドタドタとしており想像のように
格好の良いものではなかった。
  この欄の上の2枚は旅行中ほぼ毎日プリントして私の部屋の前に掲示したものである。GPSとプリンターと早起きが威力を発揮している。
  下の小さな写真はその時々のスナップである。説明や感想は左欄につけれたらと思っている。長旅だが、どうかゆっくりとお楽しみください。












   7月17日  (日)

老眼鏡の故障はやはり不便だ。
百円ショップで買った老眼鏡でなんとかしのいでいるのだが、
やはりこれではいかんじゃろう、と思って
ヤマダ電機の眼鏡店「JIN'S」に行った
店員は中国人だけど同時通訳でも十分こなせるくらい上手に日本語をしゃべるし
視力検査の機械も手際も非常にいい。
399元、599元、799元の3種がある。
レンズは同じ、フレームのデザインや材質が違うんだそうだ、
もちろん、399元のにする。ついでに壊れた老眼鏡の修理もして貰う。・・・・無料だった。
2時間ほどでできるというのでその間、
5階食堂街の「大島ラーメン」で「ラーメン・餃子セット40元」を喰う。
これはラーメンも餃子も不味かったな。この店も長くは続かないだろう。


新しい家の清掃を業者に頼んだ。
一人6時間働いて210元(二人3時間でも同じ)
26階の窓ガラス拭きなんかは素人ではこわいし、
台所や風呂などもピカピカにしてくれるということだ。
それで、210元だったら悪くはないんじゃあないかな。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

私たちの中学校はカソリックの修道院に付属したミッションスクールだったので、
先生はみんな男性だった中で音楽の先生だけが唯一の女の先生だった。(かなり年配だったけど) 
私は音楽が下手というか、ちょっとバカにしていたようなところがあって
真面目に授業に参加していなかった。
その女の先生はそんな私を毎日昼休みに音楽室(講堂兼用だった)に呼んで、
ピアノに合わせて歌の個人指導をしてくれた。





   7月16日  (土)

ずいぶん久しぶりにスポーツクラブに行った。
勿論カードはもう期限が切れているので更新。
今度は「年カード」ではなくて「回数(100回)カード」に切り替えた。
1年で100回も行っていないし、ずっと金を払っているのに行かないという
損害感から解放される。それと「年カード」は自分だけだが「回数カード」だと
一枚のカードで二人でも三人でも一緒に行くことができる。


昨日は昼ちょっと前に家に帰ってきて、シャワーをしてビールを飲んで休憩。
午後の5時から家を見に行った。
今の家は家主の都合で7月末までに空けなければならない。
見に行ったのは今の家の近く26階である。眺めはなかなかよろしい。
それに風呂がある!!!。
即刻契約した。





(11)   2010年 6月14日

モ ン バ サ


ジャンボ!(こんにちは・スワヒリ語)

スワヒリ語というのは日本語と雰囲気的に似ていて、
覚えやすく親しみのもてる言葉である。
それに加えてスワヒリ語講座の先生である
ケニアの獣医・神戸先生の恢々とした
風貌・話しぶりもあってより一層親しんだ。

いくつか紹介しよう。

  サンテ サーナ   ありがとう
  ポレサーナ     ごめんなさい
  ガピ?        幾ら?
  ハバーリ ヤコ? 元気?
  ポレポレ      ゆっくり
  プングサベイ    まけてよ
  この欄の上の2枚は旅行中ほぼ毎日プリントして私の部屋の前に掲示したものである。GPSとプリンターと早起きが威力を発揮している。
  下の小さな写真はその時々のスナップである。説明や感想は左欄につけれたらと思っている。長旅だが、どうかゆっくりとお楽しみください。





  今回は近くの船室の青年平林君のスリランカでの孤児院訪問の記録である。
  ピースボートの素晴らしさのひとつは交流・検証コースのオプショナルであろう。
  どちらかと言えば若い人向きと言った感じであるので私は余り選択しなかったが、
  若い人たちはそれぞれの帰港地で本当に得難い体験をしてきたようである。
  昨日の掲示にも出したが、出港の時に現地で交流した人たちが
  何十人も見送りに来てくれてともに手を取り合って涙している姿は見ていて感動的である。





   7月15日  (金)

とにかく予定通り天津に帰って参りました。
ビザも目出度く2年マルチ(1回の滞在180日以内)がとれました。
ま、とにかく2年間はOKということです。
4時45分旅行社に来て欲しいということだったので、
ぎりぎりまでホテルに滞在(なにしろ暑い中、大きな荷物もってあるかなあかんもんで)
東京駅、新橋、銀座界隈は百円ショップはもちろんスーパーもないんだね。
しかたがないので百貨店の地下で若干の買い物 、新橋駅前では巨大な古本青空市をやっていた。
ちょっと見て回るだけで、熱中症になりかける。
あわててコーヒーショップに入り、昼飯。これで500円、
きのうの昼飯と比べるとずいぶん高くついている。その分かなり長い時間本を読んだりしてねばる。
それでもまだ時間があまったので、銀座の裏通りをぶらぶら。
HUBという飲み屋があったがここのコーヒーは180円、安くて旨かった。
そしてやっと4時45分、旅行社に行く。担当の人はまだ帰ってきていないという。
悪い予感。ま、結果はちゃんとビザは取ってくれていたのだが、やっぱりヒヤヒヤしたね。
それから大急ぎで成田空港へ。
成田から来る時は1208円だったのに、今度は特急指定席で2400円
おかげでスカイツリーにもお目にかかれたけれどもね。
成田のチェックインは自分でパソコン相手にやるんだ。係りの人も付いていて教えてくれるんだが
客も係りの人も大変だ。
北京やデトロイトはこういう方式になっても、日本はやっぱり窓口での話し合いを大切にしてほしいもんだね。
安全検査もベルトを外せ、靴を脱げとなかなかたいへん。
こんなことで時間を食って、飯を食うヒマもなく、ラーメンでガマンして搭乗。
飛行機の中では外を見たいという白人のおばさんと席を替わってやったら、
わしの眼鏡の上にドカッと座られて眼鏡がぐにゃっと歪んでしまった。
夜の11時半、北京着。
それからの7時間ながかったなあ。ケンタッキーが開いていたのでコーヒーを3杯のんで頑張る
6時過ぎにバス停にいくと始発は8時15分だという。
ま、いいや、と待っていると突然7時15分に出るという。危ないところであわてて飛び乗る。
そまのバス、1時間ほど走ったらタイヤから煙が出て高速上でストップ
1時間ほど待っていたら結局、8時15分発のバスがきてそれにのせてもらった天津着。
あああ、大変だった。









   7月14日  (木)

朝 6時半 入浴。 8時半 朝食。

ビザの件はなんとかなりそうな感じ。
昨日中に出張命令書を間に合わせて、今朝から即日申請というのをやるのだそうだ。
それで、ビザの受け取りは午後5時ごろになり、なんとか飛行機に間に合うだろうということだ。
チェックアウトしてしまえば大きな荷物を持って知らない街を一日うろうろめしていなければならないので
時間ぎりぎりまでホテルに滞在して、昼頃に出かけることとし、いまゆっくりとしている。
でも、失敗をひとつ。部屋の鍵カードを朝食の食堂で紛失してしまった。
ま、これもそれほどたいしたことではない。
もひとつの失敗は風呂に入ってから出発と思っていたが風呂は10時までで終わりだった。

おっと、今 旅行社から電話があった。4時に新橋でビザを渡しますとのこと。
めでたし、めでたし。やっぱり神様はワシを見捨てはしないんだな。ありがとうよ。

あとは、18時ごろ成田に到着 デルタ航空搭乗手続き
20時20分 成田空港発 23時20分 北京空港着
北京空港内で夜を過ごして、朝 7時のバスに乗って天津へ
という予定』である。
予定通り行って元気があれば15日夕方か16日朝 再見である。





・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

もう一回つづき
市電の電源は道路に架線が張ってあって、
独楽のついたポールを通じて取り込んでいる。
雨の日など火花を散らしながら走っていることもある。
終点や車線の変更があると車掌が紐を引っ張って架線を切り替えたり、
  ポールの角度や向きを変えたりする。
神戸の「みなと祭り」の時には車体いっぱいに電飾をつけ「花電車」となる。





   7月13日  (水)



きのう写真を写すのを忘れていた、泊まっているホテルの玄関とフロントである。
今朝は6時に朝風呂、7時ちょう職のバイキング。



昨夜は一応UPできていたので、風呂から直行ローソンに行って
ビール、酒、枝豆入り中華くらげ、いかソーメン、鶏の串焼き、かにかまぼこ、
野沢菜ちりめん、で一人酒盛り、でも目の前が鏡になっているので
なんか、えらいイケメンと差し向かいの感じだ。右端歌っているのは私ではない。


それから朝の内に提携旅行社に出かける。
場所がわからなくて汗タラタラ流しながら大苦労してやっと到着。


なんとなんと、香港の会社から出張命令書が届いていないので
申請はできないという。 おいおい待てよ。冗談じゃねぇぞ。
わしは明日の夜には中国に帰らにゃならんのだぞ。
とにかく、至急香港と連絡を取ってみるが、今日の申請は無理だろうな、
という。ワシへの連絡といっても電話は通じないし、
唯一の手段はメールだけだ。そのためにはホテルにもっていなければならん。
ホテルは3時以後でないと入れないし、
まあ、しゃあない「銀座」を端から端まで歩いて
本と調味料などを大急ぎで買ってホテルに帰った。
あ、昼は銀座で寿司を食った。
ホテルに帰ってメールを見たが着信ゼロ。

まあ、くよくよしてもしゃあない、また、風呂に行った。
そして今現在、連絡なし。
明日はビザなしで中国へ再入国することになるんかなぁ
そしたらむそしたら14日以内にまた出国せにゃあならん。
まあ、くよくよしてもしゃあない、また、風呂に行こう。

今日は「地球一周」の日だったが、そういうわけで休載です。





   7月12日  (火)

午前2時 自宅発。こんな深夜にタクシーつかまえるのは無理かも、と思って
徒歩1時間を未婚での自宅発である。飛行機代やすくあげるための我慢と努力だ。
とろが、家を出たとたん何台も空きタクシーが・・・・・
中国のタクシー運転手はよく働く、
いや、こんな深夜にタフクシーに乗る人がいかにむ多いかということだな。
ま、とにかくそういうわけで北京空港行きバス停にはずいぶん早く着いてしまった。
1時間半ほど本を読んで待つ。
3時45分天津発、5時45分北京空港着。途中は雨が降っていた。
空港ではかなり順調に進む。
荷物も少ないのですべて手荷物として持ち込みとする。
これが大失敗でキーホルダー代わりにしていたナイフが安全検査に引っかかってしまった。
もう一度チェックインカウンターにもどって荷物をひとつあずけてやり直し。

8時搭乗。8時45分離陸。機中で不味い昼食あり。
1時30分成田空港着。晴天。
JRで東京→潮見と行って4時ホテルにチェックイン。
ローソンで中華冷麺を買って腹ごしらえをしてから露天風呂へ。
風呂から帰って、ずいぶん苦労してこれを書いている。
うまくUPできるとも一度風呂に行ってから、
ローソンで酒とつまみを買って一人酒盛りをして寝る。
さて、うまくいくか?_











・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

つづき 市電には前の車体下に籠のようなものがついていて、
もし、人が前に飛び出したらその籠のようなものを卸して
人間や犬が車輪に巻き込まれないようにするという装置もあった。
電車の中は窓際にぐるっと紐が張り巡らされていて、
それを引くとチリンチリンと鐘が鳴り、次ぎ降りますという合図だ。
警笛もやっぱりチリンチリンだったので、市電のことをチンチン電車と呼んでいた。





   7月11日  (月)


昨日から小型のパソコンでインターネットアップを試みている。
非常に大変である。
まず第一に、いや、どれもこれも第一だけれども
FILE名を変えなければならないところがある。キーボードが小さいので打ち間違いが多い。
操作ミスかと思ってやり直してしまうことがなんどもあるくらいにめちゃめちゃスピードが遅い。
写真の取り込み方が違う。画面の大きさが違うのでレイアウトの見当がつかない。 等々

で、今日はパソコンを含む荷物を梱包してしまう関係で何の記事もないままに朝の内にUPしてしまう。

今日の予定は
午前中に銀行に行ってUSドルを日本円換金。
スーパーに寄ってウェットティシュなど若干の買い物
持っていくもの(衣類・読み物・パソコン関係等)の最終点検、荷物の梱包
荷物といっても多分、うまくいけばリュック一つで済むかも知れない。
今回は日本での買い物はほとんど予定していない(時間も金もないので)
夕方ぐらいに酒を飲んで寝て、深夜12時過ぎに起きてシャワーして自宅を出る。
タクシーが開けばいいんだが、無ければ1時間弱歩いて北京空港行きのバス停までいく。
3時30分(これはもう12日だけれども)天津発 → 6時30分北京空港着。
デルタ航空搭乗手続きをして8時35分 北京空港発 という予定である。





(10)   2010年 6月13日

洋上サッカー大会

12日、
インド洋の揺れのために延び延びになっていた
サッカー大会がスポーツデッキで行われた。
主催はピースボールというグループで、
このクルーズにあたって中古のサッカーボールを
110個集めて、寄港地の
遊び道具のない子どもたちにプレゼントしている。
各帰港地で地域の青年・学生のチームと
親善試合も行っているが、
勝ったというのは聞いたことがない。
それでもほとんど毎日船上での練習と
ミーティングを欠かさずやっていた。
次の南十字星クルーズでは
東ティモールの子どもたちに
ポール100個をもっていくそうである。
  この欄の上の2枚は旅行中ほぼ毎日プリントして私の部屋の前に掲示したものである。GPSとプリンターと早起きが威力を発揮している。
  下の小さな写真はその時々のスナップである。説明や感想は左欄につけれたらと思っている。長旅だが、どうかゆっくりとお楽しみください。








  この日から天気の良い日はデッキでのランチサービスも行われるようになった。





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