7月10日  (日)

昨日、老人大学「茶芸教室」の先生から電話があって
講座のまとめを提出しなければならない。
ついては、その中で行った「日本茶道」の
デモンストレーションについても書きたいから
インタビューをしたいとのことである。
それで、午後2時の暑いさなか、
「海雅茶園」というお茶屋さんで
約2時間ほど、中国茶をご馳走なりながら
いろいろ話をしてきた。






・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

神戸には「市電」というなつかしい路面電車が走っていた。
それの走る路線は「電車みち」。レールが4本走っている。
柵があるわけでもない。
電車が来ないときは普通の道路である。
そのレールの上に釘を置いて電車に碾かせ鏃のような形の「武器」を作って遊んだものだった。





   7月 9日  (土)

ほんとうに暑い。今午後8時45分。
左は現在の室内、室外の温度である。
午後の9時で30度を超しているんだよ。
しかも、10階だよ。
太陽に近いからだ、なんて言わないだろうね。
右はここ数日の最高気温。
室内が33.7度、室外は実に41.1度だ。
もう、生きていく限界に近い。
日本だったら、大騒ぎだろうね。
そんな暑さの中、家探しに出かけた。
不動産屋さんを5軒ほどはしごして8〜9件の部屋を見た。
歩いた歩数、11136歩。ホント疲れた。
今 借りている部屋が月2350元、
同等程度の部屋だと3000元以上となる。
しかも1年分先払い、それに加えてビザ更新の為東京行き
さらに、どれだけかよく分からないが年金も減額になったと言う。
ホントに天津で生きていけるんだろうかねぇ。
右は25階から見た天津の街である。
眺めも良く、部屋も綺麗なんだけど3500元、手がでない。
下は見てきた部屋の一部である。


DVD「天使の恋」看了。




( 9)   2010年 6月12日


インド洋に浮かぶ

夢の島

セ イ シ ェ ル
  この欄の上の2枚は旅行中ほぼ毎日プリントして私の部屋の前に掲示したものである。GPSとプリンターと早起きが威力を発揮している。
  下の小さな写真はその時々のスナップである。説明や感想は左欄につけれたらと思っている。長旅だが、どうかゆっくりとお楽しみください。

 11日午前6時、
 セイシェルの首都ビクトリアに入港。
 セイシェルはマダガスカル島の北北東、
 ケニア・モンバサのほぼ真東約1750Kmの
 インド洋上に浮かぶ小さな美しい島国である。
 面積はシンガポールの3/4程度しかなく、
 地図帳などではなかなか見つけにくい。
 それだけに思いっきり自然の残った
 のどやかな風致である。
 人口8万、それでもやはり犯罪はあるようで、
 美しい海上風景の中に罪人を収容している
 「リゾート刑務所」という島があった。
 私たちが
 「グラスボートツアーと『宝島』散策」で訪れた
 モイエンヌ島はそのすぐ近くの
 個人所有の島である。
 海岸の砂はあくまでも白いサンゴのパウダー。
 ここで生まれて初めての
 海でのシュノーケリングをした。
 潜っていると方向感覚が全くわからず
 顔を上げると自分の思っていたのと
 正反対の方向を向いていたりして
 ボートに帰るのに往生したが、
 海中の景色はもうそれはそれは・・・





   7月 8日  (金)

今日はまるで日本の夏のように、たまらなく蒸し暑い一日であった。
書斎という程ではないがパソコンを置いてある部屋では脳みそが茹だりそうで、
たまらず、冷房の効く部屋に避難移動した。
おかげで、「天津で日本人、熱中症で死亡」の記事は発信されずに、
しょうもないブログは暑さの中、継続している。

涼しいところに移動すれば仕事が出来るか、というとそういうわけでもない。
ほっとして、コーヒー、新聞、雑誌、読書、DVDと気持ちがそっちに飛んでいく。
でも、ちょっとまともらしいと言えば「篆書」の練習を少しだけしたことと
日本へ行くときのパソコンの調整をした。これはなかなか大変でした。
メールの送受信は確認済みなんだけれども、ホームページの更新がなかなかやっかい。
まず、USBが2口しかないので、増設のハブをつなぐとそれがうまく作動しない、
画面が小さいので、今までUPしていた画面が構成できないし、
キーボードが小さくてミスタッチばっかりする。
でも、頑張ってこの小さいパソコンで更新が出来るかどうか、やってみようとおもう。
パソコンは全くの独学だから、こういう時は強いよ。
「なせばなる、なさねばならぬ 何事も ならぬは人のなさぬなりけり」だ。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

多分 中学の終わりの頃か、高校に入った頃だろうと思う。
三宮のセンター街入り口あたりに「闇市」と呼ばれている一角があった。
夜になるとそこにムシロで囲った飲み屋が出る。
もちろん酒やビールはない。
出されるのは「ドブロク」と呼ばれるアルミの薬罐に入った少し青っぽい酒である。
友達と音なぶってそれを買って飲んだことがある。





   7月 7日  (木 七夕)

♪お星様キラキラ 空から見てる
七夕であるが朝から驟雨、遠くで雷も聞こえる。
午前中には雨も上がり過ごしやすい一日となった。
七月七日長生殿 夜半無人私語時
在天願作比翼鳥 在地願為連理枝
天長地久有時尽 此恨綿綿無尽期
「長恨歌」最後の数節である。

写真は 黄安希著「中国茶で楽しむ十二か月」の 七夕の茶席設定。
この本、絵がきれくて(正しくは綺麗で・・・そう形容動詞だものね)
文章が優しく、気持ちのいい本である。
今日でスポーツクラブの有効期限が切れる、が結局行かなかった。
7月末までに転居しなければならないので
スポーツクラブも継続できるかどうか、分からない。

江沢民前国家主席が亡くなったようである。
が、まだ中国のテレビも新聞も何も報じてはいない。
この人は日本が嫌いというか、日本を叩くことによって国内不満を抑えてきた人だったから
死んだことによって別段日中関係が緊張するということもあるまい。

「私は外務省の雇われスパイだった」原博文著 読了。
登場する外務省の人物、中国の人物、多分みんな実名である。
例えば06年3月1日の衆議院予算委員会第三分科会の記録がある。

  前田議員「実際に、原さんがこの証言で書いてくれました。情報交換をだれとしたか、
  国際情報局分析第二課石塚英樹氏、そして次がS氏、そしてその次の方が沼田氏、この三名であります。
  これぐらいのことをどうしてきちんと外務省はつかんでいないんですか、
  そしてやはり、この石塚英樹氏については、全幅の信頼を彼は寄せていたんですよ。
  愛国心を持った、目本のために、すばらしい外交官だ、私のこの証言の中にも、
  まだそういう気持ちが半分ぐらいは残っている、そういうことを言っておられます。
  彼の気持ちを利用したんじやありませんか。しかも、日本語もたどたどしい中国残留孤児の人を
  利用したこの情報収集活動というのは、外交活動を逸脱しているんじやありませんか。
  まず、こうした残留孤児の家族を情報収集者として使うことは、これは人道上許されることでしょうか,
  お答えいただきたい」

この石塚という人、外務省国際情報局分析二課から
領事移住部へ異動、その後イスラマバード大使館の参事官として勤務
とまで書けば誰のことだかははっきり判る。
こんなの本にしていいの!という感じがするけどね。

昨日、コーヒーミルとコーヒ豆を買った。粉の大きさの調整にずいぶん苦労したが
豆からひいて飲むコーヒーはまた一段と味が違うような気がする。

それからも一つ、先日スイス製ロンジンの腕時計(1200円)が動かなくなった、と書いたが
SEIKO PROTREK がちゃんと動くようになった。さすが日本製だ。
捨てる神あれば拾う神あり、窮すれば通ず、ということか。






( 6)   2010年 6月 6、7日

スリランカ

アーユーボーワン

シンハラ語の「こんにちわ」である。
両肘を真横ぐらいに張って、合掌し、
大変ゆっくりとしたスピードで言う。
いろんな国に行ったが、
一番優雅な挨拶と思う。

以前に行ったのは93年の正月だった。
名古屋空港発であったが、
スリランカ航空の飛行機が故障したとかで
ヒルトンだったか高級ホテルで
一泊させてもらい、
日程を一日縮めての旅だった。

この時はコロンボやキャンディーの町は
穏やかだったが、北の方に行くと、
観光バスにも塹壕から
機銃が向けられており、
不気味だった。

今回はコロンボの町でも、
銃を持った兵士の姿が目立った。




   右下欄の小さい写真の
   ほとんどは
   このpeaceboatの時の
   ものではなく
   1992年の時のものである。
  この欄の上の2枚は旅行中ほぼ毎日プリントして私の部屋の前に掲示したものである。GPSとプリンターと早起きが威力を発揮している。
  下の小さな写真はその時々のスナップである。説明や感想は左欄につけれたらと思っている。長旅だが、どうかゆっくりとお楽しみください。














   7月 6日  (水)


あさ、市場に野菜を買いに行った。これだけで11.8元、
中国は食材は安いのでホント助かる。
でもこれだけの野菜、カルフールで買えば多分30元、
伊勢丹で買えば80〜100元はするのではないか。

道ばたの花もいかにも夏だ。
ケシの花みたいな感じがするが、
まさかそんなことはなかろう。

そのあと、最近(と言っても半月ほど前だが)天津に開店したヤマダ電機に行ってみた。
神戸や大阪のヤマダ電機にはまけない立派な店である。
ただ、置かれている商品、みんなメッチャ高い。
1,2階が携帯関係、3階がパソコン、4階が家電関係である。
特売のワゴンセールで無線マウスを売っていた。一番安いのは48元というのもあったが、
その中で一番高い99元のを購入。今までのと交代して機嫌良く動いている。


子どものお遊びスペースや玩具売り場もあり、5階がえらいしゃれたレストラン街となっている。
でも、ここで喰った右端のランチは旨くなかった。
ただ、奥に見えるパンをくりぬいた中に入ったスープ、スープはまずかったけれどパンが一番旨かった。


夜は曲阜から帰ってきた友人来宅、白酒で語り合う。
どういう勢いか、カラオケに以降と言うことになって出かけたが、店が閉まっていてやめて帰って寝た。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

つづき
石炭ストーブの時は
その上に薬罐をおいて湯をわかし、湯気をたてていたものだし、
4時間目には板のような物を渡してその上に弁当を並べ、
アツアツにして食べたものだ。
板が燃えるということはなかったので、
多分洗面器に水を張り、その上に簀の子状の物を置いたんだろう。





   7月 5日  (火)


DVD「トロッコ」を見た。
実は昨日酒を飲みながら見たんだが、
内容を全然覚えていなかったので再度見たわけである。
芥川龍之介の不朽の名作が
台湾の瑞々しい緑の中でよみがえる。
というキャッチコピーを読んで
もう一度見てみようと思ったわけである。
荒筋をご紹介する。

ある夏の日、
敦(8歳)は急死した台湾人の父親の遺灰を届けるために、
弟の凱(6歳)と日本人の母親・夕美子と、
東京から台湾東部・花蓮の近くにある小さな村にやって来た。

村では、台北に住む弟夫婦が、母子を迎えてくれた。玄関の前で、
いきなり白い顎ヒゲの老人が「親不孝者めが!」と、遺灰の箱を杖で叩く。
それが敦たちのおじいちゃんだった。
台湾では子供が親に先立つのは大罪だから叩いて叱って家に入れる習わしだと、
弟の妻がそっと夕美子に教えてくれる。


敦が大切に持ってきた、
亡くなる前にお父さんから手渡された古い写真。
そこに写っているトロッコを押す少年は、
戦前のおじいちゃんだった。


写真の場所を忘れたおじいちゃんは、
敦と凱を連れてトロッコの線路を探し始める。
村を歩きながら「明治神宮も靖国神社の鳥居も、みんな台湾ひのき。」と、
おじいちゃんは誇らしげに日本語で語り出した。
「この線路、あの山の木を、日本に運ぶためのものだった。
子供のころ、この線路をずっと行くと日本に行けると思っていた。とても憧れていた・・・」と。

村の子供たちとも、しだいに仲良しになり、敦と鴇は元気に遊んでいる。
夕美子は、「あんな楽しそうな顔を見るのは久しぶり」と思わず呟く。
東京での敦は父親を亡くした悲しみも、
母親を案ずる気持も小さな胸にしまい込んでいた。
そんな心情をくみ取る余裕のない母親は、
いつもうつむいてゲームばかりしている敦にきつくあたっていた。

東京とは違いゆっくりと
時間が流れてゆく台湾での生活。
すべてを包み込む雄大な自然のなか、
離れていた家族たちの無償の愛に触れ、
一家は“絆”を取り戻してゆく・・・。

――数日後、
ある決意を胸にトロッコに向かう敦。
あこがれのトロッコに乗り、
最初はそのスピードに胸を躍らせるが、
鬱蒼とした森の奥へと進むにつれて、
不安がもたげてくる・・・・。

という物語である。
特に波乱の物語があるわけではないが
ごく平凡なことをゆっくりと描いて
なかなか味わいのある映画であった。

今日も冷房をつけないと
本も読んでおれないほど暑い一日であった。
道路も大汗かいて破裂したみたいで
えらい勢いで泡を飛ばしていた。
消防車も出動したから
かなりの事故だったんだろう。

新聞半月分、読了(こんなの読了と言うか?)
村上春樹「1Q84」全部読了。




( 5)   2010年 6月 4、5日

オリビア号紹介

船にパソコンを持ち込んでいる人はかなりいる。しかし、
プリンターまで持ち込んだ人はあまりいないようだ。
私はどっちみち宅急便で送ればいいんだからと
壊れること覚悟でプリンターを送りつけておいた。
これが大活躍した。
デジカメで撮影した写真を翌朝、船の現在位置とともに
(GPS持参も成功であった)印刷、
船室のドアに掲示した。
元々は日刊のつもりなどなかったのだが
同室の一木君が「日刊で出します」と
触れて廻ったものだから
ついついそうなってしまつたのである。
当のご本人は大概、朝帰りでグーグー寝ている
その早朝に編集して、プリントアウトする
そりゃ、たしかに「朝飯前」の仕事だけど
なかなかたいへんだった。
その他に
写真入りの名詞を作ってあげる、
写真をポストカードにして差し上げる、
というようなサービスにも発展し、
なかなか好評であった。
私自身は、上のようなTシャツを作って 着たりもした。

【カジノ】
 外国船籍の船だから、公海に出ると
 日本の法律外となり、博打もOKである。
 船の最上階キジーラウンジ無いのカジノでは
 毎日夜になるとルーレットとスロットが
 開帳されている。賭けた人はドリンク無料、
 見学者は半額である。
 ちなみに、わたしは博打はしなかった。
【サダコバー】
 船内にはバー・ラウンジは5カ所ある。
 サダコバーにはカラオケがあって
 夜になるとかなり騒がしい
 アラ、ナターシャという美人が
 二人サービスしてくれる。
【サウナ】
 初めは有料(3$)であったが、
 後半 無料になった。
 有料の時には、バスタオル、石けん、
 氷水のサービスがあったが無料になってから
 それらのサービスはなくなった。  
 わたしはかなり利用した。
 有料の方がよかったなあ。
【マッサージ室】
 20$ すごく筋肉隆々とした
 お兄さんがやってくれる。
 最初は壊されるんじゃあないかと
 心配したくらいである。
  この欄の上の2枚は旅行中ほぼ毎日プリントして私の部屋の前に掲示したものである。GPSとプリンターと早起きが威力を発揮している。
  下の小さな写真はその時々のスナップである。説明や感想は左欄につけれたらと思っている。長旅だが、どうかゆっくりとお楽しみください。





【通信室】
 最上階のブリッジに隣接している。感じとしてはずいぶん遠い所である。24時間対応でファックスの発信をしてくれるのだが
 ファックスの送信料ではなくて「船舶無線」の使用料ということで、ファックスが通じても通じなくても1分9$とずいぶん高い。
 着信の方は無料で、船室まで配達してくれる。





   7月 4日  (月)

「中国茶芸」最終回。
今日は学生がそれぞれお茶と茶道具を持ち込んで茶会を開き、人にお茶をすすめるという趣向である。
まるで、秀吉の「醍醐の茶会」のような趣向。
実は私にはその趣向はよく理解できていなかったのだが、
一応「玉露」の茶葉と「私の顔煎餅」を持参した。
私には茶具もなかったし、説明能力もなかったので
先生が前で代行してくれた。ということは最も盛大な茶会であったといえる。


茶菓子も天津甘栗、ぶどう、
杏、緑茶梅、藍莓果、
そして、茘枝から水餃子まで
持ちもまれていた。

とにかく、賑やかで
楽しい会であった。

また、出席の方々からたくさんのお茶や菓子を闇や下にいただいた。

夜は知り合いの方から
電話があって急遽、食事をすることになった。
姑蘇省の大学からきているという可愛い女子学生一人を含めて
三人で日本料理をを喰った。
刺身盛り合わせ、イカ大根、筑前煮、豚生姜焼き
エビの唐揚げ、エビマヨネーズ、サザエの壺焼きである。


図書大厦の向かえのビルだったので、ついでにそこに寄って本と雑誌を五冊ほど買ってからいった。




・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

小学校や中学校の初め頃までは学校の暖房は石炭ストーブだった。
当番になると、朝 石炭置き場に独特な形をしたバケツをもって石炭を取りに行く。
小さな薪に火をつけて石炭を燃やすのだが、
失敗すると煙がもうもうと出て、部屋が煙だらけになる。
時には、燃えすぎてストーブが真っ赤になったりもする。
更に失敗するとその煙に引火してボッ!とかなり大きな爆発を起こしたりする。





   7月 3日  (日)

一応ぼんやりとした太陽は出ている。
ぼんやりの原因は黄砂やほこりのせいではなくて、空中の水蒸気だ。
湿度100%じゃあないかというぐらいに蒸し暑い。

今日の水筒は、きのう貰った花果茶(イチゴ風味)というヤツだ。
甘くてまずい。
授業でもフルーツティーを作った。 檸檬、ザボンの果汁を採り、
りんごと西瓜の切片をいれて
お茶を混ぜて沸かす。
酸っぱくてまずい。
その他、今日は学生が持ってきた茶を次から次へと淹れてのんだ。
鉄観音、烏龍茶、茉莉花茶などは旨かった。
「無公害西瓜」というのもでた。


昼はマクドで本を読みながら時間をつぶし
2時から日航ホテルでの
「渡辺知子チャリティーコンサート」を聴きに行く。
コンサートとしての歌や楽器もそこそこおもしろかったのだが、
何と言っても一座のメンバーが特異である。
サリドマイド傷害で手が無くなった女性の太鼓演奏や手話
70歳を越した女性の大太鼓など、う〜んと言わせるものがある。



夜は、かつての学生たち4人が来宅。
独身、結婚済み、もう少しでこども、
子どもありの4人である。
仕事も自営、国営、日系企業、
大学の日本語教師とバラエティーに富み
持参のビールやつまみと今の仕事の話しなど
日本語での会話がちょっと通じにくいところもむあるが
まあ、そこは慣れたもので、遅くまで楽しく騒いだ。




( 4)   2010年 6月 3日

シンガポール

 ベトナムでオーダーメイドしたアオザイが
 シンガポールで船に追いつき
 昨日から各人に渡されている。
 女の子の部屋からはアオザイを着付ける
 華やいだ声が廊下まで響いている。
 やがて、廊下やロビーのあちこちで
 あでやかなアオザイ姿のお嬢さん
  (だけではなく、おばさんや男性諸君も)
 が言ったり来たり・・・・・
 今日のオリビア号の中はおそらく
 ベトナムのどの町よりも
 アオザイ姿が多かったのでは・・・・・

  船中の生活

 今回は船中から神戸の自宅に送った
 ファックスを通じてオリビア号での
 船中生活を紹介しよう。


 みなさん、それぞれ元気にしていますか?
 6月1日の深夜にシンガポールを出港して、
 今日から5日間は洋上生活です。
 船の生活は一日中寝ていようと、
 一日中勉強していようと、
 または映画を見ていようと酒飲んでいようと
 全く自由勝手、快適そのものです。
 ヒマで退屈と感じることは一瞬もありません。
                  右上につづく
  この欄の上の2枚は旅行中ほぼ毎日プリントして私の部屋の前に掲示したものである。GPSとプリンターと早起きが威力を発揮している。
  下の小さな写真はその時々のスナップである。説明や感想は左欄につけれたらと思っている。長旅だが、どうかゆっくりとお楽しみください。



 私の場合は、だいたい朝5時半ごろに起きて、
 デッキに出てパソコンで船内生活速報版
 のようなものを作り、部屋の前に張り出します。
   (これ、なかなか人気があって
    ちょっと遅れると催促されます) 
 時には6時からラジオ体操
  (これも誰かが勝手に始めたものです)に参加し、
 朝のコーヒーを飲むこともあります。
 だいたいそのころに同室の人が起きます。
   (若い二人はいつも1時〜2時ごろまで
    デッキ・バー・サロンなどで騒いでいます)
 朝食は大概は同室の人四人で食べに行きます。
 和洋自由ですが、私はだいたいごはん、生卵、
 味付け海苔、焼き魚、ベーコンとソーセージ、
 野菜、漬け物、梅干し、お代わりにお粥、
 そして食後のコーヒーといったところです。

 9時から英会話中級、
 10時からスペイン語講座に出ています。
 一日に10個ぐらいの講座(スポーツ系も)があり、
 面白そうなのがあると聞きに行きます。
 そうでない時はデッキに出て昼寝をしたり、
 人としゃべったりして過ごします。
 たくさん持ってきた本はまだ少しも読んでいません。
 みんなそれぞれの生活スタイルで楽しんでいます。
 タオルの交換など毎日やってくれるし、
 帆船の旅とはえらい違いです。

 8月19日に東京晴海に着いて翌20日には
 北朝鮮への11日間のクルーズに出発すると、この船に乗ってから知りました。
 北朝鮮なんてなかなか普通のツアーでは行けないし、特に何かわけのわからん変わった國なので、
 ついでに行こうかなと思っていますが、どうですか?
 北朝鮮というのもともかくですが、10日程度だと、
 この楽しい船旅を経験するもってこいのチャンスだと思いますので、参加しませんか。
 東京で息子の新築の家に泊まって、帰りは神戸港着、
 うってつけのプランじゃあないかな。
 費用はデラックス(窓付き二人部屋)で一人36.8万円、窓なしだと32.8万円。
 今のクルーズには、それぞれ別々に四人部屋に泊まって、
 費用の軽減と友達の拡大を計っている夫婦の人もいます。
 部屋から部屋への電話は完備されているし、
 昼夜を問わず公共のスペースはなんぼでもあるので、
 それもひとつの手かも知れません。

 資料は、ピースボートの日本事務所の方から家に送ってもらうように頼みましたので、
 数日の内には付くと思います。炉  これが付いたらFAXで返事をください。        順 司





   7月 2日  (土)

今日も一日、降ったりやんだりの天気。
ホント天津も「梅雨」真っ盛りって感じだ。

「中国茶芸」 今日は英国紅茶。
昨日の「日本茶道」表演が聞いたのだろう、
私には持参の杯ではなくて、
このにコップで紅茶を運んでくれた。

何人かはぜひ「日本茶道」を学びたいと申し出るひともあり、
多くの人が杯をつつんで持っていっていた「袱紗」で
授業そっちのけで「袱紗さばき」の練習に励んでいた。

前に申し込んでいた「花茶」をもらう。
箱に入っているのが47元、
袋に入っているのが2つで27元である。
割り箸の袋みたいなのは
「茶飯」をつくるためのプーアール茶葉で、
学生の一人がくれたもの。

集合写真をもらう。まるで先生みたいに写っている。



・・・・・・ ぽろぽろと思い出すままに記す老いの繰り言のようなものである。同じことを繰り返していることもあるかも知れないが、お許しを。 ・・・・・・

ちっちゃ〜い頃である。熱い紅茶を皿に移して冷まして飲んだ記憶がある。
決して行儀のよい話しではないが、
それにしても終戦直後のあんな貧困な時代に皿付きのカップで紅茶を飲んでいたんだろうか。ちょっと信じられない。
英王室の茶会である客が紅茶を皿に入れて飲んだのを見たビクトリアだっとたか、エリザベスだったかが
自分も紅茶を皿に入れてのんだ。客に恥を欠かせないためである。
という話しを聞いて自分を客になぞらえて記憶してしまったのかもしれない。





   7月 1日  (金)

「海開き」「山開き」の日であるが、朝から土砂降りの雨
でも、老人大の「茶芸班」で日本茶道の紹介をしなければならん
茶碗や棗、茶筅、茶杓、菓子、それに写真を見せるための本など
リュックにいっぱい詰めて外に出たが、タクシーなど拾えるはずもない。
なまじ、タクシーを待っている間にびしょ濡れになってしまった。
諦めてバスに乗ると雨は上がってしまった。
「日本茶道」のパフォーマンスはまずまずの出来で、みなさん大いに喜んでいただいたと『自画自賛』


明日、明後日は休みの筈が、突然土・日もやります、と言われてびっくり。
誰のどんな都合で変えるのか知らないけれども、いきなり明日のことじゃないか、ちょっとひどくはないかい?




( 3)   2010年 6月 1日

シンガポール

 3つ目の寄港地である。
 どの寄港地でもそうであるが、
 海からその国を訪問する人はこの頃は少ない。
 こういうアングルで
 マーライオンに迎えられて
 シンガポール入りというのも
 珍しいのではないか。

 ここではオプショナルツアーを注文せず、
 自由行動とし、2階建ての路線バスで、
 リトルインディアからチャイナタウンを徘徊。

  この欄の上の2枚は旅行中ほぼ毎日プリントして私の部屋の前に掲示したものである。GPSとプリンターと早起きが威力を発揮している。
  下の小さな写真はその時々のスナップである。説明や感想は左欄につけれたらと思っている。長旅だが、どうかゆっくりとお楽しみください。
  
  途中篠突く大雨に見舞われ、オーチャードロードの地下に避難
  うどんを喰ったり、足裏マッサージをしてもらったりして時間を潰した。

  帰りのタクシーが、なかなかつかまらず、船の人と相乗りで詰め込んでもらい、やっと船にたどり着いた。
  でも、帰船時間に間に合わなかった人も大勢いたようだ





   先週以前のブログは下の「過去のブログ」からご覧ください。