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   4月 20日  (水)


鼻風邪はほぼ完治したように思う。
スポーツクラブに行きたかったが
大事をとって今日は一日家にいることにした。

篆刻は肩がこるのでしないつもりだったが、やっぱりやってしまった。
まったくうまくできない。前回と比べても悪くなっているくらいかな。
これはきっと才能がないのかもしれない。
提出できる代物ではないが、一応やってはいます、という証拠みたいなものだ。
『これを知る者はこれを好む者に如かず、これを好む者はこれを楽しむ者に如かず』
孔子はいいことをいっている。この精神で行こう。

「フェロモン」神田茜著 読了。
気楽に読めて楽しい。うん、それでいいんだ。読んでいる間だけ楽しい、読み終わってちょっとだけ余韻がある。
それが小説だよ。小説読ませて何か教えてやろうなんてジャドウ じゃろう。




nepal Fc
ネパールの人々c

@1994.12.28.〜1. 8.
A1998.12.26.〜1. 5.
B2001. 1. 4.〜1.14.

  ネパールには
  3回行っているが
  どの写真がどの時の
  ものかの区別は
  ついていない。





「ネパールの町の人々編」はいったんこれで終了。
と思ったんだが、次回ネパールを旅したのは退職後の2001年1月だ。
ということはその間に「帆船で太平洋横断の旅」も「ピースボートで地球一周の旅」もある。
それなの紹介をはさんでおれば、次のネパールはいつになることやらわからないので
続けて、次回も「ネパールの町の人々」を掲載させていただくことにいたします。

私たちの目からみれば、貧しく見えるかもしれないけれど
「平和・平安」を絵に描けばこんなものなんじゃあないだろうか。





   4月 19日  (火)

教師会の時、ある中国人の先生が旅行のプレゼンをした。
5月1日から3日の二泊で「霧霊山・九龍潭の旅」である。
これに参加することにした。
インターネットのガイドに寄れば
霧霊山は、北京の中心部から北東におよそ140`、河北省の興隆県内にある。
燕山山脈の主峰で、標高は2118b。
その雄雄しい姿形と奇岩の多さから「北方の黄山」とも呼ばれている。
山中には涌き水が多く、ここから流れる水が密雲ダムと潘家口ダムを潤している。
山中の渓流沿いを歩けば、竜潭滝、小壷口滝、十八潭滝など、
多くの滝を見ることができる。
霧霊山はその豊かな自然と生態環境から、
河北省では唯一の「国家級森林と野生動物自然保護区」に指定されている。
また山中には、アジアで最大の天体望遠鏡を備えた北京天文台興隆観測ステ―ションがあるほか、
明代に造られた長城も昔のままの姿で残っており、その長さは100`近くに達している。
霧霊山が最も美しいのは、何と言っても黄昏時だろう。
夕日が辺り一面を黄金色に染め、立ちこめる霧が輝く景色は、まさに霊気漂う霧の山という感じだ。
ということだ。

鼻風邪は今日一日中治らないが、午前から銀行に行ったり、旅行の予約金を払いに行ったり、
スーパーで買い物(アイロン台)をしたりしたので、病気気分はちょっと薄らいでいる。


DVD「農家のヨメになりたい」というのを見た。
NHK 2005年5月の月曜ドラマだそうだ。
ストーリーはまったく平凡、紹介する内容は何もない。
かといって、別に面白くないというわけでもない。一日で5話全部を見てしまったものね。




ま、景色だけをご紹介。私もこの景色につられて全部見たようなものだから。





生徒朝礼での講話 L

1994. 9. 1. 2学期始業式
   9.12. 生徒朝礼

  パミール高原




  この時の写真は
  昨年12月 9,12,14,16
        19,22,24日に
  掲載しています。
1994年 9月 1日  2学期始業式   (パミール高原の旅)

9月1日 2学期始業式
おはようございます。
今年は本当に、50年来、100年来という記録的な暑さの夏でした。
校長先生は、今年の夏は
西遊記ではタクラマカン砂漠の端っこにあって
一日中火がゴウゴウと燃えていると言う
火炎山のあたりを旅をしてきたのですが、
結果的には、日本よりも涼しかったんじゃあないか、と思える程の
日本の暑さだったようです。


9月12日 生徒朝礼
米が余って困っていた筈の日本が、
たった一年の冷害で米を緊急輸入しなければならなくなったり
昔から、惜し気もなく使うことを「湯水のように使う」と形容していた日本で
水が涸れて、くだもののも栽培に影響がでたり、
天候の面からも何か日本の底の浅さを教えられているような、そんな気がします。

校長先生がこの夏休みに行ったタクラマカン砂漠の周辺のオアシスの町では
雨は全くといってよいくらい降らない地域ですが、
天山山脈の雪解け水が地下水となって湧いて町を流れており、
欲張った無駄な使い方をしない限り、今年の日本のように水に困ることはないし、
また、割れた瀬戸物をつなぎ合わせる商売が成り立っている程に
物を大切に使って生活をしていました。

地球の資源を「湯水のように」使い、
世界から集めてきた食料を大量に食べ残して捨て、
いろいろな公害を世界の海や空に吐き出している日本の生活の在り方なども
真剣に反省しなければならない時にきていることを
天候が教えてくれているのかも知れません。






   4月 18日  (月 満月)

今日は旧暦では3月16日であるのに、今日が満月だという。じゃあ、今月の十六夜は明日なのか、今日なのか?
それに今日は418で「よい歯の日」とか。おいおい、やめてくれよ、という感じだね。
昨日は一本しかない歯痛に泣かされた一日だったが、
今日は二穴から出る鼻水に泣かされた一日であった。

午前中に銀行に行った。年金が届いている筈。
ところが、私学と厚生年金は入っているのに、金額的には大手の共済年金が入っていない。
一体 誰がサボっているんだ? こっちゃ 熱っぽくて鼻水の出る中を行っているんだぞ!

帰ってから何もする気が起こらないので、
冷凍のギョーザとたこ焼きをチンして
ワインを半瓶飲んで寝た。

4時ごろ起きて見ると電気が消えている。
中国では電気はプリペイである。
前もって写真のUSBのようなものに
電気を買って、それをメーターに差し込んで使う。
それが無くなれば停電する、といった仕組みだ。
無くなったのが真夜中でなくてよかった、と自分を慰めながらトボトボと電気を買いに行ってきた。




nepal Fb
ネパールの人々b

@1994.12.28.〜1. 8.
A1998.12.26.〜1. 5.
B2001. 1. 4.〜1.14.

  ネパールには
  3回行っているが
  どの写真がどの時の
  ものかの区別は
  ついていない。



@Aは日本人が寄付した小学校。ずいぶん遠くから通ってくる。
写真を撮すというと、大人も子どももたくさん集まってくる。





   4月 17日  (日 春の土用の入り)


一本しかない歯は今日も一日痛かった。
金曜日の按摩が悪かったのだ。と、
他のものに原因をかぶせると何となく気が休まる。

42式太極拳 7回目。
今日は先生が休みで代講の男の先生が来た。以前24式を習っていた先生である。
教え方が明確で大変解りやすい気がする。
これだって、基本の部分をずっと女の先生が教えてくれていて
そこでつまづいている部分だけをピックアップして教えるのだから
受講者にとって解りやすいわけだ。
学校の先生と塾の先生との関係と同じだ。

「県庁の星」桂望実著 読了。
県庁のエリートが一年間の民間研修で
とあるスーパーに派遣され 書類・形式中心の役場とちがって
融通無碍・ええかげんの職場慣行に悪戦苦闘する物語である。
とにかくおもしろい。
日本のガッコウのエリートのセンセーが
中国のガッコーや社会に入って悪戦苦闘しているのに似ている。

河の水をきれいにする工事。今日は大きな横断幕が出た。 (右上)
なかなか水はきれいにならないし、悪臭もなくならない。
でも、やっとりまっせ!というアピールだろう。
なかなか水漏れもおさまらないし、放射能も先行きが見えない。
でも、こんな横断幕出したら、またまたコテンパーにやられるんだろうな。
人が水を汚しておいていまさらではあるが「人と水の調和」の大切さの再認識。
「大気」もそうだぜ。


風邪気味かな。くしゃみと水洟がでる。
眼はかすむ、耳は聞こえない、歯は全滅寸前、唯一無事を誇っていた鼻にも水害発生だ。
メンツ全滅だね。
東電さんに水漏れ防止のノウハウを乞おうかな。





生徒朝礼での講話 K

 1994. 6.20. 生徒朝礼

  朝鮮人学校の
  生徒へのいやがらせ

1994年 6月20日  生徒朝礼   (朝鮮人学校生徒へのいやがらせ)

最近、新聞の報道を見て大変残念で腹立たしく、悲しくさえ思うことがあります。
それは朝鮮人学校の生徒に対する暴力や嫌がらせが続発しているという記事です。
4月に25件、5月45件、6月は半月で50件に達しているということです。
神戸新聞では「北朝鮮の核査察問題に絡んでの嫌がらせと書いてありましたが」
それは違うと思います。ただ単に、
そういうことをする人たちの心の貧しさ、卑しさの問題であるに過ぎません。
そんな馬鹿なことをする心の貧しく、卑しい人であっても
小学生や中学生に暴力をふるったり、女子生徒の民族服を切ったりして
核問題が解決に向かうと思っている筈はありません。

日本だって経済の問題で、あるいは一部の鯨に対する商業捕鯨の問題で
国際的に孤立した立場になっている部分があります。
だから、君たちの弟や妹がなぐられたり、石をぶつけられたりしたとしたら
どんなにいきどおり、腹が立つことでしょう。許せないと思うことでしょう。

君たちの中にそんな卑劣なことをしている人がいるとは思いませんし、
そんなことをしている現場に居合わせた人もいないかも知れません。
でも、新聞やテレビでこのようなことが行なわれているということを知って
心からいきどおりを感じる感覚を失わないで下さい。






   4月 16日  (土)


毎月第三土曜日は「天津日本語教師会」の日だ。
天気もよかったので早めに家を出て歩いて会場まで行った。

会場近くの露店でDVD 9タイトルを購入。
写真はその露店の近く、昼間から外に机を出し、
日向ぼっこをしながら 白酒をチビリチビリとやっている幸せなおじさん。
ご本人が幸せを感じているかどうかは別にして
こういう生活は私にはホントうらやましく思える。
でも、まだまだ、こういう時間の過ごし方はできないなぁ

そのあとケンタッキーに入ってコーヒーとじゃがいもで
約40分ほど本を読みながら時間を過ごし、
定刻10分前に教師会の会場に到着。

教師会の方はどうしたことか、
今回は参加者が30人以上と盛会であった。

その後例によって「食事会」
今回は前会長が日本へ帰国するというので
その送別会を兼ねる。
こちらも25人以上と盛会で
あやうく二部屋に別れねば成らない羽目になりそうだった。
もし、そうなってしまったら「送別会」はヘンなものになってしまう。

今回は一本しかない歯が痛くてろくにご馳走を食べることもできず、
もっぱらビールと差し入れの焼酎ばかりを飲んでいた。




nepal Fa
ネパールの人々a

@1994.12.28.〜1. 8.
A1998.12.26.〜1. 5.
B2001. 1. 4.〜1.14.

  ネパールには
  3回行っているが
  どの写真がどの時の
  ものかの区別は
  ついていない。




ネパールの人々の顔って、
なかなかいいとおもいませんか。
こういう感じの顔の人って、
日本には少なくなったな。

特に上段@ABの写真は
なかなか詩情があると自分では気に入っている。。





   4月 15日  (金)


午前中にスポーツクラブ。今日から短パン、半袖でのストレッチと太極拳だ。
太極拳24は自然に出来るが、42は途切れ途切れだ。
iPhone に入れたビデオを難度も見ながらやるのだが、それでもうまくいかない。

その帰り、スポーツクラブの庭園の花の写真。全部 草花ではなくて木に咲く花である。







同じく、スポーツクラブの帰り、盲人按摩に寄った。
前にやってくれた人が上手かったので指名したが今日はいなかった。
仕方がないので他の男の人にやってもらったが、むやみと痛かった。
いまでも節々が痛い。
でも、思ったんだが、按摩は癌かも、とか糖尿の怖れが、とか
人を病気にさせないからいいな。






生徒朝礼での講話 J

 1994. 4.16. 生徒朝礼

  洛陽。西安
  セイルトレーニング

1994年 5月16日  生徒朝礼   (洛陽・西安)

4月29日からのゴールデンウィーク、
そして一昨日の土曜休業にともなう連休、どのように過ごしましたか。
校長先生はゴールデンウィークは中国に旅行をし、
万里の長城や秦の始皇帝の兵馬俑、長安の町のたたずまいなど
3千年の歴史にひたり
またこの連休は金曜日も休みをとって、
2泊3日の間、帆船に乗って太平洋を航海してきました。
30mもあるマストに登って帆を広げたり、たたんだり、
天体観測や椰子の実で甲板を磨いたり、
子どもの頃から憧れていたことをまたひとつ実現できて豊かな休日でした。


  洛陽・西安については昨年の12月4日に、セイルトレーニングは昨年12月 7日、今年 2月 1日、3月23日に掲示しています。





   4月 14日  (木)


津菱宅配に日本酒、ビール、コーラー、天ぷら油等を注文。
午前中に持ってくるというので外出はできない。
その間にもう一度「国破在山河・・・・」の篆書の練習をする。
午後、篆刻の授業。


授業の後半は先生の実演。
今日は紙に墨で書いたのを印材に水で転写する方法
ここでも、その題材には「久下」を選んでくれる。
当然、私も一番前で見学。
すると突然、左の紙を書いて渡された。やっぱり宿題だったのだ。
まあ、練習したのを持っていたのでそれを提出して事なきを得たが
提出予定ではなかったのでそんなにキチンとはかいていないので少々恥ずかしい。

きっと印も彫って見せに行くことが宿題になっているのではなかろうか。
他の人はいくつも押印して見せに行っている。
それを見ると「久下順司」ときれいに彫った印もある。
なるほど、自分の名前だけではなく、その日先生が板書した字を彫るのが宿題なのかもしれぬ。

耳が聞こえない、言葉が解らないというのはいい口実にはなるけれども、ちょっと不便もあるな。

「筆談ホステス」 斉藤里恵著 光文社 読了。
これは今日の午前中だけで一気に読んでしまった。
全く耳の聞こえない若い女性が
ホステスをするという実話である。
友達、家族、職場の人間関係
「実話」のおもしろさがある。

ひとつ知ったことは

 皆さんには、私のような難聴者は、みんな手話で会話をしているという
固定観念かおりませ
んか? 最近では、難聴者を題材としたドラマな
ども多く制作され、その主人公たちはみんな
流暢に手話を操ります。
でも実際は、手話がほとんどできない難聴者が多いのも現実です。じつは
私も手話は初心者レベルで、難しい話は当然のこととして、日常会話さえ
ほとんどできません。

なるほど、そうなんだ。耳の聞こえない人だったら
みんな手話はできるんだと思っていた。

内容の紹介は省略するが、一つだけ

「そのアルマーニのネクタイ素敵!」  お客様が、新しいブランドのネクタイを締めていらっしやったとき、
こんな褒め言葉を投げかけるようでは、銀座のホステスとしては二流クラス。
 「そのアルマーニのネクタイ、よくお似合いで、とても素敵ですね」
 ネクタイを褒めるだけではなく、持っているご本人も褒めるようにしなくては、お客様に喜んでいただくことはできません。

そうだね。本人を褒めていないことってずいぶん多いような気がするね。
結果を褒めるけど、その努力は褒めていなかったり・・・・とか。

夜、酒をのみながら「女帝」ってDVDを見た。銀座のホステスの物語である。
耳が聞こえない・宿題忘れ  →  耳が聞こえない・ホステス  →  銀座のホステス と
なんか、つながっているな。「因果は廻る小車の・・・・」だな。

そのほか、
箪笥を冬から夏に入れ替えた。
関連作業として20枚くらいのアイロンかけ。10着ぐらいの洗濯。
カレーを煮込んだ。




nepal Eb
火葬 b

@1994.12.28.〜1. 8.
A1998.12.26.〜1. 5.
B2001. 1. 4.〜1.14.

  ネパールには
  3回行っているが
  どの写真がどの時の
  ものかの区別は
  ついていない。


薪の上に遺体を置く。よく見ると裸足の足なんかも見えている。喪主とおぼしき男性が白布をまとって登場。
大声で鳴き声を上げながら三回ほど周りを回ってから火をつける。
あとは専門の人が手入れをしながら焼いていく。手が出たり、足が出たり、ちょっと見ているのはつらい。
その間、遺族はお食事会である。





   4月 13日  (水)


明日は篆刻の授業日なのでちょっとぐらい
予習をしなければ、と思って印を3つ彫った。
一つは「久下順司」と姓名を「白文」にしたもの、
これはいきなり失敗してしまい、途中で止めた。
あとの二つは左の「朱文」。
「久下」の方は字は簡単なのだが、
石が砂混じりであっちこっち飛んでしまった。
「順司」の方は技術の割に字が複雑で字が飛んでしまった。
篆刻刀で指を突いて血が出てきたので中止。
一応、血の滲むような努力はした、ということになる。

そのあと、
和菓子の箱を改造して
印材と篆刻刀を入れる箱
化粧用クリーム入れを墨汁入れに転用
このように
実技に入る前に
材料をあれこれと揃えて楽しむ
これも日本人の特徴だ。


「おお、定年」加藤 仁著 読了。
150人の定年後の生き方をインタビューして
実名で紹介しているのだが
「なるほど・・・」という程度でそれほど面白くもない市、
特に感動したり、参考になったりということもない。
一番面白かったのは「あとがき」だった。ちょっと長いが、その一部をご紹介。

あとがき

 筆をおくにあたって、かぞえてみると本書には百五十名の定年退職者が登場している。すべて
私ひとりこつこつと取材をつづけ、実名で紹介させていただいた。
 取材ノートをひらくと、そこには約五百名の定年退職者の氏名と住所、電話番号が書きつらね
てある。いずれもその老後を描きたくて、取材を申しこんだひとたちである。白状するとそのう
ち半数は、取材を峻拒したり、固辞したり、渋られたりで、いい返事をくださらなかった。残る
半数のうち百名は、お会いして話をうかがったが、活字にしていない。叙述するのを私自身がた
めらっている。結局、五百名のうち百五十名の人生を書かせていただいた。取材の苦労話をした
いのではない、ここで老後の現状を識ってもらいたいのである。
 なぜ取材に応じていただけなかったのか。おもてむきにはマスコミ嫌い、無類の照れ星、謙遜
家を装われろ。ほとんどが口をそろえて、活字になるようなたいしたことをしておりません、と
も言う。これにたいして私は、なにも途轍もないことをやってのけたとか、輝かしい暮らしをな
さっているとかを記事にしたいのではありません、百人の定年退職者がいればその前途に百の人生がある、そのひとならではの老後を書かせ
ていただきたい、と主旨を述べた。この言葉に嘘偽りないことは本書を読めばわかっていただけるであろう。勝ったとか負けたとか、実入り
が多いとか少ないとか、派手とか地味とかにかかわらず、老いとつきあい闘いながら生きる姿を見すえておきたかったのである。しかし残念
なことに二人に一人の割合で跳ねつけられた。私の未熟さもあるが、取材を受ける側に胸ぐるしい理由があると思えてならない。
 定年後、絵画を趣味として、ついには個展までひらいた元エンジニアがいた。ほほえましく、気持ちがなごんでくる話題である。当然、取
材を快諾してもらえると踏んでとりあえず電話をかけると、受話器の向こうから氷るような声が返ってくる。
 「お会いしたくありません。困ります」
 私としては合格確実の学校から蹴られたときのごとく、さっと血の気がひき、うろたえてしまう。お年寄りの気持ちを逆撫でする言葉を発
したのか、依頼する私に無礼な面があったのか。それとも相手の虫の居どころがわるいのか。以前にこういう取材を受けて迷惑をこうむった
のか。偏屈なのか、頑迷なのか。さまざまな理由を想いめぐらせてそれとなくうかがってみたが、そのいずれでもなさそうである。「お会い
したくない」と繰り返されるだけで、納得できないまま電話は切れる。
 翌日、失礼をかえりみず、いきなりお宅をたずねてみた。そのお宅は私鉄沿線の、いかにも絵に画いたような建売り住宅である。
 「書かないでほしいんです。困ります」
 インターフォン越しに押し問答がつづいて、書かないことを条件に家の中へと通される。ドアを開けると鎧えたような臭気が鼻をつく。動
物を飼っているお宅に漂っていそうな臭いだが、あとで訊いてみると犬も猫も小鳥もいないという。新建材の廊下はうっすら埃をかぶってい
る。スリッパの下からざらざらした感触が伝わってくる。
「いっぱい立派な人物がいるでしょう。私なんぞお呼びでないでしょうに。私は困りますよ」一時間、さまざまな説得を試みたが、相手から
は紋切り型の逃げ口上しか聞かれないそれでも私なりに相手の胸中を理解できた。その一時間、奥さんは黙ったまま紅茶を四回も運んでくる。
紅茶、コーヒー、日本茶、ジュースとそのつど飲みものが変わっていれば手厚いもてなしを受けたことになるのであろうが、うんざりするほ
どの紅茶とは異様である。声をかけると、奥さんは虚ろな眼をしてにこっと笑い、去る。精神障害に陥っていた。どうにもならない孤独をい
やすためご亭主は絵筆をとったが、そのことをいわゆる「美談」として受けとられるとこそばゆい。かといって深層を書かれると世間にたい
して恥じ入る。そっとしておいてもらいたいという痛切な願いが「困ります」の一言に秘められていた。私は失礼を詫びて退散した。
   (中略)
 では、取材できたにもかかわらず、私が書くのをためらったひとがなぜ百名もいたのか。そのことについてもふれておかねばならない。こ
れまた理由はさまざまある。本人は意気軒昂としてしゃべるが、家族の表情があまりにも暗かったり、なかには家族と絶縁状態であったり、
神懸かりすぎて生理的になじめなかったり。短時間のうちに同じ回顧譚を五回も六回も述べる老人性痴呆性とおぼしき年寄りもいた。大金を
貯めこむことが人生のすべてなのか、団欒にも親睦にも背を向ける老人もいた。実名をあげて書くには痛ましく、哀しすぎる。ご協力を仰ぎ
ながら書けない私の未熟さも痛感している。
 こうして残る百五十名に登場していただくことになった。






生徒朝礼での講話 I

1994. 4.7. 1学期始業式

体の不自由な子

  今までだったら
  養護学校・養護学級
    (今は違う名前に
     なっていると思うが)
  で学ぶ程度の傷害が
  あっても、あえて
  普通学級で
  みんなと一緒に
  勉強したい・させたい
  という親子が増えてきている。
1994年 4月 7日  1学期始業式   (体の不自由な子)

今年の1年生の中に手足の、特に足の不自由な友達が一人入学してきます。
石井誠君と言いますが、
歩く姿に少し特徴がありますし、
階段の昇り降りには人の手助けがいります。
ぶつかるとすぐこけますので少しの注意が必要です。
通学や運動場では自転車を使用しますし、
校舎内でも車を使うこともあります。

石井君にとっては、
お母さんの車で送り迎えしてもらったり、
車椅子を使ったりした方が
ずっと楽なのですが、
自分の足の筋肉を弱らせないために
できるだけ自分の体を使い、足を使っての通学に努めています。

君たちが何気なく歩いている距離を歩くのに、
何気なく昇り降りしている階段を昇のに
運動クラブの人が練習に汗を流すのと同じくらいの労力を費やして
日常生活をしているのです。
そういう彼の生活ぶりから
君たち自身、学びとってもらえるものがたくさんあると思います。





   4月 12日  (火)


早朝からインターネットが不通。
パソコンだけでなく、日本のテレビも、iPod からのメールも読めない。
もっともテレビも iPod も我が家の TP-LINK の無線を利用しているのだから同時不通は当然だろうが
本来別系統であると思われる iPhone も通じないのはどうしたわけだろう?
あ、震災直後の状況を忘れるな! というお告げなのかな。
そう、気がつけばいいんだよ、という感じで昼前には自然復旧した。

いい天気である。昼前から外出。
街路樹の緑の葉、白、赤、ピンク、黄色の花が鮮やかである。
天津の空気もきれいになったのであろう。
かつての薄汚れた緑ではない。
きっと北国のあの丘にも春が来て
コブシが咲いて人を慰めていることであろう。

いつもの通り、25元の寿司うどん定食を食って、
15元の割引券で洗浴中心に行った。

3時間ほど風呂屋にいて、
無印良品、ユニクロ、伊勢丹に行く。
今回は冷やかしではなく、各店で若干の買い物をする。

ユニクロでは夏の下着一式(SILK DRYシャツ、高級綿丸首シャツ半袖カッターシャツ、七分短パン)を買った。
無印で朱・黒の墨汁を小分けして持っていくための化粧品容器
伊勢丹は辛子酢味噌、ヤスリ付き黒胡椒である。

夜は「篆書」の練習をかなりやった。やっぱり上手にはならない。
そりゃそうだ。まだ二日目だ。
三日坊主だと、もう三分の二が過ぎたということだけれども・・・・ 




nepal Ea
火葬 a

@1994.12.28.〜1. 8.
A1998.12.26.〜1. 5.
B2001. 1. 4.〜1.14.

  ネパールには
  3回行っているが
  どの写真がどの時の
  ものかの区別は
  ついていない。



上段左二つは聖なる河原での火葬、すぐ側で水浴もしているし、米や野菜を洗ったりもしている。
上段右二つは下の葬儀の家族、みんな着飾ってきれい。
下段、いよいよ火葬である。薪を積み、遺体を乗せる。喪主の男性が火をつけて焼き上がるまでは次回に。





   4月 11日  (月 東日本大震災から一ヶ月)


おおむね一日家にいた。
別に震災一ヶ月を記念したわけではない。
でも、わりと効率的に小さな雑件をいくつも処理し、かなり充実した一日であった(と思う)。

その一つが篆刻の自習を始めたことである。
まず、前回黒板から移した篆書を墨で書いてみる。
これはちょっと大きすぎてスキャナーに入りきれなかったので
もう一枚の本を看ながら書いた「少年老いやすく」をご披露する。
ホント自分でも驚くほどヘタである。
いや、驚くほどということはない。
書く前から同級生のご老人の提出宿題をみていて
こりゃあ、俺には無理だ、とあきらめていたものだ。
だから、なかなかすぐには取りかかれなかったのである。
まあ、記念にとっておいて、将来「私も初めはこんなに下手だったんだよ。ずいぶん上達したものだ。」
という証拠にしよう。・・・・・そんな時が来るんだろうか?

ついでに石にも書いてみた。気の枠に入っているのが「白文」、右の2個が「朱文」である。
白文のほうが楽だと思っていたが、こっちのほうが格好ががつけにくいんだなぁ。
字を書いた時点でこれだから、彫ったらもっともっとみじめなものになるだろうことは疑いない。


夕方、近くに出来た「粥屋」さんに粥を食べに行った。
特製「海鮮粥」12元。まずまずおいしかったけど、
かえって腹が減った気分。

衛津河の水をきれいにする工事
3月24日から始めて、河の側に大きな穴をあけたり、川底を浚ったり、
いろいろやっているが、いっこうに水はきれいになる気配はない。
かえって、かきまわす分悪臭は日どくなっている。
今日はとうとう潜水服を着たおっちゃんが登場。天津政府も本気でやる気らしい。





生徒朝礼での講話 H

1994. 1.10.3学期始業式


イリアンジャヤ旅行



  イリアンジャヤ旅行の写真は
  昨年11月25,27,30日と
     12月2日に
  掲載しています。




1994年 1月10日  3学期始業式   (イリアンジャヤ旅行)

校長先生は、このお正月は南半球のニューギニアとバリ島とで過ごしてきました。
このところは、いつも奥さんと一緒に旅行しているのですが、
今回は、人喰い人種のいる島ということで、奥さんが嫌がったので
先生一人で行ってきました。
もちろん人喰い人種はいなかったのですが、
いまだに実際に石器が使われていたり、
男の人は瓢箪でつくったケースをオチンチンにかぶせているだけ、
女の人は腰蓑だけの裸で生活をしている
そんなダニ族の部落に行って泊まったりなどしてきました。
インドやエジプトとはまた違った強烈な印象でした。

私達は文明の社会の中にあって本当に幸せなんだろうか。
もちろん、私達が今から水道も電気もトイレも茶碗も眼鏡も入歯もない生活に
戻ることはできないけれども
そこで生活しているダニ族の人たちが不幸せとか、かわいそうとか思うのは
違っているように思います。
・・・・・・
石の斧を使って木を切り倒すのに約4〜5分、同じ人が鉄の斧では約1分。
でも、その3〜4分の差がどれほどの幸せを運んできてくれるのでしょう。
自分が最小限必要とする木以外に自然を切り倒しているだけ、
というようなことにはなっていないでしょうか。
一つの問題を3分かかって解く人と、1分で解く人とでは
ペーパーテストの成績は大きく違います。
でも、そこに生れた2分間がどれだけ人の幸せに役立ったのでしょうか。
それを吟味しなければならない時期にきているように思います。






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