file://kugejunjichina.workspace.office.live.com/DavWWWRoot
   3月 31日  (木)


さて、いよいよ弥生三月もおしまい、明日からは卯の花匂う四月である。
日本では学年・年度の移り変わり、一応送別の宴はおわり、
明日からは歓迎会、そして花見の宴ということになる。
ああ、それから学校では長年勤めた先生が今日を以て定年となる。
真っ赤に燃えた太陽だったが、いつかは沈む太陽だから・・・・ま、仕方がない。
第二の人生でまた燃えよう(私も第三の人生で・・・・)
写真は今日の天津の夕陽。
さあ、日本人だ。四月から新しい気持ちで頑張ろう!!
被災地にもまた、明日から何か新しいものが始まると信じて・・・・・


今日は「篆刻基礎」の日。
何か雰囲気から見れば宿題があったらしい。
前に座っている人から「宿題やってきたか」と言うようなことを聞かれた。
そんな指示があったんだろうけれども、とんと聞き取れていない。
そう言えば何人もの人が篆書を書いた大きな紙を先生に出しに行っている。

実際に彫り出せば何とかなると思っていたけれど、こんなところでもつまずきがあるな。
実技はまだなんだけれども、だんだんそれに近づいてきている感じはある。
太極拳もおなじだが、説明は全然解らないのだから、人より何倍も進歩は後れるだろうけれど、
それはそれでいい。ただ、解らない説明を長時間聞いているのは辛いものがある。




セイルトレーニング
帆船「あこがれ」C

@1994.5.13.〜5.16.
 昨年12月7日に掲載

A1995.11.24.〜11.26.
 2011年2月1日掲載

B1997.10.25.〜10.27.
 2011年2月24日掲載

C1998. 8. 3.〜 8. 6.
 掲載時期未定

D2000. 4. 9.〜 5.10.
 帆船で太平洋横断
 乞 ご期待



@は「帆船あこがれ」の絵はがきから。  Aは太平洋上、ボートで帆船を離れた時の写真   BCはマストと舳先


D 日が沈む頃の風景は特別風情がある。  E毎朝デッキ磨きの作業がある。   F天気のいい日はデッキで昼食

1994年6月6日の生徒朝礼の話
   これは初めてのセイルトレーニングの時、豆台風に遭い帰港できず、翌月曜日の朝礼ができなかった時の話である。
おはようございます。
ずいぶん久しぶりの朝礼のお話になります。
前の朝礼の時は、校長先生は帆船に乗って太平洋に出ていました。
日曜日の夕方には帰ってくる予定だったのですが、
台風並みの低気圧の通過ということで乗っていた帆船が四国沖で漂流、
大波にもまれながら日曜の晩を太平洋上で過ごす羽目となり、
朝礼には出れなくなってしまいました。





   3月 30日  (水)


風呂に行った。
2時前に入って6時半まで約5時間。
一度浴槽に浸かっている間に
他の客は4〜5ローテーぐらいしたかな。
遂に風呂屋の兄ちゃんが「大丈夫か?」と聞いてきた。
浴槽 → 乾サウナ → あかすりと塩もみ → 蒸気風呂 →
シャワー → 浴槽 → 按摩 → 足療 → 昼寝 → 浴槽とやって5時間だ。
写真は風呂屋の玄関の金魚である。何の意味もない。

街を歩く人は上着を腕にかかえて歩くほどに暖かくなった。





生徒朝礼での講話

1992.9. 1. 2学期始業式
1993.1. 8. 3学期始業式



これからは基本的には

古い順に紹介していこうと思う。


ところが、いきなり

2学期と3学期の

始業式に飛ぶ。



インドの写真は
昨年11月1,3,5日に

スリランカの写真は
昨年11月11,14,15日に
紹介した。
1992年9月 1日  2学期始業式   (インド)
校長先生はこの夏休み、3週間程休みを取ってインドを旅行してきました。
「な〜るほど、世界は広いなあ」
「アメリカやヨーロッパ、それをマネした日本などとは、また全然ちがった世界があるんだなあ」
ということを知って帰ってきました。

また、学級の時間などで特に予定のない時がありましたら、
2〜30分の「インドの話の出前」もしたいと思いますのでどうぞ呼んでください。


1993年1月 8日  3学期始業式   (スリランカ)
校長先生はこの冬休みは、今度は奥さんとスリランカを旅行してきました。
インドの南にある北海道よりちょっと小さな島国で、
もともとは一つのインドだったのですけれども、イギリスから独立する時
ヒンズー教のインド、イスラム教のパキスタン、 そして仏教のセイロンと宗教の違いによって3つに別れて独立し、
そのセイロンが国の名前を変更してスリランカとなったものです。

一年中、27、8度から30度ぐらい、夏や冬といった季節はない国で、
お正月と言っても日記帳やカレンダーが新しくなるぐらいで、
特にお祝をしたり、御馳走を食べたりすることはないようです。
1月1日の朝からホテルの食事はやっぱりカレーでした。
20人程のツアーだったのですが、校長先生ひとりだけ、
カレーは右手の指で食べ、現地の服を買って着て、
団体から別れて、汽車の3等車でひとり旅をしたり
なるべく現地の言葉を喋って旅をしてきました。
また、機会があれば教室に呼んでもらえればお話に行きたいと思います。



1992年4月に校長になった。同じ学校での内部昇格である。
勿論最初の講話はその時の入学式の講話である。しかし、余り何ということもないので省略して、 どうしても入学式の話をと言う人は入学式の話を。つまらないけれどもね。





   3月 29日  (火)


ちょっと買い物に出た時、道ばたにはこんな花が咲いていた。
ちょっと寒くは感じるけれど「春は名のみ」というのではなくて、
確実に春はそこに来ている。
避難所の夜もはやく暖かくなるといいな。

今日も一日家にいた。
サウナ付きの風呂屋(東方之珠)にいくつもりだったんだけれども、
例の「朝礼の話」にはまって、いろいろ見ているうちに
今度は在勤中学校のアルバムが見つかった。
それを眺めたり、そこから写真を取り込んだりしているうちに
なんとなく行きそびれてしまったのである。

気がついたんだけど、写真をみて思い出すより、名前の活字を見て
ああ、こんな子がいたと思い出す方が多いんだな。
ここまで人間がデジタル化されてしまっているということかな。


やっとこさ、大河ドラマ「義経」看了。長かったなあ。
「京の五条の橋の上」と「しずやしず、賤のおだまき繰り返し」「勧進帳」「弁慶の立ち往生」の場面を。

白拍子の「しずやしず」の歌をお聴きください。
例によってセリフと字幕の関係

  それに多くの方々(還有大奥的各位)・・・・おいおい、また「大奥」かい?
  苦労をかけた(我九郎発誓)・・・・九郎が苦労したんだが、苦労が九郎になったらあかんだろうが
  (安宅の)関があるのか(是石路馬)・・・・関(セキ)が石(セキ)になるのか。こいつ耳は確かだな
  あの女身ごもっておりまする(那個女人有喜了)・・・・これは間違っているというわけではないかも
  まずは祝着に存じまする(首先是収腹)・・・・「祝着」って言葉が解らなかったんだろうな
  まだ晴れそうにございません(好象還很精神尼)・・・・まだまだ元気、という意味かな

と言ったような具合である。


今日の「旅の思い出」もまたまた「朝礼の話」を再録
「四万十あったかサイクリング」と「内モンゴル」に行くに当たって
生徒たちに「一緒に行かないか」と呼びかけた時のものである。

えらい生徒、えらい親がいるな。
どちらも、一人だけど生徒が参加したものね。

四万十あったか
サイクリング A

1998. 7.23.〜27..


右の「朝礼の話」は

1997.7.24.〜28の四万十
  (3月11日既述)と

7.31.〜8.8.の内蒙古
  (3月13〜21日既述)の

直前の生徒朝礼で
話した内容である。




1997年5月19日 生徒朝礼
まだだいぶ先のことですが、校長先生は今年の夏休みの予定を二つ決めました。
一つ目は、
去年も行った「四万十あったかサイクリング」に今年も行こうと思っています。
7月24日、前夜祭。
25日から27日までテントに泊まったり
四万十川でカヌーに乗ったりしながら自転車で太平洋岸まで下ってくる2泊3日のコースです。
テントや自転車は申し込めば無料で貸してくれますし、
コースも下りばっかりですから小学校の3〜4年生の子でもゆうゆうコースです。
費用は2泊3日の食事つきで中学生1万5千円。
行ってみようという人がありましたら、校長室前の掲示を見てください。
家族で行ってもいいかもしれませんね。

二つ目は、海外になりますけれども、
7月の31日から8月8日まで8泊9日の予定で中国の内モンゴルに行きます。
いま私はアジアセンターというところでビルマ語を習っているのですが
そこでモンゴル語を教えているモンゴルからの留学生の人が
自分の田舎に連れていってくれると言うモンゴルの旅にのることにしました。
泊まるところなんか無いので自分たちでゲル(モンゴルの丸いテント)を作って泊まり、
馬に乗る練習をしてあとは馬に乗って行動するという旅です。
費用は約25万円ぐらいかかるそうですし、
しばらくの間は風呂もトイレも無い生活になりますけれども、
行きたいなと思う人は、これも校長室前の掲示を見て下さい。
校長先生推薦ということで親の説得に必要であれば
この朝礼の話のプリントをあげますのでもらいにきてください。

また、その他、アメリカ、オーストラリアへの招待旅行の案内も
掲示してありますのでチャレンジしてみたらどうでしょうか。

1997年6月15日 生徒朝礼
さて、今、校長室の前の掲示板には
今年の夏の校長先生の旅の計画3つを張り出しています。
もし、君たちの中で親が許してくれる人があったら一緒に行きましょう。

それから今日の昼休みに修学旅行の土産物の抽選を致します。
そして、明日かあさっての昼か放課後、イリアンジャヤの石器で
本当に樹が切り倒せるのかどうか実験してみましょう。
石斧をうまく使いこなせた人にはその石斧を差し上げます。
どうぞチャレンジしてみてください。

1997年7月19日  1学期終業式
校長先生は今年も四万十川のサイクリングにいきます。
奥さんや本校の卒業生も一緒にいきます。
それからモンゴルに馬に乗りにいきます。
これには本校の生徒も一人一緒にいきます。
そしてカヌーとヨットに挑戦します。うまくいけば
吉野川でラフティング(ゴムボートで急流下り)もやるかも知れません。





   3月 28日  (月)


宮部みゆき「誰か」読了

著者のことば 人生に不足がない、あるいは、幸せな人生をおくっている探偵役というのは、
ミステリーの世界ではなかなか珍しいような気がする−と、常々考えていました。
平凡でこれという取り得もなく、でも日常生活は安定していて、ほのぼのと幸せ。
この作品はそういう人物が主人公です,
その結果、彼が追いかける事件は、とてもささやかなものになりました。
そのささやかさのなかに、読者の皆様の心に残るものがあればいいなと願っています。

という本である。  まあ、読んだ証拠に中の一節ぐらい・・・・

 彼女もわかっていたのだ。言われるまでもなく、心では知っていた。それでも、誰かの口からそう言ってほしかったのだ。
 わたしたちはみんなそうじゃないか? 自分で知っているだけでは足りない。だから、人は一人では生きていけない。
どうしようもないほどに、自分以外の誰かが必要なのだ。


伊勢丹と家楽福(Carefoul)に行って、粉チーズ、ピザ用チーズなどを買って
海鮮グラタンを作った。本式のグラタンではない。じゃがいもの粉を牛乳で溶いたのをベースにしている。
海鮮は、海老、蛸、烏賊、牡蠣と豊富である。それにタマネギとじゃがいも、ブロッコリーを入れた。
その他にウインナーのミニソーセージ、ブロッコリー・レタス・ホワイトアスパラのサラダ。
イカ納豆である。 食べるのに気が行ってしまって写真を撮るのを忘れた。


やっぱり地震のことが気になるもので、また、ずいぶん長い「朝礼の話」になってしまった。






生徒朝礼での講話

1995.7.17.半年後

1998.7. 8.3年後





やっぱり地震のことが

気になるので

半年後と3年後の朝礼の話を紹介

それと、

天津に持ってきている中から

地震の写真を何枚か発見した。

それもあわせて紹介する。





上段の@Aは
震災直後の私の通勤路の風景

2段目BCは
私の自宅近所の様子

3段目DEは
私の学校の避難所である。
Eは本校の先生が音楽を
演奏して避難者を慰めている。

Fは
避難所の子どもたち

Gは
自宅近くの小学校の
校門横の掲示物

H 最後は震災直後の
私の自宅の部屋




なお、講話の最後にある
校長室の前に
張り出している写真と
ここに掲示した写真は
関係がありません。
1995年7月17日  生徒朝礼    震災 半年後

おはようございます。
あいにくの雨模様ですので、教室から放送による朝礼となりました。
今日は7月17日、阪神大震災からちょうど半年目にあたります。
のどもと過ぎれば熱さ忘れると言いますが、それではいけないよと、
熱さを忘れないように警告してくれているような毎日の暑さですね。
夜も寝苦しい日が続きますが風邪などひかないように注意してください。
アメリカでも40度を超す暑さとなって100人以上の人が死んでいるようですね。
何か天変地異が多すぎるような気がして気味が悪いですね。


地震の方は何百年に一度という大地震ですから、
この地方にはもうそうそうは無いのだろうとは思いますが
地震の教訓を地震だけに留めておくのは余りにも能がないですね。
もし、大火災が、洪水が、強烈な台風に襲われたら、あるいは
日本を巻き込む戦争や大きな伝染病の発生があったとしても
それらにきちんとした対応ができる心の準備と
日常の訓練ができていますか
ということをいつも考えておきたいですね。


サハリンの地震に何か自分にできることはないのかと考え
フランスの核実験にそれはダメだと声をあげ
どんな理由があっても国と国が、民族と民族が
武力で紛争の解決をするのはいけないことだと言い続けていける
感覚と勇気と粘り強さを育てていくことが大切ですね。

ともあれ、日陰のひとつもないグランドに密集して建てられている
仮設住宅に仮住まいをしている人たちにとっては、大変な夏であることでしょう。


1998年7月18日  生徒朝礼   震災 4年目
おはようございます。

昨日は1月17日、あの阪神大震災のあった日ですね。
君ちたが経験したのは小学校の3年生から5年生の3学期。
あれから、もう3年がたちました。
君たちの心にはどのような記憶が残っているでしょうか。
ここにいる生徒・先生全員の20倍以上の人が亡くなるという大災害を
経験したのですから、きっちりと記憶に留め、語り継いでいってほしいですね。

校長先生は、

前の学校の体育館と格技室に約250名の避難者の人たちがいましたので、
1週間の内、だいたい4〜5日学校に泊まり込んでお世話をしておりましたが、
今日はその内、強く心に残っている2つの経験を紹介します。

ひとつは、震災から3日か4日たったころです。
どんどん避難者が増えていてね、
尼崎市にもっと食料をよこせもっと毛布をよこせと、喧嘩腰で交渉していた頃です。
夜の7時か8時頃、中学2年生の女の子がね、
おにぎりを5つか6つラップして、コーヒー茶碗の皿のようなものに入れて
「これを避難者の方に食べてもらってください」といって持ってきてくれたのです
二百数十人に5つか6つのおにぎり、
配るわけにもいかず結局は職員の誰かが食べてしまったのだと思いますけれども、
このことは、ずっと私の心に残りました。


この子は二百何十人の人に対して自分は何が出来るか、などと考えずに、
今、自分にできることを勇気を持ってやっている。一歩行動を起こしている。
その後、まるで私の背後霊のようにことある毎に「今、おまえにできることをやれ」
とあの場面が浮かんできて、私を押し出してくれるのです。
私も、その子の名前も知りませんし、
その子も私にそんな大きな影響を与えているとは思ってもいないでしょう。

それから、前の学校では避難所が解消されるまで、
夕食に暖かいものを炊き出ししようと決め、一日も欠かさず実行しました。
初めの内はボランティア団体が次から次へと来てくれてよかったのですが、
だんだんと、来てくれる団体も少なくなってくると、
学校のクラブやクラスが炊き出しをして支えてくれました。

全くプライバシーのない体育館での生活が何ヶ月も続き、
次第に人々がイライラしだしてきました。
何とか仕切だけでも作って少しはほっとできる空間をと考えて、
いろいろと交渉をしましたけれども、どうにもうまくいきません。
そんな時、何とかしましょうと言う人が必ず見つかるのですよね。

そんなことが、何度もありました。
本気でやる気になれば必ずできる、
そういう信念のようなものを確信できたのも、この避難所の経験からでした。

今、私にできることは「それくらいのことしても・・」というくらい非常に小さい。
何百人の人にたった一つのおにぎりを差し出すみたいなものかも知れない。

死に瀕しているスーダンの子どもたちへの募金にしても
私たちのできることなんて、
ホントに砂漠に一滴の水を落とすぐらいのことかも知れない。
でも、啓明中の生徒の中で何人かの子が、
飢えに瀕しているスーダンの子のことを思って
一歩行動を起こしてくれた。
その一歩の心をこめて、今日ユニセフに募金を送金します。

それから、今週一週間、震災を語り継いでもらうために
震災の時の避難所の写真を校長室前に掲示しますので、
また見てください。






   3月 27日  (日 さくらの日)


42式太極拳(老人大)の日である。
左の写真はその準備体操
太極拳か気功のようなゆったりとした
音楽にのって行う。
これを覚えようとビデオに収録したものである。

休憩時間の団欒にはなかなか参加できないが、開始前に私に太極拳を特訓してくれるおじいさんがいたり、
雰囲気はずいぶんくつろいできている。


きのう、「思い出ぽろぽろ」のところで、ずいぶん長ったらしい朝礼の話しを書いてしまったが、
二日ほどは、バカな話しだが、自分の朝礼の話しにハマってしまった。
いろんなことを生々しく思い出す。これはブログのいいところだわなぁ。
私のブログなんて何もいいことは書いていないし、何の提言があるわけでもない。
読んでいる人に申し訳ないくらいのものだけれども、別に誰かに読んでもらえなくても、書いとりゃ残っていく。
そして、いつの日か自分であの時を再現できる。
読んでくれている数人の人には迷惑な話だが、
これから「思い出ぽろぽろ」は改め「朝礼の話」を再録することにした。
自分のためである。


まったく別の話だが、大小兼用の家庭用水洗便所
あれで小便をするとき(多分男に限るが)、どうか耳を澄ましてお聞きなさい、
「さら さるる ぴるぽる どぶん ぽん ちゃぷん」
「ファミレドシドレミファ」と春の小川の音が聞こえてきませんか。
もうすぐ(いや、避難所の人たちにはやっぱり「いつの日か」かな)楽しい春がやって来る。
今日は「さくらの日」。




南ベトナムを
自転車で走る A


1997.12.30.〜1. 6.


どこから飛び込んできた
情報だったのか
ベトナムを自転車で
走ろうと言うのがあった。
勿論、すぐに飛びついた。
今度はそれほど厳しい
練習もなく出発。

サイゴン(ホーチミン)から
クイニョンまで。
楽しい道のりだった。

残念ながらサイクリングの
写真は何も残っていない。

 @ 町の屋台    A 浜辺の家    B 建築中の家(レンガが飛んでいる。)


 @ 散髪屋さん   A 市場    B 今日のご馳走は蛇です。


 道で物を売っている親子
 この笠はベトナム特有? というわけではなかろうが、
 老若男女に関わらずかぶっている。
 また、女の子が着ているパジャマのような服も女性の普段着である。


 水郷をこんな舟で散策した。
 この写真はベトナムサイクリングの時のものではないような気がする。





   3月 26日  (土)


朝から天津商業大学に行く。
おそらく9ヶ月ぶりぐらいかな。
地下鉄「本渓路」から歩いて行ったのだが
その道の汚いことは相変わらずだった。
まるで、津波の去った跡のような
片付けるのが捨てるのに追いつかないのかな。

でも、このあいだ(24日)お知らせした我が家の前の川の工事。新聞に出ていたよ。
この川については8月中にきれいにするそうだ。
そして、市内の川は年内に、周辺の川は3年いないに全部きれいになるそうだ。すばらしい。

おっと商業大学に行った話しだった。
「日系企業への面接必勝トレーニング講座」
というのが開かれるというので傍聴させてもらいに行ったのだ。
講師は山口隆道先生で、
多分内緒にしなければならないと言うことはないと思うので、
名刺を紹介しておきます。
裏面にはいろいろな活動内容の紹介もあるし
今回の講座も無料奉仕なので、
もし、興味のある方があれば
拡大してみてください。


昼食をご一緒にとお誘いを受けたけれども、丁重にご辞退申し上げてカレー屋さんでカツカレー辛さ5を食べ
夕食は近くのしゃぶしゃぶ屋。
以上おしまい。





生徒朝礼での講話

1995.1.23.



昨日のブログで

関東・東北大地震の話しから

阪神大震災のことを思い出し

その時の朝礼の話しを紹介した

ついでに、その頃朝礼で

話した講話に目を通してみた。

そうだよね。

これぞ「思い出ぽろぽろ」だった。

これからシリーズで

いくつかを紹介したいが

まず最初はやはり

震災の子規の話しからにする。

震災から一週間目の朝礼の話しである。


これからは、

その一部の抜粋のみの紹介とするが

今回は全文である。

長くて申し訳ない。

おはようございます。
わが国の史上最大の地震の発生から約1週間、
昨日は被災された方々にとってはつらい雨の一日となりました。
君たちは火曜日・水曜日は休校、
木曜日は2時間、金曜日は4時間、土曜日3時間と
地域や家庭にいる時間がたくさんあったわけですが、
中学生として自分の家や親戚・知合いの家の片付けや復興、水汲みや買物などに
きちっとした働きをしてくれたでしょうか。
町が少し落ち着いてきたら
道路に散乱している瓦礫やゴミの片付けなどにも力を出してほしいと思います。

土曜日には3年生の諸君数人が夕方から集まって
体育館と格技室に避難されている方々のために
遅くまで真面目に一生懸命に働いてくれましたし、
2年生の女子でひとつひとつ丁寧にラップしたおにぎりを
被災者の方にと持ってきてくれた人もいます。
頼もしくありがたいことだと思います。

校長先生は土曜日に西宮北口から約2時間半歩いて久しぶりに家に帰ってきました。
国道2号線はリュックを背負った人や大きな荷物を自転車に積んだ人などが
隙間なく大移動をしていました。
家は神戸市東灘区で被害の最もひどかった地域のひとつですが、
幸いなことに家は壊れずにすんだのですが、
いまだにガスと水道は止まったままです。
風呂は洗面器に1/3程水を入れて、タオルを濡らして体をゴシゴシと拭きます。
トイレは使ったトイレットペーパーはビニール袋に入れてウンチだけを流します。
これでずいぶん少ない水ですむのです。もちろん小の時は流しません。
食事は電気が来ているので煮炊きはできるのですが、
使った食器はすぐにトイレットペーパーできれいに拭きます。それでしまいです。
腐ったりカビが生えたりしては困るので毎回同じ食器を使います。
でも、寝るのだけは学校の校長室や職員室で寝るよりもゆっくりと寝れますが、
まだ一晩中途絶えることなく緊急車両のサイレンの音がしています。

学者の話では半月か1か月の間にかなり大きな余震が来る可能性が高いとのこと。
もう1週間が過ぎていますから、半月といえば今週中にも、ということですね。
20日の朝礼でもお話しましたが、
もしもの時にはどうする、というイメージトレーニングはきちんと出来ていますか?
もし、学校にいる時にグラッときたら、
学校はかなり安全性の高い場所ですけれども、
他にはない非常に大きな危険もかかえています。
それは、1000人ちかくもの生徒が集まっているということです。
そのために群集心理から不安がふくれあがり、
人為的な災害を引き起こしてしまうおそれも十分に考えられます。

地震の場合は火事の場合と違って慌てて飛び出す必要はありません。
教室にいる場合はまず天井の蛍光灯や天井板の落下から身を守ること。
特に頭を守るために机の下に入るとよく言われていますが、
本当にスッと机の下に入ることができるのか、一度試してみてください。

そして一番大切なことは、静かにして先生の指示に従うということです。
こわくて泣き出したくなるかもしれません。
早く逃げ出したいと走りだしたくなるでしょう。
ガラスの破片でケガをして血を出している友だちもいるかも知れません。
そのような状況を頭において、
放送が聞こえ、先生の指示が通る集団行動の練習をこのあと行なってもらいます。
早く逃げるためではないのですよ。
避難経路を覚えるためでもないのです。
放送が聞こえ、先生の指示が通る集団行動ができるようになるための避難訓練です。
この練習が無駄になれば一番いいのですけれども、
万一の場合に、練習をしていたおかげで助かったと言えるように
真剣に取り組んでください。

それから、これも万一避難しなければならい事態がおこった時のために、
当分の間、上履きとして
体育館シューズを使うことを認め、なるべくそのようにしてほしいと思います。
もし、体育館シューズが無い場合は、
はっきりと上履きであることを明示した運動靴を履いてもらってもかまいません。
それから、もうひとつ、神戸の災害のかなりの部分が
火事によるものであったことは皆も知っているでしょう。
今、体育館と格技室に避難されている方がおられ、石油ストーブを使っています。
火災の発生にはどれだけ神経質になっていることか。
そんな時に火災報知器がいたずらで鳴らされるということが、
土曜日に1回ありました。
ほんとうにひどいいたずらだと思います。
絶対にそんなことの無いようにお願いします。





   3月 25日  (金 地震発生から2週間)


地震発生から2週間、物的被害は目を覆いたくなる(この表現ホントだね。見ておれない状況とはこのことだ)
人的被害はどこまで増えていくのか恐ろしい。
そして、放射能だ。まあ、なんとかなるだろうと思っていたが、そうも言えないかも知れない。

午後7時半の管首相の国民へのメッセージというのを聞いた。
これは迫力がないな。何のために時間を指定して首相がしゃべるんだ! 
保安院とやらの会見と何ら変わらんじゃあないか。
○○委員会の決定にしたがって、○○会議に諮って、
これは官僚ではないけれど丸投げには変わりないじゃないか!

避難所の生活にも心傷む。かつての阪神大震災の時、私も避難所のお世話をしていたので心に沁みる。
あのとき(1995年2月27日)生徒朝礼で私が話した講話の一節。

   おはようございます。
  次第に春らしい感じの日が多くなってきましたね。
  今年は震災で家を失われた多くの方々のことを思うと
  特に春が待ち遠しい気がします。
  玄関の黒板に被災して京都に避難している小学校3年生の子の詩が書かれています。
  「やさしいやさしい春がもうすぐやってくる。‥‥春よ早くきてね。」
  これは被災された方々みんなの気持ちでしょうね。


  先日、担当箱を通じて
  「避難所への炊き出しについてお願い」というプリントをもって帰ってもらいました。
  さっそく、プロパンガスを提供できますよ。とか、
  炊き出しをする時があればお手伝いをしたい、などの電話を数多く頂いています。
  それにも書きましたが、
  本校の生徒会役員が君たち生徒会員の代表として
  「すきやき」の炊き出しをしてくれてずいぶん好評でした。
  また、他市の中学生がわざわざ子の園田東中学校にまでやってきて
  炊き出しのお手伝いをしてくれたりもしています。
  君たちの学級やクラブで一度話し合ってみてはどうでしょうか。
  20年後になっても、30年のちになっても語り継がれるであろうこの阪神大震災で
  自分は何をしたか、を問われて恥ずかしいというようなことのないように。

今日はスポーツクラブ → 盲人按摩 → 散髪と行った。
盲人按摩は58元から75元に大幅値上げだったが、内容はそれほど変わっていない。
ただ、今回やってもらった按摩師は非常に良かった。
この人を指名すれば75元でも高くはないと思った。




南ベトナムを
自転車で走る @


1997.12.30.〜1. 6.


どこから飛び込んできた
情報だったのか
ベトナムを自転車で
走ろうと言うのがあった。
勿論、すぐに飛びついた。
今度はそれほど厳しい
練習もなく出発。
サイゴン(ホーチミン)から
クイニョンまで。
楽しい道のりだった。

残念ながらサイクリングの
写真は何も残っていない。




ベトナムの女子高生の制服は全国共通、白いアオザイである。
なんというかなかなか色っぽい(失礼)

ベトナムの海岸で。ザルのような舟が珍しい。
「お椀の舟に箸の櫂」というのをつい思い出してしまった。

波打ち際じゃあない、波の上で開かれている即売市場。
新鮮さは掛け値なしだね。





   3月 24日  (木)
           調べてみたら今日が「彼岸の明け」でした。


寒めの一日、この分だと明日は日本も冷えるんじゃあないかな。避難所の夜、大丈夫なんやろか。
それに今日も、東北地方では進度5という地震、余震ではないとか言っていたが
進度3ぐらいまでだとあっ揺れている!という感じだけれども
5となると物につかまりたくなるおおきな揺れだ。もう、ええ加減にしろよ!

朝、携帯メールに入っていた漢詩
  人生如夢又如戯  生活其実不容易
  平時工作要努力  身体可得多注意
  知音難覓要珍惜  有空時候常歓聚
  搶個祝福送給爾  愿爾従此無憂慮
というものだったが、誰が、なぜ送ってきたものかわからない。

今日は「篆刻」の授業。
やはり前半1時間は講義で、眠るのをこらえるのに必死。
でも、休憩後の1時間は、自分がやるのではないけれども
先生の実演を見ながら講義だったのでずいぶん楽になった。
新しい人には、今日練習用の石や篆刻刀がわたされたので
来週くらいからは実技練習に入るかも・・・・

DVD「義経」はまだ延々と続いている。
今日は、奥州に向かって落ちていこうというあたりだ。放射能にやられなければいいのだが・・・・
あっ、今日は壇ノ浦で平家が全滅した日でもある。
その中で、こんな会話があった。安徳天皇の母、建礼門院と義経の会話である。
  建:義経       (殿下)
  義:はっ       (是)
     建:気遣い痛み入る(傷害会正去的)
  ・・・・・・・・
  義:九郎義経、しかと承りましてございます。
             (義経、知道了)
  建:なにとぞ、よしなに(請保重)
  義:はっ       (是)
この中国語字幕、何かヘンな気がするんだけれども・・・・・

晩飯は手製グラタン、貝の刺身、ポークカツ、
   ハンペンのショウガ焼き、野菜サラダだ。
家の前の川が何か工事を始めている。
川の水がきれいになればそれにこしたことはないが
少なくとも臭くなくなればいいな
最後の一枚、何だと思います?



  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
初任校では女子バレーボール部の監督もした。
東京オリンピック後のことである。女子スポーツの人気No1 がバレーボールであった。
それだけに練習は過酷である。それをいやがって顧問のなり手が無くなった。
女子に超人気のクラブを廃部するわけにはいかぬ。というわけで私にお鉢が回ってきたわけである。
私にバレーボールができるわけがない。
で、本屋にあるバレーボールの本を全部買った。
今度は野球と違って成功した。以後、バレーの先生と言われるくらいになった。





   3月 23日  (水 彼岸の明け)

彼岸も明けたというのに、一日中家にいた。
今日は一体どんなことをしたのか? 思い出すままに書き出してみよう。
・天津日本語教師会のホームページを更新した。
・放射能なしの飲料水を注文した。午前中というがいつもって来るか分からないので半日は禁足される。
・「旅の思い出」の写真の整理。ごちゃごちゃの中から探し出すんだからこれも結構時間がかかる。
 まるで瓦礫の中から思い出の品を探し出すようなもの。ただし、体力と悲壮感はない。
・ビール5本を買いに行った。
・メール日本語塾日本語塾の添削課題の整理をした(仕事らしいといえばこれだけだな)。
・明日の篆刻の準備をちょっとだけした。
・メール20通ほどを読み、返信のいるもの11通に返信した。
・宮部みゆき「誰か」という小説を150ページほど読んだ。
・DVD「義経」を5回分ほど看た。壇ノ浦が終わって頼朝との対立が深まっていくあたりだ。

食事は 朝はパン2枚とハムエッグ、コーンスープ
    昼は昨日の残りの煮物
    夜はスパゲッティの残飯、冷凍の海老コロッケ、野菜スティク
    そしてメインディシュの筈の「焼きそば餡かけ」。
   これが大失敗
    ニッシンチキンラーメンに中華丼の素をかけて作ったのだが、
    ラーメンに湯を通したためフニャフニャになってしまった。

肴のDVDは「ざんねんなこ、のんちゃん」
  「日常生活の些細なことにいちいち反応して心に深い傷を負ってしまうザンネンな女の子の物語」
まるで、オタクだな。




セイルトレーニング
帆船「あこがれ」B

@1994.5.13.〜5.16.
 昨年12月7日に掲載

A1995.11.24.〜11.26.
 2011年2月1日掲載

B1997.10.25.〜10.27.
 今回掲載分

C1998. 8. 3.〜 8. 6.
 掲載時期未定

D2000. 4. 9.〜 5.10.
 帆船で太平洋横断
乞 ご期待


整理が悪いため
右の写真が
すべてAの時の写真
というわけではない

Dの太平洋横断の時の
写真も含まれている。

@ABは絵はがきからとったもの。右端Cは大阪の港に係留中のもの


帆船のロマンっていうのはこれだよな。マスト登りも練習は気持ちいいがあれた海での実作業は死にものぐるいだ


帆の向きを変えるためにロープをひいている。選択は真水の節約のためみんな一斉にやる。塩水で洗って最後に共同の真水ですすぐ。
天気のいい日はメスルーム(食堂兼集会室)ではなくてデッキにでて食事を楽しむこともある。この時にはビールが出た!!





   3月 22日  (火)

DVD「東京島」を看た。ストーリーは荒唐無稽だけど、
何となくそんなものかなぁ、と思ってしまうようなところもある。

今日も一日家にいた。なんとなくこのごろ体力の衰えのようなものを感じる。
「よっこらしょっ」と立ち上がるような感じ、足腰に力が無い。
いゃ、力が無い、というより力を入れようとしていないみたいな感じ。
太極拳やプール、ストレッチでも思いっ切り体を使っていない。
何かボソボソと歩いていて、シャキシャキとしていないのだ。頭までそうなってきている。


夕食は
焼き魚、
鰺の開き(中国語では「竹莢魚」という。16.6元)を焼いた。
それから焼き茄子、
田作り(ごまめ)
野菜スティック
塩昆布(ちょっと酢昆布風)
とりあえずのビールのあとは燗酒。 以上である。


それともう一つの肴はDVD「うん、何?」である。
まこと、「うん、なに?」というほどに淡い「青春ミラクルストーリー」である。
「島根の美しい風土に溶け込む爽やかな青春
 人間愛、郷土愛、そして映像美が心に残る感動作!」
ということである。








  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
またまた、初任校での思い出である。
先輩の先生にコワ〜イ先生もいた。その先生の命令は絶対だった。
今日は卓球を教える、と言われると誰もいない体育館で夜遅くまでしごかれる。
声が出ていない! あと30本! と何度も増えていく。
野球の顧問の先生だったが、ある日突然、明日からお前が監督になれ!と言われた。
県でも優勝を争うような強いクラブだったので一番驚いたのは選手たちだろう。
野球の本を十数冊も買い、テレビの野球中継でスコアブックの付け方を練習し、
それなりに頑張ったんだけどやっぱり私が監督するにはそのチームは強すぎてクビになった。





   3月 21日  (月 春分の日)


一週間ほど前と比べると
少し寒む目の春分の日である。
でも桃の花は一週間前と比べると
ずいぶん華やかになっている。
ごめんどうでなければ、
16日の写真と比較してみてください。

少し寒む目と感じるのは今日から暖房が止まっているからかも知れない。
スポーツクラブに行ったが、自転車はやめてタクシーにした。
スポーツクラブの入り口の花は桃ではないな。何なんだろう?



DVD「ノルウェーの森」を看た。
1月に神戸の劇場で看たのだけれども、
見終わってから、我が母校六甲中学・高校が出ていると友だちから聞いた。
映画だからもう一度見直すわけにはいかない。
気になっていたので、買ってきてさっそく看たわけである。

うん、確かに字幕に出ている。ちょっと拡大してみてください。
じゃあ、どの場面なんだ? 真ん中の教室が多分六甲の教室なんだろう。
ひょっとして高校生の服装なんかも六甲がモデルなんかも・・・・ちょっと雰囲気は似ている。





内モンゴル D


1997. 7.31. 〜 8. 8.



 大阪のアジアセンターで
 ミャンマー語の勉強して
 いる時だったと思う。

 モンゴル語を
 教えていた留学生が
 帰国するのにあわせて
 何人かで一緒に
 モンゴルに連れて行って
 もらったのである。





上段は馬に乗る若者たち。
右端のモンゴルの民族衣装の
白馬の騎士は誰でしょう?
中・下段は馬で散歩しているときの
風景である。
私は毎朝中段右のような風景の
中に入って馬を隠れ蓑にして
大便をしていた。









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