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   3月 20日  (日)

老人大学「42式太極拳 第3回目」
教室は30分前にカギが開けられるのであるが
それを待ちかねて、自分たちで
24式や「太極剣」などの練習を始める
これは今日から始まったことである。
第1回、第2回のときは
さすがに遠慮していたのかもしれない。
途中の休み時間でも練習や交流が
活発になっており、これからが楽しみである。
 

外山滋比古「日本語の個性」中公新書 読了
その一節だけを

  ある学者が、電話をかけるとき、「こちらは○○です」ではどうもまずい、
  「こちらは○○ですが」とすると落ち着くと書いていた。
  言い切ると語尾が相手に突き刺さるような感しがするから
  語尾を「が」で丸めておくのである。
  つまり、自分の言葉に羞らいをもつということになる。照れる。
  それで.言葉尻を呑みこんでぼかす。断言は避ける。
  やはり相手の目を見据えてものを言える神経とは別種である。

「   戦後、言葉はコミュニケイションの手段だと言うことが強調されたものだから、
  すべての言語活動には伝達したい内容がなくてはならないように考える向きがふえているが、
  何も特に伝えたいことがあるからではなく、相手と人間関係を結び、
  それを保つのに話すことが必要だという場合が実に多いのである。
  われわれの言語生活は大部分そういうものだとさえ言うことができる。




  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
これも初任校でのはなし。毎日学校の帰り単車で最寄りの電車の駅(阪神武庫川駅)まで
乗せていってくれる先輩の先生がいた。
いつも決まった駅前の喫茶店でケーキやコーヒーを飲みながら1〜2時間教育の話しをた。
多分10歳近くも年下であった私と毎日話してくれたのである。
私にカウンセリングという人との接し方を教えてくれたのもこの先生である。
初任校には勿論「教師」として赴任したんだけれども、
私にとってはまるで「教員養成大学院」みたいなものであった。





   3月 19日  (土)



「天津日本語教師会」
1月、2月は新旧のお正月のため休みだったので
ひさしぶりの例会である。
新学期ということで代表の交代、今期の幹事の選任などがありました。
参加者23人、うち7人が新しい参加者(人数は多分です)でした。
中国人、日本人の別は日本人14人、中国人9人という割合でした。 写真左はパワーポイントを使っての「私の授業紹介」の発表
  (休憩時間中の写真で、立っている人が発表者ではありません。)

例会終了後の食事会。
近くの中華料理店で約15名が参加して楽しく行いました。
今回は新会長がランダムに指名してややくわしめの自己紹介
いろいろ、つっこみなども入って盛り上がりました。
拡大しても写真がボケているのはプライバシー保護のためです。
終了後、大挙10人ほどが我が家に乱入
二次会(三次会というべきか)となりました。
かなり酔っぱらわれた方もいます。(二次会の時からすでにですけど)
お一人が事前の予約通り、我が家にお泊まりになりました。


教師会の会場近くの路上で
「ノルウェーの森」と
「東京島」のDVDを買った。
いつも思うことだけれども、中国の廉価版の登場は早い
「ノルウェーの森」なんか
この1月に神戸に行った時にロードショー上映を見たばかりだ。
「東京島」はもうちょっと前にちょっと話題になったが、
DVDがでたのはつい最近だろう




内モンゴル C


1997. 7.31. 〜 8. 8.



 大阪のアジアセンターで
 ミャンマー語の勉強して
 いる時だったと思う。

 モンゴル語を
 教えていた留学生が
 帰国するのにあわせて
 何人かで一緒に
 モンゴルに連れて行って
 もらったのである。

モンゴルのナーダムのお祭りに参加した。
もともとは、みんなが馬に乗って
この祭りに参加すべく
数日間、毎日馬に乗る練習をしたのだった。
しかし、残念ながら全員が
そこまでの上達を果たせず
車に乗って見に行くことになってしまった。

でも、テレビカメラなど全然入ってはいない
完全の地元の祭りで
すもうや競馬もなごやかに行われていた。
土俵のない相撲は迫力があるし、
見物はみんな「砂かぶり」である。
競馬は多分年齢別なんだろう。
小学生低学年ぐらいの子が男も女も
すばらしく走っていた。





   3月 18日  (金 彼岸の入り)



「毎年よ 彼岸の入りに 寒いのは 子規」
正岡子規のお母さんが言った言葉がそのまま俳句になったという。
たしかに地震の被災地では雪なども降って寒くて辛い一日になったよう。
俳句を味わう心境ではないだろうね。
俳句のない天津では風はちょっと冷たいものの、比較的暖かい彼岸の入りであった。


買い物に出た
「ししゃも」を買うだけにバスに乗って出かけるというのも何なので、
目的地近くの日本料理店で昼飯を食うことにした。
「おいでん」という店。暖簾も出ているし、カギもかかっていない。でも店内はガランとして客はいない。
聞くと「今日はやっていません」という。そんなことあるかよ。きっと一人の客では面倒だと思ったんだろう
仕方がないので隣のイタリア料理店で昼飯を済ませた。
きのこリゾット(イタリア料理だけれどもメニューには中国語で「菌沫゙乳酪飯」とでていた)
とカボチャのスープで29元。お昼限定のせっとメニューである。

買い物は ししゃも、蛸の足、鯛の刺身、海老ハンバーグ、以上冷凍
料理酒、出し昆布、削り節などである。
この昆布はちょっと楽しみだなあ。まずはやっぱり塩昆布か。

NHKの番組「あさイチ」が再開した。
その中の避難所からのメッセージ、避難者へのメッセージの中で気に入ったものふたつ。
  ・二歳の男の子が「地震を逮捕してやる」と言って手を振って出かけた。
  ・M9.0、世界最大級の地震だったのか、じゃあ、復興の愛や希望も世界最大級でなければね。



  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
藍より青き 大空に 大空にたちまち開く百千の 真白きバラの花もよう 見よ落下傘空を行く・・・
この青空も敵の空 この山川も敵の陣・・・・これは私の初任校の事務官の愛唱歌だった。
飲み会では私はいつもその歌詞に酔ったものだった。
私が本物の落下傘を見たのは終戦直後、神戸の川崎重工(?)に米軍の捕虜がいたらしく、
大量の慰問物資を落とした落下傘だった。
多分誰かがこっそり拾ってきたものであろうグリーンの分厚い紙箱に入った食料品セットを喰ったことがある。





   3月 17日  (木)
           今日は硫黄島で日本軍が全滅した日 これは人為的に被害



老人大学「篆刻基礎 2回目」
教室が開くのを廊下で待っている間も、教室に入ってからも
先生をはじめ、多くの人が私のところにやってきて
地震は大丈夫だったか、と聞いてくれる。
その他にも見舞いのメールもたくさん戴いている。

篆刻の授業は今日も講義ばっかり、でつまらない。
実物投影機が入ったので休憩時間などに受講生が
字書や印材、篆刻刀などを持ち込んで、
先生の話を聞いている時、その石や刀が見られるのはちょっとした進歩

老人大学の眼鏡部で眼鏡を受け取った。
100円ショップのと余り差はないが、
やはり7000円ほど、それなりの値打ちはあるんだろうと信じることにする。


18時からある大学が日本の大学と行っている交換留学生の選考試験に参加。
私が行ったのは現2年生16人の志願者から4名を選ぶ面接で
1年間の日本生活に適応できるかどうかというコミュニケーション能力を測定するというものである。
応募資格が学年で成績20位以内の者ということでかなり厳選されているのだが
やはり、「聞く、話す」に限定するとほとんど会話にならないという学生もいる。
一応、成績を付けて提出してきたが、この中から筆記試験の成績も加味して最終決定がなされる。

暗記中心の成績と会話力とは連動しないんだなぁという再確認と
1年間、日本へ留学するということがそれほど悲壮感というか
重大に決意なしに決めることができるようになっているんだな、という感じをもった。




内モンゴル B

1997. 7.31. 〜 8. 8.

 大阪のアジアセンターで
 ミャンマー語の勉強して
 いる時だったと思う。

 モンゴル語を
 教えていた留学生が
 帰国するのにあわせて
 何人かで一緒に
 モンゴルに連れて行って
 もらったのである。


内モンゴルの
大地と空
ホントに広大なのに
大きな写真が無くて
ゴメン



右の二つは、草原でバスを待っている間に、駆けっこをしたり、モンゴルの女の子が習っている踊りを披露してくれたり



   3月 16日  (水)


関東東北大地震
民放の方ではやっとコマーシャルも入るようになった。
NHKは相変わらず終日地震ニュースである。
離れた天津にいるからこの程度の感想だが、東京にいる同窓生は

  昨夜静岡県で地震! 東北から関東に波及してきている様子。 原発はどんどん悪化。
  日本株は大暴落。 日本沈没かも。

  我が家では、食料が危なくなってきた。先日、ネット通販で注文したものは、
  いずれも後刻、入荷ないため注文の取り消し依頼のメールがきた。
  致し方ないので、西宮にいる娘一家に食料の購入・送付を依頼した。
 
と、東京でもかなり深刻なようだ。

川沿いの木には桃が小さな蕾を枝いっぱいにつけている。
川もすっかり氷は溶けて、また悪臭を放ちかけている。

ATMに取り込まれていたカードがやっと返ってきた。
大丈夫かどうか銀行に行って残高確認をしてみるときっちり合っている。
めでたし、めでたし。

DVD「義経」の方は相変わらず「大河」のながれだ。
今日は一ノ谷で平家を破った。
が、敦盛の最後はパスなのかな。
♪一ノ谷のいくさ破れ、討たれし平家の公達あわれ
のあたりスキなんだけどなぁ
戦はもう屋島に行きかけている。

山崎豊子「沈まぬ太陽」看了。
日航 ジャンボ機の御巣鷹山事故を背景にした日航お家騒動の物語である。
2009年の映画だそうだが、今の日航にはもうジャンボ機はいない。

右の写真はわたしの住んでいるアパートの1階の「小売部」である。
中国ではこういう風に窓で商売をしている家も多い。
ほとんど毎日ビールを買う。青島ビール5本20元である。5本で250円ほどだから
日本と比べると確かに安いのだが、それでもこの間19元から20元に値上げしたところである。

この間の新聞に北京大学の入試(面接)問題が紹介されていた。
例えば ・中国のGDPが日本を追い越した後、日本が対中国援助を取り消すとしたら、
     それについてあなたはどう思うか
    ・国家図書館の前に孔子像が建てられていることについて、あなたは思うか
    ・中国人の国民性を植物に形容してみなさい。
などである。もうちょっと詳しくは写真をクリックして中国語を読んでください。

北京大や精華大などトップクラスではやはり頭の柔らかさが大切と思い始めているのだなぁ



  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
中国で日本語を教えると決まってから、雲南大学に1ヶ月、語学留学をした。
一生懸命勉強もしたけれど、昆明の町をそれこそ歩き回ったな。
今の天津の街よりも昆明の方が詳しく知っているかも知れないと思うくらいである。
中国語の方はさっぱりダメ。
北京のことをベイチンと言うような感じで言うのを聞いてウソだろう、
こいつらなまっている、とか心の中で思っていたもの進歩するはずがない。
ても、その後北京語言文化大学に転校した時、留学経験者ということで中級クラスに入れられてホント往生した。





   3月 15日  (火)


東北地方太平洋沖地震。
まだ余震は続いている。
インターネットではいくつかの「美談」も紹介されており、確かにちょっとした救いにはなるが
地震という大悲劇が起こらなければ、発生しない美談は悲しい。
「原発」があやしい。ヘンなことになるな!!


この間のATMに取り込まれてしまったカードを返すから10時10分に
ATM機の所に来るようにとの連絡が9時半ごろにあった。
急いでいって見ると、設置業者がいて、機械を開いてくれたが
もちろん、1週間前のことだ。今まで機械の中に残っているはずがない。
銀行に電話すると調べたら銀行の方にあるという。何を言ってるんだ!!
いままで何回も何回も電話して、3日以内に、明日、明日必ず、と言ったあげくがこの始末だ。
中国の銀行(興業銀行って銀行だ)って「信用」を売っているのではないのか!

その後、スポーツクラブ→長虹公園→
ユニクロ→無印良品→サイゼリア→
伊勢丹と廻ってかえる。

長虹公園はもうボートの用意もされていて
すっかり春の風景

サイゼリアではソーセージ、あさり、サラダ
それにビールも一本飲んで40元

元イトキンがあったビル(今は「利福広場」といっている)の8階 9階に入っているレストランである。



今日から暖房が無くなる予定だったが、ちょっと寒さのぶり返しもあって20日夜まで延長となる。




内モンゴル A


1997. 7.31. 〜 8. 8.



 大阪のアジアセンターで
 ミャンマー語の勉強して
 いる時だったと思う。

 モンゴル語を
 教えていた留学生が
 帰国するのにあわせて
 何人かで一緒に
 モンゴルに連れて行って
 もらったのである。


草原に到着。
ゲルも私たちの手で組み立てた。
パーツがはっきりしているので割と簡単
半日もかからずに完成。

地域(村とは言えない)の長老から
歓迎の馬乳酒をいただく。
室内(ゲル内)でも歓迎の儀式は続く。

モンゴルの人のゲルを訪問して、
ご馳走になる。
牡蠣鍋みたいに見えるが
羊の骨である。
肉の部分は私たちの食卓に行き
残りの骨である。
それでも今日は
ずいぶんのご馳走だ


@Aは私たちお客さんの食事
緑の野菜やトマトのようなものも
見えるけど、これは町から
特別に運んできたもので
普段はこんなものは無い。
Bは私たちの
世話をしてくれる人たちの食卓
私は毎日こちらで食事をした
茹でた羊の頭を
ナイフで削って食べる
酒は馬乳酒ではなくて白酒だった



   3月 14日  (月)


東北地方太平洋沖地震。
午前中は死者・行方不明者4700とか出ていたが、夕方になると15000とかになっていた。
それはそうだろう。
津波の様子などをテレビで見ると地震発生30分程で津波が襲い町が飲み込まれている。
17000人の町で連絡が取れるのが7000人だけというが、
むしろ7000人の方が幸運だったという感じだ。
こんな状況がいくつもあるとすれば行方不明者の数は数万人となる心配もないではない。


今日は一日家にいた。ビデオを見るのも何となく落ち着かなくて、
結局同じことを繰り返している地震報道のテレビを見続けている。

不謹慎な話しだが、テレビにはコマーシャルやお笑い番組はほとんどなく
その系のタレントなどは生活に困っているのでは、とか思ったりする。
それに民放各社もコマーシャル収入が無くなって困っているのでは。

昭和天皇崩御の時もこんな状況だっな。

まさに倒壊寸前だった内閣支持率はどうなったんだろう?


昨日買ったホウレン草をおしたしにして喰った。
その他は野菜と骨付き鶏の煮物
例によってじゃこおろし
それから、 昆布の線状に切ったものを一袋買って
それをちょっと酢昆布風に煮込んだものと
焼酎で辛味を抜いた唐辛子と合わせて煮た物



  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
モンゴルの草原の夜空はスゴイよ。満天の星なんてものじゃあない。
草原に寝ころんで横を見ると地平線すれすれに星が光っている。
ぐるっと寝返って反対の地平線にも星がある。上下は180度、横は360度星が見えた。
中空には天の川がびっくりするくらいはっきりと流れている。
帆船に乗った時も船の明かりを全部消して星を鑑賞したことがある。
南十字星などがあってすごかったけど、水平線ぎりぎりには星は見えなかった。





   3月 13日  (日)


東北地方太平洋沖地震。
テレビの表示では死者・行方不明者が3400人となっている。
しかし、知事とか警察署長とかの話では死者は万人単位であることは間違いないであろうという。
伊勢湾台風で死者・行方不明者の数は5400人だから、本当に想像を絶する惨事である。


老人大学 太極拳の日である。
今日ははじめに例の太極拳風あるいは気功風準備体操をした。
終わりの時にビデオ撮りをしようとよく解らないまま、
みんなについてやっていた。
ところが今日は終わりの体操ではこの体操はやらず
iPhone を構えたまま失敗

練習は太極拳24式からはじめた。
さすがに参加者はほぼ全員24式はマスターしているようだ。

老年人大学には眼鏡屋さんがある。
天津市銀励光学儀器公司 天津市老年大学眼鏡服務部という長い名前である。
 注 ここでは「老年人大学」ではなく「老年大学」といっているな。
いつもの通り30分以上も早く行ったのでついでにこの眼鏡屋に寄ってみた。
いろいろ、検査をしてくれて、勧められたのが1300元
こりゃ、高い、というとフランス製だとか何とかいう。
オレはそんなものはいらん。ガラス製、老眼専用でいいのだ、というと
530元になった。まあ、それくらいだったらいいか、と思って買うことにした。
次の木曜日にできてくる。


以前に行っていた「盲人按摩」の店はつぶれてしまっていたが
我が家の近くに再開しようとしているのを偶然見つけた。
歩いていける距離でずいぶん便利になったのだが
前の店では2時間半58元だったのが75元になっている。
距離は近くなってもこれはちょっと行けないかなあ。


石原慎太郎が都知事選に出馬することになったんだってね。
ま、よかったんじゃないかな。
都知事を辞めて国政へなんて言われたら大変だ。
彼だったら衆議院選挙で当選するだろうし、
自民多数が実現すれば、党首 → 首相という線もないではない。
そうすると対中国関係なんか最悪になることは目に見えている。
中国の悪口は地方の首長の立場で遠吠えしてもらっておくのが無難。




内モンゴル @


1997. 7.31. 〜 8. 8.



 大阪のアジアセンターで
 ミャンマー語の勉強して
 いる時だったと思う。

 モンゴル語を
 教えていた留学生が
 帰国するのにあわせて
 何人かで一緒に
 モンゴルに連れて行って
 もらったのである。





内モンゴルには大連からハルピン、満州里をへて入った。
上段の右2つはハルピンの町の記念碑、博物館(と思う)
ハルピンから満州里には汽車で行った。
なかなか立派な汽車だった。
中段Bはソ連との国境線。Cはハルピンの裏町。
少しはソ連側に入ることも出来、
ソ連の土産物店などもある。
下段はハルピンの小学校参観



   3月 12日  (土 植樹節 東大寺お水取り)


東北地方太平洋沖地震。
時間が経つにつれて被害はどんどん拡大していっている。
福島第1原発1号機の爆発らしきもの、どうなっているんだろうか、まだよく解らない。

インターネットMSNニュースに次のような記事が出ていた。。


地震多発国で東日本大震災への関心が高い中国では12日、
非常事態にもかかわらず日本人は「冷静で礼儀正しい」と絶賛する声が
インターネットの書き込みなどに相次いでいる。
短文投稿サイト「ツイッター」の中国版「微博」では、
ビルの中で足止めされた通勤客が階段で、
通行の妨げにならないよう両脇に座り、中央に通路を確保している写真が11日夜、投稿された。

 「(こうしたマナーの良さは)教育の結果。
(日中の順位が逆転した)国内総生産(GDP)の規模だけで得られるものではない」との説明が付いた。

この「つぶやき」は7万回以上も転載。
「中国は50年後でも実現できない」「とても感動的」「われわれも学ぶべきだ」との反響の声があふれた。
大震災を1面で報じた12日付の中国紙、環球時報も「日本人の冷静さに世界が感心」との見出しで報じた。(共同)




  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
ホント上の緑の字にあるように、何の脈絡もなく、ひょいと浮かんだ泡沫を拾って書いてきた。
でも、これってねぇ、結構大変なんだ。
ふっと思いついても数秒後には何だったか忘れてしまっている。
いざ書く段になって、これ前に書いたんじゃあなかったかと不安になる。
歳がいけば同じことを何回もくりかえしてしゃべるようになるからなぁ。

この「思い出の記」今回で100回目だ。





   3月 11日  (金)
             1869 中国でパンダが発見される)
             2011 東北地方で日本観測史上最大の地震発生


東日本がひどいことになっている。
神戸の時と違って津波による被害が甚大なので
死亡が確認されない行方不明者の数がどんどんふくれあがっていく
これからどうなるのか、恐ろしいほどである。


今日は麻からスポーツクラブ、天津日本人会、伊勢丹とまわって会員証等の再発行をしてもらってきた。
スポーツクラブは10元、伊勢丹は20元、日本人会は無料でペットボトルの水を1本くれた。
ま、とにかく一日で事後処理は完了。帰宅すると上記の地震のニュースでテレビの前に釘付けという一日だった。

事後処理は円滑に完了したのだが、
スポーツに行く時にポケットに入れていったメガネをどこかに落としてしまった。
仕方がないので今は日本の100円ショップで買った老眼鏡でブログを書いている。
東日本ほどではないが災難はまだまだ続いている。
考えてみれば、最初になくなったのは補聴器(耳)だった、そして次が「歯」、今回はメガネ(目)である。
次が楽しみだなぁ




四万十あったか
 サイクリング

1997. 7.24.〜 28.


 お詫び

 1996.12.26.〜97.1.6.の雲南・西双版納まで進んだところで 1995.8.9.〜8.22.の蘭州・敦煌の写真が出てきたため
 また、前戻りさせてもらった。
 1997.1月の次は 1997.7.24.〜7.28.の「四万十あったかサイクリング」という国内旅行であるが
 これの写真が一枚もない。
 四万十川の源流から太平洋まで川に沿って自転車で下っていく。
 ほとんどが下り道なので、参加者も買い物自転車に乗った小学生たちもいて和気藹々である。
 途中の町や市の皆さんのお料理をいただいたり、川遊びをしたりホント楽しいツアーだったのに、惜しい!

 次回は内モンゴルの旅である。






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