![]() そのころはまだ「国民学校」といっていたし、学校の名前はあったんだろうか? 上筒井小学校と宮本小学校、春日野小学校の3校が一つの焼け残った校舎で勉強した。 今週の午前は○○小学校、午後は××小学校という具合である。 最初にもらった教科書は新聞紙のような一枚の紙だった。 それを折りたたんで冊子様にして使った。だから私は「墨塗り教科書」の経験はない。 |
![]() 何も話しのない時は校長が朝礼台に上がって黙って礼をして降りる。それだけでおしまいという朝礼もあった。 中学3年のころだった、その朝礼で後を向いてしゃべっていたら 台上の校長から「久下! お前は学校の先生になるんだろう、そんなことでいいのか!」と怒鳴られたことがある。 すごいな。 中1から高3まで並んでいる中でワシの顔と名前、進路希望まで知っている(知られている)んだから。 |
![]() 確かにシュー、ポーと音を出し、白い煙を出して走る姿は勇壮で美しい。 私の小さい頃の遠出は蒸気機関車だった。 冬はまだいいんだが、窓を開ける夏は大変。 風向きによっては煙が窓から流れ込むし、トンネルが近づくと大急ぎで窓を閉めなければならない。 上下に閉める窓のノブが固くて閉め遅れたりすると「何やってんだ!」と怒鳴られる。 あのころ蒸気機関車に乗ってロマンチック!なんて思っていた人は一人もいなかったんじゃあないかな。 |
![]() 小学校に入る直前くらいだったかな。上筒井の家の隣は交番だった。 そこは人がいたり、いなかったりで、いつも私の遊び場になっていた。 お巡りさんが帰ってくると、その本物のピストルを貸してもらって バン、バ〜んとやって遊んだものだ。 もちろん弾は入っていないにしろ、今だったら大変なことだろうな。 |
![]() 縦40p 横1m20pぐらいの大型のソロバンを使って教えてくれる。 終わると職員室まで返しに行くんだが、 私の当番となった時、それをソリのようにして乗り、ガラガラと廊下を走っていった。 折悪しく校長に見つかり校長室まで引っ立てられて校長室の前の廊下に立たされた。 校長が職員室の方に行ったスキにとんずらしてやった。 |