![]() 前回の「テンカ粉」で思い出したが、小学校の頃、進駐軍が街の人をあつめてDDT消毒をやった。 首筋をつかまえて銃のような噴霧器で服の中に大量のDDTを吹き付ける。 そのあたりはDDTで真っ白になっている。 それだけ蚤・虱の蔓延がひどかったのだろう。 後にDDTも薬害が出て使用禁止になったようだが、 私がときどき頭の中が真っ白になるのはその時の薬害のせいかな。 |
![]() 唐山大地震という中国の映画のDVDを見ていたら、 お母ちゃんが子どもの首筋に「テンカ粉」をパタパタとつけてやるシーンがあった。 地震があったのは76年というから私はもう27歳になっている。 私の「テンカ粉」の思い出はそれよりさらに20年も遡るのだが、 まったく同じ風景に見えて懐かしかった。 |
![]() カウンセリングの勉強をしていたころ、夏になると泊まりがけのワークショップをした。 いつもその場所がよかった。 高野山の宿坊、六甲山、神戸の禅寺、西宮のヨットハーバー、奈良の高級和風ホテル、 私が参加した終わりの頃は京都祇園神社前のホテルだった。 この研究会のワークショップではないけれど、 豪華客船コーラルプリンセス号でグアム・サイパン往復の船中でもカウンセリングのワークショップをやったな。 |
![]() もう30年以上も前になるが、そのころでも中学校ではバレンタインのチョコは流行っていた。 若い男性教師の机の上にはチョコが山積みという状況もあった。 やはり「本命」は同じ中学生の男子なんだろうから、 もうそのころの中学生にも「義理チョコ」の風習もあったのだろうな。 生徒指導の先生などは大体チョコとは縁がなかったのでやっかみもあったのかも知れない。 チョコ持参禁止というようなお触れが出たりもした。 |
![]() 多分、日本に初めてアーチェリーが入ってきたころ、YMCAでアーチェリーの講習を受けたことがある。 そのまま続けていればオリンピックに出られたかも知れない。おしいことをした。 家では庭に「巻き藁」を立てて空手の練習をしていたし、 大学の授業では日本の弓道とアメリカンフットボール(タッチフットボールだったけれども)をやった。 弓道の時は射た矢が的小屋の屋根を越えて道路に飛び出していった。 フットボールはいつも前衛で前の一人とぶつかている内にすべてが終わっていた。 |