2月 10日  (木)


朝、寝床の中でメールのチェック。
(我が家は無線LANなので iPod touch でメールチェックができる。)
昨夜の「ためしてガッテン」を是非見るようにとのめーるが入っていた。
   歯の噛むことの有用性の話でした。
   久下先生の歯のペンダントの跡の治療が気にかかります。
   番組のワンセグでの録画もありますので、もし天津で見ることが
   出来なければSDカードで送ることも可能です。
さっそく昨夜の「ためしてガッテン」を見た。
  (我が家の「楽テレビ」は全チャンネル1週間分を自動録画しておいてくれる。
   iPod といい 「楽テレビ」といい、ずいぶん便利な生活をしているものだな)
なるほど、噛むことによって消化だけではなく、脳への刺激がやる気や記憶力などを引き起こすという。
噛むだけでいいなら、歩きながらでもテレビを見ながらでもできる。
  (口をモグモグさせてちょっとみっともないかもしれないけれどガマン ガマン)
さっそく、これを日常に取り入れることにした。
ところが、ちょっと気になることがある。
「噛む」って「口」に「歯」と書くんだよね。やっばり歯が無きゃあダメかな。
でも、上野動物園の老衰したロバ(=「口」+「ハ」て書く動物だ)に
入れ歯をしてやると元気を回復したという。
入れ歯でもOKなら、歯茎だけでもややOKかも知れん。
「歯合わせ=幸せ」とは行かなくても「無歯無欲」で頑張ってみよう。

付録
寝るときまで歯をガチガチやっていて、
しまった、いま脳が活性化したら不眠になっちゃうと思って慌ててやめた。



久しぶりに雪である。出掛ける予定を中止した。「晴耕雨読」である。
この「晴耕雨読」ってことばの出展は何なんだろう?
少なくとも、天津や北京ではないな。
雨であれば読書、ということであればその人はほとんど本を読まないことになってしまうもの。

夜 来客あり。
焼きそばとキムチ鍋でビール、チーズとサラミ、するめでワイン。



  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
中学校で担任をしていたころ、筋ジストロフィーの子を担任したことがある。
その頃の筋ジストロフィーは回復する見込みって無かったようだ。
だから機能回復を目指す養護学級や養護学校よりも一般の子と同じ教室で学ばせたいという親の気持ちだったのだろう。
当時は電動車椅子も無く(多分)手押しの車椅子をお父さんかお母さんが車で送り迎えしていた。
玄関からは友達が教室に運ぶ。特別教室での授業は4階だったりするので大変だった。
でも同級の友達はごく当たり前にホイっとおんぶして、他の友達が車椅子や教科書を運ぶ。
慣れたものというか、友達とおしゃべりしながら教室に向かう。
可哀想などという雰囲気はほとんど無かった。
その子も普通にしゃべったり、笑ったり、すねたり、むくれたりする。・・・・中学を卒業してしばらくしてその子は亡くなった。




   2月 9日  (水 人日の節句 春の七草)


このところ、パソコンの前に座りっ放しだったので、気晴らしに散歩に出た。
旧暦の1月7日、まだお正月の内なんだろう、年始回り用の果物の籠などが路上に並べられている。
爆竹屋さんもまだまだ店を張っている。音だけの戦争ごっこもまだまだ終わりそうにはない。
横を見ればお団子屋さんに行列ができている。
中国では旧暦15日には「元宵」という団子をたべるが、
今日旧暦7日も日本の「七草粥」のような腹休めの行事があるんだろうか。
そのお隣ではバレンタインデーのバラの花の予約が始まっている。


ずっと歩いていくと前に一度行ったことのある「庄王府」前に出た。
えらい飾り立ても派手で、今日は「廟会」というお祭りもやっているという。
入場料20元だが、年寄りは無料だというので入ってみた。
どういうわけか、ラクダとロバと馬がいた。鞍をつけているので有料で人を乗せるんだろう


さて、「廟会」は2時半から始まるという。まだ40分もある。
やっと出演の人々の衣装の準備が始まったところである。
寒いので、舞台裏の倉庫のようなところに入り込んで本など読みながら待っていた。
始めに広場で左端のひとたちのパフォーマンスが少しあって
これは参会の人たちも一緒になって簡単なステップを踏み踊る楽しい物だった。
本番の出し物は清朝の一場面。

広場でじっと立って見ているのはとにかく寒かった。
このあとも天津民間伝統芸術の表演があったが、寒くてたまらなくなったのであきらめて帰った。


DVD「愛のふた!」 を看了。






TBS「愛の劇場」シリーズの一つである。
結婚半日で3人の子持ちの夫に死なれた妻が、
今度はその3人の子どもの継母として
那須の自然の中で亡き夫の両親とともに
「家族」になっていくという物語である。
内容的にそんなに深いものがあるわけではないが
「ありがとう」と「ごめんなさい」という言葉の威力を感じさせられる一編ではある。




Myanmer B
僧侶たち

1995.12.27.〜1. 6.

 1991年国名を
 ビルマから
 ミャンマーに変更
 まだ、軍事政権が
 スーチーさんをを軟禁
 していた時代だった。


 5回にわたって連載予定



 ミャンマーでは男子は(女もかな?)生涯に必ず一度は出家をしないといけない。
 お金持ちの子どもの出家は大名の嫁入りのように大仰にやる。
 修行の間は毎朝暗い内から托鉢にでる。町の人たちも暗い内からご飯や野菜を持って托鉢を待っている。
 托鉢は裸足、小さい子は可憐というか、なんとなく痛々しくもほほえましくもある。。
 田舎から町のお寺に出てきた女の子たち。修学旅行気分での記念写真。私もご相伴にあずかる。
  ♪幼なじみの思い出は・・・。いいねぇ。



   2月 8日  (火)


パソコン奮闘記
5日
パソコンのスピードが遅くなっているので、Windors を一ヶ月ほどに復元 →
ウィルスセキュリティーソフト Norton360 が消失 →
simantec 社とパソコンチャットで相談 →
Norton360 回復

6日
iphone とパソコンがつながらない(写真がとりこめない) →
iPhone の初期化・Windows の復元などを何度か繰り返す

7日 
朝から再びiPhone の初期化・Windows の復元などを何度か繰り返す →
そういうことをやっている内にiPhoneに入っていた写真、音楽、ビデオ全部消えてしまう →
一日がかりでいろいろやっている内になんとかiphoneとパソコンの接続回復 →
今度はまた、Norton360 がリスク有りとでる →
すぐに対策わクリックすると、延々修理中とでて終わらない →
結局この日は修理中のまま寝てしまった。

8日
Norton360 相変わらず修理中のまま。→
修理をスキップするとセキュリティーにリスクありとでる。 →
いったん、やめて Norton を削除、再インストールすると Norton は生き返るが →
iPhone との接続はできなくなる。→
どうやら、iPhone と Norton のプログラムが重なっているみたい。→
でも、この間まで仲良く共存できていたじゃあないか →
そこで、まず Norton を完全削除 →
Windors を一ヶ月前に復元(iPhone はつながる) →
それから Norton を再インストール →
目出度く再度共存の成立・・・・・・エジプトとかイスラエルとかに教えてあげたいぐらいでした。

今日も飽きもせず、一日中花火が鳴り、まるで戦場にいるような気分だ。


「秀吉の枷 上」 加藤廣著 読了。
信長の死にまつわるかなり奇想天外なものがたり。

夕食は野菜の煮物、
豚肉のショウガ焼き
ニラレバ炒め、とDVDである。
テーブルの下もご覧あれ
足洗器で足をぬくめながら
DVDを見て、ビールを飲む

うん、世の中、これでよし!



  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
昨日、長崎平和公園の思い出を書いた。さっそくその時の写真を見つけ、メールで送ってくれた。
この欄は写真を使わないことにしているが、例外的に紹介。
私は膝の上に座って写真を撮ったと思っていたが、台座の上に立っていたのだな。

ついでにこの時の思い出をもうひとつ。
帰路は船だった。京都のミッション系の女学校と一緒だった。
私は船酔いよりはなどと持ち込んだウィスキーの小瓶を飲んで毛布をかぶってしまったが、
先日神戸で同期の友人と話していたら、
彼らはその女学生に膝枕させて寝たんだそうな。
やるねぇ!高校生のくせに。
50年たって初めて知った話しである。





   2月 7日  (日 中国初五)


昨日、6日は午後から開発区のさる社長さん宅での餃子パーティーによばれていった。
開発区側の人 6人、こちらから出掛けた人 4人の10人である。
男連中はぶらぶらしているだけで、餃子は女性軍が作ってくれる。
途中、一応餃子が包み終えたところで、茶室に移って抹茶をご馳走になる。
そのあと、お酒が入って、餃子、川蟹、シャコ、ポテトサラダ、揚げ団子などで宴会
8時半ごろまで騒いで、家に帰り着いたのは10時を過ぎていた。

そして、今朝、7日、昨日の様子をブログにと思ったら、何がどうなったのか
iPhone からパソコンへ写真の転送ができなくなっている。
いろいろやってみたがどうしてもダメだ。iPhone を初期化し、Winndows も復元。
そうこうしている内に iPhone の中に残っていた写真も全部消えてしまった。
ということで、昨日の餃子パーティーの楽しい写真はなし。

今日は朝の9時ごろから、今 午後8時半までパソコンと格闘。
なぜか解らないが、やっと iPhone からの写真の取り込みができるようになった。
あきらめなければ何とかなるんだ。

今日は「初五」ということで(初五が何なのか全く知らないが)一日中花火、爆竹である。


また、昨日の続きである。
昨日、人生70年と決めたから、やりたいことは思い切りやれた、と書いた。
天津に住み着いたということは勿論一番大きいが
イベント的にはやはり「帆船で太平洋横断」と「ピースボートで地球一周」であろう。
これは文句なしに楽しかった。
もし、お金ができれば(できる筈はないが)、帆船は無理としても(体力がないものね)
地球一周の旅の方はもう一度やってみたい気はする。
でも、今から実際にやってみて本当に楽しいかどうかはちょっと不安。
あれは確かに退職直後の台イベントだったけれども、もう使い古しだものね。
もっと違う今の自分に対する大イベントを思いつかなくなっている方がもっと不安だよな。



  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
長崎の平和公園に平和の像というのがある。片手を上に、片手を横に伸ばしている像である。
私たちの高校時代の修学旅行は長崎であった。
カソリックのミッションスクールだったからかな。6年制なので中学の修学旅行は無かった。
自由行動の中でこの像によじ登り、左足に乗っかって記念写真を撮ったことがある。
その写真はもう無いが、そんなことができる時代だった。





   2月 5日  (土)


パソコンの動きがこのごろの私にあわせたのか、ずいぶんとのんびりとしてきている。
ただ、パソコンは「ファイル復元」というヤツをやればポンと一月前、一年前に戻ることができる。
秦の始皇帝がよだれを垂らしそうな技である。
そこで、最近、インストールしたかアップグレードした
ファイルに問題があるのでは、と思って
さしあたり一月ほど前に戻してみた。
ところが、いろいろやっている内に
ウィルスセキュリティー Norton 360 というのが消えてしまった。
一挙に消えたのではなく、
修理中、危険、要再インストールなどと次第に症状を悪化させながら
遂に、ディスクトップの画面からも消えてご臨終となってしまったのだ。

再インストールなどいろいろやってみたがうまくいかない。
このままだとウィルスに感染して他の人に迷惑をかけてしまう。
仕方がないので Symantec のサポートセンターに助けを求めた。
このごろのサポートはチャットでやるんだね。
葛穎さん 王強さん 王維東さんが大変親切に相談に応じてくれて感激した。
そして、いろいろやっているうちに、いつの間にやら Norton 360 が再生していた。


昨日の続き。
この間、人生70年と決めたから、やりたいことは思い切りやれた、と書いた。
この10年、たいしたことはしていないけれども、充実感はあった。
これからはどうだ? 思いっきり何をする?  わからない。
「あと一週間の命だとわかったら何をする?」よくある設問だ。
「わからない。」というより真剣に考えることができない。
じゃ、あと1年だったら? う〜ん、そうだな。ちょっとは真面目に考えるかも。
やっぱり我が人生7?年という思い切りが必要なのかもしれないな。




Myanmer A
働く人々

1995.12.27.〜1. 6.

 1991年国名を
 ビルマから
 ミャンマーに変更
 まだ、軍事政権が
 スーチーさんをを軟禁
 していた時代だった。


5回にわたって連載予定



  油紙と油紙の間に金の小粒をはさみ、このようにして何百回となくたたいて金箔をつくる。
    そうしてできた金箔を商品化しているお姉さん。このお姉さんは大学生で、
    この人とはかなりの期間、手紙と贈り物の交換が続いた。
  鳥は放生のために寺院の前で売られている。
  キンマといったかな、植物の葉っぱと種でつくったチューインガムのようなものが主商品だった。
  土の壺を作っている。船に積んで川をくだり、ヤンゴンに売りに行く。



   2月 4日  (金 立春)


新年 2日目。
左が朝めし、右が夕食である。
朝はハムエッグ、ポテトサラダ、
インスタントコーンスープ、薄切りのパン2枚
夕食は さんま2尾、玉子焼き、冷や奴、ジャコおろし
鶏のスープ、レタスとツナのサラダ、黒豆、
それにビール4本とビデオである。
よくこんなしょうもないことを
書くものだとじぶんでも思っている。


ちょっと買い物に出た。
ホントは電車に乗って繁華街まで
出るつもりだったんだけれど
街がなんかガランとしているので
やめて近所のスーパーで済ませた。
窓に赤い紙を貼り付けている
家もめっきり少なくなってきている。
爆竹も指定された場所でおとなしくやっている。


家の入り口に貼り付ける魔除けの赤い紙も
我が楼10階ではこの一軒だけである。
我が家はカレンダーの絵を飾っている。

けど私は卯年だから
赤いものを身につけるのが縁起である。
春節以後 先日作った
自分の歯ペンダントを
着けることにしている。


この間(1月31日)、人生70年と決めたからこそ、捨てるものは捨てることができたし・・・と書いた。
でも、考えてみると捨てたものの中で一番大きなものは「安心」だったのかも知れない。
あれこれと捨てなければふんわりと予定されているプログラムの中で
ふわっとした時間を過ごしていくことができたのであろう。
そういうふんわりとしたものの一つが「悠々自適」なんだろうな。
あれもこれも捨てた私には悠々自適はあこがれであって当分は味わえないんだろうな。
あれもこれも捨てたそこからまた新たにあれもこれも積み上げて
自分の居所を作って始めて(いや2回目か、いや、やっぱり初めてだな)
ふんわりと生きることができるのかも知れん。



  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
教員時代(1960年前後のころ)お正月には必ず在任校の校長先生宅に年始に行ったものだった。
教員が十数人も集まってお酒とおせちを頂いて歓談して帰る。
自分の家で作るおせちよりもずっと本格的なもので、お屠蘇も清酒でごまかすのではなく本物だった。
(もっともこれは美味しいものではなかったが)
小学校のころには、お正月にはちょっといい服を着て学校に登校したものだった。
新年賀詞交換会といって、何をするでもない。
講堂に集まって「あけましておめでとうございます」と言って、それでおしまい。





   2月 3日  (木 節分 春節=旧正月)


春節。日本では神戸、横浜、長崎の
中華街でぐらいしかイベントはないが、
中国では一年で最大の祝日である。天気晴朗、風おだやかである。
午後ぐらいからちょっとどこかに出かけてみようか、
という気分になっている。

左は今年の神戸南京町の春節イベントのチラシ

「古今集」初っ端の歌に
   まだ年が明けないのに、立春を迎えた
     今はいったい今年なのかかい? 去年なのかい?
という歌があった。
正岡子規だったかが、ボロくそにけなした歌だったと思う。
今年はちょうどその反対だ。
春になる前に正月になってしまった。冬の正月というわけだ。


それでも、正月だから昼からちょっと(ちょっとですよ)お酒を飲んで、結局外出はヤメ。

「聖灰の暗号」帚木蓬生著 上下2巻 読了
ローマ教会が1300年代のころ行った
異端審問の実態を記した古文書発見ということで
カソリック教会の、 当時の、というだけでなく現在の
ローマ教会の世俗化、形式化、地上権威主義などを批判した書というべきか。

ヨーロッパの生活が背景になっているのでその分、ちょっとなじみにくいが
それでも、ヒマにまかせて2日間で500ページ余読了した。

それから、これも昨日から見始めたDVD「チャンス CHANCE 」看了。
金融と競馬の世界を舞台に、というだけあって、馬の場面がふんだんにあり
ストーリーよりも馬を見ているのが楽しい。







Myanmer @
 風 景

 1995.12.27.〜1. 6.

 1991年国名を
 ビルマから
 ミャンマーに変更
 まだ、軍事政権が
 スーチーさんをを軟禁
 していた時代だった。



 ミャンマーの風景は幻想的である。

 人々の生活は貧しいが、宗教は生活に生きている。ビルマの竪琴の背景を彷彿とさせる。

 寺院の中の豪華さ、しかし、そこには「よそ行き」ではない市民の生活が息づいている。






   2月 2日  (水 旧暦 除夕)


中国の大晦日。

知り合いの家族が来宅というので
昼から若干緊張して待っていた。
が、来宅されたのは午後5時ごろ
あまりお酒は飲まないし、
話しは中国語と日本語でなかなか盛り上がらないし
せっかく、来てもらったのに申し訳ない感じだった。


花火
新聞では今年は夜の10時から翌朝6時までは禁止
ということであったが、なんのなんの
夜11時頃から公営の大きな花火が多分1万発以上
民間の花火は12時前後だけで
100万発を越すんじゃあないか
というほどの盛況だった。
しかし、翌春節は午前7時現在、花火はない。
ちゃんと時間を守ってやっているんだ。

去年までは四六時中鳴っていたんだからすごいものだ。ここは中国だぜ! 
こんなにキッチリとけじめがつくって、「あり得ない!」って思うほど、100万発の花火よりすごい!

先日読んだ園田茂人「中国人の心理と行動」 P.79 にはこう書かれているが

   「心理学の中国化」運動に従事してきた楊中芳も、中国人の自我意識に関する研究蓄積を眺めてみると、
   中国人は西洋人のいう「集団主義」などではなく、むしろ「自我主義」的特徴をもっているとして、次のように述べている。
    中国人の行為は、「個人主義」というよりも、むしろ「自我主義」といった特徴をもっている。
   「個人主義」の場合、「集団主義」との比較で諭じられており、集団を構成する要素が比較的自由で独立しており、
   自主性を重んじるといった価値観に裏打ちされている、ところが「自我主義」の場合はそうではなく、
   そこに支配しているのは、すべて「己(自分)」を中心に考えるという価値観である。
   自我主義では、「個人と対立する集団」という構図そのものが存在していない。

こういう言い方は、そろそろ言えなくなってきているのかもしれない。
いつまでも、古い中国観をふりまわして、いい気になっているとヒドイ目にあうよ。



  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
♪あした正月、今日せっき、
 こどもは喜ぶ、親心配
 だんごは焦げつく、火は消える

私がガキのころ歌ったのはこんな歌だった。
「もういくつ寝るとお正月」なんて上品な歌は歌わなかったな。



   2月 1日  (火)


中国では明日2日が「除夕=大晦日」、
明後日3日が「春節=お正月」である。
日本と同じでこの頃でこそ
コンビニが開いていたりするが、
会社はもちろんほとんどの商店も休み
国際社会の中で
株や為替などがちゃんと
まわっていくんだろうか
と心配になるほどである。

街のいたるところにこういう花火・爆竹屋が店を出し
買う人の多くはダンボール箱に一つ、二つ、三つと買っていく。
これだけの花火が2日の晩から3日にかけて街のあちこちで打ち上げられるのだ。
ハンパじゃあないよ。毎年人が死ぬし、2008年には最新のビルが炎上したりしたものね。


どういうわけか、今年は日本の(日本だけではないけれど)
節分=3日、立春=4日と一日のズレがある。
それとは関係あるまいが、日本では山陰・北陸と記録的な豪雪で
学校が休みになったりしているが、こちらは昨日・今日とホカホカ暖かく、よい天気である。
今(3時)の外気温は8℃。川の氷はまだ緩んではいないが、陽気は春である。




セイルトレーニング
帆船「あこがれ」A

@1994.5.13.〜5.16.
 昨年12月7日に掲載

A1995.11.24.〜11.26.
 現在掲載中

B1997.10.25.〜10.27.
 掲載時期未定

C1998. 8. 3.〜 8. 6.
 掲載時期未定

D2000. 4. 9.〜 5.10.
 帆船で太平洋横断
 乞 ご期待



おことわり

 整理が悪いため
 右の写真がすべて
 Aの時の写真
 というわけではない



@Aは帆船「憧れ」の絵はがきから。
B練習の時のマスト登りはどちらかというと楽しいが、海が荒れ出して帆を畳む時はホントに大変。
C海の日没は物思わせる景色である。太平洋横断の時はこれを見て涙したニイチャンがいた。
D瀬戸大橋をわたる。

以下の4枚は太平洋を横断した時のものである。

E船の周りをいるかの大群が追っかけっこをしたり、ジャンプをしたり。鯨が潮を吹いたこともある。
F毎日、甲板掃除はある。にっこり笑っているがそんなに楽なものではない。
 腰が悪くてしゃがめない私はバレーボールの膝サポーターをつけてはいつくばって頑張った。
G太平洋上での運動会の様子。風のない時はいろんなことをしてあそんだ。
Hかなり太めの糸に針をつけて船尾から流しているだけでこういうのが釣れる。
 魚だけではなくて、アホウ鳥がかかり、逃げてくれなくて困ったときもあった。








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