10月31日(日)

日曜日。久しぶりに和平区図書館の「日本語コーナー」に出席した。
いつも必ず出席していた日本人の先生が帰国してしまって、少し寂しくなっている。
南開大学等に留学している日本人学生が来てくれている時は
若々しく、にぎやかで、私など出る幕もないのだが
時として今日のような日もあると何か日本語を求めて集まっている中国人の人たちに申し訳ないような気にもなる。


今日は行くのが少し早かったので2階にも上がってみた。なかなか綺麗な図書館である。
今度は3階、4階にも行ってみよう。


8時30分、コーナーが終わって、来ていた数人と近くのレストランに行って食事。
「日本料理店」といっても何となく「中国にある日本料理店」という感じがするところが多いのだが。
ここは、日本料理は出していないものの、店の雰囲気は全く中国とは思えない。
軽いホームシックだったらこう言うところに来てしばらくぼんやりしていると癒されるのではないか、と思った。

私は、コロッケと海老グラタンを食べた。美味しくて値段も安い。






  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
ベトナムに行った時のことである。上陸前に船中で「バイクタクシー 1ドル、1ドル」と言って誘ってくるが
乗ると200ドルなどとボッたくられるので決して乗らないように、と注意を受けた。
でも、そう聞いたらやっぱり乗らなきゃあ。案の定、あっちこっち勝手に走っていく。
町からかなり離れた郊外の売春宿みたいなところに連れて行かれたが「いらない」と断った。
帰れるかどうか心配だったが何となく町に近づいているような感じである。
  バイクタクシー代200ドルという。聞いたとおりで面白かった。
バイクの前と後で200ドルだ、1ドルだと怒鳴りあって走る。
薄暗い廃墟のようなところで200ドル出さないと帰さないと道ばたのレンガを振り上げられたりもした。
仕方がないので10ドルだったら出してもいいというと相手も諦めて、それでホテルの近くまで運んでくれた。








   10月30日(土)

土曜日。太極拳。
こういうおばさんばっかりではないんだよ。
半分ぐらいはおじさん、とおじいさん。

今日は先生が女性6人を選んで演舞(?)させた。
別に上手な人を選んでというわけではない。
ずいぶん下手な人もいた。
でも、おかげで練習風景の写真が撮れた。

写真と言えば、今日は練習の途中
全員で玄関に出て集合写真を撮った。




  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
中学・高校の時、冬至だったか、大寒だったかの日は「強歩大会」という行事があった。
平野 → 有馬 → 宝塚と裏六校を走って夙川にで国道2号線を六甲までの60qのコースである。
弁当は風呂敷に包んだおにぎりをはしりながら食べる。
中1の時は8時間(だったかな?)の制限時間をオーバーして失格となったが、それでも中1から高2まで毎回完走した。
中1の生徒全員に60q走らせるなんて今だったら考えられないことだ。
あのころはこんなことができたんだ。死んでもおかしくはない。実施した先生の度胸がすごい!
(注:死にそうになったやつはいたかも知れないが、誰も死ななかった。)








   10月28日(木)

昨日は授業の見学。今日は久しぶりに授業をした。
といっても、学生は二人だけである。
たった二人だけれども、教室への往復は4時間。
天津開発区タングーの「天津電装電子有限公司」での授業である。
もちろん、臨時である。担当の先生が急用でどうしてもというので一回だけということで引き受けた。

やっぱり、ん十年間やってきた道だからやって楽しい。
もう、給料を貰って働くのはやめだけど、時々こういうのもいいかな、という気になっている。

タングーは遠い。軽軌の駅まで車で30分、軽軌 1時間、路面電車 30分 計2時間である。
天津に路面電車が走っているって初めて知った。
うれしくて子供の様に先頭に行って前を眺めていた。
信号で止まって、車や歩行者が目の前を横切っていく電車ってホント久しぶり、懐かしい。


電装電子は大きな会社である。
事務室と向上が一体化されているが、社内は静かで美しい。


授業は5時から5時40分まで。
5時40分から6時10分まで社員食堂で夕食。かなり美味しかったよ。
6時10分から7時まで授業もという案配である。

授業は会議室を使ってやる。
先生、使いますか? と聞いてくれるくらい設備は完全である。


ただひとつ、気になったのは食堂には 「もう」というか「まだ」というか、クリスマスの飾りがいくつもぶら下がっていたことである。



  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
上の子どもが生まれたのは多分日曜日だったと思う。
朝の一番に病院に出かけ息子と初対面をした。
びっくりした。しわくちゃで頭が尖っている。えらいことになつた、と思った。
教会に行って礼拝に出たが頭の中は真っ白だった。礼拝が終わって再び病院に行った。
息子のほっぺたはつやつやとして頭も丸くなっていた。かわいい!と思った。
しわくちゃで頭が尖ったままであっても、かわいい!と思えたのであろうか。
多分 思ったと思うけどちょっと自信はない。








   10月27日(水)

  「天津老年人大学」には九つの学科がある。
それは
一 文史・外語類  周易、老子、古典文学、旅遊地理、外国語など
二 書法類     楷書、行書、草書、硬筆、装幀、篆刻など
三 絵画類     花鳥画、山水画、人物、西画など
四 生活芸術類   割烹、菓子、西洋料理、服飾、美容、デザイン、写真など
五 健身類     拳剣、ヨガなど
六 中医保険類   中医薬学、針灸、推拿、自然療法など
七 舞踏戯曲類   舞踏、服飾表演、戯曲など
八 音楽類     声楽、電子琴、ピアノ、アコーデオン、民楽など
九 計算機類    基礎、中級、高級、インターネット、応用、図形処理など
  である。

今日は、その内の「外語類 外籍教師日語口語」の授業の参観に行った。
幾人かの学生は時々日本語教師会にも参加しているので、顔見知りもいる。
久下先生、久下先生と大歓迎を受けて、授業中に時間をいただいてお話をしたりもした。
久しぶりに教壇で話しをさせてもらったのは大変楽しかった。

夏は
このうちの「二 書法類 篆刻」を受講。
今は「五 健身類 24式太極拳」のクラスで授業を受けている。
今日、行ってみると売店が開いている。
太極拳のクラスは土曜日なので、売店などは休みになっているらしい。

「唐山大地震」のDVDと「民族器楽曲180首」(CD) を買った。5元と8元である。
もちろんコピー版というか、もっとはっきり言えば、「海賊版」である。
「唐山大地震」なんて今も映画館で上映しているやつだ。

公的な学校の売店でこんなのええんかいなと思ったが、70元とか100元の正価版はお金持ちに買ってもらって
国民の文化水準を高めるためには、こういう「廉価版」もあって、貧富の格差問題に対応しているのかも知れない。

私も、無収入・老齢・貧困階級だから、購入資格あり、だろう。





  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
私は吹奏楽の指揮をしたことがある。
いや、それどころか市の吹奏楽聯盟の会長や音楽教育研究会の会長もやった。
私を知っている人だったら誰もがびっくりする。
まだある。美術教育研究会副会長。
要はいろいろ口出しをせずに黙って乗っかっておれる人間だったということだ。








   10月25日(月)

今日は一転していい天気になった。気温は低いんだけれど、日差しが暖かくて
窓際の机に座っていると一枚服を脱ごうという気持ちになる。

昨日も「反日デモ」は中国西部の都市で行われたようであるが、反日のかげにかくれて、
「憤青 中国の若者たちの本音」もかなりはっきりと姿をあらわしはじめたようだ。

反日だったら少々過激になっても、デモが数万人規模になってもかまわないが
政府批判、共産党独裁批判がでだしては危ない。
その不安がふくれてきていることは承知の上で、そのガス抜きに反日という餌を撒いていたのに
ちょっと逆効果になってきた。 まさか、天安門事件を再現することはなかろうが


インターネット「asahi com」のニュースである。

  参加者によると、最初にデモを呼びかけたのは市内の大学生だったという。
  しばらくすると数千人の工場労働者や会社員らが加わり、取り締まる警察と大混乱になった。
  政府批判のスローガンを掲げた参加者はすぐに警察に連行されたという。

  再発を恐れた地元当局は25日朝、市内の大学を封鎖。
  学生らを自由に外出できないようにした。
  大学関係者によると、デモに参加したら除籍処分にすることなどを通知したという。

地元当局が大学を封鎖、デモに参加したら除籍処分って、これもスゴイね。
そして、これでデモが鎮静化するとしたら、それもまたスゴイことだ。

天津のある日本料理店では、
入り口で中国人の若者が
「日本人 出てこい!」って
怒鳴ったそうである。

まあ、これくらいだったら
ストレス発散して学業に打ち込める効果があるかもしれない。

昨日、スーパーで玉子を買ったら
「日本品質〜美味しいたまご〜」って書いてあった。


  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
中学校の文化祭で吹奏楽のフルバンドをバックに独唱をしたことがある。
理由は勿論、歌が下手だからである。
生徒指導のコワイ先生の下手な歌を全校生に聴かせる(いや聞かせる)、これは面白い企画だったにちがいない。
日頃、歌が下手だからといって人格が低いわけじゃあない、
などとえらそうなことを言っていた手前、引き受けざるを得なかった。
何回か秘密でリハーサルもしたんだが、本番でスポットライトに照らされると恥ずかしながら足の震えるのを感じた。
私が歌い終わっても吹奏楽はまだしばらく演奏が続いていた。
あれっ、まだそんなところを伴奏しているの。この時の間の悪かったこと。








   10月24日(日)

一日中、小雨。
昨日は「小春日和」って感じだったのになぁ。
雨は傘をさしている人やささないで歩いている人も
半々ぐらいという程度のものだが、風はかなりきつい。

一日 家にいて
「憤青 中国の若者たちの本音」 沙柚 著 を読了した。

1989年(天安門事件の時)日本に来て、出版関係の仕事をし、
2005年(反日デモ激化の時)北京に帰り
ごくごく身近な知り合いとの会話などを
日記風に書いた本である。

例によって、その一節をご紹介

   「私だって中国人だから、侵略戦争で日本人が犯した罪は知っていますよ。
    しかし、私たちが議論しているのは今の日本じやないのですか?」
   「だから、侵略戦争を反省しない今の日本は、中国にとって脅威なんだ」
   そう言う彼を説得できる理屈はあるのだろうか。私の中でも感情が渦巻いていた。
   「共産党嫌いのあなたが、当局によって選別された報道を鵜呑みにするなんて。
    それだけはしないでください」
   岳氏のお父さんはドイツ語の翻訳家で、文革時に紅衛兵に家財を没収されたり、
   自己批判を強要されたりした後、約三年間農村に行かされていた。
   彼自身は、天安門事件のデモに参加したことから二年ほど警察の監視を受けていた。
   私はさらに続けた。
   「われわれ中国人は反省していますか。数十万の知識人を弾圧した反右派闘争、
   数千万人の餓死者を出した大飢饉、全国民を巻き込んだ文革など、
   ここ数十年間に行われた数多くの政治運動と経済政策の失敗について、
   誰が謝罪してくれたのか。自目国民に対して政治的理由からあれだけの残虐な犯罪を行い、
   あれだけ多くの犠牲を強いてきた為政者、また、その歴史的事実を全国民で批判と反省を共有すべきだと思う」
   「日本の問題と中国の問題とは別だ.、おれがいま問題にしているのは日本なんだ」
   そういう岳氏に対して、
   「手沢東の罪も戦争と同じ人類に対する犯罪です 中国人として彼の罪を糾弾し、
   その影響を排除し、二度と同じ悲劇を起こさせないことは、
   国にとってもわれわれ一般市民の一人一人にとっても、
   よっぽど身近な現実問題であって有益なことだと思いますが、
   それは成されていますか」  (P.132)


もう一節。

   靖国神社参拝は中国など被害国の抗議以前に、まず日本人自身の問題だと私は考えている。
   死を強いられた後、それを強いた戦争責任者らと共に祀られた戦死者たちは、甦ることがあったら何と言うのだろう、
  死にはしたけれども英霊として祀られてよかった、とでも言って喜ぶだろうか。
  死者に問うてほしい。戦死者の母や妻たちにも聞いてほしい。
  自分の息子や夫は、彼らを死にゆく戦場に送り出した東条ら戦争責任者と共に仏様になっていると思っているかを,
  今となってはどう祀られても、一度しかない命は戻らず、無謀な侵略戦争による戦死は無駄死だったとは思わないのか。
   被害国の人たちを殺し自分も殺された。そういう悲惨な運命を強いられた、
  報われることのない彼らの怨霊は今でも泣いている、と私には思えてしかたない。
   そもそも、被害者が加害者の罪を追及し憤るということは、人間のごく自然な気持ちであり、
  戦場に散った命だけでなく、空襲や原爆で莫大な犠牲を蒙った日本の人々が、そうい気持ちらを持っていても当然である。
  しかし、天皇の名のもとで行われた侵略戦争は、天皇の免罪によって東条ら戦犯に関する議論が歪になって、
  結果として日本人は戦争の責任を曖昧なままにしてきた。
  また、戦争責任者に関して、世界のどの国でも通用しないはずの、死ねば祀ってもいいという論理、
  その女性の言葉で言えば「日本人の習慣」を被害国に対して主張してきた。
  そして、私の目に映ったのは、靖国神社に集い軍歌を歌う軍服姿の人々や、
  政治家たちが小出しにちょくちょく口にする「失言」や、中国はじめアジア諸国への加害よりも、
  空襲や原爆の悲惨さを訴える被害者意識から来る戦争認識であって、将来の不戦を唱えても過去の責任は問わない、
  そうした日本の矛盾だった。それに加えて、参拝に対する被害国の抗議を内政干渉と撥ね返し、
  戦争責任問題を東京談判への批判にすり替えるなど、あたかもあの戦争は誰にも責任がなかったように、
  日本の一部では発言されている。  (P.136)


  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
私が担当したことのあるクラブ活動。 テニス部、バスケットボール部、野球部、バレーボール部、
全校クラブ(授業としてやるクラブ)では柔道。
図書部、機械工学部、技術部、吹奏楽部。
例えばテニス部を担当した時は、先生も生徒も初めてで、
あの小さい四角と大きい四角はどう違うのか、というところから研究した。








   10月23日(土 霜降)

霜降というが、今日はここ数日と比べ
少し暖かい日和である。「小春日和」っていうのかな。
暖かいのはいいとしても「小春日和」なんて
言葉は天津には何となく似つかわしくはない。
やはり仮名の国と漢字の国のちがいかな。

今日は土曜日なので老年人大学「太極拳」の日。

昼 ラーメンを喰って出かけた。
前回(18日)うどんを食った、と言ったら、ヒマな友人から
   中国のうどんにはハムが入るのか
   揚げはないのか

と言われたので、今回はラーメンである。ちゃんとハム、焼き豚、玉子、ネギも入っている。




21日の iPhone 盗難に関しては
   大声も出さずに去りゆく若者に賞賛を送るようでは
   何時魂を抜かれるか分かった物ではないな
   外から見ると隙間だらけなのだろう
   2度有ることは3度と言うから
   今度はiPadに鎖を付けて体に巻き付けておくことだな
   骨ごと外されるかも
 
と言われた。それはその通りだ。

このごろの私は すきだらけの「すきま風人生」を送っている。
すき すき スキよ みんなすき である。


   風 蕭蕭として海河寒し  愚人 ひとたび去って また帰らず    である。

写真は、これも最近改修なった「天津賓館」である。


  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
料理の勉強に、いわゆる「花嫁学校」に3年間通った。
本当は夜間の調理学校に行きたかったのだけれども、7時、8時までの残業は当たり前という公立中学校勤務では無理だ。
花嫁学校だと週一だし、月曜日に登録しておくとその日がダメだと電話一本で他の練習日に振り替えてもらうことが出来る。
もちろん全員が嫁入り前の若い女の子ばっかりで、ちょっと抵抗はあったけれども、
信じる道、学問の道、芸道の道を歩むにはそんなことは言ってはおれない。








   10月22日(金)

私の家から、歩いていけるところに「庄王府」という史跡がある。
何の史跡なのかはよくわからない。「府」とあるけれども役所跡でもなさそうだし、
清朝皇族の住宅跡なんだろうか。下の案内掲示を読んでもよくわからない。

先日の「孔子廟」と同じでここ2〜3年、修理で閉鎖されていた施設である。
そして、ここは修理以前も行ったことがない。

大通りに面したかなり大きな施設だ。入場料 50元である。
切符売り場には「天津市老人証」を出せば無料と書いてあるので、
65歳以上の証明にパスポートを出すと、「天津市老人証」でないとだめだという。
天津に住んでいるんだと居住証も見せたが、やっぱり切符はくれない。
入り口に行って言え、というので入り口まで行ったが、人がいない。
そのまま入っていった。

中国語、英語、韓国語と並んで日本語でも説明がでているのがうれしかった。以下、案内の全文である。

          観光区ご案内
     天津荘王府観光区は北を背にし、南に面して、王府公園と宮殿式の三進四部屋合わせの二話で構成され、雄大
     な気勢、派手で美しいです。観光区は、王府園芸の鑑賞レジャー、清の時代の文化展示コーナー、天津市非物
     質文化遺産展示などのコーナーなどに分けられます。天津荘王府の歴史沿革、清の時代の「八大鉄帽子王」
     (八大王家爵位が下がる事のない特殊な皇族)の史話、王府復元陳列、清の時代の服飾展示、シャーマン祭の
     展示、王府礼儀などの特定のテーマで陳列されています。または王府の娯楽、王爺の旅に出かけ、実際のバッ
     クでの出し物と清の時代のテンタラクティブゲームもあります。


都会の真ん中だけど、園内はかなり広く感じられる。各所にベンチもあってゆったりとした雰囲気だ。
私もベンチに座って1時間ほど本を読んで過ごした。 茶店もあるようだったが、この日は営業していなかった。





一番右は「非物質文化館」の展示室である。内容は各種白酒の展示販売。



「戯楼」では老人会の演歌発表会みたいなのをやっていた。出演者15名ほど、観客は10名ほど。





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私はいろんな習い事に手を出した。
まず、語学では英語はもちろん、中国語からヒンディー語まで習いに行った。
運動は柔道、空手、弓道、アーチェリー、太極拳。
芸術系では油絵、篆刻、詩吟や朗読教室、そろばん塾にも通った。
部活動は、中学では器械体操部、高校はバレーボール部、大学の体育の授業では弓道とアメリカンフットボールをやった。
一番役に立っているのは3年間通った料理教室と日本語教師養成講座かな。








   10月21日(木)

「一冊でつかめる! 中国 近現代史」荘魯迅 を読了

終わりの方の一節

   さて、周恩来という人間について少々触れておきたい。
   彼は足掛け二七年間、総理をつとめていた。
   そのおだやかな笑み、おっとりした立ち居振る舞い、
   そして相手の体を揺らすほど情熱のこもった握手は
   多くの人を魅了してやまなかった。
   日本でも今なお人気が高い。

   だが文革では、彼の手によって確かに一部の文物、党の幹部、民主人士が
   紅衛兵や造反派の破壊から保護されたものの
   彼が一生を通して全力で守りきったのは、ほかならぬ毛沢東の政権なのだ。

   中略

   一九七五年一二月三日、病魔に苦しめながら、
   周恩来は弱り切った声で妻のケ穎超(一九0四〜一九九二)に心底からの疑問をぶつけた。
   「まだ闘争、闘争と言っている。いったいつまで闘争する気だ? 
   共産党の哲学は本当に闘争の哲学なのか?
   社会主義の現代化は、闘争でできるものなのか。」


  中略


   建国以来、毛は二七年間にわたり統治を行ってきたが、運動や闘争を起こさない年は一年とてなかった。
   その絶えざる闘争で、中国は尊い人命を含めいったいどれほど、かけがいのないものをうしなってしまったのだろうか?

   中国では今も、政府は毛に対する評価を「過ち三分、功績七分」という説にこだわりつづけている。
   しかし、歴史の真実を直視し、過ちの真因を徹底的に究明しなければ、われわれは犠牲者の魂を慰め癒し、
   われわれ自身の本当の新生を得られるものだろうか?
   毛沢東時代が生み出した国家的暴力と社会的犠牲を是正することこそ、
   政府と人民の間に真の信頼を築く最善の方法なのではないだろうか?

まあな、日本で出している本だからな。負け犬の遠吠えか。
少なくとも、ノーベル賞の対象にはならんな。



きのう、買い物の帰りに iPhone 3G を盗まれた!!! 失ったのではない。盗まれたのだ。
盗まれた瞬間をはっきりと知っている。

買い物の帰り、 iPhone で美空ひばりを聞きながら歩いていた。突然 音楽が切れた。
イヤホーンのコード耳からぶら下がっている。
iPhine の重みで抜け落ちたんだと思って地面を見た、が、ない。転がっていくものじゃあないし、
1秒前まではちゃんと繋がっていたんだ。ちゃんと美空ひばりが歌ってたんだから。
それもぶら下げて聞けるものじゃあないから、ちゃんとポケットに入っていた筈だ。

誰かが私が気づかないように
一方の手でイヤホーンのコードを持ち、もう一方の手でポケットから iPhone を抜き取って
イヤホーンジャクを抜くと同時に後を向いて走ったわけだ

私も走り去る若者を見た。追っかけて追いつくものでもない。
あ〜あ、が結論だ。

でも、すごいと思わないか。
盗る瞬間を相手に分からせながら盗るんだから



  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
私はパソコンを習ったことは一度もない。ただパソコンとの付き合いは長い。
パソコンらしいパソコンを始めて買ったのはNECのPC800だったかな。
50p四方もあろうかという大きな鉄の箱だった。
外部記憶装置も電話の受話器のようなものをガチャとセットしてピッポッと音でやったように思う。
Windows が初めて売り出されたとき、おお、これからはこれだ!と思ってすぐに飛びついた。
学校のホームページを見よう見まねで立ち上げたのもその頃である。
まだ、ホームページなんて珍しい時代で「校長先生が学校のホームページ!」と新聞に大きく出たものである。








   10月20日(水  十三夜 栗名月)

先日、私の高校同期会のホームページで、友人がこんなことを言っていた。

  天津YMCAに招かれて行きました。
  私たちはYMCAという名前ですから、この C はクリスチャンなんですよ。実は。
  私ね。中国のクリスチャンがどうしているか、ものすごい興味をもって行ったんです。
  結果は非常に落胆して帰ってきました。
  中国にはクリスチャンはいません。表向きには。
  だけど、YMCAという組織が名前だけあるんです。
  そしてそのYMCAは実は共産党にちゃんと牛耳られているんです。
  天津YMCAの一番えらい人はもちろん共産党員です

次は
その同期会に出席していた他の友人がくれたメールである。

  天津にカトリック教会があったけど
  壊されてたと嘆いていた
  YMCAの幹部も共産党で
  信者は公にはいないのではとか
  表裏を使い分けているようだとか
  キリスト教などもまだ日陰者なのか

  教会を見せて欲しいといったら
  有りませんと交流したYMCAの幹部が言ったとか
  日本へ帰ってグーグルで見たら更地になっていたが
  そこには 1年ほど前に外国人が撮した教会の写真があったという話だ

次は、
この友人が天津YMCAに招かれて天津に来た友人からもらったメールのコピーである。

  >> 私が見たのは2010年5月27日のグーグルにUpdateされた
  >> http://www.panoramio.com/photo/33679816に提供された
  >> 2009年7月にイタリア人の写真家が撮影した大変立派なゴシックの
  >> Chiesa cattolica -tianjinの写真の実物がその同じ画面の地図上には見当たらず、
  >> ポイントは更地になっています。ほかに移転したのかもしれませんが
  >> あんな立派な建物が一年の間に無くなったのなら残念です。
  >> 場所は天津の和平区とあります。一度見て下さい。

無くなったという教会は Chiesa cattolica -tianjin = 濱江道南端にある「西開教会」のことである。
これは確実にある。それを納得してもらうために写真を撮ってきた。




水曜日の午後であるが、中にも自由に入れる。
私のような見物人もいるが、かなりの人が座って聖書を読んだり、お祈りをしたりしている。
写真がボケているがロザリオを繰っている婦人もいるし、悔改をする部屋もちゃんとある。


日常的にも宗教活動が行われている証拠もいるかもしれない。
会堂の外の掲示板には「聖母昇天節」「夏季要理班」「読経員派遣礼」などの活動報告の写真があったし、
水曜の午後にも関わらず屋外で小さな集会も行われていた。
また、会堂の入り口には毎日曜日にミサをしているのでお出で下さいの掲示もある。


要するに
中国にクリスチャンがいないわけではないし、
宗教活動が制限されているわけでもない。
ということがおわかりいただけたでしょうか。

中国は経済的にも宗教的にも自由の国です。
ただ、一言付け加えれば
政治的には目下建設中の国で、それをじゃまするように思想、発言、行動は厳しくチェックされます。
「法輪功」は宗教活動ではなくて、政治活動だと思われています。

昼は、西開教会のすぐ近所、天津伊勢丹の7階 「橋場」で「天ざると海鮮丼のセット」を喰った。
西開教会が天津にあるという証拠にはならないか・・・・




  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
私の若い頃(1970年頃)にはダンスホールというのが流行っていた。
もちろん、私はダンスなんて全く出来ないけれど、結婚したてだったので奥さんとダンスホールに行ったことがある。
イチ ニ サン イチ ニ サンと号令をかけてもらいながらのダンスで周りの人から総注目をあびたのを覚えている。
おかげでコーラルプリンセス号のダンスパーティーでは他の奥さんとではあるがそれなりに踊ってみせた。








   10月19日(火)

快晴というわけではないが、雨は止んだ。
寒さも昨日と比べると少しまし。
と言うことで、久しぶりにスポーツクラブに行った。
でも、やはりかなり寒いので自転車はやめにしてタクシーで行くことにした。

中国人もやっぱり寒いんだろう。
ジムもプールも一人もいない。貸し切りだ。

この前までジムでは半袖、短パンだったが、今日からは長袖のジャージになっている。
私は一切筋肉トレーニングはやらない。マシンを使ってのストレッチを30分程する。

プールでもほとんど泳がない。足を振り上げたり、腰をひねったりして歩くのである。
ほぼきっちり30分やってあがる。
夏はプールサイドで1時間ほど本を読んだり、iPod でビデオを見たりしていたが、もう寒いのでやらない。

そのかわり、2階のスタジオでひとり太極拳をする。


今日は誰も人がいないのでシャワー室なども写真を撮った。
プール、シャワー室は半地下である。ちょっとした売店もあるが、売り子がいることはほとんどない。
シャワーは湯温も湯量も快適である。スポーツクラブに来る大きな目的の一つである。

シャワー室の奥にはちゃんとサウナもあるんだが、これは現在故障中。
2ヶ月ほど前、午後4時からサウナが使えますと掲示が出ていたので
時間をずらして行ってみたら、もう故障になっていた。




タクシーで行ったので、帰りは
スーパー(家楽福=カルフール)に行って
葡萄酒2本、白酒(バイチュー)3本を購入
白酒は2本は52度のきついヤツである。
1本は38度。

それと赤唐辛子を一袋買って
52度の白酒につけ込む
すると辛くない唐辛子と
白酒風味のラー油ができる筈である。





  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
「燕尾服」?「モーニング」?「タキシード」? あの尻っ尾のついた服。あの服を一生に一度だけ着たことがある。
娘の結婚式の時である。娘がどうしてもと言うので仕方がなかった。
校長になった時、入学式や卒業式にはどうしても着なければならないからと出入りの服屋にしつこく勧められたが、
「この俺がそんな格好できるか!」と作らなかった。
他の校長は全員「そんな格好」で入学式と卒業式をやったようだけど・・・・。
校長をしていると仲人を頼まれることも多い。引き受ける条件はただ一つ。
「普通の背広姿でよければ」ということだった。








   10月18日(月)

昨日、この欄で

  昨日、一昨日とまた反日デモがあったそうである。
  大学から、日本人教師に外出禁止令が出て
  日本語教師会への出席を取りやめたと言う人もいた。
  私は全く知らなかったもので、悠々と作務衣で出かけたのだが
  天津の街では、ちょっとヘンな目で見られるということもなく、
  まったく反日なんて雰囲気は感じられなかった。

と書いた。でも、中国西部ではかなり大きな反日デモが行われたようである。

  【綿陽(中国四川省)=林望】
  中国四川省成都などで起きた大規模な反日デモは17日、同省北部の綿陽に飛び火し、
  住民の目撃情報によると、1万人以上の若者らが「日本商品排除」などを叫びながら、市中心部を練り歩いた。

なかには、こういう様な人もいたようだけれども

  「味千ラーメンという日本料理店を壊す行動に参加した。
  こんなことをしていいのかなと怖かったけど、久々に興奮した」などと書いてあった。

それでも、ずいぶん大規模なデモだったようだが

  【北京=矢板明夫】
  18日付の北京紙「新京報」など一般の中国紙は、
  四川省綿陽市で17日に発生した大規模な反日デモについてまったく報じていない。

千人を超す人が集まり、商店のガラスが割られ、車がひっくり返されている
でも、翌日の新聞にもテレビにも出ない。
これに参加した人、見た人はそのことをどう思っているのだろうか。




一日中 小雨が降り続く今日だった。もちろん気温も低い。
と言うわけで、午前中に銀行に行こうと思っていたが
つい、おっくうになって家に引きこもっていた。
昼飯にはうどんをつくって喰い、
だらだらと国会中継をみていたら
中国銀行から電話。
パスポートを持って至急来いと言う。
ひょっとして年金の入金がトラブッたかな
まあ、雨も小雨で、
ちょっと外に出たかったころでもあるし
ほい来た、と傘をさして出かけた。

銀行では個人資料の確認だとかでかなり時間をかけてパスポート、通帳、パソコンを行ったり来たりしていた。
結局何と言うこともなくてドルで来た年金を元に直して再び通帳へ
円高のメリットの方で年金は若干増えていた。

夕食は、中国人の友人がくれたギョーザを食う。
魚のサバを餡にしたギョーザなんて初めてだ。これがまた、結構旨い。



  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
帆船で太平洋横断なんていうとずいぶんロマンチックに聞こえるが、実際はなかなかの重労働。
大阪を出発してしばらくしたところで暴風雨。風が吹くと帆船の乗組員は大変だ。
大揺れに揺れるマストに登って帆を畳まねならぬ。
帆を張るのは桁にくくりつけているロープをほどけばそれでしまいだが、
畳むとなると濡れて固くて重たくなっているキャンバス手で巻き上げねばならぬ。
女子高校生のトレーナーもいたが(1ヶ月も学校を休んで参加しているんだ、スゴイ!)
「ホント? ホントに登るの?」と繰り返しながら登っていた。
それでも、飯は食わねばならぬ。
机を固定している鎖がブチ切れて部屋の端から端まで走るようなメスルームでの食事である。
一度やってみな。大変だよ。
風が無くなるとピリッとも船は動かなくなる。これもまた大変。
でも360度満天の海と空、南十字星、クジラやイルカの大群、深夜の見張りや操帆練習・・・・やっぱりロマンチックだ。








   10月17日(日)


昨日、今日と昼間でも寒さを感じるようになった。
現在の外気温6度、室内は18度である。
暖房が入るまではまだ1ヶ月近くある。

前にも書いたことがあるが
インターネットで配信される天津市の天気予報
今日の最高気温 13度 最低気温 9度
午前7時の気温 6度 とある。
体感気温は なんと 2度だ。寒いはずである。
体感気温は別としても
予報の最低気温より現在気温が 3度も低い。
これは誤報ということではないのか。


昨日、一昨日とまた反日デモがあったそうである。
大学から、日本人教師に外出禁止令が出て
日本語教師会への出席を取りやめたと言う人もいた。
私は全く知らなかったもので、悠々と作務衣で出かけたのだが
天津の街では、ちょっとヘンな目で見られるということもなく、
まったく反日なんて雰囲気は感じられなかった。

天津なんかでは、きっとどっかの当番の当たった大学で
参加したら何とかの授業出席扱いにしてやる、とかいわれた学生が
せっかくの土曜日なのに・・・・とボヤキながら
形だけのデモをしたというところもあったのかも知れない。

一方では土曜日、日曜日と
「第十回 天津市高校青年教師教学基本功コンテスト」という
青年教師の授業力を競う大会が行われた。
土曜日は教師会で無理だったが、
日曜日の部は参観しようと思っていたのだが
土曜日の晩、我が家に泊まりに来た人がいて、
それを理由に日曜日の午前のコンクールは欠席した。
日曜日は夜「日本語コーナー」である。
こっちはもっと単純明快「寒かった」ので出席取りやめ。


夕食は、焼き餃子、たこ焼き、ウナギの蒲焼き、キャベツの千切りとジャコおろし
と「日本人の知らない日本語」をも肴にして熱燗で・・・・

「日本語コーナー」で勉強している人にはちょっと申し訳ないなぁという気もしたが
そこはそれ「七十而従心所欲、不踰矩。」ということで。


  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
別稿で、と言ったがついでだから、やってしまおう。
私は2000年3月末で公立学校教員を退職。普通校長で退職すると再就職の斡旋があるものだが、
同期の7〜8名の中で私一人だけ再就職の斡旋がなかった。(余程教育委員会に嫌われていたんだろうな)
でも、これが素晴らしい第二の人生を生み出してくれた。
もし、斡旋されていたら退職後も公民館の受付とか生徒指導の夜回りとかやっていたことだろう。
それがなかった(出来なかった)おかげで退職直後の
4月帆船で太平洋横断、
5月〜8月豪華客船で地球一周の旅、
9月〜大阪市立女子大学で講師、翌年3月から雲南と北京で短期語学留学、
9月から天津で日本語教師という素晴らしい展開になったのである。
あっ、帆船の話しだった、それはこの次ぎに・・・・








   10月16日(土)


第三土曜日は「天津日本語教師会」の日である。
今回は「日本国際交流基金 北京事務所(日本文化センター)」の
佐藤修先生を招いての講演会である。

テーマは「聴解ワークショップ」
資料、PPT、楽しいお話、その間にいろいろな情報提供、
さらに、一番よかったのは参加者を2〜3人ずつのグループに分けての
セッションが何回か取り入れられたことである。

いつもより開始を1時間早めて、実質4時間のセッションも
疲れを感じさせないままに過ぎた。

先生には昼食を用意していたのだが、
到着がギリギリになってしまって予定していた昼食会はパス
ひょっとしたら昼抜きで5時まで授業されたのであろうか。

講演会の後は近くの中華レストランで参加者とともに楽しく夕食会で盛り上がりました。







  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
大型帆船には何度か乗ったことがある。
大阪市所有の練習帆船「あこがれ(362トン 全長52.16m 3本マスト・トップスルスクーナー)」である。
第一回目の時は1994年5月、紀伊水道を抜けて太平洋に出て、
甲板から太平洋に飛び込んで泳いで帰ってくる(泳いでではない)という2泊3日のコースだつたが、
帰路 豆台風に出会って紀伊水道が遡れなくなり1泊余分にかかってしまった。
それから瀬戸内海を中心に2泊3日のコースを3度ほど乗船。甲板磨きやマスト登りの練習に励んだ。
最後は2000年、一ヶ月かけて太平洋を横断、ハワイまで行ったが、その話しはまた、別稿で・・・・













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