10月15日(金)



「日本人の知らない日本語」というDVDを見つけた。
新米 日本語教師のドタバタ喜劇である。
日本での日本語学校が舞台なので、
生徒の国籍は中国人だけではなく
イタリア、フランス、イギリス、スエーデン等
多彩で、男女、年齢もおもしろく振り分けてある。

まず、最初にちょっとびっくりしたのが
そのドラマで使われている教科書が
私が以前勤めていた「修曼(ヒューマン)」
作製の教科書だったことである。

まだ第3話までしか見ていないのだが
ドラマの筋よりも、文字通り
「日本人の知らない日本語」が面白い。

「てぼ(そばや)」「むらちょこ(寿司屋)」
「北京鍋と広東鍋(中華料理屋)」
「あがり と でばな(寿司や)」
「ぼんくら(ヤクザ)」「ピカイチ シカト(花札)」
「ご注文の方はこれでよろしかったでしょうか(バイト敬語)」
など など
そして日本語学校生は週に28時間以上のバイトや
先生が仕事を紹介してあげることも法律で禁止
など、関連の知らなかった知識もわかるようになる。

初めテレビに再生して見ていたのだが、今はメモを取りながらパソコンで見ている。







  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
小学校の頃、一日だけ学習塾に通った(一日だけだと通ったとは言わないのかな)ことがある。
その頃の塾は畳の間に正座をして勉強をするのだ。
塾が終わったとき、立ち上がろうとしてバタッ!と倒れた本当にバタッ!である。
翌日から行くのはやめた。
ソロバン塾は椅子だったせいかしばらくは続いた。
今でもニイチテンサクノゴ ニッチンノインジュとソロバンの九九を覚えている。








   10月14日(木)


私の家の近くの小学校である。
毎日の昼休みと下校時にはこういう状態になる。
この学校だけではなく、どこも同じである。
驚くことに中学校でも大同小異。

片道3車線と歩道のある幹線道路である。
その内、2車線が子どもの迎えの車、自転車、
おじいちゃん、おばあちゃんで埋め尽くされる。
バスも立ち往生。
けたたましく警笛が鳴る。

やっぱり、子どもを一人で帰宅させると誘拐されるという心配が現実にあるんだろうか。
天津の街で交通事故の心配ならわかるけど、ほんまに誘拐の心配をしているんだろうか。


ちょっと用事があって、天津外国語大学の茶室を見に行ってきた。
なんぼなんでも大学には送り迎えはないから静かなものである。



昼は近くの店で外食。
デミグラスハンバーグ定食が24元(約300円)。
店もきれいし、なかなかのものである。



この店の入っているビルの2階もなかなか。
天津には「メイド喫茶」もあるんだぜ
他に客もいなかったようなので、今回は入るのは遠慮したが・・・・





  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
大学生の時だった。教会の先輩の結婚式で祝電の披露をする係りをした。
日頃通っている教会の礼拝堂で、そんなに格式ばった式ではなかったんだけれども、
学生の私はひどく緊張したんだろうな。
「新しいスカートを祝し・・・」と言ってしまって笑われたのに、
私はその間違いに全く気がついていなかった。








   10月11日(月)


久しぶりに「天津孔子廟」に行った。
以前に行った時は何か古物展示場みたいだったが、この間の改修で
少々ケバケバしさはあるもののずいぶんと立派になっている。

入場料 30元。
たまたま、パスかポートを持っていたので見せると無料になった。


子曰、「吾十有五而志於学。三十而立。四十而不惑。五十而知天命。六十而耳順。七十而従心所欲、不踰矩。」

そうだ! 俺はもう七十だ。
「心の欲する所に従へども、矩を踰えず」だ!
なにもくよくよすることなく、心の欲するままに自由に生きればいいんだ。
なあ、孔子さんよ。

お前は孔子かよ! って言われそうだから、一字だけ変更
曰、「七十而従心所欲、不踰矩。」
これでいいだろう。




  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
戦後、疎開で丹波の田舎にいた時であるから小学校に入る前だ。
妹と田舎道をぶらぶらしている内に竹藪に迷い込んでしまった。
丁度竹の子が芽を出している頃で妹と一緒に竹の子を引っこ抜いた、
というより二人の体全体をかけて根っこから折って意気揚々と家に持ち帰った。
ところが竹藪にも所有者がいて竹の子を盗んで帰ったということになってしまった。
祖父母は謝りに行くのに大変だったようである。また、母はその竹の子の料理を命ぜられてこれまた大変だったようである。








   10.10.10日(日)


昨日は久しぶりに太極拳(老年人大学)にいった。
教師会で休んだのと、国慶節で休みになったのとあわせて3連続休み
そして来週はまた教師会で休まねばならぬ。
そしてまた、久しぶりに無精ひげを剃った。何ということはないのだが、
ほんのちょっとした決心がいった

へんな写真を出して申し訳ありません。こうして見るとやっぱり全部剃ったほうがいいようだな。



今日、日曜日はまず銀行に行って、若干お金をおろし、

それから「鼓楼」にでかけ、
また腕時計を買った
今度は LONGINES だ。
オメガと比べるとロンジンは高い! 
135元を100元にしてもらって買った。
オメガの4倍だ。1ヶ月は動くかな?

そういえば、前のオメガは文字盤の下に
JAPAN MAIDE と書いてあったが
ロンジンの方は SWISS MADE となっている。


ついでにジッポのライターも買った。これは10元
線香に火をつけるのにいい絵柄だ。
ジッポもこんな絵柄ありなんかな?



それから、大フートンという何でもあり街を抜けて服装街へ。
ここは、なかなか綺麗なとおりになっており、伝統的な相声(漫才)の会館などもできている。





  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
震災で学んだことは本当に多い。そのひとつ。本気で願えば実現するということ。
100人以上の人が体育館のフロアーで寝起きする生活がかなり続いた。
プライバシーはゼロに等しい。寝小便のクセのある子は衆人環視のなかで寝小便をしなければならぬ。
何とか仕切りだけでもつけたいものだと考えていたら、段ボール板を何百枚かの寄贈を申し出てくれる人がいた。
体育館の中に中央通りと横町が出来、おもちゃのような町になった。
三食が配給食での生活が続いている。体育館の横に台所を作って自分で食事を作ることを始めてもらいたいと思った。
水道用のゴムホース、プロパンガス、ナベ、包丁などみんな集まってきた。不思議なくらいだった。








   10月 8日(金)


神戸は雨だったそうだが、こちらは快晴に近い。
にもかかわらず一日ぶらぶら。
夕方になってやっぱりプールにでも行こうかと、
自転車で門を出たところ、
路上の知り合いの自転車修理屋さん
(会うと「ヨウ!」と挨拶するくらいだが)に手招きされた。

後輪がパンクしているという。
確かにこのところなんか乗り心地がよくなかったんだ。
洗面器みたいなのにチューブを入れると、もうあらゆるところから
空気がブクブク。
こりゃあタイヤもダメだ、ということでタイヤも新品に交換。

費用はしめて55元。
私のオメガの2倍以上もする
値段で計るのもヘンだけど、きっと、これは大丈夫だろう。

ちなみに3日に買った25元の腕時計は8日動きを停止した。
5日間だけ動いてみせるあたり、さすがとしか言いようがない。いい買い物だった。


今日、ノーベル平和賞の発表があった。
目出度くも中国の刑務所に在住中の中国人が受賞に輝いた。
ノーベル財団ぐらいになると、日本政府よりずっと腰が据わっている。

テレビで発表の時、NHKもCNNも画面が真っ暗になったそうな。
「ノーベル平和賞は劉暁波」といった後切れたんだから、国民に受賞を知らせないためというよりは
国民が間違って「やった! バンザイ!」と言ってしまわないための措置だったのかもしれない。

もっとも、大学生でもダライ・ラマがノーベル平和賞受賞者だということを取らない人知らない人が多いが。






  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
 
尼崎ではじめて勤めた中学校で「機械工学クラブ」というたいそうな名前のクラブを作った。
何をしたかというと、オンボロの中古車を2台買ってきて、
最初は夕方に校門を閉ざしてグランドを「私有地」と称してその車を乗り回した。
きっと中学生にも乗せたと思う。
その後、何日も何週間もかかってタガネでその車を解体し、エンジンやトランスミッションを磨きだして展示する。
また、三宮のジャンジャン市場でリレーを何十個も買ってきて
畳一枚くらいのボードに貼り付けて簡単な「電子計算機」を制作。
一応、一桁の計算はやってくれる機会が出来た。
でも、中学の部活で中古車を買ってきて・・・なんて出来た時代だったんだな。








   10月 6日(水)


「海河一日遊」というのに行ってきた。198元
250元も出せば近郊一泊の旅もあるんだからちょっと高めかな。
とは思ったけど、なにしろ母なる河、天津目玉の観光コースである。
ずっと前から一度乗りたいと思っていたコースだったから、しかたがない。

ずっと前から乗りたかったというものの、コースそのものは全く知らない。
この間(1日だった)「津湾広場」に来た時、これの乗り場を通りかかって
ああ、そうだと思い出したくらいのものである。
そしてまた、今日の朝 忘れかけていたのを思い出して家を飛び出したというわけである。

船の旅とはいうものの、飛行機の室内をちょっとゆったりと、きたなくしたような船室で
座席に座ったままぼんやりと風景を眺めていること約1時間半
最初の、そして最後の(なんということだ!!)下船場所に着いた。


最初に案内されたのは「奇石博物園」というところ。要するに化石の博物館である。
海の少ない国の水族館はしょうもなかったが、「化石」となるとやっぱり大中国だ。
ギネスに登録されている巨大な樹の化石とか、とか、とか



ここで昼食。昼飯が出るとは思っていなかったのでうれしかったけど、飯は旨くなかったな。
そして、以後はかなりオンボロのバスの旅でてる。
それも行き先は「天津新港」。毎年1〜2回は来ているところである。
ここではちょっと船に乗って港めぐりみたいなのをしたが、天津港は見るべきものって何もない港である。
ただ、今年の夏、韓国に行った時に乗った「天仁号」が接岸するところに出会えて、ちょっと懐かしかった。


そしてまたバスに乗って今度着いたところが、なんと「外灘」である。3日前に来たばかりのところじゃないか!
前は30分だったのが、今回は3時45分まで1時間。前には気づかなかったブロンズ像があったぐらいで、
退屈して10分前にはバスにもどった。するとほとんどの人が乗り込んでおり、
私が乗るとすぐに発車した。まあ、私より後でフェンスを跳び越えて駆け込んできた女の子やおばさんもいたのだが・・・
私のオメガを見ると確かにまだ3時40分。iPhone で調べるとこちらは確かに3時50分。
さっそくに、25元の存在感を実感させてくれたオメガだった。






  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
 
私は食べものの好き嫌いはほとんどないし、食べられないというものは全くない。
が、どちらかと言えば食べたくないものはある。サツマイモとカボチャである。
カボチャは何故かは定かではないが、サツマイモには理由がある。
戦後、腹が減ると他所の畑のサツマイモを掘って生のまま食べて腹をふくらましていた。
見つかって追っかけられたことも何度かある。
きっとその時に「こんなものを食べる不幸」という気持ちがすり込まれてしまったのではないかな。








   10月 4日(月)




日本人の方々はいきなり「偽札」の記事で驚かれるかも知れないが、中国では そう珍しい話しではない。

私も10近く中国に住んでいると何度か偽札をつかまされたことがある。
一度は私営のバスで、釣り銭がないと言って返された100元札が偽札だった。
20元札の偽札はいつつかまされたのが全然わからない。
これは「記念品」として大切においてある。

教師会の食事会で偽札だと返されたこともある。20人ほどの内の誰かが出したものだが、もちろん誰も自覚はない。
そこで取った解決策は「言い記念になるよ、誰か本物の100元で買わないか」というと買い取ってくれる人がいた。

昨日 買った25元のオメガの腕時計もひょっとしたら偽物かも知れないな。?
インターネットのソフトだって、ドラマのDVDでって5元(70円)とか8元(100円くらい)で買えちゃうんだから
偽物まおそれはある?

そんなもん、決まりきっとるじゃあないか、と思われるかもしれないが
私が本物のオメガだ、DVDだと信じて買っている限り、
偽物売買とか著作権なんとか とかに故意に違反しているとはいえないんじゃあないか。
その後もオメガはちゃんとサボらずに時を刻んでいる。
それ、昔から言うでしょう「信じるものは救われる」


今日は、水上公園近くに最近オープンした日本料理店「柚子」に行ってみた。
食事の内容は以前の「柚子」と変わらないが、ものすごくやかましいのとタバコの匂いには閉口した。






  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
 
淡路島に勤めていたころ、野宿しながら歩いて島を一周したことがある。
島全体で交通信号が洲本にひとつだけ、という時代である。
生徒が「先生、先生、あれ交通信号やで」と自慢して見せたころである。
南端の沼島のあたりはほとんど道もなく、歩くのもビビるぐらいの断崖だった。








   10月 3日(日)

午前5時に起きて、ご飯を炊き、オニギリ弁当を作る。
鰹節、塩昆布、梅干しのおにぎりと
玉子焼き、ウィンナーソーセージ、
白菜のしひたし、漬け物数種の弁当である。
写真を撮しておけば良かった
と思ったときにはもう腹の中に入っていた。

7時 鼓楼に集合。
「天津極地海洋世界」に向かう
9月30日にオープンしたばかりの
天津の新観光スポットである。


さすがに人が多く、昨日は5万人の入場物があったそうな。
なんでも将棋倒しの事故があり、一人人が亡くなったと言うことだ

そんなことは知らなかったんだけれど、今日 バスで到着したときは、えー! 入れるの? と思ったくらいだった。
バスの中で待つこと30分、水族館の入り口で並ぶこと30分でやっと(順調に)入場できた。
入ってみると、特に珍種がいるわけでもなく、私のように日本の水族館を知っている者には、それほどたいしたものではない。




いるかのショーなどもあったのだが、一番面白かったのは、開演前にカメラがぐるっと観客を大スクリーンに映していった時
みんな、自分が大スクリーンに映ると大喜びで、中には熱々のキスをして見せるカップルもあったりして盛り上がった。
やっぱり魚より人間の方が見ていて面白い動物なんだな。
「人間館」なんて作れば儲かるんじゃあないかな。

いるかのショーも終わって、館内を一周してしまうとあとはもう何もない。
決められた時間よりも2時間も早くバスに戻って一眠りした。
出発ギリギリにバスに帰ってきた人たちもいたんだけれど一体何をしていたのだろうか。謎だ。


水族館を出て、
「外灘公園」で30分。
ここでは、シャボン玉製造器を買った。
何と幼稚!
家に持って帰って
風向きのいい日に
我が家の10階の窓から
天津の街にシャボン玉を
降らせようという魂胆である。




今日 飼った土産は このシャボン玉製造器と
水族館で貝殻 3つ。
これは、砂を詰めて線香立てにする。

それから
洋貨市場で
驚くなかれ
オメガの腕時計
25元(350円ほど)
ホント 中国はすごいな。
ま、一ヶ月動けば十分モトは取れるというものだ。





  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
 
神戸の空襲で家を焼かれて、いったんは丹波の田舎に疎開したのだが、
すぐに神戸に戻ってきて、焼け跡に掘っ立て小屋(当時の状況からすればかなり立派な家だったが)を建てて住み始めた。
すぐに取りかかった仕事は畑を作ることである。
かなり向こうに小屋を作った人が向こうから耕してくる。
何日かかかってそれがぶつかったところが所有の境界である。
こんな原始的な土地所有の形態が数十年前にはあったのである。








   10月 2日(土)

毎月、第一土曜日は 天津日本語教師会の幹事会である。
幹事会は午後5時からであるが
昼過ぎに家を出てホテルの日本料理店で昼食。
いつもの「寿司・うどん定食」である。
25元。これは安い。

食後、図書大厦に行って
アニメのビデオ 1本
麻雀、将棋、トランプの遊技ソフト 1本
「日語綜合教程 第八冊」「新標準日語 第四冊」「一番 日本語 10月号」を購入。


そのあと、五大道を散策する。
五大道とは馬場道、大理道、常徳道など一帯のことで
外国租界のあったところ
天津ではちょっと特異な
エキゾチックな雰囲気のある街並みである。



時間を見計らって幹事会の場所(美千草)に行くと、国慶節で休み。
仕方がない、ここで待ち合わせてどこか別の場所
と思って美千草の屋外テーブルに座っていると、
店の人が出てきて、「休みだけど、どうぞ使ってください」と言ってくれる。




  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・

初めての海外旅行は1972年正月、もう40年ほどまえになるなあ。
当時の豪華客船コーラル・プリンセス号でのグアム・サイパン往復紀行だった。
71年12月になって「グアムに行かないか」という電話がかかってきた。
「そんな金もヒマもないよ」って言うと「タダだよ、ご招待」って言う。即座に「行く、行く」と答えた。
金のないのは事実だがヒマがないのはウソだった。兵庫県(全国だったかも)カウンセリング研究会の招待だった。
船内のワークショップの他にダンスパーティーとかバンザイ岬とか忘れられない思い出だ。








   10月 1日(金 国慶節)

「メール日本語塾」は昨日が課題の締切日であったが、未提出者が四人。うち、一人は課題三つのうち、一つだけが未提出
と昨日書いたが、さっそく詫び状が来て、退会をしばらく猶予することにした。
そして、第三回の教材と課題を発送。
でも、今回は今日から7日間の国慶節休暇となるため、必須課題は1題だけにとどめた。
その内容も「日本語クイズ」のようなものを40題を出題、内10題だけをやればよい、ということにした。


天津に世界一か東洋一かの大水族館が今日から開館する。
さっそく、旅行社にそのチケットを買いに行った。10月3日 送迎付きで118元。

そのついでに、国慶節の街の賑わいを、と思って街を散策した・
去年の共和国60周年とは大違い、また、このところの新聞報道とも違って、それほどの賑わいでもない。。


津湾広場の狗不理で軽く昼食を摂ってから(これは場所の良さと、店の綺麗さ、の割に値段も安く美味しかった)
さすがに天津駅は故郷に帰る人たちでごったがえしていたし、駅の外も列車待ちの人が布団を敷いて寝ていたり・・・
それから濱江道を歩いて、無印良品と伊勢丹で若干の買い物をして帰宅。
今日歩いた総計は 13904歩。


10月1日は日本でも「国勢調査」の日であるが、中国もそうらしい。
わが団地の入り口にこんな横断幕がでていた。




  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・

中学校のころ、 登山家を夢見ていたことがあったらしい。
自転車の荷物ヒモのようなものをザイルに見立てて肩にかついで六甲山を歩き回っていた。
確かに夢多き年頃であった。
テレビはあまり見なかったのでスーパーマンやアトムのように空を飛ぶ夢は持たなかったのが幸せである。













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