9月30日(木 晦日)

「メール日本語塾」は昨日が課題の締切日であったが、未提出者が四人。
うち、一人は課題三つのうち、一つだけが未提出、(今日まで延長したがまだ届いていない。)
27人から19人、15人と急減といっていい状態だ。
でも、これくらいを上限とするのが丁度いいかもしれない。
10月中旬にはまた、数名が減って10名強、年末には塾生がいなくなって閉塾ということになってしまうかもしれない。


なんか、神様もそういう方向で動いているような気がする。
「もう、これ以上働かなくてもいいよ。」という声が空の向こうから聞こえてくる。
体自身も衰退していきよるけれども、それを支える補助具も消滅しつつある。
だいぶ前に入れ歯を支えられなくなった。それからしばらくして補聴器の部品が無くなった。
そして、昨日は眼鏡をどこかに置き忘れてきた。
「ゆっくりやれよ」と言っても聞かないので、ちょっと物理的な手段に出てきたようだ。
こうなったら、残った昨日でがんばらなくっちゃあ、今日は「盲人按摩」に行ってきた。

昨日、LANの工事ということで、壁に穴を空けて「線」を引き込んでいったが
よく見るとそれはグラスファイバー線だ。
それもただでやってくれるんだから中国はエライなあ。
器機も置いていったので、それと繋いでみたがまだ繋がらない。
でも、光で我が家まで来ても、器具からパソコンまでは針金線だったら同じじゃあないの?

もうひとつ、気がついたことがある。
光と繋ぐため、電話線の兄貴みたいなヤツ、あれを抜いて作業していたんだが
それでもインターネットに繋がっている。
おいや! 俺はいままでも「無線」でインターネットやってたんだ!
この間、一生懸命 配線ではいまわったのはなんだったんだ!


数日前、DVD「マチベン=中国名「街頭律師」というのを看た。
ずっと前に確かに見た記憶があるのだが、どの場面でも次の展開が全く思い出せず
ハラハラ、ドキドキしながら楽しく看られる。
年寄りが、同じ話しを何度も繰り返す、といわれるが、あれと同じことを逆でやっているわけだ。

今日はDVD「NANA」というのを看た。
ずっと前、スポーツクラブのウォーキングマシンに乗るとき、このアニメ版をみながらやっていたんだが
それの「人間版」である。
これもストーリーは知っているはずなのに、一気に看てしまったよ。





  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・

小学校のころはよくケンカをした。1年生に入った時からだ。
上級生に目をつけられて2年ほど上の男の子とケンカさせられた。
それを殴り倒して一目置かれるようになった。4年生で転校した。
その第一日目、この学校で一番強いのは誰だ?と聞いて、その日の昼休みにそいつとケンカして勝った。
中学校に入った時、ちょっとボッチャン学校だったんだが、見渡すと体のでかい頑丈そうな奴がいる。
3日目ぐらいだったろうか。
音楽の時間、おい授業が終わったらちょっと裏庭に来いやと誘い出してノコノコとついて来たところを顔面に一発くらわした。
鼻血がでたのでそれっきりになったが、続けていりゃあコテンパーにやられただろう。真珠湾精神だ。
きっとそいつはいい奴だったんだろう。以後にらみ合いが続いたという記憶はない。








   9月28(火)

いよいよ歯がダメになってきている。
奥歯(臼歯)の方はすでに全滅。下に左右一本ずつあるのだが、上が内のでかみ合わない。
フライドポテトを奥歯で噛んでもほぼそのままの形で出てくる。
犬歯もとっくになく、それで支えていた上の入れ歯も使えない。
と言うことはなんとか残っている門歯(前歯)で、すべての咀嚼をやっているわけだ。
平面で擦り合わせるところを尖った歯でやるのだから何倍もの回数を噛まねばならぬ。
ひょっとしたら顎の運動にはなっているかも知れんな。
私以上に胃も大変だろうな。
咀嚼されないまま飲み込まれたのを消化・吸収しなければならないんだから。
私が中国語で会話している時みたいなものかな。
その前歯がこのごろの日本の政権のようにぐらぐらとしている。
もやしなんか食っていて、まめの部分があたると「アイヤ!」と声が出るほどの痛みが走る。
(中国ではこういう時は「あっ!」ではなくて「アイヤ!」っていいます)

今ひそかに一番心配していることは
朝 起きてあくびをした時に下の入れ歯が外れて飲み込んでしまいそうになることである。
ひょっとしたら、これは致命傷になるやも知れん。死因は何と名付けられるんかな?
とはいえ、まだ二本は残っているから「日本」語教師は続けるとして、
これが無くなれば「はなし」家にでもなろうか。
要するに、昨日も今日も何と言うことも無い日常であった。
インターネットを電話線からLANに変えるというので工事に来た。別にこちらから頼んだわけではない。
今日は壁に穴をあけて千の引き込みだけ(これは農民工がやる)。器具の取付は明日だという。
夕方、プールに行った。

今日は孔子の誕生日。




  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・

戦争末期から戦後にかけて甘いものに飢えていた。
敗戦直後のことである。神戸港の岸壁からドンゴロスの袋を拾ってきた。(盗んできた?) 
砂糖の入っていた袋である。それを五右衛門風呂に入れて焚き、砂糖水を作って売った。
(もちろん私ではない、もっと年上の兄ちゃんたちがである。)
夕暮れの薄暗い時に、なんとなく、こそこそ、そわそわとやっていた感じを覚えている。








   9月26(日)

朝飯は昨日の予告(?)のとおり、栗飯を炊いてみた。
それほど旨いというわけでもなかったが、それでも結構 秋を感じさせてくれる味であった。

午後、天気もいいことだし、古文化街とイタリア租界に出かけてみた。
国慶節の関係で何か行事をやっているようなことを新聞で読んだきがしたので
出かけたのだが、特になにもやってはいなかった。
が、路上には露店が所狭しと並んでいて、こちらは結構見応えがあった。


それから対岸の「イタリア租界」に行ってビールを飲んで休憩。
ウェディングドレス姿の結婚写真とガイドの小旗に先導された観光客の姿が目立った。



今日は台風の特異日。
1954年 台風15号 死者・行方不明 1440人
1958年 狩野河台風 死者・行方不明 1200人
1959年 伊勢湾台風 死者・行方不明 5200人




  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・

これは誰も信じないと思うけど、震災の時 私の避難所(体育館)で一人の婦人が亡くなった。
線香を上げるも何もなくすぐに消防がやってきて搬出してしまったのだが、
その消防が来るほんの少し前、広い体育館たった一匹、白い小さな蝶がその死体の廻りを飛び回るのを確かに見た。
蝶が出る季節にはまだ時間があったし、前にも後にも体育館で蝶をみたのはその時一度だけである。









   9月25(土)


「メール日本語塾」の参加者もほぼ落ち着いてきた。
定員は一応20名とすることにした。現在19人。
でも29日の提出期限までに課題が提出できずに
退会の扱いとなる人が数名は出そうだから
14〜5人の規模で運営することになるかも。
これくらいがちょうどいいかも知れない。

秋の味覚、ブドーと天津甘栗
そして、ブルーマウンテン(ブレンド)コーヒーだ
明日は、この栗で「焼き栗ごはん」でも炊いてみようか。




  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・

986年8月、神戸自転車同好会の仲間70人と中国を走ったことがある。
ウルムチから敦煌までおよそ1000q
といっても途中バスに乗ったこともあるので実際に走ったのは6〜700qぐらいかな。
暑かった。しんどかった。1時間走っても何にも景色が変わらない荒野の走行である。
マウンテンバイクのタイヤが風を受けて重たい。
アスファルト塗装の道ではアスファルトが溶けてバリバリと音をたててタイヤにへばりつく。
休憩地点に到着するのがみんなより15〜20分も遅くなる。
それだけ休憩時間がみんなより短くなるということだ。
敦煌に着いたときにはホントほっとした。石仏なんてどうでもよかった。
このツアーはNHKスペシャルで放映された。もちろん私の瀕死の英姿も全国に放映された。
その後、南ベトナム サイゴンからダナンまでも走ったがこちらは楽だった。









   9月24(金)
      
秋たけなわと言うにはまだ少し早いような気もするが
そんな感じがいっぱいする今朝であり、今夕である。

天津市の天気予報も今後24時間、降水量 0
最高気温 23度  最低気温 14度 とある。
にもかかわらず現在(午前5時)の気温は13度
いったい最低気温とは何なんだという気もするが
正直といえば正直だ。

夕方になってまたまた、すごく立派な月が出た。
写真ではえらい小さく写っているが
実感はもっともっと大きく、きれい。
実際を写さなくても写真というのだから
天気予報の「最低気温」に文句をつける筋合いはない。


スポーツクラブに行き、久しぶりにジムでストレッチもした。
鞍山西道の電気街に行って、帰りに「味千ラーメン」で海鮮ラーメン 29元を喰った。
店構えと値段の割には味は全然ダメ






  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・

自転車はあんまり得意ではないが、よく乗った。
校長になってからも神戸(東灘区)から尼崎まで自転車で出勤することもたびたびであった。
遠出もした。そのうちのひとつが「四万十あったかサイクリング」。
四万十川の源流から太平洋まで自転車で走ろうというものだ。
神戸からフェリーに自転車を積んで四国に渡り、四万十の源流まで自転車で登っていく。これはなかなか大変だった。
でも四泊五日のコース自体は基本的に下りばっかりなので楽。小学校の子供たちも悠々で参加している。
景色は特別にいいし、途中の町々が昼休みにカヌー体験やそうめん流しなどで歓迎してくれる。
夜はテント泊である。最高だった。
これには2回参加した。1回目は妻と2回目は勤務校の生徒と一緒だ。






   9月23(木 秋分の日)
      
今日もすっきりとしたいい天気だ。
昨日は真昼の仲秋祝いでワインを飲んで寝てしまった。
夕方に目が覚めて、
今度は10時になっても、11時になっても
目が覚めて寝る気にならない。

こつこつ酒を飲みながら
DVD「おとうと」を全部見てしまった。
吉永小百合と鶴瓶の競演で
ちょっと話題になった作品である。
結構、面白かった。
でも結局 午前4時ごろの就寝となり
今朝は朝から頭がぼんやりとしている。

というわけで、今日もスポーツクラブは休み。

休みと言えば老年人大学からも電話があって
9月25日と10月2日は休みとの連絡があった
和平区図書館の「日本語コーナー」も
9月26日と10月3日は休みである。

天津の駐華日本領事館から
「在外選挙人証」というのが送られてきた。
7月に天津で領事出張サービスがあった時
申請をしておいたものだ。
日本の政治にも少々は責任を持たねば・・・ということで。

今日はお先祖さまをしのぶ日だったな。





  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・

高校のころ、女学校の文化祭に紛れ込んで、科学部の展示でカエルの解剖があった。
私はそのカエルの足をもらってアルコールランプであぶって食べて見せた。
女子高でだよ。よくそんな馬鹿なことができたものだと思う。
目立ちたかったということももちろんあるだろうけれども
「伊豆の踊子」「青い山脈」「太陽の季節」などなどを地でいきたかったのだろう。
そんな年代だった。






   9月22(水 仲秋節)
      
ここ数日、雨模様の日が続いていたので
今年も仲秋の名月は無理かなと思っていたら、
あに図らんや、神々しい月がくっきりと出た。

これは午後7時 我が庵の窓からの月である。

月見れば 千々にものこそ かなしけれ
   わが身ひとつの 空きにはあらねど

こころにも あらで憂き世に ながらへば
   恋しかるべき 夜半の月かな

嘆けとて 月やはものを 思わする
   かこち顔なる わが涙かな



中国では祝日ともなっている仲秋節である。
夜はあるいは家族と、あるいは恋人と、それぞれの付き合いがある。
ということで、今日はお昼に何人か我が家に集まって
ワインを飲んで月なしのお祝いをした。





  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・

幼いころ、多分小学校1年生のころだろう、
5〜6人が一組になって拍子木をカチカチ鳴らしながら
「マッチ一本火事のモト、火のヨージン」と触れて廻った。
こんな経験をした最後の年代だろう。
冬の夜で私だけが立派のオーバーを着せてもらって、
それがみんなの手前恥ずかしかったのを覚えている。






   9月21(火)
      
このところずっと雨模様である。
出勤がなくなると雨の日の外出はおっくうになってくる。

小雨の合間にちょっと散歩がてら外に出てみる
夕方の小学校の前はいつも黒山の人だかりである。
子供の迎えのおじいちゃん、おばあちゃんなんだが
このごろは人だけではない。
道路いっぱいに迎えの自家用車が二列、三列で駐車をする
普通だったら三車線の車道が
その時間帯は一車線になってしまうのだから
渋滞はかなりのものだ。
迎えとは関係のない車は遠慮会釈なく、
警笛をならすし、やかましいことこの上もない。
現代であれば孟母もきっと学校の傍に転居しようなんて考えなかっただろう。



ちょっと珍しい光景であるが、
このごろ時々見かけるのが
何かの抗議デモ
(デモというよりはただの人だかりだが)である。
横断幕になにか要求とか告発とかかいて
何十人かの人が集まって、立ち話をしている。

立ち退きを強制されている家でもあった。
検察局の門前でもあった。
水道局の門でもあった

これは何か「暖気(地域暖房)」の
責任者が不正をやったという告発らしい。
少しも殺気だったところはなく、
むしろ井戸端会議的ななごやかさがある。


21日は宅配屋さんに日本酒2本、レトルトカレー4箱、
コーラー2ダース、UCCコーヒー1缶を運んでもらった




  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・

もし、凶器を持った暴漢からいきなり襲われたとしたら、どこを刺されると思いますか。それは左下腹である。
中学校の生徒指導担当教員をやっていた時のことである。ヤクザの親を持つ娘が何かをしでかして家庭訪問をした。
父親もいたが母親がすごい剣幕で私に喰ってかかる。話しにならないので娘と外に出てちょっとの間話しをしていた。
母親が下駄を鳴らして飛んできた。「先生!逃げて!刺される!」顔色が変わっている。
娘が父親の方に走った。娘をはねとばして父親は私に向かってくる。
別に刃物は見えなかったんだが、私はてっきり刺されると思った。
無意識に左下腹を押さえた。幸い刺されはしなかったが、確かに痛みは走った。






   9月19(日)
      
今年の仲秋節は9月22日である。
「芋名月」ともいい、日本では雨、曇りのひが多く
宵待、居待、寝待、さらには一月遅れの十三夜と代替の月見が多く行われる。
そう言う意味ではないが、
今日は天津の裏千家茶道短期大学茶道同好会による「仲秋茶会」が南開大学の茶室にて行われた。




私は4時からの席だったので、
それが終わってからゆっくり歩いて
オリンピック大厦にいき、
親子丼(30元)の夕食を摂り
それから和平区図書館へ
毎週行われている
「日本語コーナー」に参加。
たのしく、2時間おしゃべりをして帰ってきた。




  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
小学校4年生の時に引っ越した家には家の外で薪でご飯を炊くヘッツイ(オクドサンとも言っていたが)があった。
炊いたご飯は木のおひつに入れ、更に冷めないように藁で作ったお櫃カバーに入れておいたものだ。
中学1年の時に引っ越した家の風呂は薪で焚く五右衛門風呂であった。
一番に入るときには底板をうまく沈めなければならぬ。これは結構コツのいる作業である。
私も風呂焚き当番をすることがあった。風呂の中から「ぬるくなった」と言われると薪をつぎたす。
二宮尊徳ならずとも、大概の中学生はこの時に本を読んだり、英単語を暗記したりするものらしかつたが
私はいつも、薪の炎で空想を燃やしていた。(注 洗い場の女性を思っていたというわけではない!)






   9月18(土)
      
午前中は昨日よりも少し強めの霧雨、というよりははっきりとした降雨にちかい。
寒い。ベットの下に梱包して放り込んでいた包みを引っ張り出して、
さし当たっての長袖シャツを引っ張り出した。
予報によれば、天津地方の最高気温は 明日19日は23℃ 20日17℃ 21日14℃ 22日20℃ ということだ。
カッターシャツだけではなく、長袖下着、ジャンパーなども出してこにゃあならんな。
もう、完全に夏は終わったということだ。

今日18日は「日中戦争勃発の日=柳条溝事件」の記念日。
中国各地では記念にサイレンを鳴らしたんだそうな。
私は耳が悪いので聞こえなかったけれども天津でも鳴ったという。
先日来の尖閣諸島での漁船と巡視船の衝突事件もあって
またまた、反日活動が激化のうごき。
中国政府も要人の訪日予定中止、重要な会談の中止など対応を激化させている。
でも、日本政府に対して激化させているのではなくて
中国人民向けに激化させてみせているという感じがしないでもない。

でも、それに踊らされて石でもぶつけるアホな奴がいたらかわいそうだから
今日は天津日本語教師会の日だったが、作務衣を着ていくのは控えた。
教師会の内容はまたいずれ教師会のホームページで紹介されます。
ご興味のおありの向きは http://tianjinriyu.jog.buttobi.net/ をコピーして
アドレス欄に貼り付けると開きますので一度ご来場くださいませ。
下は話し合いの様子ですが、了承を得ていませんので顔はぼやけています。
ほんとうはこんなにぼやけた人たちではないのです。





  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・

大学のころ、海のすぐ近くに住んでいた。
家で海水パンツに穿き替えてそのまま海まで走っていけるくらいの環境だった。
夏になってボートに乗るのも一番乗りである。営業前の番人の居ないボートを引き出して沖へ漕ぎだしていくと、
何とカチカチ山のタヌキさんの舟のように水がどんどん入ってきて沈みはしないものの完全に水没してしまった。
当時プラスチック製のボートなんてない。みんな木製である。冬の間日に干していたので木が乾燥して縮んでいるんだ。
実際に人が乗るためには何日か水につけて木をふくらませてやることが必要だったのだ。
危ないということはないけれども着衣のまま水没したボートを引っ張って帰るのは大変だった。






   9月17(金)
      
冷たい霧雨の降り続く一日であった。
ちょっと買い物に出たが、半袖では寒くて震えそう。
信号待ちの自転車のおじさんは
両手をこすりあわせて息を吹きかけていた。
ついこの間までの猛暑だよ。
タンスの中に長袖のシャツなんか一枚もない。
いきなり、そういう寒さになるんだからやっとれん。

でも、ビルの駐車場の金網には
夏の残り花なんだろうか、それとも秋のはしり花なのか、
黄色い花がいっぱいついてはなやかであつた。


二日間インターネットが途絶えて、いろんな仕事がはかどった。
パソコンのファイルがごちゃごちゃになっていたのを大分整理したし、
メール日本語塾関係の送受信、予定稿なども整理した。
やってみると送っているはずの添削結果が送信されていないのもあった。
参加者・参加予定者の整理もできた。

いままで何か仕事に追っかけられているようなせわしい気持ちがあったが
それがすっきりとして、ゆとりができ、
DVDでは「平凡な奇跡」 看了
文庫本では「陰陽師 安部晴明」を読了

夕食は鮭のあら煮でいっぱいやる。




  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・

子どものころ、ご飯粒の余ったのは集めて煮てノリにした。
そのころは着物をバラして板に貼り付けたり、
竹ヒゴの両端に針を付けたもので広げて干す「洗い張り」というのがあった。
そのノリとして使ったのである。西陣なんかでは今でもやっているんじゃあないかな。
水気を切った茶がらは掃除の時、畳の上に撒いてからほうきで掃く。ほこりよけと共に畳につやが出る。
「はたき」というのもよく使ったが、このごろは見かけなくなったな。





   9月16(木)
      
14日の午前、突然インターネットが繋がらなくなった。
インターネットテレビも iPod もつながらない。

「メール日本語塾」の必須課題の提出期限が13日までだったので
14日早朝に未提出者には「自動退会となりました」との連絡を送り、
前に申し込んでくれていたが定員オーバーのため断っていた人たちに
あきができたので、もしよろしければ・・・・とのお誘いのメールを出した。

ほっとして、ちょっと休憩している内にプツンである。
まず、コード関係を全部チェックした。異常はない(ハズ)。
iPod は Wi-Fi には繋がっている。無線は大丈夫なのだ。
ただ、サーバーが応答していない。

この時点での結論
尖閣諸島とかで何かもめ事が起こって、その報復でカットされたのだ。
だったら時間がたてば回復するだろう。ジタバタしても仕方がない。

夕食は外食にした。


帰ってきても、やっぱりダメだ。
仕方がない。もう寝ることにしよう。
ウィスキーの水割りをナイトキャップとしてそうそうに寝る。


そして、15日

やっぱり繋がっていない。
近くの携帯電話売り場に行ってみる。
Wi-Fi は沢山出るがどれもパスワードがわからないのでつながらない。
仕方がないから、 iPhone iPod を買った店まで行く。
ここでは問題なく、ちゃんと繋がっている。
この間にたまっていたメールを全部閲覧した。

店の人に聞くと、多分ADSLが切れているのだろう、ということだった。
さっそくADSLの契約書から連絡番号をみつけて電話をしたが
何十回かけても話し中。

今日は「第二回メール日本語塾」の教材発送日なのに、どうしようもない。

いま現在(15日夜)の対処方法。
@ 聯通の店を探して相談に行く。
A インターネットカード(上網カード)を買って、ADSL以外の方法で
  インターネットに入り、当座のしのぎとする。 さて、うまくいくか?

ここまで書いたけれど、明日UPできるだろうか。


16日 もちろん、インターネットは繋がっていない。
でも、寝ている内にひとつ新しい解決策を思いついた。

ひょっとしたら電話代を払っていないのでADSLを切られているのかも知れない。
電話残金を問い合わせると、マイナス178元! これだ!
バカみたい。
さっそく郵便局に電話代を払いに行く。
午後にはADSLも使えるようになるだろうとのこと。
まる二日間のことだったが私には長い二日間だった。

原因がわかったから、あとは回復を待つだけだ。
午前中からスポーツクラブに行き、散髪もした。

帰ってくるとちゃんとインターネットは使えるようになっていた。メデタシ! メデタシ!
それからメールの発送、返事、このブログと大忙しでした。  お し ま い




  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・

9月16日 天津商業大学の外国人宿舎の前にちょっとした築山があり、四阿屋も建っている。
よし、あそこですき焼きパーティーをしよう、ということになって、30m程の電気コードを買い、
私の部屋のコンセントから引っ張って電灯と電磁調理器をセットし大々的にすき焼きパーティーをやった。
なにしろそういうことには慣れていないが大好きな学生たちのことである。
飲み過ぎてもどすもの、築山の斜面で寝てしまうもの等々、大騒ぎをした。
翌日、私一人がこってりと叱られた。
でも「先生、また、やろう」と言うものが一人もいなかったところを見ると学生たちも叱られたのかも・・・・・





   9月13(月)
       14日の朝にUPする筈が、もたもたしている内にインターネットに繋がらなくなってUPしそこねてしまったものであるる
   

動物にはその食性によって
肉食系、草食系、雑食系がある。
人間はもちろん雑食系であるが
肉食用歯と草食用歯の数を見れば
明らかに草食中心の動物である。

ところで、動物は例外なくも生まれてしばらくは
母乳で生命を維持する。
(ほ乳類のことを言っているのだから当然である。今は人工授乳なんで言うな)

しかし、一定の哺乳期間をすぎたらどの動物もピタリと乳を飲むのをやめる。
いわゆる大人になっても乳を飲み続ける動物は人間を除けば一種類もない。

人間も供給側(母親)はそうそういつまでも対応しきれないので、
その代理供給を牛とか羊とかに依頼することになる。

いつまでも牛乳を飲み続ける人間っていうのは
神様の摂理から見てどんなものなんだろう。

「天皇家の食卓」 秋場龍一著 を読んで思ったことである。


猛烈に暑いと言う日はなくなったが、
毎日毎日 ジワジワと暑い日が続いている。



  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・

私は小学校の高学年まで寝小便をしていた。
正座して両手をついて母親に謝ったりした記憶もあるが、そんなことで寝小便のクセが治るはずもない。
小学校の5年の夏、「臨海学校」という学校行事があって泊まりがけで淡路島に行ったが、
私は寝小便の心配があったので体調不良かなんかの理由をつけて不参加だった。
6年生の時にはあらかたおさまっていたので参加したが、オチオチ寝られなかった。
寝返りばかり打っていると「オイ、久下 どうした? 小便したいのか」と先生がトイレに連れて行ってくれた。
きっと親が頼んでいてくれたのかも知れない。





   9月12(日)
   

今日は一体何があるんだろう。
地下鉄の各駅の安全検査も、カバンを開け、
金属探知機を潜り
おまけに警察犬も出動だ。

駅だけではない。
街路もほぼ10mおきに
「安全警邏」の腕章をつけた
おばちゃんや姉ちゃんが座り込んで雑談している。
一望で見えるだけで100名ぐらいはいるだろう。

でも、さすが悠々迫らざる中国のことだ
緊張感なんで全く感じさせない。

犬は一番正直だ。舌をだらんと出して時々あくびをしている。
日本の警察犬だったら、きっとあくびをしない訓練なんてのもやっているんだろうに。


2時半から伊勢丹でマグロの解体をやるというので見に行った

もちろん、解体即売の刺身を買うつもりで行ったんだけど、高かったので試食を3回ほどして我慢して帰った。

6時半から「日本語コーナー」に出席。
天津理工大学に留学に来ている日本人大学生が6〜7名いた。
これからもずつと来てくれるといいのに・・・・



  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・

中学・高校は男子ばかりのカトリック系ミッションスクールだった。外国人神父の教師も多かった。
新しい外国人教師が来るとワァッと集まってなんやかや交流したものだ。
そんなある時、初めてあった先生に「My name is KUGE」と言うと、まじまじと私を見つめて「ああ、おまえがクゲか」と言われた。
新任の教師が本人と会う前に私の名前を覚えさせられているほどに職員間で悪名の高い私だったようである。





   9月11(土)
   
私は2001年8月末に中国に赴任、数日を北京・北戴河での接待を受け
天津商学院に着任したのは9月初めだった。
そして、今日11日は歓迎の昼食会。
食事中ずっとアメリカ同時多発テロのニュースが流れていたのを覚えている。

9年後の今日は、天津老年人大学の第二回太極拳の日だ。
今日の練習は「起勢」と「左右野馬分?」「白鶴亮翅」
ゆっくりと何度も何度もやっているうちに、自分の上手くできていないところがはっきりしてきて
この前のように退屈するということはなかった。



練習中はみんな一緒にやるので写真は撮れない。休憩中の写真である。



  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・

10年前に中国に来た時は、まだ野菜は「野の菜」だった。
トマトはところどころヒビ割れがあったりして、
冬の陽に焼けた子供のホッペみたいで、強烈に太陽の匂いと味がした。
玉子もプリプリとして美味しかった。
今は「高度成長」し、日本並みの行儀のいい「工場野菜」「工場卵」になっている。





   9月10(金)
   

中国では「教師の日」である。
これも日本にはない祝日だ。 ただし、別に先生は休日というわけではない。
もっとも私はいつも休みだが・・・・

「教師の日、おめでとうございます。」というメールが何通も届く。
こういうメールに「ありがとう」と返すのも
何かちょっとそぐわない感じだし、返信に困る。

ま、やっぱり「私のこと、覚えていてくれて『ありがとう』」という返事が適当か。



「老師○辛苦了」というのも多い。
中国教師節の常用句なんだろうが、日本人の感覚から云えば
「先生、ご苦労様」とか「先生、お疲れ様」と云われるのも
ちょっと引っかかりを感じてしまう。

まだまだ中国文化に入り切れていないということだな。

新聞の見出しなんかによると
「心が大切で、礼物はいらない」とか
「礼ものをふっと受け取るのはやめよう」などというのが連日出ているから、
教師節というのは一方でそういう意味合いもあるのかもしれない。

花束を贈る習慣もあって、街の花屋では花束の値段が日頃の倍近くに跳ね上がっている。




  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・

1962年4月から1年間、淡路島の私立学校に勤めた。
当時、淡路島の若い男性は本州に働きに出て島には男性が少なかった。
そこへ大学出たてのピカピカの新卒である。もてないわけがない。
高等部の女の子が毎日私の弁当を作ってくれたりした。
私がイキがってチャイコフスキーの「悲愴」が好きだとキザなことを言うと中学2年生の女の子が、
赤い半透明の非常に美しいLPレコードをプレゼントしてくれたりした。
私はその一枚のLPを聴くために小さな勉強机ほどもあるステレオプレーヤーを買った。若かったなあ。





   9月 9(木 重陽の節句)
   

重陽の節句、菊の節句ともいう。
日本ではあんまりなじみではない。
旧暦で祝いたい人は今年は10月16日だ。

プールに行った。
どういうわけか、今日はおっさんばかり10人ほど。
ヘンな日だ。

帰りに天津の電気街 鞍山西道にいって
8mのADSLコードを買って無線機を
書斎(?)から居間の近くに移設する。
メールやホームページのチェックなどを
いちいち書斎に行ってパソコンを立ち上げなくても出来るようにした。

それが目的だったが、見ている内にまたまた iPod touch 32G を買ってしまった。
夕方からはその無線機の配線(ヘンな言い方だな)と iPod の設定で大忙し。

それでも夕食は張り切って海鮮焼き。うまかった。





  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・

私は三味線が弾けます。
中学のころ家が旅館だったので住み込みの仲居さんが何人もいて、その人たちに教えてもらったのです。
たった一曲「金比羅 ふね 舟 追手に帆かけてシュラシュシュシュ 廻れば四国 讃州松のこおり ジジュサン 金比羅大権現」とこれだけである。
今はもちろん もう弾けない。





   9月 8(水)
   

日本はまだ猛暑が続いているようだが
昨日、今日の天津はもう秋の感じだ。
今朝方なんかは、ちょっと寒さを感じ布団を引き寄せたほど。

○心と秋の空、って言うから
また、猛烈な暑さがやってきても、ああ、やっぱりか、という天津だけれども。

午後、家主に連れられて公安へ居住届けを出しに行く。

私としては3年前に居住届け出してているし
領事館にも日本の年金機構にもいまの住所で届け出ているので
別にどっちでもいいような気がするんだが
やはり住所が変わったんだから出しておいた方がいいんだろう。

家主のおばあさんの後について自転車でブラブラと走ったのだが、家主のばあさんが行き先を知らない。
あっちこっちで訊きながらえらい遠くまで走った。
1時間ほど走ってたどり着いた公安は2時半から始まるからそれまで待てと言う。
30分ほど間って、また窓口に行くとそれはここではない、○○へ行け、
また自転車で何度も訊きながら○○へ、
ここはにこやかに応対してくれたが、やっぱりここでは出来ない、○○へ
やっと到着したところではコピーや証明書が足りなくて受け付けてくれない。
結局、今日は自転車で走っただけ。
でも暑くもなく、ばあさんにあわせてのゆっくりゆっくりの走行なので気持ちが良かった。


夕方から、前の商業大学の学生と日本人の先生が食事会を開いてくれる。
わいわいがやがやと楽しいひとときを過ごした。


そして、記念のお土産もいただく。




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敗戦がもうそこまで迫っていた7月末か8月始めのころだった。
米軍の艦載機がまるで遊覧飛行のようにゆっくりと上空を飛んでいる。
こんな風景も珍しくはない程になっていた。その日もそうだった。
子どもの私はちょっとしたあこがれみたいな気持ちで米軍の飛行機を眺めていた。
と、突如その飛行機が急降下してきたのである。
皮の頭巾のようなものをかぶったパイロットの顔がはっきりと見えた。笑っていたようだ。
そしてダッダッダッと機銃掃射の音。道にジッバッバッと煙が上がる。DVDと同じだ。
自転車の男の人が必死にまぶしいくらいの夕陽に向かって(そうだ、夕方だったんだな)走って逃げる。
バーンとはじき飛ばされて吹っ飛んだ。    (まだまだあるけれど明日に続くのは止めます)





   9月 7(火)
   

午前中 宅配屋が米3s、日本酒2本、缶ビール1箱を運んでくる予定。
そして、飲料水1桶も午前中に配達予定。
ということで、家に居なければいけない。
午前中家にいるのはいつもと同じなんだけれども
いつもはパンツ一枚でうろうろしているのが
今日は一応上下(甚平ではあるけれども)を着用しておかねばならぬ。
そこがちょっと違っている。

そういうこともあって、今日も朝から、TP-LINK の設定に再挑戦。
結論から言うと、また長時間かけて元に戻して
買ってきたTP-LINK は箱にもどして机の下にしまい込んでしまったのだが。

夕方からは せっかくの缶ビールも冷えたことだし、ちびりちびりやりながら
iPhone でまだ見終わっていなかった「東京大空襲」のDVDをパソコンにセットして看了。

まだ、もうちょっと飲みたかったので、「本日も晴れ。異常なし」というノーテンキなドラマを見た。

「メール日本語塾」の添削作業もちょっと忙しくなりかけてきている。





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DVDで「東京大空襲」を見て、思い出した。
このブログの8月15日の項でもちょっとふれたがもう一度。
当時 私は5歳、「東京大空襲」の友子ちゃんと同じ年頃だった。
DVDの映像と私の記憶はほとんどぴったり重複する。
防空壕の中で私のすぐ隣にいた女の人がモンペに火の粉が舞い込んで生きたまま燃えていくのを見た。
神戸一中(現神戸高校)の防空壕で警戒警報解除を聞いたとき父親とははぐれていた。
一中のグランドに次々と死体が運び込まれて積み上げられていく。一つ運び込まれてくるごとに走っていって
顔をのぞき込み「とうちゃんじゃあなかった」と母親に報告するのが私のその日の役目だった。
強制疎開で引っ越した家は跡形もなく無くなっており、国民学校に行ったが知った人がいるわけもなく、
食料の配給の列にも入れてもらえなかった。
それからしばらくは高架下に焼けたブリキ板を敷いて寝ていた。(明日に続く)





   9月 6(月)
   
やっぱり iPhone の調子はよくない。
カメラの方は一応まずまずの速度で
作動するようになったのだが
Wi-Fi 接続がもひとつだ。
いままで出来ていたものが
制限されると何かほんとに喪失感が大。

というわけで、TP-LINK というのを買ってきて、それで延長して
無銭寛帯路由器を家の中央部に移し、どこららでも Wi-Fi に接続できるようにしようというわけである。
半日かがりでいろいろやってみたんだけれども結局は失敗。
また、長時間かかってもとの配線にもどした。

今日の昼はばら寿司をつくった。それと、卵焼き、韓国わかめのおしたし(ポン酢和えと青しそオイル和え)




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幼い時から水は怖くなかった。
小学校に入る前には、世界の港 神戸港の突堤から飛び込んでバタバタやっていた。
決して泳ぐことが上手だったわけではない。
小学校の時、裏山のダムで上級生が「ここまで来い」と湯たんぽを浮かせて見せた。
必死の思いでやっと湯たんぽにたどり着き、しがみつくとあっけなくブクブクと沈んでしまった。
半分しかないのをあたかも全部あってひとりで浮かんでいるように見せかけていたのだ。
あの時は本当におぼれた。気がついたら川原に引き上げられて寝かされていた。





   9月 5(日)
   
iPhone の調子がおかしい。
なくなった(盗まれた) iPod touch では通じていた Wi-Fi が通じないし
カメラを作動させても1分ぐらいかからないと作動しない。
これではとてもシャッターチャンスなんてものではない。
買ったところに修理に持って行った。
そこでも原因がわからなくて、どこかに持って行き3時間ほど待たされて治って(?)きた。
カメラはすぐに作動するようになっているが、Wi-Fi の方は相変わらずである。
iPod touch ではメールが届いているかどうかなど 
いちいちパソコンの所まで行かなくてもチェック出来たので重宝していたのだが・・・・
今日あたり 無銭寛帯路由器というのを増設してみようと思っている。
それでも iPod だったら無料だったのが iPhone だと有料となる。やっぱり納得できないねぇ

「メール日本語塾」 自由課題、必須課題の提出が届くようになってきた。



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中学のころ、毎日 貸本屋で本を借りて1日に1冊は読んでいた。1年では500冊は越したであろう。
後藤又兵衛、猿飛佐助、荒木又右衛門などの豪傑ものである。
すっかりその気になってドテラにハカマ穿き(どういうわけか袴を持っていた)で意気揚々と貸本屋に通っていた。
木刀でもあれば腰にぶち込んで・・・というくらいの意気込みであった。
今 思えばおかしい。町の人たちはもっとおかしかったであろう。





   9月 4日(土)
   

今日から私も
新学期がはじまった。
といっても先生として授業をするわけではない。
天津市老年人大学の学生として、
太極拳の講座が今日から始まったのである。
スポーツなので体の動きで
大体はついていけるのだが、
説明が長くなると、
つい退屈してしまう。


それが終わって、5時からは
天津日本語教師会の幹事会。
2時間ほど話し合ってから、食事をして帰る。

今日は奮発して刺身2種、
松茸の天ぷら、茶碗蒸し付きの定食 80元


9月に入ってから、天津の街はやけに明るくなった。
10階の私とこでも、夜中明るすぎて困っているんだから、1階の人たちはたまらんだろう。
これもお上がやることなんだろう、誰も文句を言わない。
なんでもかんでも、なんとか権だと騒ぎ立てる日本よりいいのかもしれない。





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敗戦しばらくのころである。食べ物は本当に少なかった。
食事は毎回、配給の米に草の蔓などを沢山入れた雑炊だった。
「一度、白いごはんが食べたいね」「そうだねぇ」ということになって、
それから一週間ほど米は一粒も食べず、草の蔓で生活。
そして一週間目、真っ白なごはんに家族中で歓声をあげたのを覚えている。





   9月 3日(金)
   

朝、「げ げ げ の女房」に続いて
アサイチでアンジェラ・アキのトークを視聴。
「手紙 十五の君へ」を歌った歌手である。
授業でも使ったことがあるので
ま、お付き合いで見たのだが
結構 面白い人である。

その後、また、ちょっと寝てから
今日は「温泉賓館」というところへ風呂に入りに行った。
この間、昼食をご馳走になった人に教えてもらった所である。


入館料50元、冷水風呂が2つ(きっちり温度差はあった)、温水風呂と熱水風呂が各1つ、そしてサウナである。
でも、50元はちょっと高いかな? それと あかすり30元、塩按摩30元、計110元なり。
まあまあ、シャワーでは十分でないところを思いっきりきれいにあらってもらったし、
サウナも三度、冷水を湯船の縁に置きながらゆっくりと体を沈めて、気持ちよかったし、「よし!」とするか!


そのあと、図書大厦に行って本を三冊購入、時代奥城というところまで行き、Eマートで少々買い物をして


ラーメンを食って帰った。



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子どもたちがまだ小学校に入る前のことである。
ある日曜日、共稼ぎで教師をしていた家内が学校行事で出勤だったため、
私一人で二人の子どもを連れて王子動物園に行った。
あっちこっち走り回ったり、動物の写生をしたり、子どもたちは大喜びであった。
家に帰って母親に報告の時、「たくさん絵も描いたよ、ねぇ、とうちゃん」ち言われて、
「そう、きれいな模様が描けたよね」と行って「模様じゃないもん」って泣かれてしまった。  大失敗。





   9月 2日(木)
   
久しぶりに、といっても数日ぶりだがスポーツクラブに行った。
ちょっと涼しくなったことでもあるし、これはほんとに久しぶりにジムでストレッチもした。
つい2〜3日前まで子どもの声がひびき、大賑わいだったプールも今は閑散としている。

今はもう秋、誰もいない海・・・・って歌があったな。



知らんふりして人が行き過ぎても、わたしは悲しまないでおこう!



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阪神大震災の思い出は多い。
でも、一番心に残っていることを一つあげよ、と言われればやはりあの四つのオニギリだろう。
私の学校の体育館が避難所になって一週間足らずのころだったと思う。
当時体育館では200人以上の人が寝泊まりをしていた。
そんなある日の夜、多分私の学校の生徒であろう、13〜4の女の子が皿に四つのオニギリを乗せて学校にやってきた。
「これを避難所のひとたちに」と言う。避難所には200人近くの人たちがいることを彼女も知っていただろう。
いや、誰もが知っていた。だから誰も四つや五つのオニギリが家で余ってもそれを差し入れようとは思いもしなかったのだ。
彼女はそうではなかった。夕飯が余ったのかな。それを見て避難所の人たちに持って行ってあげようと思ったのだ。
自分に出来るちっちゃなこと、いや、自分なんかにはもともとちっちゃなことしか出来ないんだ。
いや違うかな。ちっちゃなことだからしないのだ。
そんな自分をホントに反省させられた。私の中の価値観がひとつ大きく変わった。
あのオニギリは結局体育館には届けられず、事務室で宿直していた誰かが食べたと思う。
彼女ももう完全に忘れているだろう。もし、思い出したとしても「なんてバカなことを」と思っているかも知れない。でも、
あのオニギリは校長先生の考え方をかなり大きく変えたんだよ。




   9月 1日(水)
   
さあ、新学期の始まりです。
昨日は中国の夏休み明けはまちまちだ、と書きましたが
それてもやはり9月は中国の新学年(新学期じゃあなくて)の始まりです。
そして、細々ながらわが「メール日本語塾」もきょうから始まります。
朝起きてすぐに最初の教材・課題を送信しました。
人数は予定の25人を一人オーバーして26人
空席待ちの人が数人います。
多分、必須課題の提出を「あっ、しまった」という人が何人かはいると思うので
9月中旬には参加してもらうことができるのではないかと思っています。

天津の日本語教師の皆さんもだいたいお戻りになって、授業に入られています。
今日はその内のお一人と日本料理「清太郎(小白楼店)」でお酒を飲みました。
一方、任地に帰任したとたん日本のご家族が病気ということで急遽再帰国というかたからお電話をいただいたりもしました。
ま、この年になると、そういうこともあるわな。
それから「異文化はおもしろい」選書メチエ編集部、「天武と持統」李寧熙 読了
そして、お土産にもらったラーメンです。
   


今日から、ぼやっとしている時などに ふと思い出す過去の一シーンを書いてみようと思う。
全く今日の日とも、前後の脈絡もない話である。
   

  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・

昔、と言ってもそれほどではない。私が子どものころ、キューリはまずヘタを切って、
そのヘタと身をくるくるとこすり合わせて白いアクを出してから調理に使ったものだった。
それほどアクがあったということである。
今もそういうことをしている人はいるんだろうか。
中国のグニャっと曲がったキューリでもそんなアク抜きはしなくてもエグくはなくなっている。
あのアクはどこにいってしまったんだろうかねぇ。





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