7月31日(土)

        

7月最後の日となった。
今日は「雨」という予報で待ちかねていたのに
朝 起きてみると薄く雲はあるもののカンカン照りの天気
午前9時で外気温36.9度である。


さて、韓国ビザ旅行も第六日目である。
ま、7月も終わることだし、このシリーズも今回で終わりたい。
旅行記だから仕方がないとは言うものの 写真を沢山入れたものだから
重くってしかたがない。
早くこれを「過去ブログ」に入れてあたらしくスイスイといきたいものだ。

  第六日目(7月23日 金) 


6時50分
今夕は船中泊となるので
すべての荷物をバスに積み込んでから
いつもの食堂で朝食
この食堂も気がついてみると
玄関には、このとおりマリアさんの像が。
これはいったいどういう意味なのか。
「宣教」かい?
ま、とにかくありがたくお恵みの聖餐をいただいて
今日最初の目的地「韓式汗蒸目温泉」に向かう。
乗るときには晴に近かったのだが、バス走行中はすごい雷雨
稲妻が走り、外は真っ暗・・・・
それがサウナに着いたときにはすっかり雨は上がっていた。

おとといもほぼ一日雨模様だったが
私たちがバスを降りる段になると傘がいらない程度の小雨になっている。
デパートや地下に入っているときに大雨、出ると小雨
結局 一度も傘は使わなかった。

サウナは日本のスパーランドのようなもの
決して韓式といえるものではないが
塩サウナもあり、湯船の数も多く、清潔で満足できるものだった。
中国人男性はまつたくの「カラスの行水、またたくまに全浴槽をまわって出て行ってしまった。
私はゆくり、ゆっくり湯めぐりをたのしんだ。


風呂の写真がなくて申し訳ありません。

その後は仁川に直行。
仁川に着いてからも最後の土産物店。
ここで私も「伝統韓国酒」「いかキムチ」「たこキムチ」
「わさび味海苔」「キムチ味海苔」「乾燥わかめ」を購入した。


それから仁川の「中華街」。すごい坂の上にある。

ここでは孔子の像とともに仏教寺院にも巡り会えた。

また、高い見晴台のうえにはマッカーサーの像もあった。



仁川もソウルもすごい「坂の街」である。
後背地にみどりの山を背負い、それがいっそう街路樹のみどりを引き立てて美しくしているのだが
その山に続く坂ではなく、平地の街そのものが大きく波打っているように起伏している。


バスは仁川港に直行
バスごとフェリーに乗り込み「海鴎体験」と「豪華渡船による海上遊覧」


たしかに出港はしたけれども、「遊覧」というようなものは何もなく
鴎と遊んだだけですぐに下船。

3時 仁川港 着
5時 乗船。2時間座って待っていたのだが、
ここではiPod のインターネットが繋がっていたので
最後のメールをしたりして時間をつぶしていた。

6時 夕食
7時 出航
9時ごろ就寝





  第七日目(7月24日 土) 

6時 起床
一日中 船内でビールを飲みながらぶらぶら
夕食にはこの旅行最初の食事だった「ギョーザ」だった。
やっぱり これが一番うまかったかな。

あ、そうそう船内の食堂に
行きには見かけなかった「一人一つだけ」という掲示がでていた。

7時天津港着
下船には2時間待たされて9時ごろ。
でも、通関は問題なく入境。
これで今回の旅行の主目的達成である。
7月24日 入境 以後180日間 1月19日までの
中国滞在が可となつた。

帰りのバスも時間がかかり、和平区体育館に着いたのが11時過ぎ
自宅には11時半 無事帰着した。


    
以上 旅のおしまい。









     7月30日(金)

        

とにかく暑い。
最近の最高気温を見てみると
室内 35.8度
外温 42.4度 とあった。
いつもは午後にプールに行っているが、
昨日も一昨日も午後になるとプールに行く元気もなくなってしまうので
今日は頑張って午前中にプールに行ってきた。

さて、韓国ビザ旅行も五日目になった。

  第五日目(7月22日 木) 


今日は一日ついていないというか、
全く余分の一日である。
朝の集合時間を
1時間早く間違えたために
仕方なくホテル周辺の街を散策。
街の風景は中国よりも日本に近いといえるが
看板も道路標識もすべてハングル
いったい何屋さんなのが検討もつかない。

その中で目立つのがキリスト教会である。
この14〜5分の散策の中でも4軒もあった。
(教会は「軒」と数えるのだろうか?)



高速を走っていても一望の中に4〜5軒も鉛筆鉛筆をとんがらせた先に
十字架を十字架をつけたような教会が目にはいる。
中には教会と言うより「ナテドラル」と言った方がいいような立派なのもある。
おそらく、欧米の街より数としては多いのではないだろうか。
ガイドに聞くと、「私もキリスト教徒です」と言って分厚い旧新約聖書を出して見せた。
帰路の船の中でも看海景画廊のソファーで熱心に聖書を読んでいる若者を見た。
聖書の前半部だったから旧約聖書を読んでいたんだろう。



それにしても「古都ソウル」と言えるとしたら
不思議なほどに
仏教寺院や儒教の閣は目につかない

地図の裏の観光案内には
このような写真もあるのだから
仏教寺院がないわけではなかろうか゜・・・・


ところで、今日が余分な一日というのは、一日中買い物ツアーの日程だったからである。
@ 高麗人参  A化粧品店  B 電器店  C 冬虫夏草  D 紫水晶  Eカジノ付きデパート
とまわった。






それにしても中国人の買い物熱は尋常ではない。
化粧品店では一人で小型の旅行用スーツケース2つが満杯になるほど買い込んでいたし、
電気炊飯器を2つ3つと買っている人もいる。
貴金属類の買い物も多かったようだ。

説明会の時の案内書にはクレジットカードか現金では2万元ほど持参とあったが
いったいどうしてそんなにいるんだ?と思ったが、なるほどこういうことだったんだ。
ちなみに、私は4千元持って行って3千元は持って帰った。




    
あ〜あ、疲れた。









     7月29日(木)

        

韓国旅行の第四日目である。


  第四日目(7月21日 水) 

7時半 昨日と同じところで朝食。
内容もほぼ同じ。

今日は雨が降るという予報で
多くの人が傘を取りにホテルの部屋に戻る。


8時30分 出発。
1時間ほど走って南北の国境線へ。
どういうわけがバスの中でパスポートが集められる。
南から北へ逃亡を予防しているのだろうか。



「平和の鐘」
ま、とにかくでかい鐘だ。

あ、そうか
どの土産物屋でも売っていた ミニチュアの鐘はこれだったんだな。


すぐ隣に国境の河を渡る橋。
古い橋は壊れて橋桁だけが残り、その横に白いペンキの新しい橋が出来ているが
その橋も今は閉鎖されている。
「ここまで来るのに50年」という銅板が橋の中央に置かれ、
それがかえって「もうこの橋も・・・・」という感じをかきたてている。



25日からは米韓軍が北朝鮮を対象にした大規模な軍事訓練をやるそうだ。

昨日見た戦車や戦闘機、B57、そして今日 目の前にある壊れた蒸気機関車
なに馬鹿なことをやってるんだ、って感じだね。



国境線の下には北朝鮮側から掘られたという何本もの地下トンネルがある。
今日はその内の第三トンネルというのに入った。
ヘルメットをつけて400mのかなり急な坂道を下って地下のトンネルに到着する。
まだ水の浸みだしているトンネルは国境を越えて繋がっているのだが、
38度線のところで鉄の扉が閉まっている。

地下トンネルに入っている間に地上では川が増水する程の大雨が降ったようだが
地上に出たら、もう傘がいらない程の小雨となっていた。

その小雨の中、国境の鉄条網を見下ろす展望台に。
北朝鮮の国旗がすぐ前に見える。
写真を撮っていると後ろからポンポンと肩をたたかれる。
振り返ると若いMPがカメラを取り上げ、なれた手つきで今撮した写真を削除、
にっこり笑ってカメラを返してくれた。

昼食。

またも鍋である。


午後は「景福宮」へ。
多分、昔の御所、王宮なんだろう。
当時の服装をした儀仗兵の行進などもある。





最後の二人はガイドである。
男性が韓国側のガイド。もちろん中国語はペラペラ、片言ながら日本語もしゃべる。
バスの中では休みなく、大きな声でパフォーマンスいっぱいにしゃべり続け
客の笑いや応答を引き出していた。
女性の方は天津の旅行社からの添乗員。
客とあまりかわらず、思いっきり買い物に打ち込んでいた。

デジタル展示館。



国立民族博物館
「景福宮」のすぐ隣である。 駆け足で見て回る。



そして、「青瓦台」
ここも、バスが止まることもなく、ガイドの「ワンツースリー!」の声で一瞬 確かに青い瓦の建物が見えただけ。
100mほど通り過ぎたところの公園で下車、休憩。




夕食は焼き肉
中国人男性と同じ鍋を囲んだため
ものすごくたくたんの肉を
喰う羽目になってしまった。
ホテルに帰ってから
「恒例」の酒が飲めるか心配になったほど。


帰路はかなりの渋滞に巻き込まれたが、
韓国の(ソウルの?)高速道路はバス専用レーンがあって
一般車両がノロノロ運転している時でも高速にはいるとズンズン飛ばしていける。

一般道路の車の運転も歩行者優先が徹底しており、
高速でも急な車線変更や割り込みなど全くなく気持ちがいい。


8時ごろホテル着。
風呂に入って、メールをチェック。
パソコン完備はいいんだが、すべてハングル表示なので使い方がわからない。
閲覧は MSN JAPAN などを開いてそこから移っていけば日本語表示で見られるのだが
日本語での打ち込みはどうすればよいのか結局解らずじまい。



その他、道路標示も、店の看板、メニューも、ホテルの注意書きも
全部ハングルのみというのが多い。

酒をのんで寝る。



    
とにかく暑い、熱中症一歩手前だ









     7月28日(水)

        

日本では熱中症で百人以上の人が死んでいるという。
そのほとんどは65歳以上で、室内での死亡が多いということだ。
あんまりそういう発表はないけれども、天津でもきっと同じようなことが
もっと大きな数字で起こっているのではないかな。
少なくとも、いま私は熱中症の前症候のようなものを感じつつ生活している。

それはさておき、韓国旅行の第三日目である。


  第三日目(7月20日 火) 

8時 ロビー集合。
すぐ隣の「清浄山海珍味」
というところで朝食
ご飯、スープ、キムチ


9時 民族村。


民家集落のような感じで、一時代前の美しい農村風景が再現された公園である。
建物の周りには実際の野菜畑が囲み
建物の中には当時の生活を模した人形も配されている。
心安らぐ雰囲気である。一日ぼんやりとこの公園内で過ごしたらさぞかし気持ちがいいことだろう。
韓国の昔の双六や刑具のようなものもあり、みんな大騒ぎして遊んでいた。












10時30分 ここを出て1時間ほど走ってから昼食。
こんどはバイキングである。



12時半 キムチ造りの実習
写真を使って、キムチの概論を勉強した後、
教室に入りエプロンをつけてキムチ作り開始。
といっても白菜にキムチの素を塗りつけるだけ、ものの5分もかからない。
最後にビニール袋に収納したのでてっきり貰って帰れるのすと思ったら回収されてしまった。
(こっそりと3袋程カバンに入れているご婦人もいた。)




同じ場所で韓国の伝統衣装を着て、
自由に写真を写す体験。
私も着てみようと思ったが
男性用は数がすくなく、
他の人が脱ぐのを待って
と言うことだったのであきらめた。


13時30分 戦争博物館。
B57など軍用飛行機や戦車の屋外展示。
ひたすら暑かった。おそらく40度は軽く超していたんじゃあないかな。
屋内展示もあったようだが入らず。



3時半から2時間ほど、市内の高級デパートで自由に買い物。
私は何も買いたいものもないので5階の喫茶コーナーで
抹茶アイスとコーヒーで1時間半ほど座っていた。







夕食は鍋料理と石鍋ごはん。
韓国の代表的な料理のひとつで
結構美味しかったんだけれど
とにかく、たまらなく暑かった。



ホテルに帰って、すぐ外出。
近くのスーパーで缶ビール、韓国清酒、韓国焼酎、キムチなどを買い込み
部屋でインスタント焼きそばで飲む。




    
なんか、いまごろになってこういうの書くのも疲れるな。

今日は天津で劇団を作ろうという会があって、その第一回会合に行ってきた。









     7月27日(火)

        

きのうの続き。いよいよ韓国に上陸である。

  第二日目(7月19日 月) 

中国時間の5時半、室内の電気がついたので目覚める。
もう、韓国時間になっているので6時半ということである。


7時 朝食。 ご飯、スープ、ゆで卵、ハム一切れ、キムチ
まずまず、美味しくいただく。
玉子を3つも取ってきた人がいたよ。

ちょっとDVDを見た後、
部屋に戻ってごろりとしていると、そのまま寝てしまった。

10時30分ごろ、ガイドに起こされて
入国カード、検疫カードを記入。


12時 昼食。
ごはん、スープ、キムチ
だんだん質素になってきよるかな。


食事中に窓から韓国の島が見えてくる。

食後、デッキに出ると沢山の海鴎の群れ。


煎餅などを砕いて投げてやるとうまく空中でキャッチする。
キャッチミスをしても、追っかけていって海面に届くまでにちゃんとフォローして食べている。
うまいものだ。
餌をつまんで手を出していると、その手から直接食べていく。
自然の自生なんだろうけれど、なんかよく訓練されているような感じ。

2時 接岸 3時半 下船
入国手続きはきわめて簡単であった。

すぐにバスで「月尾島公園」へ。 
案内書には「不夜城之説の月尾島」とあったが、別に何と言うこともない。
夜じゃあないからかな。
寿司屋や刺身の看板、大きな蛸の足を並べている屋台やどが目につく。
このあと、麦帥公園、仁川上陸記念館が予定に入っていたが、それは飛ばしてソウルへ。


仁寺洞商店街で約1時間
自由行動。
ここでiPodを試してみると
インターネットに繋がったので
メール発信のテスト
結果はどうなのかわからない。
でも、最初の自由時間の半分は
店の前のベンチに座ってiPodをいじっていた。


夕食は
「人参鶏湯」。
韓国の有名料理のようだ。
大きな鶏のかたまりが入っているので
食べるのはちょっとやっかいだが
比較的あっさりしていてうまい。
鍋の横にある小さなコップ、
食前酒かと思って飲んでしまったが、
他のテーブルで服務員が食べ方の説明をしているのを見ると
まず最初にこれを鍋の中にいれていた。
調味料を飲んでしまったわけだ。

食後、ガイドにホテルの一人部屋を頼む。
天津での説明では4泊で1040元ということだったが、1400元になっている。
ちょっと高いかなと思ったが、やはり頼むことにする。

初めの案内ではタオルもスリッパもないので持参するように、と書かれていたが
エレピ、パソコン、クーラー、温冷水器、冷蔵庫、バスタブ、
個室のシャワーからバスガウンまでそろった立派な部屋だった。
一人部屋にしてもらったので、風呂に入ってから素っ裸でパソコンをやったり、
酒を飲んだり、大満足の1400元だった。


    
今日は日本酒、缶チューハイ、コーラー、カレーなどの宅配を頼んだ。
カレーはレトルト10個のつもりが、間違ってルー10箱を頼んでしまい往生している。
夕方には街に出て「無印名品」で片手鍋、クッキングペーパー、ノート類
伊勢丹で唐揚げとか焼いた秋刀魚とか買ってきた。

突然、ウィルス対策ソフトの有効期限があと4日とか言われて
更新しようとしたら、日本発行のクレジットカードかコンビニ払い、
あとはEdyとかいう聞いたこともないようなものでないと支払いが出来ないときいて
困ってしまった。









     7月26日(月)

        

24日の夜遅く(11時過ぎ) 韓国7日間の旅から無事帰ってきた。
韓国旅行といっても私の場合、
ビザ更新のためとにかくいったん出国して再入国することが主たる目的なので
別に「韓国」の何かを見たいというわけではなかった。
ま、そうはいうものの「韓国豪華客船7天遊覧」の旅がどんなものであったかご紹介しよう。

  第一日目(7月18日 日) 

朝 6時45分 タクシーで自宅発
7時には集合場所の和平区体育館に到着
日曜日のせいなんだろうか
体育館前の広場では10以上のグループが
それぞれの太極拳やマスゲームのようなものを
動きをそろえてやっていた。
もちろん、ひとりで勝手にやっている人もいる。
すぐに迎えの小型バスを見つけ乗り込む。

7時23分 予定よりも10分も早く全員(といっても10名だけだか)が集合
国内の団体旅行では2〜30分遅れるのが普通だから、
やはり「外国旅行」ということで緊張もあるんだろうか。

きっちり1時間走って8時23分 天津港着。
ここで私たち10人のグループと
多分 北京からのグループ30人が合体
これからは40人の団体で行動することになる。

その他にも数百人の乗船客が
それぞれガイドにつれられて動いていく。


10時30分 乗船。
船は「仁川号」だと思っていたら
「天仁号」だった。
なかなか立派な船である。
と言っても、乗り込むまで
船の全容を見ることは出来ず
船中で貰った絵はがきで知ったのだが・・・

船室はもちろん3等大部屋
大雑把な区画のある6つの大部屋で
1区画10人が詰め込まれている。
ぎゅうぎゅうといえばぎゅうぎゅうなんだけれど
人見知りなどすることのない中国人
すぐに大声の会話が弾み、和気藹々の雰囲気となる。

各区画はそれぞれ丸見えではあるが、
それでも一応 男部屋、女部屋の区別はある。
が、それもたちまち親子、夫婦、恋人同士
お互い譲り合ってすべて男女混合の区画となる。


12時30分
まだ船は動いていないが、昼食。
ギョーザとスープ、キムチである。
ギョーザは量もあり仲々おいしい。

量もありと言ったが
それは私にとってということであり
中国人の客は多い人では三皿もおかわりして食べていた。
おかわり自由である。

食後、船内を散策




カラオケ、バー、カフェコーナー、ロビー、看海景画廊等々 一応の設備は整っている。
風呂は浴槽なしのシャワーだけだが、海を眺めながらというなかなかのもの。
「豪華」というにはちょっと「?」もつくが、それでも
天津←→神戸の「燕京号」と比べれば2段階ぐらい上をゆく客船だ。

そのあと、4時半ごろまで昼寝。
中国人の大きな話し声の中ではあるが、ぐっすりとよく寝た。

目覚めて、看海景画廊のソファーで持参の日本酒をチビチビやりながら
iPod で中国語の「長恨歌」などを聴く。


6時 夕食
一応 肉らしきものがついているが
昼食と比べるとあまり美味しくはない。
持参の日本酒を飲みながらいただく。

食後はまた iPod でDVD「非婚家族」。
9時ごろ、船室に戻りすぐに寝てしまう。

翌朝 聞くとかなり揺れたと身振り手振りで話していたが
私は全く気がつかなかった。

まだ、韓国の話しには入らないが、今日はこのへんで・・・・・
    
昨日は、友人を招いて「キムチ・パーティー」。
今日は ちょっと酒が残ったような一日であったが、
午後 プールに行ってすっきりとした。







     7月17日(土)

        

14日 には、天津商業大学の担当教科の成績を提出。
これで、完全に商業大での仕事はすべておわった。
と、思ったらある人を介して別の言語学校の夏季講習の講師にとのお誘いがあった。
以前もなにかこういう感じであった。
連邦教育の仕事をやめたその日に商業大からの招聘があったのだった。
ただ、今回のは私の韓国行きの日程と重なっているし、
こんどは、ゆっくりとしたいとの希望が強く、
ありがたいことだったけれども、丁重にお断りした。

15日 旅行社から明日の午後 韓国旅行の説明会をする。場所は未定、
との電話。まったく急な話だよな。
午後、プールに行く。
 

16日 午後、韓国旅行の説明会
特に何ということもない。30分ほどで終わる。 夕方 曲阜で日本語教師をしている方がご夫婦で来宅。
しばらく、キムチ鍋等で酒を飲んでから
話しの都合でカラオケに行くことになる。


17日 
午前中は、旅行に持って行く服等の準備
昼、伊勢丹「飯屋」で
霊によって「おばんさん定食」
そのあと、天津ニッコーホテルで行われる
領事館出張サービスに行く。
年金を貰うために生きていることを証明する
在留証明書、2通。1通80元
それと今回は海外選挙人登録も行う。

帰宅後、電気を買いに行く。
中国では前もって金を払って電気をUSBのようなものに入れて貰う。
それを家のメーターに差し込むとその容量だけ電気が使えるという仕組みだ。
入れるのを忘れていると突然停電してしまう。
旅行中にそんなことになって冷蔵庫の仲のものが腐ってしまっては困るので
とにかく、680元、2000ポイントを入れておいた。

それから銀行で金を卸し、散髪もして準備完了である。

明日は早朝に出発。
今回はパソコンは持って行かないのでブログの更新は25日以降となります。






     7月14日(水)

        
突然、インターネット上の写真が出なくなってしまった。
七月の分 全部である。
私のパソコンではちゃんと出ているし、
インターネット上も6月以前の分はちゃんと出ている。

まあ、いろいろやったよ。
どうしたのが有効だったのかわからないけれど、ともかく回復した。






     7月13日(火)

        
昨日、今日と一日中家にいた。
写作・日本文化の成績を出すためである。
試験は6月末に済んでいるのに今頃になって採点を始めている。
もっとも、成績を出すために写作で行った全員の「昔話の朗読」
日本文化では一人二つずつの発表の録音を聞き返して評価をつけなければならない。
七月の上旬はボチボチながらこれにかかっていたのだ。
宿題の添削と違って、試験の採点は学生にフィードバックされないので
あ、ここのところこういうふうになおしたら、と書き込む(語りかける)こともなく、
これはいい、という表現も ただ点数となって返るだけなので、やっていておもしろくない。

それでも、とにかく午前中には全部を終了した。
明日 提出しにいけば商業大学での仕事はすべて終わる。

午後はプールに、と思って用意をし、自転車をエレベーターで1階まで降ろしたところで雨
これもあきらめて、結局ずっと在宅。






     7月10日(土)

        
久しぶりに音楽会に行った。
天津商業大学日語科の先生方が
長い間ご苦労様でした、と招待してくれたものである。
場所は、新しく出来た天津CONCERT KALL
一度入ってみたいと思っていたホールである。
   
プログラムなどくれなかったので、内容はよくわからなかったが、あるTown紙によると
  「交響楽の中の秦天津コンサート(交響楽)」ということで
  天津という街を交響楽で表現したら・・・。日本人には映画「こころの湯《洗澡》」の
  音楽担当で知られる作曲家 葉小剛氏による交響楽コンサート。
  天津文化を表現した「沽上情思」を披露。
とあった。






     7月 9日(金)

        
「篆刻教室」最終回。
短期講座とはいうものの ホントあっという間だった。

教室の時間中は、時々 先生や受講生が横に来てじっと見ていたり、話しかけたりするが
とにかく 無心になれる。
あっというのに2時間が過ぎ、あっという間に8回の講座が修了した。
この無心の「あっという間」というのは入禅にも通じる貴重な時間だった。
先生から私だけに(きっと)印を頂戴した。


そして以下が私の作品である。

隠された才能はあるんだが、眼鏡の度が合っていないこともあって、その才能が発揮されていない。
この作品を見て「立派」と思わないあたり、私の審美眼はしっかりしたものである。






     7月 7日(日 新暦 七夕)

        
「七月七日長生殿 夜半無人私語時
 在天願作比翼鳥 在地願為連理枝
 天長地久有時尽 此恨綿綿無絶期』

とにかく暑い。
なるほど、織り姫も彦星も天の川で水着姿での逢瀬なのか
わかるなあ。


我が仕事机は窓際で一際暑いので、パソコンをちょっとぐらい涼しいかも知れない所に疎開して
そこで仕事をしているのだが、やっぱり暑い。
ちょっとは気合いを入れなきゃあと、香を焚いたり、思い切り苦いエスプレッソを飲んだりしているが
それくらいでごまかせる天津の夏ではない。

日本のように豪雨にやられるか、天津のように炎熱に焼かれるか
神様もなにやら知らん、お怒りなのだろう。


9月から「メール日本語塾」というのを始めることにした。

 メール 日本語塾 について   久下 順司

  @ 2010年9月より「メール日本語塾(無料)」を開講します。
  A 毎月2回程度、メールで教材と課題をお送りし、返送
   された課題に評価・意見・感想・批評・添削等をしてお
   返しするものです。
  B 程度はだいたい大学日語科2〜3年生程度、内容は文法
   表現、語法等の他に日本文化、日本事情等も含みます。
  C 対象は高校生、大学生、会社員、国籍、在住地も問いません。
   (日本人の方、教師の方も歓迎します)
  D 参加条件はメール(Word2003)で日本語の送受信が出来
   ること。パワーポイント(2003)が受信・展開できること
  E 参加希望の方は氏名・性別・学生その他の区別・日本
   語学習歴をメールにて kugejunjichina@hotmail.com あて
   お送りください。
  F 参加情報をはじめ個人情報を他の人に公開することは
   ありません。(先生方も安心してご参加いただけます)
  G 提出された課題解答は教材等として再利用することは
   あり得ますが、氏名等が分かることはありません。
  H いったん申し込みをされても自分にはあわないと思わ
   れた場合でも退会届けは不要です。(I参照)
  I 課題発送日から14日以内に解答等の返送がなかった
   場合、退会されたものとして自動的に登録の個人情報
   はすべて消去されます。
  J もし、多忙・失念等で14日以内に提出出来なかった
   けれども退会のつもりはないという場合は再度入会の手
   続きをとってください。(以前の情報は自動的に無くなって
   いますので、期限後お送りいただいた課題は受け付けられ
   ていません)
  K 定員は特に決めていませんが、私が添削等が可能な人
   数を越えた場合には「定員に空席が出るまでお待ちくだ
   さい」と返事させていただくこともあります。ご了承く
   ださい。
  L メールでの往復ですので、こちらからの課題だけでな
   く、参加者からの質問等も受け付けます。

という内容のものである。
商業大日語科の学生や天津日本語教師会で知り合いにも紹介を、とビラを配ったら
商業大や教師会の人たちよりもはるかに多く、見知らぬ人からの参加申し込みがある。

その申し込みメールを2〜3紹介しよう。


久下順司先生:   初めまして、私は○○○(女のこです)と申します、中国四川人です。
日本語を勉強し続けるのはもう三年です。
以前は四川の日本語学校で日本語を勉強していたが、今はなかなか勉強の時間がありませんでした、会社員になりましたから。
だがそれに対して、日本語とか日本文化とかにある興味はどんどん増えていきます。
今最も興味を持っているのは日本の妖怪文化、戦国史とあの有名のアニメです(笑)。
  このメール日本語塾の情報を友たちから聞いたから、ずっと興奮しています。
是非参加したいと思います。今日はここで先生にメールをお届けして、メール日本語塾を参加させてもらえませんか。
  どうも有難うございます。
追伸:日本の手紙の形式が苦手なので、お許してください。
                                  ○○○


久下先生
こんにちは、今日偶然久下先生が「メール日本語塾を開講する」という情報を知ったとき、すごく興奮しました、
こういう塾があるなんて、以前は想像もしなかったので、こういう方法で日本語を勉強できなんて、本当にありがとうございます。
さて、自己紹介させていただきます、
私は○○と申します、女性、日系会社員、日本語を勉強するのはほぼ4年になりますが、08年に日本語能力試験一級を通りました、
やっと去年憧れた日系企業に入りましたが、自分の不足を強く感じられました、
どうか久下先生の塾を参加させていただきたい、みんなと一緒に能力をアップしてほしいです。
以上よろしくお願い致します。
取り急ぎ御礼まで。


久下先生:
突然メールに、申し訳ございません。
私は○○○(○○○○○)と申します。
私は久下先生のメール日本語塾を参加したいです。私はお女のこです、日本語は二年に習います。
今、わたしはまだ大学の二年生ですけど、専門は日本語ではなくて、壁画です。
そして、大学三年生から日本語の授業も終わります。しかし、私は日本語のこと好きです、習い続きたいです。
私の日本語はまだあまり上手ではありません、ご迷惑すみませんでした。
では、まだ                              ○○○


というような雰囲気である。
このブログを読んで、じゃあ私ももう一度日本語をという人はいないだろうと思うけど
発表したとたんに、要項のKを適用しなければならないようで心苦しく思っている。






     7月 4日(日)

        
篆刻教室は夏季集中講座なので
日曜日にも授業はある。
もっとも「老年人大学」で私をも含めて
サンデー毎日の人たちなので
日曜とか平日とかは関係ないのかも知れない。
そういえば周りの絵画や書道の教室も盛況である。

教室は今日で5回目、かなり進んできた、と言いたいところだが
私はさっぱりだ。
以前にも少しやったことがあって密かに自信はあったのだが
全然ダメだ。
まず第一に目が定かではない。
老眼鏡をかけても刀を入れる一が定まらないのだ。
刀を止めるところも確定しにくい。

このブログを見て、その内に私にもひとつ作ってくださいと言ってきた御仁がいらっしゃた。
数日前だったら得意になって、よっしゃ!まかしとき!と言ったはずであるが
今はとても、とても。

こんなに天才的な才能を持っていても視力が衰えれば発揮できないんだな。
ベートーベンは耳が聞こえなくなっても名曲を創ったと言うけれど
わしはベートーベンじゃあないし、分野は音楽じゃあないもんな。

でも、言えることは
目が悪ければ篆刻の才能は天才的と言い続けることができる。
目が悪くなることは幸せなことてどもある。



篆刻が終わってから、
今日も図書大厦に行った。
篆刻の本を一冊買ってから
展覧会を見て、
返りに「君悦ホテル」の食堂で寿司定食。
寿司、うどん、茶碗蒸しがさついて25元。
これは安い。



家に帰って一休みしてから、プールに行った。
驚いたことにプールがいまだかつてない盛況である。
いつもは多くて10人ぐらい、時には私一人というときもあるのに
今日は子どもたちを含め100近いひとでにぎわっている。
子どもたちの歓声がこだましてストレッチ気分からバカンス気分へモードチェンジである。

スタジオを覗いてみると、若い女の子たちがテコンドーに黄色い声を張り上げていた。






     7月 2日(金)

        
七月だ。暑い。
昨日は珍しく一日中 雨だった。

午前「篆刻教室」
そのあと、図書大厦に行って、本とDVDを買って、
天津日本人会で「在外選挙人名簿登録」と「在留証明書」の申し込みをする。
18日に領事館が天津に出張するのでその時に「在留証明」を取ってしまおうというわけだ。
選挙人名簿の方はホンのついで。
多分、登録されても投票に北京まで行くということはしないだろう。

伊勢丹で夕食の材料を買って4時ごろ帰宅。
  ビールを飲んで昼寝。

iPod Touch がかなり動くようになってきた。
ただ、外ではインターネットに繋がらないところも多いのが問題だが
一応、出先でメールの送受信もできるようになったし、
地図機能もなかなか面白い。
目的地を入れてやると
地図プラス文章で、そひこから地図の経路に従って何分、何q歩いて
地下鉄○○駅から何駅まで、下車して○○バス停から何番のバスに乗って・・・・
と詳しく教えてくれる。
天津で売っている地図よりも余程くわしい。

各地の天気も出るし、為替レートも出る。

それに、歌や文章、DVDもふんだんに入るので便利、重宝である。







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