1月31日(日)
   

無事天津に帰ってきました。
  実はまだ船の中なんだけどね。
  先ほど対馬海峡を通過したところだ。
  船は全くといっていいほど揺れない。

神戸滞在中の後半は、風呂と酒と朝寝坊
   (小原庄助さんみたい、とっくに身上は無くなっているけど)
それにインターネットの速度の遅さで、
パソコンから遠ざかっていた。
29日からは船(燕京号)の中でインターネットはできないが
時間は思いっきりたっぷりあるので
パソコンに向かってこれを書いている。
でも 送信は31日夕方になるであろう。


26日
午前中 自由行動
(というのもヘンだけど、いつも友達と一緒にいるもので・・・)
昨日下見しておいた土産物類を買う。
かなり立派なものもあれば、100円ショップでの買い物も多い。
本屋で注文しておいた本30冊ほど受け取り、
スーパーダイエーで食材なども買い入れる。
かなりの荷物なので、いったん宿舎に戻り、
荷物を置いて風呂に入って、再度出かける。



今度は現職時代の友達
(要するに10年ほど前の中学校長さんたちである)と会う。
定例的に同期会を持っていたそうだが、
今回は私の帰国に会わせて会合してくれたということである。
10ぶりぐらいの再会であるが、みなさんあんまり変わってはいない。

まず、特に話すことはないけれど、という前置きで始まって、
話し出したらなかなか止まらなかったり、
わたしは知ってるぞ、というのをちょっとチラつかせたり、
人事関係図的な話になりやすかったりと
昔取った杵柄をまだしっかりと握っているという感じだな。

それにしてもみんな若々しい。
だいたい老化してくると上記のような話題が多くなってくるものだが
この人たちは校長先生という職掌柄こういう老成型生活習慣が
若いときから身についているので老いを感じさせないのであろう。
(そういうオマエはどうなんだ、と言うことだけど・・・)

でも、よくしゃべったな。
5時半に会って9時ごろまでしゃべっていたもんね。



27日

この日は私のこのブログを呼んでくださっているという
宇治市のTさんとお会いすることになっている。
昼食でも食べながらということだったので
三宮のビル6Fのベトナム系エスニック料理店で
粥を食べながら話し合った


Tさんも中国からの引き揚げ者で、上海などで仕事をなさったこともあり、
現在も中国からの帰国子女の方々に日本語を教えていらっしゃるという方である。
天津での授業でお使いくださいと、
お菓子で作った節分のお面と雛あられのような華やかな豆をいただいた。
腰が痛くて歩くのが大変とおっしゃりながら、かなり重たいカレンダーと
上記のおみやげをはるばる宇治から持ってきてくださった。
それも、ただブログを読んでいるというつながりだけで・・・・


今回、神戸に帰って驚いたことの一つが
私のブログを読んでくれている人が意外にたくさんいるということであった。
天津で書いているときは、誰かが読んでくれているという実感のないまま
徒然なるままに 心にうつりゆくよしなきことを書きつづっているだけだったのに
1週間も書き込みがないと家族でどうしたんだろうねと話題になったり、
ある人なんか、一度まとめて出版したら、なんて大げさなことを言ったり、
この間の写作の試験、わたしもまじめに答案をこさえてみようという人が
何人もいたり・・・・ホントびっくりした。

これからはちょっとまじめに書かかなきゃいかんな、とは思ったけれど
なかなかこの年ではそうも行きそうにないので
「まじめに」の方はどうかおあきらめください。
夏はステテコ、冬はドテラのヒンシュク日本人のブログで参ります。



28日
今日はよく食った。
ポートピアホテル30階、お昼のバイキング
11時半から2時半まで。
たしか去年来た時は11時から3時までだったと思うが
客のメタボと肥満を心配して1時間少なくしたのかも知れん。
朝は雨だったのだが30階についた頃には雨もすっかりあがって
神戸の街がくっきりとよい顔を見せていた。
ポタージュ、味噌汁、ビーフステーキ、エビフライ、カレー、ばら寿司・・・・
あれに、これに、これに、あれに、名前は省略して40種ぐらいは食ったか?!
私の友達なんかは歯が2本しかないとか言いながら、私の1.5倍ぐらいは食っていた

それから また、三宮界隈をぶらぶら、昨日買い損ねていたものをいくつか買って
5時半もう一人の友達と会い、三人で飲み屋へ。

よせばいいのに二人と別れて宿舎に帰りしな、
スーパーによって刺身やトーフ、ちくわなど買って
入浴後 演歌を聞きながら〜 手酌酒〜
このクセは玄界灘にサラリと捨ててと思っていたが
船に乗ってもまだ治っていない。
ま、お正月最後のお祝儀相場だ。2月からはちゃんとやろう。



29日
この前の時もそうだった。
6時に目覚ましは鳴っているはずだのに、気がつけば7時半
あわてて、それでも風呂には入って、朝飯抜きで宿を飛び出した。
飛び出したと言っても本5〜60冊も入った重いカバンを持ってだから
決してそんなに身軽なわけではない。

なんとか9時30分ぐらいにみなと着。
手続きを済ませてすぐ乗船。
前にも書いたが客が20数人ということだからだろうか
予定の11時より10分ほど前に出港していた。

天津から神戸に向かった時の燕京合の乗客は36名という。
それくらいの乗客数でこの大きな船を動かしていくのだから
ホント大変なことだ。
船室もガラガラなんだけれども、一つの船室に2〜3人が配されている。
今回は李さんという神戸山本通り 在住40年の中国人と同室だった。
友達になったが、その彼が船員に交渉して空いている部屋に移った。
1000円の費用(賄賂?)の半額500円は私の負担である。
でも、おかげで私も一人部屋となり、寝るにもパソコンを使うにも
自由に行動ができ便利になっている。




李さんといると便利なのはそれだけではない。
レストランで料理を「注文」できるのだ。
燕京号の食事はいわゆるバイキング方式で
カウンターに並んでいる皿を取って、レジで金を払って食うという仕組みである。
今までカウンターの皿以外の料理を食べている人を見たことがない。
そして、その料理が旨くないのである。
私は今回はレストランには行くけれども、大概はビールだけを買って
部屋でインスタント焼きそばや神戸で買ってきたつまみで
一人寂しく(気楽に)飲む酒は・・・を決め込んでいた。

しかし、それ以外の料理も出来るんだ!
今日の夕食は二人で「しゃぶしゃぶ」を注文
なかなか旨い。3000円、一人1500円である。
カウンターの皿3つと比べると内容的にも量的にもずいぶん安い。
燕京号もどうしてこんな料理をもっと出さないんだろうね?



ついでに燕京号の船内を少々ご紹介






30日
船中である。
部屋にこもっているだけなので特に記事もないし
明日は天津着なので今日の内にパソコンも梱包してしまうだろうから
神戸の写真など少々


左2枚は大阪日本橋のおもちゃ屋?さん、
右端は三宮のずらりと並ぶパチンコ店
これを「豊か」といえるのだろうか?


橋の下にはライブ厳禁の表示があっが・・・・
路上生活者もなかなかの物持ちですね。
路上で靴の修繕をしている人


ケンタッキーで見た「合格サンド」
阪急電車の中吊り広告(エチケットの呼びかけだけれど「化粧」が一番に来ているのがすごいね) 

最後に ひとつ。 
左右は同じ人ではありません(誤解なきように)



神戸の町はよく歩いたよ。
18日(出発日)4095歩 19日(船中)1610歩 20日(神戸着・明石へ)7596歩 
21日 9791歩    22日 23973歩  23日 13402歩
24日 14542歩   25日 9766歩   26日 16546歩
27日 17129歩   28日 10749歩  29日(神戸発)3184歩  である。

では また、天津から。






    1月25日(月)
   


今朝は非常に快調。
朝風呂に入って「いい湯だな」などとやって
ふと時計を見ると、なんともう9時前だ。
大急ぎ、と言いたいところだが、
ま、風呂はゆっくりと入って
朝食を省略して宿舎をでる。


三宮近くのケンタッキーに入って、朝食
実は、この「辛旨ハンバーグ」というの
天津にいる時から食べてみたかったのだ。
なんだか、人気があるように言っていたけれど
それほど美味しいとも思わなかった。
でも、たぶん天津ではまだやっていないみたいだし
まあまあ食べてみてのことだから
それはそれで満足。

そのあと、三宮から元町にかけて
ウィンドーショッピング
実際に買うのは明日である。
だいたいの目安をつけて
12時10分の約束から10分ほど遅れて
友達と会い、
キリスト教の教会に行っていた頃の
友達のおうちを訪問。
これも毎回の神戸在留中の定例コースである。
 
ここではいつも、話のご馳走もあるけれども、
胃袋に納まるご馳走もすごい。
明らかに、そのご馳走をも目当てにして行っているんだから
申し訳ないというか、なんとも言いようがない。

今日はプチプチの蒸し牡蠣、湯豆腐、鯖の照り焼き
大根と豚肉のトンポローみたいなの もちろん、ビールと日本酒、ワイン
さらに、同時進行で
お粥を2杯、コーヒー、イチゴ・・・・まだ何かあったよ

写真がよくなくて残念だが


そして、その果ては
飲み残した日本酒、さらの焼酎、スモークサーモン、漬け物、梅干しなどを
土産にいただいて帰る

いまから、それを飲むんです。
では、またあした。






    1月24日(日)の2
   


23日の朝、起きてみるとiPod が壊れている
画面は全く出ないし、充電につないでも回復しない。
星電社のiPod 売り場に持っていくと、
いろいろやってくれたが、結果はやはり
電池切れ(完全放電)であったようだ。充電をしてくれて、
リンゴのマークが現れたホントうれしかったね。

昼、実の兄貴宅訪問。十年ほど前から中国語の勉強をしており、
勉強仲間二人(ひとりは50台警察官 一人は60台退職者)と
女の先生(天津外国語大の卒業という)も交えて
学習後のコーヒータイムに私も歓談。
兄貴の子供たちも合流(そのうち一人は帆船「あこがれ」の船長)
先生や勉強仲間が帰った後も本当に楽しく、
中国の話や幼い頃の話をして過ごした。

三宮に戻って、現職時代の校長さんと
コーヒーを飲みながら旧交を温める
この人とは26日には
校長会の同期会でご一緒することになっている。

そのあと、中・高時代の友人7人(含 わたし)と
小料理屋で「熊鍋」をつつきながら飲む。
中・高時代の友達というのは、
今ではずいぶん立場が違っているが(大きな会社の社長さんだったり、
絵描きさんだったり、大工さんだったり)そんなことには全く関係なく
どんな話題(下ネタも多かった)でもオレ・オマエで話し合うことができるので
ストレスの解消には最高だろうな。
そのあと、スナックに流れ12時少し前に宿舎にもどる。
少々、飲み過ぎたかな

実は今も飲んでいるんだけれどもね。





    1月24日(日)
   


昨日はちょっと遅くまで飲みすぎたかな
朝から温泉に入ったが、それでも酒気が抜け切らない。
昨日のことは、また、今夕にでも、ということにして、
一昨日時間切れで掲載できなかった写真を昨日の項に追加しておく。






    1月23日(土)
   


やっぱり、酒を飲みながらやったんではいかんな。
昨夜もかなり頑張ったんだけど、終わりの方になって、
突然、全部消えてしまった。

で、昨日の話である。
10時 宿舎発。
今、泊まっている宿舎は値段も安いし、温泉豊富、
何の気兼ねもなく使えて大変気に入っているのだが、
ただ一つ、連泊していても毎日10時にはチェックアウしなければならないのが面倒。
もつは部屋に置いておけるのだが、身柄は外に出なければならない。

友達に電話して12時に神戸で会うことに。
でも、2時間ある。
まず、星電社(今はヤマダ電気という)に行った。
Casio の電子辞書を買う。
辞書と言っても日本文学100冊、歳時記、歴史事典、百科事典、等々
100種類ぐらい、発音もNHKのナウンサーの声が聞けるというすごいヤツである。

次はJUNKU堂で本を30冊ほど注文。
注文しても現物を見て気にいらなけれ ば返品可という。
次は亀井堂で私の顔の入った瓦煎餅を注文



そして12時友達と会う。
昼食に出石そばを食ったあと、
ぶらぶらとハーバーランドから中突堤、メリケンパークへと歩く
暖かくてき気持ちがいい。


ちょうど大型帆船「海王丸」が停泊していた。

元町に出て、南京街をブラリ、


生田神社に参り交通安全のお守りをいただき
トーキューハンズで手帳型日記帳、
またJUNKU堂に行って iPod, iPhone, Windows7 の解説書

そして夕食して、だべって、宿舎に帰った。
風呂に入って
(今回はどういうわけだろう、鼻歌ではなくて、
「いずれの御時にか女御更衣あまた侍らいける・・・」であった。
ちなみにき今日の朝風呂では「恋の新宿こぼれ花・・・」だった。
どういうことになっているのかよくわからん)
湯上がり、いっぱいやりながらパソコンに向かって失敗した、という次第。

以上






    1月21日(木 神戸着2日目)
   


今日は一日中 個人行動の日である。
三宮周辺をホントによく歩きまわった。

本屋で本を見て回り、さしあたって20冊ほど購入。
電気屋ではiPoneだとか、ハードディスクだとか
いろいろな知識を吸収。



とにかく疲れたので5時過ぎに宿舎に戻って、入浴。
(今日の鼻歌はえ〜っと、「寄する波よ、返す波よ」ってヤツだつた。  途中、原爆許すまじ とか五木の子守歌が混じったりしたが、リフレーンはなかった)

そして、途中のローソンで買ってきた肴でちょっといっぱいやって
いま、パソコンに向かっている。

  『家にあれば、けに盛る飯を草枕
          旅にしあれば ○○に盛る』 って風情だな。

部屋からインターネットにつながるのはいいのだが
とにかく、やたらと遅い。
メール1件を見るのに7〜8分はかかる感じだ。

待ち切れんので、これでおしまいにして風呂に・・・・
これから、もう一度風呂に行って





      1月20日(水 大寒 神戸着)
  


正確にはもう21日であるが、
  今日、神戸に着いた。
 
  18日は朝7時に自宅発く
しかし、タクシーがつかまらず、20分ほどしてやっとつかまえたタクシーも天津港へは行かないという
しかたがないので、軽軌鉄道の始発駅である中山門駅まで行ってもらい
市民広場駅まで鉄道で、そこからまたタクシーなのだが
客待ちタクシーのどれもが「港まて゜」と言ったら首を横に振る。
3〜4台目で腹が立ってきて「いったい、どのタクシーが行くんじゃあ!」と日本語で怒鳴ると
1台のタクシーが手を挙げてくれた。
それで、港まで。9時30分になっていた。

すぐに乗船手続き、10時 乗船 11時 出港 とスケジュール通り進行。
すごいものである。船長が替わったのかもしれない。

船中の生活は単調というか閑そのもの。

  18日は6時に夕食、8時ごろにはベッドに入って
iPodで音楽や小説を聞いていつのまにか寝てしまう。
夜中に何度かは起きたけれども、そのまま結局翌朝の8時前まで。

19日 8時前に起きてトイレ。8時 無料の朝食。
  そのあと、nintendoDSで太宰治を呼んだり、iPodで音楽を聞いたり
時々 うとうとしたりして、12時。

昼はビール2本だけを買って、持参のおかきなどつまみながら元旦からの日本の新聞を読んだり・・・・
ベッドにもぐり込んだり、5時ごろ風呂に入って 6時夕食。
夕食はからあげ定 食とビール2本。
そしてまた、ベッドへというぐあいである。

船も揺れなかったし、とにかくよく寝た。


20日 朝のアナウンスでは2時15分 神戸港着と言っていたが
明石海峡を通過したのは3時半だった。
 
5時ごろ下船、迎えに来てくれていた友達には本当に気の毒だった。

そのあと、いったん宿舎に入って手続きをしてから
もう一度、その友達と会い、明石の近くまで寿司を食べに行き、
三宮でコーヒーを飲んでから宿舎に戻る。

温泉にゆっくり浸かってから
(今日の鼻歌は「今では指輪も回るほど・・・」というのだった。理由はわからない) いま、このブログを打っている。
部屋で無銭LAN が使えるのでできることだ





      1月17日(日)
  


神戸大震災の日
もう15年たったのか。
あの時、おぎゃーと言っていた子がもう高校生になる年か。
早いもの、なんて言っておれないよな。
パキスタン、イラク、スマトラ、バリ、中国四川
そして、今度はハイチ
大きな地震が続いている
なんか、人間が地球を傷めているから、という気がしないでもない。
でも、パキスタン、イラク、スマトラ、バリ、中国四川、ハイチ と
神戸を除けばみんな地球と仲良く過ごしてきた地域じゃないか
不条理だな。

また、1月17日は

『ああ、宮さん、こうして二人がいっしょに居るのも今夜ぎりだ。・・・・
 一月の十七日、宮さん、よく覚えてお置き、
 来年の今月今夜は、貫一は何処でこの月を見るのだか!
 再来年の今月今夜・・・・、十年後の今月今夜・・・・一生を通して
 僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死んでも僕は忘れんよ!
 いいか、宮さん、一月の十七日だ。
 来年の今月今夜になったらば、僕の涙で必ず月は曇らせて見せるから、
 月が・・・・月が・・・・月・・・・曇ったらば、宮さん、貫一はどこかでお前を恨んで
 今夜のように泣いていると思ってくれ。』

原文では

 『吁、宮さん恁して二人が一處に居るのも今夜限だ。
 お前が僕の介抱をしてくれるのも今夜限、僕がお前に物を言ふのも今夜限りだよ。
 一月の一七日、宮さん、善く覺えてお置き。
 來年の今月今夜は、貫一は何處で此月を見るのだか!
 再來年の今月今夜……十年後(じふねんのち)の今月今夜……一生を通して
 僕は今月今夜を忘れん、忘れるものか、死んでも僕は忘れんよ!
 可いか、宮さん、一月の一七日だ。
 來年の今月今夜になったならば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、
 月が……月が……月が……曇ったらば、宮さん、貫一は何處かでお前を恨んで、
 今夜のやうに泣いて居ると思ってくれ。』

とかなり、読みづらくなります。。






    1月16日(土)
  



  左はおとといの新聞に出ていた写真だが
  天津の港を出たすぐのところ
  このように海が凍っているそうである。
  何十年ぶりのことで
  それも、30pほどの厚さがあるという。

  大丈夫かいな、と思って
  燕京号のホームページを見たら
  昨日、ちゃんと神戸港を出港し
  明日、天津に着く予定とあった。

  来週は神戸もまた暖かくなるとの予報だし、ま、大丈夫なんだろう。






    1月14日(木)
  


今日は銀行に行って米ドルを日本円に両替してきた。
3000ドルが274740円にしかならない。
おまけに、それを現金で受け取ろうとすると2413円の手数料をとられる。
ああ〜あ。

神戸に帰ったら友達が「熊鍋」を喰おうと誘ってくれている。
さすがに「熊」というのは喰ったことがない。
現役の頃、同僚に「熊愛護会」のような人がいたが
聞けば怒るだろうな。
あ、そういえば「熊の掌」は喰ったことがあるな。

閑話休題


昨日に続き、「写作(日語作文)」の試験問題。

問題 一 助詞「は」と「が」の使い方について注意すべきことを箇条書きにし、
     例をあげて説明しなさい。 (8点)

問題 二 終助詞「ね」「よ」「わ」の使い方について注意すべきことを箇条書きにし、
     例をあげて説明しなさい。  (8点)

問題 三 過去形、現在形(基本形)、ている形 の使い方について注意すべきことを箇条書きにし、
     例をあげて説明しなさい。  (8点)

問題 四 次の文の行間に語句の添削をし、右側記載欄に論評を書きなさい。 (10点)

     天津商業大学
       久下順司様
                         日本語系0701クラス
                         代表   ○○○
     拝啓
      時下ますますご盛栄のこととお喜び申し上げます。
     私たち日本語系は今年第四回の日本語スピーチ大会が
     今月23日開けます、そして、久下先生招かれます、レフェ
     リーにご担当になります。
     もし、先生は時間があれば、出席をお願いいたします。
     場所はFIUーA302でございます。 よろしくお願いい
     たします。

                           敬具


問題 五 「年賀状」を書きなさい。   (10点)

* 縦書き、横書き 自由です。

* 宛先は
    天津市南開区師北里 2-1006 久下順司

* 差出人
    天津市北辰区津覇公路東口 
    あなた自身(ただしペンネーム使用のこと)
 
なお、表書き部分も出題されている。


問題 六 絵を見て「掌編小説」を創作しなさい。 (10点)
     注 題もつけること
       

問題 七 絵を見て「会話文」を創作しなさい。 (10点)
     注 登場人物は
        男:山田太郎
        女:田中愛子 とすること
     * 心の声は書いてもいいが
       説明文は書いてはいけません
        

問題 八 次の文を読んで、あなたの意見を書きなさい。 (20点)
      注 文の要約や説明ではなくて、「あなたの意見」です。

     詩人の三好達治の思い出を井伏鱒二が書いている。
     一緒に講演に出かけた先々で、三好は校歌の作詞を頼まれたが、そこでは固辞した。
     理由がまじめだった。「僕が校歌を作って、このさき心中でもしたら、その学校の生徒は散々だ」
     校歌とノーベル賞が同じにはならないが、オバマ大統領は、本心は平和賞を断りたかったかも知れない。
     先の見えない「戦争」を二つも抱えながらの受賞である。このさき、何が起きるかわからない。
     栄誉というより重い十字架だろう。アフガンやイラクで毎日人が死んでいる。
     核兵器廃絶でも、実績を上げたのではなく、いわば希望の先買いだ。
     受賞のスピーチで、「戦時の大統領」は理念と現実のはざまで慎重に言葉をつないだ。
     「暴力は平和をもたらさない」というキング牧師の言葉を援用した。
     その一方で、平和のための「正しい戦争」があると説いた。
     ヒトラーとの戦いをたとえにしたが、取り扱いの難しい言葉である。
     「良い戦争も悪い平和もあったためしがない」と言ったのは、アメリカ独立の父のひとりフランクリンだった。
     だからというべきか、戦争の歴史は、戦争を正当化する歴史でもあった。
     古今東西、百の国に百の「正しい戦争」があったことを、そのスピーチに思い出す。
     三好の逸話ではないが、今後のオバマ氏いかんでは平和賞も深い傷を負う。
     それを承知でノーベル賞委員会は火中の栗を拾い、大統領も応えたのだろう。
     氏のうたう「核兵器のない世界」ははるかに遠いが、冷笑という風で灯を吹き消したくはない。

                                  (09年12月13日「朝日新聞 天声人語」より)


問題 九 次の文を 200字以内に要約しなさい。 (16点)

      外国人に対して自国語の普及を推進するということは、一歩まちがうと自国文化のおしつけになりかねないし、
     文化侵略という非難をうけかねない。戦前の外国における日本語の普及には、そのようなきらいがあった。
     現在の状況はとてもそんなことではない。積極的な普及どころか、世界の要望のまえに受け身でたたされて、
     その需要に応じきれないというのが実情である。
      世界の中の日本語人口が増加すると、日本語はいずれひとりあるきを始めるだろう。
     外国人どうしのコミュニケーションに日本語がつかわれるようになるのである。
     日本人は日本語を自分たちの所有物であり、私有財産だとおもってきた。
     日本語をじようずにあやつる外国人に対しては、なにか自分たちの聖域をおかされたような気もちをいだくひとがおおいのではないか。
     世界において日本語の使用人口が増大すると、そのような私有物感覚では対応できなくなるだろう。
     日本語は世界人類の共有財産の一部となるのである。日本人は、日本語を人類の共有にゆだねるべくさしだしたのである。
     ちょうど、柔道が世界的スポーツになったようなものである。
     柔道の起源は日本に発するが、いまや世界人類の共有するスポーツであって、日本人の独占物ではない。
      日本国民の私有物から世界人類の共有財産にうつるとともに、そこではたぶんある程度の改変作用がおこるだろう。
     柔道が国際化するとともに、体重別の制度が導入されたように、日本語も国際化とともに、なんらかのルールの変革がおこる可能性がある。
     たとえば、敬語が現状のままでおこなわれるかどうかには疑問がある。それはそれでよいのではないか。
      国際化とともに、日本人には聞きなれない奇妙な表現が外国人の日本語の中にあらわれてきてもふしぎではない。
     ときには、かなり聞きぐるしいこともでてくるであろう。わたしはそれを「おぞましい日本語」といっている。
     日本人はそのような「おぞましい日本語」をきくことにたえなければならないのである。
     わたしたちのつかう英語は、おそらくはイギリス人には「おぞましい英語」であろう。
     イギリス人は、世界でおこなわれている「おぞましい英語」にたえて、それを寛容にみとめているのである。
     言語の国際化とはそういうものであろう。
      現在、国際語とかんがえられている言語は、いずれもこういう試練をうけて発達してきたものであろう。
     英語なども国際化とともに、かなりかわってきたものらしい。
     外国人の手による改変とともに、イギリス人自身が外国人にわかりやすいものにしようと努力して、つくりかえたところがすくなくないようである。
     日本語もその過程をへるのではないか。

                                               (海神忠夫『実戦・世界言語紀行』岩波新書による)

以上です。




    1月13日(水)
  


日本ではまたまた「猛烈な寒さ」とか言っている。
これは中国の余波である。
昨日 天津は昼間でもマイナス10度ぐらい、風もひどくてまともに歩けないくらい。

その中、中国茶の教室へお茶(花茶)を買いにいって来た。



今日は、先日終わった「日語作文」の試験内容をご紹介してみようと思う。

中国は「科挙」の国だから試験の仕組みは精緻である。


まず、答案用紙への名前の記載は用紙左に氏名欄があって、
そこ以外には書いてはいけない。
そして、その箇所は綴じ代となっており、
採点者は解答者が誰であるかわからない仕組みとなっている。
前回、私は「原稿用紙の書き方」を出題して
2行目あるいは3行目の下に氏名を書くという点で
監督の中国人の先生から、
左端の氏名欄以外に名前を書いたらダメとクレームをつけられたことがある。

もっとも、今までの10年間 採点時に綴じられていたことは一度もない。
そりゃそうだろう。
試験問題を綴じるには、模範解答と試験実施後の評価、成績一覧表を
一緒に綴じなければいけないことになっている。
採点前に綴じてしまうことは無理なんだ。

次に、試験では鉛筆を使ってはならないという規則がある。
「何故だ?」と聞くと、鉛筆では後で書き直される心配があるから、と言う。
定期試験の答案は学生には返却することは勿論、見せることもないんだよ。
じゃあ、だれが書き直すんだい? それは採点者である私しかあり得ない。
要は、採点者を信頼していないのだ。
ひょっとしたら、袖の下次第で書き直す採点者がいる、ということか?

ボールペンで書いたら、書き直しができないのかというと、
決してそういうわけではない。
学生の答案自体が、思いっきり塗りつぶしや書き直しがあるのだから。

さらには、採点をすれば、一問毎に採点者がサインをし、
減点理由も赤で記入するということになっている。

前回から、私は試験問題に「鉛筆を使用せよ」と明記することにした。
今回の記載は
注 答案は必ず鉛筆を使用し、間違ったところは消しゴムで消して、清書の形で提出すること。
  ボールペン等を使用してもよいが、間違いを塗りつぶしたり、
  行外挿入等のあるものは採点対象外とする。・・・・・採点権者

である。
前回の試験の時は、これが職員会で大議論となり、結局は
出題者が外国人だから、という理由で許容されたということであった。
採点についても、今回から各問題毎のサインはやめ、
問題用紙に
  出題の性質上採点はすべて出題者一人が行う
と記載して、サインは一つで済ませることにした。

また、これは問題用紙には記載しなかったが
減点理由の記載もやめた。
文句が出たら、作文というのは芸術だから、
絵画の採点と同じ、全体評価なんだと答えようと思っている。


何だか、前置きが長くなってしまった。
具体的な出題例は、また、次回にということにする。






    1月12日(火)
  


ほんとにひどい目にあった。
おとといのことである。(「おととい」か「おとつい」か?)
中国のソフト「三国志」を見るために何か知らん中国語のソフトをインストールした。
ようやく「三国志」はちゃんと見られた。
しかし、その後インターネットにつながらなくなってしまったのだ。
初めは回線の問題とタカをくくっていたが、
いつまでも直らないので、予備のパソコンにつないでみるとちゃんと通じている。
過去の回復点に戻すとかいろんなことをやってみたがうまくいかない。
仕方がなく、またも再インストール(リカバリ)決行。
昨日はまるまる一日それにかかりっきりであった。
ま、今朝からはなんとなく、おとつい以前よりよい調子で動いてくれている。


この間、いただいた果物 土曜日に若い人たちがやってきて きれいになくなりました。






    1月 9日(土)
  


昨日、天津商業大学裏千家茶道短期大学の新年茶会に行ってきた。
まだ、商業大学は雪の中である。
なにぶん、天津は日中の最高気温も零下なので
(ちなみに、現在の我が家の窓外の温度はマイナス8.4度) いったん積もった雪はなかなか消えない。
雪だるまは下広がりの富士山形である(当然「雪だるま」ではなくて「雪人」と呼ばれている)


茶会にはかなり早く到着してしまい、まだ、前の部の人たちが待合室で待っている時間帯だった。
待合室に入るわけにもいかずしばらく廊下で待つことになったが
裏千家には先生を始め、かつての教え子や同好会の人など知り合いが多いので
廊下にまでお酒を持ってきてもらって、ちびりちびの(いや、グイッとかな)やりながら
楽しく話をしながら待った。

時間になって、待合室に入り、ここで会席料理とまたお酒をかなりたくさんいただく。
私の酒好きを知っている人が担当になっていたこともあって、次から次へと注いでくれるのである。
飾りの中には我が家からの出品もいくつかある。
会席の方は、申し訳ない、だいぶ食べてしまってから、あっ、写真!と気がついたのでだいぶ荒れている。


そして、茶室へ移動。
正座は困難なので土間の椅子席に、と思ったが
座敷に小さな腰掛けを出してくれたので皆さんと同じ座敷でいただく。







    1月 8日(金)
  


昨日はどうも・・・・

今日は天津商業大学裏千家(中国ではこれを「里千家」と書く)の
新年茶会である。
去年はこの時期ビザの切り替えで日本にいたため参加できなかったが
今年はぜひ参加したいと申し込んでいたら、
招待状(これも中国では「邀請状」という)がとどいた。

新年茶会は会席料理と酒が出る。
お茶はともかく、これは見逃す手はない。
というわけである。

私の席は午後1時から、ということなので
ついでに11時ごろに学校に行き、
前期末試験の答案と成績表を提出してくる。






    1月 7日(木)
  


何ということだ。
今、長時間かけてブログ書いた。

そして、保存しようとしたら
アクセス権がありません、って拒否された。

もう〜! いったい誰のページなんだ!

もう、や め た !



      1月 4日(月 仕事始め)
  


二日からの雪で、まだらではあるが銀世界の正月である。


31日はなじみの日本料理店が閉店するというので、お別れ会に行った。
月に1〜2回は行っていた店なので、さびしい。
店長はまた近いうちに天津で店を開くということなのでそれを楽しみに待っていよう。

1日は朝から祝い酒と寝正月の一日


2日は曲阜に行っている友人が奥さんと一緒に来宅

奥さんと一緒にというのは
要するに飲み過ぎないように監視つきで、
ということである。
危なくなりうなところで
奥さんのストップが利いて無事ご帰宅になった。

その時、たくさんの果物と天津甘栗を頂戴した。



3日
日曜日なので、「日本語コーナー」の日である。
大雪(少々おおげさ)の中を、
重装備に着替えて家を出た。
が、
雪の中で10分たっても15分たっても
タクシーがつかまらない。
帰りは8時半を過ぎるからもっとひどかろう
そう思って、
結局 おもてまで出ただけで引き返してしまった。


4日
今日は雪の中ではあるがスポーツクラブに行こうかな。



   2010年  1月 1日(金 元旦)
  


みなさん、明けましておめでとうございます。
まずは、新年のご挨拶から。



ほんとうに、公立学校の教員を退職した2000年3月には
あと、十年を人生の余録として好きなことをして過ごそうと人生計画を立てた。
帆船で太平洋横断、地球一周船の旅、中国雲南への語学留学・・・
こんなことは、あと十年という人生計画がなければ実現出来なかったことであろう。
そして、その極めつけが中国で日本語の先生になるという夢の実現である。
もう、ここまでしてもらったら40年ほどの現役勤労のボーナスは充分すぎる。

去年の8月 70歳になった。
もうボーナスは終わりかと思ったら(確かに十分使わせてもらった実感がある)
また、さらにその十年の働きに対するボーナスをいただいた。
古巣の天津商業大学 日本語学科3年生に「日本語作文」と「日本文化」の 授業でできるというボーナスである。
日本も世界も失業者がたくさん出て、ボーナスも貰えないというご時勢なのに
本当にこんなにボーナスを貰っていいのかなあ、という気持ちでの新年である。


ま、異国にいても、お正月のことだから
ちょっとだけ贅沢に料理を用意して朝からお酒をいただいて、
昼寝をし、夕方に起き出して、年賀のメールを拝見、
そして、これから朝の料理の残りと湯豆腐で またお酒をいただいて
ああぁ、幸せなことだね。

これは今朝の祝い膳の写真です。 もっといろいろ作るはずだったがちょっと手抜きわしています。





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