7月11(土)

昨日は曲阜から帰ってきた友人が飲みに来るというので、大忙し。
なにしろ、糖尿病とやらで肉類・脂ものは食べられないというので
朝から市場、スーパー、伊勢丹と走り回って、
鯖の味噌炊き、筍と椎茸と油揚げの煮付け、白菜とほうれん草のおしたし、
冷や奴、納豆のオクラ和え、きんぴらゴボウ、レタス胡瓜ニンジンじゃがいものサラダ
などを作った。
二人で白酒二本をのんで、彼は泥酔。
  亭主の私は酔いそびれてしまって、もっぱら聞き役、なだめ役に終始。
カラオケに行こうとがんばるのをなんとかなだめつ、すかしつ、家まで送っていった。

彼も来年も曲譜で日本語教師をやるということだ。めでたし、めでたし。

というわけで、今朝はゆっくり起きて、二本に持参する小型のパソコンのセットアップ
今、その小型のパソコンで、チビチビとこのこうを打ち込んでいる。
うまくいけば、神戸からもブログがUPできるということになるが・・・・・
機械はともかく、私にそれだけの余裕があるかどうかは自信がない。






7月 8日(水)

昨日は七夕であった。
七夕と言えば、天の川をはさんで牽牛と織姫が出会う日
よく覚えていないのだが、ベカとアルタイだったかな
こういう天体の行事は新暦の7月7日にやっても少々盛り上がりに欠けるよね。
空がそのようになってくれていないんだものね。
今年の旧暦7月7日は新暦8月26日、そのころにもう一度空を見上げてみよう。
もっとも、日本や北京・天津ではもう天の川そのものが
干上がってしまって見えなくなってしまっているかも・・・・・




昨日は中国茶道具の専門店に行って、茶具と茶碗を買ってきた。
表には看板一つでていない店で、中国茶芸を教える先生のお店である。
もっとも、私の目には、おお、これで酒を飲めばうまそう! と
酒器として見え、酒器として買ったのであるが・・・・


昨日に続いて作文の期末試験の答案から
啄木の短歌の鑑賞文。



   たわむれに母を背負いて
   そのあまり軽きに泣きて
   三歩あゆまず     (石川啄木)




小さい頃の私が母に背負われていたように
私も母のことを背負ってみた。
たわむれだったけれど、心のどこかが痛くなってきた。
母はもう年老いた人間。
私を育ててくれるうちに母はもう年を取った。
私は立派な人間になったけど、母の青春はもう二度と来なくなった。
そう思いながら、私は歩けなくなった。
お母さん、ごめんね。



母と海辺でゆっくり散歩していたある日、
僕は突然
「ね、お母さん、まだ覚えていますか。
 僕が小さい頃、お母さんはいつも僕を背負ってここを歩いていました。
 今日は僕に背負わせてもらえませんか。」と母に言った。
母はほほえんで肯いた。
だから僕は気をつけて母を背負った。
でも、びっくりした。
いつの間に母はこんなに軽くなってしまった。
僕は泣きたい。
か弱い母を背負い、僕は足が動かなくなって、三歩も歩まなかった。





今日は学校に給料をもらいに行く。
他に用事は何もないのに、給料をもらうだけに電車に乗って出かけるのは大儀だが
でも、7月は1日にちょっと会議に出て、派手にケンカして、2時間ほどで帰ってきただけなのに
7月分の給料をくれると言うのだから、ウダウダ文句を言う筋合いはなにもない。
喜んで行ってきます。 








7月 6日(月)

昨夜来の雨である。
時々陽がさすが、その間に短時間であるが、
かなり激しい雨もまじる。
ちょっと外出もはばかられる空模様。

昨夜は、若い日本語教師とその先生の愛弟子が来宅。
遅くまで、一緒に飲んでいた。




昨日に続いて短歌の鑑賞文。
今度は期末試験の解答からである。



   たわむれに母を背負いて
   そのあまり軽きに泣きて
   三歩あゆまず     (石川啄木)




私は十五歳からよい学校に上がるために親のそばを離れた。
今までもう八年だ。
八年前の私はただ小さい女の子で、今の私は母よりもっと高い。
汽車で10時間を経て故郷に着いた。
母は私を迎えに来た。母はもう年を取っている。
「お母さん、背負ってみてあげるよ」「私は重いだよ」
私は笑いながら母を背負った。
私の印象の中で母はもっと重いはずなのに、
どうしてそんな軽いのか。
それは私のためにいろいろな苦労を経験したせいか。
母は体が弱いがずっと一生懸命に仕事をしている。
自分の生活を切り詰めて、私にお金を寄せてくれる。
頭の中でその重いが浮かべられて涙を流すのを禁じ得ない。
かあさん、ありがとう。



いたずらに母を背負ったその瞬間、
幼い時の思い出が浮きだした。
いつのことだったか覚えてないけど、
母が自分を背負っている姿、優しい背中、
美しい笑顔が次々と目の前に思い浮かんだ。
私の母よ、
いつの間にそんなに軽くなったの? 
いつも私のことを背負ってくれてありがとう。
もう、疲れたでしょう。
今度、一度だけ泣かせて。
これから私があなたを背負って幸せにさせるようにがんばるよ。





次回もまた、同じ短歌の鑑賞文を紹介します。





7月 5日(日)

どういうわけか、ここ一週間ほどNHKプレミアムが映らない。

新型インフルエンザはパンデミックになってから随分おとなしくなった感じだけれど
日本ではいったん収まったものが、この猛暑の中また感染者が増えつつあるとのことだ。
中国では報道規制が敷かれていて、新型が話題とならなくなっているのらしい。

先日、中国初の新型死亡例が発表されたが、実は病院内での感電死だったとのこと。
もう治りかけていて、病院でシャワーをしていたら、漏電があって感電して死んだとのこと。
インフルエンザよりも病院の方がよほどこわいよね。

また、この度、北京市では故意に感染拡大をさせた場合、最高死刑、
過失での感染拡大は最高懲役7年とか。
これもまた、こわいね。

達磨は七年部屋に籠もって座っていたと言うし、イエスは四十日断食をしたと言うから
わたしもやっぱり達磨、キリストにならおうか・・・・
大丈夫、部屋の片付けはだいたい一段落したし、断食用の脂肪はしっかり腹にため込んでいる。


ビザ取得のための Web 予約も済ませた。
燕京号の予約も済ませたし、神戸での宿舎の予約も済ませた。


今日は、日語科3年生の学生の「短歌」の鑑賞文。



 ふるさとの
 なまりなつかし停車場の
 ひとごみの中にそを聞きに行く    
(ダメダメ、ひとごみの中に行っちゃあ)




十四歳から家を出て、ずっと外で働いている。もう十年を経ちました。
この十年の中で金をもうけて、家族もできた。毎日元気よく生きてきた。
他人から見ると何の悩みもない人間らしい。
でも、心の中にいつも寂しく感じます。
いつもふるさとをなつかしく思う。
そこには親しい人がないけれども、なんとかなつかしい。
いったい何が私の思いを引いているの。
やっと汽車にのって探して行こうと決めた。
車から降りた瞬間 ようやく見つけた。
そう、それはなまりだ。私の心に隠していたなまり、
私は生まれた時に戻ってみたいだ。
ひとごみの中でなまりを聞いて、なんと幸せだ。
これは私とふるさととの絆なのだ。



ふるさとから出てもう何年間あるだろう。
回りの人はみんな標準語でしゃべっていて故郷のことも少しずつ遠くなっていく。
それと、私は一人でこの大きな町で生活していて、本当に寂しい。
ふるさとのことをいくら懐かしく思っていても、帰るわけにもいかない。
そんな矛盾の中で生きている私は実に惨めだ。
そうだ! 停車場だ!
停車場だったら、ふるさとから来た人がきっといるんだ!
そこには人はちょっと多いけれど、懐かしいそのなまりが
きっとどこからこの耳に入れるんだろう。

Dear ふるさと、 ただいま。



次回もまた、短歌の鑑賞文を紹介します。





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