4月11日(土)
  
先日(3月23日の項)、日本語教師会3月例会で報告した
  『色』についての「日本語豆知識」を紹介した。

作文の授業で、次のような「前書き」をつけて宿題とした。

  
宿題 次の文章は「色」について「色々」とエッセー風に論じています。
これを参考にして『味』について書きなさい。
形式はエッセー風、レポート風、小論文風、どれでもよろしい。
「味」といっても、「この詩は味わい深い」とか
「気味が悪い」「趣味」「地味」などいろいろな味があります。
甘 甜 辛 辣 渋 酸・・・・・・でも、チョコレートも蜂蜜も砂糖もリンゴも
みんな味が違うのに「甘い」ですむのはなぜでしょう?
また、「あの先生は甘い」とか「世の中そんなに甘くないよ」とか
味覚以外にも「味」を使って表現する言い方もたくさんあります。

そんなようなことを色々考えて書いてください。
字数は自由です。(短くても長くてもいいです)

  
このようにして、提出されてきた宿題作文のいくつかを紹介しよう。
  
   PPT一ページに収めるため、一部、省略・削除した部分もあるが、ほとんど原文のままである。
   また、煩雑なのでここでは紹介しないが、作文の授業であるので
   また、一度原文のまま呼んだ後、PPTを用いてそれぞれ語句、用語、文法、助詞の使い方についての
   添削指導も平行して行った。




人々が 人生を豊かに過ごしたいんだと思います。
そのため、人生は 料理のように「味」が不可欠です。
いい料理は 必ずよい色、におい、味があります。
それに、味が一番重要なものです。
人生はそれと同じ、豊かな味が味わっはじめて、豊富で多彩な人生をもってもらいます。
困難や辛さや涙などを体験した後、幸福はいったいどんなものだとわかってきます。
その過程に 人生の味が わかるようになるんでしょう。
 でも 幸せにとって、近道がありません。
もし幸せがほしいなら、勇気を出して、しっかりと人生の味を味わおう。

   そうですね。人生の味、甘いばかりではないけれど、
いろいろな味を経験して「酸いも甘いも噛み分けた」人になりましょう。



   水が生活に最も普通なものだ。水が違うなら、味が違う。
たぶん、ある時、どんな水を飲むことは私たちが選ばれないが、
自分好きな味になるように努力すれば、いやな水から好きな味が味わえると思う。
生活もそうだ。生活の途中にどんな困難があるか私たちが知らないで、選らばない。
でも、どんな気持ちで直面するのは選ぶ。
甘い気持ちで生活すれば、必ず甘い感じがある。

   水には味はない。どんな味にするかは自分自身
「甘い気持ちで生活すれば、必ず甘い感じがある。」というほど
人生は「甘くない」かもしれないよ。



   甘い味は、私にとって最も好きなあじで、最も慣れていた味です。
さらに、それは古里と母とはつながりがあります。
甘いものを食べたとき、わたしはいつも気持ちが明るくなります。
その時は、素晴らしい揚州の曲劇、「痩西湖」の清水、親しい方言などが思い出された。
「甘い」という感覚はすでに私の命に入り込んでいたようです。
また、それは細やかで優雅な生活態度を現れます。
甘い味はそんな格調を代表しています。
すみすみ生活でしみ込んでいます。
                    
   甘い気持ちでふるさとを思い出せるというのは幸せなことですね。
ふるさとの風景、母、言葉・・・・
これから苦しいことがあっても甘い味のしみこんだ故郷を
思い起こすことで乗り越えていくことができますね。



   子供の時からずっと甘い食品が大好きです。
キャンデーもチョコレートもケーキなどみんな好きです。
読んでいた童話の中には、甘い物で作った部屋が一つあります。
椅子とか机とかコップとか花瓶など、みんな全部砂糖で作られました。
毎日そんなおいしい部屋に住んでいるのは一番幸せなことだと思いました。
でも、たくさんな甘い食品を食べたせいで、いろんな虫歯がありました。
いつも、歯が痛かったでした。歯は生えかわた後、
母はそんなたくさんの甘い物を食べせなくなりました。
大きくなった、きれいな女になりたいです。
太くなりたくないから、アイスクリームとか、チョコレートなどの
甘い物はぜんぜん食べなりました。
なんとさびしいことです。
           
   きっときれいな女になれると信じています。(祈っています。)
   


   生活の味―――酸
この世の中で、さまざまな味がある。
でも、生活にぴったりとは やはり 酸という味だと思う。
仕事で、自分が成果が出すために、どれほど努力するあげく、
何も出しないというとき、きっと すっぽいだろう。
恋愛中、自分の気持ちを どうしても 相手に伝えられないとき、
あるいは、相手に誤解されるときは たぶん そのひとは 酸いだろう。
家庭で、自分が悪くないのに、親にしかられるときも、
その子供のこころに 酸いだろうね。
ある諺がある。「酸いも甘いもしっている。」
それは経験を積み、世事、人情によく通じているという意味である。
      
   「酸い」が生活にぴったりとはちょっと辛いですね。
    


   7歳の時から、両親は私に琴を習わせた。
はじめ、私に「好きですか。」と聞いた。
「好きですよ。嬉しい。」と正直に答えた。
でも、だんだんそんな楽しくなくなった。
毎週、先生の家にいって、「そのところ、間違えた。」とか
「そんな弾く方、だめよ。」と聞いて、
悔しさのあまり涙を流し続けたそうに、授業を受けていた。
それに、毎日、少なくとも2時間は琴を弾くことを練習しなければならなかった。
遊んでいた友達を見て、鼻に酸っぱさを味わった。
                         
   「鼻に酸っぱさを味わった。」という言葉に
「おもしろうて やがて哀しき・・・・かな」という気持ちがよく表れていますね。



   生活は辛いです。
私はトウガラシが好きです。
毎度、トウガラシを食べると、辛い味を味ないながら、気持ちがいいようになります。
そして、寒い冬の日には友達と火に当たって、暖かまりながら、アイスクリームを食べます。
そんな時、なんと気持ちがいいでしょう。
                                                          
   トウガラシを食べると気持ちがよくなる、というのは珍しいような気がしますが、
そんな人は他にもいますか?
トウガラシ、冬のアイスクリームという意外性がいいですね。



   苦と辛 男は辛い。
一生懸命働いて一家を養う。
そとで一家の主人として、いろいろな面倒くさいことを対応する。
内には、いいつまがいるとはまー、
わがままのつまにあったら、何とみじめだろう。
これは苦と辛の場合である。

   わかる、わかる。
男は辛いよね。
君が「わがままな妻」のダンナにならないことを祈っている。
「♪妻をめとらば 才たけて 見目麗しく 情けある」だね。

中国も「男が外で働いて一家を養う」んですか。
    


   でも味と言えば、鼻と離れることができっこない。
私は昔から鼻カタルがかけていたから、鼻の重要さがしみじみ感じている。
特に冬の時、鼻が全然通じない、ご飯とか何とか食べても味はまったく分からない。
悲しい限りだと思う。
ただ一息をして鼻をちょっと通られては、食べていた。
そしたら味が少し薄く感じられていた。
それを家だけでは、辺りの人を気にしなくて、する勇気があるけど、
いつも親に叱られてしまった。
紛れなく、テーブルマナーには違反だから。
                          
   「味」から「鼻」というのもなかなかいい展開でしたね。
私もここ数日「清明風邪」を引いてしまって、
あなたの気持ちがよくわかります。
そして、甘い、辛いなどだけではなくて
「薄い(淡い)味」「濃い味」という「味」もありますね。








4月10日(金)
  
一気に30℃を超すような日が続いて、花たちも一斉に開花。
赤、白、黄色 とにぎやかなことである。
以下商業大学の構内及び正門付近の花たち。







以下は私の団地の中のはなたちである。








4月 8日(水)

   夏になった。
月曜日の最高気温(我が家の窓の外)34.8℃、
昨日火曜日は32.4℃(最低気温15.8℃)である。
もう天津は真夏日である。
数日前まで寒い、寒いと言っていたのに・・・・
でも、風邪を引いている身にはこの暖かさはありがたい。


まだ、与謝野晶子の
「源氏物語」をよんでいる。
ずいぶん長くかかっているのは
これを読むのは出勤時の
地下鉄の中でと
決まっているからである。
本ではなくて
NINTENDODSというゲーム器で
読んでいる。
小型でバックライトも
ついているので
電車の中で読むには
ごく都合がいい。

今、32帖「梅が枝」を読んでいるが、物語はゆったりと進む。
その中にも人の考えや思惑は今と変わらないなと思うことが多いが
大きく違っていることのひとつが時間の流れだ。

   宮は明け方にお帰りになるのであった。
   源氏は贈り物に、自身のために作られてあった直衣一領と、
   手の触れない薫香二壺を宮のお車へ載せさせた。
      「花の香を えならぬ袖に 移しても
         ことあやまりと 妹や咎めん」
   宮がこうお歌いになったと聞いて
   「なんといいわけしようと御心配なのだね。」
   と源氏は笑った。
   お車はもう走り出そうとしていたのであったが、
   使いを追いつかせて
      「めづらしと ふるさと人も 待ちて見ん
         花の錦を 着て帰る君
       この上ないことだと御満足なさるでしょう」
   と源氏がお伝えさせると宮は苦笑をあそばされた。

      
  
「さようなら」の挨拶でさえ
これだけの和歌を考えて紙に墨で書いて、
木の枝か何かにつけて相手に伝え、
それを聞いて(読んで・・・ということは真っ暗だから明かりもつけて)
それからまた返歌を考えて・・・・・気が遠くなるような悠長さである。

街のビルの地下を高速で走る電車の中で
電子版でその物語を読んでいるのと、えらい違いだわな。

この前、NHKの「天地人」を見ていても思った。
庭先で菊姫が弓を射ていた。
女中が「(武田勝頼が)呼んでいる」と伝えに来る。
1秒後、菊姫は勝頼たちのいる部屋を訪れる。
しかし、衣服も衣装も髪型も変わっている。
おそらく「ちょっと菊を呼んでくれ」と言ってから
菊姫がやってくるまでに30分以上はかかっているんだろう。
その間、勝頼たちは何をしていたんだろう?

もひとつ、思い出した。
音楽でメトロノームなんか使わなかったころ
「アンダンテ=歩く早さで」とかで速さを指定していた。
モーツアルトのころと今の大阪人とでは
同じアンダンテでもえらい違いだろうな。






4月 5日(日)

   「清明風邪」を引いてしまった。
とにかく透明の水洟がよくでる。
ほっておくと軒の滴のように
ぽたぽた机の上にしたたり落ちる。
脱水症になって体が枯れてしまうのではないか、
と思うほどとめどなく、湧きて流るる状態である。
チリ紙を丸めて鼻に詰めるのだが、 この「清明風邪」は時々、
くしゃみも出すのでやっかいである。
熱はたぶん無い。
私は 熱 体重 血糖値 血圧 体脂肪 など
自分を数字に変えてしまうものは
すべてしないことにしているので
熱も”たぶん”である。
でも、寒気はする。
腰のあたりを震源として、
ぞくぞくとした感覚が背骨を伝わって上ってくる。

原因は清明休暇で、
白酒をチョビリチョビリやりながら
村上春樹「やがて哀しき外国語」を読んでいたら
そのままかなりの時間
ぐっすりと眠ってしまったことにあろう。

こういう時は「生姜湯」でも飲んで
ゆっくりするのが一番だ


   先週以前のブログは下の「過去のブログ」からご覧ください。