2月21日(土)  


久しぶりに学校に行った。
立春、バレンタインデーも過ぎ、 春近し・・・・
とは全く思えない冬枯れの中に
天津商業大学は震えながら立っていた。
今学期の授業や教室の按配を決めるためである。
私の授業は「写作」2クラス計4時間
大学日語1クラス4時間の計8時間である。
それぞれ曜日が分かれているので
4回の授業で4日出勤しなければならない、
これは大変なので月曜日に写作と大学日語を集め
月曜日6時間、金曜日2時間という配分にしてもらった。

これで一件落着と思いきや、そうではない。
写作の授業がパワーポイントが使用できない教室に設定されている。
これではこの休み中にした授業準備が全く無駄になる。
それは困る、と強く申し入れたが結局は再申請しろとのこと。
多分、何度も出していた私の申請が通じていなかったのだろう。
さしあたって、月曜日はパワーポイントなしの授業に組み替えねばならない。

頭に来た。
帰宅後、友人を誘って酒を飲んでウサをはらした。
というわけで、20日のブログはお休みしたということである。






 2月19日(木)  


今の気温はマイナス4℃。
昨日うっすらと積もった雪がまだ溶けぬままに
更にその上にもう少し化粧を重ねて
スキーは無理でも雪だるまや雪合戦ぐらいは
できるほどの雪景色となっている。

寒い。
多分今日も一日家にこもって過ごすことになるのだろう。


おかげで、本多勝一「日本語の作文技術」と「実戦 日本語の作文技術」を
読了した。

その最初の部分に

中学生のころを考えてみても、
同級生に本当にうまい文章を書く友人がいた、
とてもかなわないと思った。
はからずも新聞記者となってすでに十数年、
もはや「名文」や「うまい文章」を書くことは、
ほとんどあきらめた。
あれは一種の才能だ。
それが自分にはないのだ。
しかしこれまで努力してきて、
あるていどそれが実現したと思っているのは、
文章をわかりやすくすることである。
これは才能というよりも技術の問題だ。
技術は学習と伝達が可能なものである。
飛行機を製造する方法は、
おぽえさえすればだれにでもできる。
発明したのはたまたまアメリカ人だが、
学習すればフランス人でもタンザニア人でもエスキモーでも作れる。
同様に「わかりやすい文章」も、技術である以上だれにも学習可能なはずだ。
そのような「技術」としての作文を、これから諭じてみよう。
と書いてあるように、作文を技術として練習するにはいい本である。



さて、雪と同じく、昨日の続き
中国人学習者の間違いやすい日本語である。

文法編であるが、これもやはり日本語にはあるが、中国語にはない、
あるいは逆に中国語にあって、日本語にはないという言語習慣(文法)に
起因するものが多い。
助詞、時制、敬語などがその代表的なものであろう。

@ 助詞「の」
 まず助詞についてみてみよう。
 中国語にも助詞に相当する語がないわけではない。
 例えば「的」などは日本語の助詞「の」と非常によく似た働きをする。
 「我的書(私の本)」「図書館的雑誌」「我的(私のだ)」などで
 つい「的」=「の」と覚え込んでしまう。
 ところが、日本語の女子「の」は名詞と名詞をつなぐのに対し、
 中国語の「的」は名詞は勿論、形容詞(美麗的人)、形容動詞(幸福的人)、
 さらには動詞(遊泳的人)までも適用範囲としている。

 これはかなり強烈な、あるいは必然的なとも言える思い込みで
 日本語を職業としている中国人でも「若いの人」「高いの山」と
 やってしまうことが多い。
 「の」の学習は日本語の勉強を初めて1時間目か2時間目に出てくるので
 その時点で中国語の「的」ではないということをはっきりと植え付けておくことが必要だ。

 さっき、必然的なとも言えると言ったが、
 「冷たいの水」「小さいのパン」などは幼稚園段階の日本人のこどもも
 よくやる間違いであるということだ。
 もちろん、大人がそういう話し方をしていてそれをまねたという訳ではないから
 初めから間違いの道を絶っておかないと「必然的に」
 「美しいの人」「高いの山」という誤用はやってしまうとかんがえていい。



 2月18日(水)  


朝、起きてみると細かい雪が舞っていた。
とりあえず、
外に出て家の周りを撮したのが右の写真である。
ちょっと泳ぎに行こうかな、などと思っていたのが
ウソのような数日が続いている。
「余寒」というにはちょっとやりすぎなんじゃあないか。
しらこも溶けてどじょっこもふなっこも喜んだろうに
また、ひっこんじゃったかな。
「三寒四温」という言葉が正しければ
もうそろそろ暖かい日が来てもよいころだが。


中国人に日本語を教えていると、ほとんど共通して躓く箇所があることが分かる。
今日はちょっとその辺のところを拾い上げてみたい。
といっても、一回では拾いきれないと思うので何回かのシリーズになるかもしれないし、
例によって中途半端で終わるやも知れない。

まずは、「発音編」である。

@ 中国語には四声があるので、その影響で言葉の中に特殊な抑揚が混じる。
  日本語では抑揚が下がると単語の区切り、文節の区切りと意識されるが
  中国人の発音では単語の途中で揚がったり下がったりが混じる。
  ことに、「神戸港」とか「神戸大学」などの複合語を
  一語として発音できる人は案外少ないようである。

A 中国語には「有気音」が多い。日本人にとっては有気音の発音は何となく
  きつく、するどく聞こえる。
  はじめのころは、中国人同士が仲良く話しているのを聞いてケンカしているのかと思ったりした。
  日本語を話していても、歯切れがよいというのを通り越して「口角泡を」という感じになることも
  しばしばある。

B 有気音の関係かも知れないが、「え段」の発音が唇を横に引いて「ィエ」に近くなったり
  「う段」の発音が唇を突き出して変に力が入ってしまったり、という特色もある。

C 中国語に「長音」の発音がないわけではないと思うが、
  長音の有無で言葉の識別をすることがないのであろうか
  長音の処理はきわめて不得意である。特に「拗長音」となると、
  ほとんど長音を省略する人が多い。
  「きょとにいったことがりますか。」「もうじに港がありますか」といわれて
  「京都」「門司」と判断するためには「えっ?」と一度会話を止めてしまうことも多い。
  他に、王さんが「オーさん」ではなくて「オウさん」
  時計が「トケー」ではなくて「トケイ」というような感じも多い。

D もうひとつ困難なのが「促音」の発音と聞き取りである。
  「京都に居たことがあります。」と「京都に行ったことがあります。」の区別は
  聴音ではなくて文脈で聞き分けている人が多いのではないだろうか。
  長音の場合と比べるともっと根源的な困難のような気がするが
  促音の場合は「知識」でカバーできていることが多いので、
  あまり気にならないですませていることが多いかもしれない。

E 「濁音」の聞き取りにも躓く人はおおい。
  「金貨」と「銀貨」を区別して聞き取れる人は少ないようである。

E 発音というと、東京アクセントをひどく気にする人が多く、
  雨・飴は「アメですか、あめですか」と質問されることも多いのだが、
  それは単語だけで意味を区別するためには必要だろうが
  文脈のある会話で意味を取り違えることはほとんどなく、
  むしろ、C、D、Eのような発音技術の指導の方が重要かもしれない。

F また、日本語らしい日本語を話したいと求めている学習者には
  共通語発音よりもっと力を入れるべきは「拍」を踏んで発音させる練習であろうと思う。
  ゆっくりと「拍」を踏んで発音させれば苦手な「長音」も「促音」も
  自然とマスターでき、日本語らしい日本語になってくるものである。
  そう、大阪弁も名古屋弁も日本人が聞いても日本語らしい日本語に聞こえているのである。
 




 2月17日(火)  


私は耳が悪い。左の耳はほとんど聞こえない。
十数万円という補聴器をつけているが、そんなに効果があるようではない。
いや、きっと効果がないわけではなくて、右耳がまあまあ聞こえるので
そちらで代用してしまって左耳は働かなくてよい状態になっているのだろうと思う。
その証拠にコンサートなどで音楽を聴くときは補聴器をするのとしないのとでは
全く立体感、臨場感が違う。

会話における聴力というのは、音を聞いているのではなくて、
意味を聞いているんだな、ということがよくわかる。


補聴器をしていても、左側から小さな(普通の)声で話しかけられると
ほとんど聞こえない。右ばっかりが活躍して左は休んでいるんだろう。
正面からだと、話していることはわかるんだけれども、仲々意味がとれないことが多い。
でも、雰囲気は分かるし、相づちが必要なのか、返事が必要なのかも何となく分かる。
返事が必要なときでも、意味があんまり聞き取れていないんだから
とんちんかんな会話になりそうだが、あまりそういうこともなく会話は続いている。
ひょっとしたら盲目の人が特有のするどいカンをもっているように、
耳の悪いわたしにも一種の洞察力が育っているのかもしれない、と思ったりしている。


もし、私が話している相手も私ぐらい耳が不自由だと、次のような平和が望めるんだろうが。



 うら長屋に、耳の遠いおじいさんとおばあさんが住んでいました。
 ある日のこと、
 大家さんが家の前をとおりすぎるのをみたおじいさんは、おばあさんにいいました。
「おばあさんや、いま、とおったのは、大家さんじゃなかったかい」
「いいや、ちがうよ。あれは、大家さんだよ」
「おやそうかい、わしゃ、また、大家さんかとおもったよ」
  インターネット「福娘童話集」より





 2月16日(月)  


この間、天津日本人会で本を4冊借りてきた。
この会に入っていると本を自由に(何冊でも、何日でも)借りることが出来る。
公立の天津図書館では200元の保証金を払って、1回1冊、一月以内というのとえらい違いだ。

ところで、その4冊の本、いずれもすごい内容だった。
各ほとんどランダムに内容の一節を生涯しよう。


書いておいて、こういうのも何だが、かなり過激な内容である。
一応、ちゃんと出版されている本であるし、最後のは芥川賞の受賞作品でもあるんだが
頭に来やすい人、感情的になりやすい人はお読みにならないように。




中国の風習的つに「閨房」というものがあり、結婚式をするとき執り行う重要な手続きでもある。
それは結婚式の披露宴が終わったあと、家族、親戚、友人たちが新婦の部屋に集まり、
新郎新婦に悪戯をして苛める儀式だ。
その中でも「聴房」というのがある。
ひとしきり閨房が終わったあとに、
新郎新婦が密室で甘い「雲雨の情」を分かつ姿を窓の外から盗み見して、
聞き耳をたてるという習わしだ。

その初夜の様子を盗み見して、笑いをこらえ切れずに誰かが吹き出すと、
そこでやっと新郎新婦は自分たちの行為を覗かれていたことを知ってびっくり仰天することになる。
このような聴房は新郎新婦の弟妹や友人ばかりでなく兄、兄嫁、ついには両親までが首を突っ込む。
だから新郎新婦の性生活はすべて筒抜けも同然だ。

 このようにプライバシーを無視した結婚の風習は、中国では結婚式のクライマックスでもあるのだ。
閨房、聴房の風習はまた数多くの悲劇を生んでいる。

中国、中原地方で起こった聴房の悲劇を見てみよう。

 ある村の若い男女が久しい恋愛の末にゴールインして結婚式を挙げた。
村の若者たちは閨房でひとしきり大騒ぎしたあと、
「きょうはもう新郎新婦は疲れ切っているから
これくらいで休んで素敵な時間を過ごせよ」と言っていち早く解散した。
新郎新婦に疑いがないわけではなかった。
閨房をあんなに楽しんでいた若い友人たちが、こんなに早く帰ったのだから。

 しかし友人たりは、その上をいくとんでもない計略を企んでいた。
なんと彼らは、村民委員会のマイクを新婚夫婦の寝室の枕元に隠しておいたのだ。
このマイクで盗聴された音声は、拡声器を通して村中に響き渡ることとなった。
結局、新郎新婦の寝室での状況は「生放送」によって中継され、
美しい花嫁は恥ずかしさのあまり翌朝自殺してしまうという悲しい結末を迎えた。




 国際社会では国家が他国に謝罪するなどということは、常識外の愚行です。
たとえば、アングロサクソンの辞書には「謝罪の文字」はありません。
かつてアジアは西欧列強に蹂躙され、植民地化されていました。
しかし、宗主国であった国の白人が、アジアの国々に謝罪したことは一度もありません。
それどころか恩着せがましく、文明、文化を与えて独立させてやったのだから、
感謝せよと言い出す始末です。

 香港の返還にあたっても、最後のイギリス総督は中国に感謝の意を求めたほどで、
インドネシアを三百五十年にわたって植民地化し、奴隷同然に現地民を扱い、
搾取を続けていたオランダは、独立戦争で劣勢になり、
独立を認めざるを得なくなっても、賠償金を要求しました。
これ以上、無用な血を流したくないインドネシアの人々は、これを泣く泣く受け入れました。
侵略・搾取・略奪をほしいままにし、有色人種を奴隷として売買し、
酷使した白人諸国ですら「反省」や謝罪はしません。

 白人だけではありません・北朝鮮の金正日。二00二年九月の
小泉首相との平壌首脳会談で、日本の経済援助欲しさに拉致の事実は認めたものの、
一部の虚妄主義、英雄主義の跳ね上がりの仕業で、国家は関与していないと言い張りました。
謝罪といっても国家の責任は一切認めません。
 中韓は事あるごとに口本に謝罪を求めます。
しかし、韓国が過去に侵略された中国に対して謝罪を求めたこともなければ、
中国がイギリスに謝罪を求めたことも二度もありません。
なのに、日本には「謝罪せよ」とたびたび迫るのは、
日本の政治家や政府が安易に謝罪に応じるからです。





吉本 麻原彰晃が空中に浮かんだ有名な写真がありますね。
  マスコミではたいていインチキ写真のように言って、
  「こんなことはカメラの角度の調整で、いくらでもマジックできるんだよ」と
  尤もらしいことを言います。
  僕は「いや、そうでもないよ」と言い返したいな。
  気功みたいな世界では、普通の人よりも飛び上がって落ちるのが緩やかだとか、
  そういうことは不思議でも何でもない。
  東洋というのは何千年もかけて、飛び上がったり、鍼を刺したり、身体を傷つけたり、
  そんなことばっかりしてきたわけです。社会をよくするとか、生活を向上させるとか、
  そういうことはちっとも考えないで、空中浮遊みたいなものに専念してきたんです。
  他人より少しは高く飛び上がれるのも別に不思議はない。
  それくらいのことは人間が何千年もかけて努力すればできるようになるわけです。
  そう思っていますけどね。

  娘たちの反応も僕に似ているところがあって、そんなこと当たり前だよって平然と言います。
  人間はだれだってそれぐらいできるんだよって。
  要するにマスコミの常識と若い世代の常識は逆立ちしているんですね。
  テレビはいい気になって自分の常識を語っていると、
  そのうち若い世代の常識に復讐されるんじ々ないかな。




 


「お願い、早く入れて」
 うっせーな、シバさんはそう吐き捨てて私の髪をつかみ、枕に押しつけた。
シバさんは私の腰を高く上げるとマンコに唾を吐き、
また指で中をグチヤッとかき混ぜるとやっとチンコを入れた。
初めからガンガン奥まで突かれ、私の喘ぎ声は泣き声のように響いた。
気づくと本当に涙が流れていた。
私は気持ちいいとすぐに涙が出る。
満たされていくのが分かった。
シバさんは突きながら私の手首を縛っていたベルトを外し、
私の手が自由になると勢い良くチンコを抜いた。
抜かれた瞬間、また一筋涙がこぼれた。
シバさんは私を上に乗せ、私の腰をつかんで揺さぶった。
マンコー帯がシバさんの肌と擦れて痺れていた。
 「もっと泣けよ」
 シバさんの言葉に、また涙が伝った。
私は短く「イク」と呟き腰をガクガクと震わせた。
イッた後、満足に動けないでいるとシバさんはめんどくさそうに私を押し倒し、上になった。
シバさんは深く、強くピストンして私の髪をつかんだり、首を絞めたりして
ひとしきり私の苦しむ顔を楽しむと「いくよ」と言った。
あのピアッサーを持って言った時と同じだった。短く、抑揚のない声。
ぐっと深く入れて、引き抜き、私の口の中に射精した。
その終わりは地獄からの解放のようでも、天国からの追放のようでもあった。






 2月15日(日)  


また、急に寒くなった。現在 外気温はマイナス5℃である。
一気に10℃以上も下降した。三寒四温というにはちょっとひどすぎる変化じゃあないか。
今日は水泳に行くつもりだったが、ちょっと無理なので朝から言えにこもっている。

このブログ量が多くなると立ち上がりがつ疲れるようなので、1週間ごとに分割した。
だから昨日までの分は下の過去のブログから見てほしい。


日本文化の授業を「女性と日本」というテーマでやったことがある。
その時学生に「中国の女性」について発表をさせた。
4人の学生が手を挙げ、選んだテーマが 孟母 則天武后 藩(草冠なし)玉良 宗慶齢 であった。
もちろん、それぞれに私が日本史上の女性との対比でコメントをつけながら
本論(「女性と日本」)に
はいっていくわけであるが、
潘玉良というのは私にとって聞き始めの名前で全く知らなかった。
インターネットで調べると、コンリー主演の「画魂」という名の
映画やビデオにもなっている中国の女流画家ということだ。



潘玉良で検索してもほとんどが映画「画魂」に関することしかでてこない。
どんな絵を描いたんだろう、それを探すだけで三日ほどもかかってようやく彼女の絵にたどり着いた。



このような絵を描くひとである。
今、天津博物館で「潘玉良展」をやっていると聞いて、はるばる徒歩で観に行った。

ご案内のとおり、天津博物館は無料だが、「潘玉良展」は別に入場料が必要。
しかし、60歳以上はこれも無料らしくパスポートをみせると、どうぞ、どうぞと入れてくれた。

私には、もう一つの無料の特別展 だれやったか名前忘れたが「篆刻展」のほうが興味があった。