12月31日  (金 大晦日)

大晦日といっても中国では何も特別な日ではない。
ただ昨日と同じ寒い風が吹いているだけである。
老人大学の授業もいつも通り9時から、の筈が8時半から準備体操が始まっている。

今日は体の「ツボ」について勉強した。
実際に体を使いながら、自分もやってみて、やられてみての勉強なのでよく解るのだが
ひとつ困るのは、それが何に効くのかという説明が解らないことだ
ガンマオ(風邪)、ウェイフ(胃)、シンザン(心臓)ぐらいだったら何となく聞きとれるのだけど。
みんな、とにかく熱心で親切である。



夜はチビリチビリと酒を飲みながら
6時半から11時前(中国時間)まで5時間以上も「紅白歌合戦」を全部見た。
多分20年ぶり以上だろうな。
喰った肴は写真を忘れたが
鯛の刺身、鮪のトロロかけ、しめ鯖、芥子明太子、紅白蒲鉾、大根人参の酢の物、
数の子代わりに飛ビッコ、焼きなす、チーズ などである。

そして、除夜の鐘をいくつか聞いて寝た。



  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
「日の丸弁当」というのがあった。
アルミの弁当箱に白いご飯が入っていて真ん中に大きな梅干しが一個というものである。
言葉は有名だったけれど私が実際に見たのは一度だけだった。
小学校のころ転校してきた子の一回目の弁当がまさしくそれだった。
ウワーと声を上げて見たのを覚えている。傷ついただろうな。家に帰ってカアチャン大変だっただろうな。
でも、放課後はそんなこと全く忘れて大声を上げて遊んでいた。
子どもってもともとはそんなもんなんだけどなあ。







   12月30日  (木)

もう、何日か前になるんだけれども「官僚たちの夏」というDVDを見た。
東京オリンピックから万博の前後の通産官僚の物語である。
戦争に負けて、産業もほこりも壊滅状態にあった
その日本が奇跡の復興を遂げるまでの物語である。
ひとつひとつの場面もそれぞれに私の記憶とだぶって
おもしろかったのだけれども、
貿易の自由化、国際化、国内産業の保護、輸出規制
汚職、公害、自然破壊、拝金主義などもあった。
高速道路、新幹線、オリンピック開催、万国博開催と
今の中国の動きとまったく連動しているおもしろさが格別であった。

汚職や権力闘争は日本にもあった。
中国ではこういった面が強調されているきらいがあるけれども、
きっと、今の中国政府の官僚たちの中にも、このように失われた中国のほこりを取り戻したいと
懸命に頑張っている人たちがいるに違いない。



さんまを焼いて喰った。
あはれ
男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食ひて
思ひにふける。

今年もおわりだなぁ。








「思い出ぽろぽろ」のコーナーは
文字だけだったが、このシリーズ では写真を中心に旅の思い出を
綴っていきたいと思っている。
nepal A
王宮と寺院

@1994.12.28.〜1. 8.
A1998.12.26.〜1. 5.
B2001. 1. 4.〜1.14.


  ネパールには
  3回行っているが
  どの写真がどの時の
  ものかの区別は
  ついていない。




@Aは確かに王宮の最上階から街を眺めたものである。他は寺院と王宮の区別は定かではない。
鳩がたくさんいるのはひょっとしたら王宮だったかも知れない。
ネパールには現在も王様がいるが、この王宮には住んでいない。
他にクマリとかいった神に仕える少女の住む宮殿もあった。お金をはらうと窓から顔を見せてくれるのである。
ネパールの寺院は屋根に巨大な「仏の眼」を乗せたものが多い。人間を見張っているのである。






   12月29日  (水)

「実用中医按摩」もいよいよ、
実用的、実習的になってきている。
授業の始めに全員で
自己按摩をやる。
これも結構、気持ちがいいものだ。

今日からは(といっても)2回目だが、受講生が練習体となっての実習。
言葉はわからなくても、実技はわかる。なかなか、おもしろい。

午後はスポーツクラブ。
そのあと、古文化街に行って中国のカレンダーを買う。
ものすごい寒風である。



  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
まじめなもので、タバコを吸い始めたのは20歳を過ぎてからである。
もちろん高校生のころにも面白半分で吸ったことはあるが、そういうチャンスに恐る恐る1本だけという程度だった。
禁煙は2度やった。一回目は何気なくである。
でも割合簡単に成功して1年ほどは続いたとおもう。
その揺り戻しか、その後はタバコか主食といってもいいくらい吸った。
ロングピースで一日60本以上だった。
それを辞めようと思ったのは、実はカウンセラーになろうと決心したからである。
狭い部屋でクライエントと1時間以上話しをするのにタバコを吸いたくてイライラしては致命傷だろうと思った。
この時はずいぶん苦労した。カウンセラーにはなれなかったけれど禁煙は25年後の今も続いている。







   12月28日  (火)

「宦官」というのを読んだ。
日本にはほとんどなかったもので、
なんとなくおぞましい感じがするのだが、
ギリシャにもローマにもイスラム世界にも
ユダヤやキリスト教世界にもあったようで
キリスト教の「マタイによる福音書」にも
イエスの言葉として「宦官」と同意の言葉が出てくる。

第一章 つくられた第三の性
 宦官、この不可解なるもの
 宦官という言葉は、単に去勢された男性をさす場合と、 宮廷に奉仕するものと二つの意味がある。
前者としては、中国では浄身(汚れのない身)とか私白、あるいは無名白(官位のない民間人)という語が使われた、
西洋ではギリシャ語からでたとされる英語のユウナックeunuch がそれにあたるが、
ハイブルにもその意味で使ったものがある、
たとえば『マタイ伝』十九章を見ると、
「それ生れたがらの閹(エン)人あり、人にせられたる閹人あり、
また天国のために自らなりたる閹人あり、これを受け容れうる者は受け容るべし」 と記されている。
閹人というのは、宦官と同じ意味の漢語から借りてきたものであるが、
この聖書の文句について興味のあることは、まず天国への献身のため、自分からすすんで男性失格を実行するものがあったことであろう。

このマタイ伝の文章は文語訳聖書であるが、これが1955年改訳 日本聖書協会版では

「母の胎内から独身者に生まれついているものがあり、また、他から独身者にされたものもあり、
また天国のために、自ら進んで独身者となったものもある。この言葉を受けられるものは受けいれるがよい。」

となり、最近の新共同訳聖書では

「結婚できないように生まれついた者、人から結婚できないようにされた者もいるが、
天の国のために結婚しない者もいる。これを受け入れることのできる人は受け入れなさい。」

となる。
閹人 → 独身者 → 結婚しない者 と変わってきているのだが、なんか、ごまかしっぽいね。



「思い出ぽろぽろ」のコーナーは
文字だけだったが、このシリーズ では写真を中心に旅の思い出を
綴っていきたいと思っている。
nepal  風景

@1994.12.28.〜1. 8.
A1998.12.26.〜1. 5.
B2001. 1. 4.〜1.14.


  ネパールには
  3回行っているが
  どの写真がどの時の
  ものかの区別は
  ついていない。



初めてのネパールは藤木高嶺先生のツアーで、妻、長男と一緒に参加したアンナプルナ・トレッキングであった。
どういうわけか、帰りの飛行機の座席が足りなくなり、私一人ネパールに残留して次の飛行機で帰ったんじゃあなかったかな。
   (この時だったかどうかはっきり覚えていないが)
右の2枚は多分2回目、一人で行った時の南部の国立公園の写真である。
一人でバスの切符を買いに行って長い長いバスに乗って到着した。






   12月27日  (月)

日曜日。
ほんとうに久しぶりにスポーツクラブに行った。
日曜の午後なので、プールでも培訓のコースが開かれていたし、
スタジオではヨガの講座が行われていた。
おかげで太極拳の自習は出来ずじまい。

そのあと、直通で「日本語コーナー」に行く。
今年最後の会ということか、
出席者の自己紹介などもして、ちょっと普段と違った雰囲気で始まる。
1月2日は休みである。

月曜日
老年人大学で「実用中医按摩」の
冬休み短期集中講座始まる。
連絡がなかったので、登録できているかどうか心配だったが
ちゃんと名簿に出ていた。

もちろん、中国語なので講義の方は全然解らないが
見て手を動かしていく実技が半分以上なので、十分ついて行ける気がする。


そのあと、マクドで本を読んで時間をつぶしてから
デパート6階の演芸小屋に行って、「評劇」というのを観る。
今回の出し物は「大型古装評劇 貧女の泪」というのである。
1等席 15元。ほぼ満員。
2時から5時まで3時間、居眠りしながら最後まで観た。



  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
「マクリ」という飲み薬を知っているだろうか。
小学校低学年のころ学校で時々飲まされたものだ。苦くてイヤだった。
でも、これを飲んで体長15pもあろうかという「回虫」を口からはき出したことがある。
また、寄生虫では「シラミ」「ノミ」も今の「蚊」ぐらいの感じでいた。
「シラミ」はペチャとつぶし、「ノミ」はプチッとつぶしたものだ。
今では「シラミ」は名前もほとんど消えた。
「ノミ」は名前の方は健在だが実物にお目にかかることはない。
ひょっとしたら「コウノトリ」同様絶滅危惧品種になっているかも。







   12月24日  (金 クリスマス・イブ)

昨深夜、突然停電。電気がなくなったのだ。
中国では水道・ガスはメーターを見に来て
その都度料金を払うが、電気は先払いである。
図にあるUSBのようなものを持っていって
ここに購入した電気を記入してもらう。
それをメーターに差し込んで残量が10になるまで使える。
残量10でいったん停電するが、
メーターのスイッチを入れると残り10分の電気はつく。
ただ、今回の家はメーター室に鍵がかかっており、
保安でないとその操作ができない。
それで仕方なく、早朝(マイナス10度、体感温度マイナス22度ということだったよ)
コンビニまで出かけて電気を入れてもらってきた。


午後、バスに乗って天津商業大学宝徳学院へ、学生のプレゼンテーションを聴きに行く。
今回は「オタク」「日本の生活のリズムの速さ」「貧富の格差」の3テーマである。

宝徳学園の風景写真である。シンガポールの資金が入っているということで、
校門を入ったところにマーライオンの像があった。
ビルの講義棟もあるんだが、平屋建ての講義棟はなかなか瀟洒である。中の教室はまあまあだけどね。

シンガポールの




「思い出ぽろぽろ」のコーナーは
文字だけだったが、このシリーズ では写真を中心に旅の思い出を
綴っていきたいと思っている。
PamirF おしまい
1994.8.6.
  〜8.19.


カシュガル。働いている人々。いいなあ。何か別の日常世界が広がっている。
最後の一枚は北京のレストランです。この娘さんのお父さんと文通で友達になり、後、雲南など二人で旅行もした。






   12月23日  (木 天皇誕生日)

雪。
昼間でもマイナス4度、5度という気温である。
ふと外を見ると雪の後が白い。
ここ数年、雪の降ることも多かったように思うが
今年は雪が少ないような気がする。

体調はだいぶ良くはなってきているが、
大事をとって外出をせずに、家にこもっていた。


左は宅配業者に頼んだもの
右は夕方、伊勢丹まで出かけて買い込んできたもの。
たぶん、これで正月が越せるかな。
とはいっても伊勢丹で買った内ほとんどは
神戸に行く時の船中食料と酒である。
もちろん、船に食堂はあるのだが、乗客が少ないと極端に品数が少なく、まずいものしか出ない。
インスタント焼きそば、スパゲッティー、おかき、するめ、チーズなどは
生きて神戸にたどり着くための必需品である。



  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
運転免許を取る時も大変だった。
教官の指導に腹を立てて教習所のなかを暴走したことがある。
教官のブレーキですぐ停車させられ「何しとんじゃ!」とどなられた。
とにかく教習所の教官の態度はデカかった。
それに腹を立てのことだから「じゃかましゃい!あの壁にぶつけたろ思っとんじゃ!」とどなりかえしたら、
とたん教官の態度がおとなしくなった。
「まあまあ、落ち着いて話そう」
「お前と話すために金払っとんじゃない、走らせろ」と激論。
結局、その回の練習は無料となった。







   12月22日  (水 冬至)

体調不良のため、ずっと家にいる。
浅田次郎「活動写真の女」読了。
幽霊の出てくる話である。

もう一つは「裁判官の爆笑お言葉集」長嶺超輝
いくつか紹介する。
公判中居眠りをするオーム真理教松本智津夫に
「しっかり起きていなさい。また机のところで頭打つぞ。」

刑務所に入ることを希望して、国の重要文化財に火をつけた被告に
「刑務所に入りたいのなら、放火のような重大な犯罪でなくて、窃盗とか他にも・・・・・。」
          窃盗は裁判官お勧めか?

暴走族を抜けようとした15歳の少年をリンチで殺した暴走族の少年に
「暴走族は、暴力団の少年部だ。犬のうんこですら肥料になるのに、
 君たちは何の役にも立たない産業廃棄物以下じゃないか。」
          学校の先生なんかと比べると裁判官は自由だな。審判の中でこんなこと言えるんだ!




「思い出ぽろぽろ」のコーナーは
文字だけだったが、このシリーズ では写真を中心に旅の思い出を
綴っていきたいと思っている。
Pamir E
1994.8.6.
  〜8.19.


草原で牛飼いをする少女。日がな一日こうしている。何を考えているんだろうか。知るよしもない。
草原で踊ってくれた少女。明らかに欧風のバレーだったが、すばらしい舞台ではあるけれど、どこで習い、どこで発表するんだろう。
草原をロバで行くおじいさん。のどかを写真に切り取ったみたい。
市場で勉強する親子。もっているのはコーランなんだろうなぁ
街角で散髪しているおじさん。よく見るとヒゲの手入れをしているんだ。おしゃれ! 靴も今年の流行だよ。






   12月21日  (火)

朝、7時過ぎ、宝徳学院の通勤バスに便乗して約1時間、学校へ。
先日、インタビューを受けた学生たちの発表の見学である。
今日は「いじめについて」「自殺について」「青少年を巡る問題」の3グループが発表する。
どのグループもPPTを上手に使いこなし、
発表もグループ全員がそれぞれ朗読や暗誦ではなくて前を向いて自分の言葉で話し、
聴衆への問いかけなどもあってなかなか立派なものであった。


授業は8時半から10時までであったので、11時前には帰宅
歯が痛く、熱っぽい感じも出てきたので、昼間から熱燗を飲んで寝た。
4時ごろ、一度起きて酒をつぎ足してまた寝る。
9時過ぎに起きて、夕食、今度は缶ビール6缶ほど飲んでまた寝る。
これだけ、飽きもせず寝られるというのは、やはり体調不良なんだろうな。





  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
免許を取って初めて四輪に乗ったのは赤色の2気筒パブリカだった。
このころは自分でエンジンをバラして掃除をしたりした時代だ。
このパブリカ、前を走っている大型ダンプの下に潜り込んだこともあるし、
工事中に気がつかずに走っていて突然道路がなくなり、20mほど空中を滑空したことがある。
また国道で180度横転したこともある。
気がつけばハンドルを握ったままちゃんと座席に頭を下にして座っていた。
ヘンな景色だと思ったのが第一印象だ。
一人でよっこらしょとひっくり返して、国道を走って帰った。







   12月19日  (日)

和平区図書館「日本語コーナー」の忘年会。
忘年会といっても酒が出るわけではない。
また、「日本語コーナーの」といっても、
日頃日本語コーナーでお目にかかったことのないような人も多い。
強いて言えば、地域の芸ごと発表会といった感じか。

それでも一応、日本語 → 中国語、中 → 日の通訳は付くし、
日本語教師会の会長と私の挨拶もあって、記念品をもらったりもした。
今年の特色的な出し物は、裏千家茶道同好会の「茶道表演」と体験コーナー
それと書道家二人による表演。
この写真の書は私に贈呈ということでいただいちゃった。






「思い出ぽろぽろ」のコーナーは
文字だけだったが、このシリーズ では写真を中心に旅の思い出を
綴っていきたいと思っている。
Pamir D
1994.8.6.
  〜8.19.


カシュガルでの歓迎の宴である。
この地域では野外での宴が多い。映画館なども壁だけがあって天井は星空という感じである。
楽しんでいるのは一緒に行った藤木高嶺先生のグループ。
乾燥した地域だが、果物は豊富で、井戸もある。もちろん、そういうところだから集落が出来ているわけであるが。
右端の写真は白っぽい一人を除いて、このちっちゃな窓の家の一家。
窓の小ささから冬の寒さがしのばれる。






   12月18日  (土)

金曜日は一日、家でぶらぶらしていた。
歯痛はほぼ治っていたが、体がだるい。小便も赤い。
歯痛というのは随伴症で、風邪でも引いていたのかもしれない。
歯痛ぐらいで死の予感というのもちょっと大袈裟だしね。
風邪で死の予感というのも大袈裟じゃないのか、とも言える
閑で死の予感というのが一番適切か。
明日の天津日本語教師会の資料をつくったり、
(出来上がったところで保存せずに消してしまって、また、作り直したり)

夕食は歯にやさしい刺身、マグロはカッチンカチカの冷凍を解凍したもの、
でも結構うまく解凍できた。これから冷凍マグロも買える。
それとこれも歯にやさしい大根・じゃがいも・ニンジンの煮付け
ツナサラダと魚の干物はきのうの残りだ
それともう一つの肴DVDは「ラストプレゼント」途中まで。

土曜日。天津日本語教師会。
行くついでに鞍山西道の電気街に寄った。
10日ほど前までは山ほどあった廉価版パソコンソフト(人によっては「海賊版」ともいう)が
一枚もなくなっている。どの店に行ってもそうだ。
すごいものだ。一致団結、挙国一致、転換の早さ、去り際の見事さ、すごいものだ。

それから教師会、会場近くの露店をひやかして、帽子と手袋、DVDを買った。
毛糸の手袋10元、毛糸の正ちゃん帽10元、DVD11タイトル86元。安いものである。
右端は教師会後の食事会。顔を出してはいけないかもしれない人が入ってるので構図が不自然。


教師会でも「忘年会」と称する「ささやかな食事会」があったのだが
家に帰ってまた飲み直した。
だいこん、じゃがいもの煮付けは昨日の残り
DVDは「官僚たちの夏」途中まで。
その時(1955年ごろから)の日本の様子が
何から何まで「中国の今」と同じで
大変興味深い。





  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
ホンダが初めてスーパーカブというバイクを売り出した時、宣伝に各学校に一台ずつ寄付してくれたことがあった。
その時、私は淡路島の柳学園に勤めていたが、中・高併設だったので2台配給された。
どういうわけか1台は私専用みたいになって、洲本の町を乗り回していた。
勿論、免許があったわけではない。淡路島に信号が一つしかないという時代だ。
危険などとはつゆ思わず自転車と同じ感覚で乗り回していた。
でも結局授業中の校舎の壁に激突して私は怪我は無かったがバイクは大きくこわれて、その遊びはオシマイ。







   12月16日  (木)

いつも酒やら米やらの宅配をしてくれる店が
お客様サービスで倉庫に招待割引セールをするというので楽しみにしていた。
ところが、昼ごろになって突然の歯痛。
頭も痛くなって、寒気もし、熱もでてきた。
ほとんど一本しか残っていない歯なのによくがんばるよ。
倉庫はお休みにして、按摩に行くことにした。
途中 銀行に寄ると年金が届いていたので、送金と神戸行きの日本円に交換。
日本で円をドルに換金して、中国に送金、それをまた円になおす、日本に送金する
その都度全部手数料がかかっているのだから無駄なことだけど、ま、しかたがない。

58元の按摩ぐらいでは治るような歯痛ではなかった。
歯も面子があるのかますます痛くなったような気がする。

もう、酒を飲んで寝るに限る。
鯛のあら炊き(これは昨日の残りである)、魚の干物、ツナサラダ、じゃこおろし、椎茸塩昆布
DVD(「ほのかの書」)  以上。


早々に床についたが、痛みはおさまらん。
ヨブはもっと辛かったんだ、などと思っても痛みが軽減するわけじゃあない。
キリストの母ちゃんの悪口いったのがあかんかったのか。
おまえも神さんだったらそんなせこい復讐するなよ
とか、やっぱりヨブのようにはいかんワイ。



「思い出ぽろぽろ」のコーナーは
文字だけだったが、このシリーズ では写真を中心に旅の思い出を
綴っていきたいと思っている。
Pamir C
1994.8.6.
  〜8.19.


@は孫悟空が活躍した「火炎山」
Aは間違った。この前にもで亭待ったな。
Bはアスターナ古墳だとおもう。
Cも教会ではなくてお墓のような感じだったよ。
Dイスラムの礼拝はすごい! こんな片田舎と思うのにものすごい数だ。
 こういうエネルギーは日本なんかではちょっと受け入れにくいのかもしれないな。











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