12月15日  (水)

今日もマイナス7度というような寒い日であったが、元気な私は街に散歩に出た。
和平路 → 濱江道 → 伊勢丹へというメインストリートの散策である。
和平路の老舗百貨店「天津百貨大楼」が新装開店したというので、それを見に行った。

5〜6年前まで、多分「国営」だったんじゃあないかな。
店員の態度がきわめて悪く、客が何かを聞いても、
うるさいなぁという態度で、店員同士のおしゃべりに熱中という様子であった。
こりゃあ、ダメだなと思っていたら、やっぱり・・・・
新装開店となったが、やっぱり客はすくなく、閑散としていたな。
閑散といえば、寒いせいもあるんだろうけれど和平路そのものも人通りが少なく閑散としている。


今日の第二の目標は濱江道の「イトキン」後のデパートの再開である。
2004年の11月、新築のビルで華やかにオープンした。
といっても、3階までで、6階は臨時の特売コーナーになっている。
7階、8階は12月末に飲食店街として開店するそうである。

華やかな洋装店だったが、濱江道自体が洋装店街みたいなところに、
同じような服を日本プライスで売っている。
大丈夫かいな? と思っていたら1年あまりで閉店してしまった。
その後、5年ほども天津一のメインストリートに8階建ての空きビルがガランと立っていたわけである。


それからもう一つ老舗のデパートに「天津勧業場」というのがある。
ここの6階では京劇や相声、歌曲などの中国伝統芸能を上演している劇場がある。
今日はそこで「鼓曲」というのを聞いてきた。
安い。8元、10元、12元の3段階で12元出せば前の桝席のようなところに座らせてくれる。

「鼓曲」って何かよく分からなかったが、ちょっと日本の「浪花節」に似ている感じだ。
歌詞の意味も全然分からないが、結構 2時間ほどボンヤリと聞いていた。
ちょっと、サワリかどうかはわからないが、こんな感じ。



  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
公立学校に勤めだしたころには、まだ日直・宿直というのがあった。
日直は朝務会の司会をするくらいで別に何ということはないが、宿直は学校に泊まり込まなければならない。
男性だけなんだが、家庭を持っている人はしたくはないので若い者が代わりをすることになる。
代わってもらったお礼にお酒が一本差し入れられたりする。
みんなに早く帰られると寂しいので日が暮れた後の職員室ではにぎやかに宴会が開かれる。
宿直者が飲み過ぎて寝坊をし、朝務会に遅刻をするというようなこともあった。







   12月14日  (火)

赤穂浪士が討ち入った日だ。あの日も雪だったなぁ。
天津の今日も寒い。外に出るし雪は積もっていなかったが道路が白く凍結している。
雪や雨が凍ったものではなくて大気中の水分が凍って、道路を白く化粧したものだ。

そういう中スポーツクラブに行った。えらいものだ!
新しい個人用ロッカーが出来ていて、どれでも自由に使ってください、と言う。
中国の施設、だんだん悪くなっていくことは多いが、無料でバージョンアップというのは珍しい。えらいものだ!
これからは靴やトレーニングウェアー、シャワー用具などをリュックに詰めていかなくてもよくなる。


今日は「激恋」ってのを看た。
今年の4月〜5月の深夜にNHKで放映された「ケータイ発」のドラマだそうだ。





「思い出ぽろぽろ」のコーナーは
文字だけだったが、このシリーズ
では写真を中心に旅の思い出を
綴っていきたいと思っている。
Pamir B
1994.8.6.
  〜8.19.


「交河古城」だったと思う。崩れかけの日干しレンガの建物、人影はほとんどない中をロバの馬車に乗って巡った。



   12月13日  (月)

織田裕二主演「太陽と海の教室」
という非現実的熱血教師ドラマを見た。
2008年にフジテレビで放映されたものだそうである。

教師ものなので各所に
教訓的・お説教的なセリフが入る。
内容的に無難だし、中国の学生には織田裕二のファンも多いので
16日発送の第八回メール日本語塾の聴解練習用に使わせてもらうことにした。
   (「聴解練習用」のところをクリックすれば多分聞けるとおもいます。)
もし、塾生でこのブログを読んでいる人がいたらプレミア・プレゼンである。




  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
小学校のころ、嵐寛寿郎(アラカン)と美空ひばり(杉作少年)の「鞍馬天狗」という映画をよく見に行った。
♪鞍馬天狗のおじさんは正しいことの好きな人・・・と妹と一緒に歌いながら、
上の兄貴につれられて電車道にある映画館に歩いて行く。
途中で「ポン煎餅」を買って貰うのも毎回のきまりである。
なんか、いつも寒かったような気がする。







   12月12日  (日 南京事件)

日曜日は「日本語コーナー」だけど、どうしようかなと思っていたら
今日は和平区のテレビ局がインタビューにくるので、
開始を4時からに変更します、というメールが入った。
4時からだと割合出やすいし、テレビ局が来るというのも面白いので行くことにした。
ま、きっとみんなそんなことで集められたのだろう。
時間の変更にもかかわらずなかなかの盛況で、ギターの弾き語りなどもあってなかなか面白かった。




「思い出ぽろぽろ」のコーナーは
文字だけだったが、このシリーズ では写真を中心に旅の思い出を
綴っていきたいと思っている。
Pamir A
1994.8.6.
  〜8.19.


カラクリ湖畔でのラクダや羊の放牧の様子。向こうの山は雪をかぶっているが、そんなに寒いとは感じなかった。
左端の服は、この地域のものではなく、エジプトでかってきたガラべー ヤである。
暑い地域の服装がなんとなく似合っている。
このころには、高山病は完全に治って、あちこち走り回っていた。
右端はカラクリ湖畔ではなく、ずっと下手の河である。三蔵法師はここを歩いて渡っていったのだ、とおもう。








   12月11日  (土)

金曜日は風もつよく、大変寒かったけれども頑張ってスポーツクラブに行った。
ジムでストレッチ、スタジオで太極拳、プールで柔軟体操
えらいものでスポーツクラブに行った日は歯が痛くならない。

土曜日。もともとは天津日本人会のクリスマス大会に行く予定だったが
次回が最終回となる老年人大学の太極拳の授業に出席できないため(日本語教師会がある)
残念ながら授業の方を優先することにした。
でも、むそれがとんだ幸運を。
今日、冬休み中の短期講座として「実用中医按摩」の講座の募集をしていた。さっそく申し込み完了。
よかった!

それと授業内容も幾つかの半に分けて通しての表演、先生の表演もあり楽しかった。



そのあと、いったん家に帰り午後7時から「天津国際学校のクリスマスコンサート」を聴きに行く。
『天津国際学校高等部バンドと聖歌隊による、伝統とモダンを融合させた盛大なクリスマス音楽会』である。





  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
中学校の1・2年のころ体操部にはいっていた。最初の難関は鉄棒の蹴上がりである。
これは同級生がモタモタしている間にマスターした。
けれどもマット運動がどうしてもうまくできない。
同級生が宙返りやバック宙などの練習に入っても私は地上回転ができなかった。
跳び箱も中抜きというのができなくて、体操部は早々に脱落してしまった。







   12月 9日  (木)

午前9時から11時。
海光寺のケンタッキーにて。

ある大学が授業の一環として行った
学生のインタビューに応じた。
学生と直接話すのは久しぶりだったので
結構楽しかった。

何組もの学生がいろいろな先生にインタビューをして、そのまとめを授業で発表する。
先生はインタビューに応じてくれる日本人のメールアドレスを教えるだけで
日本人との日程や場所その他の交渉はすべて学生自身がおこなう。
これは本当に実質的な学習だ。
私も、もっと早くこういう方法に気づいておればなぁ とちょっと残念。
ぜひ、プレゼンの授業も参観したいものだ。



「思い出ぽろぽろ」のコーナーは
文字だけだったが、このシリーズ では写真を中心に旅の思い出を
綴っていきたいと思っている。
Pamir @
1994.8.6.
  〜8.19.

パミール高原には探検家の藤木高嶺先生に連れて行ってもらった。イリアンジャヤもインパクトは大きかったが、
これぞエキゾチックと感じたのはウルムチ、トルファン、カシュガル、パミール高原の旅であった。
その故であろう天津までたくさんの写真を持ってきている。
これからしばらくはパミール特集となるが、どういうわけかカシュガルやトルファンの写真は少ない。
写真はタジキスタン東部にあるカラクリ湖、湖水が標高4000m近く、見えている山は8000m近い。
バスで到着して、やったぁーと缶ビールを一缶飲んだら目の前が真っ暗になった。
以後、しばらくは歩くのも困難で、ロバに乗って移動しなければならなかった。
他にも、夜になって騒いでいて、高山病を発症、急遽下山させられた人たちもいた。






   12月 8日  (水 太平洋戦争開始!)

一日中、ずっと家にいた。
本を読んだり、ビデオをみたり、パソコン内の不要ファイルを整理したり、
「赤毛のアン グリーンゲーブルズへの道(劇場版)






  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
はじめて教師をしたのは淡路島の中学校である。
島でただひとつの私立進学中学校で全島から成績優秀で経済力のある家庭の子どもが通ってきていた。
夏休み、神戸に帰省して8月末下宿に帰ると廊下の天井に届くまで
(ちょっと大袈裟だけどそんな感じ)中元の品物が積まれていた。
その量には驚いたけれど、へぇこんなものかとお中元をもらうことにそんなに抵抗感は持っていなかったようだ。
ただ部屋には生徒がよく遊びに来たり、帰宅のバス待ちに来ていたりするので、
その子たちの目に触れるのはイヤだった。




   12月 7日  (火)

月曜日にはスポーツクラブに行った。
誰もいないスタジオで太極拳24式を一通りやる。
初めから終わりまで通して出来るようになったのである。
天津に来た当初は町の公園で
おじいさん達に教えて貰らうかたわら
裏千家の授業にも参加させて貰って
完全にできるようになっていたのが
しばらくしないうちに今度は完全にできなくなっていた。
年いってから覚えたものは忘れるのも早いな。
中学・高校のころに暗誦した「長恨歌」など今でもすらすら言えるのにね。

その帰り、天津の電器街というか、パソコン街というか
鞍山西道に行き、パソコンソフトを2枚購入。
これは神戸の友達の注文である。
パソコン本体は日本に比べて
そんなに安くはないのだが、
ソフト系は神戸で買うよりはずいぶん安い。
ま、著作権料パスというせいでもあろうか?。


今日、火曜日は
先日もらったクリスマスクイズ大会のチケット返しに天津日本人会に行く。
チケットは既に完売、已満杯というメールがきていたので
タダで貰っていて欠席したのでは悪いと思ったからである。
欠席理由は
太極拳の練習が最終回となったため、やっぱりちょっと休みにくいなあ、とおもったわけである。

街はクリスマスムードになっている。右端は我が家のささやかなクリスマスツリー。


今日(7日)の昼はスパゲッティーをつくった。
茹で加減を見るために一筋つまんで噛もうと思ったが犬歯だけの歯並びでは噛めない。
イタリアの犬なんか、どうやってスパゲッティー喰っているんだろうな。



「思い出ぽろぽろ」のコーナーは
文字だけだったが、このシリーズ では写真を中心に旅の思い出を
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セイルトレーニング @
1994.5.13.
〜5.16.

「帆船あこがれ」には1泊から3泊程度の練習航海4回、ほぼ1ヶ月の長期航海1回参加した。
初めて乗ったのこの時は、あこがれは「練習船」ではなく「国際航海に従事する旅客船」であった。
紀伊水道を抜けて太平洋に出たのだが、帰りに豆台風に遭って紀伊水道が上れず、一泊余分に航海した。
このころは前日も船で泊めてくれたので計4泊の旅だった。



   12月 5日  (日)

今日はどうしてもプールという気分だったのだが
今までの日記類の整理などをやっているうちに
気がつけば3時30分、今からはなあ、という気になって
結局は夕方に大根と豆腐を買いに出た以外ずっと家にいた。

そういうわけで
「旧約聖書を知っていますか」 という本を読了した。
これも特に紹介すべき箇所ってないんだけれど
旧約聖書にはこんなことも書いてあるんだ、と
興味をもったところを一節。

神様もお疲れになったり、シカトとたり、
八つ当たりするかと思えば、オタクになりかけたり・・・・
神様もこんなボヤキをなさるんだね。
もし、よろしけれゃあ、屋台につきあってあげても・・・・
というような神様発見だ。

   この文庫では「新共同訳聖書」だったが、
    以下の文は私の好みの「日本聖書協会 1955年改訳」版である。

イザヤ書 第一章

11 主は言われる、
 「あなたがたがささげる多くの犠牲は、
 わたしになんの益があるのか。
 わたしは雄羊の燔祭と、
 肥えた獣の脂肪とに飽いている。
 わたしは雄牛あるいは小羊、
 あるいは雄やぎの血を喜ばない。
12 あなたがたは、わたしにまみえようとして来るが、
 だれか、わたしの庭を踏み荒すことを求めたか。
13 あなたがたは、もはや、
 むなしい供え物を携えてきてはならない。
 薫香は、わたしの忌みきらうものだ。
 新月、安息日、また会衆を呼び集めること
 わたしは不義と聖会とに耐えられない。
14 あなたがたの新月と定めの祭とは、
 わが魂の憎むもの、
 それはわたしの重荷となり、
 わたしは、それを負うのに疲れた。
15 あなたがたが手を伸べるとき、
 わたしは目をおおって、あなたがたを見ない。
 たとい多くの祈をささげても、わたしは聞かない。
 あなたがたの手は血まみれである。



  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
神戸の大空襲で家を焼き出された私たち一家は寝るところもなく、焼け残っていた小学校に行った。
しかしももう教室も廊下も人出一杯で寝るところはない。
仕方なしに階段で斜めになって寝た。
そのとき階段を行き来する人に下駄で顔を蹴られて前歯を折った。
歯医者など開業しているはずもない。
前歯をぶらぶらさせながら、屋根まで人が乗るような満員列車に乗って田舎に疎開した。





   12月 4日  (土)


前歯のことだけれど、平成22年12月4日午後0時40分
とうとうわが身体より離脱いたしました。
推定歯齢 60歳。謹んで長年の労苦に感謝申し上げる次第です。
ここしばらくはぶら下がっているだけで
何の役にも立っていなかったんだけれども
なくなればやはり寂しいものである。
「歯亡べば唇寒し・・・」いや反対だったか?


太極拳の方だけれども、今日 授業に行くと、42式はもう満員で申し込めないと言う。
そんなバカな。昨日が受付開始だよ。
私たちは継続になるから特別に先週の土曜日に申し込みを受けつけてもらっているんだ。
そりゃ、希望者が多かったのかも知れないけれど、抽選ぐらいあってしかるべきだろう。
納得できないので、しばらく受付台の前を動かないでいると
仕方がない、といった様子で受付用紙を出してきた。
ダメだと言われても、諦めてはいけないという教訓を教えているのか、
融通無碍という太極拳の極意を教えているのか・・・
まあ、とにかく憧れの(といきなりレベルアップしたが)42式、1年間の受講が決定した。


そのあと、天津日本語教師会幹事会に出て帰る。
下は、幹事会の会場(「美千草」とい日本料理店)でもらった天津情報誌3誌である。



「思い出ぽろぽろ」のコーナーは
文字だけだったが、このシリーズ では写真を中心に旅の思い出を
綴っていきたいと思っている。
洛陽・西安 
1994.4.27.
  〜5.4.
西安の城壁である。
どういういきさつで行くことになったのか、もう思い出せないのだが
記念すべき、最初の中国旅行である。

北京、洛陽、西安と列車の旅であった。
私たちが乗った車両はロマンスカー
   (今もこんな言葉が生きているのだろうか)
のような感じであったが、隣の車両にに行くと、
給湯用の竈に火がゴーゴーと燃えていて
通路にも人がいっぱい座り込んでいる。

洛陽では「少年老いやすく・・・」という詩を
かなり立派な石印に彫ってもらったこと、
西安では、夜屋外で歌謡コンサートのようなことをやっており、
その隣ではテントがけの指圧屋さんがあったこと、などが記憶にある。
     写真は残念ながらこの一枚しか手元に残っていない。



   12月 3日  (金)


朝から老年人大学の登録に行ってきた。
例によって、みなさん人はいいんだけれども
結局、登録が完了できるまでに、何室ノックしたことだろう。
写真はその一つ、新規登録者案内書というような部屋である。
今、授業を受けている太極拳は授業中に申請しなさい、
他の科目は12月24日から受付だという
でも、3階のどこそこら辺の部屋にも一応行ってみたら・・・
と言うような感じだったので、行ってみた。
そしたら、篆刻基礎の登録ができた。

ま、これで2科目(太極拳と篆刻)は確保できたわけだ。
説明書によると一人2科目というようなことも書いてあるので、気功と中医推拿は無理かも知れない。
それに、週4回も通うのもちょっと無理があるかも知れないし、これくらいがちょうどいいのかも・・・・


そこから、歩いて天津博物館に行く。
徒歩10分ほどの距離である。
無料だし、ベンチ・売店もあるし、
これから老年人大学の行きがけか帰りしなに
ここで本を読んでいくのもいいな。
今日は、と言っても9月から12月までなのであるが
「消失と復活」というテーマで四川省金沙遺跡を中心とした展覧をしていた。
特別展は有料だが、パスポートを出せば60歳以上は無料である。


小学校の子供たちが先生に引率されて校外学習に着ていた。
ここを出た後、図書大厦に行って若干の本とDVDを買い、
例によって25元の寿司・うどん定食を食べて帰る

最後の「東方之珠洗浴SPA中心」は値段を聞きに立ち寄っただけ。
洗浴だけであれば男が38元、女が28元だ。
どうして男女で値段が違うのか、女の客が少ないからなのか?、設備が違うからなのか?
38元だったら、近々一度行ってみよう。




  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
中学生のころである。
私の学校は制服のズボンにちゃんと線が入っていなければならなかった。
アイロンなんて多分なかったと思う。
毎晩 寝るときに畳と敷き布団の間にズボンを丁寧に置く。「寝押し」である。
寝相が悪いと線がゆがんだり、二本になったりする。
ズボンの生地が悪いと畳の模様がそのままズボンについていたりする。
ベッドではできない技だ。ベッドのあるような家はアイロンもあったんだろうな。





   12月 2日  (木)


今日も結局一日家にいた。

「返事美人」の日本語レッスン(今井登茂子)
というのを読んだ。
内容の一部は「メール日本語塾」の
今回の練習課題にも使わせてもらった。
特別にメモするほどの内容ではないけれど
読みやすくて、一気に読んだ・

夕方、DVD「手のひらの幸せ」を見る。
布施明原作、西田敏行、永島敏行、仲間由紀恵等出演の
文部科学省選定映画である。
ストーリーはともかくも、景色が非常にきれい。

一番目は映画とは関係なく、多分ビデオ会社の画面だろうと思う。





「思い出ぽろぽろ」のコーナーは
文字だけだったが、このシリーズ では写真を中心に旅の思い出を
綴っていきたいと思っている。
イリアンジャヤ C
1993.12.26.
  〜94.1.3.


イリアンジャヤに入る前日はバリ島に立ち寄った。
「バリ」というのはあこがれの島だったので思い切りたくさん写真を撮したが今あるのはこの2枚だけである。

ニューギニア島の海岸沿いの人々。海上に住んでいる人も多い。



   12月 1日  (水)


いよいよ、12月年の瀬である。
なぜ、いよいよなのか何の実感もない。
別段大晦日になったら借金取りが来るので夜逃げの準備をというわけでもない。

2〜3ヶ月前、壁に穴を空けて光りファイバーの線を通し、
ターミナルを1個置いていっていたのの工事が完了した。
我が家も「光」になったのだろうか? 別段速度が上がったとも思えない。


「年のとり方、考えていますか」
邱永漢 グラフ社
もう少し、面白いのかと思ったが
まったくつまらない。

金持ちが、金儲けより金使い
金より時間が大切よ
金のないものには何のひっかかりもない。

きのう、ひどい写真を出してしまったが。
ひょんなことで商業大の寮に住んでいたころの
写真がポロリと出てきた。
数年のことでえらい違うものだな、と、しばし感慨にふける。





  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
小学校一年生ごろ。まだ神戸市内は焼け跡だらけで、多くは畑になっていた。
水田は少なかったが麦畑はあちこちにあった。誰かと誰かが麦畑、というほどのものではなかったが。
道を歩きながらひょいとあのいがいがの麦の穂をとり、両の手の平で揉んで脱穀する。
それを口に含んでべとべとにならないように注意しながらかみ続けていると粘りが出て
チューインガムのようになる。手製のおやつであった。












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