11月15日  (月)

10月10日に購入したロンジンは
もう一ヶ月以上正確に動き続けている。
今のところその精度は本物のロンジンと変わらない。
見た目も本物と変わらない。
ひょっとしたら私が死ぬまでこのまま動き続ける気かもしれない。
何が本物と違うのだろう?
もし、これを売ろうとしたら
本物のロンジンとの価格の違いは大きいだろう。
売ろうなんて考えない限りは
本物のロンジンと同じだ、ということではないか。

さらに、前に動きの止まった IWC SCHAFFHAUSEN も二日ほど前にネジを巻いてみたら、
その後ちゃんと動き出した。不死鳥みたいなヤツだ。さすが、IWC !



「思い出ぽろぽろ」のコーナーは
文字だけだったが、このシリーズ では写真を中心に旅の思い出を
綴っていきたいと思っている。
スリランカ B
1992.12.29.
  〜93.1.5.R>


今日もスリランカのつづき。スリランカは今日でおしまいです。
「アーユーボーワン」・・・両肘をほぼ水平に張って胸の前で合掌して、ゆっくりしした口調で言う。
「こんにちは」の挨拶である。
その後、いろんな国の言葉を聞いたが一番感じのよい言葉はこれだった。




   11月14日  (日)


きのう、土曜日は太極拳の練習に行ったが、結局 最後まで先生が来ないまま。
指導する人が誰もいないで、いままで習ったところを適当に復習。
ほとんどの時間は周りに座ってのおしゃべりとなる。
こうなると私のようにおしゃべりに参加できないものはヒマ、ヒマ、ヒマ


今日、日曜日は友人と日本料理を食べに行った。
左の広告では128元で食べ飲み放題。
魚の活け作りもある。
こりゃあいい、と思って出かけたが
128元のコースでは活け作りなし、
刺身も量限定(食べ放題ではない)
広告のコースは168元だという。
活け作りはヒラメだけで4人で一つしかだめ
なんだ、サギじゃあねぇか、と思ったが
まあ、今から他の店を探すわけにもいかず、
168元のコースで我慢することにした。

でも、活け作りは最高だったし、特に別料金となる鍋もサービス。他の料理もうまかった。


メール日本語塾の方
13日が第五回の課題締切、また、一人が提出がなくて自然退会
しかし、新入生が一人あって、トータルの人数は12人、変わらず。
16日が第六回の教材・課題の発送日なので、そのまとめに結構忙しくしている。



「思い出ぽろぽろ」のコーナーは
文字だけだったが、このシリーズ では写真を中心に旅の思い出を
綴っていきたいと思っている。
スリランカ A
1992.12.29.
  〜93.1.5.R>



スリランカは信仰が生きている仏教の国である。



   11月12日  (金)


国際大厦の天津日本人会に借りていた本の返却と電話番号の変更を届けに行った。
もちろんついでに本を借りてくる。
日本企業の出向者たちが帰国に際して寄付していくのだろう、かなりの本がある。
いま、日本でベストセラーになっているような本もあるし、借りるのに冊数も期限も自由。
使いやすい図書館である。


ちなみに、今日借りてきた本は、
「父の言葉」宮本輝 「別れてもバカな人」内藤ミカ 「四日間の奇跡」朝倉達弥
「活動写真の女」朝田次郎 「旧約聖書を知っていますか」阿刀田高 である。

その帰り道、DVD屋さんに寄って
「Mother」「ふたつのスピカ」「エラいところに嫁いで」「Mr.Brain」
「白い春」「ブザー・ビート」「牛に願いを」「未来講師」の8タイトルを買った。

「無印良品」でまな板とサランラップのプラスチックケースを購入。



インターネットで燕京号の予約を入れたんだけれど、確認の返事はまだ来ない。
宿泊の方はこれもインターネットで予約完了。



  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
あれは中学生のころだったかな。
友達と神戸港の岸壁をウロウロしていた。
すぐ前を水上警察の船が走っていく。
それを見て友達と二人、大声で「ポリだ! 逃げろ!」と叫んで走り出した。
水上警察の船はサイレンを鳴らして接岸、何人かが飛び降りて追っかけてきた。
はじめから予定のところに隠れて、やり過ごして無事逃げおおした。






   11月11日  (木)


中国では「1」が4つも並んでいることから「光棍節」といって「独身者の日」とされています。
また、その形から「ポッキーの日」「配線器具(コンセント)の日」「もやしの日」「煙突の日」「麺の日」などにも指定されているそうです。
私はと言えば11月11日11時11分、独り部屋でボンヤリとしていました。

今日はきのう行った「西沽公園」をご紹介いたします。
ここは2003年SARSの時、暇に任せて週に2〜3回ぐらいやってきて、寝ころんでいたところである。
そのころは小さな小さな動物園があったり、見せ物小屋のようなものもあったりしたが
そういったものはすべて無くなって大変きれいに整備されている。
北寧公園よりは少し庶民的な感じは残っており、人々が遊んだり体操したりする場もあった。
また、「門球」というからゲートボールなんだろう、それの「啓蒙基地」というのもあった。
こういうのも「啓蒙」というのかなぁ


書家二人の記念館。


それに園内に北京の「栄宝齋」の支店も出来ていた。
そこで印泥と篆刻刀2本を購入。
また、来期から老年人大学で篆刻の講座を受けよう。



おまけ。
西沽公園の前の学校(北洋職業専門学校)では体力テストをやっていた。中国でもこういうの、やるんだ!
次は道路に水で字を書いて見せて(自慢して)いる人、これはいろんなところで見かける
そして、現役のオンボロ(失礼!)トラック。




「思い出ぽろぽろ」のコーナーは
文字だけだったが、このシリーズ では写真を中心に旅の思い出を
綴っていきたいと思っている。
スリランカ @
1992.12.29.
  〜93.1.5.R>


夏のインドがすっかり気に入った私は、その年の冬、すぐとなりのスリランカに行った。
今度は奥さんと二人である。このときはスリランカから来るはずの飛行機が来なくて、名古屋で一泊した。
ヒルトンだったかな、ずいぶん立派にホテルに無料で泊めてくれた。旅程は一日短くなったが何か得した気がした。




   11月10日  (水)



「北寧公園」と「西沽公園」に行ってきた。
「西沽公園」については明日ご紹介します。
「北寧公園」は
前の家から町に出るときの途上にあったので
バスの窓からしょっちゅう見ていた公園である。
そのころの入り口の写真が左で
ほんと雑然としていた。

今日行ってみると入り口は右のように、こじんまりときれいになっていた。
バスの北寧公園駅を降りても以前の記憶がじゃまをして、なかなか入り口が見つけられなかった。
園内の石碑に清末から民国時代に造られたもので、2010年に改修と書いてあったので、
現在改修中なのであろう。まだ、あちこちで大規模な工事が行われている。


建物に「○○宮」と看板の出ているものもあり、
清末の皇族の庭だったのかも知れない。
それだけに「見学」的な雰囲気が強く
「長虹公園」のように市民がゆったりとくつろぐという感じには遠い。


     



  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
もう一つ、ついでにモンゴルの話題を。
また、写真でも見ていただけると思うが、モンゴルの飛行機ってすごいよ。
あれはハルピンだっただろうか。 小型飛行機に乗り込んだがなかなか出発しない。
窓から見るとエンジンのところから液体がポタポタ落ちている。きっとガソリンだよ。
スパナを持ったおっちゃんが修理をしている。
結局その飛行機で飛び立ったのだ。
着陸は滑走路なんてない草原。
着陸するとそのまま私たちが泊まるゲルの前まで走ってくれた。
飛行機で家に横付けなんて、自家用飛行機を持っていてもなかなかできることではないよ。








   11月 9日  (火)


今日は例の国勢調査の調査員がやってきた。
名前、国籍、生年月日、学歴、中国に来て何年、職業
以上、何の証明書も見ることなく、書き込んでサインしておしまい。

天津に3軒目のセブンイレブンが開店した、と
情報誌に出ていた。
スポーツクラブも休みのことだし、
散歩がてら電車に乗って出かけてみた。
情報誌のニュースになるほどのことはない小さな店である。

セブンイレブンの店そのものは小さいんだけれども、
その駅前広場の立派なことには驚いた。
広々とした駅前のアプローチは風が吹いているだけ、階段を上がった広場はたこ揚げ広場となっている。
セブンイレブンは「おでん」が一つのウリなんだけれども、持って帰るのが大変なのでやめた。
(店内に小さなカウンターがあってそこで食べることもできる。)



  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
360度何にもない草原からゲルが見えてくると馬はえらい元気になってパカパカと走り出した。
ひょっとしたら馬も迷子になっていたのかも知れん。
私としては必死の思いで帰り着いたのに誰も「よかったな」とか言ってくれない。
私が連れて行った中学生の女の子が行方不明になっていたのだ。こっちは馬だけが帰ってきたので大変だ。
どこかで振り落とされて怪我をしているかも知れない。
どこから現れたのかジープが2台と騎馬の若者が十数人あちこちに走っていった。
30分程たって泣きべそをかきながらジープに乗せられて帰ってきた。めでたし、めでたし。 (また続く)








   11月 8日(月)


風はやや強かったが、天気晴朗。
自転車でスポーツクラブに行くついでに
「境外人員住宿管理事務所」というところに行って
「境外人員住宿登記カード」というのをもらってきた。
これは手続きが完了していたので、
行けばすぐに手渡してくれた。

そしてスポーツクラブへ
受付に人がいないのでしばらく待っていると
卓球して遊んでいた人が、今日はクラブは休み、と掲示を指さす。
見ると8日から14日まで、施設修理のため休みと出ている。あ〜ぁ。
でも、もしこれで故障中のサウナが稼働してくれるならいいな。


しょうがないので、ちょっと途中の露店(@A)を冷やかして、散髪をして、スーパー(B)に寄って帰った。


  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
「旅の写真」が3回も続いてしまった。モンゴルの思い出を2〜3回連載する。
モンゴルの草原に行った。内モンゴル出身の留学生に連れて行ってもらったのだ。
なんにもない草原に自分たちでゲルを組み立てて、そこで寝泊まりする。
朝起きてから一日中、馬に乗る練習だ。3日後のナーダムには騎乗して参加しようとの計画である。
私の場合、一日目から久下さんは大丈夫でしょう、と指導員なとの練習だった。
二日目になるとちょっと慣れてきたこともあり、指導の人も「ご自由に」というのでちょっと遠出を試みた。
しばらくすると「ご自由に」したのは馬の方だった。どんなに手綱を引っ張ってもその方向に行ってくれない。
まわりを見渡しても360度草原があるだけ。地平が丸く私と馬をとりまいている。
まあ、いずれ探しに来てくれるだろうと馬にまかせていると、馬がいったのは草原の中の水場だった。
そこには人がいて私たちのゲルの近くまで送ってくれた。(つづく)








   11月 7日(日 立冬)


今日から冬、と言うだけあって寒い一日となった。
また、別の公園の探索に行ってみようと思っていたが、ちょっと寒かったのでやめた。

和平区図書館の「日本語コーナー」には行った。
12月5日の日本語能力試験が間近に迫っているので、一方ではその問題集の解説要求
また、一方では、会社を転勤した青年の話、家の賃貸事情などなど

コーナーが終わってから近くのバーに寄って帰った。
すごく騒々しくて、人も多いのだが、それでいて結構落ち着ける。
騒音の中、ビール瓶でグイ飲みをしながら本を読みふけっている人もいる。





「思い出ぽろぽろ」のコーナーは
文字だけだったが、このシリーズ では写真を中心に旅の思い出を
綴っていきたいと思っている。
グアム・サイパン
  旅行
1972.12. .
  〜73>11.2.


前回も「思い出ぽろぽろ」の順番だったが、「旅の写真」になってしまった。
ついでだから、今回もホントに一番最初の海外旅行の写真を。

実は初めての海外旅行はヨーロッパ教育視察よりも8年前、豪華客船でグアム・サイパンの船旅をしている。
以前に「思い出ぽぽ」にも書いたような気がするが、兵庫県カウンセリング研究会の研修旅行に招待されたものである。
プール、デッキゴルフ、ダンスパーティー、船長招待のディナー ・・・・夢のような船旅であった。
まっさおな空と透き通った海、砕け散る白い波、サイパン島のバンザイ岬は忘れられない鮮やかさだった。




   11月 6日(土)


土曜日は老年人大学太極拳の日である。
先週撮した集合写真をくれた。

こういう人と一緒に練習をしている。
「若やいだ」とは言えるだろうけれども
「華やいだ」とは言い難い実情である。

でも練習はかなりキツイよ。
それに「篆刻」などと違って
お互いの「おしゃべり」が無いので華やぎがない。

そのあと、天津日本語教師会幹事会に直行。こちらも今回は男ばっかりで華がない。
帰って、DVDをみながら、先日作って冷凍していたお好み焼きでビール。これも華やかさがない。




「思い出ぽろぽろ」のコーナーは
文字だけだったが、このシリーズ では写真を中心に旅の思い出を
綴っていきたいと思っている。
ヨーロッパ教育視察
1980.10.18.
  〜11.2.


インドが最初の旅と書いたが、実はインドに行く12年前に文部省の派遣でヨーロッパ教育視察というのに行っている
イギリス、フランス、西ドイツ、ハンガリー、チェコスロバキアだったと思う。
茶色くなった小さな写真数枚が(天津に)残っていた。私にとっての歴史的産物である。
写真は ロンドン塔、エッフェル塔、凱旋門、ルーブル、セーヌ川、ローレライの河岸、ロマンチック街道である。
他にも大英博物館、ベルサイユ宮殿、ノートルダム寺院、漁師の館などなどいろいろ行ったが写真は見あたらない。



   11月 5日(金)


長虹公園というのがある。水上公園と並ぶ大きな公園である。
ここも大改修されて、立派な公園になり、
古びていたころ5〜60元だった入園料が無料になっている。
いつも行っているプールから歩いて5分ほどのところである。

久しぶりにい言うか、改修後初めて行ってみた。



天津は確かに山や海といった自然には乏しいけれど、
町の真ん中にこのような広大な憩いの場所が無料で開放されているのはすばらしい。
せっかく晴耕雨読の身分になったのだ、
こういう場所に来てゆっくりと日向ぼっこをしたり、
本を読んだりの日々が過ごせるようになりたい。
晴読雨電脳の生活だな。  いつになったらこんな心境になれるんだろう、貧乏暇なしっていうから貧乏から脱出後? それは無理だな。


水上公園ほどではないが、水辺の風景も十分楽しめる。




10年前に天津に来た時、もっとも感動したことの一つが町中に小さな公園がたくさんあり、
その公園では赤ちゃん、幼児、少年、青年、壮年、老年のあらゆる年代がいて、
それぞれに楽しんでいることであった。こういう風景は天津からも急速に消えつつある。
そのなごりのような風景も今の内にしっかり目に納めておかなければ・・・・・
少し豊かになってきた天津では少年は塾に、青年はバイトに、壮年は仕事に追われるようになり、公園で時間を過ごせるのは老人だけになってきている。


「思い出ぽろぽろ」のコーナーは
文字だけだったが、このシリーズ では写真を中心に旅の思い出を
綴っていきたいと思っている。
インド周遊 B
1992.8.2.
  〜8.23.


インドの人口ほどにたくさんの写真があるはずだったが、天津に来ているのは、数枚しかなかった。
それも、私の記憶同様 少し変色しかかっている。放っておくと絵そのものを消えてしまいそうである。
ただ、絵だけを収録しておくにとどめる。







   11月 4日(木)

中国にいるから「白酒」を飲む機会も多い。
私が買って飲むのは大体天津銘酒「津酒」38度のものである。
他に40何度、50何度、60数度のまである。
度数の違いは飲んですぐにわかる。
でも、結構60数度でも旨いと感じるようになってきた。
中国人に聞くとはっきり味が違うというが、
私には、同じ38度だったら、
銘柄や値段の違いによる味の違いはあまり感じない。


「蒙古王」という白酒をいただいた。38度、原料は麦、高梁、小麦となっている。
社長さんからのいただきものなのできっと高級な白酒なんだろう。
以前は馬乳酒を原料とした白酒をいただいた。
これははっきりと味の違いがわかるものであった。
こういう頂き物があるとホント至福だね。



  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
教師新任のころである。授業が楽しくて仕方がなかった。上手になりたかった。
自分の授業を録音して放課後に教頭先生に聞いてもらったりした。
録音を聞いただけで「久下くん、板書はもっと丁寧にしなきゃあいけないよ。」と注意された。
板書の時のチョークの音で字の乱雑さが分かったのだ。
教頭先生からは板書の仕方、黒板の消し方、言葉の語尾の注意、生徒の応答への相づちの打ち方など
こまごましたことをたくさんたくさん教えてもらった。








   11月 3日(水 文化の日)


大家と居住証の更新(登録?)に行った。
中国版国勢調査が行われ、今年は外国人のチェックが厳しくなる、ということで
大家もその気になったのだろう。

中国の外管法の規定では、Fビザ(私の場合だ)で入国した者は
24時間以内に住地の派出所に登記しなければならない。と書いてある。
外国人に家を貸そうという中国人ですら住地の派出所がどこかわからなくて
3ヶ所も4ヶ所も聞いてまわってやっとたどりついたのに、
中国に到着して24時間以内の外国人が、そんなことできるって思っているのか!
もっとも私の場合、今の家に越してきてもう1年以上になるけれども・・・・
そこはうまくしたもので、申請用紙に中国に来たのは11月2日と書けと教えてくれた。
これでちゃんと中国の外管法は守られているわけだ。






「思い出ぽろぽろ」のコーナーは
文字だけだったが、このシリーズ では写真を中心に旅の思い出を
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インド周遊 A
1992.8.2.
  〜8.23.

インドは最初の旅だったから、強烈な印象をもっている。
写真(勿論デジカメではない。銀鉛写真である。)も思い切り摂ったが、残念なことにいま天津にはこれだけしかない。
いや、紙に焼いた写真も持ってきたはず、また探してみよう。見つかればご紹介します。
道で牛の糞でナンを人、象のタクシー、「風の宮殿」で一日中座っている人、遺跡の建物の中を歩いてくる大美人
インドは一度行くと病みつきになる人と、もう二度と行かないという人とに分かれるそうである。
私は病みつきの方だな。でもそれ以降インドには言っていないけど。





   11月 2日(火)

小春日和というのだな、暑くもなく、寒くもなく(中国語では「不冷不熱」という。)、
日本語では普通「暑さ寒さも」と暑 寒の順だが、中国語になると「寒暑」と寒 暑の順に逆転する。
なんてこともないけれど、ひょっとしたら底の深いものがあるのかも知れない。

おっと話がそれた。
天気がいいもんでぶらぶらと外に散歩に出た。
いつもの25元の「寿司定食」を喰って、DVD屋で数枚のDVDを買って、本屋で本を3冊買った。
ただそれだけのことである。町の写真を数枚。


きのう、
  9月からブログのフロクとして「思い出ぽろぽろ」というのを
  ほとんど何の反響もなく続けた来た。
と書いたら
  想い出ボロボロ 反応がないとか
  日本では結構人気があるよ
というご返事をいただいた。
だからというわけではないが、
「思い出ぽろぽろ」と「旅の写真」と交互ぐらいに書かせてもらおうかな。



  ・・・・・・ 何の脈絡もなく、七十年のよどみの中から、かつ消え、かつ浮んでくる よしなきことを そこはかとなく 書き付けていきます。 ・・・・・・
    
子供のころは多くの家庭が七夕の笹飾りをつくった。
私の家父も母も外で働いていたが、それでも笹飾りは作った。
七夕が済むとそれを近くの川に流しに行く。
川は天の川につながっていて天に届くんだ。
今は川に笹を流すことなんて出来なくなった。
人がふえたのか、川がやせたのか。
そう言えば天の川なんて消滅してしまって久しく見ていない。








   11月 1日(月)

11月1日。「メール日本語塾」は三ヶ月目にはいる。
といっても月2回の授業だから、今日は第5回目の教材発送。
塾生は29名から始めたが、現在 12名。
一度でも期日までに課題提出がとどこおると自動退会としているので
うっかり退会の人もかなりいるのではないかと思っているが、ま、そこは日本人の頭の固いところだ。

定員というわけではないが、一応15人ぐらいがいいかな、と思っているので
現在のところ2〜3人の空きがある。
もし、参加してみようという人をご存じだったら声をかけていただければと思う。
メールなので、居住地、年齢、立場など全く自由。参加しているかどうをも含めて個人情報は確保されます。

募集要項はここからダウンロードしてください。


もうひとつ、9月からブログのフロクとして「思い出ぽろぽろ」というのを
ほとんど何の反響もなく続けた来た。
ちょっと寂しくなったので、模様替えを試みた。
「写真版思い出ぽろぽろ」である。



「思い出ぽろぽろ」のコーナーは
文字だけだったが、このシリーズ では写真を中心に旅の思い出を
綴っていきたいと思っている。
インド周遊 @
1992.8.2.
  〜8.23.

校長になってから世界各地の旅行を始めた。国内の旅行では「学校」からはなれ羅れないのである。
その最初がインドだった。友達と「どこかいこうか」「うん、そうだな」「どこにしよう?」「インドなんかどうだ?」「いいな」
たったこれだけで行き先が決まった。旅行社丸がかえのパック旅行ではない。
切符の手配から宿舎まで自分たちで手配した(もっともほとんどはその友達の方がやったんだけど)
時には駅のコンピュータが壊れていて切符が買えなかったり、何軒も何軒も断られて宿を探してまわったこともあった。
その最たるものは友人のパスポート盗難である。急遽ニューデリーに戻り、再発行してもらって旅行を続けた。
これ以降、海外旅行はこわくなくなった。






   先週以前のブログは下の「過去のブログ」からご覧ください。