![]() 文字だけだったが、このシリーズ では写真を中心に旅の思い出を 綴っていきたいと思っている。 1992.12.29. 〜93.1.5.R> |
![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() スリランカは信仰が生きている仏教の国である。 |
![]() あれは中学生のころだったかな。 友達と神戸港の岸壁をウロウロしていた。 すぐ前を水上警察の船が走っていく。 それを見て友達と二人、大声で「ポリだ! 逃げろ!」と叫んで走り出した。 水上警察の船はサイレンを鳴らして接岸、何人かが飛び降りて追っかけてきた。 はじめから予定のところに隠れて、やり過ごして無事逃げおおした。 |
![]() もう一つ、ついでにモンゴルの話題を。 また、写真でも見ていただけると思うが、モンゴルの飛行機ってすごいよ。 あれはハルピンだっただろうか。 小型飛行機に乗り込んだがなかなか出発しない。 窓から見るとエンジンのところから液体がポタポタ落ちている。きっとガソリンだよ。 スパナを持ったおっちゃんが修理をしている。 結局その飛行機で飛び立ったのだ。 着陸は滑走路なんてない草原。 着陸するとそのまま私たちが泊まるゲルの前まで走ってくれた。 飛行機で家に横付けなんて、自家用飛行機を持っていてもなかなかできることではないよ。 |
![]() 360度何にもない草原からゲルが見えてくると馬はえらい元気になってパカパカと走り出した。 ひょっとしたら馬も迷子になっていたのかも知れん。 私としては必死の思いで帰り着いたのに誰も「よかったな」とか言ってくれない。 私が連れて行った中学生の女の子が行方不明になっていたのだ。こっちは馬だけが帰ってきたので大変だ。 どこかで振り落とされて怪我をしているかも知れない。 どこから現れたのかジープが2台と騎馬の若者が十数人あちこちに走っていった。 30分程たって泣きべそをかきながらジープに乗せられて帰ってきた。めでたし、めでたし。 (また続く) |
![]() 「旅の写真」が3回も続いてしまった。モンゴルの思い出を2〜3回連載する。 モンゴルの草原に行った。内モンゴル出身の留学生に連れて行ってもらったのだ。 なんにもない草原に自分たちでゲルを組み立てて、そこで寝泊まりする。 朝起きてから一日中、馬に乗る練習だ。3日後のナーダムには騎乗して参加しようとの計画である。 私の場合、一日目から久下さんは大丈夫でしょう、と指導員なとの練習だった。 二日目になるとちょっと慣れてきたこともあり、指導の人も「ご自由に」というのでちょっと遠出を試みた。 しばらくすると「ご自由に」したのは馬の方だった。どんなに手綱を引っ張ってもその方向に行ってくれない。 まわりを見渡しても360度草原があるだけ。地平が丸く私と馬をとりまいている。 まあ、いずれ探しに来てくれるだろうと馬にまかせていると、馬がいったのは草原の中の水場だった。 そこには人がいて私たちのゲルの近くまで送ってくれた。(つづく) |
![]() 教師新任のころである。授業が楽しくて仕方がなかった。上手になりたかった。 自分の授業を録音して放課後に教頭先生に聞いてもらったりした。 録音を聞いただけで「久下くん、板書はもっと丁寧にしなきゃあいけないよ。」と注意された。 板書の時のチョークの音で字の乱雑さが分かったのだ。 教頭先生からは板書の仕方、黒板の消し方、言葉の語尾の注意、生徒の応答への相づちの打ち方など こまごましたことをたくさんたくさん教えてもらった。 |
![]() 子供のころは多くの家庭が七夕の笹飾りをつくった。 私の家父も母も外で働いていたが、それでも笹飾りは作った。 七夕が済むとそれを近くの川に流しに行く。 川は天の川につながっていて天に届くんだ。 今は川に笹を流すことなんて出来なくなった。 人がふえたのか、川がやせたのか。 そう言えば天の川なんて消滅してしまって久しく見ていない。 |